Top Page 現代事件簿の表紙へ No.010 No.008
女子大生とその家族は、警察に何度も助けを求めたが応対されず、ついに最悪の結末を迎える。事件発生後に埼玉県上尾署の調書改竄(かいざん)や様々な嘘が明るみに出て、警察官12名が大量処分を受ける異例の事態となった。ストーカー規正法が成立される原点ともなった事件。 (被害者は仮名)
▼事件発生平成11年(1999年)10月26日、午後1時の少し前、埼玉県のJR桶川(おけがわ)駅付近。この日、跡見学園女子大学二年の矢野香織さん(21)は、桶川駅のすぐ近くに自転車を置いて、そのまま電車に乗って新座市にある大学に向かう予定であった。 しかし自転車を置いてその場を離れようとした時に、いきなり何者かに刃物で襲われ、左胸と右の脇腹を刺された。犯人は逃走したが、多数の目撃者がいた。香織さんは上尾(あげお)中央総合病院に運ばれたが、出血多量で死亡した。 報道の第一報では、通り魔と伝えられたが、実は明らかに香織さんを狙っての犯行であった。 この事件を起こした張本人は、以前の香織さんの交際相手である「小松和人」(当時26)、実際に香織さんを刺した実行犯は「久保田祥史」(当時34)であるが、この他にもまだ仲間がいた。 ▼香織さんと小松の出会い 香織さんと小松が出会ったのは、平成11年1月、友達とゲームセンターにいた香織さんに、小松が声をかけたことから始まる。この出会いをきっかけとして、二人は交際を始めることとなった。 しかし小松は自分の名前を「小松誠」と名乗り、歳も23とサバを読み、仕事も車の販売、不動産、貴金属などを扱っている会社の経営者だと偽った。実際小松がやっていたのは兄の武史(東京・板橋消防署勤務)と共に、池袋でモグリのファッションヘルスを7軒経営していたことである。 実際、金は持っていた。ポケットにはいつも札束を詰め込み、ベンツを二台所有。本人は香織さんに、「月一千万稼いでいる」と言ったという。 付き合い始めて最初の頃は小松は普通であったが、一ヶ月も経った頃、ヴィトンのバッグなどを始めとして100万円近いプレゼントを渡されたことがあった。 「こんな高価なもの受け取れないよ。」と香織さんが遠慮すると、小松は突然激怒し、 「これが俺の愛情表現なんだ! 何で受け取れないんだ!」などと、人目も気にせず怒鳴り上げた。 この時から小松を「怖い」と感じていくようになった。 ▼恐怖を感じ始める 香織さんが小松の池袋のマンションに遊びに行った時、その部屋の中にビデオカメラが仕掛けてあることに気付き、「なんでカメラがあるの?」と聞いた途端、小松はまた激怒し、香織さんを壁に押しつけ、顔のすぐ近くの壁を何度も殴った。 「俺に逆らうな!」「プレゼント代の100万返せ!」「返せなければソープで働け!」などと、脅し、怖がった香織さんが分かれ話を切りだしても一切受け付けず、逆に脅迫を繰り返した。 30分おきに携帯をかけ、出なければ後で怒鳴りちらした。「今、何してんだ」という問いに香織さんが「犬の散歩を・・。」と言うと「ふざけんな。俺を放っておいて犬と遊んでんのか。その犬殺してやるぞ。」 などと、何かにつけて脅しをかけた。 3月の下旬、香織さんは「私、殺されるかも・・。」と友達に漏らしている。また、万が一の時のために数人の友達宛てに遺書も書いていた。 電車に乗っているときに小松から電話があった。「電車内だからかけ直すね。」と言って香織さんがいったん電話を切って桶川駅で降りると、中学の時の友達にばったり出会った。そのコとつい話しているとまた小松から電話。 「お前、何やってんだっ!なんですぐかけ直さないんだ!」香織さんが事情を話すと「嘘つけ、男だろう!」「そいつと替われ!」「違うの、お願いだからやめて。」「いいから替われ!替われって言ってんだあーっ!」と、怒鳴り散らした。 女友達が電話に出ると小松はやっと納得した。 そのうち香織さんは、自分の行動が監視されていることに気付く。興信所のような連中がしょっちゅう自分の後をつけてくるのだ。実際小松は、香織さん本人しか知らないようなことでも詳しく知っていた。会話の間にさりげなく嫌味のように香織さんの行動を話し出す。 4月21日にはマンションで、香織さんに携帯電話を反対方向に折るように命令した。