Top Page 現代事件簿の表紙へ No.007 No.005
男は自分の死に場所を求めて旅に出る。行く先々で自分の気持ちをテープに録音しているが、その録音は自分の自殺の瞬間まで記録されていた。 (被害者は仮名)
▼事件発覚平成6年11月14日、東京都葛飾区 西新小岩の公団住宅の賃貸マンションの一室から、母(49)と娘(23)の二人の他殺死体が発見された。数日前から、電話をかけても出ないことを不審に思った親族が、この部屋を訪ねて発見したのだ。 母の遺体は、四畳半の部屋に敷かれた布団の上で、顔にはバスタオルが、身体には夏用の薄い布団がかけられていた。首にはロープなどで絞められたような跡がくっきりと残っており、寝ているところを絞殺したものとみられた。 娘の遺体は、自室のベッドの上に横たえられており、布団がかけてあった。母と同じように首に絞められた跡が残っていた。 しかしこの家庭の夫である松田雅夫(まさお = 50歳)は行方不明となっていた。この事件は結果的には一家無理心中である。自分の妻・良子(よしこ)と娘・恵(めぐみ)の二人を殺害した雅夫は、現場である自宅から逃走し、この後宛てのない旅に出た。 雅夫は、最終的には長野県のホテルで首を吊って自殺しているのだが、この事件が特殊なのは、雅夫が逃走の最中、自分の気持ちを随所でカセットテープに録音していることである。録音時間は全部で約40分。そしてその録音は最後に自分が首を吊る瞬間で終わっていた。 ▼殺害の動機と状況の告白 松田雅夫は、平成3年、47歳の時に、それまで務めていた「ソニーミュージックエンターテイメント」を退職し、自分で会社を起こした。自分の趣味であり、大好きだったクラシック音楽を扱うソフト製作会社で、事務所も構え、自家用車もベンツを乗りまわす毎日だった。しかし見かけとはうらはらに、会社の経営は困難を極めていた。 元々市場が大きいとはいえないクラシックの世界で需要がそうあるわけではなく、借金に借金を重ね、その額は2800万円にもなっていた。そして三年で事業は破綻した。 妻と娘を殺害したのは11月10日の朝。この日は、金融機関への支払いの第一回目の日となっていた。この日に700万円払わなくてはならない。金の準備に万策尽き、雅夫は一家無理心中を選んだ。 自殺に至るテープはまず、 「はい、松田雅夫が喋っています。こんなことをする気はなかったんですけれども、いくら手紙を書いてもしょうがありませんし、自分の気持ちを正直に言うにはこれが一番いいかな、と思って、思いついたように喋っています。」 といった口調で始まり、この中で資金に困っていたことにも触れている。 「資金のこと、もう本当に信じられないくらい一生懸命やったんですけれども、結局最終的には11月10日に間に合わない、と。 翌11日からは、もう矢のような催促が来るわけですし、捕まってしまえば逃げられなくなりますから、どうしても10日のうちに決めてしまわなければならない、と。」 決めてしまわなければならない、とは即(すなわ)ち、二人を殺して自分の死ぬ、ということを意味していた。 殺害した時のことについては、 「10日の早朝に良子を、それから恵に対しては『母さん、病気でちょっと寝てるから、ちょっとそっとしておいてくれ』というような形にして恵と一回対峙(たいじ)してですね、それで朝食も食べ終わり、彼女の後ろから、カミさんと同じロープで絞殺した、というわけです。」 この日の朝、近所の人が女性の「助けてーっ」という声を聞いている。まだ寝ている良子さんを布団で殺害し、娘である恵さんは台所で殺し、遺体はベッドまで運んだ。 雅夫はすぐに後追い自殺はせずに、この後旅に出る。殺した二人のことを思うと、生前みんなで旅行に行った時に「あそこにも行きたいね、ここにも行ってみたいね。」といった会話を思い出し、死ぬのはいつでも出来るから、彼女らが生前、行ってみたいと言ってたところを時間の許す限りまわってみようと思った、という発言をテープの中でしている。 ▼旅に出発 二人の遺髪を持ち、自家用車である白のベンツに乗って出発する。