TheLastBreath「Prelude」4
銃を向けられ、なおかつ狙撃されたならばするべきことはひとつ。
弾が当たらないことを祈りながら、ただひたすら避け逃げるか障害物に身を隠してやり過ごすか。迎撃するか否かはお好みに別れる。
「お前外から来たって言ったよな?どーせ結構な犯罪でもして逃げてきたんだろ!?」
「まさか!僕のしてることが犯罪な訳がない。この街を解放しに来ただけだ」
例の死体まで構っている余裕はもはや微塵もなく、惨憺たる赤絨毯と化した現場を放り出してヒュー(とおまけ)はひたすら何者かから全速力で逃げていた。そのすぐ頭上で、デニスと名乗った少年が低空飛行をしながら襲いかかる弾の全てを受け止めている。皮膜の起こす風圧が酷くて呼吸が辛いが、弾が当たらないだけマシだ。
こんな気流も無く狭い路地でどうやって飛んでいるのか、そもそもあの翼は本物なのか、という物理的に真っ当な疑問すら抱いている余裕も無い。
全ては、面倒事に巻き込んでくれたこの少年の所為だ。
「デニスー!よくも俺を巻き込んだな!!何故俺なんだ!」
「さぁ、それはまだ良く分からないな」
「よく分からないで済ませるな!…げほっ!」
全速力で疾走している上に風に呼吸を邪魔され、ヒューは喚くことすらまともに出来ない。刺激のある人生を求めていたのは認めるが、こんな無茶苦茶な展開を楽しめというのは神も随分とぶっきらぼうである。
上空でデニスがのんびりと言った。
「僕の直感は大抵正しくてね。導かれた先にあの死体があり、ヒューがいた。死体から僕の欲しい情報が手に入ったのはまぁ予定外、きっとヒューに引き寄せられたんだ。僕の役に立つ──そう思ったから助けた」
こちらは翼で飛んで息切れをしていない分、随分と流暢に言葉を並べてくる。
「あー…そんな適当な理由で命拾いしたのかよ…っ」
「適当ではないよ。今までもそうやってきた」
かぶりを振り、少年は更に高度を下げてヒューの斜め後ろに並ぶ。その間にも翼は揚力を保ったまま器用に変形を繰り返し、背後からの弾を全て沈黙させている。
──背後からの狙撃さえなければ、こんな奴とはさっさとおさらばしたいところだが。
そう思われているとは露知らず、デニスはヒューの顔を眺めながら続ける。
「よく分からないのは本当だが、ヒューからは何か…うん、特別なものを感じる。この街を救う大事な要素には違いないと」
「俺は何時職業を救世主に乗り換えさせられたんだコラ」
SF話もここまでくると一冊の本になりそうで、ヒューは半ば呆れ顔で言葉を遮った。
「救世主ごっこなら、べ、別の奴とやってくれ。意外と就職難だぞこの街は、だからすぐに、ひ、ヒーロー気取りも捕まるだろうよ」
「人格だとか身の上は関係ないよ。これはアトランダムに決まる。ひとつの街に必ず一人いて、僕はその人間を利用…いや半ば強引に協力してもらって、街の何処かに隠された『鎖』という機械を破壊するのが役目だ」
「あれ?『鎖』っつーのは…けほっ、馬鹿連中共が回している薬のことだろうが」
利用とかいう人聞きならない部分はさておき、聞き覚えた単語が意外な意味で使われ、ヒューは思わず聞き返す。それに対し、デニスはつと眉根を寄せて否定の表情を浮かべた。
「僕が知っている『鎖』という単語は機械の名称を差す。薬ではない」
「俺が知っている『鎖』っつー単語は薬品の名だ。俺は出所を探してただけなのに…ああ畜生…げほっ…なんで撃たれにゃならん…」
「ふうん…」
小首を傾げてデニスが難しい表情をする。何か思い当たる節でもあるのだろうかと見ていたが、思考が巡りきらなかったらしくかぶりを振って飛行に集中し直した。
内心ヒューも興味を惹かれてきていた。つい先刻も散々な目に遭っているのだが、好奇心が勝るのはこれはもう性分だから致し方あるまい。
