忘れないで。

自分の中の真実を。

思い出して。

たった一つのカケラでも、何かを生み出すことができるから。

 

 

 

 

 

 

 

―真実のカケラ―

破片 Last

後編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

定刻通り、12時57分に空港第二ビル駅へ降り立ち、京一は少し周囲を見回した。

改札を出ると、同じように見回す。

誰かを探しているようでもあり、何かを探しているようでもあった。

やがて人に気づかれない程度に小さく笑うと、荷物を背負い直し、真っ直ぐ出発カウンターへ歩き始めた。

時間はまだある。僅かな時間でも、あることに代わりはない。

これから向かう先にある空の色を想像することも。

これから残していく想いに身を委ねることも。

 

 

 

 

空港の玄関に車が滑り込むと、完全に停止するのももどかしく、亜里沙は強引にドアを開けた。

「亜里沙ッ!?」

驚くように叫んだ壬生の声も、車を飛び降りた亜里沙には聞こえなかった。

自動ドアすらもどかしく、僅かな隙間を抜けて中に入ると、大きな荷物を抱えた青年とぶつかった。

だがその痛みも感じないのか、詫びもそこそこに亜里沙は走り出した。

ヒールの音が空港内に響く。まるでその音に気がついてくれといわんばかりに。

目は激しく周囲を見回し、頭は時間との戦いに混乱する一方だった。

人を掻き分け、離陸を知らせる電光掲示板に便名を探す。

京一の出発時間は13時50分と聞いている。もしかしたらもう、搭乗手続きを済ましているのかもしれない。

今の時間は既に13時30分を差していた。そうすれば既にこのターミナルにはいないのかもしれない。

だが亜里沙は諦めたくなかった。

ここで諦めたら・・・・京一と会えなかったら一生後悔するような気がした。

「亜里沙・・・・」

壬生が追いついたのか、後ろから声をかけながら亜里沙の肩に手を置いた。

「紅葉、どうしたらいい? あたし、どうすればいい?」

今にも泣きそうな亜里沙に慌てたのか、壬生は振り向かせた。

「君が気弱になってどうする。折角ここまできたんだ。自分の好きなようにするといい」

少しだけ、罪悪感が生まれた。

ここまでしてくれた壬生を差し置いて京一を探すなんて、何をやっているのだろう。

だが、これは一種の儀式みたいなものだ。

本当の自分を見つめる為の儀式。

「あたし・・・京一に会いたい。会って、謝りたい」

「なら探すんだ。ちゃんと見つけられると信じて――――――あッ」

電光掲示板を睨みつけるように見ていた壬生が小さく驚きの声を上げた。

「どうしたの!?」

「見てごらん。あれが蓬莱寺の乗る飛行機じゃないかな」

電光掲示板を指差し、亜里沙に示す。

そこには上海行きの便名と時間が映し出されていた。搭乗手続きは、既に開始されている。

出発時間は・・・・・・強風の為30分の遅れ。

予定出発時刻、14時20分。

「間に合うかもしれないッ!」

亜里沙の叫びに、壬生は力強く頷いた。

京一がいる。絶対このターミナルにいる。絶対出発ロビーなんかに行ってないッ!

その想いだけで、亜里沙は走った。

似通った背格好の男を見つける度に足を止め、違うとなるとまた走り出す。思ったほどターミナル内は広く、人は溢れかえっていた。

出発が遅れたとはいえ、信じているとはいえ焦りを感じずにはいられなかった。

出発カウンターを探し当てたものの、そこに京一の姿はなく、亜里沙は思わず座り込みそうになった。

だが、壬生は諦めていなかった。

「もしかしたらトイレにいるかもしれない。見てくるよ。見つけたら連絡入れるから」

言うなり亜里沙の返事を待たず、走り出した。

壬生は自分のことを想ってくれているのに、自分の為、京一に会わせようと必死になってくれている。

壬生の想いが嬉しくて・・・・亜里沙は簡単に諦めることが出来なかった。

 

 

 

 

トイレに入ると、人の気配はなく、誰もいないことがすぐにわかった。

壬生は小さく笑うと、トイレの壁に寄りかかる。

不思議なものだ――――と、壬生は考える。

あれだけ本当に二人を会わせてもいいのかと、散々考えていた割には、妙に落ち着いている。

今後亜里沙がどうするのか、決めるのは亜里沙だ。

こればかりは、神様でも決めることが出来ないだろう。

欲を言えば、失いたくはない。折角手に入れたのだ。簡単に諦めるわけにはいかない。

だが、後戻りは出来ない。

背中を押したのは、自分なのだから。

もし、仮に亜里沙を失ってしまったら、自分はまた誰かを愛するのだろうか。

きっと、愛するのだろう。それを亜里沙は教えてくれた。

もし、亜里沙が自分の所へ戻ってきてくれるのなら―――――。

愛する。ただ、それだけ。

 

 

 

 

