東京魔人学園妖風帖
 
第壱話
 
“転校生” Ver.1.02
 
 その日、教室は普段の朝とは、やや異なる喧噪に包まれていた。いつもより、ほんの少しだけ早く教室にたどり着いた赤毛の少年、蓬莱寺京一は、いつに無く浮ついた教室の空気に訝しいものを感じながら自分の席に鞄を置いた。
「何だ?」
 空気に混じった妙な期待感に首を傾げていると、普段つるむ事の多い、桜井小蒔が何か変な笑いを浮かべて近づいてきた。
「オッス、京一が遅刻しないなんて、珍しいね、もしかして、今日来る転校生が美人だったら良いな、とか期待してんの?」
「そっか、そういや転校生が来るのって今日だったな、最近麻雀ゲームで徹夜してたせいで、すっかり忘れてたぜ、今日も全然寝てなくてよ・・・眠くて眠くて」
 京一は大あくびする。
「相変わらず呆れた奴だ、又、例の脱衣麻雀と言うやつだろう」
「へへっ、まぁな大将、最期の一枚って所で中々上がれなくてよ」
 顎をさすりながら渋面を作る醍醐に京一は悪びれた様子もなくへらへらとこたえる。滅茶苦茶だるそうなその様子を小蒔の背後で見ていた生徒会長殿、美里葵は困り顔になる。
「京一君たら・・・授業中に寝ては駄目よ」
 放っておいたら授業が始まると同時に爆眠決定だろう。
「へいへい、でも、こう陽気がいいと眠くなるねぇ」
「なにいってんのさ、京一は一年中寝てるじゃないか、ね、醍醐君」
「ははは、全くその通りだな、毎日こんな始末で今までよく進級してこられたものだ、俺はいつも不思議だよ」
 醍醐の言葉に京一は肩を竦めて机に突っ伏した。HRも始まっていないと言うのに、もう寝る体勢に入っている。
「しょうがないなぁ・・・そう言えば葵、今日来る転校生って男の子か女の子か、聞いてない?」
「御免なさい、生徒会の方からは分からないわ・・・でも」
「でも?」
 微妙に言いよどむ葵に小蒔は身を乗り出した。全く、好奇心の塊である。醍醐もこっそり小蒔に便乗して葵の方に顔を向けている所をみると、彼もそれなりには転校生に興味をそそられているらしい。
「ミサちゃんが・・・」
「うっ、裏密が!?」
 葵が隣のクラスに居る同級生の名を口にした途端、醍醐は明らかに一歩下がった。本人が居ないとはいえ中々失礼な奴である。
「ミサちゃんがどうかしたの?」
「ええ、昨日帰る時にそこの廊下であったのだけど・・・“明日美里ちゃ〜んのクラスに壊す者がやってくるわ〜、此処にいるけど、居ない人が・・・事象の理は敗れ、混沌は加速する”・・・そんな、事を言いながらここの席を見ていたわ」
 葵は自分の隣の席に指さした。そこはクラスの男子連中が牽制しあう余り、結局空席のままになってしまっている場所だ。
「うーん、相変わらずミサちゃんの言う事は難しくて良くわかんないや、やっぱり転校生の事かな、“壊す者”なんて、乱暴な人だったら嫌だなぁ」
「へッ、そいつがもしもつよけりゃ、醍醐の旦那辺りはむしろ望む所じゃねえか」
 机に突っ伏したままにやりと笑う京一に、ようやく気を取り直した醍醐は無言で笑い返す。京一とは違った意味で物好きな男である。
「ま、俺としては、美人のおねーちゃんなら文句は無いけどなっ」
「やれやれ、やっぱ京一はそうなんだね・・・あ、マリアせんせ」
 三人は慌てて自分の席に戻っていった。
「みんな、席に着きなさい、HRを始めます」
「起立・・・礼・・・着席」
「Good Morning Everybody.」
『Good Morning  Miss. Maria.』
 当直の女生徒の号令にあわせ、数人を除いた3−Cの生徒達がマリアに挨拶する。本当ならこんな眠い時は同様に遠慮したい京一だったが、マリアにあんまり睨まれたくは無いので取り敢えずあわせて挨拶した。
「みんな、揃ってるわね・・・もう知っていることもいると思うけど、HRに入る前に今日からこの真神学園で、一緒に勉強する事になった転校生のコを紹介します」
 少しざわついた生徒達が落ち着いたのを見計らって、マリアは廊下に立っていた誰かを手招きした。教室内に張りつめた空気が流れる。戸を引き開けて入ってきたのは、真新しい真神高校の学ランをラフに着た男子生徒だった。
 女生徒から嬌声が上がる。
(中々、良い面構えしてやがるぜ、ま、俺様には負けるがな)
 机に突っ伏したまま、京一は“転校生”を観察する。体つきは中肉中背、短めに切りそろえられた髪。つり上がった眉がきついが、一般的基準から言えばかなり整った顔。しきりに学ランの首元を気にしている。どうやら軽く緊張している様だ。
(まぁ、見た目はふつーだよな・・・)
「それじゃ、みんなに自己紹介を・・・そうね、自分の名前を黒板に書いて」
(ん?)
 彼は一瞬、明らかに嫌そうな表情を浮かべて躊躇った後、マリアに無言で促されて黒板に“東 京太郎”と丁寧にチョークで書き込んで行く。
「俺も人の事ことぁいえねぇが、キタネェ字だなぁ」
 かなり丁寧に書いていたにも関わらず、彼の書いた字はまるで殴り書きだった。殆ど小学校低学年の書取レベルといった所か。しかし、それとは別の事で生徒の一部に失笑が起こった。
 
『とうきょうたろう・・・ひどぇ親も居るよなぁ・・・』
『まるで偽名よね・・・顔は一寸可愛いのに・・・』
 
 そう言った微かなさざめきに、京太郎が一瞬目をすがめ、拳を固く握ったのを、京一は見て取った。
(やれやれ、言いたい放題だぜ・・・まぁ、本当にある意味珍しい名前だよな・・・)
「東クンは、一ヶ月ほど前に御家庭の事情で、こちらに引っ越してきたばかりなの・・・わからないトコロが多くてとまどうかもしれないから、みんな、いろいろ、東クンに教えてあげてね」
 マリアの言葉に又さざめきが起きた。家庭の事情、というやつが興味を引いたらしい。
(しかし、ま、正面きって聞く奴ぁ居ねぇよな・・・少なくともうちのクラスには・・・)
 京一のそんな思いはよそに、彼の背後から黄色い声が挙がる。
「東くーんッ、前の学校ではなんて呼ばれてたの?」
 あけすけな質問に又、京太郎は困った顔をして悩んだ後口を開いた。
「・・・京ノ字って呼ばれていた、かな」
「へぇ〜、京ノ字かァ」
(嘘だぁ〜ッ、絶対、“とうきょうたろう”とか呼ばれてたにちげぇねぇ・・・まぁ、新天地に来てわざわざそんなマズイ渾名を名乗る奴は居ねぇよな・・・)
 心の中で突っ込んでから京一は京太郎に同情の視線を送る。しかし、京一だけではない、他の男子生徒の似た様な感想を無視して女子生徒の質問はヒートアップして行く。
「ねェねェ、東くんッ、今まで、どこに住んでたの?」
「えっと、ニューヨークのサ、いや、兎に角アメリカか・・・」
 実は京太郎が帰国子女だった事を知ると、またまた教室にざわめきが起こる。
(又、物珍しい生物でも来た様な感じだな・・・しかし、それで日本語がへたくそなのか?・・・喋りはそんなに変じゃないのにな)
「つぎ、アタシーッ!!へへへッ、血液型と生年月日を教えて下さ〜い」
 度重なる女生徒の質問に京太郎の顔が微妙に歪んできた。今回の質問は真面目に困ったらしい。
(他人にプライヴァシーに踏み込まれるのに慣れていないのかも知れないわね・・・)
 ヒートしている周囲の女子とは別に葵は転校生を観察していた。帰国子女等とはいっても、黙って立っている限り、クラスの他の男子生徒とさして変わる所が無い京太郎だが、彼女は彼が教室に入ってきてから何故か彼の所作が気にかかってしょうがない。
「・・・9月18日、A型」
 考えながら答える京太郎に京一は何となく違和感を覚える。
(まさかな・・・誕生日だの血液型だので嘘付いてなんになるっつうんだ・・・)
「きゃあッ、アタシと相性ピッタリィ」
「あんた、このあいだも、王蘭高校の如月くんにおんなじような事いって迫ってたでしょ」
「さぁねェ〜」
「あたしも、しつも〜んッ!!」
「あたしもあたしもッ!!」
「好きな食べ物はァ?」
「好きな女の子のタイプはッ?」
「お姉さんか妹いるッ?」
「スポーツなにやってんのォ?」
 もう滅茶苦茶である。
「タレントの浮気記者会見かよ・・・全く」
