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No.047 消費者金融へ強盗に入り、放火殺人・小林光弘

消費者金融・武富士(現:日本保証 = 以下武富士と記載)へガソリンを持った男が押し入り、金を要求するが、店側はこれを拒否する。目の前で警察に通報されたことに腹を立てた犯人は、まいたガソリンに火をつけて逃走した。


▼ガソリンを持った男

平成13年5月8日午前10時40分ごろ、青森県弘前市 田町にあり、あるビルの前に一台のワゴン車が停まり、中から男が降りて来た。男の名は小林光弘(43)である。

小林は顔を隠すように帽子を深くかぶり、顔には白いマスクをしている。水色の作業着を着て、右手にはオイル缶、左手には新聞紙をヒモで縛った束を持っている。

そのまま小林はビルの中に入り、階段を昇っていった。目指しているのはこのビルの3階にある消費者金融 武富士の店舗(弘前支店)である。

途中、階段の踊り場に着くと、そこに新聞紙の束を置いた。そして右手に持ったオイル缶の中にはガソリンが入っていた。オイル缶を傾けて新聞紙にガソリンをかける。その新聞紙はそのままここへ置き、再び階段を昇り出した。

小林はオイル缶を持って3階の「武富士」の店舗へとやって来た。自動ドアが開き「いらっしゃいませ。」と店員が声をかける。

だがその一瞬後、小林は「うりゃっ!」と気合を入れた声と共に、オイル缶に入っていた残りのガソリンをカウンターの中に一気にぶちまけた。ガソリンの量は約4リットルだった。

「何?! これ?」「ガソリンだわ!」臭(にお)いでガソリンだと気づいたカウンターの女性が悲鳴を上げる。

「奥へ逃げろ!」
放火の可能性を察知した男性店員が大声で叫んだ。店員たちは一斉にカウンターの奥にある部屋へ駆け込んだ。

しかし支店長は席に座ったまま、その場に残った。

「なんだ、君は!」支店長が怒鳴る。

「とっとと金を出せ! 出さねば火をつけるぞ!」

小林はつなぎの作業着のポケットから、ライターと紙を取り出し、今にもこの紙に火をつけるかのような動作をしながら支店長を脅(おど)す。

「金はない。」

支店長は落ち着いて答え、自分の机にセットされている警察への通報ボタンを押した。

「ウソをつくな!」
「いや、本当にない。馬鹿なことをやめないと警察に通報するぞ。」

そう言いながら支店長は机の上の電話を取り、番号を押し始めた。

「おい! 脅しじゃねえぞ!本気だぞ!」小林は怒鳴りながら、ライターで紙に火をつけた。小林の手に持っている紙が燃え始めた。

奥の部屋から様子を見ていた店員たちから悲鳴が上がる。
「支店長! そいつ本気ですよ!」男性店員が叫ぶ。

支店長は警察につながった電話で「今、強盗が侵入してきて店に火をつけました! 大至急パトカーをよこして下さい!」と叫んだ。

「この馬鹿、本当に警察を呼びやがったな!」小林は動揺し、復讐のためか、もはやヤケクソになったのか、

「クソッ!」

と叫んで火のついた紙をカウンターの中へと投げ込んだ。

「ボン!」と音がして一気にガソリンに火がついた。灯油とは違ってガソリンは爆発的に燃え上がる。

一瞬でカウンターの中はすさまじい炎に包まれた。
「うわあぁぁ!」「キャアァ!」「助けてーっ!」と炎の中から店員たちの悲鳴が聞こえる。

あまりの炎に火をつけた本人も驚いた。
「うわっ、まずい!こんなはずじゃなかった! 大変なことになっちまった!」


小林は来た時と同じ階段を駆け降りて逃げ出した。途中の踊り場には、さっき自分が置いた新聞紙の束がある。

「追いかけて来られちゃまずい!」

小林は新聞紙の束にも火をつけた。こちらにもガソリンは染み込ませてある。これも爆発的に燃え始めた。小林がここに新聞紙を置いておいたのは、もし追いかけてこられた場合、相手を足止めしておくためである。

階段を駆け降りながら帽子とマスクをはずし、ビルの外に出ると停めてあった自分の車に乗り込み、急発進して逃げた。犯行時間はわずか3〜4分だった。

強盗は失敗して通報され、金を得ることもなく逃げるしかなかった。


火をつけられた武富士の店舗の中には9人の従業員がいた。しかし全員、奥の部屋、つまり出入り口とは反対方向の部屋に逃げていたことが不運だった。猛烈な炎に遮(さえぎ)られて脱出出来ない。

