TheLastBreath「Prelude」3

TheLastBreath「Prelude」3

 銃を下ろせ、と対犯罪者お決まりの文句を言おうとしてヒューは戸惑った。
 突如空から飛来した翼の主は少年の姿をしていた。滑らかな銀髪とぞっとするような真紅の瞳、そしてその服装はまるで場の空気を読まない小綺麗な格好である。
 人は見かけによらないと言われても、とても銃を持っていそうなキャラクターではないように見えた。
 おまけに、仮に銃を持っていたとしても『上げて』いないのだから言い様がない。
 悩んだ末、痛む右腕に銃を携えてヒューはぽつりと呟いた。
 「いきなり何者だ、お前」
 尋ねられ、じっとヒューの視線を捉えるそれは酷く愉しそうな顔をしていた。
 だが少年の口元が綻んだ瞬間、思いもよらない言葉が返ってきた。
 「フン、失礼な言葉遣いだな小僧」
 「なっ」
 どっちが失礼だ!!!
 明らかに目上は愚か初対面の相手に対しての発言ではない。容姿にすら反したあまりに高圧的な言葉に、ヒューは我を忘れて激昂──しそうになって踏みとどまった。
 ここで怒号を吐いては負けである。
 ヒューは無理矢理トーンダウンした声で言った。
 「ちょっ…小僧はねーだろ。お前自分の姿知ってて言っているのか?」
 「勿論だよ。だから言っている。目に見えるものだけが全てではないよ?小僧」
 「だから小僧は止めろ」
 ヒューの反駁をまるで意に介さない様子で、少年は足元の死体に視線を向けた。
 肉塊の生死にはまるで興味なさげにぽつりと呟く。
 「やれやれ…『これら』は相討ちになったのか」
 見かけに反した淡泊な口調が酷く気味悪かった。
 「お前こいつらとどんな関係だ」
 「対人的な関わりは全くない。ただ…こっちの小太りな男には個人的に用がある。これは別に生きてても死んでても関係ないから問題はない」
 小太りな男──薬の売人をしていたヨタカのことらしい。
 淡々と続ける少年の言葉を読んで、ヒューは彼の用事が薬の催促だったのではないかと思った。頭上から翼を生やして登場したり姿形が奇抜なのも、薬でセンスがイカれてしまったのだと思えば納得がいく。
 紅い瞳に嫌な寒気を感じたが、よくよく見ればただの子どもだ。こんな時間にこんな界隈を彷徨くのも、幼くして薬の犠牲になってしまった可哀想な奴だからだろう。
 「まぁ…その、なんだ」
 「ん?」
 念のため銃は構えたまま、ヒューは懐の手帳をひらひらとかざして見せた。
 「死体には触れるなよ。こいつがまだ売れ残りの薬持ってても現場は荒らすのはよくない。別の薬で我慢するか大人しく補導されて留置所に入れ」
 「何を言っている」
 「だーかーら、俺はこれから自警ンとこに通報して詳細を話したら明日に備えて帰るんだ。帰って飯食ってテレビ見て寝る。勤務外だからな!お前は現場を荒らさないで明日俺に補導されるか、今すぐ補導されるか選べと言ってるんだ」
 「…どっちにしろ捕まえる気満々だな」
 少年はくすくすと笑い、向けられた銃などお構いなしに死体の側にしゃがみ込んだ。何をするかと思いきや、地面に撒き散らされた血溜まりに指を浸しそれを徐に口元に──
 「ちょっと待てぃ!?」
 少年があまりに自然とやってのけるものだから、ワンテンポ遅れてヒューは牽制をかけた。肝心の指先はぱくりと咥えられてしまいもう 手遅れだったが。
 「どうした小僧」
 けろりとした表情で少年が笑う。
 「ええい小僧も止めろ!しらばっくれるな、俺が今『現場を荒らすな』と言った矢先に何故堂々と荒らしてんだ!指咥えるな舐めるなッ!!」
 「荒らした内には入らないだろう?死体に埃が積もるのも現場荒らしになるのか?」
 「そんなのは環境に聞けっ!!」
 声を荒らげるヒューを余所に、口端に付いた血をぺろりと美味そうに舐め取ると、少年は至極馬鹿にしたように目を細めた。
 「何か勘違いしてるようだが小僧──」
 「だから小僧じゃねえ。俺にはヒューという名前がある」
 いい加減小僧呼ばわりもウンザリしていたヒューはそこだけはびしりと訂正した。
 「ヒュー…?ヒ…ヒュー…うん、こうか」
 少年はきょとんとヒューを見返すと、口の中でもごもごと名前の発音を確かめてから続ける。
 「じゃあ…ヒュー。言い訳を聞いてくれるかい?僕は薬が欲しくてコレに近付いたんじゃない。そんなものはどうでもいい。コレの遺伝子に紛れていた情報を『回収しに来た』らたまたま死んでただけだ」
 「いきなりマッドな言い訳だなおい。何処のしょぼくれたSFの話だ」
 ヒューはぴくりと眉を上げた。
 「まぁ、今はそういう現実もあるんだということで納得しておけばいいよ。あ、情報は回収出来たからもうコレらに用はない。通報なりなんなりするといい。僕のことは内緒ね、お決まりのパターンだけど」
 情報とか何とか方便垂れておいて、結局実はただの血液嗜好だろうな──ヒューは未だ懐疑的な目で以て少年を睨め付けた。だが発言はトンデモな内容でも、どうも薬で頭が可笑しくなっている様ではない。高圧的な言葉遣いは腹が立つが。
