東京魔人学園妖風帖
 
第四話
 
“鴉” Ver.1.01



 闇に包まれる事の無い都会・・・しかし、人の立ち入る事の無いビルの屋上まで来ると、闇を駆逐していた光も、その威勢を弱めてしまう。
 ビル風が吹き上げる屋上から見上げる夜空は仄白く照らされ、藍色にかすんで見える。
 ずっと見上げていると、星を見る所か・・・粒子の粗い幻に吸い込まれてしまいそうだ。
 しかし、そこに立っている男にそんな事は関係なかった。
 男は見上げるのではなく、見下ろしていたからである。
「クックックッ・・・」
 闇に沈んだビルの屋上から見下ろす街は、中途半端に強い光に照らされ、そこにうごめく人間の姿を隠してしまう。
「不浄の光に包まれし街に、滅びを忘れた人間共・・・穢れた街に蠢く人間の欲望は留まる事を知らない」
 男は腕を伸ばし、コートに包まれた前腕部にとまらせた鴉に愛おしげな視線を注ぐ。
「人は・・・淘汰されるべきなのだ、<<力>>ある者によって・・・クックックッ・・・裁きの日はついに訪れた」
 男は、腕に止まらせていた鴉を空に解き放つ。
「さぁ・・・いくがいい、僕の鴉たち」
 男が放った1羽の鴉を呼び水に、背後に溜まっていた鴉が一斉に飛び立っていく。
「奴らに思い知らせてやるんだ・・・」


「お〜い、かえろうぜ」
「ゲーセンよって、かえっか」
「あした一時間目から化学じゃん、やだなぁ」
「アハハッ、あんたキライだもんね」
「買い物してから帰ろうよ」
「じゃーな、東」
「東君、またねー」
「ああ、Seeyou」
 騒がしく騒ぎながら教室を出て行く級友に軽く手を振り、東京太郎は机の中身を鞄に放り込んだ。
 転校してきてからさして経った訳じゃないが、3−Aの生徒達はおおむね気がよく、京太郎にもう気安く声をかけてくれている。
「東さん、さっきマリア先生が捜してましたよ」
 クラス委員長の秋山小春もその一人である。
「Thanks、hum・・・なんだろう」
「用件はわかりませんけど・・・今日は蓬莱寺さん達と一緒じゃないんですね」
「ああ、何かみんな用事があるらしい・・・すぐReturnしてくるらしいが」
「そうなんですか」
「Youはこれから掃除なのか」
 小春は手にT字箒を携えている。
「はい、あ・・・マリア先生の所にいくんなら、みんながここに戻ってきた時に伝えておきますよ」
「OK、じゃPleaseして、いってくる」
「はい、いってらっしゃい」
 ひとまず鞄をおき、京太郎は教室を出た。
「そういえば、最初の日も呼び出されたっけな」
 マリアはしょっちゅう生徒を呼び出すタイプの教師なのだろうかしらん、等と思う。
「いや・・・呼び出されやすいStudentが多いだけか」
 転校してそんなに経っていなくても、3−Aに個性的な生徒が多いのは分かる。
「hum・・・しかし、3−Bにだって、Lady裏密やMiss遠野が居るな」
 全く、個性的な人材に事欠かない学校だ。
 大体、今時、佐久間みたいな古いタイプの不良だって、良い悪いは兎も角、個性的ではある。
「東クン」
 京太郎が振り返ると、マリアが立っていた。
「偉いわね、チャンと来てくれて嬉しいわ」
 この口ぶりだと、マリアの呼び出しをすっぽかす生徒は結構居るらしい。
「他の先生はいないから、その辺りに適当に座って」
「OK」
 京太郎はマリアの右隣のデスクから椅子を引き出して座る。
「フフフッ」
 何を考えているのか・・・マリアは京太郎のそんな挙動を見て含み笑いを漏らす。
「どう、東クン、学校生活は楽しい?」
 微妙な台詞だ・・・口調と聞き様によってはからかわれている様な感じだ。
(まるでオレが学校に通ってなかったのを知っている様な口ぶり・・・だな)
 まぁ、考えすぎである。
「毎日Stimulativeで楽しんでる」
「フフフッ・・・刺激的ね・・・それは、良かったわ」
 京太郎の返答を聞いたマリアは、又含み笑いしながら、ウェーブのかかった金髪をかきあげて、足を組替えた。
 相変わらず無意識な動作が色気過剰な先生である。
「変なコトを訊く様だけど・・・」
「hum・・・」
 マリアは京太郎に何故か妙に色っぽい流し目を送る。
(ここは・・・本当にSchoolなんだろうか・・・)
 京太郎は、一瞬自分が静かなバーにでも居る様な錯覚に襲われてしまった。
「京太郎クン・・・アナタ、年上の女性は好き?」
「A,ha〜?」
 学校の職員室でされるにはあんまりな質問に、思わず京太郎は情けない声を出してしまう。
「キライではないと思います・・・しかし、まだ年上のGirlFriendと過ごした事はないのでよくはわかりませんが」
「・・・そう・・・ゴメンなさいね、ヘンな質問して」
 京太郎の率直な答えに今度はマリアの方が一瞬絶句したが、すぐに気を取り直した様にいつもの微笑を京太郎に向けて首をかしげる。
「ありがとう、もう、帰ってもいいわ」
「どうも・・・SeeyouNext」
 何で呼び出されたのかさっぱり分からないまま、京太郎は席を立った。
 京太郎にしてみれば、こっちの方が首を傾げたい気分である。
「気をつけてね、最近はこの街も物騒だから」
「だから、オレが来たんですよ」
 物騒な事・・・それこそが京太郎の生きる糧であった。


「おッ、帰ってきたぜ、マリアせんせの呼び出しどうだった」
「hu〜m、Mysteryだ・・・ん、Chairperson秋山は帰ったのか」
 先刻のお色気会見の事をなんと言ったものか迷った京太郎は、単に肩を竦めて見せ、教室から小春が居なくなっている事を確認する。
「なんだそりゃ・・・秋山なら先に帰ったぜ・・・まぁいい、俺達も帰ろうぜ、東ッ、ついでにラーメン食ってよッ」
「RAMENか、いいな、あれはDeliciousだ」
 この間みんなで食ったラーメンは確かにうまかった。
 京太郎、小さな感動である。
「だろ、あそこのラーメンは最高だぜ」
 京一にしても、自分が好きなものが誉められるのは嬉しい様である。
 なにせ、京一にしてみれば、主食でもあるのだ。
「俺もすっかり腹が減っちまってよ・・・お、小蒔、お前もラーメンくいに行かねェか?」
「うん、いいよッ」
 何の用事だったのか、教室に駆け込む様にして戻ってきた小蒔は即答を返す。
 相変わらず元気な娘である。
「東くんも一緒にいくんでしょ」
「Sure」
「いいよね?ボクが一緒でも」
「勿論歓迎だ」
「エヘヘッ・・・」
 返答と聞く順番が逆の様な気もするが、小蒔が嬉しそうに笑うのを見ていると、そんな事は些細な事である気もする。
「とりあえず、これで小蒔はきまりだな、あとは美里と醍醐辺りか・・・おーい、美里ッ」
 呟きながら周囲を見回していた京一は、丁度教室の入り口の前を通りかかった葵を見かけて声を張り上げた。
 剣術修行で鍛え上げられた大排気量に支えられた京一の声は廊下まで軽く響いたらしく、通り過ぎていった葵は、すぐに教室の入り口に取って返してくる。
「・・・どうしたの京一くん」
「美里、お前もラーメン喰いにいかねぇか」
「えっ・・・でも、私も一緒でいいの?」
 京一に誘われた筈の葵は、何故か京太郎に向かって不安そうな顔を向けてきた。
「謹んで歓迎させていただく」
「ありがとう東くん、一緒に行きましょう」
 真面目腐った京太郎の言葉を聞くと、葵は本当に嬉しそうな顔で笑う。
 葵の背後で、京一と小蒔が意味ありげな目配せをしてにやついているのが目に入っていたが、まぁ、いいだろう。
「はい、決まりっと・・・さて、そうなると声かけてねぇのは奴だけか」 
「醍醐くんなら、レスリング部を見に行ってる筈だよッ」
 京一の意図を素早く察した小蒔が声を上げる。
「大将も好きだねェ、じゃ、ちょっと迎えに行ってやっか」


「醍醐、はいるぜッ」
 元気よく声をかけてレスリング部のドアを開けると、醍醐は天井からつるされたサンドバッグの調子を見る様に揺らしていた。
「ん、どうしたんだ、みんな揃って」
 レスリング部の部室の中には、醍醐以外には誰も居ない。
「醍醐、一緒にラーメン喰いに行かねェか?」
「そうか、わざわざ呼びに来てくれたのか・・・あァ、俺は別に構わん、丁度原も減ってきた所だし、みんなで行くとしよう」
「よしッ、それじゃァ、妙な邪魔が入らない内に・・・いくぜェ!」
 たかがラーメン屋に寄るだけの事に、気合十分な声を上げる蓬莱寺。
 彼にとっては、ラーメン屋に行く事は宗教儀式に準じる、いやそれ以上に神聖な行為なのかもしれない。
「ちょっおっと待ったーッ!!」
 しかし、蓬莱寺の気合と共に出発した一行の出鼻は、20歩と進まない内にあっさりと挫かれれる羽目になった。
「あ、アン子」
「やべ・・・さっさと行くぜ」
「でも・・・」
「待ちなさいよッ、そこの目立つ五人組ーッ、あんた達よッ!」
 葵が躊躇っている間に、よく通る声がどんどん迫ってくる。
「諦めろ・・・京一」
 この調子で叫びつづけられたのでは、とてもとても、逃げ切れない。
 大昔の刑事ドラマ並の逃走劇を演じる覚悟があれば、又別だが・・・
「GoodAfternoon、Missアン子」
「こんちは・・・みんな、ちょっとでいいからあたしの頼みをきいてみない〜?」
 軽く息を弾ませながらにっこり営業スマイルを浮かべるアン子に、京一、醍醐、小蒔は一様に引きつった笑いを浮かべた。
 葵でさえ、やや眉を曇らせていた・・・が。
「OK、言ってみるといい、出来る事ならHELPしよう」
 あっけらかんと言い放つ馬鹿が居た・・・京太郎である。
 一瞬の内にアン子の営業用スマイルが本物の喜色に摩り替わり、今にも小躍りせんばかりに体を揺らし始めた。
「さすがは東君、頼りになるわァ〜・・・さて、他の人達は・・・?」
「ボク、聞きたくない・・・」
 いつも好奇心旺盛で快活な小蒔からはとても考えられない、消極的な反応だ。
「あッ、何よ桜井ちゃん、その態度はー」
「俺も同感・・・お前の頼みをきくと、絶対にロクなコトにならねェ気がする」
「もォ〜、そんな事言わずに・・・ねッ、頼むわ、ちょっとでいいんだからさ、ねェ、醍醐く〜ん」
「そういわれてもなァ・・・俺たちはこれからラーメン屋へ行く所だし・・・」
 小蒔の台詞の尻馬に乗った京一に、醍醐も同調して口篭もる。
 アン子の“頼み事”は余程嫌われているらしい。
 まぁ、先日、アン子についていった葵がどういう目にあったか思い出せば、確かに、それだけでも敬遠されるのに十分過ぎる理由になるだろう。
「なによッ、あたしの話とラーメンと、どっちが大事だっていうの!?」
「うッ・・・うむ・・・そういわれると困るが・・・」
 もし京一なら、先日の様に、ラーメン、と即答していただろうが・・・いかんせん真神の番長殿は人が良すぎた。
「やめとけやめとけッ・・・こいつの味方しても、何の得もしねェぞ、せいぜいこき使われるのがオチだって、な・・・東ッ」
 京一はアン子の頼み事に余程嫌な思い出でもあるらしい。
「いいじゃないか、話くらいはきいても・・・まぁ、ネズミ講とか宗教勧誘だったら、Nothankyouだが・・・」
「そんな話、絶対にしないわよ」
「なら、いいだろ」
 ただ軽く肩を竦める京太郎に、京一はため息をついて首を振る。
「わかってねェな、東・・・アン子を普通の女だと思ってると酷い目にあうぜ、なにせ、特ダネの為なら何でもやる女だからな」
「ちょっとッ!!勝手な事言わないでよねッ!!」
 いくらなんでも、これはかなりの暴言である。
 間柄によっては普通の失言では済まない侮辱に、アン子が顔を高潮させて激昂するのも無理もない。
「京一、言い過ぎだよッ!」
「・・・アン子ちゃん」
 顔を伏せて肩を震わせているアン子に、葵は心配気に眉を寄せる。
「・・・わかった・・・わかったわよッ!!」
 流石にすこし京一がバツの悪そうな顔になった瞬間、アン子はがばっと顔をあげた。
「遠野・・・俺達はな・・・」
「あたしがみんなまとめてラーメンおごってあげるッ・・・それで問題ないわねッ!!」
「なっ・・・」
 気まずい雰囲気に、フォローに入ろうとしていた醍醐は、アン子の突然の叫びに口を明けたまま固まってしまう。
「・・・お前が人にものをおごるなんて、この世の終わりじゃねェのか」
 京一もどこか呆然とした表情で、台詞のキレも悪いようだ。
「人聞き悪いわね・・・」
 京一達のあまりの動揺ぶりに、アン子は流石に鼻白んだ様子で髪を掻き揚げる。
「でもまァ、それだけみんなの手が借りたいって事よ」
「hum・・・Miss桜井や美里は兎も角、それだけ、俺とか醍醐、蓬莱寺の手が欲しいって事は・・・荒事か」
 京太郎は喜色満面で身を乗り出し、アン子の顔をじっと見詰める。
「ちょっと、東君・・・喧嘩が好きなのは知ってるけど、そんなもの欲しそうな目で人の事じっと見ないでよ・・・」
「Solly、失礼した」
 心なしか顔を紅くしたアン子の前から体を引き、京太郎は礼儀正しく目をそらす。
「ラーメンはタダだし、アン子の話も実はちょっときになるし・・・いっか」
「・・・そうだな、俺も付き合うとしよう・・・遠野が人にものをおごってまで頼み事をするとは、よっぽどの事なんだろうしな」
「・・・そうね、みんなでアン子ちゃんの話を聞きましょう」
「善は急げだ、さあて、タダめしタダめしッ」
「ちょっと、京一ッ・・・ちゃんとあたしの話もききなさいよねッ・・・全く」
「安心しろ、京一が聞いてなくても、俺たちがHearlingしてる」
 うきうきした足取りで教室からでていく京一の背中に叫んでいるアン子の背中に、笑い混じりの京太郎の声がかけられる。
「ええ・・・頼りにしてるわよ、みんな」


