▼ある女性の体験

1980年ごろ、山本恵子(仮名)は、高校を卒業し、ある会社へ就職した。就職して2年ほど経ったころのある日、恵子は自分の所属する課の課長である中野課長(仮名)から食事に誘われた。

前々から中野課長に惹(ひ)かれていた恵子の喜びは相当のもので、これを機会とばかりにますます中野課長との仲を深め、いつしか課長と身体の関係を持つようになっていった。

中野課長は妻子のある身で、いわば不倫であったが、恵子はそれでも十分満足だった。しかし中野課長と付き合い始めて半年ほど経ったころから課長の様子がおかしくなってきた。「課長、今晩会って下さい。」と、恵子が誘っても忙しいとか用事があるなどと言ってだんだん恵子を避けるようになってきたのだ。

「私と君の2人が怪しいと社内でも噂になっているんだ。知っての通り、私には妻も子供もいる。不倫してるなんてバレたら、お互いマズイだろう。これからはしばらく会わない方がいいと思う。」

中野課長にこう言われれば恵子もそれ以上は何も言えなかった。

「私は噂にならないようにと、十分気をつけていたのに。誰にもバレているはずがないわ。それに忙しいとか言ってたけど、そんなに忙しそうには見えないけど・・。」

恵子は中野課長の言葉に不満だった。ある日、恵子は仕事が終わって中野課長がいつもの帰り道とは違う方向へ歩いていくのを見かけた。女のカンからか、恵子はそっと課長の後をつけてみた。

課長が入っていったのは、あるホテルのレストランだった。女性と待ち合わせをしていたらしい。よく見ると、中野課長と一緒に楽しそうに食事をしている女性は、同じ会社に勤務している経理課の女性だった。しかもテーブルの上には、このホテルのルームキーが置かれてあるのも見えた。

「部屋を取ってあるということは、この後、2人で泊まるってことだわ。じゃ、課長の女はあの人ってこと?」
「私をさんざん抱いておきながら、適当に遊んだらそれまでってことなのねっ!許せないわ!あの人、絶対許せない!」

裏切られたと知った瞬間、これまでの課長に対する愛情が一転して激しい憎しみへと変わった。

恵子はほとんど泣きながら家に帰り、悶々(もんもん)としながら家で何気なく週刊誌を手に取ると、そこには偶然か運命か、「丑の刻参り(うしのこくまいり)」の方法、つまりワラ人形による呪いの法が掲載されていた。

これだ!と思い、恵子は必死に記事を読んだ。記事によれば、呪い殺したい相手がいる場合、

「七日七晩、誰にも見られないように、神社の杉の木に5寸クギでワラ人形を打ちつけること。」
「儀式が終った後には、ワラ人形は持ち帰って燃やすこと。」

などが書かれてあった。
また、雑誌には古式に則(のっと)った衣装や呪い文なども紹介されていたが、衣装は特に揃えなくても効果があり、呪い文の代わりに写真でもよいとも書かれていた。

人形の方はすぐにワラを用意して手製のワラ人形を作った。幸い課長の写真も持っている。

そしてその日の深夜2時ごろ、恵子はさっそく近くの神社に出かけ、真っ暗闇の中、激しい怒りが恐怖心をも打ち消し、神社の杉の木に中野課長の名前を叫びながらワラ人形を5寸クギで打ちつけた。
「あんな奴、死ねっ!死んじゃえっ!!」


怒りにまかせて金槌(かなづち)を思い切り振るった。

そして翌日。
恵子が会社へ出勤すると、同僚から「中野課長は今日からしばらく休みみたいよ。」と、聞かされた。
「え?何かあったの?」
と、聞くと、昨日の晩、中野課長は階段から降りている時に足を踏みはずして転落し、腰の骨にヒビが入って入院したという。

中野課長が転落したのは、恵子が後をつけた、あのホテルだった。

「昨日の晩はやっぱりあの経理の女とあのホテルに泊まったんだ。どういう理由か知らないけど、中野課長は深夜にホテルから家に帰ろうとした。その時転落したんだわ。呪いが効(き)いたってこともないでしょうけど、いい気味よ。」

恵子は少し胸がすっとした。雑誌によると呪いは七日七晩続けなければならないと書いてあったが、自分は一回しかしていない。中野課長の怪我は単なる偶然だろうと思ってはいたが、一応念のため、その日のうちにワラ人形は回収して燃やしておいた。

それからしばらく経ったある日、相変わらず中野課長は入院中であったが、会社の上司から

「今度は中野課長のお父さんが病気で入院したらしい。君、ちょっと中野課長の実家へ行って奥さんに挨拶して、それから課長のお父さんの入院先に花を届けてくれないか?」と頼まれた。

