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自宅にて急逝Suddenly at his residence 1947
クリスチアナ・ブランドChristiana Brand(恩地三保子訳・ハヤカワポケミス)
イギリス・ケント州に建つジョージ王朝風の美しい屋敷「白鳥の湖邸」。ただし、時代と経るとともに、優雅な母屋とはちぐはぐな建て増しのおかげで、持ち味はすっかり壊されてしまっていた。持ち主の富豪サー・リチャード・マーチは今年も、亡き妻セラフィタを悼んで命日の儀式をとりおこなうべく、一族に招集をかけていた。集まったのはサー・リチャードとセラフィタの間に出来た三人の息子(すべて死亡)の子供たちだ。医者のフィリップと妻のエレン、新聞記者のクレア、志願看護婦のピータ。そして、サー・リチャードの後妻ベラとその孫エドワードが、この事件の容疑者となった。遺言騒動の挙句に、サー・リチャードが殺されてしまったのだ。
★★★イギリス女流作家、クリスチアナ・ブランドの第四作めの長編。
舞台は戦時下のイギリスの片田舎。空襲警報発令と、警報解除のサイレンは夜じゅう鳴り響いているし、実際に近くに爆弾が落ちたことだってある。とはいえ、それほど危険が切迫しているわけでもなく、サー・リチャードが亡き愛妻セラフィタ(その面影は、死によって完璧に偶像化された)への哀悼の意をあらわす儀式の執行を妨げるものなど何もない。ばかげた儀式に大まじめに出席するために集まった孫たちだが、なかでもピータはサー・リチャードのお気に入りだった。ところがふとした事でご機嫌を損じたサー・リチャードは、孫たちへの遺産分配を断固として取りやめ、後妻ベラに「白鳥の湖邸(スワンズ・ウォーター)」を始めとするすべての財産を残すことにしたと断言する。屋敷だの財産だのにはさほどの色気を示さない孫たちだったが、そんな態度とは裏腹に、サー・リチャードが毒殺され、署名されたばかりの遺言書が紛失すると言う事件が起こる。
最初から、すごく面白かったです〜(^.^)エドワードが精神科医のところで、期待通り(以上?)の病名をつけてもらってホクホクする場面から始まって、全編がやや躁状態のテンション。戦時下の暗さはほとんど感じられないところが、いかにも上流イギリス社会を舞台にしたミステリって感じで、よろしいですねっ。相続問題(つまりカネ)が絡んだ殺人事件だったら、もっとドロドロ暗くなりそうなものなのに(笑)みんなして、お互いを犯人呼ばわりして推理を展開するんだけど、妙にアッケラカンとしてたり。まあ、読者としても、この部分はお遊びよね、と思いつつ読むのだから、楽しくないはずはないでしょう♪
ま、そういう意味で言えば、本当の真相(?)もこれの延長みたいな感じで、コッキー(コックリル警部)の手腕が冴えてる!とか、意外且つ驚愕の真相!なんていうオドロキはなかった。トリックもいやに常識的。途中でみんなが考えていたヤツのほうが、全然面白かったのに(笑)もう少し、メリハリがあっても良かったかなあ。
メリハリといえば、ラスト近くの場面急展開には参りました。一瞬意味が分からなくって、ちょっと後戻りしてしまった(笑)う〜ん、まあ、作者苦肉の策、と言った感じでしょうか。こういう形で片付けて、探偵役が「実は・・・だったんですよ」という謎解きをする、というのは、私はあまり感心はしないのですが。
ま、そんなことは些細なことです(^_^)私は、こういうミステリは、好きなのです。文句あるか、って。
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第四の扉La Quatrieme Porte 1987
ポール・アルテPaul Halter(平岡敦訳・ハヤカワポケミス)
幸せだったはずのダーンリー夫人が、奇怪極まりない状況で自殺した。それ以来、ダーンリー屋敷には、幽霊がでるという。一方、ヘンリーの母親は父親の起こした交通事故で死亡。ダーンリー屋敷の間借り人で、霊媒能力を持つアリスは、ヘンリーの母親の霊を呼び出すことに成功したかに見えた。ヘンリーと父親アーサーの関係が悪化するなか、アーサーが何者かに襲われると言う事件が起こり、同時にヘンリーは失踪してしまう。三年後、再び開かれた交霊会で、封印されたはずの部屋から一つの死体が発見された。その死体は、当初ヘンリーと思われたが、やがてヘンリーは元気な姿であらわれた。
★★★本家を超えた”フランスのディクスン・カー”(帯より)