「・・・あら?」
 校門をくぐろうとした時、不意に葵が立ち止まった。
「どしたの」
「向こうにいるのって・・・マリア先生じゃないかしら」
 つられて立ち止まった小蒔に、葵は校庭の方を示して見せる。
 マリアは見回りでもしていたのか、旧校舎の方から歩いてくる所だった。
「あッ、ホントだ・・・マリアセンセーッ!!」
 一瞬、校庭中の空気を震わせた程の小蒔の呼びかけに、物思いに耽りながら歩いている風情のマリアは、はっと顔を上げ、京太郎達の方に校庭を横切ってくる。
「・・・みんな、今、帰る所かしら?」
「うん、今からみんなでラーメン食べに行くんです」
 普段どおりに微笑を浮かべるマリアに、小蒔は元気よく本当の事を答える。
「ちょ、ちょっと桜井ちゃん・・・」
「いくらFriendlyでも、Mis.MariaはTeacherだぞ・・・」
 普段黙認してくれているとはいえ、真っ向からそんな事を言った日には、教師の立場としてはどうしたらいいものか、流石に少し困るだろう。
「フフフッ、みんなは育ち盛りなんだから、元気なのが一番だわ」
 心配は杞憂だった様だ・・・しかしマリア先生、ある意味大した自信である。
 自分の生徒の事をちゃんと把握して、信用するべき所は信用できているのだろう、まぁ、単なる自由放任主義と紙一重な訳でもある訳だが・・・。
「さっすがマリア先生、話がわかるぜ」
「そのかわり、余り遅くならないうちに帰りなさいね」
「は〜い」
「先生はまだ学校に居るんですか」
「もう少し、する事が残ってるの・・・」
「校舎の見回りですか」
 醍醐の何気ない質問に、ほんの一瞬だけ、マリアの気が微かに揺らいだ。
 それは動揺した等というレベルではなく、少しだけ、普通より少しだけ強く、旧校舎という言葉に反応しただけの事だったが、それに気づいた京太郎の意識にそれは微かな引っ掛かりをもたらした。
「え、えぇ、そうよ・・・この間、旧校舎で事故があったばかりだし」
 しかし、それは疑いとなるには、まだ軽すぎた・・・
「センセは、いつも大変だなァ」
「フフフッ・・・あァ、そうそう、あなた達、遠野サンもそうだけれど、余りおかしな事件に関わり合いにならないように・・・気をつけてね、東クン」
「ha・・・む、OK、気をつけよう」
 突然指名され、京太郎の考え事はこなごなに吹き飛ばされてしまった。
「そう・・・ならイイのだけれど」
 マリアは心配顔で頬に手を当て、六人を順番に見回す。
「余り、興味本位で行動していると、その内大変な事になるわ・・この間の事もあるし、ワタシはみんなのことが心配なの・・・」
「・・・先生」
「また何か、危険な事が起こりそうで・・・」
「せんせ、花見の時の事なら気にし過ぎだって、幾ら物騒な新宿だって、そうそうあんな事件にゃでくわさねぇ・・・な、アン子」
 いつになく沈んだ調子のマリアに葵が声をかけかねているのを見て、すかさず京一は軽い調子でマリアの言葉を否定し、同時にアン子に目配せする。
「そッ、そうよ、あたしだって、儲けにならない事に首を突っ込む様な真似はしないし」
 結局、花見の時の事件は約束のおかげで、スクープに出来なかった訳だから・・・確かに京太郎達の揉め事に付き合うのは、今の所新聞部の財政を潤しているとは言えない。
 ・・・いや、殆どは、京太郎達がアン子の持ってきた揉め事に付き合っている・・・そっちの見方が正しいのかも。
「それならいいのだけど・・・兎に角、ミンナ気をつけてお帰りなさい」
「先生、心配していただいて、ありがとうございます」
「フフフッ、これでも一応、教師ですからね」
 葵のかしこまった返礼を受けたマリアの愁眉が開き、微笑に変わる。
「さーて、そろそろラーメン喰いに行こうぜ、腹がへってしょうがねぇよ」
「そだね、ボクも、お腹へっちゃった・・・バイバイ、センセー」
 腹をぽんぽんと叩いてにやりと笑う京一に、小蒔も頷き、マリアに手を振った。
「えェ、さようなら」
「・・・・・・結構鋭いわね、マリア先生って」
 むやみに元気な小蒔の様子に微笑しながら去っていくマリアの背中に、アン子が妙に不吉な事を呟く。
「やはりな・・・遠野、お前何か隠しているな」
「まッ、まァいいじゃない」
 我が意を得たりといった顔で睨みつける醍醐に、アン子は一瞬、ハッとした顔つきになるが、すぐにきびすをかえして歩き出す。
「とにかく、ラーメン屋へ行きましょう、ねッ」
「う〜む」


 京一御用達のラーメン屋、王華の狭い店内は既に五分程度埋まっていた。
 まだ食事時にはちと早い時間である。
 常時これだけの客が居るのなら、それなりにはやっている方なのかも知れない。
「そういえば醍醐くん、知ってる?」
「ん、何だ?」
 不意に話を振られて、お冷を口に運んでいた醍醐は手を止める。
「佐久間の奴が、入院したって事・・・」
「何だとッ!」
 乱暴におろされたコップからお冷が撥ね、醍醐のガクランを濡らす。
「どーりで姿が見えねーと思ったぜ・・・しかし、奴の事だぜ、サボリなんじゃねェのか」
「あたしも今日入手したばかりのネタなんだけどね・・・どうも、本当に入院したらしいわ」
「何でまた・・・」
 疑わしそうな京一の混ぜっ返しに、静かに首を振ったアン子の言葉に、醍醐は動揺を隠せない様子でお冷を喉に流し込む。
 まぁ、レスリング部として、自主謹慎を決め込んでいる最中の出来事だ・・・責任者としては、胃の痛い話だろう。
「何でも渋谷にある、えーと、神代高校の連中と、目が合ったとか、合わなかったとかで、喧嘩したって話よ・・・」
「チンピラか、あいつは・・・」
 自分で喧嘩ごとの多い京一も、流石に呆れ顔である。
 まぁ、確かに京一はそんな下らない理由で喧嘩に及ぶ様な事は無いだろう・・・尤も、相手が無理やり喧嘩を売りつけてくるなら別であるが。
「相手は5、6人居たらしいけど・・・結局、佐久間と神代の生徒3人が病院送りになって、職員室でも問題になってるわ」
「最近のあいつは、何かに苛立っているようだった・・・俺が、もっと早く相談に乗っていれば・・・」
「醍醐クン・・・」
 口惜しさに顔をゆがめる醍醐に、小蒔もつられて悲しそうな顔になる。
 しかし、小蒔の口から慰めの言葉は出ない。
 相手を思えばこそ、安易な慰めの言葉を口に出来ない事もある・・・
「hmm・・・あまり気にするな、たぶん、Youが気にしても、奴のイライラは解消されない」
「・・・どういう事だ」
「ステイツにも、佐久間みたいな奴は居た・・・Prideだけ大きい、いや、歪んでる人間は、自分のLongingしてる相手をJealousしたり、Hatredしたりする事がある・・・、自分を諦めきれない人間は特にそうだ」
 相変わらず英単語がちゃんぽんになっている京太郎の台詞に、醍醐は困り顔で葵を見る。
「・・・佐久間にとっちゃ、大将は、手のとどかねぇ高嶺の花って事だろ・・・素直な奴ならそんけーしたり、憧れるだろうけどよ、卑屈なてめェを自覚しちまってる奴にとっちゃ、醍醐の大将みたいなのは、眩しくてしょうがねェ・・・そういう事だろ、東?」
「Yes・・・太陽に触れれば、自分をFoolと思い込んでいる奴は、WaxwarkのWingが溶けちまう」
「だが・・・俺は、佐久間の奴を何とかしてやりたい」
 京一と京太郎の言葉に、醍醐は益々考え込んでしまった様子だった。
 中々難儀な男である・・・いや、悲しい位に根が真面目なのだ。
「hum・・・なら醍醐、Youは佐久間の望む通りのHeelを演じるのか・・・そうしてやれば佐久間のMindはYouを憎む事で安定するだろう」
「いや、俺は・・・」
「東クン、それじゃ、問題の解決にならないよッ!」
 更に面食らった様子で声を小さくした醍醐に代わって、小蒔が声を荒げ、京太郎を睨みつけてくる。
「Yes、その通りだ・・・大体、醍醐のMindHealthにも悪いだろう」
「じゃあ、東クンは何が言いたいのさッ!」
「佐久間の奴が変わるしかねェ・・・そういう事だろ、東?・・・下手な同情は、奴を余計卑屈にするだけだぜ」
 ラーメンを食うのも忘れてくってかかった小蒔に、頭をかきかき言葉を捜している京太郎を見かねたか、京一は自分の見解を助け舟に出してやった。
「結局俺は、佐久間に何もしてやれないのか・・・」
 京一の言葉を聞いて・・・又もべっこりと凹む醍醐・・・全く、扱いにくい男である。
「醍醐君、それは違うわ、見てみぬ振りをするのと、黙って見守るのは全然違うことよ・・・劣等感の事は、佐久間君自身で克服しなければならないのかもしれないけど、佐久間君が助けを求めてきた時に手を差し伸べてあげる事は出来るでしょ」
「そうか・・・そうだな、時には、距離を保つ必要もある・・・それができなかったのは、俺の弱さか・・・・・・ありがとう」
「あの〜・・・青春するのは結構だけど、ここへは、アタシの話を聞きにきてくれたんじゃなかったっけ?」
 醍醐がようやく笑顔を取り戻した所で、今までじっと黙っていたアン子の催促が響く。
 醍醐に佐久間のニュースをサービスしてやったのを、少々後悔しつつ待っていたらしい。
「そうそう・・・ラーメン、ラーメン・・・冷めちまうぜッ」
「違うでしょッ・・・もう、いいわよ、食べながらきいててよね」
 アン子はため息をついてから口を開いた。
「そうだ、Miss.遠野のRepuestは、なんなんだ?」
 ふと、恐ろしい可能性に気づいてしまった様な顔つきで、京一はどんぶりから顔を上げた。
「まさかッ・・・東に新聞部に入れっていうんじゃねェだろうな?」
「あら、それもいいわね」
「なにぃッ、俺の目が黒い内は、そんな真似・・・」
「冗談よ・・・でも、東君が入りたいって言うなら歓迎するけどね・・・どう、東君?」
 どんぶりをカウンターに叩きつけて怪気炎を上げる京一を鼻でいなし、アン子は京太郎に首を振る。 
 昼食のメニューでも訊く様な気軽さである・・・果たして何処まで本気なのやら・・・
「hum・・・それも、楽しそうだな・・・But、俺はSentenceを綴るのは苦手なんだが」
「いいわよッ、それでも!・・・京太郎君に期待してるのはもっと違う事だし、さぁ、東君、やる事はいくらでもあるわよッ」
「・・・おいおい、もう入部した事になってんのかよ」
 京太郎とがっしりと握手して、にんまりと笑っているアン子に、さしもの京一も毒気を抜かれた様に呟くだけだった。
「・・・さて、戦闘員を確保した所で本題に入りましょうか」
 一旦台詞を切り、アン子は聴衆を見回す。
 京太郎、葵、小蒔、醍醐が注目している事を確認し、ひょいと手を伸ばして、どんぶりに顔を埋めている京一の耳を引っ張る。
「い、いてぇッ、きーてる、聴いてるって」
「本当にちゃんと聴いててよね・・・まずは、コレを見て」
「なになに・・・」
 アン子がカウンターに広げた新聞の切抜きを、葵以外の四人が顔を寄せて覗き込む。
 意外と大きい切抜きには、“渋谷住民を脅かす、謎の猟奇殺人事件”というタイトルが踊っている。
「・・・ついに9人目の犠牲者・・・コレって、しばらく前から騒がれてる事件だよね」
「うむ、警察もいまだ犯人像が掴めていないらしいとか、報道されていたな」
 頭のすぐ横で同意を求める小蒔の言葉に、醍醐は真っ直ぐ前を見つめたまま同意する。
 顔が赤いのは、ラーメンの熱のせいばかりではあるまい・・・
「遺体には全身の裂傷と眼球の喪失、内臓破裂がみられ・・・ひでェなこりゃ」
「きょーいち〜、わざわざそんな所読み上げないでよ」
 顔を顰めて言う割には、小蒔の箸は止まらずに動いている様だ。
「あ・・・そういえば、その事件、現場には必ず、鴉の羽が散乱してるんじゃなかったかしら」
「そう、その通りよ美里ちゃん」
「正に、猟奇的な事件だな・・・」
 全く手を止めていない小蒔と京一とは対照的に、葵と醍醐はすっかり箸を置いてしまっている様子だ。
「まさか、この殺人犯を捕まえるのを手伝えっていうの!?」
「う〜ん、近いけどハズレ」
 はっとした様子で一瞬箸を止める小蒔に、アン子は首を振る。
「だって、犯罪者捕まえるのは公僕の仕事でしょ・・・私たちの仕事は、あくまで事件の真相を究明する事よ」
「おいおい・・・そりゃ、どっちだって同じ様なもんじゃねェかッ」
「しかし遠野、これは殺人事件として警察が捜査しているんだぞ・・・我々一般人、しかも、一介の高校生が首を突っ込むべき事ではないと思うんだが・・・」
 流石は醍醐、もっともな正論である。
「相変わらず堅いわねェ、醍醐君は・・・それにね、この事件を安易に猟奇的なんて言葉で片付けて欲しくないわ・・・」
 京太郎は、どんぶりの湯気で曇った眼鏡の向こうで、アン子の目が光るのを、確かに見た。
「みんな、この前の事件を忘れたの?」
 やや声を潜めたアン子の一言に、五人の動きがぴたり、と止まる。
「・・・旧校舎に巣くう化け物、刀を持った殺人鬼・・・そして、別世界から来た妖怪」
「hum・・・このIncidentも、同じなのか?」
「ええ、あたしの勘と下調べが正しければね・・・そんな不可思議な事件を警察だけに任せておけると思う?」
「不可思議ってなァ・・・お前・・・俺達はゴーストハンターでもなんでもねェんだぜ・・・」
「まァ、兎に角あたしの話を最後まで聞きなさいよッ」
 げんなりした顔でスープを啜る京一に肩を竦め、アン子は先を続ける。
「・・・まず、参考までに・・・ちょっと昔、品川の辺りの事件なんだけど・・・巣立ちに失敗して路上に落ちた鴉の雛の近くを主婦が知らずに通り、鴉に襲われている・・・北海道の牧場では、放牧中に出産された子馬が鴉の集団に食い殺されたっていう事件もある」
 アン子も少しは気を使ったのか、単に前置きが長すぎたせいかは分からないが、京太郎達のどんぶりの中身は綺麗になくなっている。
 これから先の話も、あまり食事中に聞きたくない話が続きそうだった・・・
「元々鴉は、猛禽類に劣らない程鋭い嘴と爪を持っているから、肉や皮を切り裂くくらい訳無いわ・・・」
「でも、鴉が人を襲うのは主に雛の養育期の頃で、それも、雛を護ろうとする時位の筈でしょう?」
「流石美里ちゃん、その通りよ・・・普通は・・・大体、複数で襲うにしたって、つがいで襲うのがせいぜいで、群と呼べる程の数で襲うなんて例は少ない」
 何時の間にか、みんな黙り込んでアン子の話に耳を傾けていた。
 中々、先が気になる話である。
「でも、今回の事件では、襲ってる現場こそ目撃されてないけど・・・現場と遺体に残された痕跡に鴉の捕食行動との共通点が多すぎるのよ・・・例えば、死体の眼球が損失している所とかね」
「えーと・・・ボクの聞き間違いじゃなければ・・・カラスが人を襲って食べてるって・・・アン子は言いたい訳?」
「ええ、そうよ」
「でも、そんな事ある訳無いよね・・・ねェ、東クン」
「CrowはCatを襲うからな・・・」
 不吉な予想をあっさりと肯定された小蒔は、救いを求める様に京太郎に視線を送るが・・・京太郎は微妙にずれた事をぶつぶつと呟いている。
「だって、おかしいよッ・・・そんなの、普通じゃないッ・・・あ」
「そう、普通じゃない・・・元々、カラスは人間を上回る雑食性の生き物なのよ、栄養となるものなら、牛の糞から車に轢かれた猫の死体まで、それこそ何でも食料にしてしまうわ」
 猫、のくだりで、京太郎の眉がピクリと反応する。
「あたしの推理が正しければ、連続殺人の実行犯は・・・カラスそのもの」
「それは・・・ちょっと、論理が飛躍し過ぎていないか、遠野」
「犯人が・・・犯行をカラスのせいにしようとしてるとか、そういうのは無いかなァ」
「ちょっと待って・・・実行犯は、って事はアン子ちゃんはカラスの他に“誰か“がこの事件に関わっていると思ってるの?」
 懐疑的な感想を漏らしている醍醐と小蒔を、葵が遮った。
「そう、やっぱり美里ちゃんは鋭いわね・・・今回の事件では、明らかに捕食というよりも殺す事を目的としてる・・・これは明らかに異常だし、逆に、もしも、この事件をおこした主犯がカラス達自身だったとしたらもっと大変な事になるわ」
「大変なコト・・・」
「現在、都心に暮らすカラスはおよそ2万羽・・・このカラス達が、一斉に人間を襲う様になったら・・・どう?」
 どうにもピンとこないらしい小蒔を見据え、アン子は心持ち低い声で指摘する。
「そッ、それは・・・いくらなんでも考え過ぎだよ・・・ね、葵」
「そうね・・・今の段階では、カラスの仕業に見せかけた人間の犯行・・・小蒔の推理も否定できないわ」
 葵は泣きそうな顔で助けを求める親友を元気付ける様に頷き、アン子に目を向ける。
「そう、それよ!・・・現段階では、これ以上情報を絞り込めない・・・これ以上は直接現場に行く必要があるわ」
「つまり、それを確かめるのに俺たちの力が必要って事か」
「そういう事・・・事件が事件だし、女の子一人じゃあ、何かと物騒じゃない?」
 アン子の台詞に、醍醐は苦虫を噛み潰した様な顔で顎をこすっている。
 見るからに、何かいいたげな様子だ。
「・・・だから、一緒に来てくれないかなァ・・・って」
 周囲を見回したアン子は、京一と小蒔が目線を逸らし、葵が困り顔になっているのを見て・・・すかさず京太郎の手を掴んだ。
「お願いッ、渋谷に行くの付き合ってよ!」
「OK・・・いつ行くんだ?」
 即答。
 男らしいというか・・・いや、単なる馬鹿か。
 京太郎を見る京一の視線は、明らかに後者を疑っていた。
「ありがとう・・・東君がそういってくれれば、怖いものなんてないわ」
 五人分のラーメン代、しめて三千円強は、どうやら無駄にならずに済んだらしい。
 アン子、心からの笑顔であった。
「けどよォ、ひとつだけ、ひっかかるんだけどな・・・例えば、この事件が本当にカラスの仕業だったとして、カラスは自分達の意志で人間を襲ってるのか・・・それとも?」
「・・・相変わらず、そういう所には鋭いわねぇ」
「どういう事だ?」
「京一は、カラスのWirepullerが裏に居るんじゃないかと疑っているんだろ」
「Wirepuller・・・操り人形師、黒幕の事ね」
 相変わらずな京太郎の台詞に、すかさず葵が注釈を入れる。
 しかし・・・英語の成績優秀な葵が居ないと、細かい意思疎通に支障をきたしてしまいそうだ。
 困ったものである。
「誰かがカラスを使って、人を襲ってるっていうの?」
「確かに、その可能性もあるわ」
「だろ、俺はどっちかというと、その方が気になるぜ・・・」
「もしかすると・・・その人は、私たちの様な<<力>>を持った人かも知れない・・・」
 葵の言葉に、アン子以外の一同がそれぞれ思案顔で黙り込む。
 京一のひねり出した推理は、否応なしに先日の事件を思い出させる要因となったのだ。
「渋谷はこの新宿と隣り合わせ・・・放っておけば、いつ、他人事でなくなるか分からんのも確かだな」
「そうだね・・・アン子と東クンだけにまかしておけないよねッ」
「そうね・・・」
「そうときまりゃ、早速出かけようぜッ」
「やったァ」
「一寸待ってくれ」
 気合を入れて腰を上げ様とする一行を、醍醐の声が押し留める。
「遠野・・・お前を連れていく訳にはいかん」
「な、なんでよッ!?・・・これはあたしが追ってる事件なのよッ!!」
 アン子は、比喩ではなしに、醍醐の胸倉をねじり上げて顔を付き合わせる。
 確かに、お怒りごもっともであった。
「ま、まァ・・・そう言うな、相手の正体が分からない以上、お前を連れて行くのは危険すぎる・・・本当は美里に桜井にも残って欲しい所なんだが・・・」
「あのねェ・・・醍醐クン、ここまできて、急に仲間ハズレだなんて納得いかないよッ」
 フェミニスト番長、醍醐・・・善意と責任感からその言葉が発せられているのは、一同にも分かっているのだが・・・
「私・・・ずっと考えてるの・・・」
 一瞬訪れた沈黙を、葵がぽつりと漏らした台詞が引き伸ばした。
「私の<<力>>は一体何なのか・・・一体、何のためにあるのか」
 葵は伏せていた目を上げ、小蒔、京一、醍醐、アン子と見回していき、最後に京太郎に目を止める。
「みんなと一緒なら、きっとその答えが見つけられる・・・そんな気がする」
「美里・・・」
「足手まといにならないようにするから・・・だから、お願い・・・私も連れてって・・・東くん」
「MuO・・・俺か」
 突然決定権を振られ、のんびりお冷を飲んでいた京太郎は、慌てて葵に視線を移す。
「俺も気をつけるが・・・ついてくるんなら、Very Carefullyにしてくれ」
「ありがとう、東くん」
「東ッ、俺はな・・・」
「醍醐・・・このBattlefieldには、後方は無い・・・そんな気がするんだ」
「ばとるふぃーるど?・・・お前、たまにとんちんかんな事、いうよなァ」
 葵以外からの唖然とした視線を感じ、京太郎はぽりぽりと頭をかく。
「いや・・・そうだな、実際、Birdが相手になるなら、Miss.桜井には居て貰いたいし、負傷者が出たら、Miss.美里の術に期待したい・・・それにObservationではMiss.遠野に敵う人材は無いだろう?」
「だから、東・・・俺が言っているのはそういう事ではなくてな・・・」
「醍醐、Genderで差別するのは良くないぞ・・・気遣うなら、Sexの方で区別するべきだ」
「あ、東?」
「ジェンダーは社会的な決められた、男女の役割の事・・・“男らしく”とか“女らしく”って言葉に代表され、例をあげれば、男は外で働き、女は家で家事を“しなければならない”・・・そんな感じね、セックスは、身体的な性差の事で・・・一般的に男は腕力が強く、女は腕力が弱い、男は妊娠しないが、女は妊娠する・・・物理的なものをさす、と思っていいわ」
 噛んで含める様に諭す京太郎の言っている事がさっぱり分からない様子の醍醐に、アン子が優しく注釈をつけてやる。
「要するに、男女差別はいけない・・・っていいてェのか・・・」
「そうだ」
「さすが帰国子女ねェ、進んでるわァ」
「単に、節操がねェだけの様な気がしてしょうがねェんだが・・・」
「まァ、いいじゃない!早くいきましょ」
「う〜む」
 何かはぐらかされた様な顔で考え込んでいる醍醐をよそに、アン子は嬉々として財布に手をかけた。


