Top Page  怪事件・怪人物の表紙へ  No.107  No.105


No.106 ヨーロッパで行なわれた「魔女狩り」の実体



14世紀から17世紀末にかけてのほぼ4世紀に渡って、ヨーロッパ全土では、キリスト教会による徹底した「魔女狩り」が行われた。魔女といってもテレビに出てくるような、魔法を使う人間などいるはずもないが、当時は悪魔や魔女が存在すると信じられていた時代であったから、そのような濡れ衣を着せられて処刑された人間は数十万人(一説では数百万人)にも上るという。

魔女として摘発を受けたのは、ほとんどの場合年老いた女性であるが、中には男性が含まれる場合もあった。また、魔女狩りが徹底して行われていた時代では、あらゆる事柄がその告発の理由となった。


大雨や地震も魔女が妖術を使ったせいだとされ、母親の母乳が出なくなった、家族の誰かが病気になった、怪我をした・・これらのことも近所に魔女がいるに違いないとされたのである。

また、気に入らない人間がいれば何らかの理由をつけては「あれは魔女だ」と密告された。例えば台所の窓から料理を作っている煙がもれていると「魔女が毒薬を作っている。」ということになり、猫を飼っていると「動物を僕(しもべ)として黒魔術を行っている。」と噂され、密告を恐れて人のいない山奥へ引っ越すと「毎晩悪魔を呼んで邪悪な儀式を行うために、人のいないところへ引っ越したのだ。」と言われた。

このような通報があれば、すぐに逮捕され、牢に入れられた。現代のように弁護士がついたり、本人の発言を聞いたりなどということは有り得ず、疑われた時点で逮捕・処刑となったのである。


大々的に行われた魔女狩りではあるが、これが全ヨーロッパにまで拡大したのは、そこにマニュアル本が存在していたという理由が大きい。「魔女の鎚(つち)」というタイトルのこの本は、ドイツの神父ハインリヒ・クレーマーとヨハン・シュプレンガーの2人によって1484年に執筆が開始された。

そこには魔女の生活ぶり、使う魔術などが詳しく記載され、さらには逮捕・拷問・処刑の方法なども書かれ、魔女狩りに関する完全なマニュアル本となっていた。そしてその本の中で「伝染病や自然災害、あるいは個々の人間に起こる不幸など、およそ世の中の全ての不幸は魔女の仕業である」と断定してあったのだ。

この本が出版されたことで魔女狩りは一気に拡大した。「魔女の鎚(つち)」は、間もなく各国語に翻訳され、この本はヨーロッパ全土に広まり、更に発見されたばかりのアメリカにも渡り、アメリカでも魔女狩りが行われるようになった。


具体的な拷問の方法としては、魔女として逮捕された者は、まず身体検査を受ける。そして身体のどこかにアザがあれば、そこを針でつついて血が出るかどうかを調べられる。血が出なければ、このアザが悪魔の紋章、すなわち魔女の証拠ということになり、裁判でも100%有罪の判決が降りて処刑される。

また証拠がない者については徹底した拷問が行われ、自分が魔女だと自白するまで痛めつけられた。

拷問の最初は、まず裸にして全身の毛を剃(そ)り、縄で身体を縛った上でムチで叩きのめす。そしてペンチで指を絞めあげ、身体に熱く焼けた焼きゴテを押しつける。この時点で魔女だと認めなければ、更に次の段階に移る。

身体をハシゴに縛りつけて手足を四方に引っ張り、手足の間接を全てはずす。裸のまま何時間も天井から吊るしたり、手足の指を切断する。あるいは真っ赤に焼けた鉄製の靴を素足にはかせる。熱く焼けたペンチで身体中の皮膚をはがしたりもした。

また、鋭いクギが突き出た鞍場(あんば)にまたがらせたり、同じくクギが突き出た鉄仮面をかぶらせたりといった拷問方法もあった。


これらの苦しみから逃れるには「自分は魔女です」と自白するしかなかった。そしていったん認めてしまうと100%死刑にされた。死刑の方法で一番多かったのは火あぶりの計だったが、見せしめのため、多くの人の目の前で行われのるが一般的であった。

また、八つ裂きにされたり、全裸のまま手足を縛られて川に投げ捨てられたり、飢えた犬に襲わせるという処刑の方法もあった。

魔女として逮捕された者は処刑される前に全財産没収ということにもなっており、教会側は、この没収した財産を魔女狩りの経費に当てていた。まさにこの時代のヨーロッパの女性にとっては、地獄そのものの時代だったのである。



Top Page  怪事件・怪人物の表紙へ  No.107  No.105