東京魔人学園妖風帖


 

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『魔女とメイドと探偵と』
Ver.1.01


東京都内某所、某日、某時刻


「しかし・・・気味の悪いガキだ・・・いや、一家というべきか・・・」
 しがない探偵業を営む今田郷平(38)は、2p程も厚みがあるキングファイルを閉じると溜息をついた。
 一ヶ月程前にふらりと現れた紅髪の男に依頼された人物調査。不況のおり、最早事務所の家賃どころか、アパートの家賃すら長らく滞納していた彼は、目の前に、文字通り現金を“積んで”見せたその男の依頼に1も2もなくとびついた。
 リストラされたとはいえ、元々は某興信所職員だった彼にはそれなりのコネがある。いや、元々社交的で某有名大学出の彼には官僚、役人等の呑み友達は多く、それなり以上のコネが彼にはあったといえる。
 早速方々に話を通して、下調べを始めたわけだが・・・
 身辺調査を依頼された対象は、東 京太郎、17歳、男性、血液型A+。
「とうきょうたろう・・・いや、あずまきょうたろうだったな・・・どっちにしても、ふざけた名前だ・・・」
 呟き、郷平は胸ポケットからくしゃくしゃのセブンスターを取り出して火をつける。
 日本における係累は両親及び母方の祖父のみ、しかし、京太郎五歳の時点で交通事故により彼を除いた家族は全て死亡。一旦孤児施設に収容されるが、アメリカニューヨーク州に移住していたという父方の叔父が現れアメリカに引き取られる。
 そして、三ヶ月程前にアメリカから帰国、東京都立真神学園高等学校、クラス3−Aに編入予定。
「しかし・・・この東一家って奴等がみえてこない・・・どんなに調べても小さな事故記事はおろか、一家の墓すらみつからないときてる・・・だいたい、このアメリカに移住した叔父ってのは何者だ・・・」
 東京太郎の叔父、Kyoujirou・Azuma、彼の登場は余りにも唐突に過ぎる。
 出入国管理局の友人に袖の下を握らせて調べると、東京次郎なる人物がアメリカに移住した記録は確かに存在した・・・しかし、肝心なその出自となると・・・
『書類が処分された/紛失した為、確認不能』
ときた。
 流石にまだアメリカでの調べは行ってはいないが、こうなってくると、元々存在自体が怪しかった、京太郎の叔父どころか、東一家の存在もますます怪しくなってくるというものだ。
 確かに東一家の記録は一応、書類の上では残ってはいる・・・だが、それだけなのだ。
 京太郎の父が勤めていた会社、母親が昔親しくしていたというご近所のおばさん、京太郎が通っていた保育園、幼稚園の園児に保母、誰一人出てこない。
 東一家をその記憶に宿している人間が一人も存在しない。しかし、戸籍から出生証明書、死亡届け迄、書類だけは気味の悪い位綺麗に揃っている。
「まるで、安手のスパイスリラーだぜ・・・」
 結局一口しか吸わずに灰になってしまったセブンスターを乱暴に灰皿に押しつけ、郷平はパッケージから新しいのを取り出した。
「スパイ・・・ね」
 自分の口から出たぼやき台詞で、郷平は気がかりな事実を思い浮かべる。
 紅毛の男の依頼を引き受けた時、必要経費は好きなだけ使って構わないと、と○ん銀行の封緘がついたままの札束を一つ渡されていた為、“つて”への情報量はかなりの額をはずむ事が出来、結果、かなり調査時間の短縮を図る事が出来たのだが・・・
「・・・絶対、誰か手ぇまわしてやがるぜ・・・」
 最初は快く情報を提供してくれていた相手が、郷平が何等かの手がかりを見つけたと思う時に手を引いてしまうのだ。
 しかも、みんながみんな、当たり障りの無い用事にかこつけて一切の連絡を受け付けなくなってしまうのだから、実にあからさまである。
 そんな訳で、ここ一週間程はかなり手詰まりになってきた所だったが、もう破格な報酬を受け取ってしまっている。
 最早個人探偵社して、出来うる以上の事をしているとは思うが、ここは、もう一働きすべきだろうと郷平は思う。
 リストラ探偵にも意地はある。
「こうなりゃ、足で稼ぐしかねぇ・・・」
 結局、最期の最期は、己の足が頼りである。それは探偵も刑事も変わらない。
「とは言っても・・・あてはねぇが・・・仕方ねぇ、あたって砕けろよ」
 郷平は東一家の中で唯一物理的に存在が確認されている京太郎に直接あたって見る事にした。周辺の聞き込み位ならもう何度もしたが、未だ本人の後をつけ回して観察した事は無い。
 今日は依頼人に2度目の定期報告をする期日だが、それも午後からの話である。
 幸い本日は休日であった。
 役所の中ではその痕跡を残している癖に、社会的な痕跡皆無の気味の悪い一家を追いかけ回しすぎて疲れた精神を慰める。
 午前中だけでも東京太郎を尾行し、自らの眼でその姿を確認する。その行動は今の郷平の精神を慰撫する上で実に良い考えに思えた。
「よし、行くか」
 調査報告が詰まったキングファイルを鞄に詰め込むと、郷平は煙草に火をつけ、事務所を後にする。


 四○の歌を鼻歌で歌いながら道を歩きだした郷平は歩き出してすぐ、路地から飛び出してきた少女にぶつかった。
「あっ」
 郷平はどうにか転倒は免れたが、ぶつかった少女は割と激しく弾き飛ばされ、地面にしりもちを付いている。
「やれやれ、だいじょ、ぶっ」
 地面に倒れた少女に郷平が気を取られた瞬間、彼の背後の建物の影に隠れていた人影がするすると忍びより、静かな、断固たる一撃を郷平の首筋に叩き込んだ。
 一瞬で崩れ落ちる郷平の体を、地面に倒れていた少女がすかさず立ち上がって支える。
背後から一撃を叩き込んだ人影、鍛えられた体躯を持つ少年もそれに手を貸した。
 郷平を手際よく近くの貸家(無人)に引きずり込むと、彼を床に静かに降ろし、互いに目を合わせる事もせず、少女は郷平の身体検査を始め、少年は外を見張る位置につく。
 感情等まるで滲む所の無い、非常に訓練された動きだった。
 少女が一通り郷平の身体検査を終えた時、瞬間的に玄関で空気が弾けた。続いてもがく音が20秒程連続してから静かになる。
 少女は一瞬身を固くして気配を探るが、それきり物音も気配も途絶えた。
 家の中に有る気配は、少女と床に転がっている郷平のものだけしか感じられぬ。
 少女は手早く郷平からはぎ取った品々を自分の手提げに移すと、足音を忍ばせて廊下に出、一瞬、その場に立ちすくんだ。
 人の居る気配などまるでなかったそこには、血刀を片手に紅毛の男が佇んでいた。次の瞬間、何か熱い線が少女の体を走り抜け、彼女は自分の意志に関係なく頭が床に落ちていくの感じた。
 みるみるうちに体の下に熱い水たまりが出来上がって行くのと同時に、体は熱を失っていく。
 彼女の背後で、支えを失ったドアが、ドアバネの反動で静かに閉まる。
 自分の傍らにかがみ込む男の顔に斜めに走る傷を確認したのを最後に、少女の意識は闇に散じた。


