書類の最後の一行を打ちこんで顔を上げた圭子は、ふと窓に目をやり、隣のビルの灯りが又一つ消えるのを見た。
時計を見ると、そろそろ日が変わりかけている。
「・・・」
“未処理”箱に残る書類FAXは、あと十枚前後は有りそうだ。
「清水さん帰っちゃいなよ、残りは俺が片づけておくから」
溜息をついて手を伸ばした圭子に、はす向かいのデスクを占めた冴えない中年男が声を掛ける。同僚の瀬木康之(46、独身)であった。
「でも、悪いですから」
「いや、昨日は帰れなかったんだろ、俺なら歩いて帰れるからさ」
リストラはまぬがれているものの万年平社員で、出世とは縁の無い男。だが、彼は人がいい男でもあった。
「じゃあ、お願いしますね」
口さがない女子社員の中には陰で嘲る者も居る様だが、圭子は、セクハラ等とは無縁で、普段から気弱な笑いを浮かべている彼に悪感情をった事は特に無く、かえって、他の女子社員より彼と交わす会話の方が多い程である。
尤も、圭子自身社では最低限しか口を開かない為、会話の数は多寡が知れているが。
「お疲れ」
「お疲れさまです・・・お先に失礼させていただきます」
有り難く頭を下げ、圭子は職場を後にする。、
バッグを持って早足に社屋を出た圭子は、腕時計を見て、小走りに駅を目指す。
「・・・確か・・・」
ふと、近くの公園が目に入った。小さな児童公園。朝方にはよく通り抜けるが、夜になると電灯一つ無い真っ暗闇になる為、避けているのだが・・・そこを通り抜ければ三分は時間が短縮できる筈だった。
走ったとしても、最終電車に間に合うのかは微妙な時間である。ほんの少しだけ迷ってから、彼女は公園に足を踏み入れた。
児童公園には四本の桜が植えられており、いずれも満開だった。柔らかい風が吹いている為、少しずつ花びらが吹ぶき、余裕があれば、見取れる風情だったかも知れない。
しかし、今の圭子にはそんな余裕は無かった。ただひたすら小走りに公園を横切ってゆく。
「・・・え」
公園の中央を越えた辺りで、圭子は、ふと、明るさを感じて立ち止まる。慌てて周囲を見回すと、桜が燐光を発し、舞い散る花びらが火の粉の様に周囲を照らし出し始めた。
異様な艶やかさを感じさせるその雰囲気に、痺れた様に立ちつくしていた彼女は、背後でじゃりっ、と土を踏む音をきき我に返った。
「ヴヴヴ・・・ぉぉぉ」
「あ・・・」
圭子が急いで振り返ると、桜の樹に何か長い物を持った男が寄りかかっていた。スーツを着ている所をみるとサラリーマンらしかったが、ただでさえ気味の悪い場所で、得体の知れない男の存在は圭子に強い恐怖感を呼び起こした。
そっと、後じさった圭子に気が付いたのか、男がぞろりと顔を上げる。
血の気の失せた顔に、血走った目だけが大きく見開かれたその顔は、とても正気の人間の形相では無い。
「きッ・・・きゃああァァァ・・・ッ!!」
男の手が刀を引き寄せるそぶりで、圭子は我に返り、絶叫を上げて走り出した。
「ヴゥ゛ゥ゛・・・」
すぐ背後から聞こえる、ザッザッザッという足音と、低い呻き、息づかいが、男の追跡を告げていた。圭子は半ばパニック状態に陥りながらも公園の出口を目指す。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
しかし、何時まで走っても出口に届かない。近づいては遠ざかる出口に、それでも圭子は必死に走り続ける。
『何故』
酸素不足の頭に、そんな単語がくるくるまわる。
「ふじゅッ」
「ああっ!」
急に背中を氷で撫でられ、圭子は前のめりに倒れ込んだ。激しく右手を打ち付けてしまったが、鈍い感覚が伝わって来るだけで、痛みなどまるで無い。
意志とは裏腹に弛緩しようとする体に逆らって顔を起こした圭子は、立ちはだかる男が振り上げる刀が血で汚れているのを見て、初めて、斬られた事を自覚した。
(うそ、こんな所で・・・すぐそこ駅で、交番だって・・・)
「だ、誰か・・・誰かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ」
空気が裂け、断ち切られた様に悲鳴が止んだ。
紅髪の男は樹によりかかり、円を描いて公園を走り回っている圭子とサラリーマンを無言で見ていた。
「ふ、今時の人間にしてはもっている方か・・・」
男が呟いた瞬間、圭子は倒れ、刀が振り下ろされる。袈裟懸けに上半身を断たれる程の一撃にも関わらず、血は殆ど飛び散らなかった。
二太刀目で絶命した圭子の体に、なおも刀を突き立てるサラリーマンに、紅髪の男は無造作に近づいて行く。
「ううッ・・・」
呻きを上げて見上げるサラリーマンを無視して、その手の刀を見下ろす。怪しく光るその刀身は、人の血を啜ってその禍々しさを増した様に見える。
「・・・数百年の時を越え、今なお、衰える事を知らぬ・・・恐るべき切れ味・・・正に妖刀の名に相応しい」
「う・・・ううッ・・・」
「美しい・・・徳川に仇なす光・・・まずは一人、天海よ・・・常世の淵で、見ているがいい、貴様が護ろうとした、この街が混沌に包まれていく様を、貴様の街は、こやつ等自身の“欲”によって滅ぶのだ」
男は満足げに呟くと、今まで無視していたサラリーマンに目を向ける。
「さあ、もっと殺すがいい・・・殺しに殺し、器に陰の気を満たすのだ・・・」
「ヴッ・・・ヴオオオッ・・・」
公園の空気を振るわせ、絶叫が木霊した。
京太郎が数学の教科書を片づけていると、ゆらり、と巨大な影が近づいてきた。
「やっと、今日の授業も終わったな・・・どうだ、東、もう学校には慣れたか?」
「まぁ・・・な、どうもMathematicsっていうのは苦手だが・・・」
「そうか、俺も数学はそんなに得意な方じゃないな」
苦笑いする京太郎に、醍醐も同意する。まぁ、互いに、余り意外な感想ではない。
「兎に角、高校最後の一年間だ、お互い悔いの無い様に、何事にも精一杯力を入れて過ごしたいものだな」
