Top Page 文書館 No.029 No.027
ダスキンやサニクリーンに代表される、玄関マットの会社は、2週間とか4週間に一回、契約してくれている店や会社を訪問して、マットやモップを新品に交換しては料金をもらうシステムになっている。 たが、既存のお客さんの交換だけをしていたのでは、それ以上会社の業績は伸びないし、解約してくる店も出てくるから、新規のお客さんを増やしていくことは、営業員に課せられた絶対的な使命である。 そうした会社の中の一社にA君はおり、営業をしていた。(ちなみに上記の2社以外の会社である。) そのA君が先輩社員から、かつてこういう話を聞いた。 今から数年前、当時のある社員が、ある居酒屋に営業に訪れた。昔も今もやることは変わらない。飛び込みで行って、マットの契約を取るのが仕事である。 もちろん、今、店内にお客がいないことは、飛び込む前にあらかじめ外から確認した。忙しい時に訪問しても話も聞いてもらえずに追い出されるのがオチだから。 「こんにちはーっ」と言ってその先輩社員が店の中に入ると、店の主人が厨房の中で刺身を切っていた。 「あ、お世話になりますぅ。私、玄関マットの○○と申します ! 」と挨拶すると、主人はちらっとこっちを見て、不機嫌そうな顔をして 「なんや?今忙しいんや。」 と返した。 「突然お伺いして申し訳ないのですが、今、ちょっとよろしいでしょうか?」 「今、忙しいと言うとるやろ。」 「あ、すいません、少しの間だけでも、お話を聞いていただけませんでしょうか・・。」 少し手を休めて主人が本格的に顔をこちらに向け、 「あんた、マットの会社言うたな。あのなー、あんたらみたいなの、うちにはいっぱい来るんや。カラオケやらおしぼりやら消耗品の会社やら・・。 要するに、サービスするからとか安くするから、今取引している会社を断って、自分の会社の商品を取ってくれって言うんやろ。ワシは、そういう、取引先コロコロ変えるのは嫌いなんや。マットは間に合っとるわ。」 そう言いながら、再び刺身を切る作業に入った。この社員も構わず話を続ける。 「まあ、そうおっしゃらずに。今、お見かけしたところ、マットはS社さんとお付き合いしてらっしゃるんですね。」 「その気はないから、帰れや。」 「もう、結構長いお付き合いになるんでしょうか?」 「帰れ、言うとるやろ。」 「だいたいこれぐらいの枚数でしたら、月々5000円くらいは今、お支払いなのではないでしょうか?」 「何べんも同じこと言わすなよ。帰れ言うとるんや。」 「ま、とりあえず見積もりだけでも出させていただければと思いまして・・。」 ここで突然、「ターン!」と、いきなり包丁でまな板を叩いた音が店内に響いた。 「お前、死にたいんか・・。」 そう言いながら店の主人が右手に刺身包丁を持ったまま 、厨房から出てきて、ゆっくりとその社員の方に近づいて来た。動きはゆっくりだが、顔は完全に怒っている。 この社員も主人の激怒した顔を見た瞬間、「しつこく言い過ぎたか!」と思ったが、もう遅い。そのまま胸に包丁をいきなり突きつけられてしまった。 主人が凄まじい大声で怒鳴る。 「さっさと帰らんと、刺すぞ、コラァ!」 ここまで怒らせたら、普通の人ならすぐに謝って逃げるように帰るところだが、この社員は違った。 かなり気が強い男だったのだ。怒鳴られたことで、反対に逆ギレしてしまった。 間髪入れず、速攻で怒鳴り返す。 「おぉぉーっ! 刺せるもんなら刺してみいやーっ!光りモン出したくらいでビビるとでも思っとるんかーっ!」 互いに怒鳴り終えて、シーンとした静寂が店内を襲う。まさに両雄激突・竜虎相打つといった状況である。互いに目をそらさぬまま数秒間が過ぎた。と、ここで突然、主人の方が包丁を持った手をだらんと下に降ろした。 「フッ・・おめぇにゃ負けたぜ・・。」 「えっ・・?!」 「いいだろう ! その度胸に免じて、お前のところからマット取ってやらあ! 今持って来てる会社には俺の方から断りの電話を入れておくぜ。」 「えぇ?!ホントですかーっ! 」 「おう! ウソは言わん ! 」 「あ、ありがとうございますぅ〜!」 ついにやった。勝った、刺身包丁に勝ったのだ。営業力の勝利である。 突然、上機嫌になった主人。 「おう ! これからよろしく頼むぜ!」 そして勝利に酔う社員。 「いえいえ、こちらこそよろしくお願いいたします ! 一生懸命させていただきます!」 「フッ・・・・ハッハッハッハ」 「ハッハッハッハ」 なんて爽やかな契約なんだろう。まるでテレビの青春ドラマそのものではないか。ついに暖かい心が、主人の閉ざされた心を開いたのだ。 しかし、こんなことがあるんだろうか。基本的に飛び込み営業というものは、その日初めて会った人と喋るわけだから、その人を怒らせて契約に至るということは、ほとんどない。 だいたいの場合、怒られて、追い出されて、塩をまかれて、その後営業所に苦情の電話がかかってきて、近所に悪口を言いふらされるのが普通である。怒らせて契約になったというのは、極めて稀(まれ)な事例であり、今後もこのようなことはほとんどないだろう。 |