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No.133 巨石を使った建築物・古代人たちの超技術



オリャンタイタンボの「六枚の屏風(びょうぶ)岩」
15世紀後半から16世紀にかけて繁栄したペルー・インカ帝国の遺跡で、一枚平均 高さ4メートル・幅2.5メートルの岩が横一列に並べられている。一枚あたりの重さは50トンから80トンと言われる。

この屏風岩が建てられているのは、高さ150メートルほどの丘の上であるが、材料を切り出したと思われる場所は、この丘の下を流れる川の向こう岸の山の中、それも高さ330メートルの地点である。

インカ帝国には、巨大な石を使った遺跡が数多く残されており、その加工技術も謎のままで、石の表面が非常になめらかに加工されているものが多い。

50トン以上の岩6枚を人力で切り出し、運び、並べて建てるのは不可能に近く、機械を使わずにどのようにしてこれを作ったのかは解明されていない。

サクサイワマン遺跡の石壁
同じくペルー・インカ帝国の遺跡で、ナンコ・カパック二世がスペイン軍と戦った要塞とされる。それぞれの石が隙間なく精巧に組み合わせられており、計算に基(もと)づいた上に、鋭利な切断面を持たせるように石を加工しなければこのような壁は作れない。

左の写真は石壁の遠景で、膨大な量の石が使われている。それぞれが正確に組み合わされている。

右の写真は接着面のアップで、まるで隙間がないほどに組み合わされているのが分かる。

石の加工技術として、石の表面を石で叩いて平面にするという方法もあると言われるが、それにしてもここまで正確に合わせるのは手作業では不可能に近い。

サクサイワマンの逆さ岩
上記のサクサイワマンの砦から100メートルほど離れた場所にある、四階建てのビルにも相当するほどの超巨大な岩石。重さは推定で2万トン。

この石は中が削られたり、くり抜かれたりして明らかに人の手によって加工がされている。石の内部には階段や廊下、らせん状の模様やソファのようなものが作られている。

しかしそれらの家具は、なぜか天地が逆さまの状態で作られているのである。岩の中をくり抜いて家のように使っていたとも考えられるが、それにしても家具全てが天井につけられているというのは不自然である。

これだけの大岩を逆さまにひっくり返すほどの地震がかつてあったのなら、その痕跡はこの辺り一帯で必ず見つかるはずであるから、この岩だけをひっくり返したか、最初からそのように彫られたか、である。

この岩石が加工されたのはいつなのかは分かっておらず、推定で5000年前くらいだとされている。

ペルーの農業用水路
ペルーの首都リマの、北の方向約600kmの地点にカマハルカという場所がある。ここに現代の技術を使っても製作が難しい農業用の水路が残っている。

この水路が作られたのは紀元前900年ごろとされ、現在からすれば3000年近く前のことである。その当時のこの地に栄えていた文明はプレインカ文明と呼ばれる。

海抜3000メートルに位置するこの地方に作られた町は、まずは岩盤を削り取って道路を作り、その上で畑や田に合わせて水路が張り巡らされている。

水路の長さは合計すると20km以上ある。その水路のコース上にある大きな石などが、見事な切断面を持って切り取られ、水路を形成しているのである。

刃物では無理な切り口であって、レーザー光線が使用されたかも知れないという意見もある。水路の中には幅が20〜30cmしかないのに、深さが2メートルもある個所もあり、機械を使わなければ人間が入って掘ることは出来ない。
とてつもなく大きな凹(おう)面鏡を使って太陽の光を集約させ、細く鋭くした光で石を切断したという説もあるが、どれだけ巨大な凹面鏡が必要か、また角度もそう都合よくうまく合うのか、ということから説得力は乏しい。

また、更に驚異なのは、岩盤内を貫通して伸びている小さなトンネルである。トンネルの幅は30cm程度で、鋭利な切断面を持って作られている。この状態で岩盤の中を100メートル以上伸びており、しかも途中で直角に曲がっている。