 『鎖』と呼ばれる例の薬を服用した者は、まともな言葉も発せずにただ呻いているだけだった。
 それに比べれば少年の状態は正常に近い。素で頭が可笑しいのか、或いは本当に真実を話しているのかのどちらかだ。
 「内緒とか普通に無理だろ」
 ヒューは当然の言葉を返した。
 「僕のことは内緒ね、って、そんなことしたら俺は色々責められて即クビだ」
 「クビ?そういえば手帳を見せたな…手帳を見せたということは、ヒューは何か仕事をしているのか?」
 「下っ端の部類に入るがこれでも警官やってる」
 「ふうん。この街のケイサツの人間なのか…?」
 警察という単語を酷く片言の発音で読み、少年はヒューの全身を上から下まで訝しげに眺めた。
 そういえば薬の情報を探る為にわざわざ浮浪者のように着崩していたのだった。これを自警の人間と判断させるのはいくら何でも無理がある。
 面倒臭そうにヒューは答えてやる。
 「そうだよ。ちょっとした悪ふざけでこっそり単独行動すんのに変装してこのザマだよ。それから警察って呼び方は古いなー。この街じゃあ今は精々自警呼ばわりで──」
 「ジケイ?なんだそれは」
 「……え?」
 「なんだと聞いた。この街の個性はまだよく分からない」
 さらさらと答えていたヒューははたと気付いて言葉を止めた。
 少年の言葉はまるで初めて聞くとばかりの音色だった。
 国という単位が消滅したのはヒューが生まれるより遙か昔の話だ。街の機関が公僕の意味を失い、ただの集団──それもただの企業のような形に成り下がってからは、警察もまた嘗ての権威は殆ど失われ、呼び名も萎縮して久しい。
 今や警察を始め公僕を差す多くの単語は教科書の文字としてしか存在しない。
 「おい、ちょっと待てよガキ」
 自警という単語を知らない上、この血液嗜好の少年はちょっと前までこの街にはいなかったような口振りだ。
 まさかとは思うが。
 「おいガキ、お前外から来た…のか?」
 「…だったらどうした?」
 訝しむヒューの問いに、少年はあっさりと肯定の意を述べた。
 間髪入れずヒューは否定する。
 「頭が可笑しいのは分かったから、それ以上馬鹿を言うな。外は動物は愚か人間さえ住めない死の世界だろうが。そんなとこ通ってどうやって此処に来たっていうんだ」
 国が消滅したという話には続きがある。それは戦争の名の下展開されたロストテクノロジーが、国土の大半を不毛の毒地と変え、その毒地の牙から逃れた土地を一種のバリアのようなもので包み込み、現在のような閉鎖的な状態に包み込んでしまったというものだ。
 そして、この街はその残された土地のひとつといわれている。その話が真実なのか御伽話なのか分からなくなるほど時代が過ぎても、街の外は水も空気も無く、一歩踏み出すだけで忽ち死に至らしめられる猛毒の世界が拡がっているのは事実だ。
 今でも興味本位でこの陸の死海を越えようとして命を落とす者が後を絶たない。
 「普通に。飛んできた」
 少年が三度トンデモ発言をするのを聞いて、やはりまともな返答を期待するのは愚かだったとヒューは嘆息した。
 「ああ…そうだな、飛んできたんだな。なんかさっき翼出てたもんなーはいはい」
 もはや構ってられないと、ヒューは懐から携帯電話を取り出した。
面白そうな面倒事ならともかく、今日はもう疲れているのだ。死体も少年もさっさとカーシー達に引き渡して、肩の荷を下ろしてゆっくり休まねば損になる。先刻の銃声で野次馬がやってくるのも時間の問題だ。
 と、電話のボタンを押すヒューを尻目に少年はすたすたと踵を返して歩き出した。
 手を止めて慌てて呼び止める。
 「何処へ行く」
 銀髪を掻き上げ、少年は首だけ振り向いてにたりと笑った。
 「僕はそろそろお暇するよ。忙しいようだし」
 「待てコラ!死体放置して勝手に逃げるな!!まだ無関係って決まった訳じゃないだろうが!」
 「どう見たって僕は無関係だろう?ただの通行人だ」
 「死体の血舐めておいて何がただの通行人だー!!」
 肩の傷が痛みさえしなければ、威嚇射撃くらいは軽くぶっ放してやるところだ。取り敢えず身柄くらいは確保しておかねば、頭の飛んだ少年のことであるから別の面倒事を引き起こすのは目に見えている。
 だが刹那、それまで余裕さえ伺えた少年の顔から途端に笑みが失せた。あの真紅の双眸が最初に見た時と同じように射竦めるような光を放つ。
 きょろきょろと周囲を見回すその口元がうっすらと開かれ、鋭い一対の牙が見えたが──翼を見せられた後であるからこれはもう驚かない。どうせまたコスプレの類だ。
 何かを警戒するような少年の仕草に、思わずヒューは尋ねた。
 「…どうした?」
 「うん、思ったより早かったな」
 「──は?」
 咬み合わない答えにヒューが聞き返そうとした瞬間──
 足元で火花が爆ぜた。
 (まずい!!)
