1983年2月4日、イギリスのロンドン、クランリー・ガーデンズの、あるアパートで下水管が詰まり、トイレの水が流れなくなるという事態が発生した。アパート中に悪臭が立ちこめて、トイレが使えない。
このままにしておくわけにもいかないのでアパートの管理人は修理を頼み、間もなく修理工が到着した。

どうやら地下の排水管に何かが詰まっているようだ。修理工がマンホールのフタを開け、ハシゴをつたって下へ降りていくと、中から猛烈な悪臭がこみあげてきた。中の光景を見て修理工は一瞬、目を疑った。

詰まっていたものはドロドロに腐った肉の塊(かたまり)だったのだ。30個か40個はあろうかという腐った肉の塊が、トイレから流された汚物と混じりあって、溶けた肉がしたたり落ちている。

修理工が詰まっていた肉の塊を引きずり出してみると、それは人間の手や足、骨などであった。すぐに警察が呼ばれ、調査が開始された。まもなくこのアパートの住人であるデニス・ニルセンが、大量殺人および死体遺棄の疑いで逮捕され、ニルセンの5年に及ぶ狂気の犯行は、ここで世間の明るみに出ることとなった。

デニス・アンドリュー・ニルセンは、1945年スコットランドの漁村で生まれた。幼いころから同性愛者であった彼は、同時に死体にも異常な興味を示した。特に成人してからは、裸になって自分の身体を白く塗り、銃で撃たれた跡を書いてベッドに横たわり、自分が死体にふんしては快感を感じることもしばしばあった。

彼が最初の殺人を犯したのは1978年12月30日。その日彼は夜の街に繰り出し、未青年のアイルランド人を連れて部屋に帰ってきた。2人とも酔っぱらっており、ベッドに入って眠ったのだが、2~3時間もするとニルセンは目が覚めてしまった。

ふとニルセンの頭に考えがよぎる。「少年が目を覚ましたら、この部屋から帰ってしまう」。後にニルセンは、この時の犯行の動機を「相手の気持ちがどうであれ、一緒に新年を迎えたかった。」と自供している。

ニルセンは手元にあったネクタイを少年の首に巻きつけ、思い切り絞めあげた。目を覚ました少年が必死に抵抗する。だがベッドから転がり落ちた少年に馬乗りになって、なおも絞め続けると、やがて少年はぐったりとなった。

しかし手を離したと思った途端、少年は息を吹き返し始めたので、今度はバケツに水をくんできて少年の顔を水の中に突っ込んだ。

手足をばたつかせながらもバケツの中からの泡が止まると、やっとニルセンは手を離した。初めての殺人である。この後ニルセンは少年の服を脱がし、風呂に入れた。身体を綺麗に洗ってから再び服を着せ、ベッドに横たえて沿い寝をした。

この後数日間ニルセンは、死体を愛の奴隷として扱う。一緒にテレビを見たり食事の時に横に置いたり、時にはセックスの対象とした。一通り楽しむとニルセンは部屋の床の板を剥(は)がして少年をその中に押し込んだ。

あの日以来、警察が少年の居場所でも聞きにくるのではないかと内心ひやひやものではあったがそういうこともなく、7ヶ月半ほど経った時、ニルセンは再び床の板をはがして死体を取りだし、裏庭に持っていくとそこで死体を焼却した。ようやくこれで、長い間心に引っかかっていたものが消えたような気分だった。

それから約一年後の1979年12月3日。ニルセンは二件目の殺人を犯す。今度の犠牲者はカナダからの旅行者で、先ほどの少年と同じように夜の街で出会い、彼の部屋へと連れて来た。二人で一緒に酒を飲んだ後、ヘッドホンのコードを使って絞め殺した。

殺害した後は、またもや服を脱がせ、下着を取り替えたり、いろんなポーズを取らせてカメラで撮影したり、自分の上に乗せたり、一緒にテレビを見たりもした。死体の隠し場所はまたもや床の下である。二週間にわたって何度も床下から死体を引っ張り出しては、一緒に時を楽しんだ。

三人目も同じく部屋に連れこんで首を絞めたが、それだけでは死ななかったので、台所に連れていって水の中に顔を突っ込んだ。後は同じように服を脱がし、死体に口付けし、抱きしめ、一緒にシャワーを浴びたりした。死体の置き場所は、またも床板をはがし、先に殺していたカナダ人の死体の横に押し込んだ。

二つの死体で一通り楽しむと、ニルセンは台所で二つの死体の解体作業を始めた。ばらばらに切断し、それを二個のスーツケースに入れて庭の物置小屋に隠した。腐って悪臭が漏れるのを防ぐために、夏の間はひっきりなしに消毒液を吹きかけた。