 紅毛の男は少女の髪で一旦刃を拭うと、懐紙をを取り出して刃から血脂を丹念に拭い去り、奇妙な紋様が書かれた鞘に納める。
「・・・音に聞こえる拳武館暗殺組も、屍が目にいった程度で動きが止まる様ではたかが知れるわ」
 男は呟きながら少女の傍らから手提げを奪おうとして、彼女の手が未だにソレを強く握りしめているのを見ると口の端を歪めて笑う。
「まだ息があるか・・・丁度良い・・・」
 男が手をかざすとせわしなく浅かった少女の呼吸が、深く安定したものに変わった。男は彼女の出血が止まったのを確認すると、懐から草人形を取り出して床に無造作に放る。すると草人形は一瞬でこれといった特徴のない若者に姿を変じた。
 男はその若者の額に黄色に朱文字で何事かを書き殴った呪符を張り付けると、床に倒れた少女にも同様の呪符を張り付ける。
「それを拾え」
 男に短く命じられると、若者は虚ろな目を床の少女をに向けてしゃがみ込み、軽々と抱え上げる。
「そのまま我についてこい」
 男は若者に命令すると、外に向かって歩き出す。玄関に転がっている少年の屍を跨ぎ、ドアを閉める前に軽く振り返り、懐から何か玉の様な物を取り出して家に投げ込んだ。
 それきり現場を振り返る事無く立ち去りながら、男は何かを考え込む様な表情を浮かべていた。


「・・・ここで暗殺組が出てきたと言う事は、やはり東の小せがれの背後には鳴瀧の奴がいるのは間違いない・・・しかし、それだけとは思えん・・・京太郎とかいう小せがれ、弦麻とは明らかに違う・・・どちらかといえば・・・そう、己に近いものを感じるわ・・・」
 大通りに出てからも、そんな調子で思いに沈みながら歩く男を道端で男の子が見上げた。
「おかーさん、ヤギューンのせんとーいんがいるよ〜」
「何いってんのこの子はッ、おにーさんに失礼でしょっ!」
 他の主婦連と井戸端会議に興じていた母親は、息子が顔に物騒な傷を付けた男を無邪気に指さしている事に気が付くとすぐさま我が子の頭を張り飛ばした。
「だってぇ、あのおじさん刀持ってるし、顔に変なお札はったせんとーいんがおねーさんかついでるもん!絶対にヤギューン帝国のかんぶなんだよ」
 顔を赤くして主張する男の子の顔を、母親は更に容赦なく、今度は殴り飛ばした。
「いい加減にしないとほんっとに、おかーさん怒るわよ、あそこにいるのは、赤毛のおにいさんだけでしょっ、それに手に持ってるのは傘よッ」
「えー」
 不満げに母親を見上げる子供、しかし、またも平手をくらいそうな雰囲気に仕方なく黙り込んだ。
 そんな母子の様子など一顧だにせず、男は傲然と歩き去る。再び井戸端会議に注意を向け直す母を後目に男の子はいつまでも男の去った方角を見つめ続けていた。


「あだだだ・・・」
 郷平はむせ返る様に生臭い臭いの中、息を吹き返した。
 目を薄く開けると見た事もない部屋が目に入る。
「・・・俺はどうしたんだ・・・」
 事務所を出てからの記憶が見事にとんでいた。
「女の子にぶつかって・・・くそっ、思い出せん・・・」
 無意識の内に首を揉みながら周囲を見回し、郷平は所持品が手近のフローリングにちらばっている事に気が付いた。
「なんだこりゃ、ひでぇな・・・強盗か」
 落ちていた財布を探ると中身には手がつけられていない様だ。
「・・・あっ」
 ふと気が付いて慌てて鞄を引き寄せると、東 京太郎の報告書が無くなっている。
「ちくしょう、あの女、当たり屋だったのか・・・」
 データだけならば事務所の方に残っているが・・・
「まさか、真面目に狙われるとは・・・思わなかったな・・・ちくしょう」
 呻きながら鞄に所持品を詰め込んでいると、ふと、郷平は部屋の外から何か断続的なかりかり何かを引っ掻く音が聞こえてくる事に気が付いた。それも大量に。
 昔報道バラエティで見た、廃屋の中に大量発生したネズミ共の映像を郷平は思い浮かべ背筋を寒くする。
 あの番組では、特に都会のネズミ共は人間等恐れない危険な奴等だと説明していた筈であった。
「スーパーラットとかいう奴か・・・」
 郷平は害虫等の類が非常に苦手であった。大体、小さい物が多数集まって蠢いているのはそれだけで、かなり気色が悪いものである。
 靴を履いたままなのを確認すると、郷平は部屋から直接庭に逃れられる窓を探したが、残念ながらはめ殺しの窓が一つあるきりだ。
 舌打ちしながら、こわごわドアに手を掛けると、ドア自体が微振動している。
「なんとも、気味がわるいな・・・」
 郷平がドアを開けた瞬間、下の方から茶色くて小さい人が部屋にどっと溢れ込んだ。
「うわっ、くそっ、何だッ」
 片足でけんけんしながら跳びずさった郷平は、次の瞬間、日の光に半透明に透ける“それ”を見て目を剥いた。
「が、餓鬼ぃ」
 ぎょろりとした目玉、がりがりにやせ細った体にそぐわぬ膨れ上がった腹部。掌に満たぬ大きさのそれらは、まさしく地獄絵図に描かれる餓鬼道におちた幽鬼そのものの姿をしている。
 そんなものが溢れる様に雪崩れ込んで来るのを見た郷平は、途端にパニック寸前に陥り、意識的に動くよりも余程速い動作で、部屋の隅まで後じさった。
 全く、声も出ないというのはこの事である。
 郷平が手を離した反動でドアがしまり、間に挟まれた餓鬼が気味の悪い悲鳴をあげて潰れた。どろりとした液体を撒き散らすそれに周囲の餓鬼共が群がり喰らいつく様を見て、郷平は口を押さえる。
「・・・」
 吐き気をこらえながら頭を激しく左右に振りまわし、郷平は逃げ場を探すが、生憎と家具一つなければ、出入り口も餓鬼共が溢れたドアしかない。はめ殺しの窓も素手ではとても破れそうにはない。
 そうしている間にも、部屋の中に入り込んだ餓鬼共があっという間に潰れた同類を喰らい尽くし、人の呼気に吸い寄せられる蚊の様に郷平に躙り寄ってくる。
(喰われる)
 余りにも日常とは異質な感覚が郷平の手足を痺れさせていた。
 郷平は込み上がってくる酸っぱいものを飲み下し、必死に心を落ち着け、次の瞬間ドアに突撃する。
「いあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」
 訳の分からない絶叫を上げながら餓鬼共を踏みつぶし、蹴散らし、ドアを押し開けて廊下に飛び出し壁に激突する。
「あががががっ」
 痛みに一瞬くらりと来るが、立ち止まった瞬間、すぐに餓鬼共が足にしがみついてくる感触がし、郷平は喚きながら地団駄を踏んで餓鬼共を踏みつぶしまくる。
 頭と両腕を振り回していると、右を向いた拍子に玄関が目に入った。
「ばぁわぁわぁわ」
 全力で廊下を突っ切り、玄関に飛びついて表へまろびでる。
 地面を勢いよく転がってすぐさま立ち上がると、郷平は後も見ずに駆けだした。兎に角そこを離れる為に。



