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空き巣や窃盗は300件とも400件とも言われ、逮捕された後に22件の殺人を自供。このうち立件されたものは8件で、14件は自供のみで確証がないということで立件はされなかったが、日本ではまれに見るような大量殺人者。 ▼勝田清孝、逮捕される 昭和58年1月31日、13時40分ごろ、名古屋市 昭和区の第一勧業銀行(現・みずほ銀行) 御器所(ごきそ)支店の裏の駐車場。 引越し会社の社長をしている男性(31)が、従業員に払う給料の102万円を降ろした後、帰ろうと思い、乗ってきた社用車に乗り込んだ。 しかし、社長が車に乗り込むと同時に、一人の男がいきなり助手席のドアを開け、車に乗り込んできた。 男は拳銃を持っていた。民間人では手にすることのない拳銃を、なぜかこの男は持っていた。 「本物だぜ。警察が持っている拳銃だ。」「声を出したり変なことをすると撃つぞ。」 そう言いながら男はいきなり社長の左脇腹に拳銃を押しつけた。 本物だと感じた社長は、男の言うことに従うしかなかった。 まず金を要求された。社長は、今降ろしてきたばかりの102万円の入った封筒を男に渡した。 「車を出せ。」と、発進するように言われたが、このまま男と2人きりになればいずれ殺されるだろう。 社長は対策を考えながら、いかにも「切り替さないと出にくい」といった感じを装って、何回かわざと発進とバックを繰り返しながら、誰かが通りかかるのを待った。 偶然にもすぐに別のお客が駐車場へと戻ってきた。その瞬間、社長は拳銃をはねのけ、拳銃と男の右腕をつかんだ。 びっくりした男は拳銃を放してしまった。慌てて逃げようとする男を社長は追いかけ、格闘になった。だがこれは社長の方が強かった。最終的に男を転がせ、男の上に馬乗りになる形で男を捕らえた。 目撃していたお客がすぐに銀行に知らせると、店長の指示で5人の行員が駐車場に駆けつけた。同時に警察にも通報した。 5分程度で警察が駆けつけ、男は逮捕された。 この男の名は「勝田清孝」(35)という。 襲った相手に反対に取り押さえられてしまうという、たあいもない形で逮捕された勝田だったが、この後、警察の取調べで、勝田はこの10年間に22人を殺害していたことを自供する。 捕(とら)らえてみれば、それは戦後最大の大量殺人者ともいえる男だったのだ。 ▼勝田の私生活 昭和23年8月に京都府 相楽(そうらく)郡で農家の長男として生まれた勝田は、高校生の時にバイクで女性のハンドバッグをひったくって、逮捕されている。この時、家宅捜査によって自室の天井裏から他のハンドバッグも10個以上発見され、勝田は和泉少年院に送られた。高校も退学処分となった。 この「少年院に入った」という経験が、後に様々な障害となってくる。 昭和41年に仮退院して奈良市で就職したが、どこも長続きせず、職を転々とするようになった。少年院出身ということで、職場で何か不審なことがあればすぐに疑われた。面白くなく、いづらくなって辞めるの繰り返しだった。 昭和42年には付きあっていた女性と結婚を考えたが「少年院帰りとは一緒にさせられない」「家の格が違う」と、両方の両親に反対され、勝田はこの女性と一緒に大阪へ引っ越し、同棲するようになる。勝田が20歳の時だった。 昭和45年にようやく双方の両親から許しが出て結婚。勝田夫妻は再び奈良市に住むようになった。まもなくして子供も生まれた。この当時勝田は奈良市の運送会社で働いていた。 このまま順調な結婚生活になるかと思われたが、元来派手好きで金使いの荒い勝田は段々と収入に不相応な生活を始めるようになった。 飲み歩き、店ではホステスにチップを与え、高級車を2台も買い、ゴルフに凝り、200万かけてアマチュア無線のアンテナを自宅に建てたりなど、ローンの支払いはみるみる増えていった。 当然給料だけでは払えるはずもなかった。借金を重ね、段々と金で追い詰められていった勝田は、空き巣をして稼ぐことを思いつく。