 京一はクラスメート達のピラニアの様な食いつきに呆れ、苦笑する。盗み見ると醍醐も似た様な感想らしい。
「チョッ・・・チョット、みんな、待って、東クンが困ってるでしょッ・・・質問は、もう終わりにします」
 流石にマリアが止めに入る。確かにこのままでは京太郎のプライヴェートの質疑応答だけで1時限目が終わってしまいかねない。それを狙ってやっている輩も居るような気もするが・・・
「えェ〜ッ」
 生徒達のブーイングを無視してマリアは京太郎に苦笑してみせる。
「ごめんなさいね、東クン、みんな、転校生が珍しくてしょうがないの・・・さッ、みんな授業に入りますよ・・・東クン、それじゃキミの席は・・・」
 生徒達の方に振り返ったマリアはさっと、教室を見渡し、一点に目を留めた。
「そうね、確か美里サンの隣が空いていたわね、美里サンはクラス委員長だから、いろいろ教えてもらうといいわ・・・美里サン、よろしくネ」
 マリアの指さした席へ京太郎はゆっくりと歩いて移動していく。
(へぇ・・・上体が全然揺れてねぇ・・・コイツ結構やるな・・・)
 京一が感心しながらふと、醍醐を見ると、彼は何か考え込む様な顔つきで京太郎を見ている。彼が何を考えているか想像がつき、京一は苦笑した。
(好きだねぇ・・・?あちゃ〜)
 視線を移して行くと、美里の隣の席に座る京太郎に殺意の視線を向ける茶髪の巨漢、佐久間猪三が目に入ってきた。その名の通り、猪の様な首の男だ。現在に置いて絶滅寸前の、古典的な不良でもある。
(アホが、美里は面食いだから、てめえみたいな顔面凶器は歯牙にもかけねぇよ・・・醍醐の大将にせよ、ゴリラにせよ、あの転校生がどれ程やるか、遠からず分かりそうだな・・・)
 京一はほくそ笑む。どうやらあの転校生は退屈な日常に一石を投じてくれそうだ。
「それじゃ、ホームルームを始めましょう・・・今日の議題は、旧校舎の改築案について・・・」
 
「・・・東くん」
 京太郎は不意に隣席から声をかけられ、横に目をやった。黒髪ストレートロングの美少女が微笑んでいる。
「こんにちは」
「ああ・・・こんにちは」
 妙な表情を浮かべて、少し退く京太郎。照れくさがっている様に見えなくはない。
「さっきは、すぐにホームルームに入ってしまって、挨拶もできなかったけれど・・・ごめんなさい」
「いや、別に・・・」
 あんまり会話を続けたくないらしい。
「私、美里 葵っていいます、美里は、美しいにふる里の里、葵は、葵草の葵・・・」
「あおいそう・・・?」
 京太郎は、葵草など知らなかった・・・・
「これからよろしくね」
「あ、ああ、よろしく」
 ひたすら気圧されている京太郎。尤も葵は普通に話しているだけのつもりだが・・・
「うふふッ・・・よろしくね、学校の事で、わからない事があったら、いつでも聞いて」
「ああ・・・」
 京太郎がまたもや、適当に応えていると・・・
「あ〜お〜いッ!!」
「きゃッ」
「へへへーッ」
 葵の背後から小蒔がひょっこり顔を出した。京太郎は葵に悟られない様、軽く息をつく。
(助かったな・・・)
「小蒔・・・」
「葵も、やるねェ〜、早速、転校生クンをナンパにかかるとは・・・」
(Realy!)
 授業中は元に戻っていた京太郎の表情が又引きつってきた。胃の辺りがドンと重くなる。
「えッ・・・?」
「うんうん、生徒会長殿も、よ〜やく男に興味を示してくれたんだねェ」
(じゃあ、今までは同性に色目を使っていたとでも・・・まぁ、別にどうでも良いが・・・)
 初対面の人間の前でとても口に出来ない想像に京太郎は苦笑する。
「!!」
「いやいや、クラス委員長でしかも、生徒会長なんてやってると、男とは無縁になっちゃうの、わかるけどさ、もうちょっと・・・」
「もう、小蒔ッ」
 したり顔で葵の肩に手を置いて力説する小蒔に、葵は微かに頬を上気させながら怒った様にいうが、小蒔は手をひらひら振りながら取り合わない。
(仲の良い事だ・・・)
「へへへッ、まァまァ・・・転校生クンはじめまして、ボク、桜井小蒔、花の桜に、井戸の井、小さいに、種蒔きの蒔・・・弓道部の主将をやってんだ、これから1年間、仲良くしよーねッ」
「ああ、Frendlyに行こう」
 葵といい、小蒔といい、京太郎が帰国子女だというのを気遣って、名前の漢字まで説明してくれたのかも知れないが、生憎、例えが難しくて、さっぱり分からない。だが、二人が発散する雰囲気に彼は共感を感じ、左手を差し出した。
「うんッ、こちらこそ、ヨロシク、キミみたいな転校生なら大歓迎だよッ」
 小蒔はにかっと笑って京太郎の手を握り返してくる。中々握力が強い。
「仲良くしようね・・・でもなァ・・・」
「?」
 小蒔は急に京太郎の手を離し、眉を寄せた。
「東クンって、葵みたいなタイプが好みじゃないの?」
「くッ・・・」
 実を言えば、好みでは無い・・・しかし・・・
「どうかな・・・」
 初対面の相手にそこまではっきりとは言えない・・・ここはアメリカでは無いのである・・・
「うんうん、わかるよ、その気持ち・・・悩むってコトは、脈アリってコトだよね」
 小蒔は京太郎の逡巡を勝手に解釈し、頷きながら彼の肩をぽんぽんと叩く。
(やれやれ・・・この生徒会長さんなら、もてない筈無いだろうに・・・)
「そっか・・・じゃあ、イイ事教えてあげるよ、ちょっと、耳貸して・・・」
 京太郎の嘆息をよそに小蒔は耳に口を寄せてくる。
「あのねェ・・・葵って、こう見えてもカレシいないんだ、声は、結構掛けられてるみたいだけど・・・、全部断ってるし・・・、別に話を聞くと、理想が高いってワケでもないんだけど」
(そういうのに限って、実は基準が厳しかったりするんだよなぁ・・・)
「東クンなら、イイ線いくとおもうんだけどなァ・・・ねッ」
「・・・初対面の俺をそこ迄かってくれるなんて、有り難いな・・・」
 投げやり気味に京太郎は小蒔に同意しておく。
(しかし、なんだって、この娘は友達に男をくっつけたがるんだろう?しかも、海の者とも山の者ともつかない俺を・・・)
「おッ、自信アリそうだね、へへへッ、がんばりなよ、まッ、いずれにしても・・・恋敵が多いのは、覚悟した方がイイよ」
(それは、結構な事だ・・・)
 京太郎は苦笑のみを返す。
「葵は、男に対する免疫がないから大変だとおもうけど、玉砕しても、骨ぐらいは拾ってあげるからさ」
(悪いがそんなに暇じゃない・・・とは、言えないな・・・しかし、この娘もよくこんなに初対面の男に体をくっつけられるもんだ、男兄弟が沢山居るとか・・・)
「小蒔・・・聞こえてるわよ」
「いやァ〜、へへへへッ」
 葵の言葉を聞くと小蒔は京太郎から身を離し、葵にウインクする。
「・・・小蒔ッ」
 咎める様な葵の台詞も微妙に弱い。頬に手を当て真っ赤になっている彼女を見て京太郎は微笑する。
(確かに、免疫は無い・・・か)
「東クン、ボク応援してるからねッ、がんばりなよッ!!」
(まぁ、どうでもいいか・・・)
「じゃあねッ」
 京太郎は立ち去る小蒔に手だけ振ってみせる。こんな時の適切な日本語が出てこないのだ。
「あッ、ちょっと・・・。もうッ、小蒔ったらッ!!」
 整った顔を紅く染めて恥じらう姿は実際とても可愛らしい・・・しかし・・・
(どうも、苦手だよなぁ・・・)
「あ・・・あの・・・小蒔が、変な事いっちゃって、その・・・ほ・・・本当に、ごめんなさい・・・」
 言い終わるが早いか、葵はそのまま走っていってしまった。京太郎はほっと息をついて体の力を抜く。その時、突然背後から誰かが近寄ってくる気配を感じ、京太郎は肩越しに素早く振り返った。そこには何か棒状のものを入れた袋を担いだ赤毛の男子生徒、蓬莱寺京一が立っていた。彼の発するある種の雰囲気を感じ取り、京太郎の目つきが鋭くなる。
「あ〜あ〜、あんなにカオ真っ赤にしちゃってカワイイねェ〜・・・よォ、転校生、俺は蓬莱寺京一、これでも、剣道部の主将をやってんだ、まァ、縁あって同じクラスになったんだ、仲良くしようぜ」
「ああ、アンタみたいな強そうな男とは仲良くしておくに限る」
「そっちこそな、お前も中々やるみたいじゃねぇか、よろしくな」