壬生と別れたあと、亜里沙は再び走り出そうとして、止まった。

ふと、ソファに座っている一人の男の横顔が目についた。

服の上からでもわかる引き締まった肉体。明るい茶色の髪。

遠くを見る目は空港内を、人を映しておらず、遥か彼方を見ているような印象を与える。

瞬間、亜里沙は京一だとすぐに悟った。心臓が、ドクンッと跳ねた。

男は立ち上がり、少し大きめのリュックを軽々と背負いながら歩き出した。

亜里沙がいる方ではなく、反対方向へ・・・出発ロビーへ歩き出した途端、亜里沙は叫んだ。

「京一ッ!!」

ずっと叫びたかった。叫べなかった、名前。

あの時、叫べなかった。

本当は誰よりも大切だった・・・・誰よりも大切にしてくれた人の、名前。

男の背がビクッとなり、ゆっくりと亜里沙に振り返った。

驚愕に見開かれた眼をした男が・・・・京一が、いた。

「亜里沙・・・・なんでお前ここに・・・」

「京一ッ!!」

亜里沙は走り出し、京一に抱きついた。京一はリュックを足元に置き、亜里沙を抱きとめた。

何ヶ月か振りに抱きしめてくれる京一の腕は、暖かだった。

どうしてあの時、素直になれなかったのだろう。

どうしてあの時、泣けなかったのだろう。

今こんなにも涙が溢れてくるというのに。

あの時も抱きしめてくれたのに。

 

 

 

 

今ここにありもしない声。そして心のどこかでは、あってほしいと願っていた声が、自分の名を呼ぶ。

振り返るとその声は形となり、自分の胸に飛び込んできた。

しなやかな躯が、自分の体温と重なり合う。

切り捨てたはずの想い。切り捨てたはずの女。

京一は亜里沙を力一杯抱きしめた。

どうしてもっと早く抱きしめてやらなかったのだろうと、後悔するほどに。

「会いたかった。あんたに会いたかったのッ!」

泣きながら、亜里沙は素直に感情をぶつけてくる。

それはあまりにも遅すぎる、喜びに似た、悲しみだった。

「亜里沙・・・・・・」

抱きしめる腕に力が篭る。

「会って、誤りたかったッ! あたしはあんたを・・・・」

「もういいんだ、亜里沙・・・・」

そう言ってそっと涙を拭った。

「俺だって、お前を利用していたみてェなもんだったからな」

「そ、そんなこと・・・・・」

亜里沙が必死に首を振る。

謝る必要など、どこにもない。むしろ、謝らなければいけないのは自分のほうだ。

結局、自分が臆病だった所為。

だから助けにもいけなかったし、想いを切り捨てるしかなかった。

心を開かせる努力もせずに、結局逃げた。

「お前が気に病む必要はねェよ。それに今は壬生と上手くやってんだろ? いいのかよ、こんな所に来て」

「壬生が・・・連れてきてくれたの」

亜里沙の言葉に、京一は苦笑した。

「あいつ・・・・余計なことしやがって・・・・。攫っちまうぞ」

つい、軽口を叩いてしまう。

―――――――お前が、開かせてくれたんだな、壬生。亜里沙も、この俺も。

敵わないと思った。

そして本当に、心の底から京一は決意した。

 

 

 

 