上にあらすじを簡潔にまとめようと腐心したのですが、全くまとまりませんでした(^_^;)だって、なんだか複雑なんですもん。
語り手はジェイムズという青年。ヘンリーとは親友同士で、ジェイムズの妹エリザベスはヘンリーとジョン・ダーンリーの間で「どっちにしようかな」状態。昔、ジョンの母親が信じられない方法で自殺。ヘンリーの母親は父親の起こした交通事故で死亡。なんだかんだあって、ヘンリーの父親アーサーが襲われるが九死に一生。ところがなぜかヘンリーが行方不明。エリザベスはジョンと結婚。ジョンの母親を呼び出す交霊会で見つかった死体は、ヘンリーのそっくりさんのボブ。二人はアメリカで手品の興行をしていた。なぜかボブははるばるイギリスまで来て、殺されてしまったのだ。
なんだか、平坦でまとまりのないストーリー。夢の中の出来事のような、妙〜に行き当たりばったりな展開。怪奇趣味とか幻想的とか言うのと、これはちょっと違うんだけど(^_^;)個性のない登場人物は人形のよう。まったく、出来の悪いお芝居でも見させられているようで、イラつくなあ・・・。
というのが、第二部までの印象。みなさんも、放りなげずに、ここまで頑張って読んでください。第三部で「おやっ?」な展開が。しかしここでも、納得は出来かねます。おいおい、こんな下手な作品を…?って感じ。
で、第四部。謎解き〜♪ここは面白い。ハリー・フーディニという小道具も、上手く使っておりますね(^_^)
で、第五部。ひやっ!そうだったのか〜。それで最初のあの印象が・・・なるほどなるほど。そういう意図があったんですね!
てなわけで、最後まで読むと、最初のあの心もとない感覚が納得できる仕掛けですね。(・・・と思うんだけど、違うのかな?もしかしてそんな意図はなくって、ただ単にヘタなだけだったりするの?笑)作者がそこまで意図して書いたとしたら、コレはなかなかの意欲作で良い出来ですね。しかし、下手なだけみたいにも感じる…ど、どうなんでしょ…(^_^;)ま、手軽なページ数に、これだけの内容を詰め込んだ手腕は認めますが、「最後の一撃」に全精力を使い果たしちゃったのね、きっと。つくりとしては少々雑かも。
ところで、フランスのカーという触れ込みについてですが、カーはあまり読んでないのでなんとも言えませぬ…がっ、カーはこんなに読みやすくないですね(笑)読みにくさと面白さのバランスが、面白いのだよね、カーは、なんて思っている私なんですが(^^ゞ
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姑獲鳥の夏 1994
京極夏彦(講談社)
「どこまでもだらだらといい加減な傾斜で続いている坂道を登り詰めたところが目指す京極堂である」元粘菌学者で、いまは雑文などを細々と書いて生計を立てている関口巽が、古本屋「京極堂」の主人中善寺秋彦の下を訪れたのには、理由があった。二十箇月もの間身籠った状態にあるというある女とその亭主の謎の失踪の話をしにきたのだ。これをネタにちょっとした記事をものしようと考えていた関口だったが、話は意外な展開をみせる。女の亭主、久遠寺牧彦は、旧姓藤野といい、関口の旧制高校時代の先輩であり、かつて関口は彼に頼まれて、恋文を届けたことがあった。その相手が、問題の妊婦である久遠寺梗子その人だったのだ。
★★★「京極堂」シリーズ(というのかどうか知らんけど)第一作めにして、京極夏彦の衝撃(!)のデビュー作なのだ。
う〜ん、面白かったでっす(^_^)京極堂の薀蓄ばなしはとどまることを知らず、って感じですが、こういうの好きだし。実は読む前は、題名からして重たそうな感じで、う〜もたれそう…(ーー;)と思い込んでいたのですが、思ってたより全然軽いのでびっくり。妖怪だの呪いだの、憑きものだのと、ご大層ではあるのですが、1950年代あたりに時代設定してあるせいか、適度な距離感があったのがよかったのかな。ま、完全にキャラクターで読ませる小説だとおもうので(そうでもないのかしら^^;)、リアリティがあったらかえってぶち壊しですもんね。
二十箇月を過ぎても出産の兆しすらない妊婦。その夫は妊娠発覚の直前に、密室から忽然と姿を消していた。現場は病院、しかも以前から出産直後の子供が消えることで悪評のある病院で、世間では消えた赤ん坊の祟りだのなんだのと、まことしやかな噂が。やがて、久遠寺家にまつわる奇怪な過去が明らかに。「蛙の顔をした赤ん坊」とは一体?失踪した牧彦が、その直前に完成させた研究とは?!
