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 クラスメートの集合写真が手に入ったので皆さんの国籍を紹介しておこう。左から、スペイン・アメリカ籍の韓国・イエメン・ウクライナ・日本(私)・中国(先生)・タジキスタン・中国(先生)・タジキスタン・カメルーン・ベラルーシュ・チェコ・日本・コンゴ、国際色豊かでしょう。級長は韓国の若者、韓国語はもとより英語・日本語・中国語を操る若者。コンゴのお兄ちゃんは出席率はよくなく少し不真面目、一番真面目なのは私とカメルーン女の子です、カメルーンの子は優秀です。彼らと共通の中国語で十分とはいかないが意思の疎通ができるのですから痛快である。

 少し最近の出来事を綴っておこう。先日(11日)“
汉语桥汉语大赛决赛が学校のホールで開かれた。予選で残った16人がまずは中国語で自己表現、その後は各自得意な歌・太極拳・詩の朗読などが演じられた。わがクラスからは韓国人の級長とカメルーンと日本の女の子三人が参加した。応援に参加したが皆さんの目が生き生きとして輝いていたのが印象的であった。彼らは17日杭州へ浙江省の大会へ向かった。杭州大会で勝ち残れば次は北京大会である。結局、我が校から一人(イタリア人)が全国決勝へ向かうとのことでした。

 
4月29・39日と1泊2日で蒋介石の故郷へ行ってみた。ルートは金華→奉化(1泊)→渓口→寧波→金華であった。金華と奉化間のバスは一日1本しかなく結局帰りは寧波経由にした。渓口の蒋介石の故郷は紀念館がメインの会場であった。一つどうも気になった。蒋介石と毛沢東とが手を握っているところがやけに強調されているように感じた。渓口は山あいの観光の町、奉化市は落ち着いたしっとりした街のように感じた。

 17・18日には秋からの赴任地“丹陽”に行ってみた。この市は江蘇省鎮江市配下の市である。日本料理店も2軒ほどあるようで暮らしやすそうな感じのところであった。学校は急に休みになったとかで学生は居なく静まり返っていた。着いた17日の夜、丁先生夫婦と前川先生が日本料理店で歓迎してくれました。一つ気になったことは日本語を学ぶ生徒の少ないこと、学生は1クラス7人程度で、高校1・2年生が対象なのでふたクラス。
泗洪の1学年4クラス、1クラス約60人と比べると月とスッポンである。今までとは違うスタンスで臨まなくては、いずれにしてもいろいろ経験しておきたいと思っている。

 最近、一冊の小説「活着(余華著)」を原文で読んだ。辞書を抱えながらであったが読むほどに面白くなり何とか読破した。時代背景は1945年ごろからスタート、そのころの農村の底辺に生活する主人公が日本の敗戦、中国の内戦、共産軍の勝利、人民公社設立、大躍進時代そして文化大革命と激動の時代に翻弄されながらも生きていく姿が描かれていた。幾度となく瞼が潤んでしまった。強制的に国民党軍に徴用されたり、“煮鋼鉄”という言葉が出てきたり、中国近代史に多少の興味を持つ私にとって、底辺からみた時代模様が面白かった。しかしこんなにも不幸な物語があるものだなとも感じています。この本は日本でも翻訳され「生きる」というタイトルで角川書店から出版されている。
                        2012.5.21