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No.030 アル・カポネ03 〜 ジョニー・トリオとアル・カポネのコンビ

ジョニー・トリオが中心となって闇酒の密売協定が作られたが、すぐに協定を破るギャングたちが現れた。トリオとカポネは対立組織の邪魔者たちを始末していく。


▼ジョニー・トリオという男 〜 叔父であるギャングを殺害

時代は若干さかのぼるが、カポネのボスとも師匠ともいえる存在、ジョニー・トリオはギャングによる酒の密売のベースを作った人物である。

1920年に施行された禁酒法を受けて、トリオは「これは莫大な利益を上げるビジネスになる。」と直感した。しかしトリオの叔父でありボスでもあるコロシモは、この件に関して全く無関心であった。

この叔父・コロシモもまたギャングであり、犯罪によって財を成した人物でトリオよりも上にいる存在だったが、ここ数年、除々に危ないビジネスから手を引いて行く傾向にあり、それがトリオにはどうにも気に食わなかった。

苛立ちながらもトリオは、酒密売に関しての構想を具体的にまとめていく。それは、シカゴに存在するギャング団たちと話し合って縄張りを決め、それぞれのギャング団が酒の密売が出来るようにするという案だった。


5月11日、事件が起こった。トリオがコロシモに電話して「16時にクラブにウイスキーの荷物が届くので、クラブに行っておいてくれ。」と頼んだ。クラブとは、コロシモが経営しているレストランのことを指している。

コロシモがクラブへ行くとそこには誰もいなかったが、コロシモが玄関を通ってちょっと外へ出ようとした時、背後から何者かが近づいてきて至近距離でコロシモの頭をいきなり撃った。コロシモは即死だった。

犯人としてトリオが疑われたが、トリオも当時駆け出しだったカポネにもアリバイがあった。最終的に元・ファイブポイント団の殺し屋フランキー・イエールが駅で逮捕された。守衛がたまたま見た不審人物に顔がそっくりだったというのだが、この守衛は後になって仕返しを恐れたのか、証言を撤回した。

また、トリオが叔父コロシモの殺害を1万ドルでイエールに頼んだという情報も得たが、証拠不十分でイエールは釈放された。


▼ジョニー・トリオが酒の密売組織を作る

コロシモがいなくなり、トリオはコロシモの築いた組織を引き継ぐと、すぐに酒の密売計画を実行に移した。もぐりのビール製造所と契約を結び、ここからビールを仕入れる。

そしてシカゴのギャングたちのリーダーたちと話し合い、それぞれの領域を決めて共同で密売組織を作ることに成功した。

シカゴのビールはトリオが独占状態となって販売した。しかし酒はビールだけではない。ウイスキーに関してはダイオン・オバニオンを頭(かしら)とするノースサイドギャング団がカナダから密輸したものを買ってそれに利益をつけて売りさばいた。

また、同じくシカゴのリトルイタリー地区を仕切っていたジェンナ兄弟からも、その他の蒸留酒を仕入れさせてもらった。

ちなみにジェンナ兄弟とは6人兄弟で、幼い時に両親を亡くしシカゴのスラム街で育ち、政治家の用心棒などをして生計を立ててきた。反抗する者は情け容赦無く叩きつぶし、その凶暴さから「テリブル(恐怖の)ジェンナ」とあだ名がついたほどで、ギャングになるべくして生まれたような兄弟だった。

賭博場を手にいれてからは一気に稼ぎまくり、1920年には工業用アルコールの製造権を政府から取得し、闇酒の製造ビジネスにも乗り出していた兄弟である。


こうしてトリオが提案した酒の密売組織は軌道に乗ることとなる。
若き日のカポネは、このトリオの下で働いており、酒密売や、賭博場、売春宿の新規開設などの仕事をこなし、組織の幹部というよりトリオの右腕のような存在となっていった。

トリオとカポネのコンビはシカゴの南部を中心に、西の方まで次々と勢力を広げていった。

ただ、トリオが話し合って縄張りを決めたギャング団は、シカゴのギャング全てではない。中には仲間はずれにされたギャング団もいる。そうした奴らがトリオの商売の邪魔をした。