「しかし、遠野」
「ん、何?」
「・・・最初から京一の出した推理をふっておけば、もっと簡単に俺たちを引っ張り出せたんじゃないか?」
 新宿、山ノ手のホームで、醍醐は胸にひっかっていた疑問をアン子にぶつけてみる。
「お前なら、あれ位の仮説、最初から気づいてた筈だろう?」
「そりゃね・・・でも、他にも手段があるのに、てっとりばやいってだけで、友達の弱みをネタにするってのは・・・気分悪いじゃない」
「そうか・・・すまんな」
「別に礼を言われる程の事じゃないわよ・・・大体、醍醐君だけに気を使った訳じゃないんだし」
「いや、そうだからさ」
 葵だけではなく、小蒔もその心中、相当に自分の<<力>>を気にしている。
 醍醐もここしばらく、それをひしひしと感じていたのだ。
「東、何処へ電話してんだ?」
「いや・・・一応、ヒロにTelしてるんだが・・・出ないな」
「この前みてェに、寝てんじゃねぇのか?」
「hum・・・ならいいんだが」
 京太郎の脳裏に、膝を抱えたまま、虚ろな目で床に転がるヒロの姿が浮かぶ・・・妙に侘しさの漂う情景だった。
「アン子ちゃん、最初は何処に行きましょうか?」
「そうね・・・じゃ、まずは代々木公園にいきましょ・・・代々木公園は、都心に暮らすカラスの半数以上が寝床にしてるんだけど、最近になって、更に数が増えたって噂があるの」
「へェ・・・なにか、手がかりがあるかも知れないね」
「あッ、そうそう・・・」
 やってきた外回り電車に乗り込みながら、アン子はふと思いついたように口を開く。
「さっき、ミサちゃんから電話がかかってきて・・・」
「また裏密か・・・カンベン・・・」
 してくれよ、と続けようとした京一は、京太郎に強烈に睨まれて首を竦める。
「最初は何の事だかよく分からなかったんだけど・・・未(ひつじ)の方角に獣と禽(とり)の暗示が出ている・・・って」
「なにそれ・・・」
「未の方角っていうと、南西でしょ・・・つまり、新宿から見て渋谷の方角なのよ」
「獣と禽ねェ・・・裏密なりの警告って事か」
「多分ね・・・でも」
 アン子はやや眉をひそめた。
「あたし、ミサちゃんに今回の事件の事・・・一言も相談してないのよねぇ・・・」
「ぐッ・・・」
 醍醐の手の中で、つり革の輪が鋭い音を立てた。
「あッ・・・醍醐クン、ダメだよ・・・壊しちゃって」
「すッ、すまん・・・」
「醍醐クン?・・・何処か具合でも悪いの?」
 顔色を青くして、脂汗を流している醍醐の様子に、小蒔は不審そうな顔になる。
「い、いや、大丈夫だ」
 まさか本当の理由を言う訳にもいかず、醍醐は黙って耐え続けるのみだ・・・とりあえず、恐怖の実物が近くに居ない事だけを慰めにして・・・
『うふふ〜』
「!?ッ」


「ここも相変わらず、騒がしい街だな・・・」
「若者の街だからな」
「あはは、醍醐クン、その言い方じゃァ、醍醐クンが若者じゃ無いみたいだよッ」
「そうか・・・」
「物騒な事件が続いてる割には、随分と人出が多いのね・・・」
「そうね・・・とりあえず、街には変わった様子は見られないわね・・・表面上は」
 葵の台詞に頷きながら、アン子は周囲を見回す。
 地べたに座り込む若者や、スカウトマン、客引き・・・新宿とは似て異なる雰囲気の人々が雑踏に溢れている。
「とりあえず、YoyogiParkだったな・・・いこう」
「こっちよ」
「おッ、信号が変わっちまう、走ろうぜッ!」
 駆け出す仲間の中で、京太郎はふと、右脇から湧いた気配に身を躱す。
「きゃッ!!」
 綺麗に身を躱した京太郎の足元で、可愛らしい悲鳴が響いた。
「痛たた・・・」
 うずくまって腰に手をあてているのは、柔らかそうな栗色の髪を二房に左右分けした少女だった。
 どこかの制服を着ている様だったが、京太郎には分からない。
(京一なら、何処の制服かJudgmentできるんだろうが・・・)
「Are you OK?」
 しょうもない事を考えつつも、京太郎は少女に手を貸した。
「ごめんなさい、ボーッとしてて・・・あの、お怪我はありませんか?」
 自分の事より先に、反射的に謝ってしまう。
 少女の挙措には何処となく、控えめという以上の何かが漂っており、色白で、儚げな容姿と相まって、独特の雰囲気となっていた。
 葵とは別の意味で、一度見たら忘れられない印象深さだ。
「いや、こちらこそ、Sorryだ、ついいつもの癖で避けちまった・・・Woundは大丈夫か?」
「あ・・・・・・はい、私は大丈夫です」
 流石に返答までは、二呼吸以上の間があった。
「本当にごめんなさい・・・」
 京太郎はうつむく少女の背後にちらりと目をやり、赤に変わった信号の向こうで、小蒔がこちらを指差しながら、葵と京一に何か言っているのを見て頭を掻く。
(後が大変だな・・・)
「ちょっと考え事をしていて・・・ぼんやりしていたわたしがいけなかったんです」
 謝罪の言葉を述べて、顔を上げた少女の顔には微笑みが浮かんでいた。
「でも、良かった・・・あなたに怪我がなくて・・・」
 完璧な微笑みは、彼女の顔を魅力的に彩っていたが・・・京太郎にはそれが、何処か虚ろで、うそ寒いものに感じられた。
「あの・・・あの・・・よかったら、お名前を教えて頂けますか?」
(そっか・・・“氣”が、Fusionしてないんだ・・・)
 本来なら情動につれて微妙に変化する筈の“氣”の動きが、少女からは、殆ど感じられなかったのだ。
「東、東京太郎・・・一応、偽名じゃない」
「あずま、きょうたろうさん・・・」
 少女は一瞬だけ、表情を曇らせた。
 何か、予想とは違うものをきかされでもしたかの様に・・・
「あッ、ごめんなさい・・・おかしいですよね、こんな風に名前を訊くなんて・・・すみません」
 最後の謝罪の言葉を口にした時だけ、少女の“氣”が揺れた。
「No Problem、気にしなくていい・・・そういえば、YouのNameは?」
「わたし・・・わたしは・・・」
『東クンッ・・・何してんのさッ!』
 少女が妙に思いつめた顔で口を開こうとした時、小蒔の声が雑踏の喧騒を貫いた。
 視界の端で信号が既に青になっているのが見える。
「あ・・・変な事言ってごめんなさい」
 少女は、小蒔の声に打たれた様に後じさり、京太郎に頭を下げる。
「また・・・会えるといいですね」
 顔をあげた少女には、もうあの虚ろな微笑が戻っていた。
「・・・SeeyouAgain」
「それじゃあ・・・」
 足早に去ってゆく少女を見送っていた京太郎の後頭部に向かい、突然木刀がつきこまれた。
「・・・チッ、避けたか」
 京太郎は首を傾けて避けた木刀と払って振り返る。
「どうしたんだァ、東?・・・魂抜かれた様な面して・・・今の娘、そんなに可愛かったのかよ?」
「hum・・・それは難しい質問だな・・・」
「はァ、何処が難しいんだよ・・・全く、お前の感覚はよくわかんねェぜ」
「いや・・・」
「兎に角、早く行こうぜッ、小蒔のヤツ、かんかんだぜ」
「OK、行こう」
 先刻の少女の事は非常に気に掛かるものの、集団行動中に、すっぽかす訳にもいかない。
 京太郎は京一の後に続いて、青信号が点滅している交差点を走り抜けた。
「もうッ、東クンッ、何してのさ!」
「Sorry、ちょっと・・・」
 何故か相当怒っている様子の小蒔に、京太郎は頭を下げる。
「まァまァ、いいじゃねェか・・・東はじぇんとるめん、だからああしてたんだろ」
「確かに、東は女性にはいつも丁寧だな」
「う〜ん・・・分かったけど、時と場所をわきまえてよねッ、渋谷でいちいちそんな風にしてたら日が暮れちゃうよ」
 京太郎を擁護気味な男性陣の反応に、小蒔はまだ納得のいかない表情ながら、ひとまず矛先を納める事にした様だ。
「Roger Wilco!・・・気をつけよう」
「よし・・・醍醐、さっきの話、東にもしてやれよ」
「あァ・・・」
 京一に促された醍醐は、一瞬、微妙な顔をしてから口を開く。
「あれから、俺なりに裏密の言った事を考えてたんだが・・・」
 裏密の助言を、醍醐が考える・・・これは中々凄い進歩である。
 いや・・・単に頭から拭えなかっただけ、という説もあるが・・・
「禽っていうのは・・・やはり、カラス・・・あるいは、それを操っている者の事だと思うんだ」
「でもさ、醍醐クン・・・そうなると獣っていうのは一体、何の事なんだろね・・・」
「誰か人を指しているのか・・・」
「ボク達に協力してくれる人だったらいいね」
「おいおい・・・もう9人もぶち殺してる野郎だって事忘れてねーか」
 小蒔のえらく能天気な意見に、京一は呆れ顔で釘を刺す。
「でも、まだそんなの分からないじゃないないかッ」
「二人とも、まだ可能性の事で喧嘩していてもしょうがないわ・・・確かめましょう」
「そうだね」
 今にも、いつもの漫才を始めてしまいそうな二人を、葵が諌める。
 確かに、余り時間は無い。
 あともう少しで、太陽の光は橙色に変わるだろう。
「ああ、誰かカラスを操って殺しをしてる野郎がいやがるんなら、コイツでぶちのめしてやるさ」
 京一が袱紗の木刀を持ち上げて些か物騒な宣言をしていると、何処かから、切迫した女性の悲鳴が聞こえてきた。
「今のは・・・」
 一同に、さっと、緊張がみなぎる。
 先刻迄手ぶらだった筈のアン子の手には、何時の間にかカメラが準備されていた。
「聞こえた・・・聞こえたぜッ、俺の耳にはハッキリと」
「ああ、聞こえたぞ・・・どっちから・・・」
 ぴりぴりした緊張感を漂わせながら、醍醐は周囲を見回す。
 かなり大きな音量だったが、結構、何処から聞こえたかなんてのは分かりにくいものである。
「お姉ちゃんが助けを求める声がなあッ!!」
 不意に一点を見て、京一が叫んだ声に、瞬間、一行の腰が砕けた。
「あッ、ちょっと京一ッ!!」
 わらいそうになる膝を励まして走り出すが、たっぷり10秒は遅れてしまった。
「あそこの路地の方よッ!」
 アン子が指差したガード下に駆け込むと、そこでは、明るいオレンジのジャケットを着た女性が数羽のカラスに襲われていた。
「助けてッ!!」
「やっぱり」
「遠野の推理は当たっていたのか・・・」
 アン子がカメラを構える横で、醍醐は呆然と立ちすくんでいる。
 予想はしていても、実際に目にすると、衝撃が違う。
 小蒔は慌てて弓を取り出して弦を張り始めているが、少し手が震えている様だ。
「おいッ、あんたらッ!!」
 背後からとんできた言葉に一行が後ろを見ると、ガードの屋根が切れている左側部分に、金髪の男が腰掛けていた。
 男は何か長い棒状の布包みを抱えている・・・
「あ、きょうたろうさん!」
「でーっ、お前、ヒロッ、何でこんな所にいるんだッ」
 金髪の男の隣には、京太郎の家に居る筈のヒロがちょこんと座っていたのだ。
 一瞬、一同の動きが本気で止まる。
 一同の余りの驚愕振りに金髪の男も面食らった様子になるが、すぐ女性の悲鳴で我に帰る。
「お・・・おい、レディが助けを求めてンだ、その気があンなら、さっさと手ェ貸しなッ!!」
 そうである、背後では事件が現在進行中なのであった。
「そうだ、事情は後だ・・・行くぜッ、東」
 素早く袋から木刀を取り出した京一が突っ込み、女性の頭上のカラスを突き殺す。
 しかし、京一の上段突きは、女性の側頭部から十センチと離れていない場所を通過している。
 偶然目を瞑っていなかったら、さぞ肝がちぢんだ事だろう。
 京太郎はカラスが女性の頭に攻撃をかけようとする瞬間をとらえて足を鷲づかみ、練った気を凍気として放出、手の中のカラスを凍りつかせる。
 金髪の男は、狭い路地だというのに、2m以上ありそうな長大な三又槍を巧みに扱い、最小限の動きでカラスを突き殺している。
 しめし合わせたわけではないが、いつの間にやら、三人は襲われていた女性を囲む様にして戦っていた。
 ようやく弦を張り終えたらしい小蒔の矢が、京太郎達の死角のカラスに突き刺さる。
 1分と経たない内に、戦いは終わった。