随分と品性公正な前置きを置いてから、醍醐はふっ、と考え込む様な眼差しを京太郎に向ける。
「実はな・・・この間の旧校舎の件もあるし、お前の事も心配してたのさ・・・美里も、あの時以来変わった様子は見られないし、京一と桜井もいつも通りだしな」
巨体に似合わぬ、繊細な神経と面倒見の良さである。なる程、これなら子分もついて来るだろう。
「所で・・・あの時、どこに行っていたのかそろそろ、教えてくれないか、あれから気になって仕方が無くてな」
「hum・・・そうだな・・・」
京太郎が考え込んだ時、熱い気が近寄ってきた。
「よッ、ご両人、ちょいと相談があるんだけどよ」
「又、ラーメンを食いに行くのか?」
「ちげーよ」
京太郎の台詞に、京一は不敵な笑いで首を振る。
「相談とは何だ、京一、お前がそういう顔をしている時は大抵、ロクでもない事を考えている時だろう」
「ヘッ、いってくれるぜタイショー、俺はただな、そろそろ花見の季節だなァ、っと思った訳よ」
揶揄する様な醍醐の台詞等どこ吹く風、京一はこみ上げる笑いを抑えている様な表情で、京太郎に目をやる。
「舞い散る花びらを見上げながら、東と友情について、熱き語り合いをだな・・・」
「oh、なる程、日本伝統の“花見”、GardenPartyか」
「そうそう、東、パァーッとやろうぜ、日本の桜はきれーだぜッ」
「・・・そのココロは?」
がっし、と京太郎に肩を組んで力説する京一を、微妙な目つきで見やりながら、醍醐がぼそりと呟く。
「旨い酒が呑みてぇなぁ・・・と・・・」
「やはりな・・・いいか、京一、俺達は高校生なんだぞ、行事の清め酒、雛祭りの白酒以外はな・・・」
「いいじゃねぇか・・・ちょっとぐらい」
すかさず説教モードに入ろうとする醍醐を京一は茶化す。この様子だと、京一は割と酒の味を知っているらしい。
「・・・Alcoholは、そんなに好きじゃないな・・・」
京太郎の呟きに、我が意を得たとばかりに醍醐は頷く。
「ほれ見ろ、主賓も嫌だといっているぞ、大体な、酒は、肉体の反射のみならず、精神までを鈍らせる悪魔の液体だ、京一、お前も武道家の端くれなら酒を呑むのが、ある意味毒を飲むのに等しいという事がだな・・・」
「ふふん、生憎と、酒で鈍る程、俺の腕は悪くないんでね」
強い調子で飲酒の害をとく醍醐を鼻で笑い、京一は自信満々に断言する。屁理屈にもならない台詞を堂々と吐くその姿に、流石に醍醐も呆れたらしく、説教を中断する。
「・・・東、お前も何とかいってやれ」
「・・・そうだな・・・蓬莱寺、呑んでる時に、ASSASSINに狙われるとヤバイと思うぞ」
まじめくさった表情で忠告する京太郎に、醍醐は絶句し、京一は笑い転げた。
「ひィーッ・・・ひッ・・・お前おもしれぇ奴だなぁ・・・くッくッくッ最高だぜ、タイミングといい、表情といい、絶妙だぜ」
「・・・東、一応俺は真面目な話をしているのだが・・・」
それぞれの反応を少し困った様な顔で見て、京太郎は頭を掻いた。
「俺は真面目に答えたつもりなんだが・・・実際、俺はいくら呑んでも酔わないから面白くないが・・・ま、蓬莱寺は別にCarを運転する訳じゃないだろうから、適当にやればいいんじゃないか」
「へェ、東は話が分かるねェ・・・てさ、タイショー」
「むむ・・・しかしだなぁ・・・」
勝ち誇る京一に、何となく縮こまる醍醐。
「まったく、もう見ちゃいられないよッ」
京一の背後からひょっこりと小蒔が顔を出した。
「全く、子供なんだからぁ、京一って、本当に欲望のおもむくままだねッ」
「人の事をケダモノみてェに言うんじゃねェよ」
「うふふ、でも、動物はある意味では、人間より余程純粋よ、京一君」
小蒔の隣から、葵が顔を出した。いつもの通り、行動を共にしていた様だ。
「美里まで・・・ひでェなァ」
無敵の生徒会長さまにまで茶化され、京一はちょっとだけ、拗ねた顔になる。
「でも、ボクもお花見行きたいなぁ・・・そうだッ、この際だから、沢山人誘っちゃおうよッ、京太郎クンの歓迎会って事で・・・葵、今日は何か予定ある?」
「いいえ、無いわ・・・良い考えだとは思うけど、もうみんな帰るか、部活に行ってしまったようね」
「悪くねェな・・・みんなで騒ぐのもたまにゃあいいだろ」
主賓を抜きにして、ぽんぽん話が決まっていく。京太郎は醍醐と顔を見合わせ苦笑する。
「ボク楽しみだなぁ・・・中央公園には屋台も出るしねッ・・・やきとり、やきそば、お好み焼き、おでんにたこ焼き・・・ああいう所で食べるのが堪らないんだよねッ」
「おいおい、縁日じゃねぇんだぞ・・・全く、花より団子ってことわざはお前のためにある様なモンだな」
完全に興味が食い気にシフトしている小蒔を、感心した様な表情ながらも、口調事態はいつもの調子で揶揄する。
「べーっ、だッ、花を見ながら、屋台の食べ歩き、これが花見の醍醐味だろ?」
何か微妙に花見のセオリーが間違っている様な気がする。
「それに、綺麗な花を見ながらだと、いくらでも入っちゃうよ、ねッ葵」
「うふふ・・・そうね、中央公園はきっと、夜桜も綺麗でしょうね」
親友のハイテンションを慣れた様子で軽く流す葵。流石である。しかし、まだ時間は4時過ぎ程度だ。彼女は本格的に酔っぱらいが大量生産される時間帯まで、花見シーズン真っ盛りの中央公園に居るつもりなのだろうか・・・
「いい話ねぇ〜、勿論あたしも誘ってくれるのよね?」
「うおッ、アン子ッ、何時の間に・・・」
突然横から出てきたアン子にマジ驚きする京一。修行の足りない奴である。
「そんな事、どうでも良いわよ・・・それより、東君の歓迎会なんでしょ、東君、あたしも参加していいでしょ?」
とても断れる雰囲気ではない。まぁ、元より、京太郎に断る気も無いが。
「勿論、歓迎する、是非参加してくれ」
「そんなに言ってもらえるなんて、何となく嬉しいわね・・・そうだッ、新しいうちの新聞あげちゃう」
「Thankyou」