 二人は互いに笑うと、左手で固く握手を交わした。
(へぇ、こいつ、拳ダコがねぇな・・・空手とかじゃ無さそうだな)
 京一は笑顔を作りながら独りごちた。
(ここは、一発、俺からもけしかけておいてやるか・・・)
「そうだ・・・一つ忠告しておくが・・・あんまり、目だったマネはしない方が、身のためだぜ、学園の聖女を崇拝してる奴はいくらでもいるって事さ、特に、この3−Cには・・・」
 京一は教室の片隅に顎をしゃくって見せた。
「・・・頭に血が上り易い奴らが多いしな・・・」
 教室の隅には極めて前時代的な不良が四人たむろっていた。佐久間とその一党である。京太郎の目が面白そうに光るのを見て、京一はニヤリと笑う。
(ここにも一人、好きもんが居るみたいだな・・・)
「まッ、そういうこった、無事に学園生活を送りたいなら、それ相応の処世術も必要って事さ」
 ニヤニヤ笑いながら京一は付け加える。佐久間達を見る京太郎の目つきが好物を目の前にした動物の様になっているのに満足し、京一は踵を返した。
「じゃ、また後でな」
 京一が立ち去ってすぐ、授業が始まり、午前中と滞り無く過ぎ去って行く。
 
 
昼休み・・・
 
 
「東くん・・・あの・・・」
 昼休みのチャイムに京太郎が体を伸ばしていると、又も葵が横から声を掛けてきた。別にお隣さんなので声を掛けて悪い事は無いが・・・
「?」
「さっきは、小蒔が変な事をいって、その・・・ごめんなさい」
 謝っている割には頬を紅く染め、恥じらっている様な表情である。
(ううむ・・・)
「No Problem、気にしちゃいない・・・」
 実際気にしている訳ではない。単に関わりなろうとは思っていないだけである。
「ううん・・・転校早々、嫌な思いさせちゃったかとおもって」
「いや・・・仲の良い友が居るのは良い・・・」
(基本的に良い娘なんだよな、きっと・・・)
 京太郎は何となく昔なじみを思いだし、少しだけ寂しくなった。
「そうだ・・・今日は生徒会があるから無理だけど・・・明日にでも、学校の事とかいろいろ教えてあげる」
「い、いや、何か忙しそうだし、無理をしなくても・・・」
「そんなに、気にしないで、これから、1年間同じクラスなんだから」
(小蒔のLiar〜、何処が男に免疫が無いって・・・ま、親切なだけか・・・しかし・・・)
「それじゃ」
 京太郎が腐っていると、背後からどす黒い気配が近づいて来た。自然と口元が綻んでくる。
「オイッ・・・」
 無視していると、先刻京一に忠告された“3−Cの熱血漢”共の内、一番凶悪そうな面構えの男が机に手をついてきた。無言で飛ばされる視線と視線。喧嘩の初手、“ガンの飛ばし合い”である。
「おいッ、東ッ」
 ガンをつけたまま、男、佐久間が京太郎に吐き捨てる。京太郎の唇端が僅かに持ち上がった。
 一瞬即発の空気に、教室に残っていた不運な生徒達は不安げにしていたが、佐久間の取り巻きに散らされ教室を出ていく。
「ここで、やるかい」
 今にも舌なめずりしそうな顔で京太郎が立ち上がりかけた時。
「よォ」
 何とも気の抜ける声が横から掛けられ、京太郎の視界の端に木刀を担いだ男がニヤニヤ笑いながら立っているのが見えた。
「東、校舎ん中案内してやるぜ」
 佐久間に睨まれても、蛙の面にしょんべんといった風情である。
「けッ」
 佐久間は京一が幾分苦手らしく、床に唾を吐き棄て、立ち去っていった。取り巻き共もさっさと退散して行く。
(うまく外しやがったな・・・)
 京太郎は幾分恨めしそうに京一を睨んだが、笑顔で無視された。底の読めない男だ。
(こんな所で、暴れられたら、俺がマリアせんせに怒られるからな・・・それに途中で邪魔が入っちゃ面白くねぇし・・・)
「おいおい、あんなむさい野郎なんかほっといて、さっさと行こうぜ」
「そうだな・・・」
 並んで歩き出し、教室から出た所で急に京一は振り返り、東に訊ねた。
「どうだ、この真神学園は」
 口調は軽かったが、やけに神妙な顔つきをして訊ねている。
「最高だな、みんな手厚く歓迎してくれるし」
 京太郎は笑った。実に楽しそうな笑いだ。京一は少しだけぞくり、とし慌てて笑顔を作る。
「そうか、そうか、わかるぜ、その気持ち、ウチの真神学園はカワイイ娘が多いからな、俺も、毎日学校来んのが楽しみで、楽しみで・・・」
 京一のはぐらかしに、京太郎は、小蒔と葵のコンビを思い浮かべる。
「確かにな・・・」
「さァてと、この校舎は3階建てになってるが、ドコからまわりたい?」
(降りて行くんだから、3階からでも良いが・・・あのチンピラ共が居たら、又五月蠅いしな・・・コイツが一緒じゃなきゃな・・・ま、3階は最期で良いだろ、どうせ上がって来るんだし)
「二階からがいい」
「そうか」
 二人して二階に下りて行くと、階段の途中で数人の女生徒に追い抜かされた。何やら慌てて何処かへ向かっている様子だが・・・
「この2階には、2年生のクラスと生物室がある、あとは、そうだな・・・」
 心底嫌そうな顔をして急に口ごもった京一に、京太郎は怪訝そうな顔をする。この2階には彼の余程苦手なものがあるらしい。
「あァ、もうあんなに並んでるゥ」
「はやく、はやく・・・」
「チョット、待ってよォ」
 階段を下りた所で立ち止まっている二人の横を又、女生徒が走り抜けていった。
「・・・・・・あァ、と・・・、その・・・」
 京一はまだ口ごもっている。出来れば言わすに済ませたい。と言った感じだが、剛胆な彼にここまでの苦手意識を持たせるものが何なのか、京太郎は好奇心が疼くのを感じる。
「キャーッ、シンジらんないッ!!ソッコウ来たのにィ!!」
 何やら廊下の奥は凄い騒ぎである。
「・・・・・・相変わらず凄え人気だな、なんで、女ってのはああも、占い好きなのかねぇ」
「Fortune telling?」
 京一が怖がるようなものと、占いがどうしても結びつかず、京太郎は首を捻った。
「あッ、お前には、まだ説明してないよな、あれさ・・・」
 京一の指さした(正確には木刀の柄で指した)所に目をやると、特別教室の一角の様な所から長蛇の列が伸びていた。その列を何やら黒いマント、というよりもゆったりとした黒いローブの様なものを制服の上からまとった女生徒達が整理している。
「オカルト研究会・・・通称、霊研、B組の裏密ってのが部長をやってんだが・・・そいつのやる占いがよく当たるってんで、休み時間ともなるとこの有様さ」
 京一の何か罰当たりな所行の事でも語る様な口調に、京太郎は余計好奇心をかき立てられる。
「どうだい、東、お前もなんか占ってもらうか?」
「ああ、そうする」
 投げやりな京一の口調にとびついて、京太郎は霊研に目をやる。
(あの列じゃそうそう中には入れそうにないが・・・ま、見物するだけでもいいか・・・)
「ちッ、しゃーねェなァ」
 その後ろ姿を見ながら京一は溜息をつく。彼も流石にあそこは本当に苦手なのである。
「しかし、お前も物好きだなァ、占いなんて、当たるも八卦、当たらぬも八卦っていうだろうが?」
「まぁな、あれは指針・・・だからな」
 適当に言い置いて、さっさと霊研の列に向き直る京太郎に、京一は諦めた様に肩を竦めた。
「まァ、いいさ・・・俺はここで待っててやるから、はやく行ってこいよ」
 そんな京一の様子等無視して八割方が女生徒で占められている列の最後尾に並ぶと、意外な程の速度で列が進んでいき、五分もしない内に京太郎の前に並んでいる女生徒の順番が回ってきた。
(どうにか中に入れそうだな・・・)
 列の長さに少しだけ時間の心配をしていた京太郎は、ひと安心する。しかし、更に待てど、一向に受付の女生徒の呼ぶ声が聞こえない。
「おかしいな・・・」
 背中に京一の視線を感じつつ、京太郎は入り口に掛けられている緞帳を軽く持ち上げ、聞き耳を立ててみる。
『さて、と〜、ようやく終わった〜』
「なにッ」
「この喋り方も〜疲れるのよね〜・・・でも〜、せんぱいのようになるためには〜、がんばんないと〜・・・ふゥ・・・」
