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No.024 広島新交通システム 橋げた落下事故

広島市で建設中だった「新交通システム・アストラムライン」の工事中、長さ65メートル・重さ53トンの橋げたが10メートル下の道路に落下した。橋げたは信号待ちをしていた11台の車を直撃した。

▼事故発生

平成3年(1991年)広島市では、「広島新交通システム」の建設工事が行われていた。新交通システムとは、愛称で「アストラムライン」と呼ばれる、広島市内の、道路上空に設置された線路を走る電車であり、そのレールの設置工事が進んでいるところだった。

3月14日、14時5分ごろ、広島市安佐南区上安(あさみなみく・かみやす)2丁目の工事現場で、前日に仮設置されていた、長さ65メートル・重さ53トンの橋げたを、道路上空10mの場所に、ジャッキ操作による作業で設置していたところ、この橋げたが突然落下した。

この橋げたには、すぐ横に平行に走っている道路があり(工事現場は、片側ニ車線の道路の中央分離帯の真上)、この道路で信号待ちをしていた車11台を、この巨大な物体が直撃した。

橋げたの上で作業をしていた作業員5人は地上に投げ出されて死亡し、橋げたの下敷きになった車に乗っていた人達10人も死亡。死者は合計15人、負傷者8人という大事故となった。

車の中で死亡した人達は全員即死であり、一瞬のうちの押しつぶされていた。中には50cmくらいまで圧縮された車もあり、炎上した車もある。また、運転席だけが押しつぶされて、助手席の人は重傷を負いながらも何とか助かった車もあった。

橋げたがクレーンによって取り除かれたのは約二時間後で、8人の人たちが橋げたの下から救出された。


▼事故の原因

事故のあった個所で、本来♯型に鉄骨を組まなければならない部分が、同じ方向に一列に積んである個所があり、作業上のミスがあったことが分かった。この組み方では橋げたの重さを支えるには完全に強度不足であるという。

また、あの時、その現場には元請けの社員はおらず、下請けの会社の職員が現場監督を務めていた。だが、この職員も一ヶ月前まで事務をしていた人であり、建設の知識はほとんどなく、現場監督といってもただ見ていることしか出来なかった。

事故現場を担当していたのは、下請けの下請け会社であるが、この会社は橋げたの工事は初めてであり、また、あの時ジャッキの操作をしていた作業員は4人いたが、そのうちの二人はとび職であったものの、現場から長く離れており、橋の工事は初めてであった。

残りの2人は数ヶ月前にメガネ関連の会社から転職してきた建設業界初心者だった。あの現場で作業していた者の多くは初心者であったためか、作業上のミスをしていることに気づく者は誰もいなかった。


▼判決

業務上過失致死で、工事を請け負っていた会社が起訴された。平成8年(1996年)3月に出された判決によると、現場の代理人には禁固2年6ヶ月、現場代理人補佐に禁固2年6ヶ月執行猶予4年、統括責任者は禁固2年執行猶予3年が言い渡された。

現場で実際に監督をしていた職員に関しては、知識や能力もなく、責任は問えないとして無罪となったが、会社側は指名停止や営業停止などの処分となった。

落下した橋げたは廃棄処分となり、この部分の橋げたは、また新たに作り直したものが使用された。事故現場近くに建設された上安(かみやす)駅の南側の階段の下には、翌年の3月、慰霊碑が建立された。


▼一瞬の判断で助かった人

信号が赤から青へ変わる時間というものは、わずかな時間である。あの日、あの瞬間、橋げたの横で信号待ちをしていた車の中の人達は、ほんの1分か2分、行動が遅かったり早かったりすれば事故にも遭(あ)わなかった。

その中で、一瞬の判断で奇跡的に事故を回避できた人がいる。タクシー運転手をしている浦山弘さんは、あの時お客を乗せてこの橋げた横の道路を通りかかった。

前方の信号が黄色になり、タクシーのすぐ前を走っていたワゴン車が停まりかけた。だがその時、普段だったら黄色信号で停まる習性が身についている浦山さんが、なぜかこの時に限ってクラクションを鳴らし、前のワゴン車に「行け!」と合図をした。

そして前のワゴンと共に交差点を通過した瞬間、後ろから「ドーン!」と凄(すさ)まじい音が聞こえてきて、後ろを見ると橋げたが落下していた。あの時そのまま信号で停まっていたら前のワゴン車と一緒に下敷きになっていたところだった。

浦山さんは、普段はクラクションを鳴らすことなど滅多にないのだが、この時に限ってそのような行動を取り、事故を免(まぬが)れたというのは、何らかの不思議な力が働いたのかも知れない。


▼事故にまつわるミステリー

この事故があった現場は昔は墓地であり、そこには15ほどの墓があったが、その墓を移転させて道路を通していた。動かした墓の数も15で、死者の数も15というのは何か関係があるのではないかと、地元の人たちの間で噂となった。

また、後になってこの事故にまつわる不思議な出来事がテレビでも放送された。
あの日、事故現場の近くを遠足帰りの幼稚園児を乗せたバスが走っていた。バスは事故のあった道路を通過する予定で、このまま走っていれば事故に巻き込まれてもおかしくないタイミングで走っていた。

ところが園児の一人が「おしっこしたい。」と言い出した。
「もうちょっとだから我慢しようね。」と先生もなだめたのだが、どうしてもしたいという。仕方なくバスは近くのパチンコ屋に寄って、そこでトイレを借りて用を済ませた。

そして出発して間もなく、あの事故が起こった。あの園児のおかげか、現場を通過する時間が本来の計画とズレたために事故に巻き込まれずに済んだのだ。

この話を聞き、テレビ局がその園児にインタビューをしようと訪れた。放送当時はその元園児たちは小学生になっていたものの、みんなその出来事は覚えているが、「おしっこしたい。」と言い出したのは誰だったのか、それが思い出せない。

「あれ、誰だったっけ?」
何人もの元園児や先生に聞いてもあやふやな返事ばかりだったが、最終的に二人の名前が上がった。

しかしよく調べてみると、そのうちの一人は当日風邪を引いて遠足を休んでいた。実際、遠足の時に撮った記念写真にその子は写っていない。そしてもう一人は遠足の前に転校しており、この子も遠足には参加していなかった。

みんなが思い出した二人の園児は、両方ともその日にいなかった子だったのだ。

情報提供・和泉裕臣さん(HP:リングの女神



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