Top Page  心霊現象の小部屋  No.86  No.84


No.85 心霊写真集 (1)

古い写真が多くて恐縮であるが、ここでは心霊写真と言われているものを何枚か集めてみた。

日本最古の心霊写真

哲学館(現・東洋大学)の創立者であり、妖怪学者としても有名だった井上円了が書き記(しる)したものによると、「日本で幽霊が写真に撮られた最も古きもの」は、明治11年に熊本鎮台(ちんだい)で撮られた写真であるという。

この写真は兵士が仲間の兵士を撮った写真で、その場にはいなかった兵士の姿が写ってた。西南戦争の戦死者が写ったものではないかと、当時評判になった。ただし、この写真は現在では残っていない。


現在見ることの出来る日本最古の心霊写真と言われるものが左の写真である。不気味なものが二体写っているが、大きく写っている方はちゃんとした実在の実物である。

これは明治12年1月14日付けの「仮名読新聞」に掲載された写真で、当時横浜で写真館を営(いとな)んでいた三田弥一(新聞では三田菊次郎となっている)が、ある真言宗の寺の住職である小田天領という人物を撮影したもので、現像してみると住職の姿に重なるようにして女の姿がほんやりと写っていた。

これは新聞にも報道され、当時はかなり有名な写真となった。

これ以来、大正時代や、昭和の初期にも何度かこの写真は紹介されてきたが、それらに一緒に掲載されたエピソードは記事によってどれも随分と食い違っており、解説として適切なものの判断が難しい。

「この住職が何日か前に葬儀をあげた女性が写った。」

「この住職が若い頃、妾(めかけ)を殺害し、その妾(めかけ)が成仏できずに写ったもの。」

「この当時使われていたカメラは原板(この時はガラス板)を、写真を一枚撮るごとに拭いて使っていた。この住職の写真を撮った時にはたまたま原板をよく拭かなかったために、この前に写した女性の姿が一緒に現像されたのではないか。」

といった解説が代表的なものである。

しかしその中において、大正時代に定説となっていたのは以下の話である。大正7年5月15日発行の「日本及日本人」という本にこの写真が紹介された時に記載されていた記事である。


この写真に写っている住職の小田天領は、ある質屋の娘と結婚した。しかし夫婦仲の良かったのは最初だけで、すぐに亀裂が生じ始め、だんだんと仲が悪くなっていった。妻が30歳を迎えたころ、妻は長い病気にかかり、ずっと寝込むようになった。

小田天領は、最初の頃こそ看病していたものの、だんだんと看病がうっとうしくなり、放置するようになった。ついには水さえも与えないという仕打ちを与え、妻は日ごとに衰弱していった。妻は意識も途切れ途切れになり、痩せ衰えていく中、小田天領に対する恨みがつのっていった。

「覚えていろ・・。今に必ずとりついてやる・・。」必死の思いで恨みごとをいい、間もなく妻は死んだ。

小田天領も気味悪く思ったが、それから数年は何事もなく過ぎていった。ようやく妻のことを忘れかけていた頃、田舎の母親から小田天領に手紙が届いた。

「横浜には『写真』というものがあるそうだね。お前の法衣姿を写して送っておくれ。」手紙にはこう書かれていた。

さっそく小田天領は横浜の写真館に出向き、写真師である三田弥一に写真を撮ってもらったところ、そこには自分を恨みながら死んでいった妻が一緒に写っていた。これを見て仰天した小田天領はショックのあまり、悶(もだ)え苦しんで死んだ。


今となってはどのエピソードが本当かは分からないが、上記の話がこの写真にまつわる最も有名な話となっている。




生霊
小さな人間
昭和40年代かそれ以前に撮られた写真で、ある霊能者が自分の生霊(幽体)を、奥さんの隣に座らせて撮った写真と言われている。 同じく、昭和40年代かそれ以前に撮られた写真で、小さな女の子が男子学生の足の前に座っている。多分、人間ではない。





浮かび上がる文字
山の中にて
一般的に「何かが写っている」という心霊写真ではないが、霊現象の一つとして「体に文字が浮かび上がる」という現象がある。

これは、ある女性の腕に突然浮かび上がった文字で、この文字が浮き出て来るところを第三者が目撃し、写真を撮った。

この女性には以前からこういった現象が起きており、痛みと共に文字が皮膚に浮かび上がってくる。この話を聞き、医者も交えて数人が立会い、その現象を待っていたところ、実際に文字が浮かび上がってくるという現象が起きた。