 折角待ったのに直前で打ち切られるというダメージの大きなパターンをくらってしまった京太郎は、一縷の望みをかけて緞帳を引き上げ、受付の女生徒に声を掛ける事にする。
「・・・Excuse?」
 溜息をつきながら肩を叩いていた女生徒は突然声を掛けられ、一瞬、飛び上がった。
「ふァ・・・ごほッ、・・・・・・あの〜、そこのひと〜、もしかして〜、霊研に御用ですか〜」
 どうやら霊研には余程影響力の強い上級生が居るらしい。
(しかし、喋り方を真似する必要は無いよなぁ・・・)
「もしかして〜、霊研に御用ですか〜」
「噂のGreat fortune−tallerを一目と思ってね」
 京太郎は意識してフレンドリーな笑顔を作る。無論、何とか滑り込ませて貰えないかという意図あっての事である。
「あの〜、困ります〜」
「そこを何とか・・・Please lady・・・」
 言いつつ手を合わせ、彼女を拝む京太郎。
「そ、そんな事言われても〜、わたし〜、あなたの事知らないですし〜・・・それに〜、裏密せんぱいに〜怒られます〜」
「Please〜」
 顔をほんのり染めて変な反応を返す女生徒を見て、京太郎は、あと一押しと、更に拝む。
「え、え〜と〜・・・あッ、ちょっと〜待って下さい〜せんぱいが呼んでるんで〜」
 女生徒は逃げる様に奥に入っていってしまった。
(呼ぶ声なんて聞こえなかったが・・・失敗したかな・・・ま、仕方ない・・・)
『は、はい〜えェ〜、そうです〜・・・あッ、はい〜・・・わかりました』
 更に掛けられた暗幕の奥から先刻の女生徒の声が漏れ聞こえてくるが、話している相手の声は一切聞こえてこない・・・まるで一人芝居を聞いている様な風情である。
「どうも、おかしな雰囲気だな・・・しかし、なんかここ居心地いいな・・・」
 昼だというのに、霊研の中には黄昏時の様な光と雰囲気が満ちていた。外の喧噪も一切入って来ない様だ。
(しかしねあの暗幕の奥・・・人の気配がしないな・・・)
「あッ、どうも〜、お待たせしました〜、裏密せんぱいが〜占ってくれるそうです〜、どうぞ〜こちらへ〜・・・」
 不意に中から出てきた女生徒に示され、暗幕をくぐると、そこには黄昏時を通り越した滴る様な闇がたたえられた空間になっていた。学校の空間を考えれば、そんなに広い部屋の筈は無いのだが、東は恐ろしく広い空間に入ってしまった様な空気の冷たさに身震いする。
「う、ふふ〜オカルト研へよ〜こそ〜」
 京太郎が本能的に目を閉じて耳に意識を集中すると、スローなテンポで少女の声が響き、急に周囲が明るくなった。片目を開けると、数十本の蝋燭の明かりに、先刻の女生徒と同じ様な格好をした少女の姿が浮かび上がり、頼りなげな灯りに彼女が掛けている瓶底の様な眼鏡と水晶玉が煌めいた。
「流転する魂を持つ者〜・・・ようこそ、我が館へ〜・・・どうぞ、座って〜」
 奇妙な落ち着きに包まれ、京太郎は彼女の勧めるままに年季の入った腰掛けに腰を降ろす。
「あたしが、魔界の愛の伝道師〜ミサちゃんです〜・・・?」
 少女、裏密ミサは水晶玉から目を上げ、京太郎に目をやると、普段から浮かべている捉えどころの無い微笑を消して、少し訝しげに京太郎を見つめる。
「どうして、笑ってるの〜」
 彼女に言われて、京太郎は自分がいつの間にか笑っていた事に気付き、顔を擦って笑顔を消す。
「いや・・・Sorry、何となく、ここに居ると楽しい気分になるみたいだ・・・よく分からないけど・・・」
 蝋燭の灯りに少しだけ退いた闇に、京太郎はひどく馴染み深い雰囲気を感じていた。自室でくつろいで居るよりも強い・・・どこかわくわく胸が静かに踊り出す。そんな心地。
「・・・うふふ〜、ここを気に入ってくれる人が居るなんて、ミサちゃんうれし〜、どうぞ、よろしくね〜」
 彼女は消していた笑顔を戻し、京太郎に会釈して見せた。
「ああ、こっちもよろしく」
 京太郎も楽しい気分のまま、軽く頭を下げた。もう、占って貰う事などどうでも良くなってくる。
「・・・今日この場所で〜、ふたりが出会い語らう〜・・・これは因果律によって〜、定められた事なのね〜」
 普段ならば信じない、運命論的なミサの台詞も否定する気にならず、京太郎は黙って頷いた。
「・・・それじゃ〜、これから、あなたの未来を〜、この愚者の水晶で〜占ってあげます〜・・・この水晶は〜、眉間にある第三の目の力を活性化させて〜、あなたの星気面に、未来の情景を映し出す事ができます〜」
 彼女の説明を聞きながら、京太郎はテーブルの上に置かれた水晶に目を凝らす。非常に大きな、成人の頭にふた周り程度足りないだけの巨大な水晶だ。天然物ならば・・・いや、人工水晶だとしても相当に値が張る代物だろう。少なくとも、普通の高校生の手が出せる代物ではない。
「じゃあ〜、まずから、あなたの現在を視てみましょ〜・・・」
 ミサが小声で呪文を唱えるのに聞き入っていると、徐々に水晶玉の中に何か黒いものが蠢き始めるのが見えてきた。
「・・・汝の名は、東・・・京太郎・・・」
(凄いな・・・トリックで無ければだが・・・しかし、そんなせこいタネじゃ無い・・・)
「汝、占いしものを告げよ・・・」
「・・・ええと、じゃあ・・・好きなものについて・・・」
 実際に何を占って貰うかについて等全く考えていなかった京太郎は、思わず、朝方に訊かれた事を口走った。
「・・・・・・歓喜とは、月の滴りし甘露、甘露とは、古きものに宿り・・・須弥の地に咲く花の如し・・・・・・うふふ〜、東く〜んの肩に高貴な猫妖精が寄り添っているわ〜、あなた〜の一番好きな存在は〜、近くにいるし〜、これからもあなたに集まってくるわ〜、彼はあなたが〜約束を守ってる守ってるのを喜んでいる〜・・・」
「視えるのか・・・あいつが・・・」
 京太郎の声はひび割れていた。激しく、動揺する彼をミサは笑いを浮かべて少し見ていたが・・・
「うふふ〜、これじゃ〜占いじゃなくて〜、霊視ね〜・・・ごめんなさい〜今度悩みがあったら〜また来て下さいね〜、今度はちゃんと占ってあげる〜」
「あ、ああ、又世話になる・・・多分」
 ミサの言葉に、京太郎は取り敢えず気を取り直して立ち上がった。
「うふふふふ〜」
 彼女の笑いに送られて外に出ると。真っ昼間の日差しがひどく眩しい。京太郎はとても長く霊研の中に居た気がしていた。
「よお、遅かったな、俺は又、裏密にでも捕まって、生け贄にでもされてんのかとおもったぜ」
「いや、彼女はそんなものは必要じゃないと思う・・・彼女はもっと・・・強い」
 京一は何か異様な生き物を見る様な目で京太郎を見た。
「おいおい、まさか、裏密に洗脳されちまったのか・・・たしか、あいつならやりかねねぇな、真神学園もいいかげん変わったヤツが多いけど、裏密は、そん中でもトップクラスだからなァ・・・まぁ、五体満足で帰ってこられただけでもよしとしねェとな・・・わはははははははははーッ」
 何処か渇いた京一の笑いに被って、微かに、
(うふふふ〜)
と聞こえた様な気がする。京一は慌てて周囲を見回したが誰も居ない・・・
「・・・なんか寒気がしてきた・・・そろそろ行こうぜ」
「そうだな、次は1階に行こう」
 二人は足早にそこを離れ階段を降りて行く。
「ここ1階には、1年のクラスと、職員室と保健室がある、俺たちの担任の、マリアせんせに会いたけりゃ、職員室に行けば会えるぜ・・・マリアせんせは、前の英語の担任に代わって、3ヶ月前に、この学園に来たばっかりなんだけどな・・・ヨーロッパのナントカってトコから来たってハナシだぜ・・・あの通り美人だから、止めときゃいいのに、狙ってるヤローも多いって話だ・・・ってありゃ、マリアせんせじゃねェか?」
 京一の見ている壁の向こうを覗き込んでみると、マリア教諭と、京太郎がまだ知らないくたびれた白衣を着た男性教諭が何か口論している様子が見えた。
「ありゃ、犬神の野郎じゃねェか・・・あ、犬神は生物の担当で俺達の隣のクラス、3−Bの担任だぜ・・・しかし、何を話してるんだ」
 盗み聞きする気満々の京一を一瞬放っておこうかと思った京太郎だったが、先刻霊研の前で彼を散々待たせた事を思い出し、取り敢えずは彼の覗きに突き合う事にする。