受け取った新聞に早速目を落としてみると、
『旧校舎の幽霊、その噂を検証!?』
『購買部昼食注文制度導入・・・賛否両論、利用者インタビュー』
等と言ったあおりが並んでいる。
相変わらず、ご丁寧に、下段に、
『ラーメン王華』
『如月骨董品店』
等のスポンサー広告が並んでいるあたり、とても学校新聞とは思えない。
「やれやれ・・・ま、東の歓迎会だから、しゃーねェか」
「ちょっと、随分と嫌がるわねぇ・・・何か特別な理由でもある訳?」
妙に露骨に嫌がっている京一の様子に、アン子は眉をひそめる。
「いや・・・お前がいると、またなんかロクでもない事とか起きそうだなぁ・・・とか思ってよ」
流石に昨日の今日である。先日の事件はそれなりの印象が京一には残っていた様だ。
「あら、失礼しちゃうわね、有能なジャーナリストには、事件の方から寄ってくるものよ、これって重要な才能の一つなんだからね」
腰に手をあてて力説するアン子に醍醐は苦笑する。
「はははッ、ものは言いようだな」
やけに楽しげに笑う真神の総番に、妙な流し目をくれると、アン子は鞄を開けて封筒を取り出した。
「ふ〜ん・・・醍醐くん、これ見てご覧なさいよ」
「ん、何だ・・・!」
差し出された封筒を開け、中から数葉の写真を取り出した醍醐は、次の瞬間硬直し、写真を取り落とした。
「一体何が写ってるの、ボクにも見せてよ」
小蒔は興味津々で、床に散らばった写真を一枚拾い上げる。
「えッ、何コレ?」
「これは・・・あの時の女の子ね・・・でも・・・」
素っ頓狂な声をあげた小蒔の横から写真を覗き込み、葵は眉根を寄せる。京太郎もひょい、と覗き込んでみると・・・
「・・・半透明のMaidの写真か・・・正にGhostPhotographだが・・・」
先日、旧校舎で京太郎達の前に現れた幽霊メイド(?)が半透明で写っていた。しかし、顔は写っていない、というより、尻しか写ってなかった。
いや、より精確にいえば、尻をこちらに向けて、床に四つん這いになっている写真だった。スカートが背中の方にまくれ上がってしまっている為、パンツ大写しのとんでもない写真になっている。
「コレってよォ、まさか・・・」
「ええ、角を曲がり様に撮ったやつよ、まさか本当に撮れてるとはね〜、最初の方に撮った方は全然写ってなかったし、結構以外よね・・・ちょっと、何みんな変な目で見てんのよっ、いくら何でも、あたし、こんな写真新聞には使わないわよッ」
何かもの言いたげな目を向ける小蒔と葵に、アン子は慌てて抗議する。確かにこんな投稿写真みたいな写真を紙面に載せたら、低俗スポーツ新聞並である。
「GiantBatの写真もあるんだな・・・それにしても、あの状況でよくフィルムをすり替えるなんてTrickを思いついたもんだな」
「へっへー、これでも、ジャーナリスト志望ですからねー・・・ま、ホントの所を言うとね、丁度使い切ったフィルムと交換した所だったんだけど・・・ネタを入れたフィルムは念を入れて隠すのは習慣になってるのよ」
ひたすら感心する京太郎に、アン子は得意げに片目をつむってみせる。
盛り上がる一同に気を使っている様にそっと開けられた戸の音に気が付き、京太郎は目を向ける。
ドアを開けて入ってきたのは、飾り気の無いセルフレームの眼鏡をかけた、小柄な女子生徒だった。
(えーと、秋山・・・秋山小春だったか・・・クラス委員長なんだよな・・・?)
「・・・ここのclassの委員長は、美里さん、だったか?」
「いいえ、違うわ、私は生徒会長をしているだけで、3−Aの委員長は秋山さんよ・・・でも、急にどうしたの?」
不意に京太郎の口をついた独り言に、美里が少し怪訝そうな顔をしながらも、丁寧に答えてくれる。
「いや、何でもない・・・」
何か釈然としないものを感じながらも、京太郎はひとまず黙り込む。確かに転校初日には葵がクラス委員長だった様な気がするのだが・・・
入ってきた小春は、仲良さそうに盛り上がっている一同を見て、一瞬、どうしようか迷うそぶりを見せたが、京太郎が自分を見ている事に気が付くとそろそろと近づいて来た。
「あの・・・当直の日誌なんですけど・・・ここの所の名前が抜けてるんで、名前、書いて下さい」
差し出されたページには、確かに、“秋山小春”の名前しかない。
「提出する前に気がついたんで、私が書いちゃおうかと思ったんですけど、東さんの声がそこで聞こえたから・・・」
「OK、Signatureか・・・」
京太郎は懐からペンを取り出すと、“KyotaroAzuma”と署名欄に書き込む。
「はい、確かに・・・これはマリア先生の所に私が持っていきますから、これで本当に日直の仕事は終わりです、じゃ、私は・・・」
「そうだッ、ちょうどイイ所に来たなッ、特別な予定が無いなら、秋山、これからやる花見兼、東の歓迎会につきあわねェか、取り敢えず、捕まるだけの連中を集めようと思ってるんだけどよ」
京一の突然の誘いに、小春は目をぱちくりさせる。同じクラス故、それなりに会話を交わす事はあるものの、京一達とはさして親しい訳ではない。
「えーと、特に予定はありませんけど・・・遅くなるんですか?」
「うーん、特に時間は決めて無いけど、近場の中央公園でやるつもりだし、遅くなるとまずいんなら、適当な所で帰っちゃってもいいんじゃないかな」
小蒔の説明に少し思案してから、小春は京太郎を見る。
「良ければ・・・賑やかなのは楽しい」
「・・・分かりました、参加させて戴きます」
「よしよし、これで、ここに居る全員が参加決定ね・・・そうだ、その日誌届けに行くついでにマリア先生も誘ってみない?」
「いい考えだな遠野、生徒会長、クラス委員長、クラス担任、これだけ揃えば、いくら京一でも、“酒、酒”言えないだろうからな」
アン子の提案に、ニヤニヤしながら醍醐が頷く。確かに中々強力なユニットである。
「しつけーぞ、醍醐ッ、ったく、保護者ヅラ、すんなよな」