この後もニルセンは殺人を続け、犠牲者も4人、5人、6人と増えていった。死体の取りあえずの置き場所は床の下である。だが、だんだんここもいっぱいになってきた。古い死体は腐乱がどんどん進み、床の下ではハエが大量に発生し、ウジ虫もはいずりまわっている。物置のスーツケースの中からはどろっとした液体がしたたり落ちている。

さすがにそろそろ焼却せざるを得ない。だが一体丸ごと燃やすよりは、ばらばらにして燃やした方が燃えやすいだろう。かくして、腐乱した死体の解体作業という、恐ろしい作業が開始された。

まずは酒を飲んで気を大きくしてから床板をはがし、一番近くにあった死体の足をつかんで引っ張りあげた。まずは頭を切断し、手、足、と切り取っていく。腹を切り裂いて内臓を取り出す。それぞれ適当な分量に分けてビニール袋に入れた。

次の死体にはウジがわいていたので、まずは塩を振りかけてブラシでこすり落とした。同じように次々と切断していく。だが、いかに死体慣れしたニルセンといえど、さすがに何度も吐き気をもよおし、酒を大量に飲みながらこの作業を続けたという。この時、床下にたまっていた死体は4つ。この全てを解体し終えて、更に浴びるほど酒を飲んだ。

目が覚めてから、まだ朝日の昇らないうちに、裏の空き地で焼却を始めた。木切れを積み重ねて火をつける。先ほど解体した4人分の死体と、最初のころに解体してスーツケースに詰めておいた死体が2人分の、合計6人分の死体を焼却しなければならない。

木切れの上には車のタイヤを乗せて人肉の焼ける匂いをごまかす工夫も忘れなかった。ニルセンは一日中見張って、何とか焼却を終えることが出来た。燃やしている最中、近所の子供たちが面白がって寄ってきたが、バレることはなかった。

これまで犯した殺人は7件。これで、その全ての死体の処理を終えた。だが、一区切りついたのもつかの間だった。しばらくするとニルセンの部屋にはまた死体がたまり始めたのだ。8人目9人目と死体は増え、だんだんとニルセンの解体の腕も上がってきた。それに伴い、床下もいっぱいになり、12人目を殺害した時にはとうとう収納する場所がなくなり、解体した部分を台所の戸棚にしまい込んだ。

相変わらずの生活をしていたある日、ニルセンは引越しをすることになった。死体の収納場所に困ったからではない。もともとニルセンは、家賃を値上げしようとするたびに大家に抗議してくるうるさい住人であって、大家は前からニルセンを追い出したがっていたのだ。

しかし大家にしても自分のアパートで、あれだけの殺人が行われていたことなどは知るよしもなかった。不動産屋を通じて「引越しの手数料を1000ポンド払うから、よそへ引っ越さないか」ともちかけると、ニルセンは快く応じた。もちろん、引越し前に死体を焼却することは万全に行った。

彼が新しく引っ越したアパートには、死体を燃やす適当な空き地もなければ、床板をはがして死体を収納することもできなかった。にも関わらず、ニルセンは引っ越して半年もしないうちに再び殺人に手を染めた。13人目の犠牲者である。首を絞めても何度も息を吹き返してきたので、最後は風呂の中に顔を突っ込んで溺死させた。

そして14人目は、ニルセンの部屋で食事させてもらっているところを首を絞めて殺された。だがこの14人目の殺人が最終的に逮捕のきっかけとなった。ニルセンは死体を浴槽にしばらく放置した後、細かく切りきざんで死体の一部をトイレに流したのである。冒頭に書いた、あの下水の詰まった一件だ。

残りの部分は大ナベに入れてストーブにかけて煮込んだ。特に頭の部分は頭蓋骨になるまで何時間もかけて煮込んだ。胴体や頭蓋骨はゴミとして出すには大き過ぎるので、それらの部分は戸棚や洋服ダンスにしまい込んだ。

そして15人目の男を、首にコードを巻きつけて殺害してから一週間くらい経った時、例の下水の修理工がマンホールを調べ始めた。ここに至って、ついにニルセンの犯罪は世間に知れ渡ることとなった。

15件の殺人と7件の殺人未遂。各新聞は大々的にこの事件を報道した。逮捕されたニルセンは、生きて監獄を出られる可能性はまずないという。

また、逮捕後に、ニルセンが獄中で書いた手紙や日記に、次のような一節がある。
「出来ることなら(殺人を)やめたいと思った。でもやめられなかった。私には他に何の楽しみも幸せもなかったのだから。」
「100万人に1人しかいないような、真に悪の心を持つ者の性格を変えることが出来るだろうか。」
デニス・ニルセンこそ、生まれついての殺人者と言えるのかも知れない。


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