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No.146 ケネディ大統領暗殺に関する疑惑



▼暗殺の実行

1963年11月21日、アメリカ第35代大統領ジョン・F・ケネディは夫人と共に大統領専用機でテキサス州ダラスを訪れた。訪問の目的は、このダラスで、ある二つの党が対立関係にあり、その調停をすることであった。そして翌日の11月22日には、ケネディ大統領はオープンカーに乗ってダラスの街をパレードする予定になっていた。

パレードの最中のケネディ大統領。隣はケネディ夫人である
ジャクリーヌ・ケネディ。この後、狙撃される。
狙撃された直後のケネディ大統領。ぐったりと夫人に
よりかかるように倒れる。
だが国民はケネディを支持する人たちばかりではなく、当然反対派もいる。屋根も窓もなく、搭乗者がむき出しとなるオープンカーでのパレードは、狙撃されたり物を投げつけられたりする危険性があるため、ダラス市警察署は、ケネディ大統領に対し、パレードに使う車には透明の防弾カバーをつけるように強く主張していた。

だがケネディは、パレードを通じて市民と親近感を持ちたいということでこの指示を拒否し、予定通りオープンカーに乗ってパレードを行うことにした。翌年の選挙に向けてのアピールの一つの手段でもある。

11月22日、予定通りパレードは開始された。先頭と二番目の車にはダラス警察とシークレットサービスが乗り、大統領の車は三番目にあった。その更に後ろに報道関係者や政府関係者の乗った車が続く。

ケネディの乗った車は、リンカーン・コンチネンタルをリムジンに改造した車で6人乗りである。車の一番後ろの座席にケネディ夫妻が乗り、その前の座席にはコナリー州知事夫妻が乗り、運転手はホワイトハウスのシークレットサービスが務め、助手席にもシークレットサービスが座った。

道路に並んだ市民たちが、様々な言葉を投げかける。支持者たちは歓迎の言葉を、反対者たちはブーイングである。多くの、そしていろいろな人々の歓声の中、大統領たち一行の車は決められたコースを進み、12時30分ごろヒューストン通りに入り、「テキサス教科書倉庫ビル」の前を通過した。だが、その瞬間、事件は起こった。

突然、数発の銃声が響き渡った。次の瞬間、大統領は両手で首を押さえるようなしぐさを見せたかと思うと、そのまま横に座っている夫人の方へぐったりと崩(くず)れ落ちた。次の瞬間には、前に座っていたコナリー州知事が前のめりに倒れた。

次の銃声が聞こえた時、ケネディの頭の上部は吹き飛ばされ、頭蓋骨と脳の破片が後ろの方に飛び散った。ケネディ夫人はすぐに後ろを振り向きながら手を伸ばし、オープンカーの後ろの方に散らばったケネディの頭の破片をとっさに拾った。

「夫が殺された!私の手にあの人の脳がこんなに出てる!」
ケネディ夫人が叫んだ。

この間、時間にして6秒から9秒ほどの出来事である。

街の人たちの多くは、パレードの一環で、爆竹やクラッカーが鳴らされた程度にしか思わなかったが、ケネディ夫人と、その前の座席に座っていたコナリー州知事夫妻は、何か起こったのか、すぐに理解出来た。

「大統領が殺された!」「全員殺されるぞ!」

コナリー州知事が苦しそうに叫んだ。コナリー州知事の背中にも弾丸は命中していた。運転手のシークレットサービスも瞬時に状況を理解し、そのまま全力でダラス市のパークランド・メモリアル病院に向かった。

だが、ケネディ大統領は頭部を破壊され、ほぼ即死状態であった。病院に到着した時にはすでに死亡していた。

ケネディには2発の弾丸が命中していた。一発は頭に、そしてもう一発は首を貫(つらぬ)いていた。ケネディの首を貫いた弾丸が、その前に座っていたコナリー州知事に命中したのだ。

後の調査によると、ケネディに向かって撃たれた弾丸は3発。1発目ははずれ、2発目にケネディの首を貫いてコナー州知事に命中し、3発目がケネディの頭部を破壊した。

(ただしこれは、この事件の報告書としてアメリカ政府が公式採用した「ウォーレン委員会」の報告書に基(もと)づく報告であって、FBIの調査結果はまた違っている。FBIの調査では、1発目はケネディの首を貫き、2発目がコナリー州知事を直撃し、3発目がケネディの頭部に命中したとしている。このFBIの調査結果は「ウォーレン委員会」に提出されている。)