ね、面白そうでしょ(^_^)陰陽師として登場する京極堂のいでたちもなかなかですし、「薔薇十字探偵探偵社」の探偵、榎木津礼二のキャラは最高(笑)ちょっと途中で普通の人っぽい発言をするのが気になったけど。あとは本物の刑事である木場修太郎というあたりが主要な登場人物ですね。
ストーリーは、これ全編関口巽の魂の救済というか再生物語、という感じ。久遠寺一族の呪いも悲劇も、すべてこのために設定されてるみたい。ラストなんて出来すぎ。読み終わってみると「あれえ〜?」って思ってしまった(^_^;)誰が主人公やねん。なんだかね、すべては陰陽師京極堂が関口巽のために見せたあやかし、って感じがするんですよね。あるいは傀儡師京極夏彦が?みたいな。しかししかし、話は変わりますが関口くん、よくまああんな良い奥さんをもらえたものですな。ちょっと不思議。あ、それを言うと京極堂も(笑)かなり不思議。
・・・などと、どうもずれた読み方をしてしまったみたいで(^^ゞそんな雑念を抱きつつ、でも本当に面白かったですよ〜。大変楽しめました。妙に不安定なのは、語り手関口くんのせいなのか、文章がも一つ上手じゃないからなのか分かりませんが(笑)よく言えば、独特のテンポって感じで、ま、そういうのもいいんじゃないかと。トリックとかはね〜、ま、面白いからいいんじゃないの?みたいな(^^)フェアだアンフェアだなとと言うのも野暮かなと思いますです。ってゆーか、全然そんなの考えてなかったな、読んでる最中(なんたって、「あやかしだ、これは」とか思いつつ読んでたわけだし 爆)。妙に論理的なトリック解明をされても、興ざめでしょ、と思わせるところがやっぱりすごいのかもね(^_^;)
さあて、今後、このキャラたちがもっと濃くなっていくのかしら、楽しみ楽しみ♪てなわけで、次作に期待。
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殺人症候群 2001
貫井徳郎(双葉社)
警察の裏組織として、公に捜査できない事件を調べる仕事を請け負う男たちがいる。何らかの理由で警察を退職した経験を持つ者で構成されたこのチームに、今回委託されたのは、ある職業的殺人者を探し出すことだった。少年犯罪、精神病による心身喪失…残虐な犯罪を犯しながら、罰を受けることなくすんだ人間が、つぎつぎと不審な死を遂げている。遺族に嘱託されて、復讐することを仕事としている組織があるのか?一方、看護婦和子は、心臓病の息子のために、臓器提供者を自らの手で作り出していた。刑事の鏑木は、単純な交通事故に見せかけたこれらの事件に、不審なものを感じていた。
★★★どうやら「症候群」三部作の一番最後の作品を最初に読んでしまったらしい(爆)
年取ってから恵まれた一粒種の息子を殺された牧田夫妻、恋人を殺され、自らも強姦された過去を持つ響子、響子の恋人の友人で、いまは響子を愛する渉、これらのメンバーで「職業的殺人」は行われていた。表向きは「少年犯罪を考える会」として、同じような境遇の人々のやりきれない思いを受け止め、やがては復讐の実行犯となって、被害者の心の平静を取り戻そうというのだ。「時代劇ではあるまいし」いまどきの日本に他人の恨みを肩代わりして人を殺すような人物などいるのか、と疑問に思うのが当然といったところ?ま、これがストーリーの片方の柱である。
もう一つの柱は、心臓病の息子をもつ和子。息子に健康な体をやれなかったことを心底すまなく思っている和子は、ドナーカードをもつ人を「標的」に、偶然の交通事故を装って脳死患者を作り出していた。だが、息子の心臓移植の順番はなかなか回ってこない。和子はまた新しい「標的」を見つけ出さなければならない。
