▼ハチソン効果の発見
カナダのバンクーバーに住むジョン・ハチソンは、自称発明家であり物理学者である。彼の専門は電気関係。
学歴は高校までであるが、その後独学で電気関係を学び、発電機を始めとする様々な装置を買い込み、彼の自宅は電気関係の実験装置で埋め尽くされていた。
<ジョン・ハチソン>
1979年のある日、ハチソンはいつものようにテスラ・コイルとバンデグラフ発電機のスイッチを入れ、その日思っていた実験に取りかかろうとしていた。その時、突然金属片が飛んできて彼の肩に当たった。
<テスラ・コイルとバンデグラフ発電機>
ハチソンが金属片を飛んで来た方向へ投げ返すと、その金属片は再び飛び上がり、またもやハチソンに当たった。一瞬、誰かのいたずらだろうと思ったが、そうではなかった。金属片は自(みずか)ら飛び上がっていたのだ。
ハチソンは今の現象を、電気の起こす現象ではないかと解釈した。
偶然起こったこの現象を、再現出来ないものか、あるいはもっと色々なことが出来ないものかと考え、持っている装置をあれこれといじり始め、実験を開始した。
その結果、様々な現象を起こすことに成功し、また、それらの様子をビデオで撮影することにも成功した。
写真がこの効果のいくつかの例で、このビデオは You Tubeでも公開されている。
電気が起こすこの不思議な現象はポルターガイスト現象にも似ており、後に世間にこのビデオが公開された時、これらの現象は発見者の名前を取って「ハチソン効果」と呼ばれるようになった。
You Tubeにアップされているハチソン効果のビデオ
<宙に飛ぶ金属棒。>
<加速度的に上昇するアルミ箔(はく)。>
<浮く灰皿。>
<アイスクリームの中身だけが飛び出る。>
<ポリ容器がへこんでいく。>
▼様々な現象
●物体が浮き上がる
ハチソン効果の一番代表的な現象は、物体が浮き上がることである。それは、金属、木材、液体など材質を問わず様々な物体に作用した。
物体が浮き上がる時には4つほどパターンがあり、1つ目はゆっくりと弧を描くように上昇して落ちるパターン、2つ目は最初に強い衝撃があって飛び出すように上昇するパターン、3つ目は浮き上がるにつれて加速していく、反重力とも言えるパターン、4つ目は浮いたまま静止しているパターンである。
また、物体は寝かせておくよりも立てていた方が浮き上がりやすいことも分かった。
一番重たいものでは、約400kgの変圧器が浮いたという報告がされている。
<浮き上がる金属球。>
<コップの中から水だけが飛び出す。>
<ペットボトルが浮く。>
▼破壊と結合
また、もう1つ、多かった現象として、物体の破壊現象がある。これも材質を問わず、様々な物体に起こった。
破壊のされ方も色々で、単純に割れた物もあれば、曲がったりねじれたりしながら切断されたものもある。ある金属は、まるで高温にさらされて両側から引きちぎられたかのような切断面になっている。
また別の金属は、刃物で切られたような綺麗な切断面になっている。
また、破壊とは逆の現象になるが、2つの物体が結合してしまうという現象も見られた。写真は、アルミニウムの塊(かたまり)にナイフが結合したものである。
<アルミニウムの塊(かたまり)にナイフが結合
<ちぎられるように切れた金属>
<割れた金属の筒>
<ねじ曲がった金属>
●電信柱の揺れ
ハチソンが、ある実験に臨む際に、全ての装置を稼動させていたある日、窓の外を見ると、電信柱が約1メートルの幅で激しく揺れているのを発見した。
あまりにひどく電信柱が揺れているので、電線も猛烈にしなっている。
ハチソンは最初車が激突したのだろうと思って窓を開けてよく見てみたが、そのような事故の形跡はなかった。
隣の建物にいる人の多くも電信柱に注目していた。
ハチソンがもしやと思い、部屋のメインのブレーカーを切って、装置の電力を切断すると、その途端、電信柱の揺れは止まった。
●その他の現象
実験室の壁からバラバラとクギが落ちてきた。もちろん、このクギたちは、壁に打ちつけられていたクギではない。外の倉庫にしまってある箱の中に入れていたクギたちであった。