熱くて苦しい。息が出来ない。黒煙で店内は真っ暗になり、ほとんど何も見えない状態となった。支店長を含む4人は何とか窓までたどり着き、呼吸を確保して生き伸びることが出来たが、5人は燃えさかる炎に生きたまま焼かれて焼死した。助かった4人も重い火傷を負うこととなった。


▼犯行の動機

犯行当時、小林光弘は青森のタクシー会社に勤務していた。勤務ぶりは真面目だったというが、私生活では多額の借金を抱(かか)えている状態だった。

武富士に強盗に入ったのは借金の返済のためである。

この時小林には借金が2300万円あった。
約2000万円の住宅ローンも組んでいたということもあるが、競輪が大好きだったことが借金に拍車をかけていた。事件の3〜4年前には消費者金融から計100万円を借り、全て競輪で使っている。

また、あちこちの消費者金融から計280万借りて競輪に突っ込んだこともある。

小林はタクシーの前は運送会社に勤務していたが、その会社は「業務委託」という形で仕事をもらう形態だったために、自分が所有するトラックが必要になり、これを380万円で購入してローンを組んでいた。

また、友人が自殺してその借金250万円を、小林が名義人だったために代わりに払わなければならなくなったりもして、不運が続いていた。

父親が死亡した時に生命保険で借金の一部を返したものの、残った遺産の300万円はまた競輪に突っ込んでおり、すでに借金で首がまわらず、借りるアテもないような状態となっていた。

追い詰められてた小林が考えついたのが強盗であり、それも標的は自分を苦しめている消費者金融に決めたのである。


▼死者が出たことを知る

事件から一夜明けて、小林は通常通りタクシー会社へ出勤して来た。
昨日はせっかく強盗に入ったのに金は全く手に入らなかった。次の返済日までに60万円返さなければならない。どうしようかと考えながら、会社で何気なくテレビを見ていると、昨日自分が起こした事件が報道されていた。

「武富士 弘前支店の火災は強盗に入った男の放火によるものでした。この火災で5人が死亡し、4人が火傷を負うなどの重軽傷を負い・・。」

「5人も死んだ!? そんな・・殺すつもりなんかなかったのに・・。」
小林はニュースを見て、初めて死者が出たことを知った。

しかし動揺はしたものの自首する気にはならなかった。
「俺は悪くねえ。通報した店の奴が悪いんだ。通報さえしなければ誰も死なずに済んだんだ。俺は絶対自首しねえ。」

すぐに開き直った考えに達した。


小林が日常に戻って生活している間、青森県弘前警察署では着々と捜査が進んでいた。生き残った従業員の証言から、犯人は水色のつなぎのような作業服を着ていたことや、年齢は40代であることが分かった。

また、あの時ビルの中から不審な男が飛び出してきて、ワゴン車に乗り、慌てて発進していったのを何人もの人が見ていたことも分かった。ワゴン車の色は深い緑色である。

武富士に押し入った時にはマスクと帽子で顔を隠していたので、武富士の社員は犯人の顔をほとんど見ていない。しかし、ビルから飛び出して来た時にはマスクも帽子もはずしていたため、社員の証言だけでは似顔絵の製作は困難だったが、ビルの外で不審な男を見たという人たちの協力を得て似顔絵が製作された。この似顔絵は出来栄えは良く、小林の特徴をうまく捕らえていたが、捜査の方は思いのほか難航していた。

防犯カメラも現場の遺留品も全て燃えてしまっており、手がかりとなる物的なものがほとんどないのもその理由の一つだった。

警察はこの似顔絵を全国に公開し、テレビでも放送して協力を呼びかけた。

テレビでは相変わらず放火事件の続報を放送していたが、この中で「犯人が5人もの従業員を殺した。」といったような表現が多々あり、テレビを見ていた小林はこれに腹を立てた。

「殺そうと思って殺したわけじゃないのに、あの言い方は何だ!」

頭に来た小林は青森テレビに電話して「俺が武富士放火の犯人だ。」と名乗った後、
「目的は金だった。あの時俺がまいたのはガソリンで、店側とすれば俺が火をつければどうなるか分かっているはずだった。金を出さなかった店側の責任だ。俺は絶対自首せんぞ。」

