Top Page 文書館 No.049 No.047
ホームレスといえば、公園や道路でテントやダンボールの家に住み、着ている物は恐ろしく汚れ、悪臭を放っているという印象を誰もが持っている。一般人でホームレスと付き合ったり話をしたりする人はほとんどない。故(ゆえ)に、彼らの生活もあまり知られていない。 このファイルを書くにあたって参考にした文献は、増田明利氏著作の「今日、ホームレスになった」である。増田氏は実際に10人以上のホームレスに詳しく話を聞き、ある特定のホームレスと一週間ほど行動を共にして生活や仕事ぶりを取材している。 この本を読んで、彼らがいかにしてホームレスになってしまったかを知れば、それはいつ自分の身に起こっても不思議のないことだと考えさせられる。非常に貴重で勉強になる一冊である。 ▼取材を行った「ノブさん」の経歴 会社員をしながらジャーナリストとしての活動も行っている増田明利氏が、取材のために、あるホームレスと一週間行動を共にし、密着取材を行っている。 取材を行ったのは、通称ノブさん(49)と呼ばれる人物。ノブさんは、茨城で電気店を経営していたのだが、近隣に大型電気店が相次いでオープンしたために売上げが激減、平成8年に自宅兼店舗を、信用金庫から2000万円借りて建て替えていたのだが、この借金なども到底返せるような状況ではなくなってしまった。 そして平成12年の末に、ついに廃業に追い込まれてしまった。 商売を辞めてからは、電気工事士の資格を生かして設備工事の会社に就職したが、そこの給料では生活していくのが精一杯。借金を返すためにサラ金から金を借りるようになったが、入ってくる金が少ないために次々借金を重ねることとなった。 信金への返済も全く出来なくなり、家は差し押さえられて競売にかけられた。 最終的には自己破産し、妻とも離婚することとなった。その上間もなくして設備工事の会社はリストラで解雇され、地元で再び就職先を探したがどこも駄目だった。 東京なら何とかなるだろうと東京へ出てきたものの仕事には巡り合えず、所持金もあっという間に底を尽き、ホームレスの生活をすることになってしまった。 増田氏が取材を行った時に聞いた話によれば、ノブさんは普段、段ボールの家に住んで一日中何もしないというタイプではなく、何とか日々金を稼ごうとしている、いわば前向きなホームレスであった。 稼いだ金でカプセルホテルや簡易旅館を泊まり歩き、洗濯もしているし、身なりもわりと綺麗で、ちょっと見ただけではホームレスとは分らない。増田氏は昼前にJR蒲田駅で待ち合わせをし、ノブさんの一日を見せてもらった。 ▼駅で雑誌拾い ノブさんは朝の6時から電車に乗っていたという。電車は冷暖房完備なので、この中で寝ることが出来るのだ。前日は川崎のマンガ喫茶で一晩過ごしたらしい。 荷物は衣類の入ったリュックサックとキャリーカー。リュックサックはコインロッカーに入れ、キャリーカーを引っ張って再び電車に乗る。 一駅ごとに降りては駅のゴミ箱から雑誌を拾っていく。この雑誌を売って金に替えるためである。約2時間の雑誌拾いで収穫は大体100冊。これを古本屋に持って行く。買い取り値は1冊20円から40円。中には買ってもらえない本もあったが、全部で2700円になった。 食事は極力安いものを選ぶ。賞味期限間近で値引きされているようなパンなどである。飲み物はペットボトルを持ち歩き、公園や図書館などで水を補充している。 缶コーヒーを買って少し休憩すると再び電車に乗り、今度は元いた駅に引き返す。帰りの道中でも同じように一駅ごとに降りて雑誌を拾って行く。帰りも同じ100冊くらいは拾うことが出来た。 再び古本屋へ持ち込むと、いくつか混じっていたアダルト雑誌が評価が高く、1冊100円で引き取ってもらい、合計で3300円になった。この電車の往復で6000円稼ぐことが出来た。 この後は吉野屋で夕食。サウナで一泊して一日を終える。 ▼売れそうな廃棄品を求めてゴミ捨て場へ 次の日も同じく昼から18時ごろまで雑誌拾いをして5300円を稼ぐ。それから図書館で20時ごろまで寝る。立ち食いソバ屋で食事をした後、電車に乗って移動する。今日はここからまだ働くらしい。