倉庫からテレポーテーションしてきたとしか思えなかったとハチソンは語っている。また、物体が透明化して、目の前にある台が透(す)けて見えたこともあったともハチソンは報告している。
これらの現象はどうすれば起こるのか、ハチソン自身もよく分かっていなかった。色々な装置の電源を入れ、高電圧で高周波の電流を流すと全くの偶然で不思議な現象が発生するのだ。
ハチソンはこれらの現象の再現性や規則性を解明すべく、設定や装置を変えては実験を繰り返したがよく分からなかった。
最初の頃は、装置のスイッチを入れてから6時間から6日間後にようやく現象が偶然起こるというレベルであったが、最終的に1時間に5回程度はこういった現象を起こすことが出来るようになった。
<実験中のハチソン>
<通路に置かれた箱の上が現象の起こる領域>
▼電気の起こす現象・日本で起こった事件
ハチソン効果ほどではないが、日本でも高電圧・高周波の電気が原因で起こった事件がある。
1999年(平成11年)東大阪市で、ある家の機械類が次々と故障し始めるという現象が起こった。最初はパソコンに始まり、メーカーに言って取り替えてもらったが、またすぐに故障を起こす。
合計17台のパソコンを交換することになった。メーカーであるNECが調査したところ、どのパソコンもハードディスクやマザーボードに大きな損傷を受けていたという。
まだこの時点では、なぜパソコンがこのような故障を起こすのか、原因は不明であった。その間にパソコンだけではなく、電話機やファックスも故障を始め、電話機は約70台、ファックスは8台交換することとなった。
ガレージのシャッターが勝手に開閉し始めたり、テレビやビデオのリモコンが動作不能となり、調べてもらうと中の基盤が黒焦げになっていたり、電球のフィラメントが切れたりエアコンが勝手に動き始めたりもした。
これらの現象はポルターガイスト現象ではないかと噂になり、メディアでも紹介された。
そしてこの家の隣には縫製(ほうせい = 裁縫さいほう)工場が建っていたのだが、こちらの工場内でも異常現象が多発していた。
ミシンや電話機が故障し、パソコンが焦げ、テレビやラジオの受信が出来ない、工場で使っている金糸(きんし = 刺繍(ししゅう)などに使われる金を含んだ糸)や銀糸が突然燃え始める、などといった現象である。こちらも新聞などで報道された。
怪奇現象か心霊現象か、と思われる中、ついには、工場内にあった金糸が突然発火し、それが原因でこの工場は全焼することとなってしまった。
火災原因を調査した結果、電線から流れ込んだ高周波が工場内に入り、それが強い電磁波を発生させて工場内が電子レンジのような状態になったために発生した火災だということが判明した。
この工場の近くには更にいくつかの工場があり、それらの工場が大電力を使っており、何らかのトラブルによって高電圧の高周波が発生し、それが電線を伝って最初の家やこの工場に入り込み、異常現象を引き起こしたものとみられている。
<※電磁波 : 電波、光(赤外線・可視光線・紫外線)、X線、ガンマ線などの総称。電場と磁場によって作られた波動であり、空間そのもの(空気という意味ではない)が振動する状態が生まれて、この振動が周囲の空間に伝わっていく。
空間そのものが振動するため、振動を伝える物質が何もない真空中でも電磁波は伝わっていく。>
この工場を所有する会社は、関西電力と関西電気保安協会に計3億3千万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。
裁判の結果は平成12年3月15日付の朝日新聞や毎日新聞に掲載されたが、大阪地裁は
「大気中の高周波が相互作用によって強められ、金糸や銀糸を発火させた可能性が強い。」
「高周波の電磁波が火災を発生させた可能性が最も高く、ほかに 有力な出火原因は考えがたい。」
と、電磁波が火災の原因であると認めたものの、
