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No.008 マット対決

建物の入り口とか、店の入り口にはたいてい玄関マットが敷いてある。あれは、店の人が買ったものではなくて、マットの会社からレンタルしている場合の方が圧倒的に多い。

マットの会社とレンタルの契約をすると、その地区の担当の人が2週間とか4週間に一回、新品に交換しに来る。交換のたびに料金が発生するシステムになっている。マットの会社で一番有名なのはやはりダスキンだが、それ以外にもマットの会社はいくつも存在する。

マット会社の各社員は、お客さんの店のマットの交換を行いながらも、目についた店や会社に飛び込みで営業に入り、レンタルの契約を取ってくるのが仕事である。

契約を取るといっても、新規に建設中の店に遭遇出来る可能性は低いので、どうしても、他社と契約している店などに営業に行き、「今、契約しているマット会社を解約して、うちと契約してもらえませんでしょうか。」というような話をする。

いわば他社のお客さんを盗(と)るようなものだが、こういったことはお互いの会社がやっており、新聞の勧誘と同じような感じである。


だが、あっさりと契約が成立する場合は少ない。だから社員もいつも苦労する。


あるマット会社に勤務するA君という社員がいた。

ある日、A君は前々から気になっていたラーメン屋に営業に入った。玄関にも、店内にもライバル会社のマットが何枚も敷いてある。この店から契約を取れれば自分の実績もかなり上がる。

挨拶して店長に話しかけると、結構話を聞いてくれた。だいたい営業に入るとすぐに追い返される場合がほとんどだが、この店長は結構話の分かる人みたいだった。

今、契約している会社よりはお安くしますのでどうでしょうか、うちとお付き合い願えませんでしょうか、といった話をすると、店長も

「うーん、そうじゃのお。うちも不景気だから、店の経費は少しでも少ない方がいいしねぇ。ちょうど明日、交換の人が来ることになってるから、その時にあっちを解約して全部持って帰ってもらおう。

今後はお宅の会社でやってもらおうか。明日のこれくらいの時間にまた来てくれるかね。」


と、極めて好意的な返事をもらった。「やった、一軒契約ゲット!」とA君は喜びながら店を後にした。



そして次の日、マスターから言われた枚数のマットを持ってA君は店を訪れた。

「こんちはー。」と挨拶して、「どうでした? あちらの方、断っていただけました?」とにこやかに尋ねたが、店長は何か渋い顔をしている。

「いや、そのことなんだがな。あっちの担当の人に『次からよその会社と契約しようと思うので・・。』と言って断ろうとしたんだがね、向こうの担当の人が言うには、

『いやいや、別の会社と契約するというんでしたら、一回あちらの会社の人と勝負させて下さい。』と言うんだ。」

「え・・? 勝負ですか?」

「『お互いマット会社同士で戦って、それで勝った方と契約してくれ。』と言うんだよ。どうかね、あんた、受けてみるかね、この勝負を。」

勝負と言われ、趣味でウエイトトレーニングをしているA君はすぐに

「ベンチプレスかアームレスリングの勝負だったら受けて立ちますよ。」

と答えた。

「あんた、アホかね。何でうちの店でマット会社の人がアームレスリングせにゃならんのだ。マットだよ、マット。マットの品質で勝負しろと言ってるんだよ。」

「マットで勝負ですか?」

「そうやっ、これはいわゆるマット対決やっ!あんたも男なら受けてみんさいっ!」

まっとたいけつ・・何て意味不明な響き。あっさり契約に至るかと思っていたら、これまた相手も面倒くさいことを言ってくる。

しかしなぜか店長はえらい気合が入っている。こういう雰囲気だとやらざるを得ない。

「向こうの人が言うにはだな、今、店の中に敷いてある、この緑色の薄型のマット。これとよく似たマットがあんたの会社にもあるはずだと言うんだ。

それで、うちの店内と厨房を結ぶ入り口に二つの会社のマットを並べて敷いて、
一週間経った時、どっちのマットが汚れているかによって決着をつけたいと言うんだよ。つまり多く汚れている方が、靴の裏の汚れをより多く取った・・要するに品質的に優れていることになる、というんだ。」