少年、あるいは精神病者による、罰を科すことの出来ない犯罪。そして、臓器移植。この二つの重たいテーマについては、私自身なんともかんとも、考えがまとまっていない。明確な、あるいは割り切れた考えをもっているひとって、あんまりいないのでは。っていうか、そういうひとって、想像力が欠如しているのかも(って、こりゃまた失礼^^;)・・・というわけで、私としてはまあ、いろいろ考えつつも精一杯同情しつつ読んだ(つもり)。しかし、上滑りな展開がどうにもこうにもで、登場人物も一面的でやや単純な描き方が共感を呼ばないしで、なんか読んでて盛り上がらなかった。ま、ある意味、ここまで信念をもって人を殺しているのなら、単純な「因果応報」的結末を与えないでほしかったかも、と非人間的なことを考える私だった(爆)その点、ラストは……ふふふ。
ミステリとしては、ちょっとご都合主義?みたいな感じもあったり。ま、あんまり誉められなくてすいませんが、好みってことで(^_^;)
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慟哭 1993
貫井徳郎(創元推理文庫)
警視庁捜査一課に、一ヶ月ほどまえから行方不明となっていた幼女のものと思われる衣服が発見された、との一報が入った。やがて事態は遺体発見という最悪の形に発展、キャリア組としては異例ともいえる捜査一課長という花形ポストについた佐伯警視は、難航する捜査の責任を一身に受けて苦悩していた。佐伯がもと法務大臣押川の隠し子で、警視庁長官の娘婿であると言う事実は、警察内部での不協和音と不信感を呼び、佐伯は孤立していた。この事件の二ヶ月ほど前から行方不明となっていた別の幼女の事件との関連もわからぬままに、新たな事件が起こり、事態はますます紛糾していく。
★★★ずいぶん以前から、傑作と評判の作品でしたが、このたび東京まで行くための道中本を探してたら、突然目に止まりました。これは読むしかない!と新刊本を珍しく買ったりして。片道で読みきりましたね。「新横浜」あたりであとちょっと、って感じになったので、意地でも最後まで読むぞ〜とばかりにまわりがざわざわしててもしつこく読み進めて。読み終わっての感想は、「うひょ〜。面白かった〜」って感じだったのですが、なぜか嬉しくありませんでした。なんでだ?もやもや。
物語は、キャリア組であり、花形ポストの捜査一課長でもある佐伯の、捜査上の苦悩と私生活の苦悩が描かれ、それにクロスするように、松本という心に大きな穴を持つ男が、新興宗教「白光の宇宙教団」へ傾倒していく過程が並行して描かれていきます。佐伯は政治家押川の隠し子として生まれ、押川を憎んで育ちました。親らしいことと言えば家を与えたことぐらいだった押川と、警視庁長官である佐伯の政略にまんまと騙された形の結婚生活はうまく行くはずもなく、今は別居して愛人を持つ生活をおくる佐伯。この私生活のスキャンダルも、マスコミの格好の餌食にされてしまいます。一方、松本はあやしげな宗教に入れあげ、布施をつんだおかげで教団内の地位も上がり、奥義に接することである「願い」を実現させる手段を手に入れます。
佐伯に関する事情、松本の持つ暗い過去の秘密。それらが徐々に明らかになり、幼女殺人事件の核心に迫っていきます。佐伯とその周辺の描き方はやや薄味。事実の列挙と言う感じが強かったので、ふくらみが感じられなかったような気がしました。愛人である伊津子もちょっと妙なキャラクターに仕上がってて、も一つピンとこなかったです。この「薄い」と言う感覚が最後までを尾を引いてしまったのは残念なところでした。松本については、かなりうまい掘り下げ方で、新興宗教に嵌っていく過程がリアルでよかったですね。とくに「貴方の幸せを祈らせてください」という出会いから始まっていく、という部分は、なんかゾクゾクっとするほど怖かったです。
