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  平成20年3月~7月
  蘇州大学留学生日記

  3月4日と9日と22日

  4月10日と24日

  5月8日と17日

  5月25日と6月6日

  6月15日と22日

  6月30日

  7月5日

  7月9日と23日

蘇州~下関を就航している船「UTOPIA2」で一時帰国したとき、船で一緒だった方から 「それでは、ずいぶん前から準備されてたのでしょうね!」と、びっくりしたような表情で言われた。さて、どんな準備をしたのであろう?確かに今年一月に会社を辞め、三月には、もうこの蘇州大学の留学生であった。でも準備らしいことをした覚えはない。しかし、留学するに当たって、ある種の思いきり、なんと言うか、飛び越えられるか、飛び越えられないかのせせらぎを、思い切って飛び越えるような少しの勇気は必要であった。後は体を蘇州へ持ってくれば済む話であった。私が思い切って飛び越えた経緯を少し綴ってみたい。

 五十歳のころあるきっかけで、中国語をかじり中国語の習得を趣味としました。当初は日本の山口大学の留学生に一回一時間半程度の学習からスタートしました。二年間続きましたが、生徒は減ってしまい取りやめになり、その後は自分で好きなようにやっていました。あくまでも趣味の範囲でした。
 でも、二年過ぎた頃から、直接中国へ出かけて、自分の中国語を試してみたいと思うようになり1998年四月下旬ゴールデンウィークを利用して、思い切って北京の言語学院へ一週間の体験留学に参加、翌年は上海の同済大学の海外学院に一人で一週間もぐりこみました。このときはベトナム、ラオス、シリア、ドイツ、韓国人と国際色豊かなクラスに日本人の伯父さんが一人邪魔をしにもぐりこんだようでした。その後は、年一回一週間の旅行をすることにし、夏に一週間の一人旅をしていました。そんな訳でいずれは「中国へ語学留学したい!」という気持ちがベースとして出来上がっていきました。

 六十歳で定年になり、一年間嘱託として延長戦をしましたが、やはり一歩引いた感じになったのと、また回りにも、そうする雰囲気もありました。単刀直入に言えば、仕事が面白くなくなった、というか面白くやる気が無くなったという方か正解かも知れません。そんな訳で、よし行ける内に思い切って行ってみよう、会社を辞め語学留学をしよう。と思い始めたのが昨年の末でした。

 一番ハードルが高く感じたのは、やはり家庭の方です。何しろ結婚後初めての一人暮らし、それも外国での一人暮らしをしようとする訳ですから、三人の子供は既に居ないし、上さんと母と私の三人暮らし、そうそう二匹の犬がいます。上さんは一応仕事をしています。ご多分にもれず夫婦の会話も少なくなって来たし「亭主外で元気がいい」のタイプだし、気になるのは母の方でした。一年前骨阻喪症で一時寝たきりになりましたが、その後回復し元気になったので、元気なうちに一度留学を経験しておこうと思うようになりました。家庭のことは気になります。気になることが一切ないという人は全くいないでしょう。出かける時、妻が一言「いい気なものね!」

 
そんな訳で、現在、蘇州大学留学生としての生活をしています。今年一月まで会社勤めをしていました。会社で仕事をしている時と比べると180度も違う生活をしている訳で、こんな生活もあるのだな、と不思議な気持ちです。会社勤めをしていた生活が遠い昔のような気がします。この新たな世界は、私に新たな「出会いと体験」をさせてくれています。ビジネスマン時代とは違った新たな世界が広がったような気持ちです。わずかな時間を見つけ、趣味の中国語学習をしていたときと比べ、現在は一日中、中国語を学んでいるようで、趣味と呼べるだろうか?と思ったりしています。趣味でなくなったのかもしれません。でも毎日、趣味なことができるのは、すごく幸せなことなのでしょう。

 
今回私は、初めての長期留学です。三月の下期スタートに合わせて来た訳ですが、三月から七月の間に三回帰国しました。やはり家庭が心配でした。私の里は山口県宇部市ですが、幸いにも下関から蘇州太倉港まで週一便の船があり、学割を使うと24000円で往復できるので費用的には負担は少なくて済みました。しかし、帰国のたびに、日本へ帰る時と中国へ戻る時、ともに後ろ髪と前髪を惹かれる思いに駆られました。面白いものですね。

 この半年で一区切りです。一旦引き上げようと思っていますが、いずれじっくり中国語をマスターしに再度大陸へと思っています。
中国語は世界で一番歴史のある言語、何しろ相手は三千年?四千年?五千年年?の歴史があるのだから。すでに六十歳を超えている現在、新たに別の国の言語文化を自分の頭の中に取り入れマスターすることができるだろうか?私の新たな挑戦の開始です。
 俺だって、まだ夢を追いかけてもよい、可能性への挑戦は年齢なんか関係ない!先は長そうです。
                           2008年6月