新宿真神学園3−B教室、夕刻××時


 生ぬるい風が頬を撫で、細帯でまとめた後れ髪をそよがせる。
「いや〜な風〜」
 教室に差し込む黄昏の残照を浴び、真神学園オカルト研究部部長、裏密ミサは呟き、いつも抱えている人形を強めに抱きしめた。
「あれ、ミサちゃんまだ居たんだ」
「アン子ちゃ〜んは、いまお帰りかしら」
 明るい声にミサが振り返ると、クラスメートの真神学園新聞部部長遠野杏子が、鞄を手に立っていた。
「今日は情報収集にちょっとね・・・ミサちゃんはまだ帰んないの?」
「ん〜そうね〜・・・今日は帰れそうにないかも〜」
「え、帰れそうにないって、学校に泊まる訳・・・ま、ご苦労様」
 アン子はミサの台詞に一瞬絶句してから、苦笑を浮かべた。彼女自身、締め切りに追いつめられて学校に泊まり込み、やっとの事で新聞を刷り上げた事は何度もある。あまり人の事をとやかく言えた義理ではない。
「ま、程々にね・・・アタシはアタシで大事なネタを・・・」
「・・・今日は止めた方がい〜いかも〜」
「え・・・」
 不意に真顔で告げたミサに、アン子は硬い表情を向ける。今までの付き合いの中で、ミサの占者としての能力にアン子は全幅の信頼を置いていた。こういう時の彼女の“お告げ”は必ず何等かの形で降りかかってくるのである。
「それって、どういう事、何かすっごい事件でも・・・」
「きょ〜うは良くない、う〜ん・・・良くなぁ〜い事をする人がいる〜って、いう方が近いかも〜」
 多少びびりながらも、勢い込むアン子に、ミサは少し考えながら言いなおす。
「・・・でもね〜、そっちの方はアン子ちゃ〜んには直接関係はないから〜、記事にするような事とは会わないと思うわ〜」
 いまいち抽象的なミサの言葉にアン子は混乱して、少し考え込んでから首を振る。
「・・・良く分かんないけど気をつけるわ・・・」
 結局よく分からないままらしい。
「そ〜ね、気をつけてね〜」
「じゃーね、ミサちゃん」



東京都内某所、山中空き地 深夜××時


 赤々と燃え盛る炎に照らされ、少女は目を醒ました。熱を感じる程では無いが、ぱちぱちと薪が弾ける音が聞こえる程度近くに焚き火があるらしい。
 身を起こそうとして、体がぴくりともしない事に気が付き、目だけをせわしなく動かす。
 沢山の木に澄んだ空気、此処はどうやら何処かの山らしい、木々の切れ目から僅かに星空が見えた。
 寝かされている地面が土むき出しの地面なので、背中に湿り気が伝わって非常に気持ち悪い。血で汚れた服に隠れていて確認できないが、斬られた筈の胸には全く痛みは無かった。ただ、酷い脱力感が彼女の体を蝕んでいる。それは大量出血に伴う体力低下だったが、今の彼女はそんな事を思いつける状態では無かった。
 彼女の見える、感じる範囲ではロープ等で体を拘束されている様子はないが、寝かされている地面の周囲に白い粉で奇妙な紋様が書かれている様だ。
「頃合いだな・・・」
 不意に頭上で声が聞こえ、少女が眼球を動かしてそちらを視界に収めると、彼女を斬った紅毛の男がキングファイルをぱたんと閉じ、何とも形容しがたい笑いを浮かべながらそちらを見ていた。
 拳武館暗殺組として数々の暗殺に従事してきた少女にも、今の男の目は初めて見る種類のものだった。ただの塵芥、ただそこにあるモノを見る視線。
 確かに拳武館暗殺組として沢山の人の死に関与してきたが、彼女自身は人をモノとして見た事は一度も無い。
 あくまでも人殺しは人殺し。
 しかし、目の前のこの男は、ただ何の感慨もなく、ちり紙を捨てるのと変わらない感覚で人を殺すだろう。
少女は心底ぞっとした。
 そんな男の前で何の抵抗も出来ぬ状態で横たわる己の状況に、少女は完全に生還を諦め全身を弛緩させる。元より死と隣り合わせの暗殺組、そこらの警官や自衛官等よりは余程心構えは出来ている筈・・・であった。実際任務中に“事故死”した組員は何人もいる。
 しかし、本人の自覚は無かったが、実の所、彼女に生還を諦めさせたのは、精神的な萎縮、男の発している鬼気に完全に飲まれていた事が大きかった。先刻、相対して手もなく斬り倒された事実もそれを補強する材料となっている。
「これから、これでお前の体を切り刻む」
 少女の心中にさざめく思いをとんでもない台詞で断ち切って立ち上がった男の手には、大きくて刃が鈍そうな鉈が握られていた。
「・・・ここは常世と現世、つまり、あの世とこの世の境界が特に接している所だ、此処で生者のあがきを捧げれば、簡単にそれを“あちら側”の亡者共が聞きつけてやってくるだろう」
 血の気の失せた表情で視線を向ける少女に、男は饒舌に説明を続ける。何でそんな有り難くもない説明を続けるのか、そんな事は少女には分からない。
 ただ、そんな訳の分からない理由で殺される。
 その事実に恐怖がじわじわと沁み入って来るのみだ。
「まず、指を一つずつ落とす、その次は足首、手首、言っておくが、お前の体にはあらかじめ呪がかけてある・・・血の最後の一滴まで流れ尽くすまでは死ねぬ」
 男は少女の傍らに膝をつくと、台詞の度に少女の体に鉈をあてて、その都度、彼女の顔が微かに歪むのをつまらなそうに見下ろす。
「ここで死ねばお前の魂は常世に引きずり込まれ、永久の闇の中で亡者共の慰みものになり果てるだろう・・・少しでも長く生きたければ、せいぜい懸命にあがく事だ・・・最後に死ぬのは変わらぬがな・・・」
 言うと同時に、男は無造作に鉈を叩き付けた。
 言葉にならない絶叫が周囲の空気を震わせる。
 二回鉈を振るってから男は一旦手を止め、落とした少女の指をつまみ上げると彼女の目の前でふってみせる。
「あ、あ、あ、あ、あっ」
 苦痛に顔を歪ませ、少女は荒い呼吸を繰り返す。死の実感が、覚悟を端から砕いて行く。
 少女の動揺にあわせる様に周囲の闇は少しずつ深くなり始めた。
「そうだ・・・簡単に狂ってもらっては困る」