「どうやら、片付いたようだな」
 小蒔と葵、アン子とヒロの前に立ちはだかり、壁を作っていた醍醐は軽く息を整える。
 彼の足元にも、4羽程カラスが転がっていた。
 肉体武器がどれもこれも“大砲”の醍醐は、どうも、ちょこまかと動く相手は苦手だ。
 カラスは鳥の中では結構大型だが、殴った時の手ごたえが頼りなくていけない。
「ところで・・・お前、一体何モンだ?」
 普段なら、助けた女性にいの一番に声をかけそうな京一が、だしぬけに金髪の男を詰問し始めたのを見て、京太郎は幾分驚いた。
 彼にも、ラーメン・・・はどうか分からないが、時にはオネーチャンより、優先されるものがあるらしい。
「オレ様の名前は雨紋雷人・・・ただの通りすがりの正義の味方さ」
 “正義の味方”の風体は、紅い十字架があしらわれたガクランをひっかけ、逆立てた金髪、耳には複数のピアスをしている。
 少々型遅れのヤンキーか、ロッカーみたいな外見だが・・・シャツの下からのぞく鍛えられた肉体と、真っ直ぐで意志の強そうな瞳が、精悍な印象を与えていた。
「そんな事より、あンたも懲りない人だな、ホント、いい根性してるぜ」
 京一が二の句を継ぐ前に、雨紋はさっさと襲われていた女性の方に向き直ってしまった。
 中々の傍若無人振りである。
「てめェ・・・」
「蓬莱寺」
「ちッ」
 すかさず噛み付きにいった京一を、京太郎が抑える。
 できれば話をこじれさせずに、スムーズに聞き出したい。
「あなたに助けてもらうのはこれで二度目ね・・・あなた達もありがとう」
 女性は僅かの間に身なりを整え直し、雨紋と、京太郎達に頭を下げる。
「いや、当然の事をしたまでだぜ」
 女性は肩の辺りで綺麗なストレートの髪を切りそろえており、なかなかの美人だ。
「そうだ、コレ、渡しておくわ」
 女性は手近に居た京太郎に名刺を差し出した。
「天野絵莉・・・ルボライター・・・Documentary Weiterか」
 呟いた京太郎の手から、名刺が消滅した。
「プロの方ですね・・・これ、どうぞ」
 京太郎が横に目を向けると、アン子が自分の名刺と一緒に、真神新聞を天野女史に渡していた。
 まるで自分が名刺を受け取った様な対応である。
「あら・・・ありがとう」
 天野女史は名刺を名刺入れに、新聞を鞄にちゃんと仕舞い込む。
 高校生の“記者ごっこ”か等という事を、何処かで思ったにせよ、おくびにも出したりしない所が好感が持てる。
「取材中ですか?」
「まァ、そんな所ね」
「ヤレヤレ・・・もう、この事件からは手を引いた方が身の為だ」
 カラスの屍骸の中で和やかな雰囲気を出している二人に、雨紋は呆れた様にため息をつく。
「きょうたろうさん」
 京太郎は、後ろから走ってきて抱きついたヒロの頭を、最近習慣になりつつある動作で撫でてやる。
「なぜ、渋谷に・・・Homeに居たんじゃないのか?」
「それは・・・」
「おい、その子、あンたの彼女か」
 雨紋の暴言に一瞬、天野女史とヒロ以外の全員の動きが止まる。
「・・・Why、何故に?」
「いや・・・なンとなくな・・・妹って感じでもないだろ」
 京太郎にじっと見つめられ、雨紋は槍をかんぬき担ぎにして困った顔をする。
 事情を知っている京一におちょくられるのは分かるが、事情をさして知らない他人に言われると、何か、格別に突き刺さるものがある・・・
「まァ・・・オレ様にゃ、どうでもいい事だがな・・・それより、天野さン、もう、この事件からは、手を引いたほうが身の為だ・・・オレ様も、これ以上は面倒をみきれないぜ」
「この事件って・・・もしかして、カラスのこと!?」
「ああ、そうさ」
「ボクたち、これから代々木公園に行こうと思ってたんだけど・・・」
「桜井!!」
 雨紋があっさり認めた為、それにつられたのか、小蒔はあっさりと目的地を吐いてしまい、遅きに失した醍醐の叱責に首を竦める。
「代々木公園って・・・」
 瞬間的に雨紋の表情を堅くなる。
「今、あそこがどういう状況かわかってンのか!?」
 まぁ、確かに、普通に考えれば正気の沙汰ではない・・・だろう。
「大体、あンたら一体、渋谷になにをしに・・・」
「きまってんだろ、人食いカラスを退治に、さ」
 戸惑う雨紋に、景気良く京一が言い放つ。
「今まで半信半疑だったんだが・・・天野さんが襲われているのを見て確信がもてたよ」
「・・・あンた、自分が何をいってるかワカってンのかよ・・・」
 醍醐の言葉に、京太郎や葵、小蒔まで頷いているのを見て、雨紋は困り果てた様子で呟く。
「カラスが人を襲って殺すなンてありえないぜ」
「いや・・・カラス達は、明らかに殺意を持っていた・・・それに」
 醍醐は周囲を見回した。
「さっきカラス以外に感じた気配は・・・」
 醍醐が言い終わる前に、京太郎の腕がしなった。
 凍気で凍りついたカラスの屍骸は、京太郎達が入ってきたのとは逆の入り口の壁に当たり、重たい音を立てる。
「いつまでStalkingしてるつもりだ?」
「クックック・・・地べたを這いずってる輩にしては、なかなか鋭いね・・・」
「唐栖ッ!!」
 粘着質に響いた声に、雨紋は槍を構える。
「何、この音・・・」
 キーン、という甲高い音が周囲に鳴り響いていた。
 酷い圧迫感。
 単純な音の重圧とは異なる感覚。
「僕や雨紋の他にも<<力>>を持った人間がいたとは・・・いささか、計算外だったよ」
 天野女史とアン子は、既に耳を塞いで膝をついている。
「何者だッ、姿をみせろッ!!」
「ククク・・・」
 不意に周囲が闇に覆われた。
 自分の鼻先すら見通せない闇の中で、周り中に声が不気味に木霊する。
「てめェがカラスどもを操ってやがるのかッ」
 京一が木刀を構える気配が感じられる。
(京一、振り回してくれるなよ・・・)
 別に京太郎の内心の声が聞こえた訳ではないだろうが、京一はとりあえず木刀を構えただけで済ませてくれた様だった。
「僕の名は、唐栖亮一・・・」
「あなた・・・あなたは一体、何者なの?」
 一気に続けたいのを、あえて一旦とぎらせた天野女史の問いかけは、闇の中で確かな存在感を発揮した。
「・・・くくく、あなたは無事だったんですか・・・残念だ、とても残念だ」
 闇の中で過敏になる聴覚で捉える音は、肌触りの様なものが感じられる。
 天野女史の柔らかい肌触りの声を聞いた後で捉えた唐栖の声は、粘つき、触れた部分に不快な湿り気が残る様な錯覚を感じさせた。
「あなたは記念すべき10人目の犠牲者にしてあげようと思ってたのに・・・」
「あんたが、カラスを使って殺ったの?」
「だとしたら、どうします?・・・記事にしてみますか?・・・したければどうぞ、どうせ、誰も信じはしない・・・クックックック・・・意外と、高校生のお遊び新聞にはピッタリかも知れませんね」
「何ですってェ!・・・きゃぁッ」
 立ち上がる気配とほぼ同時に悲鳴が響き、衣擦れの音が地面に伏した。
「遠野ッ」
「アン子ッ」
 醍醐と小蒔の声が唱和し、コンクリを擦る足音が響く。
「だ、大丈夫よ・・・」
「畜生!」
「貴様ッ、一体なにが目的なんだッ!」
「くくくッ・・・地上を這いずる虫けらに神の意志が理解できる筈もない」
「神の意志・・・だとッ?」
「醍醐、あまりマトモに相手しすぎるな・・・」
 臆面もなく“神の意志”等とのたまう輩に戸惑ったのか、幾分気おされ気味の醍醐に向け、京太郎は呟く。
「そう・・・僕に、この素晴らしい<<力>>を授けてくれた神さ・・・」
「・・・・・・」
 宗教に対して寛容な日本ではそれなりに珍しいが、キリスト教やイスラム教等、厳しい一神教が普及している欧米、中東等では、“神に命じられて、ナントカ”というのは、それ程珍しい妄想ではない。
 いや、ポピュラーといっても良い程だろう。
「“鴉の王”たる<<力>>を授けてくれた・・・神のね・・・雨紋」
「唐栖・・・」
「君も、頭の軽そうな女の子以外に仲間が出来てよかったじゃないか・・・それだけの人数なら、僕を倒せるかも知れないよ」
「テメェ・・・」
 闇の中、雨紋の槍の石突がコンクリにつき立てられる音が響く。
「クックック・・・僕は、逃げも隠れもしない・・・待っているよ雨紋、代々木公園で・・・」
 唐栖の声がフェードアウトするのにあわせて、ふっ、と周囲が明るくなった。
「ちくしょーッ、出てきやがれッ!!」
「どうやら、かなり普通じゃないのが出てきたな・・・」
 いきり立っている京一と、難しい顔で考え込んでいる醍醐をひとまず放っておき、京太郎は天野女史の所で腕をおさえているアン子に近づいた。
「Are you OK?」
「うん・・・大丈夫よ、ちょっとつつかれただけ・・・それに、美里ちゃんに治してもらったし」
 アン子は血の滲んだ制服の破れ目から二の腕を見せる。
「やっぱり葵がいてくれて良かったよね」
「ええ、美里ちゃん、ありがとう」
「ううん、役に立ててうれしいわ」
 まるで自分の事の様に喜ぶ小蒔が微笑ましい。
「hum・・・これから、どうOperationProgramを組み立てるか・・・」
「そんなの、決まってんだろッ!?」
 一旦気を落ち着けて考えようとした京太郎の背中を、京一が思い切りはたく。
「Planがあるのか?」
「あんなイカレタ野郎、野放しにしておける筈がねェ・・・このまま代々木公園に乗り込んで、ブチのめすしかねェだろッ!!」
「AssaltOperationか・・・」
「京一ィ・・・もう少し、何か考えるとかさ・・・」
「じゃあ、お前は他に何か作戦があるのかよ?」
「う・・・裏口から入るとか・・・」
「奴から見て、代々木公園のどこが裏口なんだよ?」
「う〜ん、確かに」
「作戦は単純なのが一番だぜ・・・さて、大将はどうするんだ?」
 未だ考え込んでいる様子の醍醐だったが、京一は頃合とみて水を向けてみる。
「うむ・・・やはりここは俺達でかたをつけるべきか」
「そうこなくっちゃ!!・・・でも、作戦ってどうしよう?」
 醍醐の言葉に小蒔は勢いよく頷き、すぐさま親友に困った顔を向ける。
「そうね・・・困ったわ」
「あなた達は・・・一体?」
 高校生達に置き去りにされた形の天野女史は、話が途切れたタイミングを見計らって声をかける。
「見た通り、HighSchoolStudentです」
「それは分かるけど・・・」
 即答した京太郎に、天野女史は毒気を抜かれた様な苦笑を浮かべた。
 用意していた質問の腰が、根こそぎぽっきりと折れてしまったのである。
 普段なら、こんな事で気を削がれているようでは、仕事にならないのだが・・・
「私たちは、ただ・・・私達なりに、東京を護りたいと思ってるんです・・・」
「でも、あなた達は高校生でしょ?・・・そういうのは、警察や大人たちの」
「NormalなPoliceOfficerで何とかなるんなら・・・任せてもいいさ」
 京太郎に言葉を遮られ、天野女史は一瞬、周囲の少年少女達を探る様な目つきで見る。
「・・・普通の警察じゃ、この事件は解決出来ないと?」
「Yes」
「子供が・・・と思われるかも知れませんが、みんな、友達や愛する人の住む街を護りたいと思う気持ちは同じだと思います・・・その為に使えるかもしれない<<力>>があれば、尚更、放ってはおけないんです」