非常に面白かったのですよ。しかし、なぜもやもやとしたものが残ったのか…。それはやはり、犯人の思いを私自身がどうにも受け止めきれなかった、ということでしょうね。犯人の慟哭、犯人の痛み、それはもう、よくわかります。よくわかりますが、殺人を犯し始めたあとの犯人の姿、心象風景をわたしは受け入れることが出来ません。カルト集団という社会悪よりもむしろ、恐ろしいのはそこに意味を見出す人間自身だということは、強く感じられましたし、個々の人間の弱さ、その心に広がる闇の深さや狂気の裂け目へと落ちて行く姿には深い感慨をもって読みました。が、だからと言ってこの殺人者にある種の赦しをあたえることは出来そうにありません。私って冷たいのかなあ?
ミステリとしては大変に良い出来なのではないかと思っています。ミス・ディレクションなどはすれたミステリ読みのかたにはもしかしたら自明のことかもしれませんが、私自身は「おお〜っ!」と驚いたし、なるほどと感心しました。しかし、あえてこのような手法でこの物語を描いた作者については、あざといというか、微かな不信感を抱かずにはいられませんでした。まあ、そういうことを言い出すと、ミステリを読む楽しみは半減してしまいますね、個人的な感覚と言うことで、勘弁してください。
えらく批判的になってしまいましたが、つまりは非常に考えさせられる作品だったということです。そうでなければ、「うひょ、面白かった」で終わってしまうだけのことです。どういうスタンスで何を表現しようとしているのか、この作家には興味をもちました。
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厨子家の悪霊山田風太郎奇想コレクション
山田風太郎(ハルキ文庫)
短編集。『厨子家の悪霊』『殺人喜劇MW』『旅の獅子舞』『天誅』『眼中の悪魔』『虚像淫楽』『死者の呼び声』
★★★あとがきによると、出版当時はかなり珍しい作品を収録した贅沢な文庫、という感覚だったらしい。そうなの?
『厨子家の悪霊』※ちなみに「悪霊」は「あくれい」と読みます・・・旧家厨子家の夫人、馨子の凄惨きまわる死骸が発見されたのは、二月下旬の早朝のことだった。発見者である若い医師、伊集院篤はそこで、短刀を持って踊る厨子家の長男弘吉と、死骸を漁る右目の潰れた野犬を目撃して呆然となる。なさぬ仲の馨子との確執からか、十年前から精神を病む弘吉と、夫人の連れ子である清らかな少女芳絵、前夫人に硫酸をかけられて以来、隠棲する一室から出てくることのない当主荘四郎、夫人と訳ありの青年医師伊集院。「厨子家の悪霊」伝説がまことしやかに囁かれる中、もつれた人間関係の中にひそむ真実を、轟警部補は解明することができるのだろうか?――ひえひえ、面白かった〜(笑)陰惨な殺害現場から始まって、次々と明らかになるいびつな人間関係。どいつが犯人でもおかしくないぞ、と思っていたら、まずは狂った弘吉が逮捕される。ところが「何となれば、探偵小説において、第一の容疑者は九分九厘まで決して犯人ではないからであ〜る」てなわけで、次々繰り広げられるどんでん返しの数々。なんだかよう分からんけど数学的実証もあったりして。大まじめな文体がなんとも言えませんな〜、とほくそえんでいたら、お話は一気に悲劇性を帯びてきた。そうか、そうだったのか!うひゃ〜、恐ろしい。しかし、またまた最後に、これまた意外な告白が!結構人物設定もしっかりしていて、破天荒な展開の果ての満足感は高い。ラストのセリフも決まってますな。