時間は22時になっており、辺りは人もまばらになっている。 ゴミの日の前日なのか、ノブさんの目的地は高級住宅街のゴミ捨て場だった。ここで換金出来そうな物を拾っていく。 一箇所だけではなく何か所もまわり、ラジカセ、大量のゲームソフト、CD、アディダスのコート、コーヒー茶碗のセット、ホットプレート、地球儀、アダルトDVDなどを手に入れた。 次の日にこれらをリサイクルショップに持ち込む。店主とはすでに顔なじみになっているようだ。ラジカセは300円、コートは1400円、だがホットプレートは壊れていたので駄目だった。 DVD関係は、また別の店へ持って行く。本・CD・DVD専門の店である。アダルトDVDは20枚で4000円、ゲームソフトは15枚で2200円、CDは30枚で2600円で引き取ってもらった。 売れるものを全部売ると合計で10,900円になった。この後は昨日と同様、電車に乗って雑誌拾い。この日の雑誌の稼ぎは3900円。今日の仕事はここまでらしい。 次の日は土曜日になるが、ノブさんは、土曜と日曜はビルの清掃のアルバイトをしているという。面接の時、履歴書は出したが、住所は泊まっていた簡易旅館の住所を書いた。それでも採用された。日雇いに近いバイトなので、そう追求したようなことは聞かないらしい。 多少金が入ったのでこの日はカプセルホテルに泊まる。だいたい宿として利用するのはカプセルか、一泊2000円くらいの簡易旅館である。風呂は銭湯、洗濯はコインランドリーだが、風呂に入るのは一週間に1回程度。その日の宿があって多少金があれば食い物も買えるし週に1回は酒も飲む。 翌日。雑誌拾いを終わらせた後、丸の内や大手町にある大型ビルのゴミ集積場をあさりに行く。こういったビルは売れる物がたくさん捨てられているのだという。 最初のビルでは大理石のタバコ入れや灰皿、ノートパソコン、パソコンのソフトなどを手に入れた。別のビルもまわり、未開封のビデオテープ10本セット、日本人形などを拾う。集めたものはリサイクルショップなどに持って行って換金する。 ノートパソコンが状態が良かったため、1万4000円で売れた。これが大きく影響し、この日の儲けは全部で2万1100円。 ノブさんがこれまでに見つけた物の中で最高の値段で売れた物は、日本橋のビルで拾った伊万里(いまり)の絵皿だという。骨董品屋に持って行くと古伊万里の上物だということで15万円で引き取ってくれた。 生活はなるべく切り詰めて金を残すように心がけている。郵便局へいってここ最近稼いだ金を貯金する。キャッシュカードはまだ社会人だったころに使っていたもので、口座はまだ生きているのだ。 現在の貯金額は20万円ほど。いずれこの生活から脱してアパートを借りたいと思っているのだが、どうしても最初の敷金などが必要で、何十万かは現金が必要になる。 仕事の合間にノブさんは、拾った求人情報誌や新聞の求人欄に熱心に目を通す。 「まともな職について普通の生活をしていくには住所が必要なんだ。住所不定の人間なんて社会的信用はゼロだからね。」 「とにかく金を稼がなければ。いつまでもこんな生活はしてられないよ。」 とノブさんは語る。 だがいつも上記のように雑誌や廃品がある程度の金になるとは限らない。雑誌拾いで1回2000円3000円になるのは優秀な方で、他のホームレスでは1000円ちょっとというパターンが多い。雑誌拾いは人気の仕事なので競争相手も多いのだ。 ノブさんも、一日頑張ってもわずかな物しか拾えず、全く不調の時もある。そういった時には仕方がないので貯金を降ろすことになる。だからなかなか思ったようには貯まらない。 ノブさんはホームレスの中でも、社会復帰を目指して金を稼ぎ、極力宿に泊まるという、いわば上のクラスに位置するホームレスである。 だが、ホームレスにもピンからキリまでおり、中には、社会復帰などする気のない、このままの生活でいいと考える者もいる。 この次に登場するAさんなどは、その典型的な例と言える。 ▼この生活がいい(Aさん : 取材当時53) Aさんは岐阜県出身で、高校卒業後、東京の印刷会社へ就職。15年勤務し、33歳で独立して、神田に印刷会社を設立した。仕事は順調で、当時は普通の会社員の倍の収入があった。