 京太郎の微妙に根拠の疑わしい即答に考え込んでいる天野女史に、葵は必死に訴えかける。
 天野女史が納得しようが納得しまいが、京太郎達が代々木公園に行く気を変えないのは分かっていたが、その心を彼女には分かって欲しい・・・衝動のまま、葵は言葉を紡いだのだった。
「<<力>>って、さっきカラス達を倒した・・・?」
「Yes、このForceについてはまだ良くわかってないですが」
 真顔で応えた京太郎に、天野女史は真剣に考え込み、やがて、ため息を吐いて微笑した。
「まったく、最近の高校生には驚かされるわ・・・」
「天野さん・・・」
「わたしも年を取るワケね」
「ここん所潜り抜けてきた修羅場の数は伊達じゃねェよ」
「ふふふッ・・・私はあなた達みたいに、体を張って闘う事は無理だけど、代わりに私の持ってる情報を提供させてもらえないかしら?」
「え?いいんですかッ」
 地面に散らばっていたカラスの屍骸等を調べていたアン子が、不意に叫びをあげて駈け戻ってきた。
 目の中に、星が散っているのが見えるようだ。
「ええ・・・若い子がこんなに頑張ってる姿を見せられたら、協力しない訳にはいかないでしょ」
「ありがとうございますッ」
「ふふッ・・・とりあえず、カラスの生態とかの話はどう?」
「Please、おねがいします」
「“普通”のカラスは、大切なもの・・・ヒナ等を護る為に人間を襲う事はあっても、捕食対象として人間を襲ったという例は報告されていないわ・・・あくまでも、人間の残飯が都会に生きるカラス達の主食・・・好んで、マヨネーズの容器を拾って、残っている中身を食べるカラスも多いらしいわ」
「へぇ・・・カラスにも、ボク達みたいに好き嫌いがちゃんとあるんだね」
「ええ・・・都会のカラスは舌が肥えていると言えるのかも知れないわ・・・でも、都会のカラスも、無論動物を捕食しない訳ではない・・・鼠を捕食したり、集団でもっと大きな動物、例えば野良猫を襲う事もある」
「Yes、CrowはStraycatの天敵だ」
「東君て、そんなに猫好きなんだ・・・」
「はい、きょうたろうさんはねこさんたちがだいすきなんですよ」
 親の仇の事を語る様に喋る京太郎の様子に、アン子は京太郎のプロフィール項目を増やす。
「まぁ、ちょっと、義理もある」
「義理?・・・ま、今度詳しく訊かせてよねッ」
「・・・野良猫の方からカラスを襲う事もある、でも、群で行動するカラスの方が、戦闘力では遥かに上・・・事実上カラス達は、人間を除いた、都会の生態系ピラミッドの頂点を占めているといえるわね」
「・・・人間を除いたピラミッド」
「醍醐クン、何か気づいた事でもあるの?」
「あ・・・ああ、もしかして奴は・・・人間が除外されている都会の生態系ピラミッドに、人間を組み入れようとしているのではないか・・・そう思ってな」
「そ・・・そんなッ」
 醍醐の予想に、小蒔は絶句する。
「元々、生態系ピラミッドからHumanが除外されてる訳じゃない・・・単に、Advantageがあるから、SeededPlayerになってるだけだ」
「確かにそうね・・・知恵、そこから生み出される科学は、生存競争の中で私達人間を特別な立場にしている・・・」
 何か思う所のある様子で、葵が呟く。
「他には・・・そう、これはカラスに限らないけれど、鳥は、人間の頭を狙って攻撃する習性があるわ、目でもついばまれたら、失明は間違いない・・・気をつけてね」
「No.Problem、Miss.天野、最初からどの急所が狙われるか分かっていれば、Hitさせるのはそんなに難しくはない・・・だろ、蓬莱寺?」
「へっ、いうねぇ・・・まぁ、確かにそうだぜ、心配するなって」
 きっぱり断言し、簡単に同レベルの同意を求めてくる京太郎に苦笑しつつも、京一は唇をほころばせる。
 何故だか、京太郎にこんな風に同意を求められると、悪い気はしない。
「からすさんたち、ぴかぴかひかるものがすきで・・・えと、あとは、すを、はりがねのはんがーでつくったりするんですよね」
「そう、都会に営巣するカラスの多くが、そういった自然素材以外のもので巣を作っているわ」
「へぇ・・・ヒロちゃんって良くそんな事知ってるね」
 ヒロが披露した意外な豆知識に、小蒔はかなり本気で感心する。
 非常に正直な反応だが、結構失礼な話でもあった。
 ヒロはその見た目と喋り方で脳の芯までとろけていると誤解されやすいのだが、実際は・・・それ程でも無い、筈である。
「あは、くりーにんぐのおつかいで、はんがーをとれらたときにおいかけて、すをみたことがあるんですよ」
「うふふ、ヒロちゃんらしいわね」
 一言口を利いただけで、一瞬で場が和む・・・ある意味才能だろう。
 いや、妖力なのかも・・・
「今、渋谷のカラス達は、こぞって代々木公園に集結している・・・本来他の区に生息しているカラスも、あの公園に少しずつ集まってきているわ、今ごろは恐らく、7000羽を超えている筈よ」
「7000・・・」
 想像もつかない数を上げられ、醍醐は呟いたきり絶句してしまう。
「・・・もし、あの子、唐栖君の<<力>>がそれに関連しているなら・・・遠からず渋谷はカラス達に占領されるでしょうね・・・」
「唐栖・・・奴は、本気でカラスの王国、奴自身の王国を作ろうとしている・・・その為なら、何人人を殺してもかまわねェ・・・それ所か、東京から、奴以外の人間を抹殺する事が正義だと思い込んでいやがるんだッ」
「そんなッ・・・ひとを殺していい権利なんて誰にも無いよッ!」
「ああ・・・そうさ、だから、俺サマが奴を止める・・・止めてやらなきゃならねぇンだ・・・」
「雨紋さん・・・」
 憤る小蒔の声も、半ば聞こえぬ様子で呟く雨紋に、葵と醍醐は顔を見合わせる。
「・・・何か訳ありの様子だが・・・良ければ、俺たちに話してはくれないか?」
「・・・そういえばあンた、醍醐って呼ばれてるけどよ、真神の醍醐雄矢かい?」
「ああ、そうだ・・・そういえば名乗ってなかったな・・・しかし、俺の事を知っているとは・・・」
「渋谷区は新宿の隣だからな、魔人學園の名をしらねェヤツはいないさ」
「醍醐さん、ゆうめいじんなんですね」
 無邪気な賞賛の篭ったヒロの言葉に、雨紋と醍醐はほぼ同時に微笑を浮かべる。
「・・・ヤツ、唐栖亮一は、二ヶ月前、オレ様の通う渋谷神代高に転校してきた男だ・・・あいつも、最初からあンなヤツだったワケじゃない・・・あいつが変わり始めたのは、ここひと月ぐらい前からさ・・・転校してきたヤツとオレ様の席が近かったせいか、よく二人で話もしたンだ・・・」
 どんな記憶に触れたのか・・・雨紋は肩を落とす。
「あの日・・・オレ様はヤツに呼び出された、何も知らずに呼び出されたオレ様に、ヤツは・・・突然、神の存在を信じるか、と訊いてきた」
「カミサマだぁ・・・ぶっ飛んだ野郎だぜ」
「ああ、オレ様も面食らったぜ・・・いきなりだったからよ・・・ヤツは、その後、こう言った・・・神は2種類の人間を作ったと」
「2種類の人間?」
「・・・<<力もつ者>>と<<持たざる者>>・・・人は生まれながらにして、資格を定められている・・・ヤツはそう言った、自分こそ、神たる<<力>>もつ者だと」
「そんなの・・・間違ってるわ」
 思わず葵が漏らした言葉に雨紋は頷く。
「ああ、オレ様もそう言った・・・だが、あの時、ヤツを止める事は出来なかったンだ・・・」
「唐栖クンがボク達と同じ<<力>>を持っている・・・」
「・・・一時はヤツのダチだったオレ様には、ヤツを止めてやらなきゃならねェ責任がある・・・」
「雨門くんって、優しいのね・・・」
「オレ様は、これ以上関係ねェ人間が死ぬのを見ンのがゴメンなだけさ・・・」
 微笑む葵に雨紋は首を振る。
「だからだろう・・・自分がDangerousな時、優しさの無い人間はそんな風に考えない、勇気の無い者が人を助ける事も無い」
「よしてくれ、オレ様はただ・・・高望みをしてるだけ、なンだからよ・・・」
「高望み?」
「ダチを助けてやりてェ・・・自分の育ったこの街を護りてェ・・・オレ様の手にゃぁ、でか過ぎる望みだよな」
 自分の手を見つめる雨紋は、とても、疲れているようだった。
「てつだわせてください」
「はぁ?」
 雨紋は酷く面食らった顔で、ヒロを見下ろした。
「オレ様は、おはなししに行く訳じゃないンだぜ・・・」
「がんばりますから、おてつだいさせてください」
「ちょっとあンた、なんとかしてくれよ」
 頭を下げたせいで余計に低くなってしまったヒロから京太郎に目を移し、雨紋は胸を掻き毟るが、当の京太郎は両手を上げて肩を竦める。
「それはDifficultだ、ヒロはそう見えて結構Obstinateだからな・・・hum、ここは素直に手伝わせてやった方がBetterだぞ、俺も手伝おう」
「・・・遊びに行くんじゃねェんだぜ」
「そんなの分かってるよ・・・でも、こんな話聞かされて放っておける訳無いじゃないかッ」
「桜井・・・」
「ボク達だって、この町で起こってる事件を止めに来たんだから、雨紋クンと目的は一緒の筈だよッ」
「・・・」
 雨紋はすがる様に見上げているヒロを見、真っ直ぐ見つめる小蒔、愁眉をよせる葵、考え込む醍醐、不敵に笑う京一、興味深げに見守るアン子と天野女史に目を移し、最後に京太郎に目をやった。
「あンたは本気でオレ様にてを貸そうって、思ってるのかい?」
「Yes・・・その為に来た」
「・・・分かった・・・まッ、いいだろ・・・ほっておいてもあそこに行くってんなら、あンた等の事を放ってはおけねェからな」
「へへへッ、よろしくッ」
「がんばります」
「やれやれ・・・あンたらホントに分かってるのかね・・・」
「ほんと、若いっていいわね、私も、最後まで付き合えたら良かったんだけど・・・」
「取材、いいのかよ?」
「天野さんはプロのルポライターなのよ、こんな買ってもらえそうに無いネタには、そうそう付き合えないって事・・・」
「なる程、大人の仕事はたいへんだねェ・・・趣味でやってるアン子とは違うって訳だ」
「アンタはひと言多いッ!」
「ふふッ・・・フリーだからといって、好きな仕事ばかりしている訳にはいかないのよ、特にお金にならない仕事は・・・それに悔しいけど、これは私が扱える事件じゃないわ」
「大丈夫ですよ、この事件はアタシが引き継いで、天野さんの代わりに見事に記事にして見せますから」
 どこか寂しそうに呟く天野女史の前で、アン子は拳を握り締めて力説する。
「遠野・・・これだけの事があった後でもついてくる気なのか・・・」
「あったり前でしょ、これからが本番じゃない」
 醍醐はしばし、アン子を帰らせる為の言葉を己の内で模索するが・・・結局断念し、ため息をつく。
「無茶だけはするなよ」
「分かってるって」
「それじゃ、そろそろ、私はいくわね・・・雨紋くんも、本当にありがとう」
「気にすンなって、レディを守るのは、男として当然のことだからよ」
「東、仲間が居たぜッ」
 京一の揶揄に、京太郎は肩を竦める。
「当然だ」
「それじゃ、くれぐれも気をつけて・・・又、会いましょう・・・そう・・・ちょっと思い出したけど、カラス達は公園の中で建設中だった、塔に集中している、そんな噂をきいたわ」
「分かったぜ、ありがとなッ」



