東京魔人学園妖風帖
 
第弐話
 
“怪異” Ver.1.01

今は使われていない旧校舎のカビ臭く薄暗い廊下を、真神の制服を身につけた少年と少女が歩いている。
「ねェ、どこまでいくのォ?」
 黄昏時の廊下は奇妙に暗く、少女は黄金色の奥に生じる闇に少年の背が溶けていく様な錯覚に囚われて不安げな声を上げた。
「へへへッ・・・いいから、来いよッ」
 不安げな少女の声に少年はほくそ笑んで立ち止まる。普段と異なる彼女の反応が見てみたい・・・目先の変わった場所での逢い引きは、彼の目的通りの効果をあげている様だった。
「なによォ、ヘンなの」
 少年の余裕ある態度に少し気恥ずかしくなった少女は拗ねた様に呟く。
「いいからよ」
 そんな少女の様子に笑いながらも、ここまで来て機嫌を損ねては大変と、少年は取りなす様に声を掛ける。
「もう・・・、フフフッ」
 ふと、少女に悪戯心が湧き、彼女は笑いながら校舎の奥に駆け込んでいく。
「アッ、オイッ、待てよッ」
 今度は立場が逆転し、少年の方が慌てて少女の背を追った。
「早くおいでよォ」
「待てったら・・・あんま、走んじゃねェよッ」
 離れた場所から弄う様に手を振る少女に本気で引き離されそうになり、少年は懸命に追う。
「早く。早くゥ・・・・・・ヒッ!!」
 足には少し自信のある少女は曲がり角まで走り込んで少年に手を振ってみせ、更に即席の鬼ごっこを続けようと顔を前に向けた瞬間、闇に蠢く何かが目に入り、声を上げて立ちすくむ。
「アッ・・・・・・」
「ん?なんだよ、怖えェ顔すんなよ」
 一瞬本物の恐怖が少女の顔に浮かび、少年は気分を壊されて訝しげな表情で彼女に近寄った。
「あッ、あそこ・・・何か・・・何かいる」
「あーん?ナニが?・・・どこに・・・・・・あッ!!」
 少女の指さす先を目をすがめて覗き込んだ少年の耳に、何かがぴちゃぴちゃと水を貪る様な音が聞こえてくる。
「あ、あッ・・・・・・」
「キッ、キャーッ!!」
 少年が闇に浮かぶ無数の紅点に気づいた瞬間、闇の翼が二人を一斉に覆い尽くした。
「ひ、ヒイッ、ギャアアアアアア」
「う、う゛あ゛あ゛あ゛ァァァァァァァ」
 体中黒いモノに食らいつかれ、視界を奪われた少年は、声を限りに叫びながら闇雲に逃走し、壁に激突した。
 激しい衝撃に弾き飛ばされて地面に倒れた少年は、急激に気が遠くなるのを感じ、死を意識する。
「えいっ」
 しかし次の瞬間、彼はひょいと持ち上げられ、一瞬の浮遊感の後に外気の中に降ろされた。消えつつある黄昏に照らされ、彼に体に食いついていたモノ共が異様な悲鳴と共に散って行く。
 失血で掠れた視界の中、少年は近くの地面に自分と同じように少女が横たえられているのを見た。、
「だいじょうぶですか」
「・・・」
 耳障りの良い声に助け起こされた少年の目に場違いな、フリルのついた鮮やかな白いエプロンが飛び込んできた。眼球だけを動かし、自分を助け起こしている人影の顔を見ようとするが、逆光で確認できない。
 そこまでで、少年の意識はとぎれ、闇に沈んでいった。


「おいっ、東ッ!!」
 鞄を担いで教室を出ようとしていた東 京太郎は、背後から呼びかけと共に慌てたような足音が近寄って来るのを聞いて振り返った。
「待てよ・・・、待てったらッ」
「そんなに慌ててどうしたんだ」
「へへへッ」
 真神の木刀男こと、蓬莱寺京一は京太郎の近くまでやってくると気安い笑顔を浮かべる。
「一緒に帰ろーぜッ」
 昨日今日あった男に随分と親しく接してくるものだが・・・
(戦力偵察・・・って所か・・・それもいいか)
「O.K.」
 京太郎も京一のノリにあわせ、気安くOKする。
「へへへッ・・・じゃ、はやいトコ行こうぜ」
 京太郎の了解を得て、京一は何か腹に一物ありげな笑顔になった。更に露骨に急いでいる辺りが“何か企んでます”と主張している。
「で、何処に寄るんだ」
「お、おまえさん勘がいいねぇ・・・」
 京太郎が軽く指摘してやると、京一はますます嬉しそうな、いや、だらしないと言っても良い表情になり、顔を寄せてきた。
「この時間、学校帰りの女子高生がたむろしてる場所があんだよ・・・もうオレなんて。考えただけで、よだれが・・・」
 この男、何処まで本気なのやら・・・
「っと、こんなコトいってる場合じゃねェぜ、はやく行かねェと、俺のカワイイ子羊ちゃんたちがタチの悪いオオカミに喰われちまうからな」
 一人悦にいっている京一に、京太郎は不思議と軽薄な印象を憶えなかった。彼が常に発散している、明るく、熱い、“氣”のせいかも知れない。
「はやく、行こーッ!!」
「sorry、それは無理の様だ」
 上機嫌で気炎を上げる京一が凍り付いたのとほぼ同時に、京太郎は振り返る。
「東・く・んッ・・・一緒に帰りましょッ!!」
 カメラ片手に元気よく走り寄ってきたのは、真神の姐さん新聞部長アン子こと、遠野杏子だった。
(こっちも腹にいちもつあり・・・そう顔にかいてあるな)
「お前なァ・・・いつも、いきなり出るなッ・・・心臓にわりィだろーがッ!!」
「あらッ、京一、いたの?」
 京一のかなりマジな叫びをアン子はあっさりと受け流す。この辺りの呼吸は、毎日積み重ねてきたコントによるものか。
(nice combinationだ・・・)
「いたの?・・・じゃねェッ!はじめからいるだろーがッ」
 顔をつきだして抗議する京一を一顧だにせず、アン子は眼鏡を外して目尻を擦る。
「京一、あんたカルシウム足んないんじゃない、大の男が、細かい事ウジウジいわないの」
 すっかり置いてきぼりをくった京太郎は、鞄を降ろして机に寄りかかり、観察モードに入った。どちらにせよすぐには帰れない様だ。
「お前なァ・・・」
 しかし、今回は以外とあっさり京一がネタのレシーブを放棄してしまった。少々残念である。
「ねぇ、東君、昨日の事だけど・・・」
 眼鏡を所定の位置に戻したアン子は急に京太郎に顔を向け、目を光らせて話題を切り出した。
(きたきた・・・)
「yesterday・・・結局、一緒には帰れなかったな」
 京太郎は即座にとぼける。昨日貰った真神新聞の記事傾向からすると、この娘に本当の事をバラしたらこれ幸いと三面記事にされかねない。
「勿論、そんな事じゃないわ・・・昨日、あの後、あいつらと・・・東君・・・何があったの?」
 一言ずつ区切って詰め寄ってくるアン子の顔は、生半可な答えでは帰さない、という気合いに満ちている。しかし、京太郎もそうそう教えてやる訳にはいかない。
「いや別に・・・体育館裏でじっくりとtalkしただけだ」
 努めて何喰わぬ風を装う京太郎としばし睨み合った後、突然アン子は踵をかえした。
「まッ、東君が言わなくても、あいつらの姿見れば、だいたい想像つくけどね」
 結局下調べはしてあった様だ、しかし、この様子では京太郎に証拠を突きつけて問いつめる気は無いらしい。
「でも、東君って・・・見掛けによらず凄いのね、あいつらだって、結構ケンカ慣れしてるはずでしょ」
 やけにあっさりと引き下がったと思えば、今度は持ち上げる作戦に路線変更したらしい。
(見掛けに寄らず、は余計だ)
「そうかな・・・」
 まぁ、確かに京太郎はそんなに体の大きな方ではない。背丈は京一よりはやや低い。
「それを、ひとりで倒しちゃうなんて、実際大したもんだわ」
「あの〜、俺もいたんですけど」
 しきりに感心して見せているアン子におそるおそる京一が声をかけた。彼にとって、苦手な相手でも、可愛くてスタイルの良い女の子に無視されるのは悲しいものの様である。
「・・・・・・よしッ、決めたわ」
 京一にとっては真に可哀想な事に、彼の声は完全に無視された。
「東 京太郎、強さの秘密ッ!!次の見出しは、コレよッ」
(注目され過ぎるのもNo Thank youだぜ・・・)
「・・・というワケで、チョット、今から取材させてね」
 押しの強さは大したものだ、もう勝手に話をまとめようとしている。取り敢えず意思表示をせねば、引きずられるのみだ。
「なにが、というワケで、だッ」
 しかし、京太郎が口を開く前に、横から助け船が入った。
「俺たちは、いそがしいんだよ、興味本位のヤジ馬に付き合ってるヒマはねェよ」
 どうやら、自分一人でアン子の認識にケンカを売るのは諦めたらしい。
(こうなってくると、Third selectionは選びにくいな・・・)
 京太郎も、このまま京一を見捨てて逃げる事を考えない訳では無かったが、どうせ、此処で逃げた所で、アン子はしつこくつきまとうに決まっている。
 事の推移を見守った方がまだ被害は少ないだろうと判断された。
「別に、京一に付き合ってくれとはいってないわ」
 斜に構えた体勢から、アン子はなんともにべもない台詞をとばすが、今度は京一も負けてはいない。
「お生憎サマ、俺たち、これからラーメン食いに行くのッ」
 いつの間にやら目的が色気より食い気、に移っているが、まぁ、女子高生を愛でるより、ラーメンを食いに行く方が京太郎としては有り難い。
「あんたねェ・・・ラーメンとあたしの取材とどっちが大事だとおもってんのッ」
「ラーメンッ」
 目を据わらせて唸るアン子に京一は即答してのける。台詞にみなぎる自信は、彼にとってどれ程ラーメンが大事なのか良く表していた。
 きっと彼の主食はラーメンに違いない。京太郎はこの時確信した。
「うッ・・・」
 あまり完璧に遮られたのが痛かったらしく、アン子は言葉に詰まり、拗ねた様にそっぽを向く。
「東君も、この京一に付き合う事ないのよ」
「sorry、折角誘って貰ったけど、今日は蓬莱寺の方が先約だ」
 肩越しに振り向いて、横目で見る仕草が実に決まっていた。状況が状況ならば、年頃の男の子の心臓に一瞬エンストかブーストを引き起こせるだろう。
「東君って、やさしいのね、こんなアホをかばうなんて・・・でも、無理しなくていいのよ、嫌なら嫌っていわないと」
 振り返ったアン子の表情は、不埒な京太郎の感想を吹き飛ばす様な笑顔の強制、もの凄い圧力だった。
(今、確かに耳に、“嫌とお言い”って聞こえたんだけど・・・Perhaps it’s my imagination・・・)
「ラーメンなんかより、あたしと喫茶店でお茶でもどう?」
 言葉だけを見ていると、かなり押しつけがましく聞こえる筈なのだが、何となくそうしないといけない様な気になってくるのは、彼女の人柄か。
「アン子、あきらめろよ、俺たちは、お前と違って美食家だからな」
(そうか、日本のRamen noodlesはgourmetなのか・・・)
 京太郎はカルチャーショックを受けて、心の中にメモを取る。
(京一がgourmetだとは、人は見かけでは分からないな)
「money、足りるかな・・・」
 ちょっと本気で財布の中身を心配してみる。
「雑食なだけでしょッ・・・もういいわ」
 京太郎の何処かずれた妄想をよそに、アン子は吐き捨てると、お手上げだとでもいうように盛大な溜息をつく。
「二人で勝手にラーメン屋でデートでもしてなさい」
「はははッ、残念だったな、アン子」
「あーあッ、どっかにおもしろいネタ転がってないかしら・・・」
 勝ち誇った様に高笑いする京一を横目で睨み、アン子は嘆息する。
(全く、見てて飽きないコントだな)
「生徒会の副会長の汚職はこの間、取り上げたしなァ」
 真神学園の生徒会は余程権限が大きいらしい。
(運営資金の札束が飛び交ったりしてるかも・・・)
 いい加減な想像をする京太郎。しかし、前日見た美里生徒会長の影響力を思い出すと、否定できないリアリティがある気がしてくる。
「学校に、怪盗からの予告状とか、テロリストとか来ないかしら」
「それは、確かに面白い事になりそうだな」
「あら、やっぱり私達気が合うわね」
 アン子の独り言に反応して深々と頷いた京太郎を見て、京一は引きつった笑いを浮かべて首を振った。
「あのなァ・・・ここは、中近東じゃねェんだから」
 アン子は馬鹿にした様な目をしている京一に視線を戻すと、ぽん、と手を叩いた。
「あッ、あんた辻斬りでもやってみない?」
「おいおい、なにいってやがる」
 流石にヒいた京一に、真顔でアン子は迫る。
「そこらへんの不良狙ってさ」
「お前、俺を犯罪者にするつもりかッ」
「ふんッ、意気地がないわねッ」
 堪らず叫んだ京一を、つまらなそうな表情で見下ろし、アン子は吐き捨てる。
「hum〜、真神学園では未だに“切り捨て御免”なるSUMRAIの風俗が残っているのか・・・流石歴史のあるSchoolは違う・・・」
 京太郎が漏らした感想を聞き、言うだけの事を言って、軽く肩で息をしていたアン子は爆笑する。
「あッはッはッはッは〜、最高よ、そのボケ、東君、本当は関西人なんじゃないの・・・」
「お前、よくわかんねェ奴だなぁ」
 机の端を掴んで苦しげに笑っているアン子とは対照的に、京一は複雑な表情で京太郎を見た。
「I am me・・・俺は俺さ」
「まぁ、いいわ、今度は、このアホのいない時にゆっくり話しましょッ」
 ひとしきり笑い終えたアン子は目尻の涙を拭うと二人に背を向けた。
「じゃあねッ」
「see you・・・」
「アン子、まっすぐ帰れよッ・・・腹いせに下級生なんて襲うんじゃねェ・・・どわッ!!」
 京一がつまらない事を言った瞬間、教室を出かけていたアン子の手が鞭の様にしなり、黒板消しが京一の顔面を捉えていた。
「がッ・・・くッ・・・」
「Excelent!」
 白墨の粉に苦しんでいる京一を放っておき、京太郎はアン子の見事な投擲に惜しみの無い拍手を送った。何しろ、アン子は狙いも付けずに後ろ手で放っていたのだ。
「クソッ、アイツおもいっきり黒板消し投げつけやがって・・・当たりドコロ悪くて、死んだらどーするつもりなんだ」
「そうだな、あの後、彼女が刃物で突っかけてくるか、GunでShootしてきたら危なかっただろうな」
 咳はおさまったものの、上半身が白墨粉だらけになってしまった京一の背中を払ってやりながら、京太郎は本気とも冗談ともつかないフォローをしてやる。
 そんな男二人の語らいに、巨大な影が割り込んできた。先日、京太郎が伸した、不良A、B、C、+佐久間が所属するレスリング部の部長にして真神の総番、醍醐雄矢である。
「まったく、お前は見てて飽きん男だよ」
「sure、全く同感だ・・・Hello醍醐」
 醍醐の台詞に京太郎は深々と頷き、片手をあげて挨拶をおくる。
「ああ、東、こんにちは」
「醍醐・・・なんだ、お前ッ、いつから、そこに・・・」
 まったりと挨拶を交わしている二人を恨めしげに睨みながら、詰問する京一に、醍醐はわざとらしく顎に手などをあてて思案するふりをしてみせる。
「そうだなァ・・・げッ、アン子ッ・・・のあたりからか」
 神妙な顔を少し崩し、醍醐は口元を歪ませる。この男、中々人が悪い。
「お前な・・・それじゃ、助け船ぐらいだせよッ」
「はははッ、悪い悪い、見ていたら、あんまりおもしろかったんでな」
 ぶすっとした顔つきの京一に睨まれて、醍醐はからからと笑う。全く悪びれた所のないその笑いに京一は頭を掻いて不承不承黙り込む。この二人も中々付き合いが長い様だ。
「東、おまえもそうだろう?」
「Yes、非常に興味深かった」
「チッ、どいつもこいつも・・・お前、部活じゃねェのかよ」
 京一は不機嫌そうな面構えのまま、話題を変えようと、矛先を醍醐に向ける。
「それとも、ついに格闘技オタクの部長が。部員の首でも折って、レスリング部は、廃部にでもなったか?」
 不機嫌な口調のまま揶揄するが、当の醍醐は平気な顔で笑っている。この場は完全に京一の分が悪い。
「はははッ、残念ながら、まだだ・・・そうだ、京一」
 顔は笑ったまま、醍醐は話題を変える。
「ちょっと、東を借りていいか」
 一寸、ジュースでも飲みに誘う様な口調と表情だったが、視線は真っ直ぐに京太郎に向けられ、有無を言わせぬ迫力があった。京一の返事等、端から聞いていない、といった所だ。
「なるほどな・・・そういうつもりかよ」
「何がだ?」
 訳知り顔でニヤニヤする京一に、京太郎から視線を離さぬまま、醍醐は僅かに注意を向ける。
「昨日の事だよ・・・」
「昨日の事、何だそれは?」
 醍醐はあくまで惚ける気の様だが、凄みのある笑顔を浮かべたまま殺気を発散していては、全く意味がない。
「惚けなさんな、あんなすげぇキレの技見せられて、タイショーが黙ってるわけねえってな」
「・・・・・・」
 調子よく頷きながら、ばんばん肩を叩く京一に、醍醐はやや困った様な鬱陶しい様な表情で黙り込む。
「大体、お前がそんな面してるのは、プロレス見てる時か、嘘ついてる時だけだろがよッ・・・もしかして・・・お前、昨日、最初から見てやがったんじゃ・・・」
 喋る内に、京一の顔から笑いが消え、京太郎が会ってからは初めて見る、鋭い表情が浮かぶ。
「そうか、俺と佐久間がやり合うのを見たかった訳だ・・・だが、思った以上にやる東に興味を持った・・・そんな所だろ」
 睨み付ける京一の視線を醍醐は苦笑で受け流す。
「まったく、お前には驚かされるよ・・・それだけの判断が出来ながら、学校の成績はさっぱりなのだからな」
「お前なァ・・・褒めるか、けなすか、どっちかにしろッ」
「Hum・・・そういうのは、ベンキョーには関係無いと思うぜ、Schoolに通ってなくて、ベンキョーが苦手でも、ケンカの事だけはやたら頭が良くなる奴は居たしな」
「東、お前も、妙な事言い出すんじゃねぇッ」
 マジな顔で頷く京太郎に、京一は思わず素で怒鳴りつけた。
「・・・ったく、どうも、お前のツッコミにゃ、気ィ抜けるぜ・・・」
「はははッ、そうだな、学校の成績が良くても、戦うのには役に立たない・・・普通はそうだ」
「たりめェだ、きょーかしょで、ケンカができるかよ」
「・・・まぁ、そんな事はさておきだな・・・俺の用件は京一のほのめかしている通りだ・・・東、すまんが、ちょっと、俺につきあってくれないか?」
 多少毒気を抜かれた感じになりながらも、醍醐は京太郎を真っ直ぐ見据える。
「O.K.大歓迎だ、やろう」
「そうか・・・話の分かる男で助かるよ」
 一瞬たりとも目を逸らす事無く、醍醐の視線を受け止めながら、京太郎は満面の笑顔を浮かべる。一切けれんみの無い笑顔に、醍醐はかえって気圧されるものを感じた。
「じゃ、ついてきてくれ」
 一言いって教室を出る醍醐の後を京太郎と京一はぞろぞろとついていく。
「・・・お前もついてくるのか・・・」
「当たり前だろが、俺だって東にゃ興味がある、それに昨日はお前が俺をダシにしやがったからな、今日は俺の番だぜ」
 不機嫌そうに視線を投げかける醍醐に、京一は歯を剥いてみせる。
「好きにしろ・・・」