後述となるがこの後、弾丸の詳細に関しては後々議論を呼ぶこととなり、この事件の謎の一つとなっている。


▼犯人逮捕されるも、第三者によって射殺される

ケネディ暗殺の翌日(11月23日)、ダラス警察
の取調室に連行されるオズワルド。
オズワルドを射殺したジャック・ルビー。
犯人はこの日のうちに捕らえられた。テキサス教科書倉庫ビルの従業員であり、その時に6階にいたリー・ハーヴィー・オズワルドという男である。

ただ、オズワルドは、最初はケネディ暗殺事件の容疑で逮捕されたわけではない。オズワルドはたまたまケネディ暗殺事件の1時間20分後に警官殺しの罪で別件逮捕されていた男であった。余罪追求の一環としてケネディ暗殺事件にも触れて追求するうちに、このオズワルドを、ケネディ暗殺事件の容疑者としてもほぼ確定し、その日の夜、再逮捕したのだ。

ハイスピードで実行犯が逮捕され、これで事件の全貌(ぜんぼう)が解明されると思われていた時、事態は急展開を迎えた。

逮捕から二日後の11月24日、オズワルドは刑事たちに囲まれてダラス市警察本部から拘置所に移されようとしていた。ダラス市警の地下通路をオズワルドと刑事たちが歩いている時、突然、ある男が侵入してきて、オズワルドに向かっていきなりリボルバー銃の引き金を引いた。

あっと思う間もなく銃声が響き渡り、オズワルドは数発の弾丸を受けてその場に倒れ込んだ。オズワルドは大統領暗殺の容疑者であるから、この移送の場面は多くの報道陣たちがテレビ中継をしていた。

この生放送の最中に悲劇は起こり、多くのアメリカ国民はオズワルド射殺の場面を見ることとなった。すぐに病院に運ばれたがオズワルドはそのまま死亡した。

オズワルドを撃った男はジャック・ルビーというクラブ経営者の男で、ルビーはその場で逮捕された。結局オズワルドは、事件についてほとんど何も語らないうちに射殺されてしまったのだ。

逮捕されたルビーは、「ケネディ未亡人の代わりに敵(かたき)をとってやろうと思って奴(オズワルド)を殺した。」と語った。ルビーを調査した結果、マフィアとも深いつながりがあり、また、ダラス市警にも何人もの親しい友人がいるということが明らかになった。

ダラス市警の地下通路に、警察関係者でも報道関係者でもないルビーが銃を持って侵入出来たのも、ダラス市警の友人が手を貸したためではないかと言われている。

ルビーは裁判の結果、死刑判決を受けた。

だがルビーは死刑が執行される前にその生涯を閉じてしまう。死刑判決を受けた4年後、ルビーはダラス郡拘置所に収監されている時、ある日突然激しいセキと吐き気に襲われ、その数日後に死亡してしまった。

直接の死因は右肺にあるガンからくる肺塞栓(はいそくせん)だった。しかし後に、ダラス郡検視官が調べてみると、これまでルビーの、ガンの発生場所とされていた膵臓(すいぞう)には何の異常もないことが判明し、『拘留中にガン細胞を移植されたのではないか』との説も浮かび上がった。


▼ウォーレン報告書

以上の事件の流れは、アメリカ政府が公式見解として発表した報告書に基(もと)づいて文章化したものであ。

ケネディ暗殺事件の調査・報告をメインで行ったのは、事件調査委員会である「ウォーレン委員会」という組織である。ケネディ死亡後に大統領となったジョンソン大統領の指示で結成された組織で、政府公認の組織としてこの暗殺事件の調査に当たった。

この組織の最高責任者がアール・ウォーレンという人物で、この名を取ってウォーレン委員会と呼ばれ、ウォーレン委員会が政府に提出した報告書を「ウォーレン報告書」という。この「ウォーレン報告書」が、アメリカ政府の公式見解として世界に向けて発表された。

ウォーレン報告書が公開されたのは、事件から十ヶ月経った時だった。


▼ウォーレン報告書の矛盾点

一国の大統領が狙撃されたという大規模な事件であるから、当然、調査を行ったのもウォーレン委員会だけではない。警察やテレビ、雑誌・新聞などのジャーナリストなど、多くの人がこの事件を徹底調査した。

さまざまなジャーナリストたちが独自に調査を行った結果、アメリカ政府の公式見解として発表された「ウォーレン報告書」には、さまざまな矛盾(むじゅん)があることが指摘され始めた。