「・・・君もわかってる筈だ、俺の話がわからない訳じゃないだろう・・・」
「わからないわッ、傲慢で、自分勝手で、他人を傷つけてもおかまいなしッ・・・アナタこそ、それがわからないワケじゃないでしょッ」
 犬神の諭す様な口調にマリアは真っ向から噛みついた。3ヶ月担任としてつき合った京一にも、今日初めて彼女に会った京太郎にも、想像のつかない、意外な彼女の顔だった。
「・・・・・・確かに、人は弱い・・・だが、護るべきものがあれば、強くも生きられる生き物なんだ」
「それが、愛だとでもいうの?」
 苦悶する様な表情で静かに語る犬神を、マリアは憎しみに顔を歪ませて嘲る。
「・・・・・・」
「アナタの口から、愛という言葉が聞けるとはおもわなかったわ」
 黙り込む犬神を、マリアはかさにかかって責め立てる。
「・・・・・・もう一度、よく考えるんだ」
「・・・・・・」
 マリアの非難を無表情でやり過ごした犬神は、絞り出す様な口調でそれだけ告げると、マリアをその場に残し、去っていった・・・京一と京太郎が隠れている方に・・・
「やべッ、こっち来るぜッ、隠れろ、東ッ」
 慌てて階段下の空間に隠れて犬神をやり過ごし、二人は息をつく。
「なんか・・・えらいモン見ちまったなァ」
「ああ、アレは深刻そうだな・・・」
 京一の率直な感想に京太郎も頷いた。確かに、日常生活の場では些か刺激的な光景である。
「まッ、深く詮索してもしょーがねェ・・・大人には大人の事情ってもんがあるんだろーしな」
「まぁな・・・でも、もっと根本的な所で・・・それに前に似た様な会話を聞いた憶えが・・・」
 京一の台詞に首肯しつつも、京太郎は首を捻った。少なくとも先刻の会話は男女仲のもつれ等とは関係無い様な気がする。
「まぁ、兎に角ここで、こーしてても仕様がねェ、別んトコ行こーぜ・・・ま、後は3階だけだけどな、購買に寄ってから行こうぜ、東」
「行こう」
 購買で売れ残っていた総菜パンを買い込み、2人は今まで下りてきた階段を上り直して、元の場所、3−C前に戻ってきた。
「えェ〜っとだな、おまえも知ってのとおり、俺たち3年生のクラスはこの3階にある、他には・・・図書室と音楽室ってところかな・・・へへへッ・・・」
 京太郎に施設の説明をしていた京一の顔に急に、やに下がった笑いが浮かんだ。京太郎の肩に腕を回して耳に顔を近づけてくる。殺気等まるで無い為、京太郎は取り敢えず好きにさせておく。
「実はな・・・この真神学園の図書室には、秘密があるんだ、聞きたいか?」
 聞くも聞かないも、聞かせる気満々である。
「まぁ、聞きたいかな・・・」
「くくくくッ・・・東屋、おぬしもワルよの〜・・・実はな・・・見えるんだよ、高いトコロにある本を取る時、台にのぼるだろ?」
「ああ」
「そん時に、チラッとな」
「・・・」
 確かに、無改造と思われる生徒会長の葵のスカートですら膝上25cmはかたいミニなのだ・・・思いっきり屈んだり、高低差のある所を移動すれば、簡単に中が見えそうだ。しかし、実に楽しそうな京一の顔を見ている内に、京太郎は何となく嫌な予感がしてきた。
「へへへッ・・・ちょっとだけさ・・・今から行ってみねーか?」
「いや、まだ飯喰ってないし・・・」
「まァまァ、いいじゃねーか、ちょっとだけだら、行こーぜ、なッ」
 やけに必死に京太郎を説得する京一。どうやら、一人で覗きをやるのが嫌なので、どうしても京太郎を共犯に引きずり込みたいらしい。
「ほらほらッ」
「仕方ないな・・・」
「へへへッ・・・そうこなくちゃな、じゃ、早速・・・」
 歩き出した二人の背後に突然気配が湧いた。
「へへへッ、じゃないわよ、まったく・・・」
「わァッッ!!」
 不意に掛けられた声に京一はとび上がり、背後を振り返ると眼鏡を掛けた黒髪ロングの女生徒が腰に手を当てて睨み付けていた。見ると片手にカメラを握っている。
「げッ、アッ、アン子ッ!!」
 首に掛けられた腕から伝わる動揺から、実際、彼がこの女生徒をかなり苦手にしている事を京太郎は知った。
(わりと苦手な相手の多い男だな・・・)
 京太郎に苦笑が漏れる。
「きょ〜いちィ、あんたねェ〜、げッ、アン子じゃないわよッ、なんにも知らない転校生にナニ吹き込んでんのよッ!!」
 顔を前に出した中腰で詰め寄る彼女に、京一はたじたじである。
「い・・・いやァ」
「あんたの、品のなさが伝染ったらどうするつもりッ」
「いや、その・・・」
 京一に腕を回されたまま後退された為、京太郎もじりじりと後退して行く。
「まったく・・・ホントだよ、京一は、スケベを絵に描いて、額に貼ったようなヤツだからねッ」
 京一にとっては実に間の悪い事に、アン子の後ろから書類の束を抱えた小蒔が出てきた。
「こ、小蒔ッ、なんで、お前が・・・」
「ボクは、アン子が、犬神先生に教材の資料探し頼まれたから、手伝ってあげてたんだよ」
 顔を顰める京一に、小蒔は手を使わないで器用にアカンベーをきめてみせる。この娘、こういう仕草が実によく似合う。
「それより、あんたねェ」
「そうだよ、京一ッ」
 女生徒二人に詰め寄られた京一は、するりと京太郎から腕を外すとさりげなく二人の前に彼を押し出した。
「ボク、そういえば、用事を忘れてました・・・遠野さんに、桜井さん、すいませんが、急ぐんで、それじゃッ・・・わりぃな東ッ」
 最後にそう囁くと、京一は京太郎を背後からドン、と更に押し出して逃走する。
「じゃあなッ」
「チ、チョット、京一ッ!!」
 アン子と小蒔が声を揃えて叫ぶが、後の祭り、小蒔は荷物持ち出し、アン子は京太郎の体が邪魔で京一を追う事が出来ない。
「ハハハハッ、小林君、又遊んであげよう・・・さらばッ」
 しっかりと大見得をきってから京一は姿を消した。ハイテンションな男である。
「コラー、京一ッ」
「ナニが小林君よッ・・・」
 小蒔とアン子は口々に悪態をつく、京太郎は完全に蚊帳の外であった。ま、下手に口出しして、共犯扱いになったら大変なのもあって口をつぐんでいたのだが・・・
「まったく、もォ」
「あいかわらず、逃げ足は超一流だね」
「ホント・・・あッ、ゴメンね、あのアホに気をとられてて・・・」
 ようやく、彼女は京太郎の方に意識を向けてくれた様である。
「いや、別にいいさ」
 京太郎にしてみれば苦笑するしかない。何しろ、あれだけ完成されたコントを壊すのは気かひける。
「そうそう、アン子ッ、カレが、さっき話してた転校生の東 京太郎クン・・・東クン、アン子とは初対面だよね?」
「ああ、勿論、京太郎です、よろしく」
 どうやら小蒔が紹介を買って出てくれた様なので、京太郎は挨拶は省いて、握手だけしておく。
「カノジョ、遠野杏子、みんなは、アン子って呼んでるけどね・・・新聞部の部長なんだよ」
 何故彼女がカメラを持ち歩いているのか、京太郎はやっと得心がいった。
「へへへッ・・・といっても、部長兼部員ひとりの寂しい部だけどね」
 小蒔に紹介されると、アン子は軽く下を向いて、テレくれそうに笑った。
「なるほど・・・彼の言ってた事は本当だな・・・」
「え、何?」
 京太郎の呟きに、アン子は素早く反応する。取り敢えず今は彼女の好奇心は京太郎に向けられているらしい。
「蓬莱寺が真神には美人が多いって言っていた事だ」
「随分露骨な口説き方するわね・・・いきなり」
 面食らった様に言うアン子に、京太郎は不思議そうな顔をした。
「思った事を言っただけだけどな、今まで会った真神の女生徒は普通に見て美人だと思ったし・・・」
「ねェ、東クン、今まで会った女生徒って事はボクも入ってるの?」
 勢い込んで聞いてくる小蒔に京太郎はかっくんかっくんと首を縦に振る。
「Yes、遠野さんも、桜井さんも、美里さんも、あと、さっき霊研で会った娘も割と綺麗だったな・・・」
 京太郎の台詞にアン子と小蒔は顔を見合わせた。
「東クン・・・霊研で会った娘って、もしかして眼鏡を掛けて鉢巻きをした娘?」
「ああ、裏密さんだっけ」
 おそるおそる聞いてくる。京太郎が頷くと。彼女たちは又、顔を見合わせて引きつった笑いを浮かべた。