「いいgymだ・・・設備が揃ってるし・・・そう、使い込まれてる」
 真神学園レスリング部の部室にはダンベル、ベンチプレス等の筋トレ器具が並び、サンドバッグが幾つか吊られていた。部屋の中央にはマットではなく、真神の校章入りの本格的なリングが鎮座している。
 真神学園レスリング部というのは、アマチュアレスリングでは無く、プロレスをやっている部活らしい。
「ここも、相変わらずだな・・・」  
 らしくもなく、幾分の感慨を込めて部室を見回していた京一は、壁にかかった時計が目に入り、ふと、眉をしかめる。
「ん・・・他の部員はどうしたんだ、マジで廃部ってワケでも無いだろ」
 そんな集団のいる所に連れ込むのは、手合わせと言わず、普通はリンチというと思われるが・・・
 軽くリングロープの調子を見ていた醍醐は、京一の台詞に顔を顰めた。
「昨日の晩、佐久間と他校生が歌舞伎町でモメてな・・・」
「おいおい、昨日っていや、東と・・・あの馬鹿、やられた腹いせか・・・アホ過ぎるぜ」
「うむ・・・その件で、相手の学校とPTAから学校に苦情が来たらしくてな、処分はまだ出てないが、自主謹慎の意味も込めて、しばらく休部さ」
「stoicだな・・・leaderはつらい」
「んなの、しらばっくれりゃよかったんだよ、タイショーは融通きかねぇなァ」
 対照的な二人の感想に醍醐は只苦笑する。これからやり合おうという場所では不適当な、和んだ雰囲気が流れる。
「はははッ、そうもいくまい・・・ま、それよりも・・・京一、手を出すなよ」
 醍醐は幾分渇いた笑いを浮かべながら、京一に釘を刺す。一瞬流れた和やかな空気など吹き飛ぶ殺気がみなぎった。
「誰が好きこのんで、猛獣の闘いにチョッカイ出すってんだ・・・それにしても、お前等、何二人して笑ってやがる」
 京太郎と醍醐は互いに発する殺気を受けながら、実に楽しげな微笑を浮かべている。有る意味、素直な威嚇の応酬等より、数段気味が悪い。
「あァ、強いヤツを目の前にすると自然に顔が緩んでくる」
 そう言いながら醍醐は、慣れた動作でロープをくぐりってリングに上がると、上から京太郎をねめつけてくる。レスラーはリングにのぼると人格が変わるのかも知れない。
「youもスキモノだな・・・俺も人の事は言えねぇけど」
「東、悪いが、お前が何といおうと俺と、闘ってもらうぞッ!!」
 別にそれは練習しているのでは無いだろうが、リング上から指さしてくる姿も実に堂に入ったものである。マイクを投げ込めば、マイクパフォーマンスが始まりそうな勢いだ。
「望む所だ、ステイツでも評判に聞いた、リアルファイトスタイルの日本人レスラーとやりたかった」
 京太郎はロープをとび越えて、軽くステップを踏み、マットの弾力を確かめる。随分と硬い感触が返ってきた。硬さは、衝撃緩和効果は柔道の畳より多少マシな程度だ。受け身を取り損ねた瞬間、一撃ダウンもあり得る。
 二人は学ランの上着を脱ぐと、リングの外に捨て、構えをとる。醍醐は腕を上段に構えたアップライトスタイル。京太郎は腰を落とした、どっしりとしたベタ足の構えになる。
 無言で睨み合う二人の間で気が膨れ上がり、じりじりと互いの距離が詰まって行く。
 どちらからともなく腕が伸びた。
 掌と拳が交差軌道を描き、跳ね戻る。
 ゆっくりと時計回りの輪舞を舞いながら、互いに綻びを探り合い、二人の間に数度、手が、足が伸びた。
 時間にして三十秒、そんなやりとりを続けた後、二人は弾かれる様に間合いを取る。
「・・・日本のレスラーは“指取り”を完全に知ってるのか、大したもんだ・・・」
「利き手の指を折られては、ノートを取れなくなるからな・・・」
 京太郎の賞賛に、醍醐は凄みのある笑みを浮かべる。最初の数合、醍醐が手数を控えたのは、最初の一撃で突きに見せかけた一撃で、京太郎が指を折りにきたのに気が付いた為であった。
 見た所、京太郎は醍醐より10cm以上背は低く、体重も20kgは軽そうだ。強引に抑え込めば、普通は勝負がついてしまうハンデだが・・・
(タイショー攻めきれねぇでやがる・・・)
 プロレス寄りのレスリング部に所属する醍醐だが、本気になれば、アマチュアレスリングのお株を充分奪えるレベルのタックルを出せる。京一はそれを良く知っていた。
 醍醐があえてタックルを出さないのは、京太郎が発する何かを、彼が感じ取っているからだろう。
 京一はそう判断する。
 京一がそんな事を考えている間にも、京太郎と醍醐はリングの中で慎重に間合いを探り合っていた。
 数十回に及ぶフェイントの掛け合いの末、京太郎がするすると前に出た瞬間、その体が激しい横回転と共に宙を舞う。京太郎の動きを読んだ醍醐が放ったローキックに脚を刈られた結果である。
 しかし、異様な横回転のまま体を丸めてマット上で回転すると京太郎はロープ際で跳ね起きる。だが、彼の右側から、凄まじい速度で醍醐のタックルが迫っていた。
「な・・・?」
 次の瞬間京一の視界で、京太郎が霞み、京一は“龍”を見た。
 首を激しく跳ね上げながら、醍醐の体が仰け反り、それでも、醍醐は踏みとどまり、崩れた体勢から掌を放つ。だが、京太郎は肩越しにそれをやり過ごしながら既に剄を溜めている。カウンターというにはやや遅いタイミングで、京太郎の掌から無色のエネルギー、“気”が迸った。
「う、うぉっ」
 凄まじい“気圧”に圧されて後退しながらも、醍醐は空振った手を京太郎に巻き付け掴むと、己の跳ねとぶ反動を利用して、宙に跳ね上げる。
 ブリッジの要領で反らされた醍醐の胸にがっちり固定された京太郎には受け身を取る術は無い。
 激しい音を立てて京太郎の首がマットに突き刺さるのを見た京一は、醍醐の勝ちを確信した。
 それ所か、首に二人分の体重+落下速度の衝撃をまともに受けた京太郎は首を骨折しているかも知れない。
「おいおい、お前等、大丈夫か・・・」
 慌てて京一はリングに登る。その衝撃で醍醐のブリッジが崩れ、京太郎はリングに投げ出された。そのまま、首を振りながら立ち上がる京太郎に、京一は目を剥く。
「・・・効いたぜ・・・とんでもないtough guyだ・・・」
 首をこきこきやっている京太郎とは対照的に、醍醐はマットに大の字になって荒い息をついている。
「お前、何で、平気なんだよ・・・」
「NO、平気な訳あるか、ガタガタだっ・・・それより、まだカウントは終わってないぜ・・・蓬莱寺」
 目を光らせながら、構えを取る京太郎に、京一は内心戦慄を覚える。
「けどよぉ・・・」
「・・・東・・・俺の負けだ・・・」
 呻く様な声が、二人の間を割った。
「もう、俺は立てんよ・・・」
「そうだな・・・これ以上やれば、俺か、あんたがmurderになる・・・」
「よく言う・・・」
 拳を引いた京太郎の台詞に、醍醐は苦笑いを浮かべる。
「醍醐、生きてるかァ」
「あァ・・・」
 京一は醍醐の傍らにしゃがみ込む。完全に身じろぎもしない所を見ると、立てないというのは本当の様である。
「しかし、手ひどくやられたもんだぜ・・・真神の醍醐ともあろう男が、無名の転校生にな・・・この辺り一帯で恐れられる番長殿がやられたのが知れたら、大騒ぎになるぜ」
 だんだん焦点の合わなくなってくる醍醐の目を見て、京一は軽口を叩いて、彼の意識を呼び起こそうとする。
「ははは・・・真っ向からの勝負で負けた・・・仕方あるまい」
「あれだけまともに“龍星脚”を受けて、意識がとばなかったのは、醍醐、youが初めてだ・・・最後はvery dreadfulだった・・・」
「ふ、俺は今まで、人間があれだけ鮮やかな蹴りを・・・真横にうてるものだとは知らなかった・・・」
 膝をついた京太郎の言葉には素直な賞賛がこもっており、醍醐の顔に笑みが浮かんだ。
「ナンだよ、オマエら随分と殊勝じゃねぇか・・・」
 京太郎と醍醐の間に流れる何かを感じ取り、京一は何となく仲間はずれ気分になる。
「ふッ・・・不良少年らしからぬ・・・か」
「まッ、お前等の気持ちはわからねェ、わけじゃあねェ、けどなッ」
 呟く京一を余所に、醍醐は天井に目を向ける。
「東 京太郎・・・何処であんな技を覚えた・・・」
「hum・・・さてね・・・」
 その台詞は別に返事が期待された訳ではなく、醍醐の独白に近いものだったが、京太郎は適当な返事を呟いて首を振る。
「だけど、オマエの技、本物だな・・・」
「why?何がだ・・・」
「人が殺せるって事さ、東、オマエの技はそこらで教えてる道場拳法なんかじゃねェ、ましてや、喧嘩殺法なんかじゃありえねェ・・・一体・・・」
 惚ける京太郎を京一は探るように見る。そんな、殆どガンをつけているような調子の視線を、京太郎は完全に無視して、醍醐に目を落とす。
「いいのか・・・完全に失神してるみたいだぞ・・・」
「ちッ、気持ちよさそうな面してくたばりやがって・・・」
 醍醐は眠ったような顔をして倒れている。寝息が聞こえてきそうな調子だ。
「しゃーねぇ、東、手ぇ貸せよ、コイツを保健室まで運ぶぜ」
「OK」
「くそ、相変わらずおもてェぜ」


