Top Page 文書館 No.047 No.045
当サイトの管理人吉田は、平成4年から平成9年まで、寺で働いていた時期がある。だからその当時の職業は坊さんであった。ちなみに現在では、その業界とは全く無縁となっており、普通の会社員をしている。 今が平成25年だから、これは今から16年から21年前のことである。 ▼監視カメラ その寺は、経営者の一家の他に、職員(雇われの坊さん・尼さん)が自分を含めて7人いた。自分も当時その職員の一人であった。ただし、現在でもそこに残っている者は一人もいない。 寺の中には監視カメラが15台セットしてあり、それを見るモニターテレビもあちこちの部屋にセットしてあって、誰がどこで何をしているのか常に見れるようになっていた。 ここに就職してまだ間もない頃は、カメラで見られていることなどはほとんど意識していなかったのだが、ある日、自分が倉庫内で作業をしていた時、誰もいないと思ってアクビをしながらやっていたら、倉庫の内線がプーッと鳴るので電話に出てみると、いつも受付に座っている尼さんからで、 「あんた、今、アクビしとったでしょーが! やる気がないんだったら帰りんさいや!」 と、いきなり言われた。 受付担当の尼さんは3人いたが、これがいつもモニターテレビを食い入るように見ており、極めてうるさい。3人とも、自分よりも勤続年数が10年くらい上で、年もそれくらい上だった。自分は一番下っぱだったので言われたい放題であった。 新人の頃はさほどどうこうは言われなかったが、ある程度期間が経ってくると、途端にあれこれと言われ始めた。この時に自分はカメラで監視されているということを改めて認識した。 昼ご飯食べるために台所に入る。業務の関係で、自分はいつも皆が食べ終わった後、一人で食べることが多かった。 腹が減っているので、ご飯を山盛りにつぐ。テーブルについた途端、今度は台所の内線が鳴る。着信表示はまた受付からである。 「ご飯のつぎかたが多いから戻せ。」と言われる。ご飯の量まで見られている。 しょうがないので、ご飯の一部をジャーの中に戻す。 食べ終わって食器を洗っているとまた内線が鳴る。 「台所に入って13分も経過しとるでしょうが。ご飯食べるのに何分かかっとんね!」 と言われる。 食べ終わって2階の廊下を歩いていると、今度は廊下の内線が鳴るので何事かと思って電話を取ると、 「歩くのがのろい。もっとさっさと歩け。」 と言われる。 また、受付にはカメラだけではなく、集音マイクもセットされており、その音声もあちこちの部屋でスピーカーを通じて聞けるようになっていた。 寺に入って最初の頃はそのマイクのことを知らず、受付に座っていた時に、他の職員に、頭に来る尼さんの悪口を散々言っていたら、それを本人が別室のスピーカーを通じて全部聞いていて、それを寺の経営者に言いつけられてどえらい怒られたことがある。 聞かれてまずいような人の悪口などは、そこの職員は全員メモ用紙を使って筆談で話すようにしていた。悪口は筆談で話す。非常に面倒くさいが、それでも言いたいことはある。 もちろん、そのメモ用紙は家に持って帰って捨てて証拠は抹消する。寺のゴミ箱に捨てていると、いつチェックされるか分からないので、そんなマヌケなことはしない。 人間関係は油断がならず、「ここだけの話」としてしゃべったことでも、ほとんど全て寺の経営者に言いつけられたり、自分が言ってもいないようなことまで言いつけられたりもした。加えて受付の尼さん連中たちはよく怒る。怒鳴られることもしょっちゅうであった。 大体、世間一般のイメージとして尼さんといえば、「やさしさ・思いやり・慈悲の心」と三拍子揃っている印象があるが、ここは少し違っており、「告げ口・責任転嫁・ヒステリー」の三拍子が揃っていた。 食事はいわゆる精進料理で極めて簡素なのものであった。醤油やマヨネーズはあったが、職員はそれらを使ってはいけない。では醤油やマヨネーズは何のためにあるのかというと、寺に参拝に来た人に食事を提供することが多いので、その人たちのためにある。職員にとってのマヨネーズはただのインテリアなのである。 昼は味噌汁と一品とご飯が基本で、もちろん、おかわりなどは厳禁である。コロッケが出ればご馳走の部類であった。