携帯の中のアドレス帳を消失させるのが目的だった。断れるはずもなく、香織さんは携帯のメモリを失った。しかし小松はこの前に香織さんの携帯の中身をそっくり移しとっており、登録してあった男たちに「香織に近づくな。俺の女に手を出すな。」といった嫌がらせの電話も数多くかけている。 何回も別れ話を持ち出すが小松は一向に受け入れない。それどころか、 「お前の親父の会社○○だろ。親父がリストラにあっちゃったら、お前の弟たち、まともに学校に行けなくなっちゃうよ。俺にはそんなこと簡単に出来ちゃうんだよ。」「別れるというんなら、お前を精神的に追い詰めて天罰を下す。」「俺の人脈と全財産を使ってお前を徹底的に叩き潰す。」「俺は自分では手を下さない。金で動く人間はいくらでもいるんだ。」 などと、脅迫した。父親の会社のことなどは喋ったことがないのに小松は知っていた。また、教えてもいないのに自宅の電話番号も知っていた。興信所に依頼して香織さん関係のことは徹底的に調べ上げたのだ。 ▼家に乗り込んでの脅迫 6月14日、香織さんは池袋の喫茶店で小松と会い、自分の意思をはっきりと伝えた。 「俺を裏切る奴は許さない。お前の親父にも(俺と付き合ってることを)全部バラしてやる。」 などと言い、このことを弁護士に言うと、その場で電話をかけ始めた。 一通り相手の「弁護士らしき人物」に喋った後、小松は電話を香織さんに渡して、替われと言う。実際には電話の相手は小松の兄の武史であって、兄弟揃って香織さんを脅迫するように話が出来ていたのだ。 香織さんが電話に出ると相手の男は 「あなたはひどい女ですね。お宅に伺いたいと思います。」と言う。 「構いません。日にちを決めて電話を下さい。」 「今すぐお宅に伺いたいと思います。」 「日にちを決めてと言ってるじゃないですか。あなた本当に弁護士なんですか。」 「今からあなたの家に行きますから。」 香織さんは慌てて喫茶店を飛び出し、家に向かった。両親に危害が及んではいけない。家にたどり着くと、何事もなかったかのようにいつも通りの家だった。 「よかった、ウソだったんだ・・。」 しかしホッとしたのもつかの間だった。玄関のチャイムが鳴り、誰かが来た。 「香織さーん、いますかーっ!上がらせてもらいまーす!」と、ドスのきいた声で三人組の男が勝手に家の中に入ってきた。その中の一人は小松だった。 またもや一方的に脅しをかける。途中で父親が帰ってきて抗議した。 「女ばかりの家に上がりこんでどういうことなんだ!」 と言うと、三人の中の一人が、自分は小松の「会社の上司」だと名乗った上で、 「小松が会社の金を500万ほど横領したんですよ。事情を聞いてみたところ、お宅の娘さんにそそのかされたらしいんですわ。私たちは娘さんを詐欺で訴えます。どうですか。誠意をみせてもらえませんか。」 などと言う。 当然父親は拒否した。 「話があるなら警察で聞こう。」 しばらく言い争いになったが、「このままじゃ済まさんぞ。」などと言い残してやっと帰って行った。これらのやり取りは香織さんがカセットに録音しておいた。友達のアドバイスで、警察に提出する目的で、こっそりと録音していたのだ。 ▼警察に助けを求めるが・・ 男たちが帰った後、香織さんは家族に全てを話した。そして翌日、母親と共に警察へ助けを求めに行った。 訪れたのは埼玉県上尾(あげお)署である。二日ほど足を運んだ。二日目は父親も一緒になって、あの録音を聞いてもらい、助けを求めた。 しかし警察側の対応は冷たいものだった。一人は 「これはひどい。恐喝だ。」と言ってくれたが、他の警察官は 「だめだめ。これは事件にならないよ。」 「そんなにプレゼントをもらってから別れるといえば普通、男は怒るよ。」「あなたもいい思いしたんじゃないの?」「こういうのはね、男と女も問題だから警察は立ち入れないんだよ。」 結局、事件にするのは難しい、ということで帰されてしまった。テープは一応、警察で預かるとのことだが、何も期待は出来なかった。 ▼悪質な嫌がらせ しばらくして小松からまた電話があった。香織さんがまた別れる意向を伝えると、 「分かった!もういい!覚えとけよ!」と電話は切れ、これを最後に小松からの連絡は途切れた。 一ヶ月ほど何もない時期が続いた。その間にもらったプレゼントは全て送り返した。 