My Home Page   中国にて つれづれなるままに  2013年丹阳にて   戻る
 5月12日(日) Mさんからの返事
 Mさんから返事が来た。Mさんは昨年私が金華にいるとき知り合った日本語科の学生である。なかなか優秀な学生で今年の4月から1年間交換留学生として日本で勉強することになった。中国の人の考え方参考になると思うので内容をそのまま載せておこう。以下
 中日の関係が悪くなる際に、「抵制日貨、支持国貨」の運動が始まります。あとはまた元に戻って、日本製の商品を買います。実は、日本製の商品が国産品よりずっと品質がいいっていうことは、みんな分かっています。だから、いくらなんでも日本製の商品を買う人が少なくないと思います。あの戦争に日本兵のしたことが確かに許せないけれども、今の日本の方々は友好で優しいですね。あの時のことと今のこと、あの時の人と今の人、別々と認識できるといいですね。日本に来て初めて「日本人の思った中国と本当の中国、中国人の思った日本と本当の日本、かなり違います」ということに気づきました。
中国の戦争番組は国民を楽しませるだけです。ドラマの製造会社は「史実なんかどうでもいい。お金を稼ぐのが一番だ」って考えています。そして、政府はそういう「主旋律」と呼ばれる戦争番組を大歓迎にします。そうなると、国民が喜ぶ、政府が大歓迎、ドラマ会社がお金を稼ぐ、三方にとっても楽しいことになります。だから、そんな戦争ドラマがこれからもずっと続くと思います。しかし、実は日本兵がそんなに間抜けではないってことはみんなわかっています。
 中国では、記念日・祝日などは形式だけです。9.18に対しても、心を込めて記念する人も本当に少ないのです。私もあまり重視していません。なんか情けないって感じですね。それは子供からの教育にかかわっていると思います。
 人は自分の国の味方っていうことはほぼ当たり前なことでしょう。両国の関係が悪くなる時、政府の発言の影響を受けて、「真実はなんでしょうか。どうしたらいいのか。」わからなくなりました。政治はあまり複雑すぎて、私はよくわかりません。

 5月11日(土) 鎮江博物館
 鎮江博物館に行ってみた。鎮江駅北広場から2番のバスに乗る。この博物館は1962年に博物館としてスタートしたのだが、もともとは1890年英国が建てた領事館である。英国は太平天国の内乱が終わった後この長江のほとり雲台山の麓に5棟のインド様式の建物を建てた。1933年中国に接収されるまでそれは続いた。現在は博物館として利用されている(入場無料)。入ってすぐ係員から日本語で「日本人ですか」と尋ねられた。私の容姿を見て日本人と感じたのであろう。独学で日本語を勉強したという中年の男性であった。
 博物館はよく整備されており感じの良いものであった。また近くはかって埠頭(码头)があったところで、この領事館を中心として栄えたのであろう。現在は”西津渡古街”として観光ルートとなっていた。やはり鎮江は古くから港町であったのだ。それは”京杭運河”を作り始めた紀元前400年までさかのぼる。以下博物館内の資料より。
 京杭運河は紀元前486年に始まり西暦1293年に全線開通、あしかけ1779年に及ぶ大事業であった。この大運河は北京を起点とし、河北、天津、山東、江蘇、浙江六つの省市を経由し海河、黄河、淮河、長江、銭塘江の五大水系を通り全長1794Km、南北に繋がる経済の大動脈である。流れる水は尽きず、多くの風情、風俗、遺跡、文化遺産をたたえている。