「・・・というコトで、旧校舎で“事故”にあった二人は、幸い命に別状はありませんでした」
 マリアは一旦そこで息をきると、ざわめいている生徒達を見回した。
「みんな、静かにしてちょうだい・・・前から旧校舎は一般生徒立入禁止でしたが、現在は、完全に閉鎖されています、ミナサン、今後とも決して近寄らない様に・・・では、これでHRを終わります」
「起立・・・礼、Good Bye Miss,Maria」
 当直の少女の号令に合わせ、生徒達が唱和する。
「See You.また、明日・・・みんな、気をつけてお帰りなさい」
 マリアの返礼が済むと、生徒達は三々五々、席を立っていく。
「あァ、遅れちゃう・・・あっ」
 京太郎の前の席に座っていた女生徒は、余程急ぎの用事があるらしく、慌てて立ち上がり、鞄を床に取り落とした。
「どうぞ」
「ありがとうございます・・・東さん、さようなら」
 ひょいと拾い上げて渡してやると、その女生徒、京太郎の記憶によると、確かクラス委員長をしている娘、はずり落ちてきた眼鏡を戻して頭を下げると、逃げる様に教室を出ていった。
「mu・・・何かまずい事したかな・・・」
「そんな事はないワ、あの娘は少し人見知りする所があるから・・・」
 京太郎は音も立てずに右脇に立っていたマリアを見上げる。
(サンダルで音を立てないか・・・ただ者じゃないな・・・)
 もっとも、京太郎には気配が知れていたが・・・それも、わざとなのかも知れない。
「京太郎クン、チョット、話があるから・・・後で、職員室まで来てね」
 言いたい事だけ言うと、マリアは笑顔を残して京太郎に背を向ける。余程、生徒が言う事を聞いてくれるという自信があるのか・・・まぁ、確かに、京一ならずともマリア先生の誘いを断る男子生徒も少なそうな気はした。それに、女子にもそれなりに慕われているような感じはする。
「OK、分かりました、teacher Maria」
 当然、京太郎にしてもこの呼び出しを断る理由はないので、マリアの背中に返答する。
 机の中の教科書を鞄に放り込み、教室を見回した。京一や美里、小蒔はもう居ない様だ。特別な用事も無いので、早速、職員室に行ってみる事にした。


「excuse〜」
 職員室には誰も居ない。本来ならば、こんな時間に教師が一人も居ないのは異常な事だが、日本の高校の実態などしらぬ京太郎には思い至る術もない。
「仕方ない・・・待つか・・・」
 呟きながら、京太郎は物珍しげに職員室を見回す。この時点で、京太郎は何となく違和感を感じていた。言葉には出来ない違和感。あるべき筈のものが無いのか・・・居るべき者が居ないのか。
 マリアがまだ居ないとか、当然そう言う事とは違う。
(気配が無い存在、存在しているのに存在しない・・・ナンかよくわからねぇなぁ・・・)
「東クン、早かったのね」
 京太郎が違和感思いを馳せている内に、がらがらと戸を開け、マリアが入ってきた。
「待たせてしまって、ゴメンなさい」
「いや、来たばかりですよ、teacher」
 京太郎は愛想良く、首を振ってみせる。
「フフフッ、ありがと、東クン・・・えェと、そうね、それじゃ、とりあえずそこの椅子に座って」
 マリアは自分のデスクから椅子を引き出して座ると、隣の椅子を京太郎にすすめる。それにしても、改めて近くで見ると、マリアの服は露出が多い。胸の谷間が思いっきり見えてるわ、足を組まれると、太股が根本まで見えてしまいそうだ。
 青少年の精神衛生上、余りよろしくはなさそうな気がする。
「東クン、どう、真神学園は、クラスのみんなと仲良くなれた?」
「みんな、いい連中だ、親切だし、毎朝ちゃんと挨拶も返してくれる・・・カンゲキだ」
 本気とも冗談とも、皮肉とも取れる言葉を、やけに熱っぽく語る京太郎に、質問したマリアが面食らった様な表情になる。
「そう・・・それは良かったわ」
 髪をかきあげて気を取り直し、マリアは笑顔を作る。
「しばらくすれば、もっと、馴染んでいくと思うわ・・・そういえば、東クンは蓬莱寺クンと仲がイイようね・・・フフッ」
 蓬莱寺の名に、何か愉快な事を連想したらしく、マリアは楽しげな微笑を浮かべた。
「・・・彼は、色々な意味でイイ奴だな・・・」
 確かに京一ならば、そんな連想を起こさせる事件を、いくつも巻き起こしているのだろう。昨日今日からの付き合いである京太郎にも、それは理解できる。
「蓬莱寺クンは、ああいう自由奔放な性格だけど、すごくやさしいコだから、困った時はいろいろと相談するとイイわ」
「OK、彼とはgood friendになれそうだ」
「そうね、きっと、イイ友達になれるわ・・・あと、そうね・・・そうだ、東クン、美里サンのコトどうおもう?」
 不意に妙な事を訊かれ、今度は京太郎が面食らった顔になる。
「責任感が強くて、面倒見のいい人・・・かな」
「そう・・・・・・」
 京太郎の答えに、マリアは眉をひそめる。
(なんで、こんな事きくんだか・・・しかも、マズイ事言ったみたいな雰囲気だ・・・)
 京太郎にしてみれば、別に、葵に悪印象等無い、しかし、こんな事を担任教師にまで言われる様では、葵と自分の間に何か陰謀めいたものがあるのでは無いかと、少しだけ勘ぐってしまう。
「・・・ゴメンなさい、ヘンなコト訊いて・・・別に深い意味はないの、美里サンも生徒会とかで悩みも多いだろうから、東クンが力になってあげて欲しいっておもっただけなの」
「・・・」
「フフフッ、おかしいわね、“転校生”のアナタにこんなコト頼むなんて・・・」
 そう言って微笑むマリアの表情は、何処か取り繕った様な雰囲気が感じられた。
(・・・まさか・・・あの、美里って会長さん・・・内部の人間じゃ解決出来ない厄介事にでも巻き込まれて・・・そんな訳無いか・・・)
 京太郎は一瞬だけ浮かんだ不穏な想像をかき消した。しかし、ここの、校風を考えると余り笑えない部類の想像かも知れない。
「ありがとう、もう帰っていいわ・・・これから一年間、がんばりましょう・・・気をつけて帰りなさい」
「Thank you、good bye Miss. Maria.」
 何か釈然としないものを感じながら京太郎は職員室を後にする。