台所の担当者の暗黙のルールで「混ぜご飯の時はおかずは無し」という基本があったので、グリンピースご飯が出れば、おかずは漬物と味噌汁だけという感じであった。 夕方近くになると、あまりにも腹が減るので、自分でパンとかハムなどをあらかじめ持って行ってロッカーに隠しておいて隠れて食べていた。 もちろん、うかつな所で食べているとカメラに映るので、カメラの死角で食べる。毎日のようにここにいればさすがにカメラに映らない地点は心得てくる。 敷地内の墓場が、広いわりにはカメラが一台しかなくて、ここが死角パラダイスだったので、懐(ふところ)に食べ物を隠しては墓場に行き、よくここで食っていた。 プロテインも持って行って飲んでいたが、シェーカーで溶かして飲むというような悠長なことは出来ない。カメラのフィルムが入っていたプラスチックの小さな容器(今ではほとんど見かけることがないが)にプロテインを詰めて持って行って、それを薬を飲むような感じで隠れて飲んでいた。もちろん水は無(な)しである。口の中に入れて噛む。これも貴重な食糧であった。 晩ご飯はわりと量があったのだが、朝、出勤してから晩まではあまりにも長かった。自分の努力もあったが、最初に103kgあった体重がこの期間で78kgになった。一応は減量が進んでこの点だけは良かったのかも知れない。 ▼規則 寺の職員は基本的に坊さん・尼さんなのであるから品行方正であり、俗世間のような欲望を持ってはならないということで、私生活に関する細かい規則が色々とあった。 例えば、 赤い靴下を穿(は)いてはならない。 ローンで物を買ってはならない。 二つ折りの財布は使うな、お札がそのまま入る長財布のみ使うように。 夜は外出してはいけない、21時には寝ろ。 焼き肉は食べるな。 ↑この辺りは何となく理解出来るが、 海に泳ぎに行ってはいけない。 日焼けはするな。 口で呼吸するな、鼻を使え。 野球もサッカーも見てはいけない、見ていいのは大相撲ダイジェストだけ。(当時、深夜に放送されていた大相撲の録画中継番組) 歩く時には常に合掌して歩け。 漫画を読むと馬鹿になるから読むな。 ↑この辺りになると意味不明である。 また、「同じコンビニには二日続けて行ってはいけません。今日セブンイレブンに行ったら、明日はローソン、次はポプラと、コンビニのローテーションを組むように。」 とも言われたが、これも訳の分からぬ規則としてへっちゃらで無視していたのだが、ある日、問題が起こった。自分がローソンにいるところを近所の人に見られて苦情の電話をかけられたのだ。 その寺は住宅街にある寺だったので、近所の人が結構、自分の顔を覚えていたのだ。 「お宅の寺のお坊さんが、ローソンで漫画を立ち読みしてましたが、あれは一体、どういう教育をしてるんですか。」と。 漫画とは多分、少年ジャンプかマガジンのことであろう。 その電話の翌日、受付の尼さんから、 「コンビニのような、いかがわしい所へ行くから苦情の電話をかけられるんよ!」と、えらい文句を言われた。 また、同じく近所の住人から 「お宅の坊さんが喫茶店でタバコを吸ってましたが、ありゃ一体どうなっとるんですか。」(これは自分ではない。) 「お宅の坊さんが居酒屋で酒飲んどるのを見たでーっ!」(これも自分ではない。) という電話もあった。 私生活でどうこう言われるのは、近所の住民からだけではない。同じ寺の中でもお互いのことを批判し合っていた。 雇われの尼さんの中の1人が 「家に帰ったらプレイステーションでゲームやってるの。これがまた面白いんよ。」 と、他の尼さんにうっかり喋ったことがあって、それはたちまちのうちに寺の中で噂になり、寺の経営者の家族全員の耳に入り、 「○○さんが家でプレイステーションやってるらしいのよ。」 「あの人がねー・・。人は見かけによらんねぇ。あの人、不良だったんじゃね。」 などと噂になっていた。 話は戻るが、自分に対する近所からの苦情電話で 「リュックサックを背負って、自転車に乗っているのを見たが、あれは一体どうなってるんですか。」 というものがあって、これはその当時、自分は勤務が終わると、夜、毎晩のようにトレーニングセンターに通っており、これは多分、その時の行きか帰りを見られたものだ。 幸いにも自分は寺に住み込みではなく、近くのアパートから通っていたので、何とか夜、外出することも出来た。 