『殺人喜劇MW』・・・生命保険の勧誘員、堀尾とその妻朱美は、それぞれあるうまい儲け話を持ちかけられるが。――ま、良くあるパターンの話ではあるけど、戸倉夫妻の動機が…(爆)『旅の獅子舞』・・・旅芸人一座の鞠代と七助はひそかにしのびあう仲。しかし、お父の「ひょうきん爺い」は親方の金五郎に鞠代をやるつもりだ。絶望した七助がとうとう自害してしまう。――これはなかなか味わいの深い佳作。「ひょうきん爺い」が物悲しくってよい。『天誅』・・・脱獄囚「鼻欠けの新」がある山村に逃げ込み、若い娘を人質に取った。ところが、男は断崖の岩の瘤に突き刺さって死んでいるのが見つかる。――……。う〜ん、面白すぎる。しかし、これを読んだことのある人に「これって、面白いねっ」っていうのは恥ずかしすぎる。ど〜したらいいのだ。しかし、ラストがいいですね。「高い天楽寺の断崖の上で、きょとんとこちらを見下ろしている鐘楼守と唖娘の小さな姿・・・」目に見えるようです。爆笑しつつも、しみじみ。『眼中の悪魔』・・・大学時代の恋人は、いまは他人の妻だ。未練ごころからその家に出入りするようになった僕は、夫婦に微妙な亀裂が入りはじめていることに気がつく。――「兄さん、僕はこの事件の全貌と、それに関連した人間達の心理をここに闡明した。ただひとつ珠江のこころを除いては!それのみが永遠の謎だ」ほんと、謎ですね〜。眼中の悪魔の正体といい、「ぼく」や片倉の丁寧な心理描写といい、なかなかに秀逸。ただ、珠江のみが永遠の謎なのですね。『虚像淫楽』・・・昇汞を飲んだと言って運び込まれた女は、以前その病院で働いていた看護婦だった。千明医師は彼女の体に、たくさんの傷あとがあることに気がつく。――サディズム・マゾヒズムという相関関係。気色ワリい。分からないでもないが、嫌い。ちょっと説明が多すぎて興ざめだし、ラストは何それ?って感じでした。も一つ、かな。『死者の呼び声』・・・アルバイト先の社長に求婚された旗江のもとへ、奇妙な手紙が届けられた。そこには、探偵小説が書かれていた。――多重構造の殺人事件が描かれた手紙…。う〜ん、面白かったです。手紙がリアルちっくでいいなあ。しかし、なんて言いますか、もう一ひねり、何とかなりませんでしたでしょうかね〜。贅沢なこと言ってますか?(笑)
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被告の女性に関してはAs for the Woman:A Love Story 1939
フランシス・アイルズFrancis Iles(白須清美訳・晶文社)
「アラン・リトルウッドは、惨めな思いをするために生まれてきたような若者だった。やることなすことが裏目に出、どんなにささやかな計画を立てても、必ず何かにひっくり返されてしまうのだった」――夏期休暇には友人と徒歩旅行の計画を立てていたアランだったが、肺に病の疑いが見つかり計画はおじゃん、恋人キャスリーンの紹介でポール医師のもとへ一夏、身を寄せることになってしまった。優秀な弟妹に劣等感を抱きだちなアランだったが、今回の病気についても、家族の誰も心配してくれていないのではないかと疑ってしまう。ポール医師のわざとらしい親切さにも反感を抱くアランだったが、医師の妻イブリンの思いやりと理解溢れる態度にすっかり参ってしまう。
★★★アントニー・バークリーがフランシス・アイルズ名義で書いた三長編のうち、最後にかかれた作品。