 校門の近くに来た所で京太郎はふと、足を止めた。校門の花壇に木刀を抱えた男が腰掛けているのが目に入ったからだ。只でさえ目立つ容貌の男なのに、あんな事をしていれば、正に人間ランドマークがつとまるだろう。
「おッ」
 京一も気づいたらしく、花壇を跳び降りると、京太郎の方に走ってきた。どうやら、京太郎を待ち伏せしていたらしい。
「よォ、お前のこと待ってたんだ、教室戻ったら、マリアせんせに呼ばれたって聞いたからよ・・・一緒に帰ろうぜ」
「OK、別に構わないが・・・」
「へへへッ」
 京太郎の同意を聞いてやけに嬉しそうな京一を見ながら、ふと、あまり友達が居ないのだろうか、等という考えがよぎる。
 しかし、京太郎にも、彼の様な男が友人に苦労しそうな気はしない。単純にマリアの言葉の通り、面倒見の良い男なのだろう。
「行きつけのイイ店があんだ、帰りにチョット寄ってこうぜ・・・実はな、もうひとり誘ってあんだ、誰だかわかるか?」
「・・・この気配は・・・昨日のレスラーか・・・」
「ご名答」
 京一の悪戯っぽい表情に、京太郎は軽く答える。まさか、昨日のお礼参りなんて事は無いだろう。京太郎にはそう感じられた。
「醍醐、出てこいよ」
「・・・よう、東」
「どうも・・・昨日は楽しかった、また、今度闘ってくれ!」
 何処かもじもじした調子で話しかけた醍醐は、京太郎の言葉に目をぱちくりさせる。どうやら、昨日の事を気にしていたらしい。妙なところで神経の細かい番長である。
「東・・・お前は、その・・・」
「なんだ、男同士で、気持ち悪いヤツらだな」
「ふむ・・・京一・・・男の嫉妬はみっともないぞ」
 しどろもどろになっている醍醐を見ながら、京一は気色悪いギャグを飛ばしたが、更に気色悪いギャグで返され、憮然とした顔になる。
「アホかッ、なんで、俺がむさ苦しい野郎相手に嫉妬しなきゃなんねェんだッ」
「・・・俺はゲイじゃなくて、ヘテロセクシャルなんだが・・・安心したぜ」
 いつもの漫才に混ぜてもらい、何となく嬉しく思いながら京太郎が返すと、ふと醍醐がまじめくさった顔になる。
「なんだ、違うのか?」
「当たり前だろがッ!!」
 真神の総番どのは結構お茶目さんらしい・・・まさか、本気ではないだろう、多分。
「ふッ、まァ、いいさ・・・そういえば、腹が減らんか?」
「そうだッ、俺なんかさっきから腹の虫が鳴りどーしなんだッ」
 ようやく元の話題に戻ってきた様だ。
「じゃあ早速、蓬莱寺いきつけの店に行こう」
「よっしゃァ、それじゃ、ラーメン屋に、レェーッ、」
『ゴーぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!』
 勢い込んだ京一が木刀を振りかざして叫んだ瞬間、彼の背中に小型のロケットが突っ込んだ。
「うわッ、なにしやが・・・って、こッ、小蒔ッ!!お前、どこから沸きやがった」
「さッ、桜井・・・」
「MarvelousなカミカゼAtackだ・・・」
 小蒔の奇襲は中々見事なものだった。最後の最後まで、京一も醍醐も小蒔が近くに潜んでいた事は分からなかったのだから・・・京太郎は、まぁ何となく、分かっていたが、付き合いが浅かったので小蒔だとは思わなかった、そんな所だ。
「キミたちッ、葵にあれだけ釘さされときながら・・・まだ、ラーメン、ラーメンって、まったく、いい根性してるよ」
(京一の場合は、ラーメンが主食らしいから、仕方ないよな・・・)
 京太郎は思う。何しろ、あってからここ、京一の発する言葉の80%はオネーチャンとラーメンが絡んでいると言えるのだ。
「校則じゃ下校時の寄り道全般、禁止でしょッ」
(校則はまだ、読んでないな・・・読んでおかないとマズイか・・・)
 それにしても、流石、生徒会長の親友。小蒔はルールを守る品性公正な生徒のようである。
「あんだとォ、お前だって、ゴーぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッとか、言ってたじゃねぇかッ」
「あ」
 確かにそうである。
「べーッ、だからって、転校生に悪いコト教えるのとはワケが違うよ」
(確かに、転校してから、蓬莱寺には、女子の下着がのぞけるplace教えられたり、HighSchoolgirlが沢山いる場所に連れて行かれそうになったりとかしてないな・・・正論だ)
 睨み付ける小蒔に、一瞬ぎくりとした顔で顔をそらした京一は、すぐににんまりとした顔で腕を組んだ。
「いやだねェ、物事、悪い方悪い方に考える人間は・・・俺は、転校したてで、一人で、孤独な東を励まそうとだな・・・ま、要は美里がやろうとしたのと一緒だ、ボランティアだよ・・・」
 中盤等、正に、地を割る様な熱弁、といっても差し支えない調子だったのだが、いかんせん、喋れば喋る程内容はインチキ臭くなってくる。醍醐は腕を組んで苦笑いするのみだ。
「京一ィ、そんないいワケ通用するとおもってんの?」
 案の定、小蒔にはそんな言いくるめは通用しないらしい。
「そんな見え透いた手、今どき小学生でも使わないよ・・・」
「まったくだ」
 小蒔の台詞に醍醐までが嘆息しながら同意する。
「ぐッ、・・・醍醐ッ、てめえどっちの味方なんだッ」
「どっちの味方でもないが、ウソはいかんぞ、京一、ウソは」
 それまで苦笑していた醍醐は急にしたり顔で京一を窘め始める。
(何かノリのいい番長だな・・・)
 やけに変わり身のいい醍醐に京太郎は感心する。
「でも、そんなコトはどーでもいいや、早くラーメン食べにいこうよッ」
 小蒔の台詞に、流石に京太郎もずっこけた。醍醐の変わり身等、此方に較べれば大した事は無い。
「へッ・・・小蒔ィ、お前なァ・・・」
 京一も呆れ顔である。
「もうッ、だ・か・ら、ボクはラーメン食べに行きたいのッ」
「・・・」
 醍醐に至っては言葉もないらしい。
「へへへッ、勿論、おごってくれんでしょ?」
 三者三様に黙り込む男共を見回して、小蒔は勝ち誇った表情で宣言する。
「ちょっと待てッ!なんでお前みたいな男女にラーメンおごらにゃならねェんだよッ!!」
 取り敢えず虚脱状態から立ち直った京一が、すかさず小蒔に噛みついた。まぁ、お世辞にも、金回りが良さそうに見えないから、そっちの事情もあってなのか、もの凄い剣幕だ。
「・・・ふーん、そういうコトいうんだ・・・」
 その時、京太郎は小蒔の背後にアン子を幻視する。
「蓬莱寺、諦めた方が・・・」
「とーぜんだッ」
 京太郎の止める声等耳を貸さず、吠える京一を横目に小蒔は大きく息を吸い込んだ。
「いぬがみせんせーぇぇぇぇぇぇぇッ!!ほうらいじがですねぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
 弓道で余程の鍛錬を積んでいるのだろう、それはもの凄い声量だった。空気が震えるのを直接感じられる程に。
「どわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
 京一はあたふたと小蒔を後ろから抑え込み、口を手で押さえる。
「ばッ、ばか野郎ッ!!なんてコト口走りやがんだ、お前はッ」
 口を押さえられながら、小蒔は京一を見上げ、何事かをもがもがと喋る。
 周囲で下校していく生徒達は楽しげに目をやって通り過ぎるだけで、特に立ち止まって京一達を見る様子は無い。彼等にとってはいつもの事なのだろう。
「なんでもクソもあるかッ、俺は、先月の卒業式で暴れた一件から、特に、犬神の野郎には目ェつけられてんだよッ」
 卒業式で乱闘事件等起こせば、それは目をつけられる位当たり前だろう。よくも退学にならなかったものだ。
 小蒔は目を半眼にして、何事かもごもごと呟く。
「なに?そんなの自業自得じゃないか、って?あいつらが逆恨みしてるだけで俺は、れっきとした被害者だッ」
 それにしても、本人達は意識していないようだが、今の京一と小蒔の体勢は、端から見ればかなりイヤラシイ。口を押さえ込んだ小蒔の台詞を聞く為に、無意識に京一が頭を寄せたりすると、更に密着度がアップする。
(この二人、本当に仲が良いな・・・まさか、付き合ってるとか・・・な)
 そんな想像を巡らしていた京太郎は、頭上で、ぎり、と激しい歯ぎしりを聞き、首を反らす。
 京太郎の斜め後ろで醍醐がもの凄いオーラを背負っていた。額には青筋が立っている。
(これは・・・もしか、すると・・・)
「京一!いいかげん桜井から離れろッ!」
 京太郎がいわずもがなの憶測をしていると、醍醐が堪りかねた様に声を掛ける。平坦で感情の抑制が利いた声だったが、微かに声が上擦っている。
「おっと」
 心なしか意地の悪い表情を浮かべつつ、京一は小蒔から離れる。
「ぷはァーぁぁぁぁぁ、ありがと醍醐くん・・・京一ィ、ボクのコト殺す気?」
 憮然として、睨み付ける小蒔に、京一は又顔を赤くする。
「なにいってんだッ、お前が先に・・・」
 京一がまくし立てようとした瞬間、小蒔は又胸一杯に空気を吸い込み始めた。
「わァぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!チョット待てッ・・・わかったッ、おごるッ、おごらせていただきますッ」
 犬神に見つかりたくないのは本音らしく、京一はあっさりと前言を撤回し、小蒔をふし拝む。
「やったーッ、じゃ、早くいこッ!」
 京一の犬神ビビリが本気なら、小蒔の食い気も大本気らしい。
(本当にHappyな顔をしているな・・・)
 ただメシが嬉しいのか、ラーメン食べに行くのが嬉しいのやら・・・まぁ、おそらくは両方だろう。
「やれやれ、タチの悪い女だぜ・・・(醍醐、お前も半分出せよ)」
「(はははッ、わかってるって)」
 京一は溜息をつき、醍醐に小さい声で囁いた。それに頷く醍醐の顔はいつもの顔に戻っている。
「(じゃ、俺も出せば三等分だな・・・)」
 折角聞こえたので、京太郎も参加しておいた。ま、何しろ“共犯”だし、友情の為のささやかな投資といった所か。


「・・・でさァ、すげェうめーんだよ、あそこの味噌ラーメンはさ」
「チャイニーズヌードルは食ったことあるけど・・・それとは違うのか・・・」
「そうだな・・・俺は、チャイニーズヌードルがどんなものかは分からんが、多分似たような感じだろう」
「・・・あッ、そうそう、さっき帰りがけにアン子から聞いたんだけど・・・知ってる、旧校舎の噂」
 ラーメン談義に熱中しながら路地を歩いている時、ふと、思い出したように小蒔が口を開いた。
「旧校舎の噂・・・あの、アホなカップルがいちゃついてて、事故にあったってやつか」
「確か、HRで話題になってたな・・・木造の校舎が残ってるとはfantasticだが・・・古くなっててdangerlousだと」
 京一の言葉に京太郎は主観的感想を付け加える。
「ブー、はずれ・・・まァ、それも少しはあるけどね・・・旧校舎にでる幽霊の話だよ」
「ゆッ、幽霊!?」
 二人の言葉を速攻で却下した小蒔の言葉を聞いた瞬間、傍目に見て分かる程醍醐の体が硬直した。その様を見て、京一は意味ありげな笑いを京太郎に向けてくる。
「そォ、なんでも夜になると赤い光が見えるとか・・・人影が窓越しに見えたとか・・・目撃した人の話を集めればキリがないよ」
「・・・・・・」
 心無しか早足になった醍醐に気づかず、喋り続ける小蒔。
「今時幽霊ねぇ・・・」
 逃げる様に先頭を歩き続ける醍醐の背中に、にんまりと笑ってから、京一は懐疑的な口調で呟いた。
「まァ、前までは・・・その程度だったらしいんだけど・・・ここ最近はそれだけじゃないみたいなんだ」
「へぇ、それじゃ、かわいいオネーチャンの幽霊でも出るってのかよッ」
 京一がふざけて口にした台詞に、小蒔は一瞬言葉に詰まる。
「・・・あったりぃー・・・何だ、京一知ってたの」
「んなワケあるか・・・」
「lieから出たtruthって奴だな・・・どんなghostなんだ?」
 話の腰を折られてつまらなそうな顔をする小蒔に京太郎は話の先をせがむ。
「うん・・・その幽霊、メイドさんなんだって」
「Maid?Schoolに、何故?」
「アホ、んな、こたぁどーでもいいッ、で、その幽霊カワイイのか?」
 不思議がる京太郎を押しのけ、京一が身を乗り出す。
「うッ、うん・・・見た人によると、すっごく可愛かったってさ、見られてるのに気が付くと、悲しそうな顔で消えちゃうんだって」
「うおお、そんなカワイイ幽霊なら、見てみたいねェ・・・なぁ、東!」
「はっきりと見えるghostとはFantasticだ・・・興味深い」
 京一とは観点が多少ずれているような気もするが、京太郎は彼に同意する。そんなはっきりと見える幽霊ならば、確かに見てみたい。
「二人とも、物好きだねぇ・・・まだ、話には続きがあるんだけどさ・・・」
「京太郎、ここが俺達の行きつけの店だぞ」
 小蒔が口を開いた時、突然醍醐が大声を張り上げ、それを遮った。思いがけない醍醐の行動に小蒔は口をつぐみ、驚いた表情で醍醐を見上げる。
「さ、早く中に入ろう」
 小蒔の不思議そうな顔を極力見ないようにしながら、大きな体を屈め、醍醐はそそくさと暖簾をくぐる。
「さて、腹が減ったな、東、俺達もとっとと入ろうぜ」
 京一の言葉は、武士の情け、だったのかも知れない。
 “王華”の周囲のテナントに埋もれる様に立つ外観は、他の数ある店と大差なく思える。カウンター10席に、テーブル3つ、といった所か・・・
「おっさん〜、またきたぜ」
「おう、らっしゃい」
 京一の後に続いて店内に入ると、京太郎の推測は大体間違っていない事が分かった。
 しかし、狭い店特有の閉塞感は無く、隠れ家的な安心感が感じられる。雰囲気の良い店だった。
「俺、味噌ラーメンね」
「ボク、塩バター」
「俺は、カルビラーメン大盛りを」
 流石行きつけらしく、みんなが次々と注文する中、京太郎は立てられたメニューを手元に寄せて睨み付ける。
 日本に来てから、幾つか料理店には入ったが、スシ、テンプラ・・・後は洋風ファーストフード/ファミレスがいい所だ。
 ラーメン屋に入ったのはこれが初めてであった。
「東クンは何にする?」
 隣に座った小蒔に聞かれても、どんなものが出てくるのか分からないので、少し困る。
 ちなみに席順は、店の奥から、醍醐、小蒔、京太郎、京一の順である。
「そうだな・・・チャーシューメンにしよう・・・チャーシューメンplease」
 チャーシューが豚肉という憶えがあったので、京太郎は取り敢えずそれに決定した。
「お、お前もチャーシューか、俺も肉を食わんと力が出なくてな、東、ここのチャーシューは食いでがあるぞ」
「やはり、レスラーの食事に肉は欠かせないか、俺もよく肉は食べるな・・・」
「そうだろう、肉を食うと闘争本能が刺激されるというしな、“強くなりたかったら肉を食え”、という言葉もプロレス界ではあったらしい」
「Hum〜、しかし、それじゃ貧乏人はレスラーになれないな・・・stakeは食えないし」
「まぁ、俗信、言い伝えの様なものさ、大体、今じゃ、スタミナの補充には炭水化物が大事だっていう研究結果もあるらしいからな」
「That’s right、ステイツの選手はバナナとかパスタを試合前によく食べるぜ」
「味噌おまちッ」
 “食事とスタミナの関係”について京太郎と醍醐が盛り上がっている間に、ラーメンが出てきた。
「おッ、相変わらずはえーぜ」
 嬉しそうに京一は箸をつけて啜り込んでから、ふと、人の悪い笑みを浮かべる。
「そうだ、小蒔、さっきの話の続きって何だったんだ」
『ゴフッ』
「うわッ、醍醐クン大丈夫?」
 醍醐が派手に吹き出し、スープが飛び散った。小蒔は素早く椅子を蹴倒して逃げた為、無事で、京太郎も咄嗟に鞄を盾にスープを防いで無事である。
「いや、ちょっとスープが気管に入っただけだ・・・何でもない」
「そ」
 椅子を立てて座り直した小蒔は、一応醍醐を心配してから、京太郎と京一の方に向き直る。
 その背後には急に身を屈めてチャーシューメンを一心に啜りだす醍醐の姿があった。
「えーとね、“事故”にあったカップルも、その噂を聞きつけて、面白半分で旧校舎に入ったらしいんだけど・・・」
「へェ、でもあそこには確か、柵があって、そう簡単にゃあ、ひゃいれにゃいようにひゃるるってん・・・だろ?」
「きったないなぁ、口にものを入れたまましゃべんないでよ・・・抜け道があるんだって」
 中々噛みごたえのあるチャーシューを咀嚼しながら聞いていた京太郎は、抜け道と聞いて、ダウンタウンのフェンスに開けられた穴を連想する。
「抜け道・・・どこにでもあるもんだな・・・」
「うん、うちの部の娘達と、アン子も同じ事言ってたんだけど・・・そうそう、アン子ったら幽霊をスクープすんだって、すんごい張り切ってた・・・大丈夫かなぁ」
「幽霊をかよ・・・アイツ、雑誌かテレビにでも応募する気か?」
「ううん、そんな可愛い幽霊ならビジュアル的にイケるから、写真に撮って、ストーリー付で売りさばくんだって」
「ストーリーってナンだよ・・・」
 京一は呆れた様子で首を振る。
「確か・・・真神の教師と道ならぬ恋の末、彼に殺される初代理事長の家に仕えるメイドとか、真神に通う恋人と待ち合わせの最中に、乱暴されて、ここの敷地に埋められた、メイドの霊とか・・・」
「・・・なんて不謹慎な・・・」
 呟く醍醐が持っているドンブリの中では波乗りできそうな程スープが揺れている。
「馬鹿かアイツは・・・」
「全部、最近取材した噂話らしいよ・・・少し脚色して、悲しい恋物語にすれば、女の子にも受ける夏向きの商品になるかも・・・だってさ」
 流石に小蒔も呆れ気味のご様子である。
「Greatな商人魂だな・・・」
 真面目に感心しているのは京太郎位か・・・
「ま、まぁ、幽霊の正体みたり、枯れ尾花、っていうだろう・・・」
「・・・?醍醐クン、顔色悪いよ」
「そッ、そうか?」
 上擦った声で話を切り上げようとする醍醐に小蒔が注意を向けた時、王華の戸が乱暴に開かれ、噂の元凶、アン子が、髪を振り乱して駆け込んできた。
「ハァ、ハァ、ハァ・・・み、水・・・」
「アン子!どうしたの?」
「噂をすればだぜ・・・うお、何しやがる」
 カウンターにしがみついて息を整えていたアン子は、顔を上げた目の前にあった京一のコップをひったくると、中の水を一息で飲み干した。
「俺の水ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅッ」
「水一杯で騒ぐなッ」
 水(しかも飲みかけ)にマジ叫びする京一を醍醐は窘める。
「hey」
 京太郎が殆ど残っていた自分の水を差し出すと、アン子はそれも一気に飲み干した。
「・・・ありがと・・・、そう、大変なのッ、み、美里ちゃんを探してッ!!」
「えッ?葵がどうかしたのッ、アン子ッ!」
 ただごとでない調子のアン子の口から出た親友の名前に、小蒔が慌てて席を立つ。
「落ち着けッ、桜井、遠野ッ、美里がどうしたんだッ!」
「落ち着いて、何処で、どうなったのかを話してくれ」
 醍醐の大喝に身をすくませたアン子を椅子に座らせ、京太郎は抑えた調子で声をかける。
「この前の事件のせいで、旧校舎は完全に立入禁止になっちゃったんだけど、あたし・・・どうしても、旧校舎の取材がしたくて・・・それで、美里ちゃんに頼んで職員室で鍵の場所教えてもらったの・・・それだけで済ますつもりだったんだけど、旧校舎に行くのが誤魔化しきれなくて・・・美里ちゃん、“止められないなら自分も行く”っていうから、旧校舎まで一緒に行ったの・・・」
「えェーっ・・・葵ぃ・・・無茶だよ」
「美里のやつ、ああ見えて、結構行動力があるからな・・・」
 親友の無謀な行為を聞き、小蒔は頭を抱え、京一は溜息をついた。
「それからどうなったんだ?」
 内心小蒔と京一の意見に同意しながらも、京太郎は先を促す。
「・・・うん、校舎の中で取材してたら、急に赤い光が追いかけて来て・・・あたし、美里ちゃんと一緒に逃げたんだけど・・・気がついたらはぐれて・・・お願いッ、美里ちゃん探してッ!!」
 アン子は手近に居た京太郎の手を握りしめる。
「あなた達しか居ないのよ、頼りになるの・・・」
 最初に会った時の、気の強そうな印象からすると意外な程の取り乱し様だったが、それだけアン子にとって葵は大事な友人で、責任を感じているのだろう。
「あのなァ・・・俺たちゃ普通の高校生・・・」
「OK、行こう」
「は?」
 京一の呆れた様な台詞を途中で遮り、京太郎は立ち上がった。
「なるほど、事情は判った、このまま見過ごすわけにもいかんだろ・・・」
「当たり前だろッ、葵を見捨てられるワケないじゃないかッ、京一のドアホッ!!」
 ダブルで見下ろされ、京一はバツ悪い表情になる。
「みんなッ、学校に戻るぞッ」
「さっすが、やっぱり頼りになるわッ」
 アン子の目に見る見るうちに喜色が浮かぶ、先刻までの気弱な表情とはエライ違いである。
「しゃーねェ」
 京一はスープの残りを急いで飲み干すと、財布をとりだした。小蒔は既に自分の分をカウンターにおいている。
「早く行こうよッ」
「だめだッ、桜井、お前は家に帰れ」
 勢い込む小蒔を、醍醐は厳しい目でねめつけた。真神の総番殿はフェミニストらしい。
「イ・ヤ・だ・よ」
 しかし、小蒔も負けてはいない、自分の親友の危機を黙って見ていられる様な性格では無いのだ。両手を越しにあてて、下からおもっいっきりガンをつけ返す。
「もし、追い返すなら黙ってついていくまでさッ!」
 堂々と宣言する小蒔相手に、困った表情を浮かべて硬直した醍醐の肩を、京太郎がぽんと叩く。
「男女差別は良くないって事だ・・・とにかく、速くしよう」
「・・・仕方がないな・・・遠野ッ、案内してくれッ!!」
 醍醐は京太郎の言葉に、少しだけホッとした様に呟くと、アン子に声を張り上げた。
「うん、分かったわ」
 もう息が整ってきたアン子は頷いて店の外に出、走り始めた。