「・・・天野絵莉ちゃん・・・か、いい女だったよなァ、東」
「hum、冷静なMindをした、優れたJournalistだったな」
 天野女史の後姿を名残惜しそうに見送っていた京一は、相変わらずどこか外れた京太郎の台詞にずっこける。
「・・・なんだよ、お前の趣味じゃなかったのか・・・なんか、お前と女の話をしても張り合いがねェなあ」
 京太郎と手を繋いで手を振っているヒロに目を落とし、京一は首を振る。
「・・・さァて、そろそろ行くとしようぜ、代々木公園へッ」
「OK」
「はいっ」


「流石にあれだけ事件があった後だと、人気がない様だな・・・」
 醍醐は薄気味悪そうに周囲を見回した。
 ひとまず天野女史から最後に聞いた噂を頼りに塔の工事現場を目指しているのだが、代々木公園の中は、都会の中にあるとは思えない程の静けさに包まれており、酷い違和感に悩まされる。
「醍醐くん・・・」
「な、なんだ、美里」
「何か・・・視線を感じる」
「あ、ああ・・・この気はただ事じゃないな」
「空気が、憎しみと憤りに溢れているわ・・・」
「そッ、そうか・・・」
 いつになく霊媒じみた口を利利き始めた葵に、醍醐は内心の焦りを掻き立てられつつも、必死に声の上ずりを抑えた。
 感覚的には葵の言う通りだと言うのは“分かってしまう”のだが、近くに小蒔が居る間は、余り無様な様を晒す訳にはいかない。
「うひょーッ、ウワサ通り、すげェ数のカラスだなァ」
 能天気にそこら中の高い場所に鈴なりにとまっているカラス達を見上げている京一が羨ましくてしょうがなく感じられるのは、仕方の無い事だろう。
「なんか、ここ、怖いよ・・・前に来た時は、こんな雰囲気じゃなかったのに・・・」
 普段の元気さをやや減じてしまった様子で不安気な小蒔に、漢をアピールする良い機会だといえるが、今は生憎と醍醐の方が余計に一杯一杯の状態であった。
「あァ・・・ヤツがここに来る迄はこんなじゃあなかった」
「園内にはもう、一人も人はいないのかしら・・・全然人の気配、感じないんだけど?」
「さァてね・・・ウワサじゃ、入ったヤツは何人か居るが、出てきたヤツは居ないらしい」
 周囲を観察して、効果的なショットを探している様子のアン子に、雨紋は担いだ槍を竦めて見せる。
「それって、やっぱりカラスに?」
「かも知れねェな・・・オレ様も、できるだけ人を近づけない様にはしてたんだが・・・面白半分、肝試し気分で入り込む馬鹿が多くてよ・・・そういう訳だからよ、あンた等、気を抜くなよッ」
「分かってるわよ、ま、闘うのは東くん達の担当だけどね・・・」
「まぁ、わかってるンならいいけどよ・・・しかし」
 雨紋はちょっとだけ離れた所を京一と一緒に歩いている京太郎とヒロに目をやる。
「ああは言ったもんの・・・あの子、本当に連れてきちまって良かったのかよ・・・」
「ああ、ヒロちゃんね・・・大丈夫よ、あの子が本気を出せば、今は、この中で一番強いかも知れないわよ」
「はァ・・・ナニ言ってんだ、あンた?」
「まぁ、普通は信じられないわよねぇ・・・まぁ、後になれば多分分かるわよ、それより、すっかり訊くの忘れちゃってるけど、何で雨紋君がヒロちゃんと一緒に居た訳?」
「ああ・・・さっき、代々木公園の近くを見回ってた時に・・・不安そうに一人でうろうろしててよ、放っておく訳にはいかねェだろ・・・この街であんな子がふらふらしてたらすぐにごろつきにからまれるからな」
「へぇ、雨紋君ってやっぱりいい人ね・・・」
 感心した様なアン子の言葉に、雨紋は本気で困った顔をする。
 あまり素直に賞賛されるのはどうも不慣れなのだ。
「よしてくれよ、くすぐったいぜ・・・ただ、あの子にゃ、放っておけない雰囲気があっただけさ」
「そりゃそうね」
「今時珍しい真っ白な子だな・・・それにしても、あんまり、京太郎さん、京太郎さん、ていうもんだから、すっかりあてられちまってよ・・・どんなヤツかと思ったが」
「どう?」
「・・・難しいな、ヘンなヤツだとは思うが・・・それだけじゃないな、なンか無視出来ない感じがする」
「でしょ・・・興味が湧くのよね〜」
「何者なンだ、あの人は?」
「それがわかんないから、いいんじゃない」
「なる程な・・・ついたぜ、あそこが天野さンがいってた“塔”さ」
 雨紋が槍で指し示した“塔”は鉄骨を組んだだけのもので、一見すると、単なる工事中のビルとさして変わらない。
 放棄されてから久しいらしく、建築会社が張ったメッシュの安全シートが半ば剥がれて風に棚引いているのが、廃墟色をより強調している。
「うわー・・・なんか、イッパイ飛んでるよ・・・これだけいれば、人間の1人や2人、食べちゃうかも」
「だが、とりあえず襲ってくる気配はない様だな・・・唐栖という奴が命令しているのか?」
 その場の人間全てが、体中が痛くなる様な凝視を受けていた。
 周囲の空気が殺気に満ち満ちていたが、凝縮した殺気が弾ける様子は無い。
「あァ・・・多分、ヤツはこの上にいる・・・高みから、偉そうに地上を見下ろしてンのさ」
「すごくたかいですね」
「だろ・・・ま、オレ様も高い所は嫌いじゃないが・・・あンた等は大丈夫かい?」
「hum、下までFallする前にどこかに掴まれば大丈夫だろう」
「はい、そうですね」
「そういう問題かねェ・・・ま、オレは平気だぜ」
 事も無げな京太郎の呟きににっこり笑って同意するヒロに苦笑しつつ、京一は木刀で肩を叩く。
「私も大丈夫よ・・・小蒔は平気かしら?」
「うん、あんまり高い所が好きな訳じゃないけど、そこまで怖くはないよッ・・・アン子は?」
「アタシも平気だけど・・・ま、足元には気をつけた方が良さそうね」
 見える限りでは、剥き出しの鉄骨のあちら此方にベニヤや鉄板が渡されており、素の鉄骨だけを足場にしなくても済みそうではあったが、それでも足場が怪しい事には変わりない。
「遠野、お前は無理してまで、上についてくる必要は無いんだぞ・・・」
「何言ってんの、アタシには志半ばで撤退せざるを得なかった、天野さんの意志を継いでるのよっ、ジャーナリストの端くれとして、最後までこの事件を見届ける義務があるわ」
「・・・そうか、だが、あそこから落ちて死んでしまったら、美里の癒しの<<力>>でも取り返しがつかないんだ・・・くれぐれも気をつけてくれ」
「分かってるわよ、こんな所で死んじゃったら、ピューリッツア賞だの所じゃないしね・・・」
「hum・・・そうだな、足場が悪いあのPlaceでは、Shooting armsを中心に戦ったほうがいいだろう、Miss.桜井、予備のArrowは十分あるか?」
「あ・・・うん、前の事もあるから、持てるだけ持ち歩いてるよ」
 京太郎の言葉に、小蒔は肩にかけた弓と矢筒の重さを確認する。
 青い気に包まれて昏倒してから、矢に、自分の<<力>>が確かに通るのを感じる様になった。
 今では、小蒔の<<力>>を帯びた矢は、例え練習用のものであっても、“殺傷力”といえる程の破壊力を帯びる事が分かっている。
 人に向けてそれを射る事を考えると、足が竦む。
「・・・OK、なら出来る限りCrowを落としてくれ、その隙に、俺と蓬莱寺、そして、Mr.雨紋が唐栖にAssaltしてDogfightに持ち込む」
「うん、分かったよ!」
 とりあえず人間を射ろと言われなかった事に、小蒔は胸を撫で下ろす。
「・・・Mr.雨紋、俺が正面からAssaltする、唐栖が俺を攻撃する間に、京一とYouとで挟み撃ちをかけてくれ」
「あンたが囮になるっていうのかい?」
「Yes、Freehandの俺が一番身軽だからな」
「・・・そうか、たのンだぜ」
 当然の事だという顔で肯定する京太郎に、雨紋は一瞬言葉を途切らせて考えてから、頷き返す。
「気ィつけろよ、東」
「OK、で・・・醍醐」
「うむ」
「Youはしっかり壁を作って、後方の美里、桜井、遠野の三人にカラスを寄せ付けないでくれ、ヒロをつける」
「まかせろ、安心して突っ込んでこい」
 醍醐は快く京太郎の申し出を引き受けた。
 ああいった足場の悪い所では、恵まれた巨体が逆に邪魔になる。
 少しでも足場の確保できる場所で壁となるのは醍醐にとって納得できる作戦だった。
「Thanks」
「えへへッ、醍醐クン頼りにしてるよッ」
「うッ・・・うむ」
 どんなハードな打撃にも耐えうる鉄の肉体も、小蒔の一矢で膝が砕けてしまう。
 しかし、番長として“真神の醍醐”の看板を背負っている以上、そんな感情をおくびにも出す訳にはいかないのが辛い所だ。
 ま、理由はそれだけではない・・・というよりも、もう一つ理由の方が日に日に本音になりつつある様な今日この頃、醍醐も青春真っ盛りの青少年なのだ。
「ヒロちゃんも頼りにしているわ」
「はい、がんばります」
 葵に頭を撫でられ、ヒロは心地よげな笑顔を浮かべる。
 予備知識の無い人間には、とても、戦闘に参加出来る様な人間には見えない。
 いや、知識があっても、中々信じるのは難しいものがある。
「・・・・・・なぁ、東・・・さン」
「?」
「本当にあの子に何かやらせる気かい」
「頼りになるからな」
 何処か硬い表情で訊いてくる雨紋に、京太郎はあっさりと断言する。
「あははッ、ヒロちゃんが本気出したら、雨紋君、驚くよッ」
「本気ねェ・・・まぁ、オレ様が後ろに敵を通さなきゃいいだけか・・・」
 雨紋はにこにこと笑っているヒロに目をやって槍を担ぎ直した。
「よし、作戦は決まった・・・Let’s Go」
 京太郎は、先頭に立って建築現場に足を踏み入れる。
 コンクリが剥き出しの地面には、H鋼材が山形に詰まれており、一輪のネコ車やコンクリ袋、スコップ等の建築資材が集積されていた。
 しかし、道具の一部は、投げ出された様に散乱しているし、落ちている安全帽や床の一部には赤黒い染みがついている。
「慌てて逃げ出したみたいな感じだね・・・」
「ええ・・・こんなに血が・・・それに、酷い臭い・・・」
「これだけ出血したら・・・血の跡はあっちに続いてるわね・・・」
「Stop」
 のこのこと血痕を追い始めたアン子の肩を京太郎はがっちりと押さえる。
「ここから先、最初に何かを確認するのは、Pointmanの仕事だ・・・Youは後ろから全体を見ててくれ」
 反射的に反駁しようとして振り返ったアン子は、大真面目見つめる京太郎の目を真正面から見てしまい、言葉を飲み込んだ。
「・・・仕方ないわね」
「そうだぜ、特ダネもいいけどよ、持って帰れないんじゃ意味がねェ・・・」
 京一の声も普段より低く、緊張感が滲んでいる。
「アンタに言われなくても分かってるわよ」
「いえにかえるまでがぼうけんです」
 一行の中で唯一、未だ和やかな気を残しているヒロの言葉を背に、京太郎は無言で血の跡を追い、重機の陰のブルーシートを剥がす。
「・・・」
「何があったの?」
 無言で戻った京太郎に、アン子は今にも飛び出していきそうな勢いで噛み付いたが、静かに見つめ返され、幾分不満そうに言葉を待つ。
「・・・俺は真神學園新聞部のMemberになったんだよな」
「え、ええ、そうね・・・」
「一つ、Rookieからの提案だ・・・あれは真神新聞向きじゃない、Observationするのは止めない、Photographをとるのも止めない・・・But、WallPaperに載せるのは止めた方がいい」
「一体何があったのよ」
「大したもんじゃない、今のJapanじゃ珍しいかもしれないが、第三国じゃ、道端に転がってる・・・単なるDeadbodyだ」
「しッ、死体ッ!」
「本当なのか、東・・・」
 予感はあったものの、やはり受けた衝撃を隠せない様子の醍醐に、京太郎は首肯する。
「・・・確かに見て楽しいもンじゃねぇよな」
 雨紋は天井を見上げる。
 二階部分迄は一応の仕上げが終わっているらしく、一回の天井部分は隙間無くコンクリで覆われていた。
「唐栖さんは、このうえにいるんですよね・・・」
「ああ・・・」
「さて・・・上にいくか」
「奴は多分、一番高い所にいる筈だ・・・唐栖は高い所が好きだからな」
「じゃ、てっぺんまでのぼらなきゃいけないんだ」
「かったりぃなぁ・・・あのエレベーターは使えねェのかよ」
 確かに京一が木刀で指した壁には作業用のエレベーターが備え付けられていた。
「そうね、電気は来ているのかしら・・・」
「Hum・・・やめておいた方がいいだろうな」
「何でだよ、使えるものは使った方がイイじゃねェか」
「・・・あのエレベーターには、二人までしか乗れないわ・・・バラバラに行動するのは危険ではないかしら」
 不満そうな京一を葵は静かに嗜める。
「そうだな、俺だったら一人で満員だ・・・確かに、順番にやられに行く様なものだな」
「ちッ、楽は出来ねェって事か」
「あそこのかいだんからですね」
 天井がちゃんとある為に少し暗い一回部分だが、鉄材で作られた階段の上からは仄明るく光が漏れてきている。
 京太郎は重機の陰から少し血の気の失せた顔で戻ってきたアン子に目をやる。
「・・・もう取材はいいのか」
「取り敢えずはね」
 変死体を見てきたばかりにしては、中々悪くない返事である。
「アン子ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫よ美里ちゃん、職業柄、変死体を見るのは初めてじゃないから・・・でも、あそこまでのは初めてだけど」
「行こうぜ、仇をとらなきゃな・・・」
「・・・雨紋」
 心なしか肩を落として階段に向かう雨紋に、声をかけられる者は居なかった。


