2008年3月〜7月留学日記     
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                平成20年3月〜7月 蘇州大学留学生日記

  《3月4日 出発》
  3月4日12時、下関港を出航後4時間、船は玄界灘を航行中である。このまま走り続けて目的地に着くのは明日5日17時である。 約30時間の船旅となる。
  私が乗っているのは一番安いクラス(片道15000円)2等B船室、雑魚寝クラスである。 乗客定員は450名、本日の乗客は20数名ではなかろうか。こんなので儲かるのかなと思う。もともとは青島に週3便出ていたものを昨年から2便にし、 1便を蘇州(太倉)に切り替えたそうである。・・・・ともあれ明日の夕刻までの間船旅を楽しむことにしよう。玄界灘で夕日を見る。
  25歳から61歳まで給料を運び続けてきた。Uターンした時の3ヶ月以外欠かしたことはなかった。「もういいだろう!」 (これは自分を甘やかす言葉)一度自分をリセットし、もう一度自分の人生を構築しなおしてみたい。子供のため、家族のためにアクセクするのは、 もうたくさん。今後は自分のために自分の人生のために一歩を踏み出す。こう言うと「今までの人生なんだったの?」となりそうである。
  今は語学習得の志に燃えている。中国語をマスターすることに情熱を傾けてみよう。・・・・最近よく聴く言葉「夢はかなう!」 できる限り妥協せず頑張ってみよう。
  同じ客室に、若者が一人いる、バックパッカーである。バックパッカー海外編は初めてだそうで、中国を経由してインドへ行きたいそうである。 中国語は全くしゃべれない。5日は私が泊まる予定の「東呉飯店」をお世話することにした。
  《3月9日》
  3月5日にレベル判定の簡単なテストを受けました。面接の先生からは4班を進められましたが、背伸びをして6班へ行くことに しました(5班は満席とのこと)。6日より授業に出席(6班)生徒20名中、日本人は6名、後はすべて韓国人でした。
  昨日19時より、日本食の専門店で日本人留学生の歓迎交歓会がありました。参加人数約40名、ほとんど若い人たち、その中におじさん3名が 参加しました。隣の女の子は、金沢大からの留学生、日本では地質学を専攻しており、いずれは中国で恐竜の発掘をしたいそうである。 左隣の女の子は、京都花園大学からの交換留学生、本日始めてお酒を飲んだそうで「結構いけそうです!」なんぞ言っている。少し心配。
  中国にネジの工場を作りたいと言って、先遣として来ている男性がいた。 特殊ネジの特許を持っており、中国の工場を買収し自社の工場を作りたいそうである。奥様もいました。世の中いろんな人がいるものです。 飲み会は年を忘れた楽しいものであった。
  今日は、18時より蘇州大学留学生60歳以上の集まりがありました。場所は「欧尚超市」というスーパーマーケット の中のレストラン。8人が集まりました。会費50元、58歳〜68才まで、それにしても世の中色々な人がいるもので す。もう日本には帰らないつもりで来ている人もいました。68歳の長老の方は、もう3年目だそうで、さすが「ものし り」でした。
  私なんか、一番まじめで余裕の無いやからだなと感じる。各自己紹介を行い、楽しく過ごさせてもらいまし た。月一回の例会とのこと。こういう付き合いは大切にしたい。
  《3月22日》
  金曜日が終わるとほっとするが、最近悩んでいる、この班でついていけるだろうか?班を替えたほうが良いのでは? 必須授業は週四回の漢語、口語、週一回の作文であるが、6班には聴力の授業はない、聴力は基本的に出来上がっているということか。 先週、初めて週一の作文の授業を受けたとき愕然とした、スピードの速さと、基本的に当然わかっていなければならない事が、わかっていない、 ショックであった。
  当然予習をしなければ、授業について行けない。毎日12時頃まで取り組んでいるのだが、土曜も日曜も予習の時間に当てないと、 という状況になっている。そんな状態ではあるが、土曜の午前中だけは、運動も兼ねて「蘇州見て歩き」の時間としている。
  今日は、午前中に寒山寺に行くことにした、実は、先週行こうと思って出かけたのだが、乗ったバスの方向がいけなかった。 昨日、漢語の先生にバスでの行き方を確認してある、西環路のバス停「来風橋」で降りれば良い。曇り空の中、大学東門前から10路のバスに乗る。 乗ったはいいが、蘇州駅で降ろされてしまった。駅前で「来風橋」方面へ行くバスを探す。「遊3」路のバスに乗る。
  京杭大運河河畔にある寒山寺、唐代に寒山という名僧にちなんでつけられたそうで、日本人には人気の寺である。 また、唐代の詩人張継の詩「楓橋夜泊」は余りにも有名である。毎年12月31日には多くの日本人が除夜の鐘ツアーで訪れるそうである。
  ここで、寒山寺の鐘にまつわるお話、鐘は二つあるが、一つは、日本で作られたもので初代内閣総理大臣伊藤博文の碑が刻まれているそうである。 これは、唐朝時代の古い鐘は倭寇が盗んで日本に持ち帰ったという話があり、これを気にした伊藤博文たちが発起人となり寄付を集めて梵鐘を鋳造し寄贈したそうである。   まだ一ヶ月も経っていない。一ヶ月は我慢して頑張ってみよう!

  宿は大学経営の「東呉飯店」の5号楼に取りました。
  校内に寮(トイレ、シャワー付)もありました。
    

  授業料は半期3月〜6月で7500元を支払いました。
  その他、手続き料500元と教科書代約200元

  12日に7月末迄の居留許可(ビザ)をとりに行きました。
  血液検査等、病院費用600元、ビザ申請料400元
  (学院がバスを仕立ててくれました)



        楓橋夜泊            張継
            月落烏啼霜満天
            江楓漁火對愁眠
            姑蘇城外寒山寺
            夜半鐘声至客船