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No.30 最後のお礼に、ソバを差し入れしてくれた菊之介の霊



明治時代、庶民の楽しみの一つに「芝居」があった。役者の一団が全国を旅して、それぞれの地で公演を行うのだ。まだ娯楽の少なかった時代だったから、人々は弁当を持っては見物に行き、芝居小屋はおおいに賑わっていた。

だが役者家業は浮き沈みが激しい。前の芝居は大入りが続いたかと思うと、次の芝居ではどこも客の入りがぱったりということも珍しくはない。

「梅玉一座」も、その、全国の村々を渡り歩く芝居の一団だった。そして明治28年。この年の秋ぐらいから時代は段々と不景気に移行していき、梅玉一座の公演も、あちこちの会場で空席が目立つようになった。

役者たちも、今後の生活に不安をいだいてはいたが、役者という仕事柄、すでに腹はくくっていた。そんなある日、福岡で公演を終えた梅玉一座は、その日の宿へと帰ってきた。ところがその宿の中で、役者見習いの菊之介が突然、「胸が痛い。」と言って苦しみ出したのだ。

一団は、明日には次の興業地へと出発しなければならない。明日の移動日をはさんで、あさってからまた公演だ。しかし苦しんでいる菊之介をこのまま連れていくわけにもいかず、菊之介をこの地の興業主へ預けて、一団は翌日、次の地である佐賀市へと旅立って行った。


だが次の佐賀市は、福岡よりももっと客の入りが悪いところだった。空席が目立つどころか、大半が空席である。しかも、いつもだったら公演の初日に、その地のごひいきさんから届く縁起もののソバも、誰からも差し入れがなかった。

「とうとうここまで悪い状態になってしまったか・・。」
一座の者はみんな沈み込んでしまった。だがその時「まいどぉ!」と言って、建物の入り口をガラガラっと開ける音がした。ここで公演をする時にいつもソバを届けてくれる、坂口屋の小僧がソバを高々と担いで入ってきたのだ。

「ああ、よかった! ごひいきさんに見限られたわけじゃなかったんだ。」一同はホッとして、空きっ腹だったこともあり、すぐにソバに手をつけた。みんなでソバを食べていると、また入り口に気配がして、ふと見るとおととい福岡に残してきた菊之介が立っている。

「おっ!菊之介じゃないか! 元気になったのか!? ソバ、差し入れてもらったからお前も食べろよ!」と声をかけると、菊之介は

「皆さんにはいつもお世話になって、お礼の言葉もありません。せめて何かお礼を・・とも思ったのですが、これといって出来ることもなく、せめていつもの縁起物のソバでも食べてもらおうかと思いまして・・。」

とだけ言い残して、そのままどこかへ去っていってしまった。みんなが妙に思っていると、そこへ座長がやって来たので、今の話をすると、座長は急に声が震え出した。

「実はなぁ・・菊之介がここにいるわけはないんじゃ。菊之介は心臓麻痺で亡くなったと、今朝、福岡から電報をもらったばかりだったんじゃ。動揺させてはいけないと思ってみんなには話してなかったんじゃが・・。」


「ええっ!?」一同がびっくりしているところへ、また人が入ってきた。福岡の興業主のところで下働きをしている使用人が、菊之介の遺骨を持ってきてくれたのだ。白い布に包まれた骨壺を手に持っている。

「じゃ、さっきのは・・菊之介の幽霊・・?」一同は二度びっくりである。

公演終了後、すぐにさっきのソバ屋へ出向き、小僧に話を聞いてみた。

「今日、ソバを注文してくださったのは、いつものごひいきさんじゃないんですよ。あの方はこの不景気で夜逃げをしてしまいまして、今日注文に来られたのは、若い男の人でした。何か子供っぽい感じの人でしたね。」

詳しく特徴を聞いてみると、やはり菊之介に間違いないだろう、ということになった。
「ところで料金は・・? もらっているのか?」と聞くと、「はい、もういただいております。」ということだった。

菊之介はお金はほとんどもっていないはずだったが、みんなそれ以上は詮索するのはもう辞めた。

芝居を一生懸命することが、何よりの供養になるだろうと考え、みんな翌日からの芝居に打ち込むことにした。その後、除々にではあるが客の入りは増え、また以前のように大入りが続くようになった。
「菊之介が客引きでもやってくれてるのかな。」そう言いながら一同は菊之介の遺骨に線香をあげるのだった。



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