別に何もいらない。
何も欲しくない。
だって手に入れて、もし壊してしまったり、無くしてしまったら、悲しいじゃない。
辛いじゃない。
だからいらない。
その痛みに、もう耐えることが出来ない。
きっと、二度目は耐えられない。
それほど、怯えている。
それほど、心を閉ざしている。
突き刺さったはずの破片を探している限り、何も――――――。
― 破 片 ― kakera
京一とこんな関係になってどれくらいの時間が経ったのだろう。
亜里沙はぼんやりと天井を見ながら考えていた。
だが絶えず与えられる快楽に思考は散らされていく。
「ああ・・・・・あんッ・・・・・・はァ・・・」
スタンドが灯されただけの暗い部屋の中で、亜里沙は身悶える。
力強い腕が背中に回され抱き寄せられると、京一の首に腕を回し、絡みつくように唇を合わせた。
貪る口から零れる唾液と淫靡な音は羞恥を更に煽り、亜里沙の躯に熱を加え、紅く色づかせる。
繋がったままの躯はただ一点に登りつめる為、激しさを増し、やがて、解放させた。
亜里沙を抱いた京一はゆっくりと己の象徴を抜くと、ベットサイドにあった煙草に手を伸ばした。
肩で息を整えていた亜里沙は、京一の行為を見て、わざと苦渋を含んだ声を出した。
「ヤったあとで煙草を吸われると、遊ばれた気分だわ」
「そうか? ま、俺が煙草吸うのってこんな時ぐらいだかんな」
そう言って京一は、子供のようにニカッと笑った。亜里沙は、そんな京一の笑顔が堪らなく好きだった。
4ヶ月前――――――7月
熱帯夜という言葉が躯に纏わりつくような新宿の街を、泳ぐように亜里沙は歩いていた。
目的ははっきりしている。
一夜限りの男を探す為だ。
京一たちと出会う前は、何もかもが空しく、何もかもが憎かった。
自分の躯を晒し、男をいいようにしていたあの頃は、失った心の隙間を埋め合わせるようにセックスに没頭した。
結果は、補うどころか、更に自分の心を虚無のものにしていた。
そんな自分の行為が間違いだと教えてくれたのは、仲間だった。
だがこの日ばかりは、自制が利かなかった。
とにかく、後でどんな感情が待ち受けていようとも、今考えていることを一時でも忘れさせてくれる男なら誰でも良かった。
亜里沙にはこの方法しか思いつかなかったのだ。
―――――セックスなら、考えなくて済むかもしれない。
あまりにも自虐的で、後悔することも解かっている。
躯を重ねることで、温もりを感じる。その温もりは、ベットの上だけは、愛に変わる。
そんなことあるはずもないのに、独りではないという感覚だけを、亜里沙は欲していた。
原因はわかっている。
一人の少女が、目の前で死んだ。
今まで面識はなかったし、話に聞いたこともなかった。
戦いの場で、最後に絶望的な量の血を流して仲間の一人に抱かれているのが初めての出会いだった。
だがその壮絶な最後は、亜里沙に深い衝撃を与えた。
自分の行為を責め、護り通し、償いに死を選んだ少女。
拭いきれない穢れ。消せない罪。忘れられない背徳。
――――――自分も同じではないか・・・・。
復讐という名で、何人の命を絶たせたことか。
直接自分が手を下してないとはいえ、煽り加担したことは事実。
仲間に紛れてしまうことで、全てを許されたような気になっていた。
忘れていたわけではない。―――――――忘れていたのかもしれない。
あまりの居心地の良さに・・・・・。
これから自分がやろうとしていることは、亜里沙自身、あまり意味のなさないのは解かっていた。
だがそれでも・・・・独りではすでに溢れだす思考と、駆け巡る罪悪感を拭うことなど出来なかった。
ふと立ち止まり、如何にも暇そうに辺りを物色する。
都合のいいことに、こちらをちらちら見ている視線とぶつかった。
見た目は20歳くらいか・・・大学生だろう。綺麗な身なりをしている。舐め回すような視線は上から下へとなぞり、やがて聳え立つような亜里沙の胸に止まった。
意味ありげに微笑んでやると、クスッと笑みを零し、亜里沙に近づいてくる。
亜里沙は決して動かない。ただ視線は逸らさず、男を誘うように見ているだけだった。
その刹那、ふいに誰かに腕を掴まれた。
咄嗟に睨みつけるように視線をやると、そこには仏頂面をした京一が立っていた。
「きょ、京一っ!?」
誘ったはずの男が何事もなかったように方向転換したのが視界の端に映った。
「何やってんだよ、こんなとこで」
その声もかなり機嫌の悪いものだった。
なんでこんなところに京一が・・・・・それよりも一体いつから・・・・?
驚きが勝っていたが、徐々に落ち着いてくると、亜里沙は如何にも不機嫌な声を出した。
「何って、あんたには関係ないでしょっ!?」
腕を振り解くと、そのまま胸の前で組み、ふいっと横を向いた。
誘ったはずの男はもうどこにも見当たらなかった。
「お前さ、今自分がどんな顔してるのか解かって言ってんのかよ」
機嫌が悪いというそんなレベルではない。
――――――怒っている?