しかし昭和60年ごろ、ワープロが世に普及していくと同時に仕事が激減した。たちまち経営難におちいる。 しばらくは印刷会社をやりながらデパートの配送のバイトを週末にしていたが、平成4年10月にとうとう廃業に追い込まれた。 その後は職を転々としていたが、どれも長続きはしなかった。奥さんも働き始めたが、この頃から夫婦仲が悪くなり、ケンカばかりするようになった。 奥さんは保険会社に勤め始めたが、才能があったのか、たちまちトップセールスとなって、月収も多い時には50万を超えた。 それと同時に収入の少ないAさんを見下すようになった。Aさんは非常に肩身の狭い思いをするようになる。 ある日、Aさんが飲みに出て深夜に帰って来ると再びケンカとなった。 「あんたなんかと一緒になるんじゃなかった!」 と奥さんに言われ、この日のケンカが決定的となって、翌日「仕事に行く」と言って家を出て、Aさんはそのまま家出した。 だが持って出た所持金はたちまちのうちに底を尽き、上野公園で暮らす生活となってしまった。あれ以来家には帰ってないが、野宿するようになって1年後に、以前住んでいた団地を覗いてみると、自分の家の表札が変わっていた。 今では女房と娘がどこに引っ越したのかも知らないし、知りたいとも思わないと言う。 ここの生活はどうですかというインタビューに対して、Aさんが言う。 「ボランティアの人が炊き出しをしてくれたり、おにぎりやカップラーメンを持って来てくれたりするので、飢え死にするようなことはない。繁華街を歩けば、まだ食べられる弁当だって捨ててあるしな。 着るものだって、ボランティアの人たちや教会の人たちが古着をたくさん持って来てくれるし、ゴミの日に集積所をまわれば、どこも痛んでないシャツやセーター、コートまで手に入る。 収入だって少しはあるんだ。時々引越し会社の臨時作業員をやってる。ああいう日雇いのバイトってのは、履歴書を持って来いなんて言わない。電話すると今度の金曜日にどこどこに集合って言われておしまい、それだけなんだよ。 だいたい月の収入は3万円くらいだな。雨の日とか、台風、雪の日なんかはカプセルホテルか浅草の簡易旅館に泊まるようにしてるんだ。 とにかくここにいれば楽でいい。義務も責任もない。一日中、気の合う仲間と酒を飲みながら麻雀をしたり将棋をさしたりして一日が過ぎていく。 ボランティアの人が色々面倒みてくれるから働かなくても生きていけるんだ。天国だ。ボランティア様々だよ。」 <仕事をする意思があるかどうかについてAさんは> 「もらい癖がついた人間がまともに働けるわけがねえよ。」 「骨の髄まで野宿生活が染みついちまったんだ。もうあきらめてるよ。将来もあるなんて思っちゃいない。それでいいじゃねえか。人様に迷惑かけてるわけじゃないんだ。」 誰も好き好んでホームレスになる人間などはいない。だが、いざなってみると「この生活もまあいいか」と思い始める人はいるようである。このAさんなどはまさにそういった人である。 ▼その他のホームレスの収入源 道路にゴザを敷いて座り、空き缶を前に置いて道行く人に金をめぐんでもらう、というのは数十年前の「乞食(こじき)」のイメージであり、現在のホームレスは、その70%が何らかの仕事をして収入を得ているらしい。 しかし中には全く働かないホームレスもいる。ボランティアが持って来てくれる食べ物に頼ったり、公園のゴミ箱をあさって、捨ててある物を食べたりするタイプである。高齢者やアル中、体に障害がある人、あるいは全く働く意思のない者などにこのパターンが多い。 代表的な収入源は電車に乗っての雑誌拾いである。一日で1000円から3000円になる。もちろん労働時間や本人のやる気によって集められる本の数は変わってくるし、本の種類によっても買い値に差がつく。 普通の漫画雑誌は1冊20円くらいだが、アダルトの写真集や新しいものは200円くらいの高値がつく。雑誌拾いは数と種類によって収入にも差が出てくる。 人気の収入源だけあって、縄張りもあるらしい。JR品川駅で、ホームレス同士が雑誌の取り合いでケンカになり、片方が線路に突き落とされて入って来た電車に跳ねられて死亡するという事件も起こっている。 また、ホームレスが集めてきた雑誌を買って、路上で販売するホームレスもいる。