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No.110 自殺の第一発見者には

恵子さんは、ある大学病院で看護婦をしている。

病院内の勤務という仕事に就(つ)いていると、どうしても人の死に直面する場面にはよく出会うことになる。そしてそれに伴って奇妙な体験をすることもよくあるという。

トイレで鏡を見ていると、すぐ後ろに誰かが立っているので、ハッとして振り向くと、そこには誰もいなかったり、廊下で、この間亡くなった人とすれ違ったり、などの経験は恵子さんも、たまにしていた。


ある日のこと。

恵子さんが、4階の廊下を歩いていると、窓の外の方から「ドン!」とも「ドサッ!」とも言える音が聞こえてきた。

いかにも高い所から何かが落ちたような音だった。何だろうと思って窓を開けて下を見てみると、下の地面には入院用の服を着た一人の女性が倒れていた。

手足は不自然に曲がって、うつ伏せになっており、周辺には血が飛び散っている。入院患者の飛び降り自殺だということは、見た瞬間に分かった。

「きゃあぁぁ!」

と悲鳴を上げて恵子さんはその場に座り込んだ。

開けた窓の真下に落ちていたということは、ちょうど恵子さんが通りかかった場所の真上から飛び降りたということになる。もし、あの瞬間たまたま窓の方を見ていたら、落下していく瞬間まで見てしまったかも知れない。

遺体はやはり、この病院に半年前から入院している60代の女性だった。彼女の病気はガンで、長い療養生活のせいか、最近ではずっとふさぎ込んでいて、ほとんど誰ともしゃべらないほど精神的にまいっていたようだった。

飛び降りたのは8階。やはり、恵子さんがたまたまいた場所の、真上の窓から飛び降りていた。

まともに無残な死体を見てしまった恵子さんは、普段から遺体を見なれているとはいえ、ショックで、しばらくの間食事もあまり喉を通らなかった。


そしてその自殺があって一週間後。この日、恵子さんは、夜勤だった。

夜もふけてきた23時ごろ、この時間帯、恵子さんはナースステーションにいた。

普段通りの業務を行っていると、廊下からパタパタパタと走ってくる足音が聞こえてきた。次の瞬間、ナースステーションの戸が勢い良くガラッと開いて、定時の見回りに出ていた、同僚の看護婦の美由紀さんが飛び込んで来た。

「ちょっと!私、もう、一人で見回るのやだ!」

と美由紀さんが言う。

「どうしたのよ。」

と、恵子さんが聞くと

「4階の廊下を歩いていたら、窓を誰かがノックするのよ!コンコン、コンコンって。4階なのに、誰かが外から窓ガラスを叩くの!」

「そんな馬鹿な。」

「本当よ!一緒に来てみてよ!」

恵子さんも口では「馬鹿な」と言ったが、普段から不思議な現象はちょくちょく経験しているし、この間の自殺のこともあって、「もしかしたらあの時自殺した人が・・。」といった考えはすぐに頭をよぎった。

「ね、その窓ってどこ?ちょっと行ってみましょうよ。」

美由紀さんが「2人でも怖い」というので、もう一人の看護婦に声をかけて、3人で問題の窓の所まで行ってみた。

「ここよ。この窓を誰かが叩くの。」

美由紀さんが指差した窓は、やはり、この間の自殺の時に、恵子さんが開けて下を見た窓だった。

「やっぱり・・。」

3人で立ち止まってその窓をじっと見ていると、さっそく聞こえて来た。

コンコン、コンコンと確かに誰かが窓を外からノックしている。もちろんガラス越しの向こうには誰もいない。

外に立つスペースもない。

「誰?!出てきなさいよ!」

気丈にも恵子さんは窓に向かって叫んだ。

「助けて・・。」

か細い女性の声が窓から聞こえてきた。それが誰かは、恵子さんも分かっていた。

「助けられない!あなたはもう、死んだの!」

「助けて・・。」

声はもう一度聞こえてきた。次の瞬間、窓がカラカラカラと音を立ててゆっくりと開いた。

そして突然、突風が建物に中に吹いてきた。

そして窓の外には白いモヤのようなものが漂い、それは人の顔のように見えた。だんだんとそのモヤは形を成し、誰が見ても、明らかに人の顔であろう形を形成していった。

顔の半分はつぶれている。明らかに普通の顔ではない。そして窓いっぱいに、白黒写真のように巨大な顔が広がっている。

三人とも、恐怖で凍りついた。それが誰であるかは三人とも分かった。

そして次の瞬間、恵子さんだけがずるずると窓の方に引き寄せられ始めた。脚はそのままの形を保っているのに、滑(すべ)るように窓に向かって引き寄せられるのだ。

体が窓に到達すると、今度は上半身が窓の外に引っ張り出された。

「危ない!」

美由紀さんと、もう一人が恵子さんの体に抱きついて思い切り後ろに引っ張った。引き寄せられる力よりも三人の力の方が上回ったようで、三人とも後ろにひっくり返ってしまった。

「あなたはもう、死んだのよ!どうにも出来ないわ!」

もう一度、恵子さんが叫ぶと、その瞬間から窓の外の白い顔は次第に薄くなり、やがて消えた。

幸いにも、それ以上のことは起きなかった。

三人とも「ハァハァハァ」と息が上がり、

「見たわよね、今の。」
「引っ張られたわよね、恵子・・。」
「怖かった・・。」

何とか収まったものの、こんなことを入院患者の人たちに伝えたら、みんなが恐怖に陥(おちい)るので、そんなことは言えない。

翌日上司にだけ報告しておいた。

「今度はそういうことがあったか・・。君たちもそのうち慣れるだろう。」

とだけ言われ、それで終了した。上司の人もこの病院勤務が長く、こういった報告には慣れているようだった。

看護婦の間でだけ、この話は伝わったが、話を聞いてみると、4階の窓のノックの音を聞いていた人は他にも大勢いることが分かった。

そしてこの一件以来、窓のノックの音は誰も聞かなくなった。

だが、恵子さんにだけは相変わらず聞こえていた。あの廊下のあの窓の横を通ると時々ノックの音が聞こえ

「助けて・・。」

という声も聞こえてくる。


他の人の前には現れなくても、自分の死に立ち会った、特定の一人だけにはいつまでも関わってくるようだ。



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