「うわァー、なんかスゴイなァ」
 小蒔は感覚的な感想を漏らした。
「うむ、かろうじて、建っているとかんじだな」
 醍醐も何か旧校舎の雰囲気には感じるものがあるらしい。
「そーね、なんてったって、戦火をくぐり抜けてきた建物だからね・・・確か、建てられたのは、第二次世界大戦の頃だから・・・ざっと、60年近く経つわ」
「Great!WWUの時から建ってるのか・・・」
 歴史を知ってから眺めると、黄昏の中に佇む旧校舎は、更に重い雰囲気をたたえている様に見えた。
「と、そんな事より、こっちよ・・・」
 アン子について行くと、柵の端が巧みに雑草でカヴァーされており、そこに隠された板を京太郎がどけると、しゃがんだ人間がどうにか通り抜けられるだけの穴があった。
「こんなトコロに穴がねェ・・・せんせーもわかんねェハズだぜ・・・」
「京一、感心してないでさっさと入ってよ」
「なにィ、俺が最初かァ」
 アン子に急かされ、いやいや京一がくぐり、その後にみんな続く。
 雑草が生え放題になった敷地を通って年代物のドアを開け、昇降口から校舎の中に入る。長い間放りっぱなしにされた木造校舎内の空気は殆ど入れ替わらないらしく、かび臭さと埃で、呼吸がひどく苦しい。
「ゲホゲホッ・・・ひどい臭いだね・・・」
「小蒔、男なんだからそれぐらい我慢しろッ・・・それにしてもよ、そいつぁ大げさなんじゃねぇか小蒔さん・・・」
 京一に指摘され、小蒔は手にした和弓に目をやった。既に弦は張られており、矢筒は即席に予備の靴紐を用いて腰に結わえられている。
「だって、アン子は変なのに追いかけられたっていうし・・・大体、京一だって木刀出してるじゃないのさッ」
「コイツは、俺の腕の一部だからなッ」
 小蒔をちゃかす京一の声に幾分、緊張が混じっているのは、彼も多少旧校舎の雰囲気に呑まれかけているのか・・・。
 じゃれる二人をさておき、京太郎は床を調べる。ぶ厚い埃に包まれた床は、ごく最近のものらしき、侵入者の足跡で滅茶苦茶に踏み荒らされていた。
「これでは、Footprintを追跡するのは無理だな・・・」
 それにしてもお客さんの多い立入禁止地帯である。
(Keep off zoneに入り込みたくなるのは万国共通の様だな・・・)
 京太郎はひとりごちた。もっともアメリカでそんな真似をすれば多くの場合、“射殺”が待っている。
「・・・?」
 不意に先刻の職員室と同様の違和感を感じた京太郎は立ち上がり、周囲を見回した。
「気をつけて、何が出てくるかわからないからね」
 京太郎のそんな様子に気が付いたアン子が不安げに声をかけてくる。
「らしくなく乙女ぶるなッて、男が四人も居るんだ、別に恐いこたァねーさッ」
 やけに優しげな京一の台詞に、横で聞いていた小蒔が妙な顔つきになり、少し考えた後、見る見るうちに顔に朱をのぼらせる。
「京一ッ!!男は全部で三人だろッ」
 早速乗ってきた小蒔に、京一ににやりと笑う。
「だって、お前、付いてるじゃねェかッ」
「何がだよッ!!」
 ひらひらと手を振って大笑する京一に、小蒔は噛みついた。
「ナニがだよーん」
「なんだとぉぉぉぉぉーッ!!」
「なッ!?」
 京一のとんでもない暴言に、小蒔だけではなく、醍醐まで呆気にとられた顔になる。
 素直にキレた小蒔はともかく、醍醐は無言で鞄から革製の脛当てを取り出すと装着し始めた。全身から青白い殺気が立ち上っている。
「まッ、待て醍醐ッ、お前何のつもりだッ」
 流石に焦る京一。普段大人しい人間程、切れた時が恐いと言うが・・・
「ちょっとみんな聞いて・・・」
 こんな所にまできて行われていたいつものコントを、いつになくの真剣なアン子の声が遮った。
 皆が動きを止めて視線を送る中、アン子は一つ息をつき、口を開いた。
「この前、病院に担ぎ込まれたカップルだけど、実は“事故”じゃなかったみたいなのよ・・・全身が、小さくて鋭い“何か”の噛み傷だらけでひどい出血だったらしいわ・・・」
「“何か”に襲われたわけだな・・・」
「ええ・・・そして、その“何か”はまだこの旧校舎に居る・・・」
 静まり返る一同を、アン子は決まり悪げに見回した。こんな自体を引き起こす元凶を作った自分を、普段なら一番に非難している京一まで黙っているのが、非常に気まずい。
「OK、それでは、余計に早く行かないとな」
 不意に立ち上がった京太郎の言葉が、沈み込んだ空気を一閃した。自ら旧校舎の中に歩み出す京太郎の背中を呆気にとられて見ていた四人は、次の瞬間慌ててその後を追いかける。
「へッ・・・」
「ふッ・・・」
 京一と醍醐は顔を見合わせて微笑する。
「アン子・・・早く葵を見つけなきゃね」
「うん」
 アン子は小蒔に頷くと、救われた気分で京太郎を追いかける。
「ありがとう、きょ・・・」
 アン子の感謝の声は、途中で途切れた。
(笑ってる・・・)
 先頭に立って歩く京太郎の顔には、心の底から楽しそうな表情が浮かんでいたのだ。余りにも場違いな表情に、アン子は背筋が寒くなる感覚を覚えて歩みを緩める。
「どうしたの?」
「ううん、何でもない・・・」
 小蒔が訝しげな顔を向けてくるのに首を振って、アン子は歩き出す。折角意気の上がっているみんなにこんな事は言える訳も無い。
「そうだ、ミサちゃんから聞いた話なんだけどね」
「うっ、裏密からッ」
 気分転換にアン子が持ち出した話題に、それまで不敵な表情を浮かべていた醍醐の顔が、面白い様に歪んだ。
「そう、この校舎の話なんだけど・・・元々は陸軍の訓練学校なんだって」
「・・・ふむ、確かに裏密なら、旧校舎の事を色々と知っていても不思議じゃないな」
 どうやら取り敢えず幽霊の話では無い事分かって、醍醐は多少、落ち着いたらしい。
「へー、元はそうだったんだァ」
「・・・そういえば、俺も爺さんから聞いた事がある・・・何でも、軍の実験用の地下施設があったとか・・・」
「そう、そうなのよ・・・でも意外ね、醍醐君がそんな事知ってるなんて・・・もしかして、おじいさん関係者だったの?」
「ああ、死んだじいさんは元軍人でな、その爺さんに親父もよく話を聞かされてたらしくて、両方から、この学校話はよく聞かされた・・・この校舎の地下へ行ける梯子が一階の奥にあるそうだ」
「へー、面白そうだなッ・・・美里を見つけたら、後で行ってみようぜッ」
「もー、京一は緊張感がないなァ」
 大声で宣言した京一は小蒔に睨み付けられ、頭を掻く。
「はははッ、まぁ、行った所で梯子ももう無いさ・・・随分昔の話だからな・・・」
「そうよね〜、でも、学校の地下に広がる謎の洞窟なんて、ロマンがあるじゃない・・・」
 地下にあるのは、軍の実験施設だった筈だが・・・
「おい、東、今度、誰か誘って行ってみようぜッ」
「exploration、探検は確かに楽しいな」
 性懲りもなく、囁いてくる京一に、京太郎は頷く。
「楽しみだぜ・・・意外と、お宝が眠ってるかも、しれねーしなッ」
「だと、いいな」
「なーに、ボソボソ話してんだよッ」
 二人の間にずい、と入ってきた小蒔に、京一はそっぽを向いた。
「いんや、別に・・・それにしても、美里の奴、何処にいったんだろうな」
 わざとらしく周囲を確認したりしてみせる。
「うむ・・・早く探し出さないといかんな・・・しかし、此処も広いからな・・・」
 由緒正しい真神学園は、新宿などとやたら地価の高い所に建っているくせにやたらと敷地が広いのだ。
 それにあわせてか、随分と旧校舎も広い。広さ的に言えば、900人程度までの生徒を収容できると言われている現校舎と遜色が無いのだ。
 ちなみに現在の生徒数は558名といった所で、随分と余裕のある構成だ。
「てきとうにさがしてたら、時間がかかっちゃうよ・・・」
「・・・取り敢えず、このfloorではぐれたのは間違いないんだろう」
 小蒔の不安気な声を聞いて、京太郎はアン子に確認する。
「うん・・・そうなんだけど・・・その後、美里ちゃんがどう逃げたのかかは分からないし・・・」
「だがよォ、東、一階に限定するにしても、範囲は広いぜ・・・手分けするか?」
「いや、何が出るか分からない状態で更に少人数に分かれるのは危険だろう」
 京一の提案は醍醐に却下される。確かに、この状況で寡兵を割くのは、下策だろう。
「取り敢えず、はぐれたplaceから始めてみよう」
「そうね・・・確か、この先に更衣室と保健室があって、その先で赤い光が・・・」
 アン子の指さした方に目を向けた京一は、暗くなってきた中で目をすがめる。薄暗い廊下は、窓から入る黄昏の光だけでは、とても奥を見通す事が出来ない。表の世界も、そろそろ、黄昏から宵闇へ、支配権が移ろうとする時間帯になってきていた。
「ちッ、懐中電灯くらい、用意すれば良かったぜ・・・」
「さっきは用意したんだけど、逃げる時に落としちゃったから・・・」
 京一の毒づきに、アン子も同意する。
「仕方ない、一旦出て、職員室から取ってこよう」
「そうだね」
 醍醐の意見に小蒔は頷いた。光源無くしては、完全に暗くなってしまった中で、葵を探すのは不可能だ。
「あ、桜井ちゃん、それは駄目よ」
「何で?」
「さっき、ここに来る時、美里ちゃんとあたしで、全部持ち出しちゃったから、今は一つも無いのよ・・・」
「えーッ」
 呆れ返る小蒔。しかし、葵まで一緒になってそんな真似をしていたとは・・・京太郎は懐中電灯を沢山抱えた生徒会長のお茶目な姿を想像しながら鞄を探る。
 割と親しめそうな気がした。
「どーすんだよッ・・・兎に角、暗くなる前に出来るだけ探すしかないな・・・仕方ねェ、醍醐、お前と小蒔、俺と東アン子の二手に分かれようぜッ」
「うむ、仕方ないな・・・」
「Wait、Lightならあるぞ」
 不承不承、醍醐が頷いた時、白光が薄闇を薙いだ。眩しさに目を細めた四人は、京太郎の手に握られた小型のマグライトに目をとめる。
「おッ、東ナイスだぜッ・・・でもよ、もっと早く出してくれよなァ・・・」
「sorry、but気になる事があってね・・・」
 旧校舎に入って最初に感じた違和感が、ずっと、消えないのだ。
「何か居るのか、東?」
「・・・maybe・・・多分・・・」
 京太郎の言葉に、醍醐は周囲を警戒に入る。だが、周囲には動くものは見あたらない。「こっちは大丈夫だと思う・・・何となくだけど」
「そうか・・・良く分からんが・・・そう言えば、さっきから何となく寒くはないか?」
 歯切れの悪い京太郎の言葉に当惑しながらも、醍醐は何故か唇を噛みしめている。
「醍醐クン、顔色蒼いよ・・・もしかして熱があるんじゃないの?」
「タイショーがそうそう風邪ひくわきャ無いだろ・・・まァ、いいや、とにかく美里を捜そうぜ」
 気遣わしげな小蒔の言葉を笑い飛ばす京一に促され、京太郎はようやく腰を上げる。違和感はまだ消えていなかったのだが・・・
『ピシッ』
「OK・・・んっ!?」
「え?」
 廊下に響く渇いた音に引っ張られる様に、京太郎は廊下の奥にライトを向けた。すると、光輪に照らされ、小柄な人影が照らし出される。
「ああーッ!」
「め、メイドッ」
 京一と小蒔がほぼ同時に叫びを上げ、アン子がカメラを構える。
「?」
 光輪に照らされた少女は、京太郎達に対して右横を向いており、横顔しか確認出来ず、光源も不足している為に顔の細かい造作もよく分からなかった。だが、その輪郭ははっきりとしており、光源の反射を起こしている為、確かな実在感を感じさせた。
 要するに、幽霊には見えなかった。
 只、こんな時間の学校、しかも厳重に閉鎖された建物に、メイドの格好をした女の子が居るのは余りにも異様だった。
「まさか、本当にでやがるとはな・・・東ッ、俺達で幽霊の正体を確かめてやろうぜッ!」
「ちょっと、京一、木刀なんか構えて何する気だよッ・・・そんなので殴ったら大怪我するだろッ」
 やけに嬉しそうに木刀を構えた京一を、慌てて小蒔が止めに入る。
「おいおい、何いってんだよッ、相手はユーレイなんだぜッ」
「でも・・・そうは見えないよ」
「そ、そうだなッ・・・何処から紛れ込んだかは知らないが・・・うちの生徒じゃ無さそうだ」
「そうねぇ・・・精々中学生くらいよね・・・」
 やや震え気味の醍醐の言葉に、アン子も同意する。
 確かに、そこに佇んでいる少女は、余りにもリアル過ぎる存在感があり、希薄な存在である筈の幽霊とは何か違う雰囲気をもっていた。
「じゃあ、どーすんだよッ」
「そんな事、ボクに言われても・・・」
 京一に怒鳴られ、小蒔は返答に窮する。いくら幽霊等には見えないとはいっても、得体の知れない相手には違いない。
「うわッ、こっち向いたよッ」
「へェ、確かに可愛いな・・・こーなると、もっと近くで見たいねェ・・・ま、俺の守備範囲じゃねぇがなッ」
 見ようによっては切なげに見える少女の表情を見て、京一が脳天気な台詞を吐いていると、少女の右手が、すうっと、掲げられ、奥の方を指さした。
「奥に何があるのか・・・Hum・・・息はしてないみたいだな」
「え、それホント?」
 騒ぎを余所に、少女を注視していた京太郎がふと呟いた言葉に、アン子はシャッターを切るの手を止める。
「息継ぎしてるにしては、胸と肩の動きが不自然だし、口廻りの埃が動いてない」
 淡々と説明する京太郎に舌を巻きつつも、正直アン子は少しヒいた。
「凄いわね・・・でも何でそこまで気づく訳?」
「ケンカをやりまくってると人の呼吸には敏感になるだけだ・・・蓬莱寺、俺は左から行くから、右は任せた・・・ladyの扱いはsoftになッ」
 最後まで言うが早いか、京太郎は走り出す。
「よっしゃ、まかせろッ」
「待ってよッ」
 京太郎にワンテンポ遅れて走り出した京一よりも、更にもうワンテンポ遅れて小蒔とアン子が走り出す。
「おッ、まっ、待ってくれ・・・」
 その後をすっかり出遅れた醍醐が追いかける。体のキレが悪いのはどうしょうも無いらしい。
 突然、もの凄い勢いで迫ってきた一団に、少女は明らかに慌てた表情になり、たたたッと足音をたてて逃げ始めた。
「やっぱ、幽霊じゃねェみたいだなッ」
「とにかく、捕まえて話を聞いてみよう・・・美里さんの事を知ってるかも知れない」
 逃げる少女より明らかに京一と京太郎の方が足は速かった。少女が立っていた角を曲がり、次のT字路になった通路を少女が左に曲がるのを見た時にはもう、10mも距離は無く、曲がった先の通路から何か柔らかいものが床に叩き付けられる音が聞こえた時には、間違いなく捕らえられる確信がわいた。
 しかし、勢い込んだ、二人が角を曲がると・・・
「・・・おい東・・・何でいねーんだ・・・」
「気配が消えたな・・・」
 京一と、京太郎が一言交わした瞬間、フラッシュが焚かれた。アン子が角を曲がった瞬間にシャッターを切ったらしい。
「眩しいじゃねーかよッ」
「あれ・・・あの子は?」
 すかさず噛みつく京一を無視して、アン子はきょろきょろする。
「消えちゃったの?」
 またまたしゃがみ込んで床を調べていた京太郎の肩越しに、小蒔が覗き込む。
「・・・ここに派手に転んだ跡がある・・・確かに実体があるんだ・・・あのgirlはghostなんかじゃない・・・」
「ホントね・・・でも、この辺りに咄嗟に隠れられる所なんて無いわよ・・・」
 小蒔とは反対側から覗き込んだアン子は無造作にシャッターを切り、転倒した痕跡の残る床面を写真に収める。
 周囲を見回せば、そこは左側に特別教室が並んだ通路で、突き当たりは行き止まりになっている。左側は表に面した窓になっているが、窓枠は錆び付いているし、硝子の破れている窓もない。
「むッ、奥の教室があいているようだぞッ」
「あそこに隠れたのかしら・・・」
「でもよー、ここからだと、10メートル以上はあるぜ・・・東と俺が走り込んだタイミングじゃ、そんなヒマはなかったはずだぜ・・・」
 気味悪そうに呟く京一に京太郎は首肯する。アン子は腕を組んで首を捻り、醍醐はまた一段と顔色を蒼くして周囲を見回し始める。
「もうッ、とにかく行ってみようよ、葵も探さなきゃいけないんだしさッ」
「・・・そうね・・・ライトの電池もいつまでも持たないだろうし・・・」
 初期の目的を大分忘れている一行だったが、苛ついた口調の小蒔に急かされ、ぞろぞろと奥の“生物室”の看板のついた教室に入っていく。
 他の場所と同じく、長い間使われた様子の無い教室は、壁の棚に幾つか瓶詰め標本が残っており、水の出ない流しに厚く溜まった埃もやけに生々しい。
「誰も居ない・・・かな?」
「うーん、隠れる所が一杯ありそうだし・・・こういう所って、えーと、そこの奥の扉から準備室にも行けるんじゃないのかしら」
「とにかく、早く調べよーぜッ」
 薄暗い部屋を見ながら、相談する三人を余所に、京太郎は又、床を調べていた。
「東、何か見つかったか?」
 京一達の手は足りている様なので、醍醐は京太郎の方に近づき、その手元を覗き込む。
「ああ、この教室には、廊下程には人が入ってない・・・ほら、足跡がこれだけしかない・・・しかも新しいぞ」
「・・・そうか、足跡に埃が積もってないという訳か」
「sure・・・ん?」
 京太郎は机の下からはみ出ていた紙片を見つけ、引っぱり出した。
「何だそれは、お札か・・・」
 御札を指で摘んだまま、京太郎がひっくり返していると、いつの間にか近くに来ていたアン子が横からそれをひったくる。
「これッ、あたしが逃げる時に落とした御札だわッ!」
「なら、この近くに美里さんが居るんじゃないのか」
「きっとそうよッ」
 京太郎の推測にアン子は飛びつく。そうとは言い切れない様な気もするのだが・・・
 京太郎達が机の影にしゃがみ込んでいる間、教室の逆側では、小蒔と京一がきょろきょろしながら歩き回っていた。
「うわッ・・・何ッ、これ、コウモリ・・・かな?」
 小蒔は、窓際の列に移動し、床に気味の悪い死骸が転がっているのを見つけて息を呑む。悲鳴をあげる程にはか弱くはないつもりだが、気色悪いものは気色悪い。
「随分と沢山くたばってやがるな・・・でも、一体何なんだ・・・こんな化け物みたいなコウモリ日本に居たのかよ・・・」
 後じさった小蒔に気がついて近寄ってきた京一は、木刀の先で死骸をつついてみるが、どうやら完全に死んでいるようだ。
「こいつァ、何か棒みたいなもンで叩き落としたんだな・・・」
「京一の木刀みたいなやつでかな・・・」
「ああ、しかも、一撃でぶっ殺してやがる・・・やった奴は大した腕だぜ・・・死んでから腐る程は経ってねェみたいだし・・・美里がやったワケねェから、俺達の他に誰か居たのは確かだな・・・」
 京一に見える範囲だけで、死骸は十匹以上は転がっている。
「もうッ、ワケ分かんなくなってきたね・・・葵、どこに居るんだろう・・・」
 つい先刻まで暮らしていた日常とはあまりにかけ離れた状況だった。窓の外を見れば、多くの時間を過ごした校舎がすぐそばに見える。それなのに、今の“現実”と日常はやけに遠く感じられた。
 京一自身は葵の行方不明という事態が無かったならば、もっとこの状況を楽しんでいただろうし、かわいらしい幽霊や謎の使い手の出現にも心躍っていただろう。