亜里沙は、「攫っちまうぞ」という言葉に反応した。

京一の顔を見ると、優しい笑顔で亜里沙を見つめ返す。

今、京一と壬生、どちらが好きなのかと問われれば、迷ってしまいそうだった。

その瞬間、京一は笑顔のまま、少し首を横に振った。

亜里沙は、悟った。

京一は決めているのだ。自分の行く道を。

だから自分も自分の行く道を決めなければならない。

京一か、壬生か――――――。

答えは、思いのほかすぐに出せた。

答えは――――――。

「あたし・・・・本当はあんたが好きだった」

「お前・・・・」

京一の顔から、笑みが消える。

「臆病だっただけ。怖かっただけ」

「それは俺も一緒だ。お前だけじゃねェ」

「でも、好きになるってことは、失うことだけじゃないって、教えてくれたから」

「・・・・・壬生が、か・・・・・・・」

京一の言葉に、亜里沙は頷く。

「あんたにも、教えてもらってるよ」

そう、全身で教えてくれた。今も教えてもらっている。

さよならは、失うことだけじゃない。

「そうか・・・」

頭に手を置き、髪を優しく撫でる。その動きが止まり、亜里沙を離した。

「―――――――幸せになれよ」

リュックを背負い直し、京一はニカッと笑った。

離れてしまった二人の間に空気が入り込み、熱を奪っていく。

解っているのに、何故か悲しくて再び涙が出そうになった。思わず、京一の腕を掴む。

「暫くあっちに行ってるけどよ、日本に帰ってきたらまた会おうぜッ」

亜里沙は眼に涙を一杯に溜めて、頷いた。

頷くことしか、できなかった。

京一は困ったように笑った。

「ほら、もう泣くなって。行けなくなっちまうだろ? 笑えって。これで会えなくなるわけじゃねェんだから」

「解かってるけど・・・」

勝手に涙は溢れ出す。

腕を掴む手に、力が入る。

「な、頼むから笑ってくれよ。な?」

刹那、無情にも搭乗開始のアナウンスが流れ出す。無事に飛行機が離陸できるらしい。

タイムリミットだ。

もう会えないわけじゃない。

これが、最後じゃない。

解かってはいるが、腕を離すことができなくて。

でももう、亜里沙は京一を傷つけたくなかった。

京一の困ったような笑顔を見たくなかった。

ならば自分にできることはただ一つ。

たった少しの、勇気。

亜里沙は京一の腕を離し、自らの手で涙を拭い、笑った。

それはあまりいい笑顔ではなかったかもしれないけれど、心から感謝を込めて。

この笑顔が少しでも、京一の胸に残れるように。心配させないように。

幸せになってくれと、こんな自分にも言ってくれる京一の為に。

それを確認し、満足げに頷き返すと「じゃあな」と一言、亜里沙が好きな太陽の笑顔を残して、出発ロビーへと消えていった。

背中はあっという間に人の波に消え、京一は旅立って行った。

振り返ることなく、自分の羽を広げて。

 

 

 

 

亜里沙は、真っ直ぐ前を向いていた。

その背中は、あまりにも綺麗だった。

壬生は複雑な想いで、後ろから声をかけた。

「亜里沙」

「紅葉・・・・」

振り返ると、今だ止まらない涙を拭いながら、少しだけ微笑んだ。

「行ってしまったね」

「・・・・・うん」

「これでよかったのかい?」

―――――彼を止めなくて。

聞かずにはいられなかった。

完全に心を開いた今、亜里沙は自分で道を選ぶことができる。

「いいんだよ。だってあたしはあんたの傍にいたいって想ったんだから」

また一つ、涙を零しながらそれでも懸命に笑って素直に告げてくる亜里沙に、壬生は顔が紅くなるのを止められなかった。

そして誓う。

君が君の道を行くのなら、僕は僕の道を行こう。

君が決めたのなら、僕も決めよう。

人殺しと、罵られてもいい。

罪人と、指を差されてもいい。

咎人と、烙印を押されても構わない。

託されたのなら、全力で護る。

こんな自分にも想いを寄せてくれるのなら、全力で愛する。

もう二度と、離しはしない。

 

 

 

 

「紅葉は、京一に挨拶しないでよかったの?」

「そうだね・・・でも会ったら殴ってしまいそうだ。こんなに泣かせるなんて」

微笑みながらまだ溢れ出しそうな亜里沙の涙を拭ってくれる。

京一とは違う、もっと穏やかな深海の奥深い別の優しさ。

「京一の所為じゃないよ」

「解かってるさ。だから殴ってしまうんだよ」

時々、男が考えることはよく解からない。

亜里沙はきょとんとしながら、壬生を見つめた。

壬生はただ、笑うばかり。

「それにね、挨拶はもう必要ないんだ」

亜里沙にとってますます解からないことを言う壬生は肩を抱いたまま、外に出ようと促した。

これ以上答えは聞けないと思ったのか、亜里沙は壬生に従うことにした。

互いに一瞬見つめあうと、クスッと笑った。

―――――これが京一が望んだもの。

―――――これが壬生が望んだもの。

―――――これが、あたしが望んだもの。

形に納まりきれない、幾多もの幸せ。

バラバラだった破片が元通りになるのではなく、何度でも造り直すことができる想い。

大切なものがいつか壊れてしまうとしても、今しか大切にできないのであれば、大切にすればいい。

もう二度と、後悔しないように。

それは小さな、とても小さな真実のカケラ。

車を取りに行っている壬生を待つ間、亜里沙は晴天の空を見上げた。

春の穏やかな風が、亜里沙の頬をくすぐる。

微かに花の匂いもする。時間はこれから動き出すのだ。植物も、人も。

ふいに轟音が響き渡った。音の発信源である飛行機が瞬く間に空へ吸い込まれそうなほど小さくなった。

時刻は14時36分。もしかしたら京一の飛行機かもしれない。

亜里沙は確信して、今にも消えそうな飛行機に向かい、指でピストルの形を作った。

「パーン」と撃つマネをして破顔すると、空に小さな言葉を吐いた。

「じゃあな」

それは京一が最後に残した言葉。

これが最後の別れではないという、小さな約束。

カケラが、また一つ、生まれた。

 

 

 

END

 

 

 

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あとがき

いや、長かったですな(笑)
とはいっても、世間からみれば全然短いんですけど。
とりあえず、終わりました。半年以上かかりました。
すいません、本当に。こんなに長くお待たせしちゃいまして。
京一の口調はわかりやすいんですが、亜里沙・・・めっちゃ悩みました。
壬生はちょっとだけ悩みました(笑)
ラストに関してはやっぱり難産でしたね。読み返し書き直しの連続で。
でも書いていて楽しかったです。
今まで懲りずに読んでくださった方々、ありがとうございました。

 

 

 

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