このようなものを作るのはレーザー光線を使っても不可能と言われ、もちろん人間が入り込んで作業出来るような空間はない。考えられるとすれば無線操作が出来る機械類を使うしかない。

石を繰り抜く技術もそうであるが、なぜ直角に曲げる必要があったのか、など不明な部分の多い遺跡である。

マチュピチュ遺跡
ペルー・インカ帝国の巨石文明の中でも、最も建設が難しい場所に建てられた都市がマチュピチュである。建設が始まったのは1440年ごろで、約80年間ここに人々が住んでいた。

標高2000メートルの、周囲を崖に囲まれた山の上に作られたこの都市は、たどり着くだけでも大変な場所であり、都市までは難所の連続である。

都市の面積は約13平方kmで、石で作られた建物の数は約200戸ある。建築物の材料となった石は、都市の下界600メートルほどの地点から切り出されていた。都市の中には住宅だけではなく神殿や畑、灌漑水路が整備され、墓地もある。

このような場所に都市を築いた理由は明確には分かっていないが、スペイン人の侵略に対する最後の砦であったとか、インカは太陽を神と崇(あが)めていたため、太陽に近い高地に作られた宗教都市であったとか、太陽の動きを観測するには両側が崖であるこの地は最適であった、などの説がある。

出土した骨の分析によると、50歳以上の人も多数おり、骨にも戦いで折られたような痕跡がないことから、健康的で平和な都市であったことが分かる。人口は約750人と推定されている。

また、建設理由としてインカの王族や貴族の別荘だったという説もあり、そうであるなら、王族や貴族(その使用人も含めて)が不在の時期はほとんど人口のいない都市だったことになる。

しかし鉄器を持っていなかったとされるインカの人々がどのように石を切り、加工し、そしてこのような高地まで運搬出来たのか、その具体的な方法は明らかにされていない。

コスタリカの石の球体
南米・コスタリカで200個以上発見された、石で作られた球体。大きさはバラバラで、最大のものでは直径2.4メートル、重さ20トンある。

どれも完全な球に近い精巧な作りとなっており、誤差が0.2%という球体もあった。また、直径が200.66センチという、ミリ以下の単位さえ全く同じものが同じ場所で二つ発見されている。

年代鑑定の結果、4世紀から9世紀にかけて作られたものと判明した。

石で完全な球体を作るのは現代の技術でも難しいと言われている中、この時代でどういった技術で作られたものかは不明。使用目的も判明していない、意味不明の物体。

写真は、コスタリカ国立博物館の中庭に展示してある球体。

バールベック神殿の超巨大な石
中東のレバノンのベカー高原に残っている、大神殿の跡。ここにはかつて古代都市バールベックが存在していたが、今では廃墟となっている。
この都市自体は、3000年前ごろフェニキア人によって築かれ、後にローマ人に征服された。(写真左)

ローマ帝国はこの地を征服した後に、先住民族が作っていた神殿の基盤を利用してそこに自(みずから)らの神殿を建設した。

建設された時代は紀元前1世紀から5世紀にかけてであるが、ローマ人は継ぎ目のない壁や柱を好んだために巨大な石材が多く使われた。


しかし、謎として残っているのは、この神殿から1kmほど離れた場所にある、石きり場の近くに放置されている超巨大な切り石である。(写真右)

それは高さ4.3メートル、幅4.6メートル、長さ21.4メートル、重さは推定1100トンで、小さなビルにも匹敵する。石の手前に写っている人々と比較するとその大きさが分かるが、継ぎ目のない単一の石である。

石きり場から10数メートルのところに横倒しにされて、片方を地中にめりこませた形で放置してあり、おそらく神殿の建築材料に使われるはずだったものが、あまりに大き過ぎて扱えず、そのままになってしまったものと思われる。

古代人が石を切り出す時には、石に木の杭を何本も打ち込み、その杭に水をかけて、木の膨張する力でヒビを入れて切り出したという説がある。また、石を運ぶ時には丸太を敷いてその上を転がして運んだとされているが、ここまで巨大であると、その方法は通用しない。