この一連の薬騒動、どうやら面白いことになるかも知れない。面白くなかったら手放すつもりだったがこれは逃すべきではない。生きて帰れたら洗いざらい喋ってもらおうか──混乱する頭の隅で、余裕を残す部分がそんな不遜な考えを宿す。
二人の走る景色は、そろそろ人波うねるストリートに向けて俄に明るさを宿しはじめていた。
背後から迫り来る殺気にも、やや焦りが伺える──ように思えた。
「ヒュー、鎖についてはまた後でゆっくり話す。もうすぐ大通りに出るぞ。連中も人目に見つかりたくないのは僕と一緒だ、人混みに入ってしまえば取り敢えずはこっちの勝ちだ」
「ほ、本当だろうなぁ…おい」
視野がブレる。そろそろ息苦しくて倒れそうな分、その推測は有難い。ただどちらかといえば、群衆共々皆殺しにされそうな気がするのだが。
「少しは僕を信じろ」
最後に何発か弾を弾き返した後、デニスは翼を畳んで地上に降りた。そのままヒューの手を引っ張って大通りに向かって全速力で走り出す。これがなかなか素早くてヒューは驚いた。
ああ、こいつちゃんと走れるじゃねえか──
酸素不足で鈍る頭でそんなことを考えながら、ヒューはデニスに引きずられるようにして大通りに転がり出た。
「ぐあっ!」
デニスの引っ張る力が思いの外強く、路地から抜け出るや否や足が縺れてヒューは道路にもんどり打った。拍子にヨタカ殺しの男に撃たれた右肩を打ち付けてしまいこれがとんでもなく痛い。近くにいた人々が何か奇妙なものを見る目で眺めては通り過ぎていくが、それに構っている余裕がない。
焦っていてあまり意識していなかったが、相当の距離を全速力で走り抜いたのだ。意識した刹那に襲いかかる身体の負荷と肩の痛みに、ヒューはぜいぜいと息を吐くしか出来ない。
訝しむ人々を適当な言い訳でもってやり過ごしながら、デニスは今来た路地を覗き込んで大きく頷いた。
あれほどしつこかった銃声の追尾が、ぴたりと止んでいる。
「やっぱり…追い掛けてこないな。助かったぞ、ヒュー。って大丈夫か」
「ずっと足で走ってきた人間に……ちっとは労いの言葉は無いのか…」
精一杯の毒を吐く。人目も惜しまず仰向けに転がったヒューの淀んだ視界に、そびえ立つ無機質なビル群と月しかいない空が拡がる。普段は何気なく通り過ぎているこの景色は、改めて見ればなんと味の無い世界だろうかと思う。
「…で、これからどうする訳」
まだキリキリと痛む肺腑を労りつつも、ヒューはデニスに問うた。
まるで流行もへったくれも無視した服装ながら、少年は器用に群衆に馴染んでいる。
「そうだね、あの駒共は群衆がいては迂闊に動けない…世間様に正体が知れては少々厄介だからな。が、それは僕も同じ。この状態だと互いに一進一退、少し有利になっておかないと丸腰のヒューを護りきれない」
「俺だって一応銃持ってるよ…。なんか色々あって一回もヒットさせてねえけど。状況は分かった。…だーかーらー、どうしたいんだ」
「差詰め──」
顎に指を沿えて小首を傾げ、この時ばかりは実に子どもらしい仕草でデニスはにっこりと笑った。──口端から覗いた鋭い牙が余計だったが。
「ヒューの住処にでも転がり込もうか」
「…俺の家を殺陣の舞台にするな」
ヒューはげんなりと呻いた。
「今帰ったら蜂の巣じゃないか。追い掛けてこないって言ってもまだその辺に潜んでるとか人混みに紛れてるだけなんだろ。ついてきたら意味無えわ」
「それは後片付けすれば済む話だ」
後片付けの意味は、言わずもがなだ。
「じゃあ任せるから早いとこやってくれよ。俺はもう疲れた」
むくりと上体を起こし、背中の土埃をはたき落としながらヒューはぶっきらぼうに言った。
「もう僕が何者だとか、やってることが犯罪紛いだとか、追っ手については突っ込まない訳?」
丸投げでしかないヒューの言い様にデニスは苦笑を浮かべる。