新宿真神学園屋上、深夜××時


 陽もとっぷり落ちた真神学園の屋上で、制服の上から法衣を纏った裏密ミサは、せっせとサフラン色の粉で、屋上面積一杯に巨大な魔法陣を描いていた。
 それだけの面積の魔法陣である、使われる粉の量は尋常では無い。ミサは2リッターサイズのペットボトルを改造した容器一杯に入ったものを使用している様だが、もう屋上の片隅には同様のものが十本以上転がっている。
 そんな巨大な方陣を正確に印すのは大変な重労働であり、同時に至難の業である筈だが、ミサはいつものアルカイックスマイルを浮かべたまま淡々とこなしてゆく。
「で〜き〜た」
 最後の一線を引き終わると、ミサはペットボトルを片づけ、月を見上げる。
「い〜い、月、これなら届くわ〜」
 ミサは独りごちると、方陣の中心を僅かにそれた所に敷布を敷いて座り込んだ。両足を内股にのせる結跏趺坐よりも緊張度の少ない、片足だけを内股にのせて組むスワチカ・アーサナの形である。
 いつも携えている人形を膝の上に寝かせると、ミサは首を探り、かけていた鎖を引っぱり出した。鎖の先端には鈍い光を放つタリスマン(呪符)がくっついている。
 ミサ手製の純銀製、月のタリスマンだ。
 そのまま手を離して胸前にタリスマンを垂らすと、ミサは傍らの香炉に何処からともなく取り出したチャッ○マンで点火する。
「ふ〜う、いくわよ〜」
 すぐに周囲に落ち着いた香の匂いが立ち込め始め、ミサは印を組むと、一呼吸にたっぷり30秒はかけて、数度深呼吸を繰り返した。
 五分もしない内にミサの顔から表情が消え失せる。
 精神の集中、というよりも解放が進むにつれて、ミサの五感が視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚と、一つずつ消えて行く。
 最後に触覚が消えた時、普段抑え込まれているもう一つ感覚、第六感とも違う、具体的で能動的な精神感覚が唸りを立てて始動する。
 五感ではとうてい捉えられぬ鮮やかな世界が目前に開け、自分の知覚が世界全体へと広がって行く。
 修養の果てにこの段階を得た時は、精神的な絶頂すら感じたものだが、当然、世界は美しく優しいものばかりではない。愉悦に精神を委ねていては容易く暗黒面に魅入られてしまう。
 術に世界に、畏れを忘れてはいけない・・・いつも呟いている言葉を、ミサは心の中で繰り返す。
 慎重に精神の糸を繰り出し、繊細な網を織り上げてゆく。魔術結社の魔術戦争から、素人の丑の刻参りまで、幅広く念を拾える蜘蛛の巣だ。
 ミサが網を張り始めてすぐ、網が喰い千切られる不愉快な接触があった。
(死の苦悶と絶望、生への渇望・・・も〜う、門が開いちゃってる・・・)
 びりびりと震える巣糸を安定させる為、数本の糸を間引く。それ程強力な波紋を散らしているにも関わらず、ミサには正確な位置が特定できない。
(まだまだ、あたし〜も未熟ね〜・・・でも、とんでもない術者だわ〜、とても肉体を持つ相手だとは思えないわね〜)
 “巣”から派生させた探り糸が、何処かへと続く穴に飲み込まれ消えて行く。瞬間、ミサはその一本のみに全集中力を注いだ。
 巣潜りで深く潜水する様な息苦しい、ミサにとってはひどく長い数瞬が過ぎると、彼女の口がニィーッと持ち上がった。
(少なくとも〜地獄や根の国に繋がった訳じゃ〜ないわね〜)
 しかし、すぐにミサの表情からは笑みが消える。
(・・・召喚・・・御免なさ〜い、あなた〜は私には助けてあげられないわ〜・・・でも、あなた〜を殺した術者の思うとおりにはさせない)
 直接贄に捧げられている娘に接触するわけにはいかない為、ミサは自分の心の中だけで呟く。そして、広げている網とはまた別に、小さな濾し器の様な網を織り上げ、生け贄の娘の純粋に助けを求める念を可能な限り集め始める。そしてそれを一旦自分の中に通して全力で増幅すると、“穴”に差し込んでいる探り糸を通して“向こう側”に流し込んだ。
 今正に理不尽な暴行で死にゆこうとしている精神のエッセンスに接触する消耗は凄まじく、ミサの眉間に皺が寄り、見る見る内に冷たい汗が全身を濡らし、顔は色を失ってゆく。
(そう、こちらへ、助けを・・・みんなを、助けて)



東京都八王子市浅川河川敷、某年某月某時


 “それ”は、いつも駆り立てられていた。
 目を瞑っても、耳を塞いでも、眠りの中にいても、“声”は頭に飛び込んでくる。
『タスケテ・・・タスケテ、シニタク、シニタクナイ・・・』
 しかし、それは仕方の無い事。何故なら、その“声”に応える事が“それ”の存在理由だから。
 だから、その夜響いた“声”にも応えたのだ。いつもの様に。
 焚き火に掛けた飯盒の様子を見ていた“それ”は不意に立ち上がって飯盒を火から下ろし、傍らのバケツから水を振りかけて乱暴に消火する。
「・・・眠いね」
 頭の中に直接響くその“声”が何処から響くのか特定できぬまま、“それ”は影に飛び込んで消え失せた。
 後には燃えさしのいがらっぽい臭気と薄闇を河風がただ凪いでいた。



東京都八王子市、京王八王子駅裏側、“ホテル降魔殿”