輸送中のトラックを襲って酒を奪ったり、トリオの客を脅迫したりするのだ。そうした時、カポネは先陣を切ってその敵たちを始末した。


▼血に染まった選挙

1923年、シカゴの警察署長が替わり、ギャングたちの取り締まりが厳しくなった。ギャングたちは軒並み事務所をシカゴの外へ移さざるを得なくなった。トリオとカポネはシカゴの西に位置するシセロへ本拠地を移動し、今後ここを活動の拠点とすることにした。

1924年春、シセロの町で選挙が行われる。この当時、政治家がギャングを用心棒に雇うことはそれほど珍しいことではなかったため、トリオとカポネのギャング団も、ある立候補者に雇われることとなった。


トリオ一派がついたのは、現シセロの町長であり、次回で4期目の当選を目指すジョセフ・クレンハである。クレンハはギャングたちにとって「話の分かる男」だった。何としてでも当選させなければならない。

そのため、現代では考えられないような強行手段が実行された。ギャングたちは、投票日当日に他の対立候補者とその支持者たちを袋叩きにし、半殺しにした。対立候補に入れようとする有権者には銃を突きつけて投票用紙を取り上げた。

選挙管理委員は選挙が終わるまで監禁し、銃を持ったカポネ一家の構成員が黒のリムジンで通りを巡回し、圧力をかけた。一連の行動で四人の人間が殺害された。

もちろんこのままで済むわけがない。通報を受けた警察は100人以上の警官をシセロに差し向けた。各地で警官隊とギャングの銃撃戦が始まった。


この、選挙騒動の一連の作戦の中にカポネも参加していた。カポネは、自分の兄であるフランク・カポネと、いとこのフシェッティとの三人で、ある投票所を占拠していた。銃を構えて投票に来た人たちを脅し、目的の候補者に入れさせる。

ここには5人の警官が乗り込んできた。カポネ一味が警察に攻撃を加えると警察も応戦する。カポネは逃げることが出来たが、兄のフランクは警官の銃に倒され、死亡した。いとこのフシェッティは逮捕されたがまもなく釈放された。

選挙は結局、トリオとカポネがついたクレンハが大差をつけて当選した。これだけやれば当然かも知れないが。選挙の後、シセロの町にはあっという間に150以上の賭博場が出来上がり、どの店もトリオ一派のビールを売った。

そして、兄・フランクを警官に射殺されたこの頃からアル・カポネは更に凶暴性を高めていったと言われている。


▼カポネ、殺人で出頭する

1924年5月8日、トリオの組織の中では、トリオとカポネに次ぐNo3の地位にあった男が酒場で口論の末、殴られた。このことはすぐにカポネに報告した。殴った男は名前も顔も知っている男だった。

組織をナメられたカポネはすぐにその殴った男が飲んでいるという店に出向き、相手を見つけると胸ぐらをつかんで、なぜ殴ったのか、と問い詰めた。

しかし相手は謝るどころかカポネに「このイタリアのポン引きめ!」と言い返した。その瞬間キレたカポネは、銃を取り出し三人の人間の見ている前でこの男をいきなり射殺した。全弾発射した。


目撃証言からカポネの犯行は明らかであり、すぐに逮捕状が出た。カポネは姿をくらませた。しかし間もなくして、目撃者三人のうちの二人は「あの時は何も見ていない。」と証言を撤回した。もう一人は行方不明になった。

そしてこれらの情報を知ったのか、ここに至ってカポネは警察に出頭した。自分のことを古道具屋の主人だと名乗り、そんな事件は知らないと言い張った。カポネは証拠不十分ということで釈放された。


▼崩れていく密売協定・ジェンナ兄弟とオバニオン一派

トリオの呼びかけで、最初の頃こそシカゴではギャング団が協定を結んでいたが、やはりそのような時期は長続きしなかった。

オバニオンを頭とするノースサイド・ギャング団と、ジェンナ兄弟を頭とするシチリアギャング団が協定を乱し始めた。

オバニオンは、トリオがまとめたこの協定が気に入らないらしく、何かにつけてトリオとカポネのコンビにつっかかってくる。

そしてジェンナ兄弟がルール違反ともいえるようなことを始めた。ジェンナ兄弟は闇酒の製造をしていたのだが、その一環で、色のついたメチルアルコールを使って偽のウイスキーを造り始めたのだ。この偽のウイスキーには有害物質が含まれていて、これを飲んだ人は失明したり死亡したりする場合がある。