「高周波は窓や壁からも侵入する可能性があり、電線だけに限定することは出来ない。」とし、関西電力などに賠償責任はないとした。
また、この記事には、「早稲田大学の大槻教授は、『原因不明の火事の相当数が高周波が原因で起きていると考えられるが、この分野はまだ研究が不十分だ。』と話している。 」とも付け加えられている。
高電圧の高周波は、時として不思議な現象を起こすことがある。ハチソン効果も電気による作用であり、一見不思議な現象に見えても、それは自然現象である可能性も十分にある。
▼不遇のハチソン・実験は終わりを告げる
1982年、ハチソンは、技術コンサルティングの会社を経営しているジョージ・ハザウェイと、アレクサス・ペザーロと共に、このハチソン効果を研究する会社「ファロス・テクノロジー社」を設立した。
そして翌年の1983年には、アメリカの政府関係者の前でハチソン効果のデモンストレーションを行うこととなった。
しかしこの時訪れて来た政府関係者という肩書きの男たちは、ハチソンに対して自分たちの名前も名乗らず、部屋の中をガイガーカウンター(放射線量計測器)で熱心に調べ始めた。
彼らの行動を見たハチソンは、彼らが政府の者ではなくアメリカ軍の関係者ではないかと直感した。
ハチソン効果の話は技術者や研究者たちの間で次第に広まり、1985年にはマクダネル・ダグラス社の技術者が訪れ、詳しいデータを取った。
1987年には西ドイツのコンピュータープログラマーであるランディ・ベルゴウがハチソンを訪れ、実験後の金属を持ち帰って、いくつかのヨーロッパの科学研究所に調査を依頼した。
1988年、バード社のグレッグ・ランドとアルフレッド・サッターがハチソンのパートナーとなって一緒に研究をすることとなった。
公表されているビデオはこの頃に撮影されたものである。
しかしこの頃から流れがおかしな方に傾き始める。
ハチソンはグレッグとアルフレッドを信頼して、自分がいない時の研究所の管理も任せていたのだが、彼ら2人はハチソンがいない間に機械を勝手にいじっており、ハチソンが帰って来て実験を開始すると、コンデンサーが爆発するなどのトラブルが発生するようになった。
それ以外にも、どうも不審な行動を取るため、ハチソンが彼らの正体を調べてみると、2人はワシントンの航空宇宙局と関係しているということが分かった。こちらの情報が全部航空宇宙局に流されている可能性が高い。ハチソンは彼らと手を切ることにした。
関係を絶たれた2人は後にハチソンの妨害を始める。
嫌気のさしてきたハチソンは、西ドイツのランディ・ベルゴウを頼って西ドイツへ行くことにした。1989年2月8日、ハチソンはカナダのバンクーバーを後にし、西ドイツへ向かった。
しかし西ドイツへ来てからも彼らの妨害工作は続き、慣れないヨーロッパでの生活もあってハチソンは自動車事故を起こし、入院生活を送るはめになった。
ようやく退院した後、さっそく持ってきた機材を組み立てて実験を再開することが出来るようになった。ここでは一晩に1回の現象が起こるまでになった。
そして1989年12月22日、ドイツのシュトゥットガルトで30名の科学者、研究者が集まり、その中でハチソンはこの現象を説明し、ハチソン効果について話し合いがもたれることとなった。
1年半後、ハチソンは再びカナダに戻って来た。しかしバンクーバーの自分の研究室に戻ったハチソンは愕然(がくぜん)とした。残してきた実験装置の多くが壊されたり捨てられたりしていたのだ。
ヨーロッパから帰ったばかりで金に困っていたハチソンには、装置を元通りにするような金はなかった。それどころか残っていた装置を売って生活費にしなければならないような状態であった。
この時点でハチソン効果の実験は事実上終了することとなった。
<解体される前のハチソンの実験室>
▼実験施設が破壊されていた理由・ハチソンが邪魔である組織がいる
ハチソンは、1988年、カナダのオワタで開催された「新エネルギー技術のシンポジウム」でこの映像を発表し、そこから一気に有名人となった。
