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No.047 管理人吉田の寺時代の生活(2)

▼変わった参拝者

●早朝の電話

ある日の朝7時ごろ、その日は早番で、門を開ける係だったので、一通り寺の門を開けた後、受付に戻って一人で座っていた。他の人は8時ごろにならないと出勤して来ないのでしばらく一人である。

その時、電話が鳴った。「はい、○○寺です。」とすぐに電話に出ると、

「私には99人の子供がいて、半分は北京に向かって、半分はそちらの寺に向かったので、子供たちが着いたらすぐに帰るように言ってもらえませんか。」

と言われた。女の声だった。いきなり意味が分らぬ。

「どういったことでしょう?」と聞くと

「昨年は大変お世話になりました。」
と言う。

「すいません、よく意味が分らないんですが・・。」

「ですから、私お金がないんです。入院して出歩けないものですから。だから、ピアノをそこで教えたいんですけど。」

全く会話が噛み合わない上に、全てにおいて意味が分らない。それにしゃべり方からして、どうも正常な人とは思えない。

「分りました。ではそういたします。」と、もう、適当に返事をすると、

「お願いしますね、お願いしますね。」

と言って電話は切れた。何だったんだ、一体。

受付の尼さんたちが出勤してきた時、このことを話すと、そういう意味不明の電話をしてくる女の人は確かにいるということだった。精神科に入院している人がかけてくるんじゃないかという推測だった。

そういえばさっきの電話の時にも「私が入院して出歩けないものですから。」と言っていたので、やはりその可能性が高いような気がした。



それから数日後、またこの間と同じように早番で受付に座っていると、朝の7時過ぎに電話が鳴った。

「はい○○寺です。」と出ると、

「一郎ちゃんがね、明日で16歳になるんですよ。」

と話し始めた。声に聞き覚えがあった。北京の99人だった。

「それはお誕生日おめでとうございます。」と言うと、「二郎ちゃんがね、15歳になるんですよ。」と言うので、「はぁ、おめでとうございます。」

「三郎ちゃんがね、14歳になるんですよ。」

「はい・・。」

四郎ちゃんがね・・、五郎ちゃんがね・・、と続く。名前の数字は上がっていくが、歳は少しずつ若くなっていく。

「九郎ちゃんがね・・・・・十二郎ちゃんがね・・・。それで十三郎ちゃんがね、2歳になるんですよ。」

ここでちょっと間があいたので、

「皆さん、お誕生日おめでとうございます。」と言うと

「ありがとうございます。」と言うので、

「それじゃまた、何かありましたら、お電話下さい。」と言って、一方的に話を終わらせて電話を切った。

何人までいくのか途中から心配になっていたが、何とか13で止まった。しかし一郎や二郎というのはよく聞くが、十二郎や十三郎というのは初めて聞いた。そんな名前あるのか?

自分が受けた、この人からの電話はこの2回だけで、これ以降、この電話には当たらなかったので、まだ幸いだった。



●鬼が見える

ある日の夕方、「あとはもう、帰るだけ」という時間の頃、寺の境内の石畳の上で、体育の座り方をしている30代くらいの男を発見した。

一応、寺の敷地内なので近寄って声をかけてみた。

「どうかされましたか?」
「はい・・、鬼に追われてるんで、ここに逃げて来たんです。」

「はあ?」鬼みたいな人が追いかけて来るのかと思ったが、そうではないようだった。

「あんた、見えませんか、ほら、空中に鬼が3人浮かんでるでしょう。」

と言ってその男は上を指差した。

「いや、何も見えませんが。」と言うと、「やっぱりあれは俺にしか見えないんだ。」と困ったような顔をした。

「あの鬼は元々は三蔵法師だったんですよ。」

「はあ・・。」

関わるんじゃなかったと思ったが、もう仕方がないのでこのまま話を聞くことにした。

「その三蔵法師は、俺の行く所にはどこにでもついてきて、常に俺の横に立ってるんですよ。風呂の中でも便所の中でも。

ある日俺が『もう、まとわりつかないでくれ!』って強く心で念じたら、その三蔵法師はみるみる怒った顔になって、そのまま3人の鬼に分裂したんですよ。

それからはその3人の鬼たちが、常に俺を取り囲んで、どこへ行くにもついて来るんです。走って逃げても光より速いスピードで追いかけて来て、ドアを閉めても、ドアの隙間からするすると入り込んで来るんですよ。