「え?」恵子は意外な展開にびっくりした。

会社からお見舞い役を任命されて、恵子は課長の実家へと向かった。奥さんに話を聞くと、持病だったゼンソクが悪化したという。
「うちの主人も高齢ですから、仕方がないのかもしれませんね。」と奥さんに言われると、「やっぱり私の呪いのせいじゃないわ、偶然よ。高齢だからって言ってたじゃない。」
と、少しほっとした。

課長の実家へお見舞いに行って少し過ぎたころ、今度は会社の上司から
「おい、また見舞いに行ってくれ、今度は課長のお母さんだ。高血圧で倒れたらしい。」と聞かされた。

これで中野課長とその両親と、全員が入院することとなった。しばらくしてやっと、お父さんが一番最初に退院出来た。これで中野家の運勢も好転していくかと中野課長も病院の中で思ったが、不運はまだ続いた。

これまで業績が悪化の一途をたどっていた中野課長の勤める会社、つまり恵子の勤務している会社が倒産したのだ。課長も恵子も失業することとなった。


「まさか、これって呪いのせいじゃないわよね・・。」自分自身も困ったことになった。

恵子は次の就職先を探しながら、元の同僚と時々電話で話していたが、同僚から聞いた話によると、今度は中野課長の娘さんが怪我をしたらしい。

その上、その娘さん(36)が先日出産したのだが、「その子って生まれながらに心臓に穴が開いている病気だったんだって。」とも同僚から聞かされた。

これまで薄々、「ひょっとして呪いが効いたのかしら?」という気はあったが、憎かったのは中野課長本人だけであって、課長の家族の不幸までは望んではいなかった。効いたとすれば効き過ぎである。

課長をめぐって次々起こる不幸な出来事に恵子は怖くなり、心霊研究家であり作家でもある著名な先生にこれまでの経緯を伝える手紙を書いた。恵子からの手紙を受け取った先生がこの一連の出来事を記事として発表し、この一件は世間に知られることとなった。

▼丑の刻参り(うしのこくまいり)(※「丑の時参り = うしのときまいり」ともいう。)

日本に古来より伝わる「丑の刻参り」は、殺したいほど憎い相手がいる場合に、その相手をワラ人形に見たててクギを打ち込みながら呪いをかけていくという呪術の一種である。

丑の刻とは、昔の時間の単位で、現代の深夜1時から3時に相当する時刻である。この時間に神社に参って行うことから丑の刻参りという。

また、その際に使われるワラ人形は一般的に「呪いのワラ人形」と呼ばれる。


<ワラ人形>


人形を使った呪術は古墳時代からあったが、この時代にはまだ、クギを刺して呪うという風習はなかった。

奈良時代(710-784年)の遺跡から、胸にクギを刺された人形が発見されており、このあたりの時代から、クギを打って呪うといった習慣が始まったと推測されている。こうした、クギを刺された人形は他の遺跡からも発見されている。

丑の刻参りについては、鎌倉時代(1185年頃-1333年)後期の書物にも登場しており、こちらも歴史が古い。現代に言い伝えられている形式が完成したのは江戸時代だとされている。

丑の刻参りで有名な神社として京都の貴船神社や岡山県の育霊神社などがある。

▼丑の刻参りの道具と方法

丑の刻参りを日本古来の正式な方法で行おうとすれば、かなりの道具を揃える必要がある。

まず衣装は、上下とも真っ白の白装束を着る。頭には五徳(ごとく)を逆さまにして被(かぶ)る。

<日本古来の白装束>


五徳(ごとく)とは、昔、火鉢の中や炭火などの上に立てて、この上にヤカンなどを乗せて使っていた道具で、3脚のものと4脚のものがある。鉄か陶器で出来たものが一般的である。

<五徳(ごとく)>


3脚の五徳を使い、この五徳の脚の部分にロウソクを3本立てて火をつける。これが闇夜を照らす灯(あか)りとなる。

足には一本刃の下駄を履き、腰には守り刀をさして、右手にカナヅチ、左手にワラ人形を持つ。

<一本刃の下駄>


ワラ人形の腹の部分にはあらかじめ呪い文を入れておく。呪い文は図のような形式で、これに殺したい相手の名前と年齢を書いておく。また、腹に入れるものは相手の髪の毛など、身体の一部でもよい。

<ワラ人形・菅人形で使われる呪い文>


丑の刻、つまり深夜1時から3時ごろ神社にお参りして、呪い殺したい相手の名前を大声で叫びながら境内の杉の木に5寸クギでワラ人形を打ちつける。

その際には、誰にも姿を見られない場所を選ぶことが大事で、これを七晩続ける。そして七晩無事に祈念が終了したらワラ人形を杉の木からはずす。

そしてトゲのある木の枝を燃やし、その炎でワラ人形を焼く。その際、灰が風に吹かれないように注意し、灰は容器に入れておく。

その容器を持って十字路になっている道路へ行き、その場で灰をまく。容器を逆さまにして捨てるようにまくのではなく、一回一回灰を掴(つか)んでまくようにする。

以上で工程は終了であるが、ワラ人形を打ちつけている最中に、それを人に見られるとその瞬間呪いは失敗すると言われており、目撃者は殺さねばならないと伝えられている。

古式の方法に則(のっと)って行おうとすれば、道具の用意だけでも大変であるが、肝心なのは道具よりも精神の力である。

呪いとは一種の超能力に属するもので、相手に対する激しい憎しみがあれば、正式な装束や道具を揃えなくても十分に効果があるとも言われており、また、現代風に、人形の代わりに相手の写真を使っても良いとされている。