「何とでもいうがいい、俺はお前のあきらめの悪さをよーく知っているからな、念には念を入れないとな」
うんざり顔の京一を余所に、醍醐は満足げに頷く。最初とは立場が逆転している。
「下手をするとジュースに混ぜる様な小細工をしかねないからな、お前は」
「かーッ、旨い酒にそんな事しねぇよッ・・・って、そんなイイ酒、高くて買えねぇけどな」
「兎に角、マリア先生をみんなで呼びに行きましょう、此処にいても、もう人は来ないと思うわ」
葵のもっともな意見に一同は頷き、一旦教室を出る事にした。一番ドアに近い所に居た小春が戸を開ける。
「あっ」
小春が戸を開けた瞬間、彼女を押しのけるというより、半ば跳ね飛ばし、オレンジ頭の巨漢が教室に入り込んできた。
小春のすぐ背後に立っていた京太郎は、彼女の体を受け止めると、すかさず相手にガンをくれる。
「・・・Sakumaだったか・・・」
「あんた何時退院した訳?」
態度を有る程度保留している京太郎と違い、アン子の質問は実にずけずけとしている。彼女にとっては仕事、それも優先順位の低い、情報収集なのか。
「まァ、何にせよ良かった」
アン子のデッドボールすれすれの危険球と違い、醍醐の言葉には本心からのいたわりが含まれていた。真神の総番どのにとっては、いきなり、転校生をリンチにかけようとする様な子分でも、それなりに可愛いらしい。
「部の方は、体が慣れるまでは休んでもかまわんぞ、勿論、見学するのもかまわんが、それじゃ、ジッとしてられんだろうからなァ・・・そうだッ、いい機会だから、イメージトレーニングを始めるのも・・・」
嬉し気な微笑を浮かべて、中々、心温まる青春の青写真を語る醍醐とは対照的に、佐久間の顔は、嫌悪感に歪んでゆく。
「俺に近寄るんじゃねェ!」
「佐久間・・・」
醍醐の言葉を激しい調子で遮り、佐久間は床に唾を吐き棄てる。ちなみに、教室は先刻京太郎と小春の手で清掃されており、床は塵一つ落ちていなかった。今度は小春の表情が嫌悪に歪む。
「てめェ、なんだその態度はッ」
とげとげしい態度の佐久間に、声を掛けかねている悪友にの変わりに、京一が声を荒げた。しかし、佐久間はそんな京一等無視して京太郎をねめつける。
「東・・・」
突如として眼戦を始めた男二人に挟まれる形となった小春の体が強張り、気配からそれを察した京太郎は肩に手を掛け、彼女を隣にどける。
「東・・・俺と、もう一度、闘え・・・」
繰り返す佐久間の声には、粘っこく、まとわりつく様な妄執が込められていた。承諾を得るまでは何処までも付きまとって来そうな雰囲気だ。
「佐久間くん・・・」
その異様な雰囲気に、葵は困った様な声をたてた。
「やるのか、やらねェのか、どっちなんだ・・・」
京太郎は佐久間の視線など臆する事無く、真っ向から受けて立ち、笑みすら浮かべている。
「・・・Sorry、みんな、先にMaria先生を誘いに行ってくれ・・・俺も後から行くよ、じゃ、行こうか、Mr」
自分の所に押しつけられた小春を庇いながら、口調だけは軽い京太郎の横顔に目をやった小蒔は、その口元に浮かんだ笑いを見て、手が汗ばむのを感じた。
(東クン・・・ちょっと怖いよ・・・)
「止さないか二人共ッ、私闘なら、俺がゆるさんぞ」
身を縮ませた小蒔の頭上を突風が吹き抜けた。揺るぎない決意を込めて睨み付ける醍醐の視線に、佐久間は何処かうんざりした様子で唾を吐き棄てる。
「そうやって、親分風吹かしてられんのも、今の内だぜ・・・東の次には、醍醐・・・てめェをやってやる・・・いつも、俺の前ばかり、歩きやがって・・・」
「佐久間・・・」
佐久間の視線に絡みつく生の憎悪に、醍醐は思わずたじろぐ、何故ここまで憎まれているのか理解できない・・・それが戸惑いを生んだのだ。
「・・・Greatな自信だな、Mr・・・GangかMafiaか、何を味方につけたかしらねぇが、俺とか、醍醐の首はそんなに安くねぇぞ・・・一度HELLに墜ちてみるか、Sakuma」
既にケンカモードに切り替わっている京太郎の方こそ、今にも佐久間を強制連行しかねない雰囲気だった。
「おいおい、今日はこれから楽し〜い、お花見なんだぜ、好きこのんで男同士で絡みに行くじゃねェよ・・・大体、今の佐久間がお前に勝てる訳ねェだろが、本気で挑戦してェなら、山籠もりでもして出直して来るんだなッ」
今にも何かが弾けそうな雰囲気の佐久間と京太郎の間に、京一は平然と割って入る。火がつくと言うよりは、物が腐れそうな佐久間の視線が向けられるが、そんなものは意に介さず楽しげな笑いを張り付けている。
「けッ」
「・・・」
空気の流れが変わった。
「おいッ、佐久間ッ」
佐久間は醍醐をかえりみることなく、三度唾を吐き棄てて教室を出ていく。嫌な沈黙が教室を支配する。
「ますます、卑屈になってやがんな、佐久間・・・醍醐も東も気にすんなって・・・そもそも、あんな卑屈な奴についてくる子分なんて、そうそういやしねェよ」
「あッ、あァ・・・」
京一の慰めに生返事を返す醍醐。佐久間のやさぐれた様子がかなりこたえているらしい。
「さァて、さっさと花見でも行ってどんちゃん騒ぎしよーぜッ」
京一に肩を叩かれ、ようやく京太郎もケンカモードを解除する。
「OK、俺もBeautifulなサクラが早く見たい」
やたら嬉しそうな京一と笑いを含んだ京太郎の返答にようやく、女性陣は詰めていた息を吐きだした。
廊下に出て、階段に向かってぞろぞろと歩き出す。
「食べ物と飲み物の買い出しはどうしようか、自分で食べる分位ならいいんだけど、屋台だけで揃えたら、結構お金かかるよ」
「そうね・・・確かに、外のお店で買い出しをしてから行った方がいいわね」
小蒔の言葉に葵が頷く。しかし、自分の食べる分とは言っても、小蒔の食べる分とは結構な分量だと思うのだが・・・下手をすれば、醍醐と遜色無く食べそうな感じがする。
「ジュース位なら、うちから少し出せると思います」