「まぁ、いいわ・・・あたし、3−Bの遠野 杏子、君の噂は、隣の3−Bのクラスにも聞こえてきてるわよ・・・よろしくね」
「こちらも、よろしく、Frendは多い方がいい」
 京太郎はアン子の左手としっかり握手する。
「オッ!!なかなか、礼儀正しいでないの、感心感心」
「師匠のlessonが厳しかったんもんでね・・・」
 京太郎が笑うと、アン子はうんうんと頷きながら胸を張る。セーラーの胸の部分が景気良く盛り上がり、布が張りつめた。中々良いスタイルをしている。
「困った時には、なんでもオネーさんに相談しなさい・・・でも、お金の話は勘弁してよね」
「チョット、アン子・・・」
「ん、何?桜井ちゃん」
「時間、いいの?」
「あァーッ!!もう行かなきゃ、ごめんね東クン、今度、ゆっくり話しましょ・・・あッそうだッ、これ、あげるわ」
 京太郎はアン子から折り畳まれた数枚のコピー紙を受け取った。紙こそコピー用紙だが、レイアウト等は実際の新聞と寸分違わぬ出来だ。京一が三面記事になっている・・・
「今度、東クンの取材もさせてよね・・・じゃあね」
「じゃあね、東クン」
 言い終わると二人とも走っていってしまった・・・
「まずいな・・・うっかり目立つ所で戦れねぇなぁ」
 京太郎は呟き・・・手元のパンに目を落とす。
「二人仲良くメシ抜きか・・・蓬莱寺、もう出てきても良いんじゃないか?」
「わりィな、東、どうもアイツ苦手なんだよなァ」
「まぁ、いいさ」
 京太郎は肩を竦めて教室に入り、鞄にパンを放り込んで椅子に腰を降ろす。
「所で、どうだった、俺のガイドはなかなかのモンだろ、これから、楽しくやってこうぜ・・・じゃ、また後でな」
 突然、京一は慌ただしく会話を切り上げると自分の席に引き揚げてしまった。
「?」
 京太郎は一瞬怪訝に思ったが、背後から生臭い気配が近づいてくるのに気がついて口元を歪める。
「ようやく、いなくなりやがったか、うっとおしい野郎だぜ」
「おまえ程じゃ無いと思うが・・・」
 京太郎は佐久間に思わず素で言い返してしまった。何か挑発台詞でも決めようと思っていたのだが、ついつい思った事が口をついてしまう。
「てめェ・・・」
 佐久間の顔が真っ赤になった。単純な事実の方がよく効いたらしい。
「目障りなんだよ・・・転校生だからって、イイ気になってんじゃねェぞッ」
 絵に描いたような言いがかりである。
「じゃあ、俺をDeleteしてみるか・・・でも、あんたには出来るかな?」
「起立」
 京太郎が人の悪い笑みを浮かべた時、教師が入ってきて当直が号令を掛けた。
「ちッ」
「礼」
 佐久間は悪態をつくと、自分の席におとなしく戻っていった。なかなか律儀な不良である。そう思って京太郎が目で追っていると、同じ様に佐久間を目で追っている巨漢が目に入った。まるで学ランを着て産まれてきたのかと思える程学ラン姿が様になっている。
(なる程・・・実際ここをシメてるのはあいつって訳か・・・頼れるHead・・・番長って感じだな)
 
 
「じゃあね、東クン」
「じゃあ、東君また明日」
 それぞれ部活と生徒会に出ていく小蒔と葵に京太郎は手を振った。体を伸ばしていると、アン子が教室に入ってきた。
「東君ッ、こんちわッ」
 彼女は京太郎に挨拶した後、きょろきょろと周囲を見回して、意外そうな顔をする。
「アラッ、うるさいのの姿が見えないわね・・・剣道部にでも行ったのかしら」
「蓬莱寺なら、さっきいそいそと出ていったよ」
「まッ、いいか、この方が、東君と話しもしやすいしね・・・フフフッ・・・」
 椅子に座って見上げる京太郎の視界でアン子の眼鏡がキラリと輝いた。一瞬、背筋にぞくりと寒気が走り、京太郎は少しだけ京一の苦手意識の原因が分かった様な気がする。
「ねェねェ、東君、ものは相談だけどさァ・・・」
 アン子は思わせぶりに言葉を切り、京太郎を上目遣いに見た。
「?」
「一緒に帰らない?」
 まず、間違いなく取材目的だと思われるアン子の提案を、京太郎は一瞬、断ろうかとも思ったが、背中に突き刺さる視線を感じて、気が変わった。
「OK、特に用事はないし、街の事も教えて貰いたいから・・・」
「ウフフッ・・・アタシたちって、気が合うわね・・・いろいろインタビュー・・・じゃなかった、おハナシしながら帰りましょッ」
 アン子に調子を合わせながらも、京太郎は背後に複数の殺気が近づいて来るのを感じ、口元が笑い始めている。
「ちょっと、あんた達、何よ・・・キャッ」
 アン子を押しのけて、不良A、B、Cが現れた。京太郎の机を囲んでくる。
「転校生・・・」
「ちょっと、面かせや」
(来た来た)
 折角のお誘いに京太郎が喜色満面で立ち上がろうとすると、不良共に押しのけられていたアン子が今度は逆に不良共を押しのけて現れた。
「チッ、チョットッ、アンタたち、待ちなさいよッ」
「なんだァ・・・」
「文句あんのか?」
 口々に創造性の無い、脅し文句を垂れ流す不良に遠慮なくアン子はガンを飛ばしている。流石、一人だけで新聞部を張っているヴァイタリティだ。木っ端不良など歯牙にも掛けていないらしい。
「文句あんのか、じゃないわよッ!!アンタたち、東君をどうするつもりッ」
「ボディランゲージでとことんお話し合い・・・って所じゃないかな・・・」
「ケッ」
 不良共とアン子の間に挟まれて、小さな声で呟いた京太郎の声はあっさりと無視された。
「てめぇみたいな、新聞屋にいうつもりはねェな」
「そうそう、おめェみたいな女は、男に尻尾だけ振ってりゃイイんだよ」
(確かに、見た目だけなら、そっちの業界でも暮らせるとは思うが・・・性格的には無理っぽいよなぁ・・・)
 又、蚊帳の外に放り出された京太郎は不良の台詞に心の中で突っ込んだ。おあずけをくった気分なのだが、ここでどうこうするのはあまりにもタイミングが悪い。
「フンッ」
 アン子は鼻を鳴らして不良共をねめつけると、3人を上から下まで見回した。
「な、なんだよ・・・」
「アンタたちこそ、そのデカイ図体の使いみち考えたら?今なら、ウチの部で荷物持ちぐらいなら、雇ってあげてもいいわよッ」
 立て板に水、大した啖呵のきり様である。京太郎は思わず惚れ惚れとアン子を見る。
(新聞部に下級生の部員が居たら、呼びかけは“姐さん”で決まりだな・・・)
「なんだとォ・・・」
 流石に不良共が怒気を発するが、すっかりアン子の啖呵にのまれてしまっているらしく、恫喝台詞にも力がない。
(大したもんだが・・・困ったな・・・)
 このまま、こいつ等を追い払われては折角のお誘いが台無しである。
「へェから、アンタたちにも、プライドなんてモンあんの?」
 アン子はトドメに本当に驚いた様な顔をして言い放った。これは流石にまずかったらしく、今ひとつ勢いの無かった不良共も気色ばんだ。
「・・・このアマァ」
「いっとくけど・・・アタシの新聞部は、アンタたちみたいな、能無しに売られた喧嘩ならいつでも買ってやるわよッ」
 普通なら退いてしまう所でもひたすら強気でおす。なかなかイイ性格をしているものだが・・・
「そうねェ・・・なんなら、真神新聞の一面を飾ってあげましょうか?」
「うッ・・・」
(へぇ、そういう勝算があったのか・・・しかし、あれだけひびるって事は余程真神新聞の影響力は大きいみたいだな・・・)
 京太郎はひたすら感心した。何しろ、真神学園の新聞部はアン子一人でやっている、超家内制手工業なのだ。まともに部として活動しているだけで賞賛に値するのだが、これ程影響力を発揮しているとは・・・
「チッ、佐久間さんッ!!」
 不良共はアン子を自分達の手に負えないと、ようやく判断したらしく、親玉を呼ぶ。今まで苦虫を噛み潰した様な顔で手下のやりとりを見ていた佐久間はのっそりとやってきた。
「しょうがねェな、おめェらは・・・使いも満足にできねェのかよ」
「すッ、すいませんッ!!」
 親玉にねめつけられ、不良共はアン子にねめつけられた時より、更に小さくなった。流石に手下にはかなり睨みが効くらしい。
「佐久間、アンタ・・・」
「遠野、少し黙ってろや・・・」
  アン子が少しだけ、退いた。