空き巣で稼いだ金を支払いに当てるのだ。 空き巣を重ねていた勝田だったが、昭和47年、仕事で転機が訪れる。父親が勝田に消防士の試験を受けてみろと勧めてきたのだ。言われるままに試験を受けると合格してしまった。相楽(そうらく)中部消防組合に採用になった。この時から勝田は表では優秀な消防士としての道を歩み始める。 だが、私生活は全く変わらない。借金で首が回らず、それを補うための空き巣は相変わらず続けていた。 ▼最初の5人の犠牲者 ●昭和47年9月13日、京都府山科区で空き巣に入ったが、その部屋に住んでいる女性(ホステス)(24)がちょうど帰宅してきて、見つかってしまった。開き直った勝田は「金を出せ!」と脅した。恐怖した女性は「お金はありません。私の身体でよければあげますから・・。」 と答えたので、すぐに犯した。 終わった後、顔を見られていることと、自分が逃げようとした時に大声を出したので、パンストで首を絞めて殺した。 逃げる時、財布から千円を奪った。この時、勝田は24歳。 金に困っている勝田は、この頃から消防士の仕事が休みの時には長距離トラックのアルバイトをするようになった。そしてこれを利用して荷物を運んだ先の地域でも空き巣を働くようになった。 ●3年後の昭和50年7月6日、大阪府吹田市で、空き巣に入れそうな家を探している時、クラブ経営者の女性(35)が、たまたま勝田の近くに車を停めて降りてきた。 ハンドバッグを持っていたので、これをひったくろうとして手をかけたが失敗する。その後、この女性と揉(も)み合いになったので、ロープで首を絞めて殺した。 遺体はこの女性の車に乗せて農業用の池に捨て、車の方は火をつけて燃やした。現金約10万円を奪った。 ●翌年の昭和51年3月5日、勝田が名古屋市中区を車で走っていた時、若い女性(ホステス 27)が運転する外車を見つけ、これをターゲットに決める。 そのまま車で後をつけ、女性が自宅らしき所へ車を停めて降りてきた所へ駆けよってハンドバッグをひったくろうとしたが、またしても失敗する。 騒がれたので絞殺した。遺体をその女性の車に乗せて自分で運転し、遺体は田んぼに捨てた。遺体のむき出しの下半身にすすきの穂を差し込んで立ち去った。この時には現金約12万円を奪っている。 この車も15kmほど離れた所に放置して逃げた。 ●さらに翌年の昭和52年6月30日、名古屋市南区で空き巣に入れる家を探していたところ、たまたま一人の女性(マージャン店のパート従業員 28)が、外出しようとしているところを発見した。 女性が鍵をかけずに、ドアから立ち去ったのを見た勝田はすぐにこの家に忍び込み、家具の中から4万円を見つけた。逃げようとしたところ、この女性が帰って来てしまい、バッタリと出くわした。女性が大声を上げたために、家の中に引っ張り込み、家の中にあったヒモ状のもので首を絞めて殺した。 ●その2ヵ月後の8月12日、名古屋市昭和区で、勝田は次のターゲットにしようと思っていたマンションの下見に訪れた。3階の通路をうろついていると、すぐ前のドアが開き、一人の女性(美容師の女性 33)が顔を出した。 「あんた誰?何してんの?」 不審がられてヤバイと感じた勝田はこの女性に襲いかかり、部屋の中へと押し入って、パンストで女性の首を絞めて殺した。遺体はベッドと壁の隙間に隠し、45万円相当のダイヤの指輪を奪って逃走した。 ▼容疑をかけられて人生が変わった人たち 勝田はここまでで5件の殺人を犯したが、これらの事件では勝田に捜査の手が及ぶことはなかった。 それぞれの女性には関わりのある男がどれもおり、それは不倫相手であったり、当日会う約束をしていた男であったり、同棲していた男であったりなどである。 どの事件もそれほど高額な金額が盗(と)られたわけでもなく、警察は顔見知りによる恨みか、恋愛感情のもつれの線で、身近な男たちの方を徹底して捜査した。ゆきずりの空き巣による犯行とは思われなかったのである。 だがその反面、疑われた人たちは、その後の人生が大きく狂ってしまった人もいる。 