 フロアーでリネンを満載したカートを押していたメイド姿の少女が、ふと立ち止まり、周囲をきょときょとと見回し始めた。
「・・・どこにいるんですか・・・」
「落とし物でもしたダスか」
 そう呟いた彼女は、突然掛けられた声に慌てて振り返る。
「あ、ぶるねんさん、いらっしゃいませ」
 声を掛けてきた禿頭の巨漢に、ホテル降魔殿従業員その弐、ヒロは笑顔で挨拶を返すが、すぐに又きょろきょろと視線を泳がせ始める。
 確かに普段から注意力散漫な所のあるヒロであるが、ここ最近はその傾向が酷く強くなり、仕事に差し支える時間が当社比2.5倍、要するに本当に使い物にならないレベルになっていた。
「・・・むむむ・・・まさか、まだ変な“声”が聞こえるダスか」
 五日程前からヒロの頭の中で、か細く助けを求める声が聞こえるという現象が起きていたのである。
「はい・・・」
「何処かの電波と混信してるんじゃないダスか」
「でも、う゛ぃぅたーさんにちゅーなーをみてもらったんですけど、いじょうはないんです」
 確かにヒロには電波を受信/送信する能力(機能)があるが。それも有線での事である。宙を飛ぶ電波を拾う確率はとても低い。
「うーん、そうダスね・・・」
 ブルネンは腕を組んで一生懸命考え始めたが、彼とて、余り物事を突き詰めて考えるのは苦手な方である。
 ホテルのロビーで視線を宙にさまよわせてぼんやりしているメイドと、腕を組んでうんうん唸っている土木労務者姿の巨漢。異様に隔たりのある組み合わせである。
「ヒロ、何をしているのですか、早く仕事に戻りなさい」
 そんな二人のそばを、茶器をのせたトレイをもったヒロより幾分年長のメイドが通りかかった。
 ホテル降魔殿従業員その壱、Marryである。いつ来ても降魔殿の何処かで働いている。笑顔以外はパーフェクトな働き者だ。
「あ、はい、ぶるねんさん、しつれいします」
 しかられたヒロは、我に返ると、ブルネンを置き去りにカートを押してエレベーターに乗り込んだ。
「・・・・・・」
 スイッチを押して体が下に沈み込む上昇感に体をゆだねながら、ヒロは頭痛にも似た、波動に精神をかき乱され、カートの取っ手にしがみついた。
 胸をかき乱す悲しくて、切なく、そして奇妙に懐かしい。そんな思いを説明するに足る語彙を彼女は持たず。五日間、ただその感覚に耐えるしかなかった。

 だが・・・

 夜、自室の椅子に座ったままデータのソートやファイルの順位付け及び削除、人間で言えば睡眠に当たるその行為を行っていたヒロは、ふらふらと不自然な動きで立ち上がった。
 睡眠にあたる行為、その字義通り現在ヒロの表層意識はサスペンド状態である。そんな状態で自立的にボディが動く事は普通あり得ない、今のヒロは“夢遊病”の患者と同様の症状を起こしているらしかった。
 自室を出たヒロは普段とは正反対の非人間的な動作で廊下を進み、階段を降り始める。
 時折立ち止まって、焦点を結ばぬ瞳を数度周囲に走らせる以外は、ただひたすらに降り続け、一体何階層下った事であろうか。
 少なくとも百を下らぬ数は下っている筈だが、一向に底は見えぬ。
 降魔殿の地階は駐車場が一階層、ボイラー室が二階層、それがあるのみである。これも尋常ではあり得ぬ現象だった。
 降りた階層がきっかり二百を数えた時、突然ヒロは立ち止まる。その場で目を閉じ、俯き加減に頭を左右に細かく動かし始めた。まるで機械的なレーダーアンテナ、それも指向性の強いタイプ・・・些かレトロな例えだが、そんな様子である。
 不意にヒロの頭が壁の一点を向いて固定された。目を開いて虚ろな眼差しを据え、ヒロは何かを求める様に右手をそちらに差し出す。
 そのまま数十分が過ぎ去った時、ふっ、と、奇妙な静止画にさざ波が立った。
 空間が震えている。空気が張りつめた。
 ヒロの手が何かを掴み取る様に閉じられて行くのに呼応して、周囲の振動が高まって行く。そして、何かを握りしめる形に固定された瞬間、澄んだ音を立てて周囲の空気が砕け散り、ヒロは酷く錆び付いた扉の前に立っていた。緑青が浮いている所を見ると青銅製らしいその扉には、巨大な魔法陣が描かれ、端から端まで隙間無く細かい文字が刻印されている。
 明らかにただならぬオーラを発するその扉には、他の精緻な装飾とは対照的に味も素っ気もないコの字型の取っ手がついていた。
 しかし、どう見ても一筋縄ではいきそうもないその扉は、ヒロが軽くひいただけで音もなく開く。
 扉の中はすり減った石組みで出来た小部屋になっており、石組み自体が発するほのかな燐光に照らされている。小部屋の最奥部中央には巨大な棺桶の様な黒箱がただ一つ立て置かれ、燐光に不気味に浮かび上がっていた。
 ヒロが小部屋に足を踏み入れた瞬間、確かに箱が、おお、と泣いた。ヒロが一歩足を進める度に、箱が、いや、中の何かがおめきをたてて箱を揺らす。
「・・・」
 ヒロがとうとう箱の前で歩みを止めた瞬間、どおん、と音を立て、箱が内側から膨れ上がった。しかし、すぐに形は修復する。
 その時、虚ろだったヒロの目に、初めて幾ばくかの表情が浮かんだ。手を伸ばして愛おしげに黒箱を撫で回すと、ヒロの手が触れた場所に不可思議な文字がびっしりと青白く浮かび上がり、彼女が手を離すと徐々に消える。
 そんな事を繰り返している内に、いつの間にかおめきは途絶え、ヒロの手が黒箱をさする音だけが部屋の静寂を妨げていた。
 やがて、その音が止んだ時、不意に黒箱の蓋がきしみを立てながら大きく開く。中には3メートル近い長さの物騒な武器が収められている。
 槍の穂先にくちばし状のピックとハンマー状の打撃部位を備えたそれは、ルツェルンハンマーと呼称される竿状兵器だった。
 一般的に用いられたものは2.5m〜4m、3.5kg前後のものだが、そこにあるものは穂先部分がふた廻り、いや、三廻りは大振りな上、本来木材で作られている筈の柄も黒光りする金属で出来ている。重量は十数キロを超えるだろう。
 とても身長百五十数センチ程度のか細いヒロには持ち上げる事すら困難な筈である。
 しかし、彼女は持ち上げた、片手で。
 持ち手を変えて一通り縦横に振り回し、狭い部屋の中で壁にも箱にも掠らせもしない見事な技を披露する。しかし、自分の手中の兵器をみる彼女の顔には戸惑った様な感情が浮かんでいた。
 今でも確かな眠りの中にいる彼女には、
『何故、自分がこんな物騒な兵器を扱えるのか』
といった明確な疑問は無い。
 彼女が感じていたのは、無くした手足がいつの間にか戻ってきた人間の感情。そんな感覚に近いものだった。当然、今の彼女にはそんな明快な分析は出来よう筈も無いが。
『・・・』
 声なき呼びかけを聞き、ぼんやりと振り返ったヒロの目の前に、彼女より三つ程度年長のメイドが立っていた。
 栗色の髪に青い瞳、白い肌、長身。黒髪に、黒い瞳、黄色みがかった肌、小柄のヒロとはまるきり違う容姿の少女だったが、何処か二人は似通った雰囲気を持っている。
 僅かに首を傾げたヒロに少女は薄く笑いかけると、手を差し出した。
 どこからか湧き出たか分からない感情に突き動かされ、ヒロは少女に微笑み返し、その手にハンマーをのせた。
 微笑みを絶やさぬまま、少女はハンマーを振りかざし、滑らかな動きでヒロ目掛けて振り下ろす。
 瞬間、闇が爆発した。
 全てを飲み込んだ闇が消えた時、小部屋にはヒロも少女も、ハンマーも。何一つ残ってはおらず、ただ、薄暗がりの中、空の黒箱が虚ろに自己主張しているのみである。