「あー、それはなんかもう考えない。考えるだけ混乱しそうだから命の保証をしてくれるんなら好きにしろ」
「OK。ヒューがなかなか適応力のある人間で助かったよ」
適応云々というよりも、本当に単純に疲れたからなのだが。
ここまで巻き込んでくれた上に自宅にまで乗り込もうというのだから、後片付けが如何なるものかはともかく、ヒューはもうこの少年と別れる気にはなれなかった。このまま引き下がってはこちらの丸損だった。
面白そうだ。一言でいうならこれに尽きる。
退屈な日常を生きるより、刺激欲しさに非日常を望むあまり自ら面倒事を引き寄せるヒューである。こうなれば流れるまま流れろという気分だ。
ふとデニスを見上げる。変な少年は楽しそうに笑いながら、道路の向こうからやってくる何かにぶんぶん手を振って招いていた。
彼方から流れる車のエンジン音を引き裂き、ドドド、という爆音が次第に近付いてくる。爆音というよりは轟音に近い。
「あ…?」
遠くに見えたそれはバイクのようだった──が、果たしてそれをバイクと呼称してよかったのだろうか。
それは人一人を一撃で轢殺してしまいそうな巨大なタイヤを前方に従えた超大型二輪だった。桁違いの大きさは既にモンスターマシンの領域に入る。それが器用に車の間をすり抜け、追い抜かれた車の金切り声に近いブレーキ音を引き連れやってくるのだ。
「うわ…」
スタントマンばりの運転技術を見せつけ、漸く鉄の巨躯が路肩に停まる。
なんだこの化け物は!と言ったかどうかは知らないが、今度は周囲の群衆も一様に総立ちだ。
視界に収まりきらない程の大きさの車輪を目の前にヒューや群衆が唖然としていると、沈黙した運転席からすらりとした足が伸びてきて地に踵を穿った。
「やぁヴァイク。ちょっと遅かったね」
美脚の持ち主にデニスが親しげに話しかけた。
「探しまくったよ──貴方が予定外の動きするから。言われた場所でスタンバイしてたら別の路に出るのだもの…この二輪じゃあんな狭い道破壊しかねない」
「遠回りさせて悪かった。ちょっと予定外の攻撃を受けて。もう気付かれたらしい」
「…そう」
なんとも艶やかな声音でもって、美脚の主は嘆息する。
ヴァイクという発音がヒューの知りうる単語の発音と微妙に違っていて、流れからするとどうやらそれがこの女性の名前らしい。
デニスと比べると随分年上だ。もしかしたらヒューと同じか更に年上かも知れない。
黒で統一されている、全身のラインを際だたせるような革のスーツ。黒に映えるブロンドが良いアクセントになっている。重ねて類い希な美貌ときたものだから、群衆の誰かが恥も無くごくりと生唾を飲むのが聞こえた。
ぱっと見はとんでもなく扇情的な女性だ。こんな町中に転がしておくのが勿体ない。が、この華奢な女の身体があの化け物じみた二輪を乗りこなしていたとなると、そんな桃色の気分は一気に吹き飛んでしまう。
この流れでいくとどう考えたってただ者であろう筈がない。
「で、…今度は何者」
もはや少々のことでは動じないヒューは、感嘆とも呆れともつかない声色で聞いた。
明らかにヒューの存在を忘れていただろうデニスが思い出したように振り返る。
「ああ、紹介が必要だったな。ヒュー、これは僕のサポートをしてくれてるヴァイク。ヴァイク、この犯罪者みたいな顔した男が ヒュー。これでも警官。僕達の役に立つかも知れない第一号だ」
「どさくさに紛れて変な紹介をするな」
「ふーん…貴方が役に立つかも知れない人間、か」
「このガキが勝手に思ってるだけかも知れないがな」
「で…警官…?」
やはり彼女も警官という節で怪訝に思ったらしい。寄りによって第一印象が浮浪者のようなずたぼろの格好では、名乗った職業を疑われても当然だ。
「服装は気にするな。成り行きでこうなってるだけでいつもはその…割にまともだ」
普段から犯罪者と間違われれているというのはこの際言わないでおく。