1.銃弾

大統領のパレードということで、テレビ局が生中継していたが、狙撃された道路はさほど重要視されていなかったのか、テレビカメラは一台も設置されていなかった。たまたまアマチュアカメラマンであるエイブラハム・サプルーダーという人物が8ミリビデオで狙撃の瞬間を撮影しており、この映像が事件を伝える映像として全世界で放送された。

実際には他にも3人の人たちがビデオで撮影しており、写真を撮っていた人も何人もいたことがその時現場にいた人たちの証言で分かっているが、捜査に使われ、もっとも有名となった映像は、サプルーダーの撮影したものである。

この8ミリビデオは、撮影者の名前を取ってサプルーダーフィルムと呼ばれている。26.6秒で486コマのフィルムで、映画「JFK」にも使われ、日本でも放送されたので、見た人もいるかも知れない。

ウォーレン報告書で、一番の矛盾点となったのは、銃弾に関する問題である。アメリカ政府が公式見解として発表したウォーレン報告書と、実際にテレビで放送されたサプルーダーフィルムとでは内容が食い違っている。

ウォーレン報告書によれば、ケネディの乗ったオープンカーが教科書倉庫ビルの前を通過して少し経った時、そのビルの6階からオズワルドは撃ったとしている。つまりケネディは背後から撃たれたのだ。

しかし狙撃の瞬間を撮影したサプルーダーフィルムを見ると、ケネディ大統領は明らかに前から撃たれている。世界中の多くの人が、この映像を見て確信した。

狙撃を受けた直後、後ろに飛び散ったケネディの頭部の破片を拾おうとして、夫人が後ろ向きになって手を伸ばしている場面が映っている。

また、発射された弾丸も3発とされているが、警察の録音テープを聞けば7発の銃声が確認出来るという。

オズワルドは、教科書倉庫ビルから3発の弾丸を放ったと確定された。1発目ははずれ、2発目が、背後からケネディの首を貫通した。そしてそのまま前に座っていたコナリー州知事の背中をも貫通し、最終的にコナリー州知事の左太股(ふともも)に当たって止まった、とされている。そして3発目がケネディの頭を直撃した。

しかし2発目の、コナリー州知事の背中を貫通した弾丸が、その直下の太股(ふともも)に当たるということはきわめて不自然である。


2.ケネディの頭部のX線写真

ウォーレン委員会は、ケネディの頭部のX線写真も公開している。その写真は、弾丸が後ろから頭部を貫通したために顔の右半分が激しく破壊されている写真であった。

しかし、事件から20年以上も経った時、「この写真は偽物だ」と主張するジャーナリストが現れた。

このジャーナリストの名はロン・レイトナーと言い、彼の主張は日本でも雑誌「現代」(講談社)の1991年2月号に掲載された。

ロン・レイトナーによれば、これまで公開されていた、「顔の右半分が激しく破壊されているX線写真」は、世間の人々に、ウォーレン報告書が事実であると信じさせるために作られたニセモノの写真であって、本当に事件後のケネディの頭部を写したものではないという。

ロン・レイトナーは、射殺されてから数時間後に撮影された、ケネディの検視の時の本物の写真を手に入れることに成功したと発表している。

その本物の写真によると、ケネディは、「頭」は確かに破壊されているものの、「顔」に関しては、これまで公開されていたX線写真とは全く違い、ほとんど無傷であった。しかも、背後からではなく、前から撃たれたことがはっきりと分かる写真であった。写真に関しては、ウォーレン報告書の内容を完全に否定している。

そして更に、これまで公開されていた、顔が破壊されたX線写真を「作成した」したという人物さえも見つけ出し、直接本人の口から「あの写真は私が作ったものだ。」との証言も得たのだ。

このX線写真が作られた目的は当然、ウォーレン報告書にある「後ろからの狙撃によって頭を撃ち抜かれた」ということに対してつじつまを合わせるためである。


3.オズワルドは本当に犯人か

ウォーレン報告書によると、3発のうちの2発はオズワルドが発砲したものであると確定された。残りの1発は不確定ながら、オズワルドが発砲したものであろうということになっている。更にスコープ付きのライフルと、使用済みの3個の薬莢(やっきょう)も見つかり、銃身にはオズワルドの指紋がついていた。

オズワルドが直接の実行犯であことは、ウォーレン報告書のみならず、世界共通の事実として残っていることであるが、この根本的なことに関しても疑惑が生じている。

ケネディが狙撃された地点は教科書倉庫ビルをずいぶんと通り過ぎた地点であり、ビルと車まではかなりの距離があった。この距離で、しかも車に乗って動いている標的を撃ち抜くには相当の腕が必要である。