このウイスキーを非常に安く市場に流し始めたのだ。オバニオンが売っている、正式に密輸してきた酒の3分の1の価格だった。1924年の暮れごろからノースサイド地区に流通し始めたこの酒は、オバニオンを怒らせるには十分だった。

報復手段としてオバニオン一派は、ジェンナ兄弟が酒を輸送しているトラックを襲撃し、3万ドル分の酒を奪った。


▼オバニオンが、今度はトリオとカポネから金をだまし取る

ある日オバニオンが、トリオとカポネに商談を持ちかけてきた。この三人は共同出資で、酒の密造工場を経営していたのだが、オバニオンが「自分の持ち株全部を50万ドルで買ってくれないか」と言ってきたのである。

聞けば、ジェンナ兄弟の報復が恐ろしくなり、自分はもう酒の密造から手を引きたいと言う。二人は取引に応じ、オバニオンに50万ドル支払った。

しかし金を払って数日後、突然この工場に警察がやってきたのだ。もちろん法で酒の製造が禁止されている時代であるから、そこにいた者は全員逮捕され、工場も没収されることとなった。


何かタイミングが良すぎる。ひょっとしてオバニオンは、この工場に警察が来ることも閉鎖に追いこまれることも知っていて、それで株を買ってくれと持ちかけてきたのではないか。

トリオが警察の中にいる自分のスパイに調査をさせると、やはり思った通りだった。要するにオバニオンの詐欺に引っかかったのだ。

その上オバニオンは「あの馬鹿ども、まんまと引っかかりやがった。」などと、上機嫌で自慢しているという噂まで流れてきた。トリオもカポネも激怒した。

この世界でこのようなことをすれば完全に戦線布告である。すでにオバニオンは敵にまわった。


▼報復・オバニオンの最後

1924年11月、オバニオンは賭博場で、ジェンナ兄弟の一人を金の貸し借りの件でさんざんコキ降ろし、口喧嘩となった。またジェンナ兄弟と揉(も)めたのである。

最後にオバニオンは「シチリアのガキどもは全員死ね!」と捨てセリフを残していったが、人の見ている前でボロクソに言われたジェンナの方は口喧嘩だけでは収まらない。オバニオンに対してすでに殺意を持っていた。
ここに至って、オバニオンはトリオとカポネのコンビと、ジェンナ兄弟の両方を敵にまわしてしまった。


ジェンナ兄弟はトリオとカポネに相談し、オバニオンを始末する計画を立て始めた。

ちょうどこの時期1924年11月8日、シカゴマフィアの初代会長・マイケル・マイクがガンで死亡した。

オバニオン暗殺計画は、彼の経営する花屋で決行することに決まった。オバニオンはギャングでありながら、全く似つかわしくない「花屋」という職業を人と共同で営(いとな)んでおり、時間のある時はオバニオン自身も店に出て働いていたのである。


トリオとカポネは偽名を使って、マイク会長のために1万8000ドルの献花(けんか)を注文した。11月10日の朝、オバニオンが、豪華な1万8000ドルの献花を作っていると、店の前に一台の車が停まった。

マフィアの連中はだいたいこの店に花を買いに来る。3人の男が車から降りて店の中に入ってきたオバニオンが手を止めて男たちを見ると、その中に知り合いのフランキー・イエールを発見した。

「いらっしゃい。マイク会長のお花でしょうか?」

オバニオンはにこやかにイエールに近寄り握手を求めた。イエールは握手に応じたが、握ったオバニオンの手をそのまま引っ張った。

前にちょっとバランスを崩したオバニオンに、残りの二人が近寄り、その瞬間二人の男はオバニオンに向かって銃を発射した。胸とノドと頭に合計6発。オバニオンは何も出来ないまま即死だった。

銃を撃った実行犯は最近シチリアから来たばかりの殺し屋アルバート・アンセルミジョン・スカリーゼの二人で、車を運転してきたのはジェンナ兄弟の一人である。そして黒幕にはトリオとカポネがいるのは明らかだった。しかしこの件では誰も逮捕されなかった。



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