(一応、一角の不良って事か・・・)
「俺は、コイツに用があんだ」
 佐久間は京太郎の前にやってくると、顔を覗き込んでくる。元々怒った様な面構えをしているのに無理に笑っている顔を作ろうとしている様な不自然な笑いがまことに不気味だ。
「へッ・・・東とかいったな、ずいぶんと、女に囲まれてご満悦じゃねェか・・・」
「なんだ、うらやましいのか?でも、そのgargoyleみたいな面じゃ、代わってやるのは無理な相談だな・・・」
「てめェ・・・」
 京太郎は思ったより流暢に煽り文句が出てきた事に笑みを浮かべる。やはり先刻のアン子の啖呵に影響されているのだろうか。そういえば、彼女はどうしているのだろうと思い、京太郎が捜すと、少し離れた場所で口に手を当て、呆れ顔をしている。
(自分もあんだけ煽ってたくせに、そんなに呆れなくてもいいのにな・・・)
「てめェの、その面を柿みてェに潰してやる」
 京太郎が考え事をしている間も、佐久間は独りでヒートアップする。
「やっぱり・・・面構えはの事は気にしてたんだな・・・しかし、中々古風な表現知ってるじゃないか」
 京太郎は少しだけ本当に感心した。レトロなのは見た目だけじゃないらしい。
「うるせェ・・・さいわい、あの剣道バカはいねェし・・・俺たちだけで話つけようじゃねェか」
「そうこなくちゃな」
「ダメよ、東君、こいつは・・・」
 勇んで立ち上がる京太郎に、眉を寄せたアン子が必死に声をかける。
「悪いが、俺の楽しみなんだ・・・メシより好きな・・・」
 京太郎は笑顔でそれに応え、佐久間に目をやる。
「体育館の裏まで、来いや、逃げんじゃねェぜ・・・まァ・・・イヤだといっても一緒に来てもらうまでだがな」
「ベーシックな場所だが、悪くない・・・さぁ、Let’s Go!」
 佐久間のほくそ笑みに、京太郎も笑いで応える。
(ここまできて、おあずけくったんじゃたまらんからな・・・)
 気遣わしげなアン子の視線に送られ、京太郎と、佐久間達は教室を後にした。
 
 
「オイッ、おめェら、誰か来ないか見張ってろ・・・終わるまで、誰も近づけんじゃねェぞ・・・」
「オスッ」
 佐久間と子分二人の“正しいリンチの下ごしらえ”を見物しつつ、京太郎は学ランの上を脱いだ。折角おろしたばかりだというのに、汚したくはない。
「Good!途中で誰かが来たら、興ざめだからな・・・・・・邪魔してくれるなよ、蓬莱寺」
 近くの樹を気にしながら、京太郎は軽く振って手首をほぐし、ポケットから取り出した手袋をはめる。
「東・・・てめェに、この学園の流儀ってヤツを教えてやる」
 京太郎の様子等目に入らぬ様子で佐久間がニヤニヤ笑いながら宣言する。何人かの生徒を同じ様な方法でリンチに掛けてきたのだろう。慣れきった雰囲気が手下との間に流れていた。
「東よォ、てめェもついてねェぜ、佐久間さんに目ェつけられちまうなんてよ・・・」
「転校してきて、いきなり入院たァ、かわいそうになァ」
 口々に揶揄する手下共に京太郎はガンを飛ばす。口元が歪む。
「古典的な不良のもてなしには、やっぱり古典的な台詞がいいよな・・・やれるもんならやってみろ!」
 京太郎は軽く左半身に構えた。空気が張りつめる。その時・・・
「オイオイッ・・・ちょっと転校生をからかうにしちゃァ、度が過ぎてるぜ」
 空から、正確には木の上から声が降ってきた。慌てて周囲を見回す不良達。京太郎は溜息をついた。
「ここまで、けしかけといて邪魔するかぁ・・・蓬莱寺・・・」
「やっぱ、気づいてた?わりィ、わりィ・・・やっぱ何かあったら寝覚めわりぃしさ、それに・・・やっぱ、俺にも少し分けて欲しくてよォ」
 口を尖らせて抗議する京太郎と、木の上から頭を掻き掻き弁解する蓬莱寺に不良達は呆気に取られた様に見つめる。当然、不良達は木の上に蓬莱寺が潜んでいる事など気づいていなかったのだ・・・というよりも、普通は現代高校男子が木の上に隠れているなんて、思わないだろう。
「てめェ・・・蓬莱寺、転校生に味方するかよ」
 不良共の中で、一番早く立ち直ったのはやはりリーダーの佐久間だった。
「別にそう言うつもりはなかったんだけどな・・・よッと」
 応えながら、京一は軽く木の上から飛び降りた。ひらり、という形容詞がふさわしい動きだ。正に猿(ましら)の如し。
「丁度イイ、蓬莱寺・・・てめェも前々から目障りだったんだ・・・一緒に片づけてやるぜ」
 佐久間が引きつった笑いを浮かべて吠える。もう後には引けぬ・・・ツッパリにもメンツがあるという事だ。
(しかし・・・無理だな、蓬莱寺だけで4人畳んでお釣りが来るぞ・・・)
 折角の喧嘩を邪魔されて、京太郎は流石に不機嫌な顔になる。
「へへへッ・・・佐久間、俺も前々からお前の不細工な面が気にくわなくてねェ」
 蓬莱寺がせせら笑うと、佐久間達の間でどす黒い怒気がみるみる膨れ上がる。佐久間だけではなく手下達も余程顔の事を気にしているらしい。
「てめェ・・・ぶっ殺してやる」
「おもしれェ・・・東、いくぜ!!」
 袱紗の袋から木刀を取り出して蓬莱寺が構える。
「元は俺が買った喧嘩だぜ・・・」
 京太郎がぼやきながらも前を見据えると、佐久間の手下が3人掛かりで京一に突っ込んで行くのが見えた。流石に京一の強さはよく分かっているらしい。京太郎はそっちは放っておき、佐久間の方に移動する。
(あの構えはレスリング系か・・・)
 佐久間は185cm、90kg前後、京太郎は175cm、69kg前後・・・体格差は大きい、捕まったら普通終わりになってしまうだろう。間合いに足を踏み入れた瞬間、京太郎はタックルを受けた。
(速いな・・・)
 ぎりぎり直前で体を右に沈めながら、左足払いで佐久間の足を引っかける。佐久間はもの凄い勢いで一回転すると、綺麗な受け身を取り膝立ちになる。
 佐久間が受け身を取っている間に京太郎は走って間合いを詰め、まだ中腰のまま振り向いた佐久間の直前で立ち止まって、思い切りよく前蹴り、から、かかと落としにスイッチする。
 佐久間はぎりぎりガードを上げて直撃はかわすものの、左腕から異音がし、苦痛に顔を歪めた。
 京太郎は佐久間に立ち上がる隙を与えず、軸足を降ろしながら右前中段に構えを変えて前突き、逆突きでガードの上から佐久間を打ち据え、最後に左逆蹴りをガードの下からこじ入れて佐久間の顎を思い切りけ上げた。
「ぼぷッ」
「ハアッ」
 佐久間の首が激しく後方にたわみ、口から息が漏れる。京太郎はその隙に左前中段に構えを戻すと、掌を開いた逆手(右手)で前に戻ってきた佐久間の額に気合いと同時に叩き込んだ。その瞬間、佐久間の体がびくん、と大きく痙攣し、前のめりに倒れ込む。
 素早く一歩右に踏み出してそれを避けた京太郎が、油断無く佐久間に気を配りながらも京一の方を確認すると、彼は不良の最後の一人に小手、胴を決めて、前のめりになった不良の顔面に容赦のない膝蹴りを入れていた。彼も、攻撃を貰った様子は無い。
 尤も、相手をしていた不良は中々大変な事になっている様だが・・・
「ひでえ奴だな・・・そいつ等、腕か足に関節が幾つか増えてるんじゃねぇか・・・」
「何言ってやがる、俺はお前みたいに頭を殴ったりはしてねェぞ・・・みろよ、佐久間の奴、完全に白目向いてるじゃねぇか」
 京太郎の本気かどうか分からない非難を軽くかわしながら、京一は木刀を使ってうつ伏せの佐久間をひっくり返した。佐久間は口を半開きにして白目を剥き、完全に気絶している。
「素手と木刀じゃ違うぜ・・・ん、何だコレ・・・」
 ぶつぶつ言いながらも、京太郎は視界の端に光る物を見つけてしゃがみ込んだ。どうやらメリケンサックらしい、京一が佐久間をひっくり返した拍子にこぼれ落ちた様である。
「・・・おいおい、何してるんだ蓬莱寺」
 メリケンサックを拾い上げて、京太郎が振り返ると、京一が不良達のポケットを漁っていた。少々呆れ顔の京太郎を無視して、京一は手際よく不良共の財布から紙幣を抜いていく。
「ちッ、しけてんなァ・・・3人共仲良く千円札が一枚ずつかよ・・・二人で割ったら千五百にしかならねェな・・・」
「俺も数に入ってんのか・・・別にいらねぇよ・・・」