7月13日。 自宅の近くに香織さんを誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)するような大量のビラが貼られていた。ビラはカラー印刷で 「WANTED 天にかわっておしおきよ!FREEZE 矢野香織」 「この顔にピンときたら要注意 男を食い物にしているふざけた女です 不倫・援助交際当たり前」 と書かれ、香織さんの顔写真が載っていた。 何も知らない幼い弟が拾ってきたり、近所の人が届けてくれたりもした。自宅のポストには束で100枚ほど突っ込まれていた。 雨の日だったが、母親が濡れながら一枚一枚はがして歩いた。ビラは香織さんの大学の近くや駅、父親の会社近辺にもバラまかれていた。一人の仕業とは思えなかった。近所の人の話では、チーマー風の若い男二人が貼っていたという。 また、嫌がらせの印刷物はこれだけにとどまらず、板橋区では、香織さんの顔写真と共に「援助交際OK」と書かれ、自宅の電話番号まで書かれてあるカードがバラまかれていた。そのカードを見て電話をかけてきた人がいたので、その存在が分かったのだ。 インターネットの掲示板でも同様の書き込みがされていた。香織さんの友達の写真や携帯番号まで書かれていた。 警察に動いてもらうには刑事告訴しかない。しかし告訴ともなれば、話したくないことまで話さなければならないだろうし、ますます相手の反感を買ってしまうかもしれない。しかし勇気を持って告訴に踏み切った。 「今、試験中でしょ、終わってから出直せばいいのに。」という警察官を押し切って、告訴は7月29日、受理された。最初に警察を訪れてから一ヶ月半が経っていた。 8月23日。 今度は小松から嫌がらせの手紙が来た。手紙は父親の勤務する埼玉の支店に800通、東京の本社にも400通ほど送られてきた。切手も貼ってあり、渋谷局の消印が押してある。 手紙の内容は「御社の矢野は堅物(かたぶつ)で通っているが、実はギャンブル好きで、外に女がいる。」とか「この娘のせいで会社の金が横領された。御社のような大企業がこのような男を雇っているのは納得出来ない。」などと書かれ、香織さんが援助交際しているとか、父親は莫大借金を抱えているとか、でたらめな内容だった。 香織さんの父親は会社では三枚目というかひょうきん者であったため、この内容は事情を知らない者のいたずらということで所属している支店では問題にされなかったが、東京の本社の方からは問い合わせが来た。 ▼上尾署の担当警察官による、ずさんな対応と裏工作 (※上尾署の一部の者の行動) 父親はこの手紙を持って警察に行き、これはもう脅迫です、と訴えた。 しかし担当の刑事は、 「これはいい紙を使ってますね。手が込んでるなぁ〜。」と言いつつ笑っているだけで相手にされなかった。 9月21日。 香織さんの家に刑事が来た。先日の告訴を取り下げて欲しいというのだ。母親がお断りします、と断ると「また簡単に出せますから。」と相手の刑事は言ったが、告訴は一度取り下げると二度と出すことは出来ない。素人をだますとんでもない嘘であった。母親はそのことを知らなかったものの、ガンとして告訴は取り下げないと突っぱねた。 これは上尾署の生活安全担当課の次長の指示である。告訴を受理した刑事は怒られ、「告訴状を受理しなくても被害届で良かったじゃねーか! 未処理の告訴が増えるとウチ(上尾署)の成績が下がるんだよ!」と次長は怒鳴ったという。 告訴取り下げの依頼は、自分たちの成績重視のためだったのだ。 この後、警察は加害者を告訴する、という旨の文書を「被害の届け」に書き換えたり捜査報告書、実況見分調書、母親の供述なども書き換えた。 事件を調査していたFOCUSの記者・清水潔氏は、最初にこの話、すなわち「告訴を取り下げてくれと、刑事が来た」という話を聞いて、てっきり小松一派ストーカー集団の偽(にせ)刑事がやったことだと思った。 上尾署に行って確認も採(と)った。清水潔氏の友人記者が上尾署に行って同じ件で尋ねてみると「調べてみましたが、そんな刑事はうちにはいません。記録も報告もありません。そんなことを言うはずもありません。」という返事だった。また、別の関係者は「おそらく(その刑事は)偽者でしょう。芝居を打って告訴を取り下げようとしてるんでしょう。」