だいたい1冊あたり70円くらいの利益が出るように値段を設定するらしいが、公道の不法占拠に当たるため、警察に見つかったら撤去させられる。 日雇いのアルバイト。 これは東京大阪などの大都市でないとそうそう仕事はない。履歴書を出さなくても、一日だけのバイトだったら採用してくれるところは多いらしく、ある程度の金になる。日当は6000円から1万円前後。 資源ゴミの回収 アルミ缶は1缶が約2円で引き取ってもらえる。1000円稼ごうと思ったら500個集めなければならない。また、古新聞とダンボールは100kg集めて600円。 並び屋 依頼主から金を渡されて、大型電気店の超目玉商品を買うために並んだり、商品購入やチケット購入のための整理券をもらうために並んだりする。徹夜して並んでも日当は1000円。 ▼何人いるのか 2008年4月5日に発表された厚生労働省の、ホームレスに関する調査によれば、日本のホームレスの数は1万6018人。そのうち男性が1万4707人で全体の91.8%を占める。女性は531人で3.3%、性別不明者が780人いた。 「性別不明者」という項目があるのは、調査の行われた時期が冬だったために、防寒着などで顔が隠れていて男女の判断が出来なかったということである。 ホームレスは全国におり、一番多いのは大阪で4333人、次が東京で3796人となっている。初めてホームレスの調査が行われた2003年には2万5296人だったというから、ずいぶんと減ったことになる。都会の雇用情勢が好転したためではないかと考えられている。 だがホームレスの数に関しては「この調査自体にかなりの穴がある。」と、著者の増田氏は指摘している。 数を取っていくのも、調査員が遠くから見て数をカウントしていっただけで、実際に一人一人に接触して確認したわけではない。性別不明者という項目があるのも、そのためだ。 そして調査が行われたのは昼間である。多くのホームレスは昼は雑誌拾いをしたり日雇いのアルバイトに出ていることが多い。そしてわりとまともな格好をしているホームレスであれば、図書館やデパートで一日を過ごしている。 この調査の数は、昼間に河川敷や公園で確認出来ただけの数であり、実際には含まれていない数が相当いると思われる。 近年はホテル以外にも夜通し過ごせる所が増え、時々報じられる、マクドナルドで一晩を過ごすマクド難民と呼ばれるホームレスや、ネットカフェで過ごす者も増えている。 最終便が出た後のバスターミナルのベンチなどは、ホームレスたちの寝床になっているらしく、その他道路に寝る者や、墓地、歩道の植え込みの陰、商店街のシャッターの前など、ホームレスは様々な場所で寝ており、このような者たち全ての数を数えることなどはまず不可能である。 増田氏はホームレスの数を、調査の5割増しの2万5000人くらいではないかと推測している。 ▼その他の統計 2005年、大阪府 野宿生活者 実態調査によれば、ホームレスになる前の職業は、建設関係が圧倒的に多く、全体の56.9%を占める。次いで製造業26.7%、運輸・通信5.8%と続く。 直前の雇用形態は、正社員が42.3%。 また、普段の生活場所については、84.4%が「一定の場所にいる」と答えている。カプセルホテルやネットカフェなどを泊まり歩く移動型は15.6%である。雑誌拾いや日雇いの仕事に出ても同じ場所に帰って来るというのは、家に帰って来るのと同じ感覚であろうか。 生活場所が決まっている場合、「そこはどこか」という問いに対しては公園30.3%、河川敷26.8%が多く、道路9.4%がそれに続く。 アンケート結果にもあるように、ホームレスは、いつも同じところにテントを張ったりして定住している者と、少しでも金を稼いで泊まれる所を転々としている者と、二つのタイプがある。 転々としている方は、あまりホームレスとは分らない者が多い。ホームレスと言えば、道路や公園、河川敷などにテントを張って生活している者という印象が強いが、実際は人には気づかれないホームレスも大勢いるようである。 管理人吉田の地元では、テントで生活している人などは見たことがない。ないが、自分がこれまでの人生で知り合いになった人の中にはホームレスの人が4人ほどいた。