戻る                江苏省丹阳中等专业学校にて日本語教師(2012年9月~)       2012年11月


  
 
11月17日(土)午後から散歩に出かけた。行ったところは丹陽の人民公園、ボチボチ歩いて40分ぐらいの距離である。人民広場や人民公園はどんな街へ行ってもある。特に人民広場はそうである。丹陽の人民公園はどってことのない公園であったが、その一角に革命戦士の記念碑があった。そしてそれを取り囲む壁に日中戦争にに関する1枚のプレートをみつけた。そのプレートには「1937年11月27日~29日にかけて日本軍は丹陽県を爆撃、駅から城内にかけて火の海となった。」とあった。1937年7月7日の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が勃発、それをうけて第二次上海事変がの8月13日から10月26日、そして南京事変が12月8日から。ここ丹陽は南京へのルート上にあり上海事変に勝利した日本軍は11月下旬ここ丹陽を通過したのであろう。こんな片隅にひっそりと日本軍を断罪するモニュメントがありました。
  今回は中国のいやな部分を書き留めてみよう。中国は「何でもあり」の国のように思える。たとえば携帯電話、どこで使ってもいいのである。食べながら、歩きながら、バスの中でも、列車の中でも聞こえてくる。時折、突然大きな声が聞こえてくると、ケンカしているのかと思う。大きな声で周囲の人にはお構いなしに。自転車に乗りながら車を運転しながら、バスの運ちゃんもタクシーの運ちゃんもやっている。高速バスの運ちゃんが運転しながらかけているのを見ると大丈夫かなと思う。はなはだしいのはトイレの中でも聞こえてくる。しゃがむところからも大きな声が聞こえてくる。それもドアをあけたままで!女性のトイレも似たようなものらしい。
 中国人は「どこでも商店」である。所構わずで、ちょっとした路地の片隅で、路上の閉まっている店の前で、近所のおばさんやおっさん風の人か商品を並べて、ちょっとした食い物、、野菜、果物、焼き芋、衣類、日用雑貨、DVD,本、携帯電話の保護膜貼りなどなど。今日も橋のたもとの人だかりを見るとおっさんが路上にゴザを広げ防寒用のジャケットを売っていた。ハンガーラック一本で商売をやっている姿を見ることもある。食い物を売っているまわりの路上は落ちた油や食い物でくろずんでいる。兰溪に住んでいる友人のKさんは最近、会社がひけたあと週に三回市場へ行き、その片隅でゴザを広げ子供服を並べて売っているそうである。仕入れはバスで1時間ぐらい離れた义乌へ行き1000元分仕入れたそうで、それを倍掛けで売っているとのこと。义乌は一度行ってみたが世界の小物、雑貨などの集積地で、小倉駅ビルのようなでかいビルがいくつも連なっている。世界の各地からバイヤーが物色しにくるところである。彼に言いました。「いいか、10元の物が20元で売れたと言って10元儲かったと思うなよ、売り上げが1000元になって初めて元が取れたんだよ、それ以降が儲けだと思いなさいよ!」と、しかし倍掛けはちょっと安すぎると思う。
 そのほかのなんでもありは、自動車のクラクション、所構わずである。後ろから人や車を追い越す場合、必ず鳴らしてくる。「わかってるわ!うるせー!」と言いたくなる。これはうるさくても事故を起こすよりと言う考えであろうか。それとどこでもツバを吐く。さすがに丹陽ではまだお目にかかっていないが、泗洪では時折こんなことがあった。レストランで一緒に会食をしている隣のおっさんが、突然「ガー」とやって彼と私との間に「ペッ!」と吐いた。これには驚きました。「ヤメテクレヨー」。また泗洪の学校の教室で授業をしているとき目の前の生徒が「ペッ!」と吐いていることもありました。今日はスーパーの食品売り場でおばさんが「ガー、ペッ!」とやっていました。またバスの運ちゃんもよく左手の窓を開けて外に向けて「ペッ!ペッ!」とやる。バスのそばを歩くときは要注意!そのほか子供、2歳くらいまでの子供はズボンのお尻が割れていて、どこでも用をたせるようになっている。子供の小便はところ構わずである。お店の前であろうと。バスの中のごみ箱であろうと、レストランのなかであろうと。またごくまれに大きい方も路上で見かけることがある。
 そのほかゴミ処理の問題、これは日本と比べるとはるかに遅れている路地のあちこちに立派なゴミ置き場があるのだが、生ゴミが錯乱していて臭くて臭くて、分別の習慣もないし中国の環境問題は今後どうなることかととても心配である。これらなんでもありの光景は田舎に行くほどひどくなる。さすがに都会では年々取り締まりが厳しくなっているようである。
 
                                                2012.11.17

     こんなマネキンがまだ頑張ってます。   

  学校近くの”万善公園”