2008年3月〜7月留学日記     
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                平成20年3月〜7月 蘇州大学留学生日記

  《5月25日》
  メールありがとう。日本からのメールはやはりうれしい。
  5月12日14時に発生した四川省の地震は25日現在死亡者5万人を超えました。 行方不明が26万人なので死亡者の推計は8万人を超えそうです。悲しいかぎりです。戦後では、30年前の唐山地震(死者24万人) につぐ最悪の状況です。救出された人が7.9万人と亡くなった方を超えているのがせめてもの慰めです。
  19日、哀悼の日の初日、全国いっせいに行われた14時28分から3分間の黙祷は、町中にサイレンが鳴り渡りバス、 タクシーなどの車もいっせいに停車し、クラクションを鳴らし哀悼の意を表しました。また哀悼の3日間は、テレビから娯楽番組、 スポーツ番組などすべて中止になり報道番組だけでした。
  今日25日、3日遅れでオリンピックの聖火が蘇州にやって来ました。9時15分ごろ私の目の前を通過、やはり見ようと集まった人の 大さは半端ではありませんでした。大変でした!私にとって約40年ぶりの聖火です。高3の時、クラスメート(バレー部のキャプテン) がランナーを務め、彼が聖火を引き継ぐ地点で見たと記憶しています。聖火のルートは2転3転、結局は蘇州大学には入って来ませんでした。
  オリンピックを前にして、大変な災害に見舞われた国、神は何ゆえに数万もの命を奪ったのか!いろいろ批判はあるでしょうが国を挙げての 「一生懸命さ」が伝わってきます。オリンピックは成功裏に終わってほしいものです。北京からはるか南の蘇州ですが、貴重な体験をしている ような気がします
  先日、日本料理の食い放題、飲み放題へ行きました。
  《6月6日》
  6月4日午前の授業が終わり、帰国への行動を開始した。夕方6時太倉港からUTOPIA2に乗船するための行動である。バスで蘇州北駅へ、 14時10分のバスに乗り太倉バスターミナルへ20元約1時間である。その後は203路のバスに乗り太倉港へ、これは9.5元約1時間であった。 バスを降りたのは良いが、太倉国際客運ステーションまで約1km、頼まれた荷物を持ちながらけっこう疲れる歩きであった。 約400mと聴いていたのだが、203路バスのお客は終点では私一人、少し不安な道行であった。
  今回の船は150名ちかくの団体が入っており、にぎやかな船旅であった。翌朝トイレに行ったとき5個の和式トイレに 全ていち物が残っていたのにはびっくりしました(全部流してまわる)。団体客は広島、大阪、京都へのツアーだそうです。 (中国への戻りもいっしょでした。)
  2等Bの升席は、私と、若い中国女性6名と3名の10名で、男は私一人でした。隣の枡の6名の女性たちは広島で仕事をするそうで、 1ヵ月後に帰国とのこと、6名は、まだ二十歳前の乙女たちで、希望と期待に胸を膨らませており、顔を合わせる度に笑顔が返って来ました。 彼女たちと右手に関門大橋、正面に下関の町を見ながらデッキで接岸のひと時をすごす。彼女達は黒の制服をまとって、胸を膨らませ下船して 行ったようです。

  
  
  
  

  聖火を見ようと集まった人たち