Top Page 現代事件簿の表紙へ No.019 No.017
現在の日本円にして、約5億5千万円ものニセ金を作り、それを利用して銀行まで設立したアルヴェス・レイス。彼のニセ金作りは、原版を偽造するものでも紙幣をコピーするものでもなく、正規の印刷所を騙(だま)して本物を印刷させるという手段で行われた。 ▼若き日のアルヴェス・レイス、アンゴラに渡る アルヴェス・レイスは1896年9月8日、ポルトガルのリスボンに生まれ、高校を卒業後、実業学校の機械科に入学した。しかしこの機械科は一年で中退してしまう。学校を中退した後、彼は当時、ポルトガルの植民地であったアンゴラという国へ渡る。 アンゴラとは、アフリカ大陸の南西部に位置する国で、かつてポルトガルの攻撃を受け、1576年からポルトガルの植民地となっていた国である。1975年に独立し、現在ではアンゴラ共和国となっているが、レイスの生きていた時代にはアンゴラはまだポルトガルの植民地であった。 この時にレイスは、アンゴラでの就職が有利になるようにと、一枚の免状を持参していた。それはオクスフォード大学の「理工学技師学校」の卒業証書であった。この免状には、技師学校の学校長であるスプーナー博士とオクスフォード大学の総長ピールのサインがあり、更にオクスフォード大学の印鑑も押してあった。 しかしレイスは技術関係の学校を一年で中退した男である。もちろん大学へは行っていない。また、この免状にサインしている学校長スプーナーや、大学総長ピールなどという人物も存在しないし、だいたいオクスフォード大学に「理工学技師学校」などという部門も存在しない。 もちろんこの免状はレイスが作った偽物である。後に詐欺師として逮捕されるレイスの詐欺の才能は、すでにこの頃から発揮されていた。 アンゴラの首都・ルアンダに着くと、この免状のおかげでレイスはすぐに就職することが出来た。就職先は政府が管轄している「運河建設部門」である。 当時のアンゴラの特産品は、コーヒーやタバコなどであったが、これらを運搬するために国内には鉄道が敷かれていた。ところが当時のアンゴラでは機関車の整備が出来る技術者が圧倒的に不足しており、あちこちで故障した機関車が放置されている状態だった。 技師学校の免状を持っているというレイスに、それらの機関車の修理の依頼が来てしまった。今さら偽の免状だとは言えず、レイスは毎日何時間もかけ必死になった結果、学校中退までの一年間の勉強を元にとうとう修理をやり遂げてしまった。偽者であったはずの彼は本物となってしまった。 そして1919年、レイスはアンゴラでの仕事を辞めてポルトガルに帰国し、リスボンで「アルヴェス・レイス商会」という会社を立ち上げた。アンゴラとの貿易を中心とする会社である。 ▼小切手の詐欺で失敗し、刑務所へ 当時のアンゴラは超インフレで、貨幣の価値は地に落ちていた。アンゴラ最大の大手企業である「王立アフリカ横断鉄道」の株も暴落しており、まずレイスが考えついた計画は、この「王立アフリカ横断鉄道」の株を買い占めてこの会社を自分のものとし、思うがままに植民地の経営を操ろうとしたのだ。 しかし株を買い占めるにはまず金が必要である。今の自分にはとてもそんな金はない。そこで思いついたのが、小切手を悪用して金を作りだすことである。 当時レイスは、取引先との関係で、たまたまアメリカ・ニューヨークの、ある銀行に当座預金の口座を持っていた。これを利用することにした。まずポルトガルのリスボンで10万ドルの小切手を振り出す。支払い銀行はアメリカ・ニューヨークの銀行である。 この小切手を船便でニューヨークへ送っても最低で8日はかかる。更に7日目に電報で裏書きをすれば、これからまた8日間は小切手が有効になる。 (※小切手の裏書:現在では小切手の裏に住所指名、印鑑を押すことを言い、小切手を現金にするために銀行に提出する時や他人に渡す時などに行う。