 だから、現在の煮え切らないこの状況が余計に気にくわない。
 何となく声をかけづらくなり、木刀で肩をぽんぽん叩きながら、京一は周囲を見回す。
「準備室の方を見てくるか・・・」
 準備室の前まで来た時、京一は何となく下を向いた。先刻からやたら京太郎が床をみていた為、京一の意識にも、少しだけその行動が焼き付いていたのだ。
「・・・?」
「どーしたの」
「ここの床、見てみろよ・・・このドア開けた跡があるぜ・・・しかも、小さい足跡までついてる・・・」
「きっと葵だよッ、あのヘンなコウモリに追っかけられて、ここに逃げ込んだんだ」
 すぐさまドアに手を伸ばした小蒔の手を京一は横から掴む。
「何?」
「ちょっと待てよッ・・・出るのと、入るのが両方ついてるぜ、この足跡・・・」
「・・・言われてみればそうだね・・・そーだッ」
 小蒔は足を伸ばして、残っていた足跡の隣に、自分の足跡をしるす。
「やっぱり・・・小さ過ぎるよ、葵の靴のサイズはボクとここまで違わない・・・さっきの子かな?」
「幽霊の足跡ってか・・・とにかく、みんなで開けようぜ・・・おいッ、お前ら早く来いよッ」
 京一の声に、まだ他の痕跡を探していた京太郎達が立ち上がって集合してくる。
「どうしたの?」
「この奥に何かあるかもしんねーんだよッ」
「よし、開けよう」
「おうッ、東、開けるぜ・・・」
 京一が古めかしい真鍮の丸ノブにてをかけ、ゆっくりと回し、そっと押し開けた。
 横から京太郎が素早く入り込み、ライトで照らす。
 準備室の中は、当時から置き去りにされているらしい、解剖器具や標本で一杯だった。
「どう、京太郎君・・・」
 狭い準備室にはぎりぎり人が二人並ぶのがやっとなので、アン子は首だけドアから出して、京太郎に訊ねる。
「・・・ん、奥に何かLightが見える・・・fireflyのglowみたいな・・・」
「firefly・・・蛍?」
 京太郎がじりじりと光源に近づくと棚の影から燐光が漏れているのが、分かった。
棚の影を覗き込むと、元は棚にかかっていたと思われる汚らしい布が、何か光るものに掛けられている。
 無造作に布に手を掛け、京太郎は引き剥がした。
「葵ッ!」
 アン子を押しのけて、京太郎の背後に来ていた小蒔が、親友に駆け寄る。
「なんだ、この光は・・・?」
 小蒔が横に避けて開いた京太郎の後ろから覗き込んだ京一にも葵の姿はよく見えた。
 棚と棚の間の狭い空間に半端な横座りの様な体勢で押し込まれている葵は、全身から蒼い燐光を発していた。
「何で、葵が光ってるの・・・」
 後ろの方から背伸びしてそれをみていたアン子は、本能的にカメラにその様子をおさめる。
 京太郎はざっと目を走らせて、美里の肌が露出している部分の外傷と、着衣に損傷部分が無い事を確認する。
「あッ、消えた・・・」
 京太郎が葵の首筋に手を触れると、葵の体から発せられていた燐光はすーっと消えていった。脈を確認すると、そのまま手を鼻下にかざす。
「脈も呼吸もあるし、特に目だった外傷は無いな・・・とにかく、外に運び出そう・・・京一、手を貸してくれ」
「よしッ、わりィな小蒔」
 小蒔と場所を入れ替わった京一と協力して棚の間から葵の体を引っぱり出し、京太郎が脇の下、京一がまとめた両膝を小脇に抱えて準備室から運び出す。
「葵ッ、葵ッ!!」
 そっと床に降ろして、京太郎が背中を支えると、小蒔が葵の耳元で強い調子で呼びかけ出した。
「comaじゃないから、今すぐどうこうっていうのは無いと思う・・・取り敢えず、近くのhospitalに行こう・・・醍醐、悪いけど、美里を担いでくれ」
 不安そうな小蒔に、さも自信ありげな口調で京太郎は説明する。当然色々なケースがある為、楽観は出来ないのだが・・・こんな訳の分からない状況では、落ち着いていて欲しかったのである。
「任せろ」
 京太郎が醍醐の手に葵を渡そうとした時、彼女が小さな呻きをあげて身じろぎした。
「葵ッ!!」
「う・・・ん・・・東・・・くん?」
「葵ッ、大丈夫?どっか痛いトコない?」
「小蒔・・・」
 焦点は結んでいるものの、葵の表情にはぼんやりとしてヴェールがかかっている。どうやら、まだ見当識がちゃんととれていないらしい。
「・・・なんせよ、美里が見つかって良かったな、桜井」
「うん」
 小蒔のホッとした顔を見て、醍醐もあからさまにホッとした顔つきになる。彼にしても、いつまでこんな幽霊校舎を徘徊しなければならないのか、内心戦々恐々だったのだろう。
「美里も見つかった事だし、はやいトコ、この薄気味悪い場所とおさらばしようぜッ」
 京一の台詞に一同が頷いた時、それまで一人離れた場所でもじもじしていたアン子が、葵の側に立ち、みんなを見回した。
「・・・みんな、ありがと・・・美里ちゃん、ごめんね」
「うふふふッ、そんな・・・あやまらないで」
 京太郎の手を借りて立ち上がりながら、葵は微笑む。
「みんな、ありがとう・・・捜しにきてくれて」
「当たり前だよッ、友達だからねッ」
「そうだぞ」
 小蒔の言葉に醍醐も深く頷く。真神の総番は友情に篤い男らしい。正に“漢”という事か。
「へへへッ・・・美里ちゃんが無事で本当に良かった」
「わたし・・・気を失ってたのね・・・」
 葵は額に手を当てる。まだ少しふらふらするらしい。
「うん、そーみたい」
「・・・この部屋に逃げ込んで・・・赤い光が迫ってきて・・・もう逃げられないって思った時、急に甲高い悲鳴みたいな音が聞こえて・・・次の瞬間、突然目の前が真っ白になったわ・・・それから意識が遠くなって・・・多分そこで気絶したんだと思うわ」
「そう、それなんだけどね、美里ちゃんが気を失ってる間にね・・・」
「アン子ッ、その話はまた後だ・・・」
「え?」
 険しい表情で木刀を構える京一に、アン子はぽかんとした表情になる。
「囲まれたらしいな・・・」
 京太郎は呟き、美里を支えていた手を離す。
「どうやら、赤い光の正体が確かめられそうだ・・・遠野ッ、美里を連れて・・・準備室に隠れるんだッ・・・ここは、俺たちに任せろッ・・・桜井、お前も・・・」
「ボクも闘うよッ」
 醍醐の言葉に叩き付ける様な否定が帰ってきた。一瞬、醍醐の顎がカックンと落ちる。
「なッ・・・ふざけるなッ!!俺達に任せて、お前も隠れるんだッ」
「イ・ヤ・だ、だって・・・」
「じゃ、fightすればいい、醍醐、揉めてるヒマはない」
 懐から取り出した手袋を填めていた京太郎が小蒔にマグライトを押しつけて台詞を遮る。
「そうだぜ、タイショー、奴等、もう来るぜッ!!」
「くッ・・・遠野、はやく行けッ!!」
「わかったわ・・・後で、話を聞かせてもらうんだから無理はしないでよねッ」
 アン子は美里の手を引いて今出てきたばかりの準備室に入り、ドアを閉める。
「あァ・・・」
「桜井さん、集団からはぐれた奴を頼む・・・but、狙ってshootできるか?」
「任せて・・・何か今なら出来そうな気がするんだ・・・何となくだけど」
 小蒔は言いながら、腰に結わえた矢筒の矢を確かめる。中に収まっているのは練習用の的矢で、先端には円錐形の平らな金具がついているだけだ。当然、殺傷力等は余りないが、小動物相手には・・・小蒔は生き物を射た事等ないが、十分だと思われる。
「何となくかよ・・・俺達に当てねェでくれよッ」
「いくぞッ」
 準備室のドア前に陣取った小蒔を背後に、京太郎達は互いに技をふるえる距離を取る。
 ばさばさと縦横に飛び回り、時折、頭を狙って襲いかかるコウモリを、京一は木刀で巧みにとらえ、叩き落とす。
「数が多いが、大した事はねぇなッ」
「油断するなッ、この前、大怪我したカップルを襲ったのはきっとこいつらだぞッ」
 醍醐には京一程の技の軽快さは無い為、小型の飛行目標には防戦を強いられている様だった。頭部を堅いブロックで固め、コウモリの攻撃を受けた瞬間に叩き落とす。
 京太郎は、机の上に跳び乗って、コウモリ共を割と地道に叩き落としていたが、瞬間、気を溜め、群がかたまっている所に向けて放出する。
 まとめて5、6匹が吹き飛んで動かなくなった。
「くッ」
 醍醐は舌打ちして、後頭部に食い付いてきたコウモリをむしり取る。何か暖かい液体が流れるのが分かる。
 一匹一匹は割と大した事は無くても、数が多すぎた。いくらブロックしても、隙間から強引に突っ込んでくるのだ。
 他の連中はどうしてるのか、一瞬、攻撃が緩んだ時に、目をやった醍醐は一瞬、目を疑った。
 京太郎は全く防御をしていなかったのだ。
 上半身中にコウモリをくっつけながら、それでも平気で拳を振るっている。
(アイツには痛覚がないのか・・・)
 先刻から腕をコウモリに食い付かれるたびに鋭い痛みと不快な感触が走り、醍醐も怖気をふるっているのだが・・・
 そんな事を一瞬思い浮かべた醍醐の頭上の空気を貫き、コウモリの胴に矢が突き立つ。
「醍醐クン、何ぼけっとしてるのさッ」
「す、スマン・・・」
 醍醐を叱咤しつつも、小蒔は淀みなく次の矢をつがえている。
 陽が落ちかけて、まともな光源といえば近くの机においたマグライト(単三乾電池×2)しか無い、そんな状況だというのに、何故か小蒔には、コウモリの動く軌道、矢を放った後の未来位置までが“視えて”いた。
「よしッ・・・いけるッ」
 放つ矢が面白い様に小目標に的中する、しかもランダムな高速移動をする物体にである。弓道部の部長をしている程なのだ、弓の腕には相応の自信があったが、流石にこんな技は練習した事は無い。
 余りにもスムーズな動きに、気分の高揚と同時に、頭の片隅に畏れが湧く。
「いっくぞォーッ」
「へッ、張り切っちゃって・・・俺も・・・いくぜェッ」
 元気の良い小蒔の気合いを聞いて、京一は笑みを浮かべ、足下から螺旋の剄を導き出す。一瞬、動きを止めた京一にコウモリが殺到してくるが、そんなものは無視してただ螺旋を頂点、木刀に伝える事を意識する。
 一閃の瞬間、京一の木刀から無音の衝撃が迸り、京一に群がっていたコウモリ共が纏めて吹き飛んだ。
「へヘッ、やったぜッ」
 剣掌・発剄、以前からそれなりに修めていた技であったが、これ程までに決まったのは、最後に師匠の前で披露して以来であった。、
「京一ッ、デカイのがくるぞッ」
 思わずガッツポーズを決めた京一が、京太郎の声に振り向くと、他の三倍はあろうかという異常な大きさのコウモリが見えた。
「これでどうだッ!」
 気合い一発、小蒔の矢が飛ぶが、他のコウモリとは違う強靱な表皮に弾き飛ばされた。
「バケモノがッ」
 駆け寄った醍醐の上段突きが、激しい音を立ててヒットし巨大コウモリを弾き飛ばす。しかし巨大コウモリは空中でよろめいただけで、逆に醍醐の腕に牙を突き立て、翼についた鈎爪で滅茶苦茶に掻きむしり返す。
「くッ」
「破ァァァァァァァッ!」
 醍醐に喰らいついたせいで動きを止めた巨大コウモリの脇腹に、京太郎の掌が炸裂した。
 殆どそえた様に見えた掌の部分から凄まじい冷気が広がり、周囲の空気中水分を凍らせ、爆散させる。
「すっごぉい・・・」
 あまりの凄まじさに小蒔は呆然とする。手から冷気を発するなど、常識の範疇では当然、人間業ではあり得ない。
「くっそぉッ」
 動きの鈍った巨大コウモリを地面に叩き付けて止めを刺し、醍醐は膝をつく。
 一番攻撃を受けながら闘っていた醍醐のダメージは相当深いものがあるらしい。
「醍醐君、大丈夫・・・目を瞑って・・・」
「美里・・・」
 いつの間にか、葵が醍醐の横に膝をついていた。扉の隙間から様子を窺っていたのだが、醍醐が膝をついたのを見かねて出てきたのである。
 美里が手をかざした部分で血が止まり、見る見る内に傷が閉じてゆく。
「美里、お前・・・すげェな・・・」
「分からないけど、こうすればいいような気がしたから・・・」
 京一が感嘆の声をあげる。気持ち悪がらずに素直に感心する辺り、“いい”方に根が単純なのだろう。
「すごいわぁ、美里ちゃん・・・他のみんなも・・・」
 残念ながら良い写真は撮れなかったのだが、アン子も一行の勇姿は見ていたのだ。
「アン子ッ、あぶねえッ!!」
 一通り周囲を見回してから、アン子が恐る恐る準備室から出た瞬間、掃除用具ロッカーに隠れていた巨大コウモリが飛びだしてきた。
 激しく開いたロッカーの扉に顔面を強打され、アン子は眼鏡をとばされて尻餅をつく。慌てて、小蒔が矢を射るが、ろくにダメージにならない。
 京一も醍醐も京太郎も同時に走り出していたが、僅かに届かない、少しだけ遠すぎた。多少の距離なら届く、京一の剣掌・発剄も、京太郎の掌底・発剄はアン子も巻き込んでしまう間合いで使えない。
「あ、あああっ」
 四つん這いで逃げるアン子の背に巨大コウモリが襲いかかろうとした瞬間、突然、どこからともなく、“槍”が飛来し、巨大コウモリを串刺しにする。
 勢い余って壁に、だんっ、という鈍い音を立てて突き刺さった“槍”の中程で蠢く巨大コウモリに、先刻と同じ京太郎の技、“雪蓮掌”が炸裂し止めを刺した。
「アン子、大丈夫?」
「う、うん。何とかね・・・」
 腰が抜けた様に座り込んでいるアン子に、小蒔と葵が手を貸して立たせる。
「鼻血出てるよ・・・」
 言われてみれば、独特のきな臭いにおいがアン子の鼻腔を満たしていた。触ってみると、確かにぬるりとした感触がする。ショックが薄れるのに比例して、じんとくる痛みがしてきた。
「ちょっと見せて・・・」
 醍醐の時と同じ様に葵が手をかざすと、爽やかな感覚が鼻を通り抜け、すうっと痛みが抜けてゆく。
「美里ちゃん、ありがとう」
「ううん、でも、こっちは駄目みたいだわ」
 ティッシュで鼻血の痕跡を拭っているアン子に、美里が申し訳なさそうに眼鏡を差し出す。
 眼鏡はレンズに鋭いヒビが入り、フレームもかなり派手に曲がっていた。
「あちゃ〜、これじゃあ、鼻血位出るわよねェ・・・取り敢えず予備があるから大丈夫よ・・・美里ちゃん、ありがと」
「どういたしまして」
 女性陣が和んでいる頃、野郎共は壁に突き刺さった“槍”を囲んでいた。
「・・・これって、モップだよな・・・」
「うむ、それ以外には見えんが」
 巨漢の醍醐が手こずった巨大コウモリをやすやすと壁に縫いつけた“槍”は単なるモップだったのである。
「・・・何かこのモップやけに真新しくねぇか、新品みてェだぞ・・・わざわざこいつを持ち込んだ奴が居るって事か」
「・・・分からん」
 確かに、そのモップは気味の悪い程真新しかった。手作りのにおいがするそれは、たった今、職人の手で作られたばかりだと言っても通用する程の光沢を放っている。
 気味の悪さに見ているだけの醍醐と京一をさておいて、京太郎はモップに手をかけ、思いっきり引っ張った。
 めきめきと壁を破壊しながらモップを抜き取ると、京太郎は足を引っかけて巨大コウモリの死骸を抜き取る。そのまま、近くの流しに落ちていた汚らしい雑巾で血糊を拭い始める京太郎に、京一は嫌そうな顔をする。
「東、もしかして、そいつ持って帰る気じゃねェだろうな・・・」
 それに答えず、京太郎は軽くモップを振った。鋭い風斬り音をたててモップがうなる。
「goodだ」
 嬉しそうな京太郎の顔に、京一と醍醐は顔を見合わせ、首を振った。
「これ、コウモリ、だよね・・・スゴイ牙と爪だけど・・・」
 男性陣の背後で、ぱしゃっとフラッシュが焚かれ、野郎共三人は女性陣の方にぞろぞろと移動して、何をしているのか覗き込むと、眼鏡がへしゃげる程の衝撃の中でもしっかり握っていたカメラを使い、アン子がコウモリの写真を撮っていた。
 コウモリの脇には物差しが置かれ、大きさの対比にされている。
「用意のいい奴だな・・・」
 京一は感心しながらも、何処か呆れた口調で呟く。
「・・・本来、コウモリというのは、多少の差はあっても、昆虫や木の実を食べる生き物よ・・・血を吸うコウモリは世界でも1、2種類程度だって、何かの本で読んだ事があるわ・・・それに、その本に載っていた血を吸うコウモリは、もっと小さかった」
 ふと思いついたにしては美里の情報量は大したものだった。流石読書量の多い優等生である。
「人を襲って食べようとするなんて・・・おかしいよね」
「ああ・・・どうもここは普通じゃない」
 小蒔の呟きに、醍醐も同意する。幽霊の事は一時的に忘れている様だ。いくら物理的に殴れる奴でも、このコウモリはかなり気色悪い。
「醍醐ッ、ともかく表へ出ようぜ、ここは、チョットふつうじゃねェッ」
 京一も小蒔と醍醐を支持する。まぁ、当然だろう。
「そうね、使えるかどうかはともかく、ネタは色々と仕入れたし・・・」
 アン子も物差しを折り畳んでしまい、立ち上がる。
「行きましょう」
 一行がぞろぞろと教室を後にしようとした時、突然葵が膝をついた。
「葵ッ、大丈夫ッ、やっぱり何処か悪いのッ」
 隣を歩いていた小蒔が支えて声を掛けるが、葵は体を細かく震えさせて頭を下げている。
「熱い・・・、体が・・・」
 心配そうに見守る小蒔の前で、発見した時と同じ様に葵の体が蒼い燐光を放ち始めた。
「またか・・・一体、これはどうしたっていうんだ・・・」
「醍醐ッ、ともかく表に出ようぜッ」
 当惑する醍醐を叱咤し、京一は葵に手を貸して立たせようとする。
「そうだな、美里、歩くのが辛いなら、俺が運ぼう」
 気を取りなおした醍醐が膝をついた時、不意に視界が歪んだ。不意に、脳裏に、
『目醒めよ』
と声が囁く。
「くッ・・・どうやら、おかしいのは美里だけじゃないらしい・・・俺の体も・・・」
「醍醐クンッ!!」
 ふらつく醍醐に手を伸ばそうとした小蒔も不安定に上半身を泳がせた。京一も、膝をつき、木刀で体を支える。
「こいつは・・・」
 自分の体も葵と同様の発光現象を起こしているのを見て、京一はパニックになりそうになる心を抑えつけ、耐えようとする。
「この氣は、いったい・・・」
 その言葉を最後に、醍醐は前のめりに倒れる。
「ボク、もう駄目かも・・・」
 小蒔も葵と折り重なる様にして倒れ込む。
「ちょっとッ、みんなどうしたのよッ・・・京一ッ、東くんッ!」
 アン子の声を遠くに聞きながら、京一は視界を動かした。京太郎も先程拾ったモップを床について体を支えているのが見える。
 ぐにゃり、と歪む視界に閉口しながら、そちらへ行こうとして、次の瞬間、京一は床にくず折れた。
「shit・・・」
 悪態をつきながら、ぎりぎりぎり、と立ち上がって2、3歩歩き、ばったりと倒れる。他の四人と違い、京太郎の体はまばゆい黄金の燐光を発していた。
 アン子が眩しさに目を細めると、京太郎はようようと頭をもたげ、這いずり始めたが、50pも移動しない内に、動かなくなる。
「・・・どうしよう」
 流石にアン子が途方に暮れた声を出した時、風が吹いた。
「?・・・」
 風の中に、やけに甘ったるい香りの感じ、鼻をひくひく動かすと、アン子の意識に急に紗がかかってくる。それだけ眠くなったのは、一日1時間以下の睡眠で一週間頑張ったとき以来だった。
「はやく、戻って・・・原稿、かか・・・ないと・・・」
 カメラを握りしめ、頭をぐいっとあげたのを最後に、アン子の頭が床に・・・落ちなかった。落ちる途中で急に落下速度がやわらぎ、床にそっと降ろされる。


