My Home Page   中国にて つれづれなるままに  2013年丹阳にて   戻る
 5月28日(火) 7000RMB
 中国人の友達”代”さんに手伝ってもらい中国銀行で7000元を日本円に両替した。11万6千円と12元であった。計算すると1元(RMB)が約16.6円である。確か現在の円・ドルレートは1ドル=101円だったと思う。円高の時は1元を13円ぐらいで見ていたと思う。・・・RMBは人民元(RneMingBi)の略。
 円安になって、日本の景気が上向きになり全体的には歓迎されているようである。円安になることは世界的に見て日本の価値が下がったことだと思う。が日本の価値が下がり日本から輸出する物が安くなり世界の人が買いやすくなる。下がる価値よりも多く売れる方がGoodということか。

6月2日(日) 上海戦役総前委旧跡
 
丹陽市のほぼ真ん中人民広場のそばに”总前委旧址”がある。今日やっと行ってみた。国共内戦の末期、上海解放に向けて前線司令部(总前委)がここ丹陽に置かれた。
 1945年8月日本の敗戦後、抗日で協力し合った国民党軍(蒋介石)と共産軍(毛沢東)は協調路線を模索したが、階級闘争の共産思想と、従来秩序を引き継ぐ国民党とは折り合えるべくもなく。1946年6月国共内戦が始まった。当初は共産軍が劣勢であったが、農民を中心とした民衆の支持を得て1948年ごろから攻勢に転じ、1949年10月中華人民共和国が成立するのである。国共内戦の末期1949年4月23日ここ丹陽を共産軍が全面占領。上海解放の前線基地となる。5月6日鄧小平が入りトップとして指揮を執る。同26日上海戦役に勝利し鄧小平は幹部たちとここ丹陽を離れる。翌27日上海解放、”总前委”は上海瑞金二路三井花園へ移る。1949年5月のことであった。
 国共内戦において最大の戦いは1948年11月から翌1月初旬にかけて安徽省北部・江蘇省北部(徐州付近)で行われた”淮海戦役”である。双方それぞれ100万人もの軍隊がぶつかり合った。淮海戦役記念碑が徐州にある。この戦いで国軍は破れ以降長江以北の華中はほぼ共産軍の支配下となった。この戦いにおいて共産軍の司令部”总前委”は安徽省北部の淮北市灘渓県におかれた。指導部は劉伯承、鄧小平、栗裕。この戦役の後、1949年3月总前委は安徽省南部合肥に近い肥東県へ移された。そこから華中、華東、長江渡河の作戦を指揮、そして長江を渡り南京を攻略。4月23日ここ丹陽が解放され、上海戦役へ向けて总前委が設置された。
 总前委旧址の中に入ると中庭はきれいに整備され、正面建屋の前の鄧小平と陳毅の像が迎えてくれた、左側の建屋が資料館になっていた。興味深く見させていただきました。中国にはこのような国共内戦の旧跡や記念碑が多く残されている。