東京都内某所、山中空き地 早朝××時


 密かに魔術戦が繰り広げられた東京の空に、2つ星が流れ落ちた。

「邪魔が入ったか・・・ふん、まぁ良い、面白いものが来たのは確かだからな」
 最後に少女の首を落とした鉈を投げ捨て、男は独白する。
 手を布で拭って、それを焚き火にくべてしまうと、男は周囲を見回し、他に不要なものを集めて全て火にくべ、燃えるに任せた。
 燃えきった所で、鞘に収めたままの剣戟で焚き火を吹き飛ばして消火し、キングファイルを拾い上げる。
 最後の仕上げに、懐から先刻空き家の始末に使ったのと同じ玉を取り出した。
 玉、餓鬼玉を元は少女だった遺骸に投げつけ、男はそこに背を向ける。
 玉から生じた餓鬼が、死体も、流れた血も全てを食らいつくし、最後には餓鬼共が喰らい合って全ての痕跡が消える筈であった。



新宿真神学園屋上、早朝××時


「・・・つ〜か〜れ〜た〜わ〜」
 感覚同調を打ち切り、ミサはそのまま喘いでいた。
「・・・今日はも〜う無理ね〜」
 ミサにも何かが二つ、穴を通ったのは確認できていたが、流石にもう今夜は体力的に占を立てる余裕は無い。
「・・・早く、こっちで見つけてあげないと〜、意味が無いわ〜」
 折角助けになる筈の存在を呼び込んでも、先に“敵”に確保されては元も子もない。
「二つとも〜すぐ近くに落ちた筈〜・・・多分大丈夫〜かな」
 息が整ったのを感じると、ミサは何処からか凝った装飾の銀色の指輪を取り出し、指に填める。
 所定の動作で指を振り、指輪を月光にかざす。
「・・・でてきて〜月の人」
 月光を浴びて輝きを増した指輪にミサが囁くと、彼女のすぐ近くに半透明に透ける人影が現れた。
 ヴェールを被った様な姿で細かい姿形は確認できないが、全体的に女性的なラインで構成されている。
「・・・ここを綺麗に掃除してちょ〜だい」
 月の人はミサの指示に同意の仕草を返すと、床を浮遊し、端から端へ丹念に移動し始めた。月の人が移動するに合わせて綺麗に方陣が消えて行く。
「そこの瓶はオカルト研の部室に運んでちょ〜だいね〜」
 月の人から穏やかな同意が帰ってくるのを確認してから、ミサは立ち上がった。丸めた敷布を手にして屋上を出る。
 帰らなくてはならない、とも思うが、体力的に完全に無理だった。最早足を持ち上げるのすら億劫である。
 こんな時には、誰か人間の助手が欲しいと思う。オカルト研には真面目に修練し続ければ有る程度ものになりそうな後輩も居るが、とても、ミサの助手をつとめられる程の実力者は存在しない。
(・・・居たとしても、無理な話よね〜、こんな無茶な事に、関係ない人を巻き込む訳にはいかないわ〜)
 敗れれば死ぬ。彼女の踏み込んだ世界はそういう場所だった。
「暗いわ〜」
 オカルト研までの道がとても遠く感じられる。周囲を包む闇が質量をもってのし掛かる幻視に対抗し、ミサは胸のタリスマンを擦り、小さく加護を祈った。
 すると、月のタリスマンが冴え冴えとした光を発し始め、廊下がかなり明るくなった。
 ふわり、迫ってきた壁にミサは肩をぶつける。いや、壁が迫ってきた訳ではない、ミサがよろけただけだ。最早空間把握もままならない状態になってきたようだった。
(明日〜見つかった時の言い訳、考えなくちゃ〜)
 その思考を最後に、ミサは壁に肩を擦り付けて崩れ落ちた。