また、記載された人間は、「この小切手が不渡りになった時、振り出し人が払わない時には自分も責任を取ります、という証明ともなる。) そして払い込みが遅れたことにすれば、もう一度小切手を振り出して、また8日間ほど有効になる。 当時の銀行のシステムの詳しいことはよく分からないが、その小切手が最初から支払い不可能な場合であっても、郵送にかかる期間の間は、それが有効な小切手(現金と同じ扱い)として通用した。現在では不可能な詐欺だが、昔は郵送期間という時間を利用した詐欺として成立した。) こうして24日間だけ有効な10万ドルが手に入った。 レイスはまず4万ドルでアフリカ横断鉄道の株を買い、残りの6万ドルは南アンゴラ鉱山の開発に投資した。しかし小切手が有効なのは24日間だけである。その間にこの10万ドルを肩代わりしてくれる人物を探し出さないと詐欺がバレてしまう。 レイスは、仕事上で知り合いとなっていたホセ・バンデイラに連絡を取った。ホセはオランダの経済界でも影響力の強い、業界の大物である。噂によるとホセは、アンゴラの油田に強い関心を持っており、彼もアンゴラで一儲けしようと考えているらしい。 (アンゴラは、石油、ダイヤモンド、金などの天然資源が豊富な国でもあった。) 1924年5月、ホセから連絡を受けたレイスはオランダへと向った。オランダで二人ほど、資金力のある実業家を紹介してやるというのだ。 そこで紹介されたのが、へニースと、マランという男だった。へニースはアンゴラ国内の様々な利権を欲しがって活動している金だけが目的のような男で、マランは戦争の武器商人としてのし上がってきた男だった。 二人とも、第一次世界対戦が終わって儲けの場を失ってしまい、レイスが持ちかけたアンゴラでの利権に興味を示したようであった。商談の即決は出来なかったが、良い感触を得たレイスは、彼らとの再会を約束して再びリスボンへと帰ってきた。 しかしリスボンで待っていたものは金融詐欺による逮捕状であった。予定よりも早くバレてしまい、結局この「支払い不可能な小切手を使った買い物計画」は失敗し、レイスは刑務所へ入ることとなった。 ▼刑務所で反省の末、ニセ金作りの具体案を作っていく 刑務所生活の間にレイスは十分考えた。こうして逮捕されたのは、結局アフリカ横断鉄道の株を買い占めるだけのカネがなかったからだ。カネがないから詐欺をしてそれがバレた。 ではカネとは何だ?ただの印刷されたものに過ぎない。1918年の1ポンドは8エスクードに相当したが、5年後の1ポンドは105エスクードに相当する。超インフレでエスクードの価値が13分の1に落ちたのだ。 (※エスクードは当時のポルトガルとアンゴラでの通貨の単位。現在では廃止されている。) レイスは刑務所の中で、次なる計画・ニセ金作りを思いつき、例の三人に話を持ちかけた。「みんなでニセ金を作ろう」という話ではない。実際の計画は自分の胸だけに留めておいて、話を持ちかける時には、こう話した。 「ポルトガル政府は、この超インフレでエスクード紙幣の価値が大幅に転落してしまったので、アンゴラを救うために秘密のうちに紙幣を大量に印刷しようとしている。 ここだけの話だが、実は私は、ポルトガル銀行の総裁であるロドリゲスさんから秘密の指令を受け、これから大量に印刷される予定の紙幣の管理と運営を任(まか)されているのだ。」 刑務所に入っている男がこんなことを言っても、普通はタワ言として誰も信じない。 しかしそれを信じさせ、自分が指揮する人たちを行動に移させるのが詐欺師・レイスの才能である。 レイスが考えていたのは、紙幣をコピーしたりして「自分でニセの金を作る」という「製作」ではなく、現時点で本物の紙幣を印刷している組織に、政府や国立銀行を通さずに嘘の発注をして「本物の紙幣を刷らせる」という「騙(だま)し」であった。そしてそれを自分の元に届けさせる。 レイスはこの計画を口に出す以前に、実は以前、思いついた時から「いつか実行に移そう」と、紙幣発行の手順を入念に調査していたのだ。 紙幣発行の権利は「ポルトガル銀行」が全権を握っている。