と一方的に言って電話を切った。あくまでも従業員が死んだのは店側の責任だと主張した。


▼捜査の進行、逮捕

警察は、武富士弘前支店に恨みを持つ者の犯行と考え、弘前支店から金を借り、なおかつ恨みを持っている可能性があるお客のリストを武富士に製作提出してくれるように頼んだ。

しかし武富士の方からは「個人情報保護の立場から個人名を公表するのは困難」という返事であり、お客からたどっていくという線はここで諦めざるを得なかった。

だが武富士は後に、犯人の似顔絵入りのポケットティッシュを全国で2億5000万個作って街頭で配り、個人情報の面では協力出来ないものの、それ以外のことでは会社を上げて警察への協力を行った。


あの時、火をつけられる直前に支店長が警察に電話していたが、その時の会話は録音されて残っており、その中に犯人の声も混じっていることが分かった。これを分析し、犯人に津軽弁のなまりがあることが判明した。

また、犯人が階段の踊り場で火をつけた新聞紙の燃え残りを徹底して分析し、印刷のズレやかすれ、紙の質などから新聞の種類を特定し、その新聞が配られていた地域も特定出来た。

犯人が逃走に使った車に関しても捜査は進められ、似たような車を持っている人間全てを捜査の対象とした。その数は青森県全域で27000台にものぼったが、これらを一件一件当たって確実に捜査網をせばめていった。


似顔絵が公開され、車もほぼ特定されると、小林はいずれうちにも聞き込みが来るのではないかと思うようになってきた。

警察が来た時のために、小林は事前に妻に言っておいた。
「武富士の犯人はうちと同じ車に乗っていたらしい。俺は犯人じゃないが、疑われると面倒だからよ。警察が来て事件の日のこと聞かれたら、お前がパートに乗って行ってたことにしろよ。」

「そうねえ。面倒なのも嫌だし、その方がいいわね。」何も知らない妻はすぐに同意した。

後に本当に弘前署の署員が聞き込みに小林の自宅を訪れた時にも、妻はこの通りに証言してやり過ごしている。

また、捜査をかく乱させるために小林は、下のように書いた手紙を青森テレビの建物の前に置くという小細工も行っている。
「犯行に車は使っていない。ガソリンは購入していない。私は40代ではない。」

あまりにも汚い字で幼稚な内容であり、捜査の混乱を狙ったものであるということは明らかで、警察側も本気にはしなかった。

一方、似顔絵の方からは「似ている」という人物の情報が280件寄せられていた。こちらも一人一人捜査に当たっていった。

似顔絵に似ている人物、車、使われた新聞紙とその配布された地域など、徹底して捜査していった結果、ついに警察は小林へたどりついた。

似顔絵に極めてよく似ているという点はもちろんであるが、その他の条件が全て当てはまっている。小林の家に聞き込みに行った時には、事件当日、車は妻が乗って出た答えているが、身内の証言などは信用性が低い。

また、小林は、事件の前日と当日は会社を休んでおり、事件前日に市内でガソリンを購入していることも警察側は突きとめた。


平成14年(2002年)3月3日、警察は小林を重要参考人として任意で出頭させ、取り調べを行った。もちろん、小林は全面否定し、「俺はやっていない。」と言い切った。

しかし警察は、小林が青森テレビの前に置いた手紙を取り出し
「これは犯人からの手紙だが・・お前が書いたものだな。わざと筆跡を変えて汚い字で書いても鑑定すれば分かるんだよ。」
とつめ寄った。

さらに警察は家宅捜索により、小林の家から水色のつなぎの作業着を発見しており、証拠品としてこれを押収していたが、この作業着を取り出して小林の目の前に置いた。
「これはお前の家から発見されたものだが、犯人が着ていたというつなぎの作業着と同じ色のものだ。これを調べればガソリンやススが付着しているかどうかすぐに分かる。」

証拠を突きつけられた小林は、犯行を認めざるを得なかった。事件発生から10ヶ月目の逮捕だった。


平成15年2月12日青森地裁で行われた裁判では、小林は犯行自体は認めたものの「殺すつもりはなかった。従業員にしても、逃げようと思えば逃げられたはずだ。」と、殺意がなかったことを強調した。

しかしそのような主張は通らず
「犯行は思慮が浅く短絡的で勝手極まりなく、酌量(しゃくりょう)の余地は微塵(みじん)もない。」

として死刑が言い渡された。小林側はすぐに控訴したものの、高裁で控訴を棄却され、平成19年3月27日、最高裁でも棄却されて死刑が確定した。



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