一等航海士である、ブリュースの乗り込んだ船は、すでにリバプール港を出航してから一ヶ月半が経っていた。その日もブリュースは船室で、ある作業をしていた。ふと前を見ると、そこには船長室の窓が見え、中では船長が机に向かって何かを書いているようだった。

船長に声をかけてみたが反応がない。「聞こえなかったのかな?」と思いながら、たいした用事でもなかったので、ブリュースはそのまま廊下に出て廊下の窓から再び船長室をちらっと見てみた。

ちょうど船長が顔を上げ、こちらを向いたので目と目が合った。しかしその顔を見たとたん、ブリュースは驚いた。

「違う!あの男は船長ではない! 見たこともないような男が船長室で何かをしている!」


気味が悪くなったブリュースは、すぐにその場を立ち去り、甲板に出てみると、そこでは船長がパイプをくわえて海を眺めていた。
「ここにいらしたんですか、船長! 先ほど船長室で、見知らぬ男が机に向かって何かを書いているのを見ましたが、あの男は一体誰なんです!?」

ブリュースの問いかけに船長は不思議そうな顔をして、
「何を言っているんだ。私の部屋に誰もいるわけがないだろう。私以外の人間が勝手に入れるわけがない。それに、乗組員の中で君が知らない男なんているはずがないじゃないか。船はもう、一ヶ月半もどこにも立ち寄っていないんだから。」

だが、あんまりブリュースが真剣な顔をして言うので、それなら確かめてみようということになり、二人で船長室に降りていった。だがすでに、船長室には誰もいなかった。


「ほら、私の言った通りだろう。見知らぬ男というのは、君の見間違いだったんだよ。」

船長はこう言ったが、ブリュースは納得いかない様子だった。

「そうだ!机の上は・・? 確かにあの時、あの男は何かを書いていたはずなんだ。」

そう言われて机の上を見た船長はギョッとした。机の上のスレート板に「北西に進路を」と書かれてあったのだ。
「誰がこんな・・。ブリュース、君のいたずらかね?」
「違います!私はそんなことはしていません!」

ブリュースは真面目一辺倒の男で、こんないたずらをするとは考えにくい。だがこのまま放っておくのも気持ち悪いので、船長は乗組員全員に同じ言葉を書かせて、一つ一つ筆跡を比べてみた。

しかし似たような字を書く船員は誰もいなかった。ひょっとしたら密航者が潜んでいるのではないかと、船内は騒然となった。


この時船長は、何かの予感がしたのだろうか・・。突然、このスレート板に書かれていた通り、進路を北西に向けるように指示を出した。乗り組み員たちもあまり納得がいかない様子だが、仕方なくその指示に従う。

だが、しばらく走っていると、双眼鏡を覗いていた船員が「船長!氷山が見えます!」と叫んだ。よく見ると、氷山に衝突している船がいる。船体はポロポロで、浮いているのが不思議な状態であったが、向こうの難破船では乗組員たちが必死に手を振って助けを求めている。

すぐ救助に向かい、難破船の乗組員は全員こちらの船に乗り移ることが出来た。しかし、ブリュースはその中の一人の男を見た瞬間、血の気が引いた。救助された船員の中に、さっき船長室で見た、謎の男がいたからである。

すぐに船長にこのことを告げ、その男にスレート板を渡し、「北西に進路を」と書いてもらうように頼んでみた。男はわけが分からないまま、けげんそうな顔をして指示に従ったが、書いてもらった結果はやはり、全く同じ筆跡であった。


その男に2枚のスレート板を見せると、今度はその男がびっくりしていた。

「この船に乗るのは初めてなのに、なぜここに私の書いたものがあるんだ? 全くわけが分からない!」
「それがですね・・。今日の昼間、船長室であなたそっくりの男がこれを書いていたんですよ!」

ブリュースが説明していると、難破船の船長が話に加わってきた。

「昼間だったら、その男はぐっすり寝てましたよ。あっ、そういえば目を覚ました時に妙なことをいってましたね。

『不思議な夢を見ました。夢の中に見知らぬ船が出てきて、その船が私たちを助けるために進路を変更してこっちに向かってくるという夢です。ひょっとしたら我々は助かるかも知れません。』

あの時は夢の話だと思って、相手にしなかったのですが、まさかそれが現実になろうとは。不思議なことがあるものです。」と、向こうの船長は語った。

更に男にゆっくり話を聞いてみると、夢の中に出てきた船は、外観はおろか内部までこの船とそっくりだという。
「私も何か、この船には初めて乗った気がしなくて、変だなぁという感じを受けていたんですよ。」

その男はそう語っていたが、果たしてこれは、夢が現実を動かしたのか、男の生き霊がこの船まで助けを求めにきたのか、本当のところは分からない。たが、あの走り書きによって救われたことだけは確かである。


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