過去・現在の西高周辺の風景

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ヒョッとするとノコノコとデジカメを持って行くかもしれませんよ・・・。
下関西高正面・・・と思う(なにせ私は西校に足を踏み入れたことは有りませんので・・・・)

撮影日99/03/10
下関西高正面玄関・・・と思う
人に聞いた話ではだいぶ前に旧校舎から建て替えられたらしい。

撮影日99/03/10
3 ぺーじtop↑
下関西高裏門・・・と思う
ここから、裏山に細い獣道みたいな道路を登り次の4番写真を撮影した。

撮影日99/03/10
下関西高グランド(裏山から)
この撮影日(99/03/10下関地区は、前日、高校の入学試験でした。)には野球部だけがショボショボと練習に励んでいた。
他にもクラブが有りそうなものに人影なし
戦場ヶ原
ここで、昼飯の早弁をした人がいるとかいないとか・・・
でも、色気が皆目ない同級生(♀)と清いデートをした人は皆無だと思いますが・・・。

撮影日99/03/10
6 ぺーじtop↑
東駅から旭方面
正面の建物が西校らしい
この場所界隈はこの10年でゴロッと変わりました。

撮影日99/03/10
赤間神宮

このホームページの管理者が唐戸に住んでいますのでついでに以下の写真を掲載します。
撮影日99/03/10
関門橋
対岸は門司港のめかり公園です。小学校の時、遠足で関門トンネルの人道を通って行ったのでは・・。そのころ、子供は通行料5円。今は、大人も子供もタダです。
いまでもトンネルの中のエレベーターで降り、ドアが開くとヌメっとした空気は昔と同じです。

撮影日99/03/10
9 ぺーじtop↑
唐戸桟橋
ここは、昔と相当変わっています。
唐戸市場(左の建物)が年々さびれて、この関門汽船を利用していたかつぎの「魚屋のおばちゃん」は、1人もいなくなりました。

撮影日99/03/10



10
南部町郵便局
この、唐戸の交差点は昔(20年くらい前)とあまり変わっていません。

撮影日99/03/10

南部可郵便局

文 吉岡一生(99/04/23 週間サンデー下関)

 大正12年に下関に来ている平林たい子の作品『砂漠の花』に『下関一の大きい市場のそばにある三等郵便局―略―履歴書を持って行くと、さっそくあってくれた局長は、話好きで快活なおじさんだった。彼は、私の腹が少し目立っているのを見ぬふりをして簡単にやとってくれた。−略−が、給料が月十六円というお話にならない金額であった。』という一節があります。
 明治33年(一九〇六)11月に建てられてから、本年は99年、白寿となる下関南部町郵便局(南部町22、藤岡照和局長)は、このほど軒飾りなどの復元をあわせて耐震改修など、21世紀に耐えるリニューアルを終了し見学会がありました。
 明治4年に郵便制度が創設されると同時に、下関には、西の端に赤間関郵便取扱所が設置され、同16年には逓信出張所を兼営する、赤間関最初の洋館が外浜町に出現して移設しました。
 その頃から、下関は日清講和条約の舞台になったり領事館が進出、馬関駅や上水道の着手など、さまざまに国際化、近代化が進んでいました。
 明治33年、逓信省の技師。三島四郎の設計で、煉瓦造二階建て瓦葺、白漆喰塗横目地壁のネオクラシックで美しい建物が新築されたのが現在に残る局舎で、再移転でした。
 戦中は、防空対策で黒色に塗られたこともあったそうです。戦災はまぬがれ、幾度かの改修はあったものの本体は建設時のまま。今回は、耐力とともに歴史的な場所の遺産、地域との交流など、総合的な検討を重ねられ、一部を補強して保存することになったと聞きます。
 全国でも現役最古の局、『情報、安心、交流を信念にその拠点として親しみのある局として活かしたい』との、局長あいさつが印象に残りました。

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旧英国領事館
昔はこの中に入れませんでしたが、今は市の所有物となっており一般の展示会場や会合場所に公開しています。

撮影日99/03/10
12 ぺーじtop↑
旧秋田商会(唐戸交差点)
現在、下関市が買い取って公開しているらしい(あまり近くなので見に行く気が起こらないです)
撮影日99/03/10
13 西高周辺の地図
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