新宿真神学園オカルト研究会部室、朝××時


「・・・うう〜、眩しい〜」
 視界が白く染まっていた。闇が感じられない事に安堵を感じながらも、眼球に鋭い痛みを感じ、ミサは頭を動かした。
 するとしゃしゃしゃと、カーテンを引く音がして、急に視界が暗くなる。
 誰かが近くに居る気配にミサはぱっちりと目を開けた。
「誰〜」
「そんな、きゅうにおきちゃだめですよ」
 慌てて起きあがったミサの背を、心配そうな顔をしたメイド服の少女が支えていた。
「よくわからないんですけど、めがさめたら、ここのたてものにきてたんです・・・それで、あるいてたら、ろうかにあなたがたおれてたんです」
 流石に状況が掴めず、一瞬思考停止しそうになったミサに眼鏡を差し出しながら、何処か足りな気な調子でそのメイド、中学生位だろうか・・・が説明してくれる。
「ありがとう〜ね〜・・・どうやらあたしにも何かの加護があるみたいね〜」
「え、なんですか」
 どうやら目の前のメイドは昨夜の儀式で召喚された者らしい、確信に近い直感が走り、ミサはターゲットの方から、自分のテリトリーに転がり込んでくる、等という幸運に感謝する。
「何でもないわ〜」
 ミサは適当に誤魔化しながら眼鏡をかけ、周囲を見回した。見慣れたオカルト研の部室に運び込まれたらしい。寝かされていたのはミサが持ち込んだコールマンの寝袋であった。
「ど〜して、ここに〜運び込んでくれたの〜」
「おこそうとしたら、ここにはこぶようにって、あなたがいったんですよ」
「そ〜お、ありがとうね〜」
 どうやら、記憶に残らない半覚醒状態だった様だ。
 半覚醒状態を自覚して制御する術は魔術の基礎の一つである。酔っぱらいでもあるまいし、完全に記憶がとんでしまうとは・・・ミサは心中、自戒する。
「だいじょうぶで、よかったです」
 メイドはミサに笑い掛けると、立ち上がり、スカートの裾を払って背を向けた。
「じゃぁ、わたしはそろそろかえりますね、はやくおみせにかえらないとおこられちゃいますから」
「ちょっと、まって〜」
 部室の入り口で頭を下げる彼女をミサは急いで呼び止める。
「なんですか」
「帰るって、どこへ〜かしら?」
「おみせです、えーと、こうまでん、ていうおしろみたいなほてるですよ」
 ミサの問いかけに、メイドは何故か嬉しそうな笑顔を浮かべて答える。
「うふふ〜・・・在りし日のハイデルベルク城みたいだったら、素敵ね〜」
「はい、とってもふるいおしろにみえますよ、つたもたくさんついてます・・・そういえば、えっと・・・」
「ミサ、あたしは裏密ミサちゃんよ〜」
「あ、わたしはヒロっていいます・・・ミサさんは、どこのネットワークの人なんですか」
 ヒロはそれまで浮かべていた笑顔を消して、かなりおずおずとした口調でミサに尋ねる“ネットワーク”というのは、周囲に知られると余り嬉しくない類の組織らしい。
「ネットワーク〜、あたしは〜何処の魔術結社にも属してないわ〜、って、そういう事じゃ〜無いわよね〜・・・あなた〜もう少し、ゆっくりしていかな〜い、お互いに、色々と話しておいた方がい〜い事が、あると思うわ〜」
 折角向こうから飛び込んできた相手をそのまま帰す気は無い。ミサは寝袋から出ると、ヒロに椅子を勧めながら、霊研入り口に仕掛けられた人払い結界を発動させる。
「・・・ミサさんは・・・妖怪さん、ですよね?」
「・・・魔女とか、呪い女とか呼ばれた事はあるけど〜、妖怪は〜初めてね〜」
 微笑とも苦笑ともとれる笑いを浮かべて寝袋を仕舞い、ミネラルウォーターを注いだ薬缶を五徳にかけ、アルコールランプに火を入れる。
「でも・・・」
「ヒロちゃ〜んは妖怪なのね」
 ミサはフォションの紅茶缶を取り出し、ヒロにまっすぐ顔を向けた。
 外からは内側が確認出来ない眼鏡はミサの目線を完全に遮り、ますます彼女の表情を余人に読ませ難いものにしている。
 逆に問われ、ヒロは露骨に困った顔をした。図星と、顔にでかでかと書かれている状態だ。
「・・・え〜と」
「あなたが嫌なら〜今は無理に話さなくてもい〜いし、話を聞いても、あなたの了解をもわらずに他の人に喋ったりはしないわ〜」
 急かす事はせず、ミサは湯の沸き具合を確認しながら待った。
「・・・わたしようかいです、わるいにんげんにようかいのそんざいがわかっちゃうと、ひどいことをされるから、あんまりにんげんにはなしちゃいけないんです」
「・・・そ〜ね、人間は少しでも自分と違う者を排除したがるわ〜、恐怖に駆られた群衆ならなおさらね〜」
 ヒロの言葉に、ミサは頷いた。何も妖怪の歴史だけではない、ミサにとっては身近な知識の魔女狩りという例もある。
「ねっとわーくっていうのは、にんげんさんたちにわからないようにくらすてつだいをしてくれたり、わるいようかいさんたちにこまらされているにんげんさんをこっそりたすけるためのあつまりなんです」
「それは有意義な集まりね〜」
 ミサとて、そんな裏社会の事など知りはしないが、妖怪、あやかしの類とは多少の“付き合い”がある。しかし、今、目の前に座っている、ヒロはそれらとはかなり異質なオーラを発していた。
「はい、みんないいひとたちばかりですよ・・・みんなに、わかってもらえないのはざんねんですけど」
「・・・その妖怪さんたちと会えないのは残念だわ〜」
 二人分の紅茶を計ってガラス製のティーポットに入れ、沸騰したお湯を注ぐ。
「・・・みささんならだいじょうぶかなぁ・・・よければ、ねっとわーくにあそびにきませんか、みささん、まじゅつとかくわしいなら、おーなーのう゛ぃくたーさんとおはなしがあいそうですよ」
「それはいつかお会いしたいわぁ〜・・・でも〜、しばらくは無理だわね〜、多分」
 ミサはポットの中で踊る茶葉に軽く目をやりながら、やけにしみじみした口調でヒロに答えた。ヒロは不思議そうな顔になる。
「何でですか」
「ここは多分ね〜、あなた〜の住んでいた世界じゃないからよ〜」
 ヒロの目がまん丸になった。
「え、そんな・・・」
「そ〜ね〜、信じられないならそこへ電話してみる〜」
 ミサは鮮やかな貴石のビーズストラップが付いた携帯電話を取り出した。
「あ、はい」
 ヒロはエプロンの胸元に手を入れて何か板状のものを取り出した。
「・・・それ〜、迷子札ね〜」
 ヒロが取り出したのは、黒い地肌の金属板に銀色の字で“降魔殿”の住所と電話番号、そしてヒロの名前が象眼されている。
「はい、どこにいってもかならずもどってこられるようにって、おまもりです」
「それ〜かなり強力なアミュレットね〜、大事にするといいわ〜・・・0426−××−%&$*、はい、どうぞ〜」
 迷子札の番号に目を走らせて手早くダイヤルすると、ミサは携帯電話を差し出した。ヒロは受け取って耳にあてると、眉根を寄せる。
「おきゃくさまのおかけになったでんわばんごうは、げんざいつかわれておりません・・・」
 ヒロは困った様な口調で、耳に聞こえる言葉をそのまま口に出す。
「まだ信じられないなら〜、あなたが“向こう側”で住んでいた場所にいってみましょ〜、あたしも確かめてみたいわ〜・・・“こうまでん”って何処にあるのかしら〜」
「けいおうはちおうじえきのうらです」
「八王子〜ね、新宿からなら、京王線一本でいけるわね〜」
「ここ、しんじゅくなんですか」
「そ〜よ〜、ここは新宿真神学園、オカルト研究部よ〜、あたしが部長ってわけ〜」
 ミサはいい色合いに染まった紅茶をマグカップに注ぎ、ヒロの前に置くと、彼女は困った顔でエプロンのポケットを探り、小さながま口を取り出していた。
 がま口を開けて、手の上でひっくり返すと、百円玉が三枚、五十円が一枚、十円玉が二枚、一円玉が三枚落ちてくる。
「・・・はちおうじまでたりるかな・・・」
「京王線なら多分足りるわ〜、でも、今回はあたしが払うわよ〜」
「そんなのわるいですよ」
「ううん〜、あたしが言いだした事だから構わないわ〜」
 大体、彼女を呼び寄せたのはミサなのである。
「じゃ〜、少ししてから行きましょ〜か」
「はい」
 ミサはふと思いついて部室の隅に置かれた金庫の前に行くと、ダイヤルを合わせ、部長と副部長しか持っていない鍵で開け、中から手提げ金庫をとり出した。
「それなんですか」
 ミサはいつもの笑いを浮かべて、こちらは部長しか持っていない鍵で開ける。蓋を開けて、中身がヒロに見える様に置く。
「きれいですね・・・でも、ちょっとかわってますね」
 金庫の中には様々な指輪、ネックレス、ブレスレット等、様々な装飾品が並んでいる。それだけならば少し変わった宝石箱だが、中身の装飾品にはダイヤ、サファイア、金、プラチナ等を多用した、明らかに高価なものや、訳の分からない紋様が印された酷く年代物の鉛製腕輪など、とても女子高生の持ち物とは思えないものが並んでいる。
 まぁ、宝石の価値など分からないヒロには“綺麗な石がついたもの”でしか無い。
「そ〜う、ここにあるのは“力”ある護符や、曰く付きでここに持ち込まれてきたものばかり〜」
 そう説明しながら、ミサは装飾品の中から、ずしりと重そうな鉛の腕輪を取り出した。すり減ったそれには、ただひとつ、目を閉じて涙を流す目を象った紋章が刻まれている。
「これをあげるわ〜」
 差し出された腕輪を受け取り、ヒロは訝しげな表情をした。ずしりと重い腕輪は、飾り気の無さとあいまって、まるで手枷の様な印象を与える。
「その腕輪に刻まれているのはね〜、ク・イォロエンの目という紋章なの〜、ク・イォロエンは今は名も忘れ去られた宗教の神話に登場する小神、どの神よりも小さかった彼は、非常に隠れる術に長けていたというわ〜、でも、それが災いして、最後には誰からも見つけられなくなってしまったそうよ〜」
 どうにも験の悪い曰くを楽しげといっても良い調子で語るミサを、ヒロは尊敬の目で見つめる。
「すごいですね・・・でも、なんでこれをわたしにくれるんですか」
「・・・それは、あなたの周囲の人間の現実認識に介入して、あなたを無意識に“見なく”するわ〜、要するに周囲の人間にとってあなたは“居ない”という事になるわね〜・・・それを使えば究極の黒子になれるかもしれないわ〜」
 ミサの説明を有る程度理解したヒロは、嫌そうな顔をする。
「これ、おかえしします・・・ひとにかまってもらえないのは、さみしいです」
「・・・なら、あんしんだわ〜」
 ミサは満足げな笑みを浮かべ、ヒロが返そうとした手を押し戻した。
「その腕輪を悪用すれば〜、幾つかの犯罪はやりたい放題よ〜、でも、あなたみたいな子だったら大丈夫ね〜」
「でも、わたしはかくれるきはないですから」
 そう言いながらヒロは手に握った腕輪に目を落とす。
「そう言わないで、受け取って〜、役に立つから〜、取り敢えずここから出るのに必要よ〜」
 そう言いながら、ミサは腕時計に目をやった。
「もうすぐ八時を回るから、外には生徒が沢山居るわよ〜、あなた目立つから咎められずに出るのは大変ね〜」
「・・・そうですか、じゃあ、おかりします」
 不承不承といった感じでヒロは左腕に腕輪を通す。そして、何かに気がついた様な顔をして、ミサの方に手を振って見せた。
「あたしは〜、逆呪文を使ってるから見えるわよ〜・・・あ、あと、その腕輪は機械は騙せないわ〜、気をつけてね〜」
「はい、それはだいじょうぶです、ようかいはきかいにみつからなくなるちからがありますから」
「なら完璧〜・・・そろそろ、出かけましょ〜」
 カップとポットを片づけ、ミサは人払い結界を解除する。
「鬼が出るか〜、蛇が出るか〜、楽しみだわ〜」