4人とも社会人であり、働いている人である。 2人は自家用車が家であり、1人は友人宅を渡り歩き、もう1人は会社で寝たり公園で寝たり、サウナに泊まったりの毎日寝床が変わる人であった。4人とも住所は会社の住所にしており、郵便物は会社に配達されるようにしていた。 ▼こうしてホームレスになった ●Bさんの場合 Bさんは、大学を卒業して9大商社の一つに就職した。主に財務を経験する。バブルがはじけてからは会社の業績が急激に悪化し、以前は7〜8ヶ月分あったボーナスも、0.5ヶ月分まで落とされた。 勤続25年で、財務部の次長にまでなっていたが、これ以上ここにいても収入が減るばかりと考えていたところへ、会社が希望退職者を募(つの)り始めた。 倒産しては元も子もない。まだ、上乗せの退職金が出るうちにこの会社に見切りをつけて別の会社へ移った方が得策だと判断し、Bさんは希望退職に応じて会社を辞める。 「まだ40代半ばだったし、転職先はいくらでもあると思ってたんだ。」 とBさんは語る。 退職金は手取りで2300万円。そのうち2000万円をマンションの返済にあてて、残ったのは300万円。しかしこの金も子供の教育費と生活費で全て消えてしまう。 就職が決まらない。どこへ応募しても年齢で除外される。自分としては財務は専門職だと思っていたから、半年もあれば好条件のところへ入れると思っていたが、完全に考えが外れた。 2人の子供を抱えているので、年収で700万くらいのところを探したが全て駄目。 「手当て込みで30万円、年収で450万ほど。こんな程度のものばかりでした。」 と、Bさんは就職活動を振り返る。 やっと採用されたのが中小企業の経理だったが、2年ほど勤めた時、 「今後は息子にこの仕事をやらせるから、あなたはもういいです。」といったようなことを言われて解雇になった。 その後はクリーニング屋でバイトを始める。時給は900円だった。月の収入は15万円で、奥さんも働きに出ていたが、2人合わせても月22〜23万円だった。 しかし昔の感覚が抜けず、カードで買い物をしたりしてボーナス時の支払いが50万円を超えたりすることもあった。更に、住んでいたマンションが10年目の大規模な改修工事をするというので居住者一戸当たり80万円の負担がきた。 貯金も底を尽いていたので、3つのサラ金で150万円借りた。収入が収入なので、返せるわけがない。別のサラ金から借りてこっちへ返す、ということを繰り返しているうちに、最初に借りた150万は、1年半後には1600万円に膨(ふく)れ上がっていた。借りた会社は全部で16社。 「金返せ!」とサラ金から激しい取り立てが来る。マンションを売って何とか返済したものの、奥さんは子供を連れて実家へ帰り、家庭は崩壊した。 マンションを売ったのでBさんも住む所がなくなってしまった。最初は兄弟たちのところを転々としていたが、あまり迷惑をかけるわけにもいかず、ついに公園で暮らすこととなった。 ▼こうしてホームレスになった ●Cさんの場合 Cさんは、関西の国立大学を卒業し、大阪で、大手の鉄鋼会社へと就職した。30年勤め、最終的には本社の副部長まで昇進する。しかしある日、外回りの営業から帰ってくると、「人事部が呼んでる」と言われ、人事部へ行くと、今年の年末で辞めてもらうことになったと告げられた。 一瞬で頭の中は真っ白になった。 Cさんにすれば、配置転換は色々経験したが、どの部署でもきっちり仕事をやってきたという自信はあったし、4半期ごとの売上げ目標もクリアしており、トラブルも起こしたことがない。なぜ自分が整理対象になるのか、納得がいかなかった。 その点を聞いてみたが、中国や韓国の安いところと競争していくためには、人件費の高い中間管理職を抱えている余裕などはこの会社にはないということだった。 Cさんも抗議したが「決まったことだから」の一点張りで、全く話し合いにはならなかった。 「今後、あなたにこの会社でしていただく仕事はありません。」と常務に告げられ、一方的な解雇通告を受けて終わりだった。30年勤めた実績などは何の役にも立たなかった。 企業がリストラする目的は人件費削減であるから、Cさんがリストラ対象となったのは、やはり「給料が高い」という理由が大きかったようである。 