例えば、マンションで絞殺されて45万円相当のダイヤの指輪を奪われた女性の件では、不倫相手だった同じ会社の部長(29)が疑われた。この部長は殺された翌日とその翌日に合鍵で女性の部屋に入っており、その時には遺体に気づかなかった。 しかし殺害されて4日後、再びその部屋に来た時、異様な臭いがしたために部屋を調べてみると、女性が遺体となっているのを発見した。 この部長は第一発見者でもあり、不倫相手でもあったことから警察でかなり事情聴取を受け、妻に不倫のこともバレてしまった。この部長は、会社の社長の娘と結婚しており、部長自身、親族として将来の社長候補だったのだが、これが元で離婚となり、会社も退職することになってしまった。 また、遺体を田んぼに捨てて、むき出しの下半身にすすきの穂を差し込んで逃走した事件では、被害者がホステスだったため、毎日のように被害者が勤めていた店に警察が来て、常連客などに事情聴取を行ったためにお客が激減し、ついにはこの店は閉店することになってしまった。 また、マージャン店の店員が殺害された事件では、同じ店で愛人関係にあった男性(35)が疑われ、警察の捜査によってこの男性が店の帳簿をごまかし、売上金の一部を着服していたことが発覚し、逮捕されている。着服した金は被害者女性に貢いでいた。 殺人事件とは関係のない別件逮捕だったが、この一件で男性は1年4ヶ月の懲役に服している。
4件目のマージャン店の店員を殺害してから6日後の昭和52年7月6日、勝田はかねてから応募していた朝日放送のクイズ番組「夫婦でドンピシャ!」の収録に行っている。この番組は8月20日に放送された。 番組の中で勝田は消防士として登場し 「僕は(女は)痩せ型の方を好むんですわ。(妻のこと)顔は毎日見飽きてるけど、スタイルは100人中10番で合格ですわ。」 と、のろける一面を見せている。 勝田夫妻は、賞金8万円と商品券10万円を獲得した。 裏では数々の殺人を行っていた勝田だったが、表ではこのような明るい平凡な亭主であった。また、仕事としての消防士の面でも優秀で、28歳の時に消防士長に昇格しており、救難救助訓練では20回以上も表彰を受け、全国競技大会には2年連続で入賞している。 ▼銃を手に入れる 殺害してダイヤの指輪を奪った事件から3ヶ月後の昭和52年11月20日、勝田は奈良県天理市の銃砲店の前に駐車していた車を発見し、この車から散弾銃を盗んだ。これまでの殺人は絞殺ばかりであったが、この時から犯行に銃を使うようになる。 12月13日、兵庫県神戸市のビルで、兵庫労働金庫 神戸東支店の社員をこの散弾銃で射殺し、社員が持っていたカバンを強奪した。カバンの中には現金約410万円が入っていた。撃たれた社員は30発以上の散弾を浴び、病院で死亡した。 昭和54年、勝田は猟銃愛好家の家からまたもや散弾銃を盗む。この散弾銃で翌年の昭和55年7月31日午前0時過ぎ、強盗に入る。 名古屋市 名東区のスーパーの駐車場で、帰宅しようとしていた夜間店長に銃を突きつけて脅し、事務所の金庫から現金576万円を出させ、店長に車を運転させて逃亡したのだ。 しかし途中で店長が銃を奪おうと揉み合いになったため、胸を撃って射殺した。 昭和55年11月8日、勝田は車上荒らしで逮捕された。懲役10ヶ月・執行猶予3年の判決を受け、このことにより、消防組合を懲戒免職になってしまった。殺人の方はバレなかった。 消防を解雇された後、勝田は妻と子供2人と共に京都府城陽市に引越した。就職の方は、運送会社で雇ってもらうことが出来た。勝田はこの時32歳になっていた。 ▼警官から拳銃を奪う 昭和57年10月27日、名古屋市 千種区で勝田は警察に電話し「盗難車のような、黒い車があるから、調べに来てくれ。」「不審者もいる。」といった電話をかけた。 間もなく警官が現れると、車に乗って待ち構えていた勝田は急発進し、その警官を跳ね飛ばした。更に車から降りて鉄棒で数回殴り、腰につけていた拳銃を奪った。警官の方は全治4ヶ月の重傷で、死亡には至らなかった。 