「向こうは、その勝負マットを明日の2時に持ってくると言っている。はちあわせするのも嫌だろうから、あんたの方は3時に持ってきてくれ。一週間ほど使ってみてから、ワシが判定させてもらおう。」

こうなってくると従わざるを得ない。「二つのマットを並べて敷いて、一週間経って、いっぱい汚れていたほうが勝ち。」

文章にすると、何か間が抜けている感じがするが、マットの機能を測定するには、やはりそれしかないだろう。

「分かりました、じゃまた明日来ます。」と言って、A君は、この日はこれで店を後にした。


しかしどうやれば勝てるのか・・。マットの表面には汚れやホコリをくっつけるために「吸着剤」という液体が塗ってある。工場に連絡して吸着剤を送ってもらって、規定値の10倍くらいの吸着剤をぶちまけた特性のマットを作って持っていこうか。

いや、明日では今から頼んでも間に合わない。それとも最初っから汚れたマットを持っていくとか?そんなことやったら一発でバレる。

別にスポーツじゃないから、何をやったって勝てばいいのだ。
あれこれとイカサマの手口を考えてみたが、うまい手が思いつかない。A君も、しょうがないから諦めてフェアにやることにした。それが人間として当たり前のことなんだが。


そして翌日。A君は指定されたマットの中でも、極上のマットを選び抜いて、決戦の場に持っていった。
「こんちはー。」と挨拶すると、

「おう! 来たか! 相手はもう、マットを置いて帰っとるで。見てみるかね、あんた。」と言って、店長は奥の方から、そのライバル会社のマットを一枚持って出て、

「これがっ! 今回の相手の勝負マットやっ!」と言って、マットをバーン!と広げてみせてくれた。


別に何の変哲もない、緑色の薄型タイプのマットだったが、この店長も気合が入りまくっている。A君も一応、それなりのリアクションを示さなければならない。

「これはまたっ・・!! 向こうさんも恐ろしいマットを持ってきましたね・・。」と言うと、

「ほう、あんたには分かるかね、このマットの恐ろしさが・・!! ワシのような素人ではさっぱり分からんが・・。」

別にマットに恐ろしいも何もないもんだが、一応場を盛り上げるために言ってみただけである。

「あんたの方のマットを預からせてもらおう。」

「分かりました。これでございます。」と言ってA君はマットを差し出した。

「よし、じゃあ明日っから一週間、両者のマットを使わせてもらおう。相手は全力で戦います、と言っている。あんたの方も全力で戦ってくれ!」

「分かりました!! 全力で戦わせてもらいますっ!!」

A君も「全力で戦う」とは言ったが、ただマット置いて帰るだけなので、あと、どうしようもないんですけど、と思いながら店を去った。



それから一週間が経って、またもやラーメン屋を訪問した。
「どうでした、店長? 結果の方は?」と聞くと、

「う〜〜ん、何か似たりよったりだねぇ・・。」と言うので、

「分かりました。ありがとうございます。じゃ僕の勝ちということで。」

「いやいや、そんなことは言っとらん!

結果は似たりよったりだったが、やっばり向こうの人とも何年も付き合いがあるしねぇ。それにあの担当の人が時々ラーメン食べに来てくれるんだよ。そういうことも無視は出来ないし、やっぱり向こうの方を継続しようかと思うんだがねぇ、あんたには悪いんだけど・・。」

「ええ〜〜っ!! そうなんすか!!」
「いや〜、すまんねえ。それじゃそういうことで。」

A君も、完全に契約になるものと思って、すでにポケットに伝票と契約書まで忍ばせてきたのに、最後に大どんでん返しをくらってしまった。これまでの付き合いに負けたというところか。

「全力で戦った。悔いはなし。」と思う反面、「絶対ここには食べに来(こ)んぞ。」と思いながら、A君は店を後にした。