最初に訪れたのは神田駿河台(するがだい)にある「山の上ホテル」である。ここは御茶ノ水駅前にある雅夫の会社からわずか300mくらいの距離である。肉マンのおいしい、このホテルに泊まってみたい、と彼女らが以前言っていたことがあったからだ。 ここで一泊して、翌日は車で名古屋へ向かう。名古屋から飛行機で海外へ行くつもりだったのだが、途中で心変わりして、「日本にもまだ見てないところがいっぱいあるし、日本の良さもまだそんなに知っていないんだし・・」と、テープにも予定変更のメッセージが残っている。 名古屋で一泊し、次は伊豆半島の下田へ。下田プリンスホテルで一泊し、箱根では箱根プリンス、その後は富士山を巡る。 「富士山を近くで見たいと、太平洋の側から見せてあげたいなあ、と思ったからですね。」 旅に出て4日目の11月14日。この日に東京で良子と恵の死体が発見される。当日雅夫は富士ビューホテルに宿泊している。 「朝はもう、ほーんとに信じられないくらい美しい富士山を見ることが出来ました。」 「富士山に関しては、一番いい姿を見せてあげられたんじゃないかな、と思います。」 随所に、まるで家族三人で旅行をしているかのような発言がある。また、その逆に、自らの死を意識した発言もある。 「私としてはですね、死に場所をいつも求めていたわけですね。10日、殺害に使いました物を、テレビ用のアンテナコードですね、常にいつも持ちまして死ぬ用意をしておりました。それ一本では足りないと思いまして、白の、倍くらいの長さのコードも常に持参しておりました。」 また、この時点ではすでに事件は発覚しているわけだから、警察に関しても注意を払っている。 「パトカーに停止されたら、華々しく事故死でもしてやろうかと思いましてですね。私、助手席にいつも、えー、ガソリンは買えないものですから、メチルアルコール三本とですね、後ろの席にはベンジンを三本の、ペットボトルというんですか、置いておきました。パトカーから停められても、ライターを擦(す)ればいい、と。」 「死に対する恐怖はありませんでしたけれども、逆に言うと、死に対して憧(あこが)れのような気持ちで走っていたのは確かです。」 ▼自殺を決行するも失敗 15日。奈良に到着する。宿泊先は皇室も使用している一流ホテルであり、ここは娘の恵が「一度泊まってみたい」と言っていたホテルでもある。 「私は、もうそこで最後にしようということを心に誓っておりましたものですから。」と、ここで旅も終了し、このホテルで死ぬ決心をしている。 夜、ホテルで最後の儀式を行う。「私は良子と恵の分の食事も取りまして、二人の遺髪を飾り、花を飾り陰膳(かげぜん)と一緒に最後の食事をしました。まだまだ名残惜しい気持ちでいっぱいでしたけれども・・。」 そしてついに深夜2時ごろ、雅夫は自殺を決行するが、ロープが切れて失敗に終わる。 「鴨居(かもい)に、良子と恵に使ったブルーのコードをかけてですね、自分の・・もちろん自分の首にまわして・・(略)私は本当に、全く自然に足の下にあった椅子を蹴ったんですけれども、今、こうしてまだ生きているということ・・。 これをどう説明したらいいのか分かりませんけれども、とにかく私は、あのー、その後、突然ですね、時間が長いのか、時間が短いのか、一瞬なのか、一時間、三時間以上経ったのか、全く覚えていませんけれども・・。」 「首吊りの途中でヒモが切れて、そしてテレビコードが切れて下に落ちてしまったんですね。真下に落ちたといっても、その周りはですね、とりあえず、あのー、自殺者特有の便ですとか、尿ですとか、それが全部外に出ているわけですから、とくかく、もう豚小屋みたいなもんですね。その上でもって、つるつるすべるわけですから、あっちこっちにぶつかって当然なんですけれども、まあ、その中で三、四時間、自分を取り戻すのに精一杯でしたけれども。」 「ただ、チェックアウトの時間が11時だってことだけは薄々感じてましたので、時計を見たら10時40分くらいだと思いますから、もちろん、それまで、かなり以上片付けてありましたけれども、まあ、手短に身支度をしまして、逃げるように出てきたわけです。」 