2週間で後任に引継ぎを終わらせると「人事部開発室付け」という所属に切り替えられ、出社する部屋も変えられた。半年間、この部屋に出勤するようにとのことだった。要するに、半年以内に次の仕事を見つけろということで、この部署は仕事など何もない、ただ「居る」だけのような所だった。 ここにはCさんを含めて60人ほどが所属となり、別名「リストラ部屋」と呼ばれていた。仕事は「次の仕事を見つけてくること。」である。 半年が経ったが、再就職先が決まったのは3割くらいの人間だけだったという。Cさんも面接にはかなり行ったが、どこも年齢で引っかかり不採用ばかり。結局進路が決まらないまま退職することとなった。 退職金は2500万円出たが、家のローン返済で消えていった。熱心な就職活動の結果、退職して8ヵ月後、ようやく一社採用になった。 教育ビデオの製作・販売をしている会社だったが、5巻セットで3万円のビデオを売ったり、書店で2000円で売っているものを4000円で売ったりなどの胡散(うさん)くさい商売をしている上に、給料も売上げに応じた歩合給だった。 訪問販売のようなものだったが、交通費も自分持ちの上に、やっていることも詐欺っぽかったので、ここは2ヶ月で辞めた。 それからは全く仕事に就(つ)けない日々が続いた。人材派遣会社へ登録もし、職安へも何回も行ったが、全て駄目だった。 そして東京へ行くことを思いつく。一つアテがあった。大学時代の友人で、材木の輸入・販売の会社を経営している男がおり、同窓会で合うたびに「一緒にやらないか。」と誘ってくれていた同級生がいたのだ。 思い切って訪ねてみたが、その会社があるはずのビルは閉鎖されていた。管理室で聞いてみると、ずいぶん前に倒産したとのことだった。家の電話番号も知っていたので電話してみたがつながらなかった。大変なのは自分だけじゃなかったことを改めて思い知った。 奥さんには「俺の実力を知っている奴だから喜んで迎えてくれるはずだ。」と言って出て来た手前、のこのこ帰れない。 手持ちの金は2週間で使い切り、そのまま路上生活へ入ることになった。上野公園が主な生活場所となり、雑誌を拾って古本屋へ売り、この時は一日1000円ちょっとの収入で何とか生きているということだった。 Cさんの談。 「まだスーツを着て働いていた時は、梅田や難波でそういう人たちを見て『ああはなりたくない』と思っていたけど、簡単になってしまった。何が悪かったんだろうと思いますよ。」 「こういう暮らしをしていると恥という感覚が日に日に失せていくんだ。ゴミ箱に手を突っ込んで雑誌拾いするのだって何とも感じなくなった。」 「道を歩く時も、前は人に見られるのが嫌で下を向いて歩いていたけど、今は普通に歩いている。 いつもはそこの歩道橋の下にダンボールを敷いて寝てるけど、すぐ横をサラリーマンやOLの人が通っても何とも感じなくなった。地べたに座って弁当を食ったり酒を飲んでいるところを見られても平気になってしまった。 人間なんて、驚くほど簡単にみっともなくなっていくんだ。」 ▼他人ごとではない ホームレスの平均年齢は57.5歳。ホームレスになった理由は、ほとんどの者が40代、50代になってからの失業である。40代、50代と言えば、元の会社でも出世している人が多い。ホームレスには、元会社の重役が多いと言われるのもそのためである。 中には、会社を経営していて倒産し、従業員たちから「給料払え」と訴えられて夜逃げし、そのまま路上生活に入った人もいる。サラ金からの借金が膨大に膨らみ、夜逃げしてホームレスになるというパターンも多い。ギャンブルによる借金であればあまり同情は出来ないが、そうではない人もいる。生活費が足りずに借金を重ね、支払が出来ずに、こっちから借りてあっちへ返すというパターンである。 再就職先を探して何十社面接に行っても年齢が弱点となり、全て不採用。中には履歴書を100枚書いて応募しても、全て不採用だった人もいる。そのうち退職金も貯金も底を尽いて、住む所もなくなる。 皆、やむを得ずそのような状況になってしまったのであり、今きちんと働いている人たちでも、自分だけは大丈夫という保証はどこにもない。 |