「そっか、秋山さんち、酒屋さんだもんね」
「はい・・・何で、知ってるんですか」
即座に納得するアン子に、小春は驚いたような顔をする。
「うちのがっこの主立った生徒のデータは、押さえてあるのよ・・・ま、うちだけじゃ無いけど」
「アン子・・・いくら俺のスリーサイズを聞きたがるオネーチャンが居ても、絶対売るんじゃねぇーぞッ」
「誰がそんなもの売るかっての、そんなもんには商品価値まるで無しよっ!」
楽しい京一とアン子の夫婦漫才を聞きながら階段を二階まで降りた時、ふと、小蒔が立ち止まった。
「あ、そうだ・・・どうせなら、ミサちゃんも誘おうよ、ね」
「そうね、ミサちゃんなら、まだ霊研にいる筈だものね」
小蒔と葵の会話に目に見えて醍醐が縮み上がり、京一も驚愕する。
「なにッ、お前等余計な事言うんじゃねェ・・・なッ、醍醐」
「う・・・うーむ・・・」
困った顔で生返事を返している醍醐を横目にしながら、アン子は少しだけ意地悪な笑顔を浮かべる。
「あら〜、東君の歓迎会なのよ、アンタたちの好き嫌いで、人選して欲しくはないわねッ」
「うッ・・・確かにな・・・」
見る見るうちに醍醐の額に脂汗が浮かんできた。余程の苦手意識があるらしい。
「うん、そうね、東君、ミサちゃんも誘っていいでしょう?」
「勿論だ、あの人が来てくれたらVeryGladだな」
本当に嬉しそうな顔をする京太郎に、ほんの一瞬だけ、葵の笑顔の方が固まった。
「・・・驚いた、東君が、ミサちゃんをお気に入りだったなんて・・・データ、修正しなくちゃ」
呟きながら、アン子は実際にメモを取っている。一体真神学園新聞部はどこまでのデータを溜め込んでいるのやら。
「東・・・お前は間違っているッ」
突然、京一の叫びが二階の廊下を吹き抜けた。
「あいつは悪魔を崇拝しているんだ、魔女なんだぞッ、きっと、夜な夜な他人の墓を暴いて死体を盗んだりしてるんだッ!!」
こっそり頷いている醍醐以外の五人が、木刀を振り立てて叫ぶ京一のカミングアウトに呆気にとられて立ちつくす。
「・・・死体を盗むって・・・あんた、日本は火葬の国よ・・・昔の恐怖少女漫画の読み過ぎじゃないの?」
流石に相方のアン子も呆れた様子だ。
「すまん、あんまり凄いボケだったんで、突っ込めなかった・・・蓬莱寺、一応言っとくけど、本物のWitchは悪魔と契約を結んだり、死体を盗んだりはしないぞ」
「もう、いいよ、京一と醍醐クンが臆病だって事はよくわかったからさッ」
「うッ」
小蒔の一言に、思わず醍醐が胸を押さえる。心なしか目まで潤んでいる様な・・・哀れ。
「・・・俺は別に、そう言う訳では・・・」
小蒔に軽蔑される恐怖が、ミサへの恐怖に打ち勝ったらしい。
「じゃあ、みんなでミサちゃんを呼びに行こッ!」
「う、うむ・・・」
顔中に脂汗を浮かべながらも、小蒔に引っ張られるままにしている。これはこれで、いいコンビだ。
「ちくしょーッ、この裏切り者共ッ、生け贄にされてから後悔してもおせェんだぞッ」
「京一君もそんな事言わないで、みんなで早く行きましょう」
幾分窘める様に京一を諭しながら、葵は京太郎に目をやる。
「そうだそうだ、あのLadyにあんまり失礼な事を言うんじゃない」
大まじめに葵に賛同してみせる京太郎に異様なものを見る視線を京一は浴びせる。
「はァ・・・わかったよ、今日の俺、ツイてねェなァ・・・」
結局、溜息をついて、京一は歩き出した。
霊研の外観は、他の特別教室と変わりない。ただ、暗幕が窓を覆っていて、複雑な図案の紋章がドアに貼ってある程度だ。
「ミーサーちゃーん、いるんでしょー?」
アン子が無造作にドアを開けて中に入っていく。勝手知ったる他人の家といった、気安い雰囲気である。
「お前、慣れ過ぎ・・・もしかして、毎日来てるんじゃねぇだろうな」
「やぁねぇ、週に三日位よ」
「二日にいっぺん以上じゃねぇかよッ」
真神の新聞部とオカルト研は中々緊密な関係にあるようだ。
小蒔と葵はごく普通に、醍醐と小春はおずおずと、それぞれ霊研の門をくぐる。
「オカルト研に来るの、初めてです」
「へー、珍しいね、真神の女子は大体一度は、ここで占って貰った事があるらしいけど・・・秋山さんって、何か占いにポリシーとかあるの?」
「特には、ないですけど・・・えーと、あれ、占ってもらった事・・・あったかな」
「我が城に、又も、マレビト来たれり・・・汝、何を望むや・・・」
小春が考え込んでいると、最初の部屋と、奥の部屋を仕切っている緞帳を開けて、ミサが現れた。制服の上から、美しい光沢を放つ、黒ローブを纏っている。
(高価そうな布を使っているな)
何となく、京太郎はそう思う。
「ギャーッ、で、出たなッ・・・うおッ」
マジ悲鳴をあげる京一をアン子がどつき倒す。
「いちいち、情けない声上げないでよっ、話が進まないじゃないの」
「うふふ〜、みんなお揃いで、ど〜こへお出かけかしら〜」
「うん、これから、東クンの歓迎会を兼ねて、花見に行くんだ、ミサちゃんも一緒にどうかと思ってさ」
ミサはいつもの微笑を浮かべたまま小蒔の言葉を聞くと、何処からともなくタロットカードを取り出して、手近のテーブルで混ぜだした。
「お花見〜、桜〜、紅き王冠〜・・・場所はどこ〜?」
「中央公園よ」
訝しげに答える葵の答えを聞くと、ミサは手早く混ぜたカードを揃え、ある特別な形に並べて行く。
「おいおい、そりゃ何の儀式だ・・・」
「占いだと思いますけど」
京一の呟きに、それまできょろきょろと霊研の中を見回していた小春が答える。彼女にとっては小物だらけの霊研が珍しくて堪らないらしい。
「秋山って、ほんとにここに来たこと無かったんだな、ま、何度来ても俺にゃ、不気味なだけだが・・・」
「そうか、俺はここに居ると落ち着くけどな」
「東、おめーは、人間じゃねェ!」
はた迷惑な会話で外野が盛り上がっている間にも、ミサは次々に並べたカードを開いて行く。