「クックックッ・・・待っていたよ、ここから君達を観察しながらね」
 建設中の塔の屋上は、殆ど建設が進んでおらず、京太郎達が上り詰めた階段の到達部と、その反対に位置する唐栖が陣取った場所を除けば床が無かった。
 床のある部分も、単に鉄板がはられているだけで、靴で踏みしめると妙に頼りない音がする。
 高度がある故に風も強く、普通ならとても長居したくなる場所ではない。
「・・・Crowを使って見ていたか」
「そう、可愛いカラス達がみんな教えてくれたよ」
「けッ、悪趣味な野郎だぜ・・・こんな高い場所から見下ろしてりゃ、さぞやいい気分だろうな」
 吐き棄てながら、京一はちらりと下に目を向ける。
 床の無い部分にはがらんとした空間が広がり、かなり下に二階部分の床が見えていた。
 一階、二階の部分で引っかかれば生き残れるかもしれないが、下まで落ちれば、少々見られたものじゃない死体になるだろう。
「クックックッ・・・勿論だよ、ここからは、この汚れた世界がよく見渡せる・・・神の地を冒涜せんと高く伸びる高層ビル、汚染された水と大気・・・」
 唐栖の肩にとまったカラスが落ち着き無く首を振る。
「そして、その中を蛆虫の如く醜く蠢く人間達・・・人間とは愚かで汚れた存在なんだ・・・」
 熱っぽく語る唐栖の声からは、狂気に彩られた愉悦が感じられる。
「雨紋君・・・」
 雨紋は一瞬唐栖から目をそらしてしまったが、唇を噛み締めて顔を上げた。
 雨紋とは先刻会ったばかりの葵には、雨紋と唐栖の関係がどれ程のものだったかは、実際には分からない。
 だが、それ程浅いものだったとは思えな反応だった。。
「最早人間という生き物に、この地で生きる価値はない・・・」
「勝手なこというなッ」
 唐栖の独り善がりな演説を小蒔の叫びがぶった切る。
「キミだって人間だろッ、なのに、どうしてそんなこと言えるのさッ」
 唐栖は一瞬、拳が白む程に弓を握り締めて肩を振るわせる小蒔を見つめ、次の瞬間、身をそらして笑い始めた。
「クククッ・・・ハハハッ、アハハハハハハッ・・・こいつはおかしい、僕が、僕が、君たちと同じ人間、人間だって」
 一人おかしそうに笑う唐栖を、一同は妙に白けた気分で見つめていた。
 明らかに、唐栖は狂気に犯されている。
 当然、それは、彼が犯した罪を言い逃れる免罪符にはならないのだが・・・
「無駄よ、桜井ちゃん・・・犯罪者っていうのは、全部自分だけが例外なの・・・あいつに限った事じゃないけど」
「桜井・・・」
 アン子の手を肩においたまま、興奮の余り零れ落ちる涙を拭いている小蒔に、何か声をかけてやりたいものの、あいにく醍醐の口はそんなに器用にはできていない・・・だから醍醐は己にできる唯一の事をした。
 立ち位置を僅かに変え、小蒔の視界を自らの背で覆ったのだ。
「冗談じゃないね、僕は・・・僕はッ、神に選ばれた存在なんだッ」
 笑ったかと思えば、すぐに檄昂する・・・不安定な精神を形として見せ付けられるのは、ひどく不快な経験だった。
 掻き立てられた不安感からか、葵は意識せずにヒロを傍らに引き寄せる。
「・・・僕はもうすぐここから飛び立つ・・・黒き堕天使達を率いて、醜い人間共を一掃する為にね・・・」
 歪んだ笑みを浮かべる唐栖に向かい、雨紋は首をうなだれたまま一歩踏み出す。
「唐栖よ・・・」
「これはこれは・・・我が友、雨紋雷人・・・何か僕に言う事でもあるのかな」
「この世に選ばれた人間なんていやしねェ・・・」
 首を上げた雨紋の顔は肉体以外からくる苦痛に歪んでいた。
「テメェだって、ホントはわかってるンだろ?・・・この街が芯まで腐ってねェってよ・・・それに、腐った街だって、これからオレ達で変えていけばイイ・・・そうだろう、唐栖」
 悲痛な、言葉の端々から血が滴る様な雨紋の台詞に、誰も言葉を発しなかった。
 どの様な言葉を挟めばいいのか、分からなかった。、
 ふと唐栖の顔に弱弱しい微笑が浮かんだ。
 それは、今までの唐栖の印象とは程遠い、優しげなものだった。
 恐らくは、本来の唐栖は、いつもこちらの表情を浮かべていたのだろう。
「・・・・・・相変わらず甘い事を言ってるんだな、雨紋」
「唐栖・・・オレ様とやり直そう」
「・・・この東京で何を信じろというんだい・・・日々起こる、殺人、恐喝、強盗、強姦、傷害・・・犯罪の芽は数知れず、この世に溢れ、人は簡単に人を裏切る・・・」
 “裏切り”その言葉を口にした時、唐栖の顔に狂気を伴わない、純粋な痛みが浮かんだ。
「唐栖・・・オレ様がいつお前を裏切った?」
「雨紋・・・黒い水に、たった一滴澄んだ水を垂らした所で、その色が変わろう筈がないんだ・・・何故だ、雨紋、何故君は僕の側に来てくれなかったんだッ、君だって、神に選ばれた証の<<力>>を持っているのにッ」
 雨紋の視線を避ける様にそむけていた顔を戻した時、唐栖の目には先刻までの狂信的な光が戻っていた。
「君たちだってそうだ・・・神に選ばれた証の<<力>>を持ちながら、神の使徒である僕の邪魔をする・・・許されない、本当に許されない事だよ・・・」
 ねっとりと絡みつく様な唐栖の視線を受け、葵は引き寄せていたヒロをぎゅっと抱きしめて耐える。
 人肌の温もりを感じていなければ、腹の底から凍り付いてしまいそうだったのだ。
「君・・・」
「えッ・・・」
「そう・・・君だよ、美里葵・・・」
「なぜ、私の名前を・・・」
「僕の可愛いカラス達が教えてくれたのさ・・・」
 知らない相手に自分の名を知られている・・・名前の呪術性など抜きにして、気味の悪い話である。
「僕達の<<力>>は、東京を浄化する為に神から与えられたものだ・・・それに君の美しい姿はこの不浄の下界には相応しくない・・・そこの君、東京太郎君、君もそう思わないかい」
「Catの天敵と組む気は無い」
 にべもない京太郎の否定に、唐栖は歪んだ笑いを浮かべる。
「クックックッ・・・強気でいられるのも今の内だけだッ・・・僕と敵対する奴等はもうすぐみんな死ぬんだ・・・僕の可愛いカラス達に全身をついばまれてね・・・」
「美里ちゃん、こんな奴の言う事をまともにきいちゃダメよ」
「うるさい・・・何の能力も無い、ただの人間は黙っていてもらおう」
 唐栖が鋭い口笛を吹くと、カラスが一羽急降下し、アン子の顔面めがけて襲い掛かった。
「きゃあッ」
 咄嗟に腕で顔を庇ったアン子をついばもうとしたカラスは、不意に横から突き出された木刀に叩き落される。
「怪我ァ、ねェか?」
「え、ええ、大丈夫よ」
 目だけでちらりとアン子の無事を確認し、京一は唐栖を睨みつける。
「唐栖、てめェ・・・」
 瞬間的に張り詰めた気が弾けようとした時・・・
「私は・・・あなたの側には行けません」
 静かだが良く通る葵の声が、場に張り詰めた気を弛緩させた。
「ここにいるみんなは私の大事な仲間だから・・・それに私は信じています・・・ヒトの持つ、優しい心を・・・誰かを愛し、護ろうとする事から生まれる<<力>>を・・・」
「護る為の<<力>>だって・・・下らない、クックックッ・・・僕達の<<力>>は裁きを与える為の力なんだ・・・その力を持つものは、ただの人間とは違うんだよ・・・」
「・・・・・・唐栖君」
「もういい・・・これ以上、口で言っても無理だろう、Mr.唐栖には、彼なりのJusticeがある様だ」
 京太郎は葵とヒロを庇う位置に進み出る。
「・・・Mr.唐栖、YouがYouのJusticeを信じるなら、その<<力>>で俺を裁いてみろ・・・But、俺も俺の<<力>>でYouをJugedmentする」
「・・・分かったよ・・・僕を拒む奴等、みんな死んでしまえばいい・・・お前等みんな、お前等の信じる正義ってやつと一緒に死ねッ」
 唐栖は懐から横笛を取り出すと、唇にあてる。
 澄んだ笛の音が響いた瞬間、京太郎達の聴覚は360度、羽ばたきで満たされた。
 京太郎は一瞬たりとも躊躇わず、先刻からずっと頭に叩き込んでおいた、唐栖が居る島への鉄骨に突っ込んでいく。
 京太郎達の戦力は増える事は無いが、唐栖は公園に呼び寄せたカラス達から幾らでも戦力を補充できる。
 事実上、戦力供給は無限である以上、元を叩くしかない。
 殺到するカラスを移動の勢いで躱し、進行方向から向かってくるものと、その真逆のベクトルで追跡してくる躱しにくいものだけを叩き落す。
「おわッ」
 若干遅れて京太郎の左側に回りこんだ京一は、きわどい所で身を反らして目を抉りに来たカラスを躱すが、ついでにバランスを崩してしまい、慌てて右斜め前にジャンプ、平行に走っている鉄骨に着地する。
「とッ、とととッ・・・」
 勢いを殺しきれず、前後にたたらを踏みながらも木刀を一閃、カラスを叩き落す。
 京一の視界の端で、中途半端に翼を広げたカラスがくるくると回転しながら落ちていくのがよぎった。
「くそッ」
 予想以上に足場が悪かった。
 幸い鉄骨は乾いているが、幅は30cmそこそこ、普通に歩いていても踏み外しそうなのに、武器を振り回して戦う等滅茶苦茶である。
 下半身を死ぬ程鍛錬し抜き、いかなる状況でも常に正中を保てる古式剣術を修めた京一だからこそ、落ちもせず剣を振るってのけていられるのだ。
 しかもそうそう足を止めている訳にもいかない。
 足場の悪さのせいで身動きが取りにくい京太郎達と違い、カラス達は幾らでも自分達に有利なポジションを選択できる。
 おかげで四方八方から攻められてしまうのだ。
 足を止めれば、あっという間にカラス団子になってしまうだろう。
 だが、雨紋の方は京一よりも、もう少し大変だった。
 雨紋とて槍術を修め、槍を己の体の一部としている事は京一の木刀に負けない程なのだが、なにせ大きさが違う。
 どうしてもかさばる分、動きが鈍るのは否めない。
 いざとなれが片手で取り回す事ができる木刀とは違い、雨紋の槍は振り回すにも両手が要る。
 両手でものを握るというのは案外体の動きを制限するものなのだ。
 それに、うっかり足を踏み外したら、鉄骨に掴まる為に命の次に大事な槍を投げ捨てる羽目になりそうだ。
 それでも、かさばる武器をバランス棒代わりに使いつつ、雨紋は京太郎の右側に展開する。
 京太郎の提示した作戦はタイミングが命だ、京太郎がやられたら京一が、京一がやられても雨紋が唐栖に止めを刺すだろう。
 何の事は無い、ヤクザの鉄砲玉が好んで使う戦法だ。
 おうおうにして、最初の一人は捨て駒となる・・・
(変わったヒトだねェ・・・)
 確実に雨紋に殺らせようと気を使ったのか・・・それにしては自分が殺る気満々の様だが。
 兎にも角にも、遅れる訳にはいかない。
 雨紋は<<力>>をかき集めて、前方に激しい放電を巻き起こす。
 突然の電気ショックに体を突っ張らせたカラスがニ、三羽くるくると落ちていく。
「へッ・・・しびれたかい」
 呟きつつも、雨紋は落としたカラスが護っていた鉄骨を駆け抜ける。
 先の鉄骨を護る様に飛び回るカラスに念を凝らそうとした瞬間、雨紋の左脇を唸りを立てて矢が擦過し、カラスを2羽まとめて射ち落とす。
「ヒュゥ・・・オレ様にゃあてないでくれよ」
 呟くと、雨紋は又一本鉄骨を駆け抜ける。
 唐栖にたどり着くには、まだ幾本もクリアーしなければならない。
 キチ○イの様に直進している京太郎に遅れない様にするのは、かなり骨になりそうだった。


「なんて数・・・」
 各個単独で突撃した京太郎達も大変だったが、後方の島で固まっていた葵達も、楽な状況ではない。
 唐栖の注意は京太郎達に逸れてはいたが、唐栖の<<力>>で凶暴性を開放されたカラス達は、闘争本能の命じるまま、激しく襲い掛かってきていた。
 醍醐と変身を解いたヒロは、葵とアン子、そして弓を構えた小蒔を真中に庇って戦っていた。
 醍醐の腕がカラスを薙ぎ、雷気を帯びた後ろ回し蹴りに触れたカラス達が痙攣しながら落ちていく横で、風車の様に回転するヒロのモップがカラスを叩き落とし、背後から美里やアン子に迫るカラス達は尻尾を鞭の様にしならせて打ち据える。
 非戦闘員を庇いながらの戦闘というのは、一人で戦う喧嘩とも、複数の戦闘員で戦う抗争とも全く別種の戦術が要求される。
(東がヒロをつけてくれて助かったな・・・)
 普段のぽややんとした見た目と言動とは違い、妖怪としての本性をあらわしたヒロはとても手馴れた様子で戦っている。
 モップと尻尾の制空権に入ったカラスを瞬時に叩き落す反射速度と、鋸の様な音を立てて回転するモップの軌道の滑らかさには、醍醐もつい視線を奪われそうになるほどだ。
 ヒロが後ろ180度以上の範囲をカバーしてくれている為、醍醐は安心して前方と斜め右左のカラスに集中する事ができる。
 数が多すぎる為幾分薄手を負ってしまったが、その分、背後に庇った小蒔の所にはまだ一羽たりともカラスを通してはいない。
「よしッ」
 醍醐は密かな満足感に浸りながら腕を振り上げ、突っ込んできたカラスを上から押さえつける様に叩き落す。
 奮戦しつづける醍醐とヒロの足元には、階下に落ちていかなかったカラスの屍骸がそろそろ20を超えようとしていた。
 そんな喧騒の中で葵はひざまづき、一心に祈りを捧げている。
 葵の体を包む青いオーラが一際輝きを増す度に、醍醐の負った負傷が回復し、後頭部を抉ろうとするカラスの爪がきわどい所でそれ、緊張と焦りで満たされそうになる小蒔の心が静まっていく。
 葵の傍らで、膝立ちになったアン子は、ただ無心にカメラのシャッターを切っていた。
 こんな光景、こんな事実・・・天野の様なプロライターが書く記事より、遥かに自由度が高い真神新聞でも載せる事などできないだろう。
 しかし、こんなものを目の前にして事態を記録しないなどという冒涜行為は、アン子の本能が許さなかった。
 自分でも不思議な位冷静に、第三者的な感覚で周囲の戦闘が捉えられる。
 戦場カメラマンは、カメラのファインダーを通す事で、周囲の惨状を第三者的に傍観できる精神を形成するというが、今のアン子の精神状態はそれに近かったのかもしれない。
 アン子のカメラは・・・一心に祈る葵を、吼える醍醐を、胸に光をたたえるヒロを、弓を引絞る小蒔を、鉄骨から身を躍らせる京一を、槍をしごく雨紋を、次々と捉え・・・唐栖の手前でバランスを崩す京太郎を捉えた。
「東ッ!」
 突然、見えない拳に殴られた様にぐらついた京太郎は、鉄骨から足を踏み外し、落下、辛うじて2階下の鉄骨に激突して引っかかる。
 ヒロが飛び出し、一瞬、完全に作戦を忘れた京一は立ち止まる。
 雨紋だけが必死に鉄骨を突き進んでいた。
 呆然と階下を覗き込んだ京一の背後からカラスが襲い掛かる。
「ちッ・・・」
 弛みない修行と幾つかの実践で開花しつつあった、戦闘の勘働きが、すんでの所で京一にその一撃を悟らせた。
 危うく身を捻って、一足飛びに唐栖側の鉄骨に跳び移る。
 足元を確かめて更に跳躍しようとした瞬間、不意に京一はバランスを崩す。
「うわーッ」
 ぐるぐると回転する世界を御しきれず、浮遊感に包まれた京一は、次の瞬間、何かにがっちりと空中でキャッチされる。
 京一が目を開けると、回る世界の中で風に煽られた誰かの髪が京一の頬をくすぐった。
「唐栖ッ!」
 京太郎と京一が抜けた為に、密度が1.5倍増になったカラスの攻撃を強引に切り抜け、血まみれで唐栖の島に足をかけた雨紋は叫びと共に、突撃をかける。
 しかし、唐栖が上体を僅かに雨紋に傾けた瞬間・・・
「うぉッ」
 雨門の腰が砕け、勢いの乗った下半身の上で上半身が前方に泳いだ。
「雨紋クンッ!」
 あっさりと脚を引っ掛けられて倒れ伏す雨紋を見て叫ぶ小蒔の背後で、アン子の目が一瞬光る。
「桜井ちゃん」
「え、えッ、何?」
 声をかけられた刺激で、小蒔が脱力状態からパニックに陥りかけたのを感じたアン子は、咄嗟に小蒔の背中を掌で強打する。
「い、痛いッ、何するんだよッ」
 痛みを認識した小蒔が自分を確認したのを確認したアン子は、急いで口を開く。
「早く、唐栖の笛を射ち落としてッ」
「笛?」
「いいから、早くッ」
「う、うんッ」
 京太郎は下で動かない・・・
 ヒロが抜けた穴を醍醐が一人で支えている。
 落ちかけた京一をヒロが鉄骨に尻尾でぶら下がって抱えている。
 雨紋は今にも止めを刺されそうだ。
 一刻の余裕も無い。
 小蒔は素早く矢をつがえ、弓を引絞る。
(お願いだから、当たってよ・・・)