そして拳銃を奪って4日後の10月31日、さっそく銃を使った強盗を実行する。 勝田は静岡県浜松市で、サングラスをかけて口にタオルを巻き、ヘルメットをかぶってトウア名残店に強盗に入った。 「名古屋で警官から拳銃が奪われた事件、知ってるやろ。この銃がそうや。」 店員3人を脅して金を要求したが、ちょっと目を離したスキに店員たちは店の外に逃げ出してしまった。通報されることを恐れた勝田は急いでその場から逃げ出し、この強盗は失敗に終わった。 だが、この日はこれで終わりにはしなかった。同じ日の20時ごろ、勝田は今度は滋賀県の大津サービスエリアにいた。自家用車で高速道路に乗り、ここに車を停めて次のターゲットにする人間を探していたのだ。 そして一人の人間に的を絞った。 ある男性(溶接工 27)が、駐車場に停めていた自分の車に乗ろうとしているのを見つけた勝田は、すぐにその車へ近づいた。 男性が車に乗り込むと同時に勝田は助手席のドアを勝手に開け、 「名古屋まで乗せてってくれんか。」と、強引に乗り込んた。 勝田は銃を片手に「逃げると撃つで。」と、男性を脅し、発進させた。だが、しばらく走って高速道路を降り、滋賀県の草津市の一般道を走っていた時、この男性は車を急停車させ、突然勝田の拳銃を取り上げようとつかみかかった。 2人は車内で揉み合いになったが、怒った勝田は男性の胸に向かって発砲し、男性を射殺した。財布から4万円を盗み、男性を後部座席に移動させて、自分で運転を始めた。 再び高速道路へ入り、養老サービスエリアに車を停めて、今の犯行に使った、血のついた手袋をごみ箱へと捨てた。だが、この時、ガソリンスタンドの従業員の一人がたまたま勝田の方を見ていた。 まずいところを見られたと感じた勝田は、今度はこの従業員に近づいた。 銃を向け「名古屋で銃が奪われた事件知ってるやろ。これがそうや。売上金出せや。」 と従業員を脅すと、この従業員が逃げようとしたので、勝田はそのまま引き金を引いた。弾丸は従業員の胸に命中し、従業員はその場に倒れ込んだ。 この従業員は幸い命はとりとめ、全治2ヶ月の怪我で済んだ。 発砲して周りの人間に気づかれ、その上でガソリンスタンドの金を奪っている余裕はなかった。勝田はすぐにその場から離れ、状況に気づいていないトラック運転手に話をつけて乗せてもらい、再び大津サービスエリアに戻ってきた。停めていた自家用車に乗り換えると、すぐに発進して家に逃げ帰った。 警視庁は、警官から奪った銃を使ってのこれらの殺傷事件を「広域重要113号事件」に指定した。 そして高速道路で事件を起こしてから1ヶ月後の11月28日、勝田は京都市山科区のスーパーに拳銃を持って押し入り、ここでは152万円を強奪している。 そして年が開けて昭和58年の1月31日、スーパーに強盗に入ってから2ヵ月後、勝田は最後の事件を迎える。 冒頭で紹介した、銀行の駐車場で引越し会社の社長に銃を突きつけ、金を奪おうとして逆に取り押さえられてしまった事件である。 以前一度、車上荒らしで逮捕された時には殺人のことまではバレなかったが、今回の逮捕は警官から奪った銃で何人も殺傷した事件である。余罪も厳しく追求され、勝田はこれまでの10年間に渡る犯罪の全てを自白した。 これまで迷宮入りとなっていた、いくつもの事件の真相が明らかとなった。勝田が自供した殺人は全部で22件、そのうち立件されて確定したものは8件だが、残りの14件については自供のみで確証がないということで立件されていない。 窃盗・空き巣・強盗容疑は300件以上におよび、戦後の犯罪史上に残る33の罪に問われることとなった。 立件された殺人の件と、警官から銃を奪った広域重要指定113号事件の二つでそれぞれ死刑判決が出され、上告するも平成6年1月17日、最高裁で上告が棄却され、死刑が確定した。 平成12年(2000年)年11月30日、勝田清孝被告の死刑が名古屋拘置所で執行された。享年52歳。 Top Page 現代事件簿の表紙へ No.066 No.064 |