「西の方角ね〜、7に剣の象徴あり〜・・・う〜ん、止めた方がいいかもね〜」
「・・・ミサちゃん、それ、どういう事、何か事件が起こるの?」
ミサの占いにアン子の目が光る。全く、根っからの事件屋である。
「紅き王冠に害なす剣・・・鮮血を求める凶剣の暗示だね〜・・・あっちは方角が悪いわ〜」
「そんなァ・・・折角のお花見なのに〜、屋台めぐりが〜」
占い結果に本気でがっくりする小蒔、ミサの占いの信頼性はかなり深い所まで浸透しているようだ。
「まぁ、信じる信じないはみんなの勝手だけどね〜」
器用に、片手でカードを片づけながら、ミサは京太郎の方を向く。
「東く〜んは、どうかしら〜、私の占い信じてくれる〜?」
「信じる」
きっぱりとした一言に、ミサの微笑が、苦笑に変わる。
「信じてくれるのはうれし〜けど・・・そうね〜、信じるのならば、きっと予言者の加護がある筈〜」
「予言者って・・・お前の事かよ、裏密・・・でもよォ、折角の花見なんだぜ、ここで止めたらつまんねェ」
何か毒気を抜かれた様な調子で呟く京一に、裏密は妖しい微笑を向ける。
「うふふふふ〜、京一く〜んも加護が欲しい〜?」
「いッ、いらねーよッ!!」
「勿体ない、遠慮せず、貰っておけば良いのに・・・」
「東・・・お前、絶対おかしい、おかしすぎるぜッ」
「うふふ〜・・・東く〜んにはもう強〜い加護があるけどね〜・・・」
目を剥く京一に、不思議そうに首をふる京太郎。ミサはそれを心なしか、いつもより楽しげな微笑で見ていた。
「まぁ、この時期中央公園にいるのなんて、酔っぱらい位だろうが・・・まぁ、現実的に言っても、危険とは言えるかもしれんな」
有る程度予測がつくラインの出来事を述べる醍醐。確かに、飛び込みでいって、場所を確保する望み等抱けない程の人出は予測される。
「そうですよね、ちょっと覗きに行く位ならともかく、場所をとるのは難しいですよね・・・」
小春も醍醐に同意する。生家が酒屋だからなのかは分からないが、小春はそういうイベントには幾分敏感な方だ。
「なに、それについちゃ、幾つか俺にアイディアがあるんだけどな」
怪訝な眼差しを向ける小春に、京一は不敵に笑ってみせる。
「場所が無いなら、つくりゃいいのさ・・・」
「あんた、まさか、他人の宴会に乱入とか、いちゃもんつけて、先住民を追い出そうとか、考えてたんじゃないでしょうね」
「うッ・・・くそォ」
適当に濁そうとしていた所をアン子に図星に刺され、京一は悪態をつく。
「あきれた・・・」
「京一くん・・・」
小蒔と葵の非難の十字砲火に、京一は肩をすくめる。
「やれやれ、しょうがない・・・何はともあれ・・・裏密の占いが当たるのは事実だからな・・・幸い、それ程大人数でもないんだ、花見は、適当に廻る程度にしておこう・・・これなら屋台もまわれるだろう、桜井」
「そーだね、醍醐クン、それがいいよ、みんなもそれで良いよねッ」
屋台を回れるとなると、俄然小蒔が嬉しそうな顔になる。
「中央公園は十分に広いから、歩いているだけでも十分に桜を楽しめるわ」
「そうですね」
「hum・・・」
「ちょっと待って」
全員が大体の賛成意見を述べかけた所で、まったをかけたアン子に視線が集中する。
「別に、公園を散歩するのに反対な訳じゃ無いわ、ちょっと思い出した事があるのよ・・・」
アン子が口を開こうとした瞬間、霊研の奥で、何か金属製の物が落ちる音がした。
「おいおい、何の音だよ」
「ちょっと、まって〜」
ミサは緞帳を開けて、中を覗き込む。
「あら〜」
すぐ顔を戻して、ミサは少しだけ困った顔をする。
「アン子ちゃ〜ん、そのお話、奥で聞かせてくれないかしら〜、ミサちゃんのお友達が、準備してくれたみたいだから〜」
「おっ、お友達ッ」
「いい子なんだけど〜、寂しがりやさんで、みんなのお話を聞きたくてしょうがないのよ〜・・・それに、今日は、東く〜んが来てるから、気になってしょうがないのね〜」
ミサが言いながら紐を引くと、するすると緞帳が開き、テーブルと整然と並べられた人数分の椅子が現れた、テーブルの上には、ジュースのペットボトルに人数分のカップと茶菓が並んでいる。
「なんで、そこで東の話になんだよ・・・」
げっそりした京一を余所に、京太郎は部屋の片隅に向かって手を挙げた。
「そうか・・・Hello、これで会うのは二度目か・・・」
「東くん、一体誰に向かって話しているの・・・」
「おっ、おぃ・・・東・・・つまんねェ、冗談止めろよな・・・」
京太郎は周囲を見回し、裏密以外全てから、何とも微妙な目を向けられている事に気がついた。
「俺はJokeなんて言ってないが・・・」
「・・・京太郎クン、それホントなの?」
「ああ、そこの隅に、この前旧校舎で見た女の子が立ってる・・・MaidUniformを着て、金属製のお盆を持ってるな」
おずおずと聞いてきた小蒔に京太郎は頷き、いちいち説明してやる。
「ミサちゃん・・・あれって、マジなの?」
「・・・東く〜んには、本当にお友達が見えるようね〜、やっぱり、何かつながるものがあるのかしら〜」
「・・・東さんて、“霊能者”だったんですか?」
この小春という娘、大人しそうな顔して、中々ぶっ飛んだ質問をしてくれるものだ。
「No、俺はMediumなんかじゃないと・・・思う」
先日の事件以来、それまで以上に、自分の一般性というものに対しては、自信が無くなってきているらしい。
「とにかく、座って〜・・・アン子ちゃ〜んのお話をまずききましょ〜、“お友達”の事はそれから、説明するから〜」
ミサに言われて、一同が、釈然としないながらも席に着くと、いつの間にか、ジュース(ストレートティー)がなみなみと注がれたコップがテーブルに並んでいた。
「いつの間に・・・」
突然起こる怪現象に、怖気を振るう醍醐。この場に、女性陣が居なかったら、恥も外聞もなく、霊研を後にしていたかも知れない。
「さて、一体どんな話なんだ?」