「雨紋・・・いい様だね・・・僕を裏切るからそうなるんだ」
「ち、畜生・・・」
 唐栖の前に這いつくばった雨紋は、どうにか掴んだままの槍を頼りに立ち上がろうとするが、全く平衡感覚がつかめない。
 もがく雨紋のわき腹を唐栖は容赦なく蹴上げる。
 もんどりうった雨紋の手から槍がとび、さして広くも無い島の足場から体が放り出されてしまった。
 辛うじて足場の縁に手をかけ、雨紋は宙ぶらりんの格好になる。
「へぇ、しぶといね・・・流石選ばれた<<力>>をもっているだけあるよ・・・でも、さよならだね、雨紋・・・」
 唐栖はかかとを上げ、一気に雨紋の指を踏みつけ、捻る様に踏みにじった。
 2度、3度とかかとが下ろされると、雨紋の体はぐらつき、次の瞬間、かけていた指が力を失い、すっぽ抜ける。
「おわーッ」
 瞬間、ヒロは京一を放り投げなげざま、振り子運動の要領で、尻尾で勢いをつけ前方へ移動、危うい所で、雨紋のガクランの首根っこを掴む。
 反動をつけて唐栖の目の前に降り立つと、唐栖は慌てて笛を口にあて、吹いた。
「あ・・・う」
 一瞬、ヒロの体が後ろにかしいだ。
 蒼白な顔で更に唐栖が笛を強く吹くと、ヒロの脚がくたっ、と曲がりそうになり、ヒロは慌てて雨紋を島の足場に放り出し、自分は足場から落下する。
 幾度か鉄骨に何かが引っかかる音が聞こえ、意外とささやかな、どさ、という落下音が聞こえた。
「ヒロッ!・・・唐栖・・・テメェ・・・」
 数瞬前、ヒロに唐栖の島に放り投げられた京一は、ようやく納まってきためまいをおして膝立ちになる。
「は、はははっ・・・やっぱり頭の弱い子だったね・・・あそこで雨紋なんか助けなければ、僕に勝てたのに・・・」
「ふざけるなッ!ロボットのヒロの方が、テメェなんざよりよっぽど人間らしかったぜ・・・」
 怒りで、目の前が真っ赤になる錯覚を覚えつつ、京一は木刀を持ち上げる。
「そんなにふらついていて、僕が斬れるのかい・・・」
 膝をがくがくと震わせながら構える京一に向けて唐栖が笛を持ち上げる。
「テメェみたいなもやしっ子には、丁度いいハンデだぜッ」
 唐栖との距離は1.5m・・・普段ならば完全に京一の愛刀の間合いの内だったが・・・
(こいつは、きちぃぜ・・・)
 さっきくらった何かの影響か、ろくすっぽ腰から下に力が入らない。
 踏み込む所か、立っているのがやっとだ。
 薄笑いを浮かべて唐栖が笛を口にあて様とした時、紅い熱を帯びだ矢が笛を打ち砕いた。
 驚愕の表情を浮かべて、矢の飛来元に向き直った唐栖の背中に熱い感触が走る。
「・・・雨紋」
 半ば這いずる様な体勢から雨紋が槍を突き上げていた。
 唐栖の口を血塊が割る。
「済まねェ・・・唐栖」
 呟きざま、雨紋が前のめりに全体重をかけると、更に深々と槍がめり込み、唐栖は両膝をつく。
 ゆっくりと唐栖の体が前にのめり、槍の穂先が抜けた体は足場の縁を越え、落下していった。
 塔の周辺にいたカラス達が一斉に飛び立ち、空が黒く染まる。


「酷いよ・・・こんなの・・・こんなの、ただの殺し合いじゃないかッ!」
「桜井・・・」
「・・・」
 ぺたんと座り込んだ体勢で肩を震わせる小蒔に、醍醐だけではなく、葵もかける言葉を見つけられず、ただ、親友の背中をさすってやるしかなかった。
「あれ・・・」
「どうした遠野?」
 手持ちぶたさから、ふと階下に目をやったアン子は、途中の鉄骨に引っかかっていた筈の京太郎が居なくなっている事に気が付き、慌ててその周辺を探す。
「え、落ちちゃったの・・・」
 突然、醍醐達の乗っている島の足場に、だん、という衝撃が走った。
「なんだッ」
「えッ・・・」
 警戒した醍醐の足元の右側、座り込んだ小蒔の正面に掛かった手がぐっ、と握り締められ、懸垂の要領でひょいと京太郎が姿をあらわした。
「う、うわッ・・・あ、東クン」
 京太郎は、軽く上体を振って足場に足をかけて体を全て持ち上げてしまうと、完全に座り込んだまま腰を抜かしている小蒔に手を貸して立たせてやる。
「醍醐、頼む」
「あ、あァ・・・しかし、東、お前無事だったのか」
 下半身がぐにゃぐにゃの状態でしがみ付いてくる小蒔を押し付けられ、醍醐は呆然と質問する。
 京太郎の表情はけろりとしてもので、まったくぴんぴんしている様に見えた。
「I Fineだ・・・But、さっきは一寸HeadをCrashしてな、少し気を失っちまった・・・全くTraning不足だ」
「いや、いいんだ・・・お前が無事だったのなら・・・な、美里」
「ええ、本当に・・・本当に良かった」
 涙を浮かべる葵に近づき、京太郎は瞳を合わせ・・・口を開いた。
「Miss.美里・・・怪我の治療を頼みたい」
「あ、はい・・・東君、何処を怪我したの?」
「いや、俺じゃない」
 すぐに心配そうな表情で体を調べようとする葵を、京太郎は制止して背後を振り返る。
「治療して欲しいのは、唐栖だ・・・流石にあのSerious Woundを放っておいたら助からない」
「何ッ、唐栖が生きているのか?」
「ああ、下でヒロがCatchしたからな」
「ヒロちゃんも無事なのッ」
 敏感に反応した小蒔に京太郎は頷き、背後を振り返る。
 下から鞭の様に繰り出された尻尾が鉄骨に巻きつき、ヒロがそれで自分の体を引き上げ、姿をあらわす。
「わぁ、ホントだッ!」
 快哉を上げる小蒔のを尻目に、京太郎は眉をひそめる。
 ヒロの両手は空で、誰も抱いてはいなかった。
「唐栖は?」
 京太郎の疑問を、代わりにアン子が代弁してくれた。
「・・・ごめんなさい、にげられちゃいました」
「え〜ッ」
「・・・Hum、あの傷ではどうせ遠くまではEscapeできない筈だ」
 余りにも申し訳なさそうにしょぼくれているヒロの姿に、京太郎は助け舟を出す。
「そうね・・・早くさがしてあげましょう・・・もう、この事件で誰も、これ以上死んで欲しくないわ」
「ええ、アタシも納得のいく結末が見たい・・・」
 愁眉を寄せる葵に頷き、アン子は、鉄骨を駈け戻ってくる京一と、槍を引きずりながら戻ってくる雨紋に目をやった。
「まだ、休めないわね・・・」


「はぁ・・・はぁッ、ぐッ」
 血を垂らしながら歩いていた唐栖は、足をもつれさせ、側溝に転がり落ちる。
 蓋のついていないささやかな側溝は、唐栖の体が半分入っただけで満タンの状態だ。
 幸い今は水が流れていないが、替わりに乾いた落ち葉が詰まっている。
「僕には・・・お似合い・・・か」
 唯一信頼できた友を裏切り、無辜の人々の血で手を濡らし・・・狂気も敗れた。
 最早、唐栖をこの世に繋ぎとめるものは残っていなかった。
(ここでゴミの様に野垂れ死ぬのも・・・いいか、いや・・・ここじゃ、まだ、近すぎる)
 ただ、もうこれ以上惨めなこの姿を、雨紋に見せたくはなかった。
 死に瀕したこの姿を見れば、他の者は兎も角、雨紋は、雨紋個人だけは、唐栖の罪を死の前に許してくれるだろう。
 雨紋はそういう男だ・・・だが、それを受け入れる事は出来ない。
 そうするには、余りにも罪深い行いをし過ぎている。
 かつて親友だった男にこれ以上惨めな姿を見せない為に、唐栖は側溝から這いずり出した。
(少しでも、遠くに逃げねば・・・雨紋に見つからない場所に・・・)
 どうにか立ち上がった時、近くの藪から鬼面をつけたニンジャが姿を現し、唐栖を取り囲んだ。
「・・・放っておいても・・・死ぬって言うのに、わざわざ・・・始末に来たんだね・・・・・・」
 唐栖は力が抜けるに任せ、地面に座り込んだ。
「手間が・・・省けた」
 うなだれて目を閉じた唐栖の耳に、刃物をさやから抜き放つ、微かなさや走りの音が聞こえた。
「・・・事情はわからないけど、いい若いもんが、ちょっとあっさり諦めすぎ・・・」
 不意に、面倒くさそうな声が響き、鬼面のニンジャ達に緊張が走る。
 殺気が凝縮し、剣戟の音となって弾けとぶ。
(・・・なんだ、この“氣”は・・・人間、じゃ・・・ない?)
「ねぇさんも物好きやなぁ・・・」
 唐栖の耳元でのんびりした調子の男の声が響き体に暖かい手が触れた。
「こいつは、酷くやられたもんや・・・ま、ワイの活剄にかかりゃ、こんな傷軽いもんや・・・安心しとき」
「・・・いい・・・ほうっておいて・・・くれないか」
「なにいうてるんや、人の親切は、素直に受けておくもんや、ほいやッ」
 掛け声と共に唐栖の体に暖かい感覚が走り、痛みが退いていくのを感じる。
 意識の上のものとは関わり無く働く、本能の部分から生じる安堵感に包まれ、唐栖の意識は遠のいていく。
「・・・・・・雨紋」
 誰かの名前を呟いて気を失った少年を支え、左眼に刀傷のある少年は、先刻剣戟の音がしていた方向に眼をやった。
「・・・かったるい」
 そこには、黒づくめの服を着て、指抜き手袋をはめた少女が立っていた。
 足元には、風に吹かれて塵と化しつつある鬼面ニンジャ達が転がっている。
「面倒なら、助けなきゃよかったんじゃないんでっか・・・あねさん」
「道心の爺さんに公園の様子を見てこいって言われてただろう・・・それから、あねさんはやめてくれ」
 少女の年は少年と同じか1つ2つ下に見える。
 ちなみに少年は何処かの高校の制服を着ている。
「アイヤ、こりゃ失礼・・・でも、人助けせぇとは言われてない思うんやけどなぁ・・・まぁ、“じゅん”はんの場合は人助けが趣味やからしょうがないかなぁ」
「別に、趣味じゃないが・・・とりあえず、荷物ができたからこれで、ここの調査は一旦終了しよう」
「ほな、そうしよか・・・って、コイツ連れて帰るんか!?」
「あの鬼面の連中に始末されそうになってたって事は、何か知ってるんだろう」
「そりゃあ、そうかも知れへんけどなぁ・・・」
「分かったら、さっさと背負って・・・誰か来そうだ」
「しかも、ワイが担ぐんかい!」
「めんどくさいのはキライだ・・・」
「はぁ・・・しゃあない・・・ワイ、何でこう年上のねぇちゃんに弱いんやろ・・・」
 ぼやきつつも、少年は唐栖を背中に担ぐ。
「ま、そうと決まったら、さっさと帰って地鶏まんでも食べる事にしまひょか」
「カレーがいい・・・」
「また、レトルトでっか・・・好きでんなぁ・・・」


「・・・劉君と一緒だったら安心ね〜・・・うふ〜、ご苦労様」
 2人が立ち去った後、木陰から姿を現した裏密は地面を一心に舐めていた犬型の使い魔を回収する。
 使い魔が舐めていた地面からは、唐栖の血痕が綺麗に消えていた。
「・・・劉くんとは、まだ、会う時ではない〜」
 裏密はちらりと背後を振り向き、木陰に消えた。


「・・・京太郎、そっちはどうだったよ」
「だめだ・・・NotFoundだ」
「これだけ探しても居ないとは・・・」
「アレだけの傷で、血痕の一つも見つからないのはおかしいわね」
 額を寄せて考え込んでいる男共は、アン子の言葉に一様に頷く。
 塔の近辺は手分けして満遍なく探している。
 しかし、本当に染み一つ見つからなかったのだ。
「唐栖・・・」
「雨紋君・・・元気を出して、唐栖君はきっと生きているわ」
 独り離れたベンチでたそがれている雨紋に、葵は出来る限り優しく声をかける。
「あンた優しいな・・・でもいいンだ・・・奴は、どんな目にあっても仕方の無い事をした・・・」
「・・・」
「結局、オレ様は・・・奴に何ができたんだろう・・・」
「唐栖さんは、雨紋さんのきもちわかってたんですよ・・・したでうけとめたとき、すまない、すまない、ありがとう・・・っていってました・・・」
 雨紋は、涙目で見つめているヒロの頭を撫で、微笑する。
「ありがとよ・・・いい子だなあンたは、昔、知ってた子によく似てるよ・・・」
 もうこの世には居ない、女の子の面影をヒロの中に探そうとしている事に気が付き、雨紋は首を振って苦笑する。
「・・・・・・いつまでもくよくよしててもしょうがねェ」
 雨紋は尻を払って立ち上がる。
「あンたら、今回は本当にありがとよ・・・オレ様一人じゃ、奴を止めてやる事なンか、できなかった」
「No Problem、俺たちだって助かった・・・な、蓬莱寺」
「ああ、いいって事よ」
「へッ・・・あンたら、本当にお人よしだよな・・・でも、カッコイイぜ」
「そう言われると、おもはゆいものがあるな・・・」
「あンた等に会えて良かったよ・・・じゃあな」
「ちょっと待ってよッ!」
「あン?」
 槍を担いで帰ろうとしていた雨紋は、小蒔の叫びに引き止められ、振り返る。
「どうしたンだい?」
「あ・・・大きな声だしてゴメン・・・でも、そんな・・・二度と会えないみたいな挨拶で分かれるの、今日はいやなんだッ・・・又、会えるよね?」
「桜井ちゃん・・・」
「うーん、あンたらは、こんな事件、早く忘れられたらその方がいいんじゃないか?」
 雨紋に視線を向けられ、京太郎は首を振る。
「Painの記憶も自分を構成する要素だ・・・何もないよりあった方がいい、俺はそう思う、それに今日は苦しい事ばかりじゃなかっただろ」
「おもいでをわすれるなんてかなしいです・・・」
 京太郎の手にすがり付いて見つめるヒロの視線を受け、雨紋は胸を掻き毟る。
「・・・へッ、分かったよ・・・何かあったらいつでもオレ様を呼んでくれ、力になるぜ」
 雨紋はヒロの所に近づいて身を屈め、頭を撫でてやる。
「何か困った事があれば、オレ様を頼ってくれよッ」
「はい」
「これで雨門君も仲間だねッ」
「へッ、足をひっぱるなよッ」
「よろしくな、センパイ」
 木刀を担いだ京一の憎まれ口に、雨紋も不敵な笑いで応える。
「うふふっ、雨紋君が仲間になってくれてよかったわね」
「ああ、中々いい奴の様だな」
「さて、Gohomeするか・・・俺たちの街に・・・」
「はいッ」


「じゃ、アタシは警察に公園の死体の事たれこんでから帰るから・・・じゃあねっ」
「じゃあなッ」
「Seeyou」
 京太郎とヒロ、京一は最後まで一緒に歩いていたアン子と別れ、京太郎のマンションを目指していた。
 京一も相変わらず、自分の家に帰らない男である。
「そうそう、そういや、なんでヒロは渋谷くんだりまで来てたんだよ?」
「Hum、そうだな・・・確かにそれは気になる」
「裏密さんからでんわもらったですよ・・・しぶやのこうえんにきょうたろうさんたちがいるって」
「又、裏密の仕業か・・・あいつ、一体何者だ?」
「Greatだな・・・流石だ」
「何、マジで感心してんだよ・・・ちったぁ疑えよなッ」
「Why?何故、疑う必要があるんだ?」
「・・・・・・もういい、やっぱりお前と女の話はしねェ」




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