「ちょっと気になったから来てみたけど〜、すごい事になってるわね〜」
 死屍累々となり、静けさの戻った教室に、やけに間延びした声が響いた。人形を抱えた独特のシルエット・・・真神学園オカルト研究会部長、裏密ミサである。
 彼女は手にしていた怪しげな瓶に栓をしてしまい込み、床に転がっている京太郎の手から、一生懸命モップを取り返そうとしているメイド姿の少女に近づいた。
「はい、さいしょに、えーと、あおいさんと、あんこさん、ていうひとたちが、きたんですけど、すごくたくさんのこうもりがでてきて・・・それはなんとかして、あおいさんはあんぜんなところにかくしたんですけど、そのあとに、きょうたろうさんたちがきたら、またたくさんのこうもりがでてきたんです・・・きょうたろうさんたちがおっきなこうもりをたおしたんですけど、そしたらみんな、ぴかってひかって、たおれちゃうし・・・」
「・・・それは、大変だったわね〜・・・ありがとう〜」
「いいえ、ただ、ぐうぜんみかけただけですから」
 人通りの少なく、人目を気にしなくて良い筈、の旧校舎が目の前の少女の恰好の散歩コースになっているのをミサは知っていた。
 別に学校の中などうろつくより、外を歩けば良さそうなものだが、彼女を新宿で一人歩きさせた途端、吸い寄せられるように、ろくでもないちんぴらか、警官のどちらかが寄ってくるのはミサの想像には難くなかった。その為、学校の敷地を出ない様に忠告しておいたのである。
 もう一つ、迷子になりかねない、という理由もある。
「はやく、そとにはこびださないと」
「そうね〜」
「裏密、お前が“ソレ”の飼い主か?」
 さびを含んだ声をかけられ、裏密とメイドは入口を振り返る。
「あら、犬神せんせ〜、こんばんは、月の高い、良い晩ね〜」
 しゅぼっ、と音がして、ライターの炎に、冴えない中年教師の顔が闇に浮かび上がった。
「こんばんはじゃない、学校で得体の知れないモノを飼うな・・・大体、ここは立入禁止だぞ」
「・・・この子の名前はヒロちゃ〜ん、大切な“お客様”よ〜」
「たいぷ286あ〜る、ぱーそなるこーど“ひろ”です、よろしくおねがいします」
 にまぁ、と笑いを浮かべたミサに紹介されたヒロは、ようやく取り返したモップを持ったままぺこりと頭を下げる。
「・・・」
 不機嫌そうな顔つきで愛用の“しんせい”をくゆらしながら、犬神はヒロの上から下まで無遠慮な視線を向ける。
「・・・“ここ”から湧いてでたのでは無さそうだな・・・とにかくこの悪餓鬼共を外に運ぶぞ」