早速紅茶に手をつけ、一息に飲み干す京一。
「えーと、これは、さっきのミサちゃんの占いで、“剣”て聞いて思い出した事なんだけどね・・・この前、国立博物館でやっていた、日本大刀剣展から、ある刀が盗まれているのよ・・・」
「こいつは便利だぜ」・・・うをッ、つめてえッ」
一寸目を離した隙に又紅茶がコップに満たされているのを見て、京一が調子に乗って二杯目を飲み干すと、何処からともなく湧いて出たペットボトルが、京一のズボンに紅茶を撒き散らす。
「あら、大変・・・」
「ほっときなよ葵、京一、うっさいぞ・・・“ある刀”って何なの、アン子」
慌てて何か拭くものを捜す葵を止め、冷たい事を言う小蒔。
「うふふふ〜・・・そは、形有る悪意・・・滅びの意志・・・」
裏密の呟きに、又も何処からとも無く出現した雑巾でズボンを拭いている京一以外の人間の、ごきゅり、と唾を飲み込む音が唱和する。
「・・・今、国立博物館では、全国から古い名刀を集めて、日本大刀剣展っていうのをやってるんだけど、先日、そこに展示してあった刀が一振り、夜の内に忽然と消えてしまったの」
「消えたァ?“盗まれた”の間違いじゃねェのか」
ようやっとズボンを拭き終わり、雑巾を放り出した京一が混ぜっ返す。
「まぁね、未だに犯人は捕まってないらしいけど・・・ここからが、丸秘情報よ・・・その盗まれた状況ってのがね、また、かなり異常なのよ・・・」
京一の混ぜっ返しに眉一つ動かさず、アン子は指を立ててみせる。
「見回りの警備員も気付かず、防犯装置も作動せず・・・ましてや、その刀が入っていたガラスケースも施錠されたまま、一切、外部からの干渉を受けた痕跡は無し、塵一つ・・・いえ、中の空気すら動いて無かったそうよ・・・中に納められていた刀だけが、正に“消滅”してしまったって訳」
「へぇー、ルパン三世もびっくりだね・・・ん、醍醐クン、どうかしたの?」
感心した小蒔が横を向くと、何故か醍醐はきょろきょろと周囲を見回している。
「い、いや・・・それにしても、何とも不思議な話だな・・・それにしても、ここはよく空調が効いているな、寒い位だ」
「オカルト研にはそんなもの無いわ〜」
「そーだよ醍醐クン、それにエアコンが必要な季節はまだ随分と先だよ」
「む・・・気のせいか・・・日陰になっているせいか・・・」
適当な事を言って誤魔化す醍醐に、小蒔は首を傾げ、ミサは面白そうに笑う。
「それにしてもよ、アン子、その刀って、どんなシロモノなんだ、やっぱ盗まれる位だから、ものすげェ銘刀なんだろ」
流石は剣道部の主将らしく、刀には格別な興味が湧くらしい。
「それがね、そうでもないのよ・・・盗まれた刀は室町時代前後の作で、無銘なの・・・」
「他にも沢山高価な刀もあるんですよね・・・何でその刀だけ盗んだのかな・・・」
「何か、盗んだ奴にとって、その刀じゃなきゃ行けねェ、いわれでもあるとしか、考えられねェな」
「確かに・・・あるのよ、云われらしきものがね・・・国立博物館に来る前に、その刀が納められていた場所なんだけど・・・最近、ニュースでやってたでしょ、日光の華厳の滝で、古びた日本刀が発見されたってヤツ」
「確かに、そのニュースなら見たわ・・・滝壺の奥に隠されていた祠の下に埋められていたのよね」
流石優等生、ニュースチェックもしっかりしたものだ。
「消えたKATANAが・・・それって事か」
「そう・・・情報はここまで・・・ここからは、あくまで伝承と補則の域を出ない“お話”レベルの事なんだけど・・・かつて、まだ世が戦国時代だった頃、ある一振りの刀があった、その斬れ味は、朝露を斬るが如く、曇りを知らぬ刀身は、水に濡れている様だったと言うわ・・・正に名刀に相応しい刀、でも、その刀には不吉な噂がつきまとった・・・その刀は、怨念に満ちた妖かしの刀で、人の血を求め、持ち主の精を吸うと言われていたの」
「昔話にたまにある、“妖刀”の類ってヤツか」
「ええ・・・室町時代、伊勢地方で三、四代続いたある刀工が鍛えたその刀は、江戸時代になってから、徳川家に数々の悲惨な死をもたらした」
「何ッ・・・まさか・・・村正とかいわねぇよなそれ」
「あら、剣道部主将ってのは伊達じゃないのね・・・家康の祖父、松平清康はもその刀の持ち主によって殺されたわ、そして、父・広忠もその刀によって傷を負い・・・更に、家康の子・信康が切腹に使ったのも、その刀だったの」
「ふむ、偶然にしては、随分と出来過ぎた話だな」
「ま、ここまで話が古くなると“お話”の部分が多くなるから・・・それに、何らかの意志を持った“人”が関与していないとも言い切れないわ・・・まぁ、兎に角、それ以来、その刀は徳川を祟る妖刀として、その大半が徳川によって処分されたらしいわ・・・やがて、時代は遷り、その芸術性を認められたその刀のうちの一振りが、後世、徳川との協議によって残される事になった・・・でも、残すためには、それなりの条件があったわ、何しろ、徳川を祟る妖刀だものね・・・その刀を残す、いえ封印する場所は、東照宮の膝元・・・つまり、徳川の霊的聖地である日光東照宮の支配の及ぶ、日光の土地が選ばれたってワケ・・・今まで、どこにあるのか判らなかったけど・・・今回、華厳の滝で発見された刀は、その妖刀の可能性が高いって学者先生は、見ているらしいわ・・・」
「・・・しかしよー、村正なんつったら、メジャーもメジャー、とんでもない銘刀だぜ・・・それに、村正は本来は観賞用の刀で、村正銘で作られた殆どの刀は小太刀程度のシロモノ、大刀は偽物が出回るばっかで、存在が確認されているかどうか・・・少なくとも俺はしらねェが・・・大体、本物かどうかなんて、かなり鑑定が効くと思うぜ」
滑らかな口調に、何か意外なものを見る目つきで一同は京一を見る。
「・・・授業に“刀剣知識”のテストとかあったら良かったのにね・・・そうすりゃ体育以外にもあんたの得意科目ができるのに」
