Top Page 現代事件簿の表紙へ No.015 No.013
神戸市で三ヶ月半の間に5人の小学生が襲われ、二人が殺害される。5人目の犠牲者は首を切断されていた。犯人は酒鬼薔薇聖斗(さかきばら・せいと)と名乗り、犯行声明文を発表していたが、その正体は14歳の中学生だった。 (被害者は仮名)
▼事件発生平成9年(1997年)5月27日、午前6時40分ごろ、兵庫県神戸市 須磨区 友が丘中学校の正門の前に、人間の頭部が置いてあるのを、門を開けに来た用務員が発見した。 頭部は地面の上に立てた状態で置かれ、顔は道路の方向を向き、登校してきた生徒たちがすぐに「それが何か」分かるように置かれていた。更に、頭部は激しく傷つけられており、口は両耳のあたりまで刃物で切り裂かれ、目の部分は×印に切られ、頭の上にも短冊状に何本も切られた跡が残っていた。 そして口の中には世間や警察に対する挑戦状のような「犯行声明文」が差しこまれていた。 友が丘中学校ではすぐに警察の捜査が始まり、全校生徒を早急に帰宅させた。 置かれていた頭部は、三日前の5月24日から行方不明になっていた、小学校六年生の児童のものだと分かった。この小学生は、24日に「おじいちゃんの家に行く」と言って、歩いて自宅を出たまま行方不明となっており、頭部が発見される前日に、警察が公開捜査に踏みきっていた児童だった。 頭部が置かれていた同じ日の午後3時ごろ、警察の捜索によってこの中学校から約500m 離れた、通称「タンク山」と呼ばれる山にある、ケーブルテレビアンテナ基地局の建物の周辺で、この児童の首のない胴体が発見された。この建物を囲うフェンスの扉の鍵(南京錠)は、本来の物とは違う物がつけられており、明らかに何者かが侵入した形跡があった。 兵庫県警は捜査本部を設置し、3500人の捜査員と400人の機動隊員を投入、事件自体もマスコミによって大々的に報道され、全国が震撼する事件となった。 ▼犯行声明文 被害者の口の中には二通の犯行声明文が差し込まれていた。その一つには さあ、ゲームの始まりです 愚鈍な警察諸君 ボクを止めてみたまえ ボクは殺しが愉快でたまらない 人の死が見たくてしょうがない 汚い野菜共には死の制裁を 積年の大怨に流血の裁きを SHOOLL KILL 学校殺死の酒鬼薔薇 と書かれており、もう一通は長方形の紙に一行だけ 酒鬼薔薇聖斗 と書かれてあった。 また「SHOOLL KILL」の部分は「SCHOOL KILLER」と書くつもりが若干の間違いで、後に神戸新聞社に送られた第二の犯行声明では「KILL」の部分は「KILLER」に訂正されているものの、「SHOOLL」の部分はそのままである。 また、下の図のようなマークも描かれていた。 当初はこの「酒鬼薔薇聖斗」という言葉は理解が出来ず、警察も「意味不明」として「さけ・おに・ばら・・」とそのまま読み、マスコミもその通りに報道していた。 しかしジャーナリストの黒田清氏がテレビの報道番組で「さかきばら せいと」という人名ではないでしょうか、と発言し、犯人が名乗っている名前だとの認識が一気に広がっていった。 ▼関連性のある事件 この頭部放置事件の少し前にも、この神戸市で小学生が襲われるという事件が三件(被害者四人)起こっている。 この事件の三ヶ月半ほど前の平成9年2月10日、午後4時半ごろ、神戸市の路上で、小学生の女の子二人が何者かにハンマーで殴られ、一人が重傷を負った。殴られた女の子は「犯人はブレザーを着て、学生カバンを持っていた。」と証言していた。 そしてその一ヶ月後の3月16日の午後12時25分ごろ、何者かが神戸市内の公園で、小学校4年生の女の子(10)に「この辺で手を洗える場所はない?」と話しかけ、案内してもらった後「お礼を言いたいのでこっちを向いて下さい。」と言って、女の子が振り向いたとたん、ハンマーで頭を殴った。この女の子は病院に運ばれたが、3月27日に脳挫傷(のうざしょう)で死亡した。 この事件のわずか10分後の同じく16日の午後12時35分ごろ、さきほどの現場から200m ほどしか離れていない路上で、またもや何者かが小学校3年生の女の子(9)の腹をナイフで刺し、二週間の怪我を負わせた。 これらの事件はこの時点では未解決のままだった。警察はこの三件の事件も、小学生を狙う、という手口から今回の頭部放置事件と「同一犯ではないか」との見方を強めていた(結果的には同一犯だった)。 これら一連の事件は「神戸須磨区児童連続殺傷事件」と呼ばれる。 ▼捜査の進展 日本中に衝撃を与えた事件だけに、世間から寄せられる情報も多く、3000件以上に上った。 「校門の前に停まっていた黒のブルーバード。」 「あの日の早朝に、中学校近くをうろついていた、20代から30代の身体のがっしりした男。この男は黒いポリ袋を持っていた。」 