この文字は古代中国の文字で「篆(てん)書」と呼ばれる種類のものである。

この女性はそういった文字の存在も知らない人である。英語圏の人であれば身体に「HELP ME」と文字が浮き出てくるの現象は時々聞くが、この場合は日本人でありながら海外の文字が浮き出てきたというケース。
これも随分古い写真で、上と同じく昭和40年代かそれ以前に撮られたもの。

当時の心霊写真として有名になった。「霊は足がない」という言い伝えをそのまま表現しているような写真。




管理人の写真
以前いた会社内での写真であるが、バックに何か白い帯状のものが漂っている。煙草の煙にしては随分と不自然な気がする。

ちなみに写っているのは当サイトの管理人吉田であって、全然心霊現象ではないかもしれないが、自分のバックにこういうものが写っていると気味が悪い。

ページに載せれば多少気がまぎれると思って載せた。
平成元年に撮った写真で、妙な写真の代表的なパターンともいえる「身体の一部が写っていない写真」。女の子の片足が写ってない。もちろん、ちゃんと両足のある人である。

横にいるのは管理人で、当時いた会社で撮ったものである。写真撮影ということで調子に乗って肩に手を回したが、あまりいい記念写真にはならなかった。



事故現場
某新聞に記事と共に掲載された写真で、車の折れている部分に人の顔のようなものが写っている。右の写真はその部分を拡大したものである。(400dpiでスキャン)。新聞社も気づいていたはずだとは思うが。

この事故は、4人乗った乗用車が中央分離帯に突っ込み、植えてあった木に激突し、運転していた18歳の少年と助手席に乗っていた少年の2人が死亡、後ろ座席に乗っていた2人が重傷を負うという事故だった。




心霊スポット サン・ファン・ミッションの踏切
呪われた踏切として有名な、アメリカ・テキサス州のサン・アントニオにある、「サン・ファン・ミッションの踏切」で2001年に撮影されたもの。

夜、踏切を撮影したものだが、画面の左の方に半透明の人間型のものが写っている。その部分を拡大したものが右の写真である。見たところ少女が立っているように見えるが、身体が半透明で後ろが透けて見えているのが分かる。

この踏切では、1940年代に列車とスクールバスが衝突し、バスの運転手と乗っていた子供たち10人が死亡するという事故が起きている。
それ以来「この踏切で怪しい光の玉(オーブ)を見た」とか「踏切前でギアをニュートラルにして停車していたら車が勝手動き始めて踏切内に入った」とか「車に子供の手形がいっぱいついていた。」などの怪現象が報告されており、地元では有名な心霊スポットとなっている。このサイトの「世界の怪事件・怪人物」の「No.02」で書いた踏切である。




デジカメで撮影される白い玉について





左の写真は管理人が、あるビジネスホテルで撮ったものだが、赤い枠線で囲った部分に白い球状のものが写っている。

その下の写真は自分の実家で撮ったものだが、テレビの下に同じく白い球状のものが写っている。

自分も写真が好きなので、あちこちで撮っているが、この白い球状のものが写っている写真は何枚もある。

自分が初めて「この白い球状のもの」を見た写真は、仏壇を撮った写真の、仏壇のすぐ横に写っていた。

この時は完全に霊が写っているものと思ってゾッとした。しかし、これまで撮った写真の中にも他にそういったものがないかと何百枚も探してみると、この白い玉が写っている写真は他にも何枚もあった。

霊現象にしては少し多いような気がしたので、「ひょっとして自然現象かも知れない」と思って、自分が持っているデジカメの説明書を読んでみた。

キャノンIXY DIGITAL 920ISの説明書の「故障かな?と思ったら」の部分に

「ストロボ撮影時、画像に白い点などが写る。

→空気中のちりなどにストロボ光が反射しました。」

という解説があった。


このホテルの写真もテレビの写真も、そういえば両方ともストロボを光らせて撮ったものだ。

特に近年のデジカメは感度が良く、多少うす暗い所で撮っても綺麗に写るように年々飛躍的に進歩している。

空気中にストロボの光を反射させる素材が漂(ただよ)っていると、それに光が反射してこういった写真が撮れるようである。

一番下の写真は、ある会社で撮影したものだが、この時はまだ夜明け前でうす暗く、雨が降っていた。

その状態でストロボを使って撮影したものだが、同じように白い玉がたくさん写っている。

反射素材が「雨」であることは容易に想像出来る。

確かに暗い状況で撮影した写真にこういった白い玉が写っていれば、誰でも気味が悪い。

撮った写真にこういうものが写っていて、怖いので削除してしまった人も大勢いるかもしれないが、これは感度の良いデジカメ特有の自然現象であって、オーブや霊現象の類(たぐい)ではないのでご安心を。