アラン・リトルウッドは劣等感で一杯の青年だ。弟のヒュー男らしい体格で頭もいい。アランがとうとう取れなかった奨学金も獲得することが出来た。妹のシーリアは音楽の指導者としてすでに王立音楽大学に地位を築いていた。しかし今回、アランは胸に秘めていることがあった。自分の詩が最先端をいくロンドンの週刊誌に発表されたのだ。タイミングを見計らってその詩を家族に発表したところ……。だれにも理解されない悲劇を抱えたアランだったが、ポール医師の妻イブリンだけは違った。思いやりと思慮に溢れた態度でアランに接し、アランはすっかり有頂天。医師の留守に遂にイブリンと、彼にとっての初めての体験をしてしまう。
いや〜、おもしろかったです。ちょっと隙がなさすぎるのが欠点かもしれないけど、最初から最後の一歩手前まで、アラン君のお馬鹿ぶりにすっかりやられてしまいました。劣等感に取り憑かれた自意識過剰のインテリ童貞(わ、ハシタナイ)のいやらしさが如何なく発揮された作品で、も〜読んでてムカツクやら笑えるやら(^_^;)この主人公に対する作者のブラックな視線といったらどうでしょう。ミセス・ポールの見かけによらぬ奥行きのなさがビシビシ感じ取れるのですが、にもかかわらず彼女に良いようにあしらわれるアラン君。間抜けなサディステックぶりをさらけ出してご満悦のアラン君にも参っちゃうし、ミセス・ポールの煽りぶりがまた最高で^^;キャスリーンなんて、ちょっと可哀相なぐらいの扱いで、作者の無慈悲さがなんか空恐ろしいぞ、って感じ。ま、それでも他の人はそんなに登場場面が多くないからいいけど、アラン君はもうもう・・・ここまでやるかっ、っていうほど丸裸。赤裸々な告白をさせといて、それをもっとも意地悪な視線で捕えなおして読者に押し付けるその手腕。いってみれば「姦通小説」(?古っ)なんだけど、その薄っぺら振りが只事ではなく、もう、読んでて身をよじるほど恥ずかしかったり。しかも、その薄っぺら姦通事件をミステリとしてここまで盛り上げることが出来るとは!ほんと描写がうまいんですよね〜、参りましたっ(笑)
ポール医師やミセス・ポールについては、もっとひねるのかな〜、と思っていたら案外そうでもなかったのですが・・・。ま、そんな小細工をしなくても十分って感じかも。特にミス・ポールについては、もっと深読みするべきなのかな?作者はアラン君を通して、かの女性を描き出したかったのに違いないのだし。しかし多分、ひっくり返し裏返ししてみても実はあれだけのもの、中身なんて何にもなくって、だからこそ女は怖い…ってことなんじゃないのかしらん(笑)そして最後の1ページ・・・、もはや脱帽するしかなかったです、はい。
服装倒錯については、表現に引っかかる人もいるのかな?ジェンダー論とかね(実はよく分からない^^;)私は案外、ふむふむ、成る程〜、と頷きつつ読んでいたのですが。この部分と、ミセス・ポールの造詣を鑑みると、作者の女性観みたいなものも見えてきたりするような。何か、よっぽど辛いことがあったのですかね?とはいえ、ここまでアラン君を客観視(っていうか、ほとんどイジメ?)して描いているところを見ると、心の傷がでっかい瘡蓋になっちゃって、もはや剥がれずに皮膚の一部になってしまっているのかも(何のこっちゃ^_^;)とにかく、皮肉にみちたブラックユーモアを楽しめる人にはお勧め〜♪心のやさしい人には…やっぱりオススメかも。人間って、こんなもんなのさっ。作者は実はアラン君を心から愛しているのではないかしら?という気がしてくるアイルズ流「恋愛小説」……ご堪能あれ。
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薔薇の女 1983
笠井潔(創元推理文庫)