そして夜になったら、俺の布団の周りで芸を始めるんです。傘の上でボールを転がしたり、綱渡りをしたり。その芸を見てたら面白くて寝られないんです。」

言ってることのストーリーは理解出来たが、ちょっとまともな人とは思えない。

「あんた、寺の人でしょ、あの鬼を退治して下さいよ!」

と言われたが
「いや、退治してくれと言われても・・。」

「お願いします、お願いします。」

と頼んでくる。

「いや、退治と言いましても、それじゃ、聞きますが、あなたはあの鬼たちから何か危害を加えられたんですか?階段から突き落とされたとか、ビンタくらったとか?」

「いや、そういうことはありませんでしたが。」

「それじゃ仲良くした方がいいですよ。あの鬼たちはあなたの味方ですよ。」

「味方ですか?」

「そうです!」

「そうなんですかねえ・・。」

ここで、途中から立ち聞きしていた受付の尼さんが、口をはさんできた。

「あんた、いいものあげよう。これ、『魔法の水ようかん』ですから。これ食べたら鬼が消えるよ。」

と、あからさまにいい加減と分るような発言をして、水ようかんの缶詰をその男に渡した。

「もうそろそろ晩ご飯の時間でしょ。それ持って、帰りんさい。家まで送って行ってあげよう。」

と言って、その男を家まで送っていくことにした。家を聞くと、歩いてすぐの近所だった。家に着くと両親が出てきたのでちょっと話をしたが、何かの薬物中毒になっているらしい。家でも幻覚が見えるらしく、さっきのようなことはしょっちゅうとのことだった。これ以降、たびたび来るのでは、と思ったが、それからは彼は現れなかった。



●泳いで降りてくる

ごくたまに参拝に来る20代の女の子が、天井の方を指差しながら言っていたが、

「ねぇ、今、上の方に霊がいっぱいいるでしょ。見える?何十人っていう霊が空中で泳いでるでしょ。時々、その中の何人かが、下まで泳いできて、私の頭を触ったり、他の人の襟(えり)とか袖(そで)を引っ張ったりしていたずらしてるのよ。

それで私が『こらーっ!』って怒ったら、慌てて上の方に泳いで逃げていくの。見えない?


でも今、吉田さんの頭の上に何十人も霊がいるからって心配しなくてもいいですよ。私、ちゃんと連れて帰りますから。」

と、この言葉を真顔(まがお)で言っていた。

自分はこのコとはそれまでに多少しゃべったことがあり、霊が見えるのがきっかけとなって、寺に参拝に来るようになったと聞いたことはあるが、完全に正常な女の子である。前述の、北京の99人や、鬼が友達の人とは訳が違う。

そういった人が真面目な顔をして言うのだから、思わず信じてしまう。ゾッとしたセリフであった。


▼骨壺(こつつぼ)の整理

寺に入って間もない頃、住職と受付の尼さん連中に「地下室の骨壺の整理」をやるように言われた。寺で預かっている骨壺が多数、地下室に眠っており、その骨壺が誰のものか、すぐに分かるように棚にきちんと整理するように、ということらしい。

寺の地下室に預かりの骨壺が多数あるという、最初はその理由が分からなかった。骨壺すわなちお骨(こつ)とは、普通は墓の中に入れるものであり、なぜ寺の地下室に骨壺が多数あるのか。

話を聞けば、身内で死者が出た場合で、なおかつ墓を持っていない家族が、経済的な理由ですぐには墓を建てられない場合、「将来的に墓を建てた時にお骨(こつ)を入れますので、その時まで預かっておいて下さい。」と言って寺にお骨を預けて帰る人が結構いるらしい。

確かに、新たに墓を建てると70万から200万くらいはかかるので、そういう人がいても不思議ではない。しかし本当に引き取りに来るのは、果たして数か月後なのか、5年も10年先も先のことなのだろうか。



骨壺がおさめてある、その地下室は寺の本堂の中にある。

本道の壁の一部に、横に開く木の扉がある。ただし高さは1mくらいしかない。見た目はまるで、押し入れのように見える。

この扉を横に横に開くと、そこには1m四方くらいの穴がぽっかりと開いていた。「押し入れかと思って開けてみたら、そこは地下室の入り口だった。」という構造だ。

四つんばいになって、まずはその押し入れ部分の中に入り、穴の中を覗(のぞ)いてみた。

中は真っ暗。本堂自体が薄暗いのに、その中の押し入れのような部分、そのまた地下といえば、光は全く来ない。

穴のフチにかすかにハシゴが見えた。この中へ入るには ハシゴを使うらしい。


「地下室には照明器具がないから、懐中電灯を持って入るように。」と言われていたので、とりあえず懐中電灯は持ってきておいた。

ハシゴを使ってそろそろと地下室へと降りてみた。中は異様な臭いが立ち込めている。床の上に降り立ったが、天井がずいぶん低い。腰を曲げなければ頭が当たってしまう。部屋の中の方を振り向いたが、そこは真の闇。全く何も見えない。