「不審なRV車、不審な白いワゴン。」 「この近辺で足が切断された猫の死体が見つかったことがある。首を切断された鳩の死体が見つかったこともある。」 しかしどれも犯人特定に直結出来るような情報ではなかった。「犯人は20歳から40歳、身長170cm前後の男」と、ほぼこのイメージが出来上がっていた。 警察は徹底して聞き込み調査を続け、子供にさえ一人一人聞き込みを行うといった徹底ぶりだった。そしてある捜査員が、後に逮捕されることになる犯人のA少年に偶然遭遇した。 この少年に事件のことを聞くと、 「ああー、知っとる、知っとる、さあ、ゲームの始まりです。愚鈍な警察諸君、ボクを止めてみたまえ。っていうヤツやろ。」と犯行声明文をすらすらと口から出した。確かにこの内容は世間に公表されてはいたが、少し不信感を抱いた捜査員はこの少年をよく観察すると、靴も泥だらけで、学生服にもズボンにも黒っぽいシミがついていた。 念のためにこの少年の名前や住所、年齢、話のやり取りをノートに書き残しておいた。一応、この少年の報告書は書いたが、報道されている犯人像とは全然違うために上司に提出まではしなかった。 ▼第二の犯行声明文が神戸新聞社に届く 警察の捜査が進む中、頭部放置事件から8日経った6月4日、今度は神戸新聞社へ犯人から第二の犯行声明文が届く。 (原文とは改行、句読点の有無が若干違います) 神戸新聞社へ この前ボクが出ている時にたまたまテレビがついており、それを見ていたところ、報道人がボクの名を読み違えて「鬼薔薇」(おにばら)といっているのを聞いた。人の名を読み違えるなどこの上なく愚弄な行為である。表の紙に書いた文字は、暗号でも謎かけでも当て字でもない。嘘偽りないボクの本命である。 ボクが存在した瞬間からその名がついており、やりたこともちゃんときまっていた。しかし悲しいことにぼくには国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行為はとらないであろう。 やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中だけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない だが単に復讐するだけなら、今まで背負っていた重荷を下ろすだけで、何も得ることができない。そこでぼくは、世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人に相談してみたのである。すると彼は、「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもあり、また目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすれば得るものも失うものもなく、それ以上でもなければそれ以下でもない君だけの新しい世界を作っていけると思いますよ。」 その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した。しかし今となっても何故ボクが殺しを好きなのかは分からない。持って生まれた自然の性としか言いようがないのである。殺しをしている時だけは日頃の憎悪から開放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。 最後に一言 この紙に書いた文でおおよそ理解して頂けたとは思うが、ボクは自分自身の存在に対して人並み以上の執着心を持っている。よって自分の名前を読み違えられたり、自分の存在が汚されることには我慢ならないのである。今現在の警察の動きをうかがうと、どう見ても内心では面倒臭がっているのに、わざとらしくそれを誤魔化しているようにしか思えないのである。ボクの存在をもみ消そうとしているのではないのかね。 ボクはこのゲームに命をかけている。捕まればおそらく吊るされるであろう。だから警察も命をかけろとまでは言わないが、もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ。今後一度でもボクの名前を読み違えたり、またしらけさせるような事があれば一週間に三つの野菜を壊します。ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら大間違いである。 ボクには一人の人間を二度殺す能力が備わっている。 P.S 頭部の口に銜(くわ)えさせた手紙の文字が、雨かなにかで滲(にじ)んで読み取りにくかったようなのでそれと全く同じ内容の手紙も一緒に送る事にしました。 