そして印刷の注文はイギリスやオランダなどの外国の印刷所に依頼していた。 ポルトガル銀行の総裁が紙幣の種類や枚数を指定してそれらの印刷所に依頼し、その注文を受けて紙幣が印刷されていたのだ。 ポルトガル銀行から印刷所への注文・・だが、その「銀行 → 印刷所」の間に、もう一つ「政府直属の秘密機関」という組織を入れる。 「銀行 → 印刷所」という発注ではなく、「銀行 → 政府直属機関 → 印刷所」という形にする。この「政府直属機関」とは、もちろんレイスの作った架空の組織である。 問題は、どのようにして、「今回の紙幣の発注は『政府直属機関からの発注である』」と印刷所に信じさせるかである。それにはやはり、それなりの書類が必要である。政府関係者や銀行のトップに位置する者たちの署名入りの書類だ。 そういった書類さえ揃(そろ)えば、印刷所は、政府あるいはポルトガル銀行総裁の正式な依頼として印刷を開始するであろう。 レイスは刑務所から出た後、さっそく計画を実行に移した。 ▼ニセ金作りに向けての具体的手順 まずレイスは「アンゴラへ500万ドルを貸し付ける」という借款(しゃっかん = 国際間の金の貸し借り)の証文を作り始めた。アンゴラへ500万ドル貸すために500万ドルが必要であり、その紙幣の製造をポルトガル政府が許可する、という意味の書類である。 とてつもない大デタラメな書類であるが、これを手順を踏んで本物へと化けさせる。 この書類にはアンゴラ総督チャヴェス、大蔵大臣ロドリゲス、アンゴラ政府専門担当者コスタのサインを入れた。もちろん偽物のサインである。 次にリスボンに事務所を構える公証人・デ・ファリアの事務所を訪れ、その書類が本物であることを認めてもらった。本当は偽造したものだが、ファリアが認めたことでこの書類は本物となった。 (※公証人:民事に関する証書を作成し、認証を与える権限を持つ公務員。法務大臣が任命し、法務局や地方法務局に所属する。) まだ手順がある。次はイギリス・フランス・ドイツの大使館を訪れ、今度はこの「公証人ファリア」のサインが本物であるかどうか認めてもらわなくてはならない。 各大使館には、公証人のサインのコピーが保存してあって、それが本人のサインかどうか確認する任務があるのだ。それらに確認してもらった結果、ファリアのサインは本物であり、この書類(紙幣の追加製造を許可する書類)も本物であると認めてもらった。 これで印刷所に依頼する根拠となる書類は出来た。レイスは、前回の詐欺の時に組んだホセ、ヘニース、マランの三人に連絡を取り、その書類と共に事の概要を説明した。 最初は半心半疑だった三人も、今、目の前にこれだけ政府関係者のトップがサインしている書類がある。 「レイスが政府から極秘に紙幣の印刷を任されているという話は本当だった。」 三人は完全にレイスの話を信じてしまった。この時点でレイスは仲間まで騙(だま)して計画を始めたということになる。 レイスら四人は「マラン & コリニョン商会」という会社をオランダに設立し、これを基点として活動することにした。 そして紙幣の印刷を依頼するのは、その原版をすでに持っている、イギリス・ロンドンの「ウォーターロー商会」と決定した。 だが、まだ必要なものがある。ポルトガル銀行総裁からウォーターロー商会の代表者へ「何の紙幣をどれだけ刷って欲しい」という具体的な内容を記(しる)した手紙である。発注書のようなものだが、これがなければウォーターロー商会の方はまだ信じないだろう。 レイスは、ポルトガル銀行総裁専用の便箋と封筒を調べ、それとそっくり同じ物をその辺の印刷屋に注文した。 そして出来あがった便箋にタイプライターで、 「500万ドルに相当する500エスクード紙幣を印刷し、それをオランダの『マラン & コリニョン商会(レイスたちの会社)』を通じて送ってくれ。」といった内容の文書を作成した。 「500万ドルに相当する」500エスクード紙幣とは、枚数にして20万枚となる。金額にすれば一億エスクード。