時間は決して止まらない。

最後の涙をカケラに変えて・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

―真実のカケラ―

破片 Last

前編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドアのチャイムが聞こえる。

今日は平日で、家には父も母もいない。

訪ねてくる者がいるとすれば、それは勧誘に他ならない。

亜里沙はそう決め込むと、再び布団を被った。

その瞬間、再びチャイムが鳴る。時間は朝の9時。勧誘にしては早すぎる時間だ。

亜里沙は仕方なくベッドから出ると、音を立てないように階段を降り、ドアの覗き窓からそっとチャイムを押している人物を伺った。

そこにいたのは――――――壬生。

手で口を抑え、驚きに目が見開かれる。

覗き窓越しに、目が合う。

壬生ならば、音を消しても気配で気がつかれているのだろう。

亜里沙は仕方なく玄関の鍵を開け、ドアを開いた。

「すまない。こんな朝早くに」

壬生は丁寧に頭を下げた。

亜里沙は、無言で首を振るだけに止まった。

何故壬生が来たのか、亜里沙には解っていた。

今日という日が、どういうものなのか痛い程解っていたから。

壬生は亜里沙の顔をほんの少し凝視すると、小さな溜息をついた。

「寝ていなかったのかい?」

「そんなこと、ないよ」

明らかな嘘でも、たとえ嘘だと見抜かれても、亜里沙は否定した。

壬生は咎めることなく、「そうか」と小声で呟いた。

暫く互いに口を聞かなかった。

壬生はどう切り出そうか迷っているようにも見え、亜里沙も何を言えばいいのか解らなかった。

やがて、壬生が心を決めたように、亜里沙を再び見つめた。

「僕がここに来たのは、真実を知る為だ」

「真実?」

「君は、僕に対して一つだけ、嘘をついた」

淡々と、抑揚のない声で、罪を言い渡す。

「そして、自分にも一つだけ、嘘をついている」

「ま、前にも言ったと思うけど、嘘なんてアンタにも自分にもついてないよ」

「そんなに、認めるのが怖い?」

無表情に告げる壬生が、怖いと思った。

「何言ってんのか、さっぱり解らない」

それでも、亜里沙は薄ら笑いさえ浮かべて反論する。

答えなんて、でない。一晩考えても、何も浮かんでこない。

逃げてはいけないと、解っているのに―――――このまま、逃げてしまいたかった。

自分の奥底にある、都合のいい解釈から。今目の前にいる壬生から。

「何を、怯えている?」

「あたしは何も――――――ッ!?」

壬生が、急に腕を掴んだ。力強い指が、痛いほど腕に食い込む。

「いい加減にしないか」

深海の、更に奥深いところから届くような声に、亜里沙の躯が固まる。

「何故、どうしてそんなに自分に嘘をつくんだッ!? どうして自分を認めようとしないッ!  今日蓬莱寺に会おうと思わなければ君は絶対に後悔するッ! つまらない虚勢を張っている場合じゃないだろッ!!」

突然の激昂。

声を荒げ、顔を紅潮させ、肩で息をしていた。こんなに真剣に怒る壬生を、亜里沙は初めて見た。

心の底からの叫び。

「頼むから、僕と同じにならないでくれ」

指が食い込むように、言葉が躯を侵食し始める。

「自分を偽っても、何も始まらない。君はそう龍麻から・・・・蓬莱寺から教わったんじゃないのか?」

亜里沙の目が、大きく見開かれる。そのまま瞼を閉じると、雫が零れた。

忘れていた、わけじゃない――――――――でも、裏切った。

心を開かなかったわけじゃない――――――――でも、傷つけた。

本当は解っていた。京一が、どれだけ自分のことを想ってくれていたのか。

自分が、どれだけ京一を想っていたのか。

自分の臆病さ故に、想いを形にすることなく、自分の手で壊した。

また失うのが怖くて、自分が傷つくのが怖くて、殻に閉じ込めるしかなかった。

 

そう―――――アタシは、嘘をついた。

京一を忘れてなんかいない。

 

「彼が乗る飛行機だが、13時50分離陸と聞いている。今ならまだ家にいるかもしれない」

静かに涙を零す亜里沙の腕をそっと離し、手を差し伸べた。

「近くに車を止めてある。行くかい?」

亜里沙は手で乱暴に涙を拭うと、真っ直ぐ壬生を見据えた。

「行くわ。仕度をするから、5分だけ時間を頂戴」

そう言って足早に家の中に入ると、部屋に戻り、服を着替え、髪を整えた。

心は、決まっていた。

もう、逃げるなんてことはしない。それは、一番自分らしくないのだ、と。

 

 

 

 

亜里沙を見送ってから、壬生は盛大な溜息をつき、躯の力を抜いた。

矢は、ついに放たれた。

自分が放った言葉や、行った行為に対して全部自分の本心だといえる自負はある。

綺麗事を言うつもりはない。

自分の居場所がなくなるのは、確かに怖い。

だが本当は、最後の心の扉を開くことができるのは、京一しかいないと判断した為だった。

もし仮に、今回亜里沙が自分の傍から離れなかったとしても、閉ざしたままでは、昔の自分を見ているようで、辛かった。

愛しているから、幸せになって欲しい。

だから愛することだけで、愛してもらうだけで満足するわけにはいかない。

真実は、自分で探さなければ意味がない。

たとえ、どんなに小さなカケラでも。

 