制約だらけ束縛だらけの生活をしていた自分にとって、そこで気の合った連中と話をしながらトレーニングし、終わった後はみんなで時々茶店に行ったりするのがこの当時の最大の楽しみであった。 ちなみに寺の規則で「車もバイクも持ってはいけない。」という、嫌がらせのような規則があったので、当時の足は自転車だけだった。 しかし、コンビニを「いかがわしい場所」と言い、プレイステーションを不良がやるものという職場で、「リュックサックの中には靴とかタオルが入ってて、あの時はトレーニングセンターの行きか帰りだったんだと思います。」などと言えようはずもない。 ウエイトトレーニングをしている人など、ここの人たちにとってはケダモノか野蛮人のような印象しかないだろうから。 だいたい、夜は17時以降は外出禁止、21時には寝ろと言われていたので、バレると出入り禁止にされる可能性が極めて高いので、バレないように行くというのが大前提であった。 トレーニングと言えば、ある日たまたま受付の尼さん連中の中で、別に誰のことというわけではないが「運動」に関することが話題になったことがあった。 会社が終わってジョギングしたりフィットネスクラブへ通ったりする人は多いが、そういった一般的な「運動」に関する話題だったのであるが、その会話の中で一人の尼さんがこう言っていた。 「仕事を持っている身でありながら、休みの日とか、会社が終わって運動なんかしてる人は仕事を真面目にやってない証拠よ。 仕事を一生懸命やっていれば、疲れて、運動なんかする余裕はないはず。会社帰りに運動してる人なんて社会人としては二流、まあ、落ちこぼれの部類に入るでしょうね。」 ↑こいつ、殴ったろーかと思うような意見である。 それが好きだから、疲れていてもジムに向かい、忙しい中、時間をやりくりして運動を続けているという、その人たちの努力が全く分かっていない。 また、服装に関することであるが、先代住職、つまり寺の経営者は時々出かけることがあり、これに同行する時にはスーツ姿でなくてはならないというきまりがあった。 寺の経営者はよく付近の島に出かけては、釣りをしていたのだが、この釣りに同行する時もスーツで行くようにと命じられた。 釣りといっても同行した職員全員が釣りをするわけではない。釣るのは経営者の一人だけ。他の者は雑用。 自分(吉田)の役目は、エサを針につけることと、釣れた魚を針からはずすことであった。そのためには、やはりスーツでなければならないらしい。 ▼特殊な理論 主に受付担当の尼さんたちに、勤務のことや私生活のことにおいて連日、大量過ぎる説教を浴びていたが、中には「それって本気で言ってるのか?」といったものもいくつかあった。 自分が言われたもので、「この発言はどう考えてもおかしいだろ」というものを抜粋してみた。しかし当時の自分の立場としては、これらのことも全て守っていかなければならない立場にあった。 冬に「寒い」なんて言うのは気合の入ってない証拠。気合が入っていれば暑くなってくるはず。二度と寒いなんて口に出すな。 (寺の公用車を)洗車する時には、長靴を履(は)いてやるな。長靴を履くということは足に水がかかることを前提としている。雑にやるからホースの水がかかる。丁寧にやれば足が濡れるはずがない。洗車はつっかけを履いてやるように。そして足袋(たび)は一切、水に濡らさないように。 同じく洗車の時。冬のすごく寒い日にバケツに持って行ったお湯で時々手を温めながら、公用車を「水」で洗車していた時 、 「洗車は20分でしなさい。20分を超えた時点で暇つぶしをしているものとみなす。すでに38分経過しているので、18分も暇つぶししてたことになる。」 と言われたが、普通、凍えながら暇つぶしする人はいない。 あんた、この間の休みの日に本当に休んだわね。休みの日に本当に休むのは社会人として失格。優秀な社員だったら休みなんか全部返上して休日出勤するはず。休みの日に本当に休む人は、真っ先にリストラの対象となるでしょうね。 お菓子を食べるのは幼稚な人間のすること。優秀な社会人はお菓子など食べません。 漫画を買うところを人に見られると、軽蔑されて人から相手にされなくなる。だいたい、漫画を読むこと自体、社会人として落伍することであり、知能も低下する。 ↑これらはどれも、指導を受けたというよりは、インネンをつけられたと言った方が正しい。 寺時代の生活(2)へ |