東京都八王子市、京王八王子駅、午前九時


「かえってきました〜」
 ミサと一緒に京王八王子駅に降り立ったヒロは見慣れた光景に歓声をあげた。見慣れた風景は、ヒロに自分の居場所だという安心感を増幅させてくれる。
「・・・ここ、変わった雰囲気の町ね〜」
 ミサは周囲を見回した。駅ビルにミスタードーナツ、カラオケにチェーン経営の居酒屋が数軒。ごく普通の外辺都市の駅前風景。だが、ミサには何か違和感を感じさせるものが空気に混じっている様に感じられる。
「ミサさん、こっちですよ〜」
 右を向くと、ヒロが手を振っている。余程知っている所に帰ってこられたのがうれしかったらしい。
「・・・」
 走って行くヒロの後を小走りに追いかけて右に曲がり、沢山の自転車が駐輪されているゲームセンターを通り抜ける。
 駅のすぐ隣の通りといっても、車一台通り抜けるのがやっとの狭い通りに、歯医者や、100円駐車場、自動車整備工場等が立ち並ぶ、静かな場所だ。
「・・・」
「ホテルヤ○マ・・・ここじゃないのね〜」
 ごく普通のビジネスホテルの前で立ちつくすヒロに、ミサはそっと声をかける。
「たしかにここにたってたんです・・・」
 罪悪感が胸を突いた。
「あなたのきた世界では、きっと今もそうよ〜」
 肩を落とし、今にもぐずり出しそうな様子のヒロにミサは少し迷いながら声を掛ける。
「すずのさん、くりおさん、よしゆきさん、なおりさん、ぶるねんさん、れんこさん、まりぃさん、う゛ぃくたーさん、またあいたいひと、たくさん、いるんです」
 ヒロは思いつく限りの知人の名を並べながら目を擦る。その姿は、何とも脆く、保護が必要な存在に見えた。
「ごめんなさい・・・きっと会えるわ〜、きっと、あたしが帰る方法を見つけてあげる〜・・・それにね〜、あなたの知り合いかは分からないけど、同じ様〜に、“向こう側”からきてる人があと一人いるわ〜」
 ミサの台詞にヒロははっと顔を上げた。その顔に強い喜色が浮かんでいるのを見て、また、ミサの罪悪感の天秤に分銅が追加される。
「それじゃあ、すぐにさがさないと」
「そうね〜でも、闇雲に探しても見つからないわ〜、取り敢えず学校に帰りましょ〜、こっちに居る間、あなたが住む所も探さないといけないし〜」
 ミサは人形を抱いているのとは逆の手でヒロの手を掴むと、何度も肩越しに振り返る彼女を引っ張り、その場を立ち去った。



新宿真神学園3−B教室、昼休み


「ねぇ、ミサちゃん」
「なぁ〜に〜」
 昼休みも半ばを過ぎた辺りで教室にやってきたミサに、好奇心をむき出しにしたアン子が早速声をかけてくる。
「今日午前中休んだって事は、そんなにきつい徹夜だったの?」
「ま〜ね〜」
 答えるミサの笑顔はいつもと変わらないものだったが、多少は付き合いの長いアン子は彼女の表情が少しだけ普段と違う事を感じ取った。
「へー、そんなにねぇ・・・結局何か出たの、地獄から迷い出た怨霊とか、邪神とか・・・やっぱりミサちゃんがそんなに疲れるって事はかなりの大物よね」
「うふふ〜、可愛い〜い、妖怪さんよ〜」
「可愛い・・・座敷童でも出た訳」
 微笑を浮かべて言葉を濁すミサに、アン子はネタの匂いをかぎ取り、割と本気で食い下がる体勢を整える。
「・・・そ〜ね、かも知れないわ〜・・・アン子ちゃ〜んにも今度は関係あるかも〜」
「ちょっ、それって、どういう意味・・・」
 不意にしみじみとした口調で話を振られて、一瞬アン子は動揺するが、口を開いた瞬間、生物教師犬神が入ってきた。
 無精ひげによれよれの白衣、そして、やる気無さそうな雰囲気。典型的なさえない教師という様子の彼は、3−Bの担任教師でもある。
「そろそろ五時限目の授業を始めるぞ・・・遠野、席に着け」
「・・・はーい」
 犬神に睨まれ、仕方なく席に戻ったアン子は、横目でミサの事をちらちらと伺っていたが、彼女の抱えた人形が突然首を動かして、睨み付けたきた為、即座に目を逸らした。
「あーっ」
 決定的瞬間を逃した事に気づき、アン子が絶叫をあげたのは数秒後の事だった。

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