さあ、ゲームの始まりです 愚鈍な警察諸君 ボクを止めてみたまえ ボクは殺しが愉快でたまらない 人の死が見たくてしょうがない 汚い野菜共には死の制裁を 積年の大怨に流血の裁きを SHOOLL KILLER 学校殺死の酒鬼薔薇 当時の総理大臣・橋本龍太郎首相からも「あらゆる警察力・政治力を動員して一刻も早く解決して欲しい。」と異例の指示を出した。 捜査本部の方では、 「第二の犯行声明文の内容から推察して、犯人はすでに捜査員と接触したことがあるのではないかと考えられる。発見された胴体の状況からして、心を許している者にいきなり襲われたと思われる。犯人は被害者と面識のある人物。固定観念を捨てて、被害者の交友関係を徹底的に洗いなおせ!」と、全員にゲキを飛ばした。 ▼A少年逮捕 こうした指示を受け、以前、A少年の報告書を書いていた捜査員は、この報告書を上司に見せて相談してみた。被害者と面識があるということは、加害者も子供の可能性がないわけでもない。 捜査対象が子供ということで、このA少年に対しては慎重に極秘で調査することとなった。学校からA少年の作文を貸してもらい筆跡を調べる。そして、この少し前に起こった小学生の女の子がハンマーで殴られた事件の被害者のところに出向いて、A少年の顔写真を女の子に見てもらった。 「自分を殴ったのはこういう人だった。」と女の子が認めたため、今回の頭部放置事件も「この少年が犯人」と、この時点で容疑は確信へと変わる。 6月28日、捜査員はA少年の自宅を訪ね、午後7時5分、A少年を逮捕。自宅から凶器の切り出しナイフが発見された。 警察の記者会見で「被疑者は中学3年生、男子、14歳。」と発表があった時には全国が驚いた。 頭部が放置されていた日から32日目の逮捕であり、A少年は、前述の小学生を襲った事件も自分の犯行だと自供した。 ▼A少年の人格形成と奇癖 A少年は、昭和57年に神戸市で生まれ、二人の弟と両親の5人暮らしだった。祖母もいたのだが、平成5年4月に亡くなっている。この、大好きだった祖母が死んだことをきっかけに、A少年は「死」に対して異常に興味を抱くようになったという。 死ぬということを理解するために、カエルやナメクジを殺しては解剖した。小学校6年生になると、猫や鳩も殺すようになった。 「動物を殺すと満足する、もう一人の自分が心の中にいる。」A少年はこう思うようになった。この「もう一人の自分」に酒鬼薔薇聖斗と名前をつけた。同時に「バモイドオキ神」という神を造りあげ、あがめるようになる。 中学生になると、動物だけでは飽き足らず、同級生にも暴力をふるうようになっていった。そして動物虐待の頻度も増えていく。死に対する興味はエスカレートし、前述の、小学生四人をハンマーで殴るという事件を起こし、一人を死に至らしめる。 逮捕後にA少年は以下のような供述をしている。 「人の死を理解するために自分が死を作り出さなければいけない。つまり、人を殺さなければならないと思い、第一段階として、人の壊れやすさを確かめる実験をした。反撃出来ない人間を対象に選んだ。」 「殴った瞬間、これで一線を超えてしまったと思い、もう後戻り出来ないと思った。」 「小学校6年生の時に夢で見たバモイドオキ神を信じてきた。通り魔事件を起こした日の夜、目が覚めて、心のどこかで実験はいけないことだと思っていたので、正直に神に報告した。拝むために神の姿が必要だったので、ノートにバモイドオキ神の顔の絵を描いた。」 ▼頭部放置事件の流れ そして平成9年5月24日、この日から冒頭の犯行、通称「酒鬼薔薇聖斗事件」が始まる。この日の午後1時半ごろ、A少年はたまたま、後に被害者となる小学生男子に出会った。ちょうど殺すための「適当な人」を捜しているところだった。 A少年とこの小学生は顔見知りだった。「この子なら自分より小さいので簡単に殺せる」そう思ったA少年は「タンク山に亀がおるから、一緒に見に行こか?」と声をかけ、小学生を山に連れて行き、そこで首を絞めて殺害した。 その後、ケーブルテレビのアンテナ基地局の建物の一角に遺体を隠し、その日はこれで帰った。そして翌日の25日、再び遺体のもとを訪れ、持ってきた金ノコギリで首を切断した。 切り取った小学生の顔をじっと見ていると、何か文句を言ってきたような気がしたのでまだ魂が残っていると思い、顔をナイフで傷つけて魂を追い出した。 切り取った頭部は、黒いビニールのゴミ袋を、口を開けた状態にしておいて、その中に置いた。ビニール袋の中に血が溜まっていく。 「ボクの血は汚れとる。純粋な子供の血を飲めば清められる」そう思ったA少年は、この溜まった血を一口飲んだ。 これらの行為の最中に、A少年は性的に興奮し、勃起したり射精したりしたと供述している。 頭部をビニール袋で包んで、それをリュックに入れて池(入角の池)に行き、その池で頭部をしばらく眺めた後、木の根元にあった穴に隠して自宅に帰った。 その翌日、26日の昼過ぎ。