持って来た懐中電灯をつけてみた。

「うおっ!」

正面には木製の4段の棚、左右の壁にもそれぞれ4段の棚が置かれてあり、そこには骨壷がずらりと並んでいた。正面の棚の一番下には段ボール箱が3つ4つ置いてあり、葬儀に使った遺影写真や位牌が無造作に突っ込まれている。部屋の広さは6畳くらいといったところだ。

ションベンちびりそうな光景だった。この部屋の中で懐中電灯だけを頼りに一人で作業しろというのか。

世の中にはこういう場所が好きな人もいるかも知れないが、自分ははっきり言ってあまり好きではない。というより怖い

すぐにハシゴを昇り、地上に戻って、とりあえず照明を何とかすることから始めた。延長コードとライトを買ってきて地下室に設置した。素人工事であったが、何とか照明は確保出来た。明るくなった分、多少マシになった。改めて地下室へ降り立って、よく見ると床は泥だらけで、棚も骨壷もホコリにまみれている。

あまりにも汚いので、骨壺が可哀そうな気がして、まずは地下室に掃除機を持って降りて床を掃除し、棚を全部雑巾がけすることにした。置いてある骨壷を床に移し、空いた棚を掃除していく。不気味なこと、この上ない中、相当時間をかけてようやく全部の掃除が終了した。

当然一人でやった。

掃除の間、いきなり後ろから声でもかけられるんじゃないか、ふと横を見ると知らない人が突然立っているんじゃないかと、そういう思いが頭の中をずっと駆けめぐっていた。

だが、長時間いたせいか、掃除が終わった頃には、もうこの部屋にもすっかり慣れてしまっていた。

と言いたいところだか、慣れるわけがない。



すぐに気づいたことであるが、それぞれの骨壷は、まさに「壷」だけであり、それが誰のお骨(こつ)であるのか、全く分らない。壷の下に情報を書いた紙が敷いてあるわけでもないし、壷に紙が貼ってあるわけでもない。

確かにこれでは、いざ引き取りに来られた場合、とても困る。

おそらく骨壷を受け取った時に何ら書きとめることもせず、地下室の入り口に近いところから適当に置いていったために、今ではどれが誰のものやら全く分らなくなったものだと推測出来る。なんというずさんな。

それぞれの骨壷の所在を明確にしていく作業をこれからやっていくわけであるが、手がかりとなるのは「骨壷のフタの裏」である。フタの裏に故人の名前や、施主(せしゅ = そのお骨の面倒をみる人)の連絡先を書いてもらっているらしい。

それをメモして、その紙をそれぞれの骨壷の下に敷き、なおかつ棚にあいうえお順に並べていく。また、地下室に降りてこなくても骨壷の位置が分るように、棚と骨壷の見取り図を別の用紙で作るように、ということだった。この見取り図は受付に置く予定らしい。

作業を行うには、まず骨壷のフタを開けなければならない。だがフタを開けると当然中身が見える。地下室では絶対やりたくない作業である。

骨壷を地上に持って上がって、本堂の中で作業することにした。1日に5つずつと自分で数を決めた。それが精神的な限界である。

地下室から見れば、出入り口は天井に開いた穴だけ。出入りするにも何かを運ぶにも非常にやりにくい。ハシゴの昇り降りの時、下半身だけが地下室にある瞬間がとてもイヤ。それでもこの環境で進めていくしかなかった。

この棚のこの段は「あ行」、この段は「か行」と決めて、それぞれの棚に「あかさたな」の張り紙をして、所在の判明したものから決めた位置に置いていった。確か全部で150から200個近くあったと記憶している。中にはフタを開けると「アヒルの骨」と書かれたものや「犬の骨」と書かれたものもあった。

全てが終了するまで1ヶ月半くらいかかった。毎日、地下室へ入るのはかなりの重圧であった。もう一度やりたいとは決して思わない業務であった。


▼病院マニア

この寺の人たちは、病院が大好きで、ほんの些細(ささい)なことでも何かあればしょっちゅう病院に行っていた。鼻が詰まると行っては病院に行き、荷物を運んで筋肉痛になったといっては病院に行き、身体がだるいといっては病院に行く、という感じであった。