 最後の一人を並べ終えた後、犬神はアン子の手からカメラを取り、中のフィルムを抜いて白衣のポケットに放り込む。
 横にちらりと目を向けると、ヒロとかいう、得体の知れない娘の形をしたモノが、東 京太郎の顔を覗き込んでいる。
 何か気になる事でもあるらしい。
(まぁ、確かに、妙な“氣”を発している奴ではあるがな・・・)
 犬神は指先でしんせいをつまみ消すと、携帯灰皿に放り込む。
「お前等、さっさと帰れよ」
 さっさとその場を立ち去ろうとした犬神は、ふと足を止め、しゃがみ込んでいるヒロに声を掛ける。
「この前の窓の下に、コウモリどもにやられた馬鹿餓鬼2人を転がしたのはお前だな」
「あ、はい・・・なんでわかったですか」
「同じにおいがしたからな・・・この学校にはちょっとした義理があってな・・・一応礼を言う」
「いいえ、みちゃったのに、たすけないなんてことできませんから」
「・・・この中を二度とうろつくんじゃないぞ」
 最後に言い添えて、犬神は背を向けた。早い所柵の破れ目を補修してしまわなければならない。


「ヒロちゃん、東くぅ〜んが気に入ったの?」
 やけに熱心に京太郎の顔を観察しているヒロを不思議に思ったミサは尋ねてみる。
「・・・きょうたろうさん・・・しってます」
「?」
「わたしきょうたろうさんしってるんです・・・えっと、もとのせかいでですけど・・・」
「それは、興味深いわね〜・・・でも、そろそろみんな起きちゃうから、取り敢えずお話は部室の方できくわ〜」
「はい・・・かえりましょう」


 醍醐は突然鼻を殴られて目が醒めた。
「うぉッ」
 片手で鼻を押さえて立ち上がると、夜であるという事意外は、見慣れた校庭の景色がとび込んできた。
「俺達は・・・一体どうしたんだ・・・」
 隣を見ると腕を水平に伸ばした小蒔が眠り込んでいる。彼女の寝返りの裏拳が醍醐の鼻を直撃したらしい。
「取り敢えずは、みんなで出られたらしいな・・・いや、誰かが運び出してくれたのか・・・おい、桜井、起きろ、風邪をひくぞ」
「う、ん・・・醍醐クン、何でボクの家にいるのさ・・・」
 どうやら本気で寝ぼけているらしい小蒔に、醍醐は苦笑する。
「京一みたいな事言ってないでさっさと起きろ、取り敢えず、無事に出られたようだぞ」
 目を擦りながら、体をおこした小蒔は周囲を見回し、醍醐の言葉を理解した。
「あッ、ホントだ、醍醐クンがみんなを運び出してくれたの?」
「いや、違う、と言うより、よく分からん、俺が気づいた時にはみんな並んで眠りこけていたからな・・・」
「ふわ・・・取り敢えず、助かったから良かったじゃねェか」
 京一は思いきり伸びをして体をほぐし、体の隣に愛用の木刀が置いてあるのを見て一安心する。
「葵、アン子、早く起きてよ・・・風邪ひいちゃうよッ」
 小蒔に起こされ、残りの女性陣も目を醒ました様だ。
「・・・みんな・・・ここは?」
「うっ・・・うん」
「旧校舎前の校庭だよ、気が付いたら、ここにいたんだよッ」
 眼鏡がしっかりかかっているのを確認してアン子は周囲を確認する。
 取り合えず全員揃っているような気がしたが・・・
「ちょっと・・・東クンどこ行った訳?」
「本当ね・・・何処に行ってしまったのかしら」
 アン子に指摘され、ようやく一行は京太郎の姿が無い事に気がついた。こういう時はやはり付き合いの差が出るらしい。
「醍醐クン?」
 小蒔は一番に目を醒ましていた醍醐に視線を向けるが、醍醐はあっさり首を振る。
「いや、俺が目を醒ました時にはもう居なかったぞ」
「俺達を運び出してたのは東の奴なのか・・・」
「さぁ・・・東君も最後にはみんなと同じ様に倒れちゃったけど・・・!?・・・ああ〜ッ」
 京一の疑問に生返事していたアン子は、不意にカメラが軽い事に気がついて後ろのパネルを開け、中のフィルムが無い事に気が付いた。
「私達を運び出してくれた人は、旧校舎の中の事を人に知られたくないのかも知れないわね・・・」
「・・・くっそぉ、“まだ一枚も撮ってなかった”のに〜」
 呟きながらもアン子は、カメラを大事そうに鞄にしまう。
「・・・それにしても何だったんだろうね・・・急に目眩がして、気が遠くなって・・・」
「分からん事だらけだな・・・美里、体は何ともないか?」
「ええ、大丈夫よ」
 醍醐の気遣いに葵は笑顔で答える。
「ちッ、いったいぜんたいどーなってやがんだッ」
 木刀を袱紗に戻しながら京一が毒づく。幽霊、化け物コウモリ、地下実験施設、ひどく危険な香りのするおもちゃ箱で遊ぼうとして、逆に遊ばれた。
 何故だか妙に京一の気にさわる。
「コウモリといい、俺達を包んだ蒼い光といい・・・この旧校舎には何があるというんだ・・・」
「ひとまずは、美里さんも無事だったし、全員、一人も欠けずに外に出られた・・・取り敢えずはMissonCompleteだ・・・」
「京太郎クン、どこに行ってたんだよッ」
 突然横から声をかけられ、醍醐の隣にいた小蒔は跳び上がった。
「俺達をここまで運んでくれたのが誰なのか、気になったから、ちょっと捜してただけだ」
「なんか見つかったのかよ?」
 京太郎は両手を軽く広げて肩をすくめる。
「a few、少しだけ・・・何となく分かった様な、分からない様な感じだ」
「何だ、結局わからねぇんじゃねェか」
「まぁね」
 二人のやりとりを、ぐぅ、という元気な音が遮った。
「・・・何か安心したらお腹減っちゃった」
「まったく、おめェは・・・」
「なんだよッ」
 呆れ果てたという表情をした京一に、即座に小蒔は眉をつり上げる。
「はははッ、桜井らしいな・・・じゃあ、何か食ってくとするか」
「そーね、ここまで遅くなったら、後1時間位、変わらないわよ」
 醍醐とアン子の台詞に、京一は口元をにやりとさせて頭を掻いた。
「そうだなッ・・・じゃあ、行くかッ」
「いこー、いこーッ」
「ふふふッ・・・、小蒔ったら・・・東君、私達も早く行きましょう」
「そうだな、あそこのラーメンはgood tasteだった、軽い運動の後には丁度いい・・・」
 葵について真神学園を後にしながらも、京太郎は背後をちらりと振り返り、まだ暗幕の中で灯りが灯っている筈の部屋に目をやった。
「Tomorrowで、いいか・・・」



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