「にしても…二人並べると随分不釣り合いな光景だな」
「よく言われるわ。嗜好の違いだから仕方ないけど」
夜風で乱れる髪を整えながら、ヴァイクが淡々と答える。
「じゃあヴァイク、先にヒューの家に行っててくれる?僕はまだ片付けが終わっていなくてね」
ヴァイクの説明も漫ろに、デニスは半ば押し付けるようにひらひらと手を振った。
「分かった。くれぐれも下手に出ないようにね」
「大丈夫。僕にあんな雑魚を差し向けたことが愚かなんだよ」
余裕をかましてはいるが、置いてきた先程の刺客が気になっているらしい。相手が武装している分不利に思えたが、銃弾はまるで効かなかったし、今までは敢えて守勢を貫いていたに過ぎないのだろう。正直こんな横柄な態度の人間がそう簡単に負けるように見えない。付け加えるなら、少年が人間かどうかすら怪しくなってきていたが。
「また後で。…そこ、邪魔だよ。退いて」
未だ壁を成す群衆の一角を乱暴に押し退け、数多の視線に見送られてデニスは再びハイウェイ下街に戻っていった。
あれだけ周囲から浮いた姿をしているにも関わらず、群衆は少年が消えたのを機に、一人また一人と人垣から崩れ、帰路の流れへと消えていく。
やがて誰一人としてデニスは疎かモンスターマシンやヴァイクにも関心を無くしていなくなった頃、少年の消えた路地を眺めるヒューにヴァイクが問うてきた。
「ヒュー…って言ったっけ。貴方、大型二輪等の免許持ってる?」
「んあ、趣味で一応は。…ってまさか、コレ運転しろってか」
「そ」
慌ててヒューは大型二輪に上から下へと這わせた。確かにこれから徒歩や交通機関を使って帰るよりかは早いし金もかからない。が、よりによって得体の知れないマシンに乗れというのは少々頂けない。今時改造車が街中を走っていても珍しくはない(もう規制も追い付かなくなり事故を起こさない限りは暗黙で許されている)が、これはもうカスタムの域を超えている。
口端を引きつらせながらヒューは聞き返す。
「これを二輪とカテゴリするのが間違ってる。俺なんかに任せるより無難に持ち主が運転するべきだろ」
「女が運転するバイクの後ろに男が乗ってたのでは絵的に可笑しいでしょう」
至極当然のようにヴァイクが答える。
「そりゃあ…変だし情けなさ抜群だが」
ヴァイクのように存在感が有りすぎる女性でなければ、絵的に可笑しいとまではいかないのだが。この女性の後ろに座る自分を想像し、ヒューも首を捻らざるを得なかった。
懸念を払拭するかのように、ヴァイクがフォローを入れる。
「安心して。成りは大きいけれど操作方法は普通のとまるで変わらないから」
「…」
どうしても乗れということらしい。渋々ヒューは勧められるがまま席に腰を落とした。
不思議なことにいざ座ってみると、先入観とは異なりそれはまるで誂えたように身体にしっくりと馴染んだ。
思わず感嘆の声をあげる。
「ほぉ…小回りが利くかはともかく乗り心地は悪くないな。部品も…形は違うが何者かは分かる」
「気に入ってもらえて何より。じゃ、家に向かいましょう」
回答を聞くや否や、ヴァイクは軽々とヒューの後ろに跨った。何ら躊躇いなく腰に手を回され一瞬ぎょっとしたが、こうしないと危ないのだから致し方ない。
「…。やれやれ…」
見様見真似でキーを探り当て、エンジンを叩き起こすと、心臓を狂わせるようなあの轟音と共にモンスターマシンが息吹いた。思ったよりも軽い車体を傾けてアクセルを踏み込むと、大型二輪は白煙を上げて勢い良く大通りの流れへ飛び込んでいった。
こうしてやはり面倒事に巻き込まれたヒューだったが、言うまでもなくどれ程の騒動に巻き込まれたのかはこの時知る由もなかったのである。
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