首を吊る前にかなり酒を飲み、実行したのだが、結果は失敗し、首や手、ヒザや顔に激痛を負(お)ってホテルを出た。この後、5時間ほど車の中で横たわり、回復を待つ。 「うん、これは一回目は死なしてくれないんだなあ、と。当然私も良子と恵の二人を絞殺しているわけですから、一回の自殺で許してもらえないことは当たり前ですから、もう一度チャレンジしよう、と。」 ▼二度目の自殺を決行 雅夫は、再び死に場所を求めて旅立つ。頭に浮かんだのは、自分の故郷である松本だった。ベンツに乗り込み、夜通し走って故郷を目指す。長野県に入ったのは17日の早朝だった。長野県塩尻市の山間部にあるホテルに宿をとった。 だがこの日は自殺には至っていない。 「その日は、絶対に、今度は失敗したくないなあ、という思いがやっぱり強く出てしまいまして、白いコードだけではどうしても不安にならざるを得ませんでしたので、17日、つまり昨夜は決行を諦めました。 丈夫なロープと、それから部屋を汚さないためのシートと、いろいろ買ってきて一日遅いけれども、万全の形で決行しようと、今日18日の深夜に至っているわけであります。」 この後は、先に殺害した妻と娘に対して謝罪の言葉が続く。そしていったん録音を止め、自殺の準備が整ってから再び録音が始まっている。これ以降は小型のマイクを胸元に装着して録音したらしい。 再開された録音は、なぜかここからずいぶんとノイズが入っている。バックの方で「ゴー・・」という音が延々と続く。 「全ての準備が整いましたので、私はこれから一人で、良子と恵の後を追いたいと思います。うーん、正直言ってちょっと怖いですね。一回目の時にスムーズにいってくれれば今ごろは終わっていたと思いますけれども、でも二人をこの手で殺したんですから、二回やるくらいの死ぬ苦しみをしないことには許してもらえないでしょう。」 深呼吸のようなものをしたり、息使いが荒くなったりしながらも録音は続く。 「気分を落ち着けるためにビールを一杯飲みます。情けないですね・・はぁぁ・・ふぅ・・」 「良子と恵が『いつまでウジウジしてんよ、早くおいでよ。』なんて言ってるような感じがします。そのすぐ傍(かたわ)らまで迎えに来ているような感じです。本当に死んでも悔いがないし、何もないし。一番大事な二人が先にいっているんですから、思い残すことは何もないはずなのに、気が小っちゃいんでしょうね、うん・・ふぅぅぅ・・今度こそ、死にたい。」 「今日は強いロープを二重にして、ぶらさがっても大丈夫な梁(はり)につけておりますから。もっと早いうち、死ねますから。排尿の中、動き回るということはないと思います。 今日はホテルに迷惑がかからないように普通の支度をしてますから排尿の屎尿(しにょう)は全部靴下ズボンの中に入るはず。あっ、そうか、靴下をもう一枚重ねておこう。その方が迷惑がかからない。一枚だと染み出してしまう。二枚履いとけば・・はあー・・ふうー・・。」 なかなか決断がつかず、荒い息使いが聞こえる。恐怖に耐えながら時間が過ぎていく。 「最後に間違えないようにしないと・・ふー・・一切が完了します。鏡台の上に乗って・・今・・落ちます・・ふーっ・・ふーっ・・。」 「・・ここで死にます。思いっきり・・ふーっ・・死ねましたか・・ふーっ・・ふーっ・・ふーっ・・。」 「はい、・・ふーっ・・良子、恵、今から待っててくれっ。」 「絶対死なせてくれよ、頼むなっ!」 この直後、「うわぁっ!」という絶叫が聞こえ、これ以降の録音はない。後はゴーッという雑音がしばらく続いてテープは終わる。 翌日19日、ホテルの従業員によって雅夫の遺体は発見された。 雅夫は生前、「松田家の墓」として親族と共に墓を購入していたが、その墓に入ったのは結局雅夫一人だけである。親族が別に墓を建て、妻と娘の遺骨は、そちらの方へ葬られた。親族たちは、雅夫と良子、恵を一緒に埋葬することを、拒否したのである。 Top Page 現代事件簿の表紙へ No.007 No.005 |