 それが銃弾だと気付いた時は既に遅い。刹那には畳み掛けるように上空から弾が降ってきた。足元の石畳がバチバチと音を火花を散らす。
 路地裏の行き止まりの狭い空間、それも隠れる場所のない所で集中砲火を浴びては1分と経たず蜂の巣だ。
 「くそっ!!」
 不意打ちしてくるとは、ヨタカを殺した男の仲間だろうか。相手の姿を捉えられず、それでもヒューは左腕に銃を持ち替えただ闇雲に上空に向けて撃つ。
 その傍らで、少年は焦るヒューを小馬鹿にしたように眺める。
 「利き腕が痛むんなら無理をしない方が得策だよ。それに鉛弾に鉛弾で応戦したら、相手が見えない分不利でしょ」
 「あぁ!?何処が不利なんだよ!」
 「まぁそうぴりぴりするな…見ていろ」
 二人して的にされているというのに、笑みこそ無いが紅眼の少年は随分暢気に天を仰ぐ。その背中が俄に大きく捲れ上がると、最初に見たあの翼がずるりと這い出てきた。闇を透かし込んだようなそれが合わさるように重なり、二人の周囲に覆い被さる。
 「!?」
 爆ぜていた石畳が大人しくなる。代わりにぶつ、ぶつと嫌な音が何度も皮膜を叩いた。が、風圧にすら負けそうな薄翼は意外と頑丈なようで、被弾して傷だらけになりながらも弾を全て受け止めた。
 怯んだのか、何者かの攻撃が止まった。
 「銃弾の威力なんてこんなモンだね」
 血を滴らせる自分の翼を愛おしそうに撫でながら、酷く満足そうに少年が呟く。
 「…」
 「ヒュー、生きてるか?」
 「…。…生きてるよ…。俺が無駄弾撃つ前にやってくれよ…」
 一方のヒューは、助けられたことそっちのけで、突然狙撃されるわろくに銃を構えることも撃つことも出来ないわで相当ナーバスな気分になっていた。おまけに通報しようとしていた二つの死体は見事に流れ弾を食らい尽くして酷い有様だ。この惨状を仲間にどう伝えろというのだ。
 腹立たしげに少年に呪詛を吐く。
 「今のは何だよ…つーか誰だ」
 「アレは多分、僕をこの街から追い出す為に来た歩兵駒だろうね」
 現に銃で狙われたというのに、警戒こそするものの少年は相変わらず余裕の素振りだ。
 「少々危ない橋渡りしてるのは否定しねえが、俺まで命狙われる覚えはないぞ?お前狙いならお前だけ狙うように言ってくれよ」
 「あんまりな発言はともかく…今更僕と無関係だと駄々捏ねても無駄のようだよ?随分長いこと話し込んだ後だし、向こうはヒューが僕の仲間だと思い込んだようだ」
 「迷惑極まりないことするなっ!!──って…。まさかお前」
 ここまでくると、さしものヒューでも自分の置かれた立場が何となく分かってきた。
 してやったりとばかりに少年がにやりと笑う。
 「巻き込んでしまって申し訳ない。これも縁だと思って諦めてくれ。僕の『直感』がお前を引き合わせたようだしな。まぁ、大人しく諦めて僕に従え」
 ──やっぱりだ。巻き込みやがった。
 朝から振り回されっぱなしの粗暴自警官は喚き散らした。
 「ええい俺を何だと思ってやがるんだこのガキ!直感だか何だか知らないが死体の血舐める変態小僧の仲間にするな!目的は何だ!しかも偉そうに!俺をどうしようってんだ!!」
 「あ、それからヒュー。僕の名はガキではない」
 上空の何者かが再び攻撃に出た。今度は的確に狙い定められて撃たれる弾の軌道からヒューを翼で庇いながら、少年は独り空気を読まない言葉を続けた。
 「デニス・クロイド。それが僕の名だ。覚えておいてくれるかい?」
 すっと細められる少年の縦長の瞳孔が、それこそ気紛れな猫の体を表しているようでなんとも腹立たしかった。

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