戻る                江苏省泗洪兴洪中学にて日本語教師(2014年9月~)       2014年9月


 2014年9月27日(土曜日)
 宿遷のある女性からお招きを受けたので同僚のMさん(女性)とお邪魔した。バスで約1時間。彼女夫婦とお子さん二人、そして宿遷学院の新任の日本語教師(61歳の男性)と我々二人を加えてお昼のひと時をすごした。お子さんは2歳の男の子と3か月になる女の子。その女性は中国(連雲港)で日本語教師をしている時、教え子と仲良くなりゴールインしたそうである。彼女の教え子が泗洪の当校にも日本語教師として働いている。現在は宿遷で住居を買い子育てに専念中である。4年ぶりの再会であった。元気の良い女性の記憶があった。男性の私から見れば異国に根を下ろし新たな家庭を作り上げてゆく、そんなストーリーは到底私にはない。「すごいなー」と思っている。でも別れぎわMさんに見せた潤んだまなざしは、お母さんのような日本人女性との「またね!」の時にほろっとしたのであろう。元気のかたまりのようにみえるが、ふと内面を垣間見たような気がした。

2014年9月30日(火曜日)
 9月30日の午後から10月5日の午前中まで国慶節のお休みとなった。今日の午後子供達は喜び勇んで親元へ帰っていった。今日の午前4時間目(これが終わると休暇)に授業があった。その時の会話「みなさんはいつまでおお休みですか」と聞くと、「知りません」と返ってきた。よく聞くとまだ知らされていないのであった。私の授業の終わる十五分前に担当の先生が来て時間をくれと言う。何を話すかちょっと耳をそばだてると、いつまで休みかの説明をしていた。とこんな具合でいつから休みに入るかなどぎりぎりまで学生に教えないのが中国式なのである。早く知らせると子供たちが落ち着きをなくすからなのでそうです。またその時別の質問で「今どんな気持ちですか」と問うと「楽しいですね」と返ってきた。「たのしい」と「うれしい」で一コマ考えよう。

2014年10月4日(土曜日)  「トホホ!」の水道
 水の出が悪いのに気分がめいっている。出てもセミのオシッコ程度、なんとも「トホホ!」である。9月初め来た当初も全くでない日があった。その時もすごく落ち込んだ。こんなんでやっていけるだろうかと。多少の不便は我慢するとしても水は生活の基本である。9月中旬学校は工事をして悪い個所を修理したといっているが、我が部屋は校内水道網の末端の建屋の4階である。改善したとは思えないのである。いずれにしてもしつこく訴えるしかない。今回腹をくくってやってきたのだが、こんなことでは生活がおぼつかない。最悪なことも頭をよぎる。炊飯器、鍋、フライパン、トスターなどなど購入し食生活は自炊主体にやって行こうと思っているのに!
 1日は徐州、3日は淮安へ行ってみた。様子見に。徐州は2時間半、淮安は約2時間バスにゆられた。歳のせいか「きついなー!」と感じた。淮安で「许三观卖血记(余华作品)」を買う。原文で読んでみよう。日本語に訳すと「許三観売血記」、余华之作品は以前”活着”を原文で読んでとても面白かった。彼の代表作の一つ”兄弟”にしようかと思ったが、本の厚みは半端ではなかったので売血記にした。