というコメントだった。 普通の思考では、完全に小松が行かせた偽刑事であると思われる。 しかし事実は逆であり、後に判明したことだが、やはりこの刑事は本物だった。FOCUSの記者である清水潔氏が香織さんの両親に「偽刑事が来たそうですね。」と、この話を持ち出した時、ご両親は「それを言ったのは本物の刑事さんです。私たちの告訴の調書を採った人です。」という証言で発覚した。 告訴状を受理すると検察庁への書類送付義務が生じる。また、県警本部から状況を管理される。二ヶ月経っても捜査が進展していなければ問題とされる。つまりは、事件を抱えこみたくない・面倒くさい・署の成績が落ちる、ということで事件そのものをなくしてしまおうとしたのだ。担当警察官は、告訴という文字を二本線で消して届出という言葉に書き直した。 この文書は3つの文献を参考にしたが、メインは新潮文庫の「桶川ストーカー殺人事件 - 遺言 - 」清水潔 著である。徹底的に犯人や事件背景を地道な捜査で調査し、膨大なる作業で事件を解明した清水氏は偉大なるジャーナリストであると思う。 ▼犯行当日 10月16日。 香織さんの家の前に二台の車が止まり、窓を開けて大音響で音楽を鳴らし始めた。同時にエンジンの空ぶかしも始め、付近も巻き込むような嫌がらせだった。すぐに警察を呼んだが、警察が来た時にはその二台はすでに走り去っていた。 10月26日。 香織さん殺害の日。実際に犯行に関わったのは、久保田祥史(34)、川上聡(31)、伊藤嘉孝(32)の三人である。 久保田は小松の風俗店グループの、ドリームという店の店長だった男で、小松に借金がある。 川上も同じく、小松の風俗店グループの中で店長をしていた男。伊藤も同じ風俗店グループの幹部だった男である。 伊藤が香織さんの家を見張り、香織さんが家を出るとそれを久保田に伝えた。久保田は川上の運転する車に乗って桶川駅近くで降りた。 そして自転車を置いている香織さんに近づき、最初に後ろから右脇腹を刺した。香織さんが振り向いたところを今度は左胸を刺した。 久保田は川上の車に乗って現場から逃走する。もちろん、この事件はこの三人だけが犯人グループではない。彼らの後ろに小松和人と、その兄である小松武史が存在する。 まず小松が兄の武史に2000万円を渡し、香織さんの件を頼む。金を受け取った武史は久保田に「悪い女がいるので殺(や)って欲しい。」と依頼した。 (主犯である小松和人は、アリバイ作りのため、犯行日の前から沖縄にいた。) 香織さん殺害後は武史が、実行犯の久保田、川上、伊藤をカラオケボックスに呼び出し、殺しの報酬として、久保田に1000万円、川上と伊藤に400万円を手渡した。200万円は事前の中傷のビラの印刷費で使っていた。 ▼上尾署の情報操作 香織さんが何度も助けを求めたにも関わらず、それを無視して捜査しなかった上尾署担当官。更に「告訴を取り下げて欲しい」と頼み、「また告訴状はすぐ出せますから」と嘘を言い、そして告訴状を改ざんし・・そうした上尾署の怠慢で不正な態度が香織さんの死という最悪の結果を招いた。 香織さん殺害後も本気で調査をせず、結局実行犯の久保田の潜伏先を突き止めたのはFOCUSの記者・清水潔氏であった。 香織さんが息を引き取った時、母親は警察の取調室にいた。この時点から上尾署の情報操作は始まっていたとみるマスコミもいる。これまでの経緯が公になっては困るため、家族をマスコミから隔離したというのだ。 また、香織さん本人のことについても、意図的にマスコミをある方向へ導くような偏(かたよ)った情報を流したとも伝えられている。これらの情報の影響を受けてワイドショーや週刊誌は香織さんのことを「キャバクラで働いていた」「風俗嬢だった」「ブランド品が大好き」のようなイメージで伝えた。 香織さんは殺害される一年くらい前に普通のスナックで二週間ほどアルバイトをした経歴がある。しかし酒に酔った人の相手は出来ない、とバイト代も受け取らず二週間で辞めてしまった。だいたいそこの店に勤めだしたのも、友人がその店で働くことになった時「一人で働くのは心細い」と、相談を受けて付き合いで一緒にバイトを始めただけだという。ある記者がそこを風俗店だと決め付けたのがデマの発端である。 