日本円では約5億5千万円に相当する。 そしてその書類には、エスクード紙幣に記載されている、ポルトガル銀行総裁のロドリゲスのサインを拡大器を使って複製し、そのサインを入れておいた。 残るは最後の難関である「紙幣番号の組み合わせ」の解明である。これはポルトガル銀行の極秘事項であり、ある種のルールか式によって紙幣に印刷される番号シリーズが決められているというのだ。 これも、数百枚のエスクード紙幣を集め、あれこれと推理した結果、ついに番号の組み合わせの割り出しに成功した。 準備は全て整った。 しかしウォーターロー商会にレイスが最初に話を切り出した時、その代表者であるサー・ウィリアム・ウォーターローはなかなか納得しなかった。 「ポルトガル銀行総裁ロドリゲスは、なぜいつも通り、文書で直接私に依頼してこないのか? この者たちの言う政府の直属機関とは、本物なのか?」 様々な疑問が頭をよぎるが、見せられたものは、政府関係者のトップたちのサインのある許可証や依頼の手紙。更にレイスの「この計画は極秘事項である。」との説明を受けて、ついにサー・ウィリアム・ウォーターローは納得したようだった。 ▼一億エスクードが届く 1925年2月10日、ついに待ち望んだ物が到着した。ウォーターロー商会から、刷り上がったばかりの一億エスクードが届いたのである。 四人は争うことなく、その一億エスクードを公平に分け、ヘニースとマランは自分の分け前をすぐに国外で外国通貨に換金し、主犯のレイスは地方銀行で小額の紙幣に換金した。 最初の建前である「アンゴラの超インフレを救うための紙幣の追加印刷」など全く無視で、刷り上がった紙幣は全て自分たちのものとした。だがこの頃、一般の人間には分からないことだが、銀行関係者の間では、市場に一億エスクードも増えたので「何かおかしい。」という噂も立ち始め、「500エスクード札には注意が必要。」との噂が広がっていった。 レイスは更に、銀行関係に怪しまれることを避けるため、そして偽の500エスクード紙幣の換金のために新しい銀行を設立することにした。 ポルトガル銀行は、新しい銀行の設立など認めたくはなかったが、200万ドルという高額の資本で起業するという条件で話がまとまった。 レイスにとって、本気で銀行を設立するつもりであれば、そのような金はどうにでもなる。この時のレイスにとって「金」というものは、欲しければ稼ぐ必要も盗む必要もない。偽の依頼書類で印刷させればいいだけの、ただの印刷物に過ぎなかった。 ▼ニセ札がバレる ある地方銀行の、ある社員が二枚の500エスクード紙幣を見比べていた。 「何かが違う」 職業からくる直感だろうか。特に何が違うとは言えなかったが、どうも疑わしいという印象を持った彼は、ポルトガル銀行に勤務する友人に頼んで、この二枚の紙幣を本物かどうか調べてもらった。 依頼を受けた友人も、一応頼まれたこととして、この紙幣が本物かどうかを念入りに調べてみると、紙幣番号シリーズの組み合わせに間違いが見つかった。レイスの割り出した番号パターンは間違っていたのだ。 「ニセ札だ!」 偽造された紙幣が出まわっていると、ただちに銀行関係と警察に通報された。銀行首脳はすぐに印刷を請け負ったイギリスのウォーターロー商会に問い正した。 この時点で初めて、ウォーターロー商会の代表サー・ウィリアム・ウォーターローは、自分が詐欺にかかったことを知った。 レイスを始めとして、ホセ、ヘニース、マランに逮捕状が出た。マランだけはすでにパリに逃げていたが、残りの三人は瞬(またた)く間に逮捕され、禁固8年と亡命12年の刑を宣告された。 それから20年後の1945年5月、ようやく刑期を終えて出てきたレイスは、ブラジルに対する貿易会社を設立したが、二年で破綻し、これは失敗した。1955年、レイスは死去したが、この時点では葬式代さえ残っていないような生活をしていた。 Top Page 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