 言いながら、京太郎はちゃっかり自分のポケットに拾ったメリケンをしまい込む。京一はあっさりと札を引っ込め、自分の財布にしまう。
「ふぁいと・まねーだよ、ファイト・マネー、ストリートファイターだって貰うだろ」
「本場でも、対戦相手からはとらねぇけどな・・・ま、いいか・・・それは、ともかく・・・そろそろ出て来たらどうだい、そんなでかい体で隠れるのは性に合わないだろ」
 京太郎が体育館の角に向かって言うと。苦笑する気配があってから、夕闇に長大な影が揺れた。
「確かに、隠れるのは性に合わん・・・随分とうちの部員を可愛がってくれた様だな・・・」
 苦笑を浮かべたまま見下ろす醍醐に、京太郎はにんまりする。
「あんた、相当やりそうだし・・・文句があるんなら、戦ってみるか」
「東、お前本当に好きだねェ・・・それにしても大将、殆ど一部始終を隠れて見といて、可愛がるも何もないんじゃねェか・・・お前も酷い奴だねェ」
 京一は木刀を肩に担いで首を振った。さも哀れむ様に佐久間と一党に目を落とす。
「どっちも酷い奴だなァ・・・転校生がリンチに掛けられるのを見過ごすクラスメートに、手下が追い剥ぎされるのを見捨てる番長か・・・真神は本当に俺向きの学校みたいだな」
 笑う京太郎に何となく、京一と醍醐がつられて笑うと、体育館の角から軽い足音が聞こえ、心配顔の葵がひょっこりと顔を見せた。
「佐久間くん・・・」
 地面に無造作に転がされている連中を見て、葵が愁眉を寄せる。
「美里か・・・危険だから来ない方がいいと言った筈だが」
「御免なさい醍醐君、争う様な音も聞こえないし・・・気になったものだから」
「まぁ、幸い、終わった後で、東にも大事無かった様だし・・・いいんじゃねェの大将」
 少し困った様な顔をしつつ、睨みを効かす醍醐に、葵は更に困った様な表情で応え、そんな二人の様子に京一は苦笑を漏らし、さっさと場所をまとめようとする。
「それにしても、美里がいるって事は、大将を引っ張ってきたのは生徒会長殿だな・・・しッかし、朝からいなかったが、一体どこにいたんだ」
「ジムにつめてたんだが・・・ついさっき美里に捕まってな・・・」
「格闘技オタクが・・・」
 京一の呆れた様な台詞に快活に笑い返す醍醐には、鬱屈した様なものは感じられず、生徒会長の立場の美里が彼を頼みにするのも頷ける。
「転校生・・・東とか言ったか・・・レスリング部の部員がいいがかりをつけたようであやまるよ・・・すまん」
「いや、挑発につけ込んで、好き放題やったのは俺の方だからな別にいいさ・・・ま、蓬莱寺の方が酷い事してるとは思うが・・・」
 頭を下げる醍醐に、京太郎は首を振る。初日から、生徒会長殿がいる所でやらかすのもマズイし、何より相手も乗ってこないだろう。
「そういって、もらえると助かるよ・・・俺は醍醐 雄矢、お前と同じC組の生徒だ、レスリング部の部長をしている・・・よろしく」
「こちらもよろしく、Tough guy」
「あァ、こっちこそ」
 京太郎は軽く頭を下げると、醍醐は白い歯を見せて笑ったが、すぐに笑顔を消して京太郎を見据える。
「それにしても・・・俺が駆けつけたからいいようなものの、君もあんまり粋がらない事だ・・・」
 どうも、真神の番長殿には説教癖がある様だ。
「ちょっかいを出されなきゃ、程々にしておくさ・・・取り敢えずはな」
 京太郎の台詞に醍醐は何か言いたげな表情を浮かべるが、苦笑した京一が間に入る。
「まァまァ、いいじゃねェか、醍醐・・・それにしても、わざわざ大将を引っぱり出す辺り、生徒会長殿は随分と東の事気にするねェ、小蒔のいってた事も満更はずれでもなかったって事か」
「ふむ・・・東、面倒見の良い生徒会長殿には感謝した方がいいぞ、教師を呼ばずに、真っ先に俺に知らせてくれたんだ」
「あ・・・あの、私・・・」
 急に京一に煽られてて口ごもる葵の反応を見て、醍醐は微笑する。
「あの慌て方は、尋常じゃなかったぞ・・・東くんが危ない、ってな」
「もうッ、醍醐くん」
「はははははッ」
(随分、仲の良い連中だな・・・生徒会長に番長、喧嘩大好き木刀男、それと弓道部の主将の娘か・・・面白い取り合わせだ)
 三人の会話に入れない事に少し寂しいものを感じながら、京太郎は先刻拾ったメリケンを手袋の上からはめて具合を試してみる。指それぞれの輪っかに窮屈さはなく、問題は無さそうだ。
「まァ、いらぬ心配だったみたいだな・・・それにしても、凄い技だな、昔、古武道で似たような技を見たことがあるが・・・」
「なに、あちこち頂き流さ」
 急に話が戻ってきて京太郎は少し慌てた。どうも、調子が狂う。
「醍醐・・・お前も手合わせしてみるか?」
「さあ・・・な」
 京一が冗談半分のけしかけると、醍醐は妙な流し目で京太郎を見た。値踏みする様な視線に、京太郎は背筋がぞくぞくしてくる。
(この大将も好きモンだねぇ・・・いいさ、いつでもつき合ってやる)
 京太郎は答え代わりに、メリケンをはめた拳を掌に叩き付けて歯を剥いた。
「ふんッ」
 京一はつき合いきれないとばかりに醍醐と京太郎と背を向ける。
「まァ、いずれにせよ、よく来たな、我が真神・・・いや・・・もうひとつの呼び名を教えておいた方がいいかな」
 醍醐がもったいをつけて、含みを持たせると、京一は何となくバツが悪そうな顔になった。どうも、真神学園のもう一つの名前というのは、彼にとってはあまりお気に入りの名前とは言いかねるらしい。
「誰がいいだしたのかは知らんが、いつの頃からか、この真神学園はこう呼ばれている・・・魔人学園とな・・・」
 言っている醍醐自身、微妙な顔をしている。まぁ、どちらかといえば悪口の傾向が強そうな呼び名だから、仕方ないだろう。
「ごろ合わせってやつか・・・しかし、ここが名前通りの学校なら、俺には居心地が良さそうだ」
「もう、醍醐君たら、あまり東君に変な事を教えないで・・・この学校は他の学校と変わらないわ、歴史は古いけれど・・・それよりも、速く佐久間君たちを保健室に運びましょう、みんな、手伝って」
 葵の言葉に男共三人は顔を見合わせて笑い、佐久間達をかつぐ。
 
 
「なんで、あの人が生徒会長やってるのかよく分かったぜ」
 佐久間達を保健室で始末した後に京一と校門をくぐりながら、京太郎はしみじみと述懐する。美里は保険医を説き伏せて佐久間達に手当を施し、今回の件は他言を無用という事をあっさり納得させてしまった。佐久間達の所行がいつもの事だというのがあるだろうとはいえ、生徒会長のご威光は大したものである。
「だろ、たまに、俺も醍醐も美里にうまく使われてるじゃねぇか、と思うことがあるくらいだからな・・・まぁ、本人が意識してるかどうかはしらねェがな」
「このSchoolは楽しい所だ・・・Schoolがこんなに楽しいんだったら・・・行っておけば良かったな・・・」
 京太郎がふと漏らした台詞に京一は眉を顰めた。
「?・・・まぁ、いいか、取り敢えず楽しくやろうぜ、じゃ、またあしたな」
「ああ、See you tommolow!」
 手をふって夕焼けの方に歩いて行く京太郎を、京一は何となく見ていたが、ふと、あまりにも鮮やかな夕日に溶ける背中に、ひどく非現実的な雰囲気を感じて背を向ける。
「何か、出てきそうな雰囲気だな・・・って、そりゃ、霊研の領分だな、俺が気にしてもしょうがねぇか・・・へへへ」
(うふふふ〜)
 鼻をこすって歩き出した京一は、背後から聞き覚えのある声がした様な気がして振り返った。電柱から人の影が伸びている様な気がする。
「だ、誰だ・・・そこに、誰かいるのかッ・・・まさか、裏密ッ」
 駆け寄って京一が確認すると、電柱の影には誰も居ない。
「気のせいか・・・ん?」
 苦笑して、下を見ると、小さな靴の跡がくっきりとついていた。丁度今し方まで、誰かが潜んでいた様に・・・
「さ、さて、帰ろうかなッ・・・今日の晩飯楽しみだなァ・・・」
 微妙に裏返った声で京一が叫びつつ、立ち去った路地で、微かに人の笑い声の様に聞こえぬ事も無い風が吹いていた。
(うふふ〜うふふふ〜)
 


戻る

べるせるく様HP降魔殿へ