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 日本語科の学生に授業の科目を聞いてみた。日本語と英語と毛沢東概論の3つで英語と毛沢東概論は週に2回ずつで他は全て日本語の授業とのことであった。やはり毛沢東の思想教育は外せないのであろう。一般的に中国の人に「毛沢東は好きですか?」と聞いてみると、いい返事は帰ってこない。では「周恩来は?」と聞くと一様に「好きです。」とかえってくる。清朝以降の近代史の中で一番好きな人はと聞くとほとんど「周恩来」という答えになるようだ。毛沢東主席は中華人民共和国の生みの親であるが、その原動力は農民など下層階級を巻き込んだ強烈な階級闘争であった。しかし晩年の階級闘争文革が影響しているようである。現在の中国における文革の評価は良くない。周恩来は新たな時代を切り開くためにその身をささげた献身の人と慕われている。

 日本が明治維新をおこし封建時代に終止符を打ち新たな秩序のスタートをきったのが1868年、中国が封建時代に終止符を打ったのが約40年後の1911年辛亥革命である。しかし中国はその後また約40年の混乱をへて1949年今の中華人民共和国を打ち立てた。その間すさまじいほどの血が流された。内憂外患の混乱の中、外患の一つとして日本も武力侵略という形で大きな影響を与えている。歴史に「もし、たら」はいけないが、もし日本の武力侵略がなかったら今の共産中国は生まれていたであろうか。日本の何倍もでかい領土と何倍もの人々をまとめ上げていくためには、小さな国日本とは比較できないほどの時間とパワーと血が必要であった。

 昨年秋数冊の中国近代史の書物を読んだ。少し根気がいったが中国の訪れたところと合わせながら読んでいくと興味が尽きなかった。また女性革命家「秋瑾」の物語「秋風秋雨人を愁殺す(武田泰淳著)」は面白かった。彼女は革命4年前の1907年紹興で処刑されている。「秋風秋雨人を愁殺す」は彼女が読んだ句である。ついでに“愁殺“は”とても悲しませる“という意で“殺“は強調句である。

 革命前後から49年までの主役の流れは、なんと言っても“孫文-蒋介石-毛沢東”であろう。その後は改革開放の推進者“鄧小平”であろうか。革命の父孫文は広東省(中山)、その意志を受け継いで統一を目指した蒋介石は浙江省(奉化)、地殻変動を起こし大革命をやってのけ国家統一を果たした毛沢東は湖南省(長沙)の生まれでともに都(北京)からは遠く離れた南方である。日本と同じようにやはり中心から離れた南方から革命のエネルギーは起こっている。ちなみに周恩来の故郷は華中の江蘇省
淮安市である。

 浙江省寧波の奉化市渓口に蒋介石の故郷がある。ここ金華市からバスで約3時間、ここにいる間に一度訪れてみようと思っている。一般の人々が蒋介石のことをどう思っているのだろうかをさぐってみたい。金華市には太平天国侍王府がある。清朝末期の1851年広西省金田村より起こった大規模な反乱“太平天国の乱”は64年に滅ぶのであるが、この侍王府は浙江の作戦指揮本部だった。帰国したらまたそれに関する本を探ってみよう。

                       2012.4.15