洗車をしたら身体に負担がかかったという理由で、洗車の翌日休んで病院に行った人もいた。

だがそのせいか、薬の知識は相当のもので、自分たちがこれまで病院でもらった薬もずいぶんと溜めており、袋から出してもどれが何の薬か全て見分けがつき、薬の名前も効能も全部覚えていた。

また、「医者にもらった薬が分る本」という本も受付に置いてあり、その本に書いてある薬の番号や効能、副作用なども覚えていて、よく数人で薬の世間話をしていた。

その本人たちが薬を集めたり、病院に行くのは構わないのだが、そういった考えはこちらにも飛び火して、自分がほんの些細な身体の不調でも言おうものならすぐに「病院に行きなさい。」と言われた。おかげで自分もしょっちゅう病院に通うこととなった。



ある夏の日、自分は左腕を蚊に刺されたので、受付の奥に座って腕をかいていた。そこへ受付の尼さんの一人が入ってきて

「どしたんね、腕がかゆいん?」と聞くので

「はあ、ちょっと蚊に刺されまして。」と言うと、

「見せてみんさい。」と言うので刺された部分を見せた。

「ちょっと腫(は)れてるね。」
「はあ。」

「病院に行きなさい。」と、間髪入れずに言われた。

「はい?・・・。いや、これは行くほどのことではないでしょう。」

「行ってきなさい!参拝して来た人たちの前で腕なんかかいてたら、みっともないでしょーが!」


と怒ったように言うので病院に行くことにした。寺の指定の病院がそれぞれの分野であり、内科ならここ、耳鼻科ならここ、皮膚科ならここ、と大体決まっていた。自分もよく行かされたので、それぞれの病院では医者や看護婦さんに多少は顔も覚えられていたようだ。

いつもの病院に着いて受付に行くと、看護婦さんに

「今日はどうされました?」

と聞かれたので

「蚊に腕を刺されました。」と言うと


「はい、虫さされですね。」と言われ、看護婦さんは先生のいる方に顔を向け、

「先生、吉田さん、蚊に刺されたそうです。」

と言われた。待合室の人たちにも聞かれた。

治療はすぐに終わった。薬をもらっただけだが。終わって待合室の人の前を通って帰るのがとても恥ずかしかった。



また、ある別の日、何気なくぼけっとしていた時、つい口を開(あ)けてしまっていたことがあった。そこへまたあの受付の尼さんがやって来て、

「あんた、今、口開けてたね。」と聞いてきた。

「は・・、いや、つい・・。」

「口で呼吸しないように、と言ったでしょーうが。それでも開けてたってことは、あんた、もしかして、鼻の具合でも悪いんじゃないの。」

「いや、別に鼻は正常ですけど。」

「病院に行きなさい。」

(また・・・!)

「いや、ホントに何でもないです。」

「鼻茸(はなたけ)かも知れないでしょーが!鼻茸(はなたけ)って知ってる?鼻の中にコブが出来るのよ。それに鼻のガンかも知れないでしょ!」

「いや、それはないでしょう。」

「いいからさっさと行ってきなさい!」

また怒ったように言うので病院へ行くことにした。

病院へ着くと、他の患者さんはほとんどいなかったので、すぐに先生のところへ通された。ここの病院も寺の指定なので何回か来たことはある。

先生に「今日はどうされましたか?」と聞かれたので

「口を開けていたら病院へ行くように言われたので、来ました。」と言うと

「意味が分からんな。」と言われた。

「あ・・、いや、鼻が悪いんじゃないかということで、それで診てもらえればと思いまして・・。」

そういうことで鼻を診察してもらったが、何も異常はなかった。

「あんたねえ、もうええ歳したオッサンなんやから、イヤイヤ来るんじゃなくて、本当に診察が必要かどうか、よく考えてから来なさい。大体あんたのところは過保護なんだよ。ほんの些細なことで、何人もしょっちゅう来て。本当に治療を必要としている人たちは他にたくさんいるんだからね!」

「はい、すいませんでした。」と一応謝っておいた。

言われた通りにしたのに、怒られた。

病院とは恥をかきに来るところか。



ある日、ホントに風邪を引いたことがあった。ほんのちょっとした風邪。やはりいつもの指定の病院へ行くように言われた。

その病院へ行って保険証を出すと、自分の所属も分る。おそらくそのせいだと思うが、診察を受けた後、血液検査と検尿があり、更に血圧を測ってレントゲンもあって、点滴もあった。所要時間は全部で2時間くらいだった。

おそらく、この寺の人たちは、風邪をひいた時の診察はこのコースを頼んでいるのではなかろうか。だから自分が行った時も病院にとっては、いつものコースを行ったのではないかと思われる。

確かに安心といえば安心だが・・。