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 また来てしまった中国へ、今回は浙江省金華市の浙江師範大学に留学生として。「中国がよっぽど好きなんですね!」といわれるが、嫌いではないがそうだとは思っていない。確かにこの十数年中国にこだわってきた。定年後生活の場は中国になってしまいそうな状態でもある。中国になったのは近いのと金銭的に余裕が持てそうだったからだけである。ただ、なんというか外国・異文化との接触が、ふれ合いが何とも言えない、一種の麻薬と言ってもいいのであろう。この刺激がたまらないのである。

 異文化に触れていると日々が非日常的なのである。毎日の光景は同じようだがよく見るといろいろの発見があり驚きがある。街の様子も人とのふれ合いもそうである。この歳になって真っ黒のカメルーン人の女の子と友達になれるとは思ってもみなっかたし、授業で隣に座っている女の子はタジキスタン人であり、前の男の子はイエメン人である、そんな彼らと共通語の中国語で会話ができるのである。そんなことを思うと痛快である。先日も歩いていると食べ物屋であるが店の前に大きな瓶(カメ)が置いてあった。その瓶からまた小さな瓶を取り出している、思い切って入ってみた。小さな瓶はしっかり煮込まれた骨付き肉と大豆が入っているスープであった。これがなかなかいける、コクのあるスープなのである。それにご飯と小さな皿に漬物が三つついて7元であった。店の中には江西特色瓦罐煨湯と書いてあった。店の構えも、店員の応対の仕方も食べ物も売っている人も物もどこか違うのである。とうとうそこのスープは病みつきになってしまった。今度カメルーンの子を誘ってみようと思っている。またこの学校は師範大学なので女性が多い、女学生が多いのである。男子学生の倍以上である。極端にいうと女ばっかり、これまた若返りそうである。
 どうして浙江省金華市になったかというと、4年前蘇州大学に留学した時友達になった女の子がこの地に住んでいるからである。また大学はネットで探して見つけました。この大学は真面目に勉強するにはもってこいのところだと思う。キャンパスは広く図書館などの設備も充実しているし、校舎、図書館、食堂など設備の利用は一般の学生と同じなので、割と簡単に学生との交流ができる。たとえば日本語科の学生など語学専攻の学生の授業と我々留学生の授業が同じ校舎で行われている。

 今このように楽しめるのも考えてみると、50歳ごろから準備してきたからであろう。今までの経験で中国語のレベルもそこそこになってきたようだし、今の中級のクラスでの授業はストレスもほとんどなく楽しく受けさしてもらっている。食べ物も昨年までの
泗洪と違って南方のせいか口に何とか合いそうである。食事は朝昼夕と学校の食堂ですませている。

 今は自分でも定年後の人生を好きなことをして楽しんでいると思う。子供たちからも「まあ好きなことをしているようだが、元気であればよい」と言われているようだ。まして他人から見ても好きなことをしていいなと羨ましがられているとも思う。隣の芝生は蒼いものだ。自分に言うのです「定年後の人生を異文化との国際交流に捧げよう」と。

                                  2012.3.28