これより後、様々な研究者や組織がハチソンの元を訪れるようになった。その中にはアメリカ軍も含まれており、軍はハチソンに共同研究や資金援助の話を持ちかけた。この話に乗り気になったハチソンは、アメリカ軍にこれまでの実験データのほとんどを渡している。
だがそれからしばらくして、ハチソンの自宅の実験施設は、ハチソンがヨーロッパに行っている間に、何者かによって壊されたり、捨てられたりしてしまった。
噂ではアメリカ軍がカナダ政府に要請し、カナダ政府の関係者がこのようなことを行ったと言われているが、カンとその時の思いつきで装置を作ってきたハチソンにとって、もう同じ物は二度と作れずに、この現象の再実験はここから不可能になってしまっている。
これ以上実験が出来ないとなると、ハチソンにとって出来ることはせめてこれまでの実験データを少しでも取り返すことだけである。アメリカ軍にテータの変換を求めたが、1991年3月に帰って来た返事は「現在極秘事項となっており、返還出来ません。」との返事であった。
極秘も何も、自分が書いたデータなのだが、ハチソンの要求は受け入れられず、軍からは相手にされなかったという。
そして軍はこのテータを元にロスアラモス研究所などでハチソンの使っていた装置と同じものを作り、ハチソン効果の再現に成功したと言われている。
ハチソン効果は様々な現象が撮影されたが、その中心は「物体が浮き上がる」という現象であった。特に上昇しながら加速していくという場面は、いわゆる「反重力」ともいえる部分であり、アメリカではこの反重力を研究している機関が存在し、民間人がこの分野の研究を公(おおやけ)にしては好ましくないらしい。
ハチソンの研究を断念させ、そのテータを元に公的機関が反重力の研究を進めるということはあり得る話らしい。
このデータによって反重力装置が実現されれば、これまでの飛行原理とは全く別の原理で飛ぶことの出来る航空機や宇宙船が開発出来ることになる。
ハチソン自身、「ハチソン効果を応用すれば、地球製のUFOを飛ばすことも可能になります。その気になればハチソン効果と潜水艦建造技術ですぐにでも飛ばせることが出来ます。
このことについて、アメリカのBBCテレビやNASA(アメリカ航空宇宙局)、アメリカ政府からも問い合わせが来ています。」と発言している。
ハチソンの実験施設が破壊されたのは、この発言をしてすぐの時期だった。一民間人が地球製のUFOが作れるなどと発言してはまずかったのかも知れない。反重力装置を研究している機関にとって、ハチソンは邪魔な存在となったのだ。
▼反重力装置
ハチソン効果を説明した文献の中で必ず出て来るのが「反重力」という言葉である。漢字の通り、重力に反するということで、「重力制御」という言い方もされる。
反重力装置を使って重力を半分に変化させれば100kgの物は50kgになり、重力を中和させて0にすれば無重力となって物体は宙に浮く。重力をコントロールする装置のことを意味する。
地球外UFOはこの原理で飛行していると考えられており、また、古代文明において、巨大な岩石を使って作られた遺跡は、異星人から授(さず)けられた反重力装置を使って巨石を運んだという説もある。
ただし、現在の地球上において反重力装置などは、SFか漫画の中だけの話であり、現実にはそのような物は存在しない。
しかし反重力装置が全く漫画の世界だけのものかと言えばそうでもない。
1996年の9月1日号「サンデー・テレグラフ(イギリスの新聞デイリー・テレグラフの姉妹紙)」に以下のような記事が掲載されたことがある。(抜粋・要約)
(ここから)
「科学者の大発見が重力を打ち負かした。」
世界で初めての反重力装置の全てが、フィンランドの科学者たちによって公開されようとしている。この装置の幅は約30メートルである。
この装置は、装置の鉛直(えんちょく)上にある、全ての物体の重量を減少させるという装置である。
<※鉛直(えんちょく) : 重力の方向。糸の先にオモリをつけて垂(た)らした時に、その糸が向いている方向。>