A少年は再びこの池を訪れ、隠していた頭部を取り出し、またもや眺めた後、今度は自宅に持って帰り、風呂場でよく洗った。 金ノコギリと南京錠は別の池に捨ててきた。しかしこの時、この池のすぐ近くの公園でA少年は警官に職務質問を受けている。だがA少年は聞かれるままに答えて、この場をやり過ごしている。 犯行後の30日にも警官に職務質問を受けたが、この時も淡々と答えており、実際不信感を抱かれたのは警察との三回目の接触の時である。 27日の午前1時から2時にかけて、A少年は頭部をリュックに入れて友が丘中学校の正門まで走ってきた。最初は校門の塀の上に頭部を置いたがすぐに落ちてしまったので、仕方なく地面に置くことにした。 口にはあらかじめ書いておいた犯行声明文を差し込み、5〜6分眺めた後、立ち去った。そして朝を迎え、午前6時40分ごろ、この頭部は発見され、事件発覚となる。 逮捕後、A少年の自宅から犯行メモが発見された。犯行メモは、女の子をハンマーで殴った時から数回に渡って、日付入りで書かれていた。 H9.3.16 「愛するバモイドオキ神様へ 今日人間の壊れやすさを確かめるための「聖なる実験」をしました。その記念としてこの日記をつけることを決めたのです。」 といった形でスタートし、 「聖なる実験がうまくいったことをバモイドオキ神様に感謝します。」 「捕まる気配はありません。目撃された不審人物もぼくとかけ離れています。これというのもすべてバモイドオキ神様のおかげです。これからもどうかぼくをお守り下さい。」 「ぼくはいま14歳です。そろそろ聖名をいただくための聖なる儀式「アングリ」を行う決意をしなくてはなりません。」 など、A少年の信仰するバモイドオキ神へ話しかけるといった文章と、犯行の時の状況などが書かれていた。 ▼医療少年院を経て社会復帰 平成9年10月17日、神戸家庭裁判所は、A少年の処分を「医療少年院送致」と決定した。A少年は関東医療少年院に移される。 平成12年11月、「改正少年法」が成立する。この事件の影響で、少年法が一部改正される。従来の「犯行時16歳以上であれば刑事責任を問える」という部分が「14歳以上」に改正された。 平成16年3月10日、A少年はすでに成人となり、A男性となっていた。A男性は少年院を仮退院し、社会へ復帰する。この仮退院は、法務省を通じて、被害者の家族へ連絡された。 平成17年1月1日、保護観察期間を経て本退院が認められる。社会人としての生活を始める。 賠償とその後 平成11年(1999年)神戸地裁は、首を切断されて殺されていた小学生の両親の訴えの金額を全額認め、A少年とその両親に1億420万円の支払いを命じた。 また、ハンマーで殺害された小学生の遺族と、A少年側で慰謝料8000万円で示談が成立、腹部を刺された小学生側とは2000万円で示談が成立した。 平成17年、被害者少年の命日にA男性が弁護士を通じて遺族に献花を申し入れたが、遺族側はこれを拒否する。 手記を出版 元少年A(A男性)は、社会復帰した後、働き始めたものの、どこからともなく「あれは酒鬼薔薇らしい」という噂が立って、仕事を変わらざるを得ない状況となり、全国を転々としながら仕事も住所も変える年月が続く。 そして出所から10年以上経った2015年6月、元少年Aは、突如として再び社会的注目を浴びることとなった。 太田出版から自分自身の手記である「絶歌」を出版したのだ。 それは、自身が酒鬼薔薇聖斗であることを明らかにし、事件に至るまで経緯や、その後の社会復帰に至るまでの自分の半生を綴った内容となっている。 この本を出版するにあたって、出版社の方から話を持ちかけたわけではない。元少年Aの強い意志の元、2012年、Aの方から「本を書きたい」とある出版社の方に連絡があったのだ。 しかし、この連絡のあった出版社とは、相当具体的なところまで話が進み、原稿そのものもほとんど完成していながらも、結局話が流れてしまった。 しかしその会社の紹介で太田出版と巡り合い、2015年、元少年Aの手記である「絶歌」は出版された。社会的批判はあったものの、発売後は25万部のベストセラーとなり、彼はかなりの印税を得ることとなった。 彼はこの印税で得た収入の一部を遺族に賠償金として支払いたいと申し出たが遺族側は拒否したようである。 また、彼は出版とは別に「元少年Aの公式ホームページ 存在の耐えられない透明さ」というタイトルで自分自身のホームページも立ち上げた。 このページは現在では閉鎖されているが、ホームページの名称で検索をかけると NEVERまとめ https://matome.naver.jp/odai/2144205628631870601 などで、当時のページの一部を見ることが出来る。 Top Page 現代事件簿の表紙へ No.015 No.013 |