犯人であるオズワルドは、アメリカ海兵隊にいた経験はあるが、4年で除隊しており、このような腕があるとは考えにくい。

また、オズワルドが撃ったという教科書倉庫ビルの窓からでは、木が覆(おお)い茂っており、道路上の車を狙うには非常にやりにくい。更に、オズワルドの使用したボルトアクション方式の銃では5〜6秒の間に3発を連射して正確に的に当てることは不可能に近いという。

オズワルドの放った弾丸は、「1発目ははずれ、2発目にケネディの首を貫いてコナー州知事に命中し、3発目がケネディの頭部に命中した」と報告書には記載されている。
十分に狙いをつけられるのはもちろん最初の1発目であり、5〜6秒の間に3発を連射するとなると、2発目・3発目になるほど狙いは不正確なものとなる。

ウォーレン報告書によると、1発目よりも2発目3発目になるほど射撃が正確になっており、こういった可能性もゼロではないが、それは奇跡に近い。


4.あの時、ケネディを撃った人物は二人いた

ウォーレン委員会の調査が終了した後、アメリカ下院の特別調査委員会が改めてこの事件を検証し始めた。法医学、音響学、弾道学、写真などに関する専門家に意見を聞き、ビデオや音声を徹底的に分析した結果、1979年に発表された新説によれば、あの時ケネディに向かって発砲したのは2人いた可能性が高いと発表した。

一人はオズワルドということで、ここではウォーレン報告書の内容を認めながら、もう一人は教科書倉庫ビルの下の広場から発砲したが命中しなかった、としている。

実行犯が二人いたということは、共犯者がいたということである。ケネディの殺害を企(たくら)んだ全く関係のない二人が同時に狙撃したとは考えられない。

ウォーレン報告書によれば、犯行は、オズワルドが単独で行ったもので、また、オズワルドを射殺したルビーもまた単独犯であり、両者共にいかなる背後関係も見い出せなかった、と結論づけているが、その説をそのまま信じるジャーナリストはほとんどいない。

狙ったのは一国の大統領という人物であり、オズワルドがもう一人に協力を頼んだという可能性よりも、オズワルドの背後にいた組織が、2人の男に実行を命じたという可能性の方が高い。

しかし当のオズワルドはほとんど何も語らないまま射殺されてしまったので、背後に組織があったのかどうかは不明のままである。この事件をめぐって相当な数の本も出版されたが、そのほとんどはオズワルドが単独犯であることを否定している。

「オズワルドと、もう一人の実行犯は、組織の命令でケネディを殺したが、そのオズワルドも組織の放ったルビーによって殺された。そしてそのルビーも組織の工作によって拘置所の中で不審な死を遂(と)げた。」という説が有力となっている。

結局銃弾に関しては、3つの説があり、

・オズワルドが教科書倉庫ビルから3発を発射した。(公式発表された結果)

・オズワルドが教科書倉庫ビルから何発か発射したが、それと同時に前方からも何者かが発砲し、それがケネディの頭に命中した。(映像からの推測)

・オズワルドが教科書倉庫ビルから2発を発射、それと同時に教科書倉庫ビルの下の広場から何者かが発砲した。(アメリカ下院の特別調査委員会による再調査)

となっており、公式発表されたことが結果として記録に残っているものの、銃弾に関しては不明のままとなっている。


▼オズワルドとルビーの背後には組織があったのか

実行犯とされているオズワルドは、事件の5年ほど前から政治問題にのめり込み、ソ連に滞在していた時期もある。アメリカの市民権を放棄したいとモスクワのアメリカ大使館に申し出たり、アメリカ軍の情報を提供したいと申し出たりしており、KGBとも接触があったと言われる。

<※KGB:ソ連国家保安委員会。1954年からソ連崩壊(1991年)まで存在したソ連の情報機関・秘密警察。(ウィキペディアフリー百科事典より)>

また、アメリカに戻った後にはKGBが常にオズワルドを監視していたという事実も明らかになっている。オズワルドが何らかの政治団体に所属していたという可能性は十分に考えられる。

オズワルドは逮捕された後、「俺は誰も殺してない! 俺は罠にかけられただけだ!」と、犯行を否定する発言をしているが、その翌日にルビーに殺された。


また、そのオズワルドを射殺したルビーの方であるが、ルビーはクラブ経営者とはいえ経営状態は悪く、税の滞納が4万ドルも溜まっていた。それがケネディ暗殺の前から急に金まわりが良くなり、暗殺の前日には「これで俺もやっと借金から開放される。」などと言いながら友人たちに札束を見せつけていた。