重力は、この宇宙に最も広く存在している力であり、それを制御出来るということは、交通や発電など、全てが変わってしまうことを意味する。
NASA(アメリカ航空宇宙局)はこの発表を真剣に受け止め、反重力効果が飛行手段をどのように変革出来るかについての研究に資金援助を行うようである。
この反重力効果の調査を行ったエージン・ポドクレトノフ博士によると、発見は偶然なされたという。その時、博士は、自分の研究対象である「超電導」の実験を調査チームと共に行っていた。
超電導とは、ある物質が持っている特有の性質で、超低温の状態になると電気抵抗を失うという性質のことである。
博士の発言によれば、
「その時友人がパイプをふかしながら実験室に入って来ました。すると、彼の出すタバコの煙が、実験に使っていた低温の容器の上に来ると、常に天井へと昇っていくのが見えました。
なぜそうなるのか、私たちには説明が出来ませんでした。
そして調査してみると、この装置の鉛直上にある物体には、わずかな重量の減少があるという実験結果が得られたのです。」
更にポドクレトノフ博士は続ける。
「ほとんどの科学者は、このようなことはあり得ないことだと言うでしょう。私たちも、これは何かの間違いではないかと思いました。そして実験にも細心の注意を払いました。それでもこの不思議な現象は観測され続けました。」
また、調査チームは、この装置の鉛直上では、大気圧さえも小さな減少があることを発見した。
そしてこの装置の上空にある全ての階でこの現象を観測することが出来た。
反重力装置というものは、アマチュア研究家や専門家から多く提唱されて来ているが、それらのほとんどは学会から拒絶されている。
この装置が従来のそれらと違う点は、懐疑的な目で見ている専門機関の徹底した調査を通りぬけたという点である。
この反重力効果は、長い間探し続けられていたアインシュタインの一般相対性理論の二次的効果と言われているものではないかと推測している科学者もいる。それはこの二次的効果によって、回転する物体が重力に歪(ゆが)みを発生させるというものである。
フィンランドのチームは更にプログラムを拡張し、反重力効果を増幅出来るかどうかを研究中である。
最新の実験では、この装置は鉛直上にある物質の重量を2%減少させ、その鉛直上にさらにもう一つこの装置を置くと、その倍の減少が計測されることが判明した。
(ここまで)
2%と聞いて「なんだ、それだけか。」と思った人もいるかも知れないが、これは反重力装置に向けての第一歩である。この記事が掲載されてからずいぶんと月日が経ったが、果たして現在の状況は。
反重力装置が実用化されれば、飛行関係だけではなく、重量物の輸送や建設関係なども革命的に進歩し、その用途は無限の広がりを見せる。
しかしそこまで実用化されるのは何十年後か何百年後か、果たして永久に無理なのか。そしてこの反重力装置のヒントとなるのがハチソン効果であると言われている。
▼分かれる評価 ~ ビデオの現象は本物か
▼トリック説
ビデオで撮影されたハチソン効果が本物かどうかについては、本物だと信じる人と、トリックだと主張する人とで、評価は正反対に分かれている。そしてトリックだと主張する人の方が圧倒的に多い。
ハチソン自身でさえ再現は難しいこと、第三者によって公に再現されたことがないこと、映像が粗いこと、浮き上がる瞬間の映像だけで、その後が映っていないことなどの理由で、最初は騒がれたビデオも、段々と疑問の声が上がり始めた。
中心的な現象である物体が浮き上がる現象について、トリック派は「磁石を使ったトリックではないか。」と主張する。強力な電磁石を上空に設置し、物体を引っ張っているのではないかというのだ。
また、その他のトリック説では「カメラを逆(さか)さまにして撮影した。」という説も上げられている。
上の方から物体を落下させ、それを逆さまにしたカメラで撮影する。こうすることによって実際は落下しているものがまるで上昇しているかの映像が撮れるというのだ。