 

 

 

1時間後、二人は京一の家を訪ねた。

だが、既に京一はいなかった。

壬生は勿論のこと、亜里沙の落胆振りはかなり大きかった。

「空港へ行こう。そこで蓬莱寺を探すんだ。諦めたら、全てが無意味になってしまうだろ」

壬生の提案に、亜里沙は頷いた。

再び車を走らせてから、亜里沙はぽつりと呟いた。

「アンタも、京一も、大馬鹿だね」

・・・・・そして、あたしも。

零れた言葉に対し、壬生は黙ることにした。

きっと誰かを想うことは、馬鹿になることなのかもしれない。

 

 

京一、どこにいるのさッ!

 

 

 

 

「んあ?」

都庁にある展望室から、暫く見ることのない東京の空を眺めている最中に、京一は周囲を見回した。

「何やってんだ、京一。危ない人みたいだぞ」

龍麻が呆れ顔で、言った。

「いや、誰かに呼ばれたような気がしたんだが・・・・ま、いっか」

そう言って、頭を掻いた。

「それより悪かったな、ひーちゃん。つき合わせちまって」

「いいってことよ。出発前に東京見ておきてェっていうお前の気持ちも解らんでもないからな」

「暫く、見れねェからな」

東京の空は、晴天だが相変わらず霞みがかっているように見えた。

小さい街だ、と京一は思う。

人も、車も、ビルも、店も、コンクリートの量もどこよりも多いのだろう。

密集して一箇所に固まって。まるで寒くて肩を寄せ集めているようだと思った。

だからこそ、護りたいと思ったのかもしれない。

決して、街は護ってはくれないのだが。

その街を一緒になって走り抜けた相棒である龍麻は、今日の誘いに快く応じてくれた。

そして二人は、都庁にいる。

「なァ、京一。聞きたくねェことかもしれねェが、聞いてもいいか」

「聞きたくねェから聞くな」

「まだ何にも言ってねェ」

「だって俺が聞きたくねェことを聞こうとしてんじゃんかよ」

「まァいいから。――――――亜里沙のことなんだが」

亜里沙の名前が出て、京一の躯が、顔が一瞬固まる。

その様子を見て、龍麻が盛大な溜息をつく。

「やっぱ、忘れられねェか」

「・・・まァな」

ほんの少しの逡巡のあと、京一は小さく笑った。

「まァなって、やけに素直じゃねぇか」

「だってよ、もう戻れねェんだから、素直になるしかねェだろ。ただし、誰にも言うんじゃねェぞ?」

「誰に言うんだよ。言わねェよ」

龍麻も同様に笑う。だがそれは一瞬のことで、すぐに真面目な顔つきになった。

「もう、いいのか?」

「亜里沙のことか? いいってわけじゃねェが、迷ってもしょうがねェからな。俺は俺の決めた道を行くだけさ。後悔してねェって言えば、嘘になる。でも、いつまでもウジウジしてんのは俺らしくねェからな」

「だから、剣の道を選んだか」

「そういうことだ。暫く女は断つぜ」

「お前から女断ちの台詞を聞けるとは思わなかった」

そう言って、龍麻はクスクスと笑った。

それにつられるように、京一も笑みを零す。

「いつでも帰って来い。この景色は、当分なくならねェだろう」

帰りの時期を決めていなかった京一にとって、龍麻の言葉はありがたかった。

いつかは、帰る。この東京に。

その時、自分はどんな表情をしているのだろう。

この街は、同じ表情を見せてくれるのだろうか。

出発の時刻が、近づいていた。

11時42分、新宿発、成田エキスプレス。

龍麻にホームで見送られ、京一は一人、乗り込んだ。

座席に座ると、ほっと息をつく。

発車のベルが響き、スローな動きからやがて加速をし、あっというまに龍麻も、ホームも、新宿も見えなくなった。

背もたれを倒し、ゆっくりと目を閉じる。

そこに浮かぶのは、何故か亜里沙だった。

―――――――さっき呼んだのは、お前なのか? 亜里沙。

心の問いに答える者は、誰もいなかった。

 

 

 

 

壬生は、少々苛立っていた。

亜里沙は、黙って前を見据え、手を組んでいた。

目の前と後ろを埋め尽くす車の列。

成田に向かう高速道路は、事故渋滞を起こしていた。

間に合わないかもしれない、などと口したくない。

そんな空気が車内を充満していく。

時刻は、12時を回ろうとしている。

普通に走れば30分ほどで着く距離まで来ているのに、車は前に進むことなく、いたずらに時間だけが過ぎていく。

高速道路を下り、一般道を走るにもどのみちこの渋滞から脱出しなければならない。

打つ手ナシ。

このまま、車の列に挟まれて耐えるしかない。

そして、祈るしかなかった。

 

 

 

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