オズワルド射殺後に逮捕され、ダラス郡拘置所に収容されている間も

「アメリカ政府が発表した報告書は世界中をだますためのもみ消し工作だ。連中は嘘の報告をして俺に全てかぶせようとしているんだ!」と発言しており、「記者会見で真実を話したいのでワシントンに移してくれ。」とも頼んでいる。

また、ルビーはマフィアとも深い関わりがあったことも判明しており、更にダラス警察にも何人かの親しい友人を持っていた。ルビーがダラス警察本部から連れ出されようとしているオズワルドに簡単に近づけたのも、警察署内の友人が手を貸したためだと言われている。

オズワルドとルビーも、背後に何らかの組織がいたかのような発言を残している。


▼ケネディを狙った可能性のある組織

前述したが、オズワルドが個人的な考えでケネディ暗殺を行ったと考えるものはほとんどいない。そこに政治的な企(たくら)みがあり、組織があり、実行犯としてオズワルドだけが逮捕され、そのオズワルドは口封じのためにルビーに殺された、という説が主流となっている。


大統領には、暗殺された当時、数多くの敵がいた。

◆白人と同等の権利を黒人に与える公民権法を制定するという案を出して、白人優越主義者(クー・クラックス・クラン = KKK)などの反感を買っていた。

ケネディは、選挙の時にマフィアに票のとりまとめを頼んでいたにも関わらず、当選して大統領となってからは、弟のロバート司法長官にマフィアの徹底的な摘発を命じ、マフィアを絶滅に追い込もうとした
当然、マフィアたちからの怒りを買うこととなった。

CIAが中心となったキューバ侵攻が失敗して以来、ケネディとCIAの関係は悪化しており、ケネディはCIAの解体を宣言していた。CIAからも反発を買っていた。

(※CIA:アメリカの諜報(ちょうほう)機関であり、大統領の直轄組織となる。外交や国防に関して必要な情報収集を、スパイを使って行う。そのため、活動内容は不明の点が多い。アメリカ政府から莫大(ばくだい)な予算を与えられ、相当な権限も与えられている。

政府の陰の仕事を実行するような機関で、その業務内容の中には、敵国の指導者の暗殺や、敵国内での情報操作、機密を保持するための証拠物件の抹消なども含まれる。水面下での活動が多いため、さまざまな職業に偽装させて、全世界に人員を配置しているとも言われる。)

ケネディの死後大統領となった、当時副大統領のジョンソンが暗殺を企(くわだ)てたという説もある。

確かにケネディが死んで一番得をしたのがジョンソンであるし、ジョンソンならばウォーレン報告書の操作も可能であったが、国家規模の欺(あざむ)きを実行するなら、CIAなどの協力が必要となってくる。ジョンソンの私利私欲でCIAが動くとも思えず、この説は可能性が低い。

ベトナム戦争からアメリカ軍の完全撤退を命じて軍産複合体(ぐんさんふくごうたい)から反発を買っていた。

軍産複合体とは要するに、戦争を行うための企業や政府、軍体などの連合体である。戦争と聞けば、破壊、殺し合いという印象が強いが、世の中には戦争があるが故(ゆえ)に儲かる人間もいる。

戦争が長引くほど兵器や戦闘機が売れ、軍人に必要な資材や食料も必要となってくるわけで、戦争のおかげで売り上げが伸びる企業はたくさんある。

戦争によって巨大な利益を上げている企業や政府関係者にとっては、戦争が終結してしまっては死活問題に関わる。軍産複合体にとって「戦争とは金を儲けさせてくれるもの」なのであり、ベトナム戦争から手を引いてもらっては困るのだ。


いずれも、あくまでも可能性ということである。暗殺だけならば、それぞれの組織が狙撃手を容易することも出来るが、その後の実行犯の殺害、何よりも情報操作がもっとも困難であり、情報に関してはCIAの協力なしにはこの犯罪は成り立たないと言われる。

利害の一致した組織同士のいくつかが手を組み、「ケネディ暗殺・犯人の単独逮捕」という形に持って行ったという説がもっとも可能性が高い。

仮にオズワルドやルビーの背後に組織があったのであれば、それが不明のまま事件が解決されているのであるから、その組織にとっては完全犯罪とも言える。この事件に関しては2039年に極秘文書が公開されることになっている。


ケネディ暗殺事件の真相を解明しようとするのは危険であると言われる。

27年間の間に、事件の真相を追いかけていたジャーナリストたちや目撃者の20人以上が交通事故や自殺、謎の死を遂(と)げたり、射殺されたり脅迫を受けたりしている。そのうちの、12人は目撃証言を行った人たちである。



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