それよりも京一が放った言葉が気になった。
「どんな顔してるっていうのよ」
「自殺志願者みてェな顔してる」
鼓動が止まった気がした。その証拠に息が上手く出来ない。
京一の顔を見ることが出来ない。
なおも畳み掛けるように、京一が言葉を放つ。
「なんでそんな自分を追い詰めたような、自暴自棄な顔してんだよ」
そうだわ――――――と、亜里沙は思い出した。
例え僅かな時間とはいえ、京一がどのような人物かわかっている。
そうだわ。誰よりも、人の表情に敏感なんだわ――――――。
隠しや誤魔化しなどは利かない。ゆっくりと振り向くと、太陽の光のような眼差しで亜里沙を射る。
その眼差しが何故か暖かくて、亜里沙は泣きそうになった。
途端に京一はうろたえて、困ったように頭をがしがし掻いた。
「まァ、なんだ。俺でよければ聞いてやるよ。だからさ、意味なく男引っ掛けるの止めろよ。お前はそんな女じゃねェだろ?」
言葉が、ゆっくりと染み込む。心を揺さぶる、暖かい感情。
忘れていたはずの、思い出したはずの、想い。
亜里沙は、京一に抱きついた。
「お、おいッ。ちょっと待てッ」
更に京一はうろたえていたが、亜里沙が離れないと解かると、おずおずと腕を回し、亜里沙を包み込んだ。
亜里沙は泣かなかった。
自分の罪を忘れた訳じゃない。穢れが昇華された訳じゃない。
だから泣くことは出来ない。
でも今は、溺れてしまいたかった。
「京一、お願いがあるの」
「なんだ?」
「あたしを抱いて」
「は? いや、い、今、抱いてんじゃねェかッ」
「馬鹿。そんな意味じゃないよ・・・・」
「お前なァ、それじゃ俺が言ったことちっとも解かってねェじゃねェかッ!」
京一は亜里沙を離そうとした。だが亜里沙は京一から離れたくなく、必死に腕にしがみついた。
「違うッ! 違うんだよ・・・・・。でも、そうかもしれないけど・・・・」
ふいに、腕の力が緩む。
「解かんない。どうしたらいいのか、解かんないのよ・・・・。でも考えたくないの。考えると、思い出しちゃうの。あの女の子のことが忘れられなくって、自分が責められてるみたいで・・・、あ、あたしは、自分がしてきたことを忘れたわけじゃないッ! 自分の罪がいかに重いのかもわかってるッ!」
京一の胸倉を掴み、亜里沙は絶叫した。
失ったものを補う手段など、本当は解らない。抱え込んだ罪の重さで、本当は今にも押し潰されそう。
自分の罪を受け止め、業火の中に消えた少女と、自分の罪を受け止めきれず、のうのうと生きて人の温もりを求める自分。
そんな自分を激しく憎んでしまいそうな自分。
胸倉を掴む手の震えが止まらない。
京一は黙って聞いていた。そしてゆっくりと京一自ら亜里沙を抱きしめた。
「解かったよ。じゃァ改めて聞いてやる。―――――お前の望みはなんだ?」
「あたしの―――望み?」
「そうだ。お前は何がしてェんだ? 俺に何をして欲しい?」
―――――独りにしないで。
―――――考えさせないで。
―――――罪を、忘れさせないで。
「抱いてよ。お願いだから。夢中にさせてよ。あたしは、あんたに抱かれたい」
京一は亜里沙の腕をとり、路地裏へ連れ込んだ。そして影に隠れるようにすると再び抱きしめ、亜里沙の顔を指で上に向けさせると、唇を重ねてきた。
始めは感触を確かめるような啄ばむキスから、徐々に欲望を剥き出しにした濃厚なキスへ。
「俺は、我慢しねェぞ」
小声でそう呟くと、再び唇を重ねる。
亜里沙は、激しく口の中を蹂躙する舌の感触を敏感に感じながら、自分の京一に対する想いに気がついた。
でもそこまで望むのは躊躇われた。
あまりにもそこまで望んでしまうのは――――怖かった。
「あんたってさ、どうしてあたしの我儘に付き合ってくれる訳?」
「なんだよ、それ。付き合っちゃ悪ィかよ」
煙草を消しながら、京一はベットから滑り出た。
逞しい彫刻のような筋肉質の躯が、スタンドの灯りに晒される。
亜里沙はそれを眩しそうに見つめた。
この躯全部で、隅々まで快感を与えてくれている。
今はそれだけが、亜里沙の心の拠り所なのかもしれない。
「ま、俺はお前がよけりゃ、それでいいぜ」
「え?」
亜里沙の驚きを無視して、そのまま京一はバスルームに消えた。
京一に甘えていることは解かっている。
京一が自分に対してどんな想いを抱いているのかまでは解からない。
ただ、京一は待っているような気がした。
一体何を待っているのか・・・・・亜里沙は解からなかった。
二日後、亜里沙は捕らえられ、京一が消えた。
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