「チッ、余計なお世話だぜッ」
本当にしみじみとした口調になったアン子に、京一はぶーたれる。
「ま、実は鑑定事態はまだ、行われる前だったのよ・・・タイミングがね・・・刀が見つかったのは、日本大刀剣展行われる直前で、“村正”説が出たのが、公開が始まってからだったから・・・国立博物館側も“村正・・・か?”っていう看板を期間終了までは外したく無かったらしいのよね」
「ホントに“大人の事情”だね・・・」
「今までの話をまとめると・・・中央公園にその刀が出るかも知れないって事ですか?」
「か、どうかは判らないわ・・・関係あるかどうか判らないけど・・・最近都内の公園で、OLの斬殺死体が発見された事件もあったわね・・・」
「それって・・・あの連続殺人事件の事かしら・・・」
「まだ、犯人捕まってないんだよね・・・」
葵と小蒔が気味悪そうに頷きあう。
「被害者が死亡した後も、何度も刃物を突き立てる残忍な手口だったな・・・」
腕を組んで顎をさすりつつ、いや〜んな事実を付け加える醍醐。オカルト的な事はからきしダメでも、現実的な脅威は強い。
「日本も中々Dangerousだな・・・辻斬りって奴か」
又、京太郎が間違った日本認識を植え付けられている横で、考え込んでいた醍醐は、ふと首を傾げる。
「その刀が何処かに出回ってる事は確かでも、中央公園に出るとは思えんが・・・」
まぁ、もっともな話であった。根拠はミサの占いのみで、しかも、勝手な解釈が入っている。
「そうなったら、面白いかなって・・・ね」
「アン子ちゃん・・・ちょっと不謹慎よ・・・でも、ミサちゃんの占い、気になるわね・・・」
「裏密の占いは確かに良く当たるからな・・・ま、でも、占いなんて当たるも八卦、当たらぬも八卦、葵も気にし過ぎんじゃねェよ」
「そうね〜、実を言うと今回は今ひとつ、占が立てづらかったのよ〜、だから、そんなには気にし過ぎないで〜」
「まッ、一応気を付けましょ」
アン子の言葉に一同が頷く。
「さて、ミサちゃん、“お友達”の事聞かせて頂戴」
アン子は言いつつ、鞄からテープレコーダーを取り出した。やる気満々なその姿を見ながら、ミサは不意に真顔になり、人形を抱きしめる。
「・・・話をする前に、みんなに〜、一つ提案があるんだけど〜・・・中央公園じゃない場所でお花見しない〜?」
ミサの提案に、一瞬、みんなが黙り込む。
「ミサちゃん、近くていい場所知っるの?」
「ええ〜、中央公園程近くもないし〜桜井ちゃ〜んのご希望にはそえないかも知れないけど・・・多分空いてる筈〜」
「この時期はどこも一杯だと思うのだけど・・・」
葵はじっと考え込む。桜が満開の時期、一杯とまではいかずとも、都市圏で良い桜がある所は、それなりの人出が見込まれるはずである。
「・・・いったい、それは何処なんだ、裏密?」
「・・・八王子〜の、ちょっと、意外な所にある穴場よ〜」
「む・・・しかし、少しばかり遠くは無いか?」
醍醐は首を捻った。確かに八王子市は、東京の辺境区、端っこである。
「八王子なんざ、東京の端っこじゃねぇかよ、ど田舎だぜ・・・ッ」
不意に顔を歪ませ、京一は頭を押さえる。
「うおッ、いてェじャねーかッ」
一人で痛がる京一に、京太郎とミサ以外のメンツから、ぎょっとした視線が注がれる。
「京一・・・あんた何一人で騒いでんのよ」
「ちげーよッ、誰かが俺の頭を殴りやがったんだ」
小馬鹿にした様な調子のアン子に、テーブルをブッ叩いて京一はエキサイトする。
「何言ってんのさ、誰も居ないじゃないか・・・」
「“お友達”だよ・・・SteelTtayで京一の頭を叩いたのは・・・八王子を馬鹿にされて悲しかったらしいぞ」
「マジかよォ・・・ひでェなァ」
憮然とした表情で頭をさする京一。全く察知できない攻撃に、内心、不機嫌度数1.5倍でむかつきまくっているようだ。
「仕方ないわよ〜、この娘は八王子の〜妖怪さんなんだから〜」
「妖怪・・・?」
「幽霊じゃなかったんだ・・・」
ミサの台詞に好奇心を刺激されたらしく、小蒔とアン子はじーっと京一の背後を見つめる。当然何も見えない。
「・・・ミサちゃん、そろそろ私達に“お友達”を紹介して欲しいのだけど・・・」
混乱する皆の様子をいつもの微笑で見ているミサに、少し困った様な表情で、葵は頼んだ。
「そうね〜・・・ヒロちゃ〜ん、こっちにおいで〜、」
ミサは、軽くみんなを見回し、小春に軽く目を止めてから、京太郎の方に向かって手招きする。
「この人達は〜大丈夫だから、ね〜・・・出てきていいよ〜」
言葉と同時に、ミサの隣に突然メイドが出現した。二人を除いた一行に、色んな意味で動揺が走る。
「あーッ、あの子だよッ、葵ッ・・・旧校舎のッ」
「駄目よ、小蒔、人を指さすのは失礼よ」
我を忘れた勢いで、小蒔は遠慮なくメイドを指さし、親友に窘められる。しかし、結構場違いな台詞である。
「ひ、人が・・・急に・・・」
ちょっとばかり、刺激が強かったらしく、小春は目を白黒、口をぱくぱくさせて、隣の醍醐を見るが、腕を組んで、どっしりと構える真神の総番殿の落ち着きぶりに。幾分気が落ち着いた。
「う、うむッ」
小春にもう少し余裕があれば、袖を掴んだ醍醐の手に必要以上の力が込められているのに気が付いたかも知れない。
アン子はかちり、とテープレコーダーのスイッチを入れ、利き腕にカメラを取り出している。ちらりとインジケーターに目を走らせ、フィルムの残りを確認するのも忘れない。
「ちッ、可愛い顔して、乱暴な妖怪だぜ・・・」
「しッ、黙って、あんたの声が入るでしょ」
京一の毒づきは、即座に取材モードのアン子に駄目出しをくらう。
「さ〜、自己紹か〜い、して〜」
「はいっ」
両手でお盆を抱えていたメイドは、元気良く一礼する。
「みなさん、こんにちは、たいぷ286あーる、ぱーそなるこーど“ヒロ”です、よろしく・・・えーと・・・あっ、おみしりおきください・・・ヒロってよんでくださいね」