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 浙江师范大学にて(2012年3月~6月)

クラスメートの集合写真が手に

日本語科の学生に授業の科目を

また来てしまった中国へ、今回は

2012年4月清明節の休日に遊ぶ


授業に出始めて一週間過ぎて、


美人の先生と
 

 図書館が込み合ってきました。6月は期末試験の月です。今日の土曜日はすべての席が埋まっていました。女の子たちとの距離がまた近づきました。大勢の人がいても図書館は静かです。話し声は聞こえません。本をめくる音と人が動く音と時たま携帯の呼び出し音が、室内は学習の雰囲気に満ち満ちています。夢多かりきあの頃を思い出します。また校庭で4年生が卒業生の記念写真を撮っています。学期始まりのあの喧噪と学期末の黄昏との対比が心の中を巡ります。そろそろ私の学期もおわりです。

 有意義な3か月間であったと思う。自分の中国語の語学力が一皮むけた感じがする。会話は頭の体操である。読むと書くとは違って一定のタイミングで言葉を返さなくてはいけない、焦ってしまうと単語だけを並べてしまうことがしばしばである。「ああまたやってしまったなあ!」と、あの子は頭の中で言葉を組み立てながら落ち着いて話をしているなあと感じたり、今度はこういう言い方を使ってやろうとか。最近は口語の難しさを感じている、例えば、
说句不好听的(言っちゃ悪いけど)让我说着了(言った通りでしょう)你看着办(ご自由に)などなど。

 お別れの日が近づいてきた。人は一つ一つの出会いと一つ一つの別れを繰り返して人生を送っていくのだなと思う。私はまた一つのページを閉じようとしている。先日ある女性とお別れの握手をして別れた、ここ金華で初めて出会った日本のエンジニアであった。何回か一緒に食事をし、楽しいひと時を過ごした。たぶんもう二度と会うことはないであろうと思う。別れた後すこしセンチになってしまった。いろんな人に感謝・感謝である。今週はクラスメート、先生、宿舎のおばさんや知り合った学生たちとお別れの言葉を交わそう。人生まさしく夢のごとし“
人生如梦”をつくづく感じている。・・・・また新しいページをめくろう。

 最近“
天涯若比邻”と言う言葉を習った。今の世の中、交通網も発達し、またインターネットが世界をめぐっている、どんなに遠く離れていても隣同士のようである。と言う意である。いろいろな国の人と友達になった。彼らと中国語でネット会話をして楽しもうと考えている。もともとは唐代の詩人“王勃”が蜀州へ赴任する友への詩“海内存知己,天涯若比邻,无为在歧路,儿女共沾巾“意は、心許せる友がいれば、どんなに離れていても隣にいるようなものである、しかし今別れに当たってなすことなく家族ともども涙する。・・・やはり別れはさみしくせつない。9日に金華を発ちます。

                        2012.6.6