4メートルか5メートルも木の杭を打ちこむことは不可能であるし、一番奥の面はどうやって切り離したのだろか。また、丸太は転がすよりも前にその重量でつぶれてしまう。人力で作業するしかなかった時代に、これほど巨大な石をどうやって元の岩山から切り出し、長方形に仕上げ、ここまで運んできたのかすべてが謎である。

ピラミッド

ギザの三大ピラミッド



建築材料として加工された石。なめらかな
切断面で、手作業でないことは明らかである。



同じく加工の途中だったと思われる石の
アップ。
切り込みは途中で終わっているが、
細く直線的な切り口は機械を使って
いたとしか思えない。
巨石文明の代表格とも言えるエジプトのピラミッド。その中でも、クフ王・カフラー王・メンカウラー王の三つのピラミッドは隣接して建てられており、ギザの三大ピラミッドと呼ばれる。

建設されたのは、紀元前2600年ほど前の第四王朝の時代とされており、現代からすれば約4600年前ということになる。

このギザの三大ピラミッドの中でも、ひときわ巨大なのがクフ王のピラミッドで、高さは失われた頂上部分も含めて146.6メートル、底辺は各230メートルで、使われている石の数は約260万個にも及ぶ。石の重さは一個平均12トンである。

ピラミッドの建設方法については、これまでいくつか仮説が立てられた。

また、今から約2500年前にギリシャの歴史家ヘロドトスがこの地を訪れた時にもピラミッドの建設方法を書き残している。

代表的な方法として、まず、石を切り出すには、上記のバールベックの巨石のように木の杭(くい)を使って切り出したとされている。石はこの地から約100km離れた山脈から切り出された。

イカダと石を縛りつけてナイル川を下り、陸地では丸太を敷いてその上を転がして運んだ。

最初に一番下の段を作ったら、その横に砂を盛り上げて斜面を作り、その上を引いて二段目三段目・・と積み上げていき、それに伴(ともな)って斜面もどんどん高くしていった。そして最後に頂上に石を置いて砂をどければ完成する。

一見、この方法で作れそうにも思えるが、実際には不可能であることが判明している。

まず、これを人力でやるとなると膨大な日数を要する。
ヘロドトスの記録では、建設準備に10万人が10年、建設には10万人が20年かかった、とあるが、実際ヘロドトスがピラミッドを訪れたのは建設されてから2000年以上経ってのことであって、実際に建設を見ていたわけではないので、この記録にも疑問符がつく。

また、別の学者の計算ではのべ50万人の奴隷を使って一日10個ずつ積み上げても600年かかるという。また更に別の説では現代の技術で24時間稼動しても石の切り出しだけで27年かかるという試算もある。

先述の人力による建設方法が実際には無理だとされるのは、年数の問題や、切り出した石を100kmもの距離を運んできたというだけではなく、石の加工技術や土木技術にもある。

それぞれの石は正確に長さを合わせて切り揃えられ、しかも隙間が全くないほどに密着させられている。石のそれぞれの面も平らに加工してあり、杭を使って岩盤から切り出したとは思えない。

また、ピラミッドの四つの側面がきちんと東西南北を向いており、それぞれの角は直角となっている。

何より、約260万個という途方もない石の数は異常であり、人力で作ることが前提となっているのであれば最初からそういう計画を立てるであろうか。

また、石の中には機械を使ったとしか思えないような、なめらかな切断面で加工されているものや、細く直線的な切り跡が残ったものも発見されており、加工技術も建設方法も依然謎のままである。

モアイ
南米のチリから3000kmほど離れた、南太平洋上の島・イースター島に立っている、有名なモアイ像。

確認されているだけで867体あり、一体は5トンから50トンの重さがある。

モアイ像で有名なイースター島には、「この島を作ったマケマケという神様の化身である鳥人が、モアイに歩いて移動しろと命じた。」という伝説が残っている。

また、バールベックの巨石のある地域では、「魔法を使って大きな石を飛ばした。」という伝説もある。

伝説が事実とは思えないが、それに近いことが考えられるとすれば、重力を制御する技術を古代人は持っていたのであろうか。




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