しかしこの方法では、落としたものがテーブルで弾(はず)むはずであるし、水の入ったコップが、水がこぼれることなく上昇していく場面などは説明出来ない。
この説が当てはまるのは現象全体のほんのわずかの場面だけである。
また、箱型のセットを使ったトリックだという説もある。
大きな箱の中に実験用のセットを作る。テーブルを置き、その上に同じく実験の対象物となる物体をいくつも置いておく。これを撮影用のセットとする。そしてその箱の端(はし)の方にカメラを固定する。
そしてその箱ごと高い所から落とす。落とされた時から、その箱の中はまるで無重力のような状態になり、テーブルから浮き上がった物体たちが撮影出来る、というものである。
しかしビデオでは、アイスクリームが中身だけ浮き上がる場面や、コップから水だけが飛び出す場面、アルミ箔(はく)の塊(かたまり)が上昇をしながら加速していくという場面も撮影されており、この説もまた、説明できる場面は極めて少ない。
トリック説は、物体が浮き上がるという場面だけを追求したものであって、物が破壊されたり、金属の棒がねじれるように切れたり、物体が融合するといった場面は説明出来ていない。
トリック説はお粗末な説であるが、ハチソン効果のビデオが現在、トリック説の方が圧倒的に強いのは、ハチソン自身がテレビ局の取材を受けて実験をした時に、浮き上がる物体の上にかすかにピアノ線が映っていたということが致命的となっている。
実際、この現象はどうやれば起こるのか、ハチソンも大体のところは分かっていたものの、その原理を解明出来ていなかった。また、実験も成功したりしなかったり、現象が起こるのが何時間も後だったり、極めて再現が不安定なものだった。
それをテレビの取材ということで失敗の許されない状況に追い込まれ、撮影用としてそういった小細工を行ったということである。
ピアノ線のことを追求されて、実験用の器具の一つとハチソンは弁明したが、すでに信用されるような状況ではなかった。
後にハチソンは、「1991年以降、その効果を全く再現出来ていない。」と発言しており、テレビ取材で成功した現象はトリックだったと間接的に認めるような発言をしている。
いつ起こるか分からない現象を、テレビの取材ということで追い込まれての苦肉の策だったのだが、これが評価を落とす結果となってしまった。
▼本物である
ハチソンがそのビデオを公開して有名になってから、様々な機関や研究者がハチソンのもとを訪れた。
軍事産業の大手であるマクダネル・ダグラス社も1985年、8月13日と14日の二日間に渡って、ハチソンの実験に立ち合っている。
このレポートを翻訳した資料によれば、実験では、最も期待していた、物体が浮き上がるという現象は起こらなかったものの、銃身と、60ポンド(約27kg)の真鍮(しんちゅう)の円筒が棚から落ち、それと同時に部屋の反対側では、3つの物体が棚から落ちたと書かれている。そのうちの1つは重いアルミニウムの棒で、30度に曲がっていた。
また、実験用のテーブルの上に置かれたアルミ箔(はく)や磁石が移動するといった現象も起こった。
ダグラス社の報告書には、「結論として、ハチソンが彼の所有の機器を使って、放射された電場の結合によって作られた実在する現象を作り出したと信じられる。」
「現在のところ効果は、時間・場所によってランダムに起こるので、有意義な実験を行うのは大変困難である。」
「ポルターガイスト文献で紹介されるような大きな効果ではない。この現象で起きた現象はトリックではないと考えられる。」と書かれており、ダグラス社の立ち合いの実験では、ビデオに撮影されたほどの結果は得られなかったものの、大筋ではハチソン効果を認める見解が出されている。
また、アメリカ軍が施設を破壊するように指示したのも、データの返還を拒否されたのも本物であったが故(ゆえ)だとも言われている。
ハチソン効果を再現出来たのはアメリカ軍だけと言われており、詳細なデータが失われてからは、ハチソン自身も、第三者によっても、ハチソン効果は再現されていない。