しかし香織さんの作られたイメージは拡大し、「風俗嬢だった・男好き・プレゼントをねだる・色んな物を買ってもらっていながら突然態度が変わってしまうので、怒った男に殺された」などという感じで伝えられたため、視聴者は自然に「被害者にも非がある」という意識を持つようになった。これらの放送を見て香織さんを良く知る人や家族は激しい憤(いきどお)りを感じたがメディアで流れてしまったものはどうしようも出来ない。 矢野家の人々は被害者でありながら、例えようもない精神的苦痛を味あわせられる。しかし一部のマスコミがこれまでの上尾署の行ったことを週刊誌でスッパ抜き、立場が危うくなった警察はようやく本気で動くことになる。 ▼小松和人の最期 12月19日。 実行犯の久保田祥史が殺人容疑で逮捕される。 12月20日 次いで、小松武史、川上聡、伊藤嘉孝が殺人容疑で逮捕される。 一方、実際は犯行に加わっていなかった首謀者の小松和人は以前行方不明のままであったが、ようやく名誉毀損(きそん)で指名手配された。 小松和人は北海道に逃げていた。知り合いに頼み、ある組織にかくまってもらっていた。 「金なら1億ある、これで逃がしてくれ」と言って取りあえず2000万円払った。しかし小松が指名手配されたということで、組織では「やっかいなものをあずかった」という立場になってしまった。小松は最終的にはロシアへ逃げる予定だった。 だが、ついに小松和人は発見された。 ロシアではなく、北海道の屈斜路湖で水死体となって発見されたのである。遺体は仰向けになっており、遺体の背中側は温泉の地熱で何箇所も火傷(やけど)をし、反対に身体の表側は凍りついていた。顔も厚い氷で覆われていた。 死因は水死。リュックサックの中には走り書きのような感じで「天国には行けない」と遺書めいたものが残されていた。北海道に来た時には一億あったという現金もほとんどなくなっていた。 小松の身体からはアルコールと睡眠薬のようなものが検出された。自殺と断定された。あまりにも哀れな死に方だった。 ▼上尾署担当官の不正がメディアに乗り、処分決定 主犯の死という形でこの事件は終わりを告げるかに思えたが、そうではなかった。 「ブロードキャスター」「ワイド!スクランブル」「ザ・スクープ」などのテレビ番組で、これまでの上尾署の怠慢や重ねられてきた嘘が暴露され、埼玉県警や上尾署は世間の追求を受けることになる。 埼玉県警や上尾署には抗議の電話などが殺到したという。警察側の発言が二転三転し、県警調査グループの捜査により告訴状改ざんの事実も発覚する。更に国会でも警察が厳しい追求を受けた。 そして担当警察官だった片桐敏男、古田裕一、本多剛の三人が懲戒免職となり、他は減給など、12人の大量処分者を出す異例の事態となった。事実を認め、警察側も「香織さん並びにご両親の訴えを真摯(しんし)に聞いていれば、娘さんは殺害されることはなかったと思うと痛恨の極みであります。」と謝罪した。 この事件がきっかけとなって2005年5月16日、ストーカー規制法が成立した。 しかし香織さんの両親が警察に対して民事訴訟起こすと一転して警察は対立姿勢を見せる。本来、殺人事件捜査のために矢野家から預かった証拠物件(日記や携帯、本当に殺された時に備えて両親や友人に当てて書いていた手紙 = 遺書)などを、香織さんの人格を落とすために利用した。 つまり、こういった性格、こういった生活をしていたから殺されたのだ、警察に落ち度はなかったと言わんばかりの発言をし、また、日記からどこかへ遊びに行ったという事実を抜き出し「本当に危険と感じていたならあの時遊びに出たりしないはずだ」などと述べ、小松との会話を録音したテープについても、脅されている部分を問題にせず、楽しそうに会話している部分だけを抜き出して裁判の材料とした。 刑事事件で押収した物件は本来その事件捜査についてのみ使用されるべきであって、その証拠物件を民事裁判に持ち出して自分たち(警察側)の自己弁護に使用すること自体が法に反している。 2006年8月30日。最高裁第二小法廷が、警察の捜査怠慢と香織さんの殺害に因果関係はないとした一・二審の判決を支持し、香織さんの両親の上告を棄却し、警察の責任は問われることなく終了した。 Top Page 現代事件簿の表紙へ No.010 No.008 |