女優志願の若い娘が殺された。その死体からは、1930年代の伝説的美人女優で、第二次世界大戦での対独協力者として戦後映画界から追放されたドミニク・フランスに生き写しといわれた顔をもつ首がなくなっていたのだった。この事件を発端に、「アンドロギュヌス」による猟奇的連続殺人が始まった。屍体を全裸にしその一部を切り取った上、赤い薔薇と「アンドロギュヌス」の署名を残す犯人の意図はどこにあるのか?一方、矢吹駆とナディア・モガールはニコライ・イリイチについての情報をつかんでいた。イリイチと「アンドロギュヌス」、ジルベールという謎の男、ジョルジュ・ルノワールとドミニク・フランス・・・。連続殺人事件には、またもイリイチの悪意が絡んでいるのだろうか。
★★★矢吹駆シリーズ初期三部作の完結編(と言うことらしいが…)。
往年の名女優ドミニク・フランスにそっくりと言われたことから女優を目指していた少女が、チャンスを目の前に殺される。その頭部が持ち去られて以来、体の一部を切り出して持ち去る猟奇的殺人事件が週一のペースで発生、ナディアの父モガール警部らはなすすべもなく敗北の日々を過ごしていた。カケルは彼らに、ドミニク・フランスとこの事件を関連づけるミッシングリンクを指し示す。やがてドミニクの妹ベアトリスがホテルで死体となって発見され、同じ部屋で男が、こちらもやはり殺されていた。「アンドロギュヌス」事件との関わりはあるのだろうか?ベアトリスの息子(実はドミニクの実子)であるアルベールからは、双子の弟ジルベールが犯した過去の事件が語られる。「ブレストの切り裂き魔」と呼ばれ怖れられた殺人犯の正体が、ジルベールだというのだった。
う〜む、なかなか派手な展開だ。のっけに衝撃的な殺人現場シーンから始まって、徐々にキーワードをつなげていく。その間も、ちょっと毛色の違う殺人事件をはさんだりして、つぎからつぎへとめまぐるしい。これはもう、読むしかないよね(^^)どんな種類の狂った頭が、屍体の一部をつなぎ合わせて一つの人形を作り出そうとしているのか?そこらへんの考察は面白い。変態性欲かもしれないし、神話的儀式かもしれないし。う〜ん、どっちにしても怖いけど(^_^;)ま、そんな感じで、事件の猟奇性だけで結構引っ張られて、しかもそんなに真に迫っていないので抵抗感もあまりなく、サクサクと読める。結末や真犯人(二つの意味で)における、どんでん返しに意外性が乏しいのも、ここまでいろいろ書き込んじゃったらしょうがないのかな。ただ、犯人像等について、非常に説得されている感じはあるのだが、もうひとつピタッとこないというか、すんなり飲み込めないものが残る感もあり。最後の「手記」を読んでも、この犯人が犯した実際の犯罪行動と重なってこないのね。あ、あと最大の不満は、ニコライ・イリイチですな。最初は悪の権化っていうか、崇高な感じすら漂っていた(ような気がする)のに、何でこんな小悪党に成り下がるの〜(^_^;)心の中で「ど〜した、ニコライ・イリイチ!」と突っ込んでいた私だった(爆)
本質直観とか言いつつ、カケルも結構普通の探偵さんをしている。しかし、ジョルジュ・ルノワールとの「経済現象の基礎にある普遍的な原則」だの「地表における太陽エネルギーの過剰」なんて議論は面白かった。二種類の悪、二種類の性犯罪。革命とテロ、聖なるものとしての破壊と、独裁的陰謀家がもつ権力の発露としての殺戮。う〜ん、なんかね、やっぱり表面に現れた現象だけでは分からないものもあるんだよね〜、などと考えてみたり。アメリカの正義に騙されたらアカンのね(←意味不明 爆)とはいえ、この二人が言っていることの半分も分からなかったりするのだが(とほほ)そんなこんなで、この作品は、ま〜それなりって感じかな(笑)なんでこれで三部作結了なのかがさっぱり分からないのであった。次作に期待。(いつ読めるのだろう、一体…)
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