▼その他人形を使った呪い

呪いのための人形は、ワラだけがその材料に使われたというわけではなく、また、呪いの方法においても、丑の刻参りだけが唯一の形式だったというわけではない。

<呪いに使われる人形の一種・紙人形>


人形に関しては、紙や泥、菅(すげ)などもその材料として用いられており、特に代表的なものは菅(すげ)人形である。

菅(すげ)とは、時代劇にも登場する「菅笠(すげがさ)」の作成に使っていた植物で、現在でもネットで菅笠(すげがさ)を販売している会社もある。

菅(すげ)人形は、ワラ人形とほとんど同じ形であり、材料がワラか菅(すげ)かの違いだけである。

ワラ人形と同様に、この菅人形の中にも呪い文を入れる。呪い文も、ワラ人形に入れるものと全く同じものであり、やはり相手の名前と年齢を書いておく。

そして呪い文を菅人形の身体に入れた後に呪いの言葉を唱える。

「おんをり きりていめい りていめいわや しまれい ソワカ」

と、呪いをこめて21回繰り返す。

その後に菅人形の一部を切断したりズタズタに切り刻(きざ)んだり、燃やしたり、埋めたりする。殺したい場合にはお宮や墓場に埋めるようにと伝えられている。

▼呪い返し

他人から、言いがかりにも等しいような呪いをかけられた場合、「呪い返し」を行うと、相手の呪いをそのまま相手に返してしまうことが出来るとされている。

紙を切って、図のような型代(かたしろ)を作る。紙は二つ折りにしてあり、頭に当たる部分はVの字に切って起こして頭とする。

<呪い返しの紙人形と、書かれている秘符(ひふ)>


表側には図の右のような秘符(ひふ)を書く。裏には自分の年と性別を書く。

そして「おんばじらぎに はらじはたや ソワカ」

と100回唱え、この型代(かたしろ)を別の紙に包んで完全に封をする。

そして今年の吉(きち)の方角に当たる川か海に流す。流したら、後ろを振り返らずに帰る。
これで呪い返しは終了である。

▼呪いのワラ人形の効果は

相当古い時代から伝わっているということで、これまでの日本の歴史上、丑の刻参りを実際に行った人はかなりの数になると思われる。

本格的な呪術師や呪術の研究をしている人はともかくとして、一般の素人が初めて行った場合、果たして呪いの効果は本当にあるのか。

これに関しては、例えば「丑の刻参りを行った人100人を対象にしたアンケート」であるとか「丑の刻参りにおける致死率の調査」であるとか、そのような資料などあるはずもないので、はっきり言って全く分からない。

前述したが、呪いとは精神の力であり、超能力の分野に属する。実際、深夜に一人で神社に通ってこの儀式を行うことは相当な精神力を要する。普通であれば怖いし、一人で大声を出すのは恥ずかしい。

だが、そうした精神的なブレーキをものともせず、この儀式を行えたということは、そこには凄(すさ)まじいまでの怨念、気が狂いそうなほどの憎しみ、狂気の精神集中があったということでもある。

実際超能力者と呼ばれる人たちがこの世にいる以上、素人とはいえ、そうした素質を持った者が行った場合、相手の足を念の力で動かしてどこかから転落させるとか、身体の内部に悪影響を与えて病気にしたり、判断力を鈍らせて交通事故を起こさせたりした場合があっても不思議ではない。

重要なことは、衣装や道具よりも儀式を行う者の精神、すなわち激しい憎しみである。

丑の刻参りを行っても何も起こらなかった場合の方が圧倒的に多いであろうが、中には本当に相手に不幸を招いたり、死に至らしめた場合もあるようで、一概に迷信として片付けることも出来ない。要するに呪いをかける者に、超能力者としての素質がわずかでもあるかどうかで呪いの成功と失敗が決まる。

呪いで有名な宗教といえば、カリブ海の島国やアメリカ南部などで信仰されているブードゥ教であるが、このブードゥ教でも、人形に針を刺して呪う方法があり、南米で、呪いの対象とされてしまった女性が、腕に痛みを感じるので病院に行ったところ、レントゲンを撮影したら、腕の中にクギのような太い針が何本も入っていたという事例もある。

実際に身体の中に出現した針を取り出す手術をした人は何百人にものぼると言われており、世界的に見ても呪い自体は決して非現実的なものではない。


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