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三人の妻が不審な死。当時の日本では聞き慣れないトリカブト毒を使った殺人が解剖によって実証される。 (被害者は仮名)
昭和61年5月20日、神谷理香子さん(当時33歳)は、女友達3人と一緒に沖縄の石垣島に旅行に来ていた。しかし13時30分ごろ、ホテル内で理香子さんは急に苦しみだし、吐き気や手のしびれを訴え始めた。友達がベッドに寝かせたものの容態は悪化する一方で、ホテル側に言って救急車を呼んでもらい、近くの病院に搬送されたが、そのまま回復することなく心停止状態となり、15時4分に死亡が確認された。後の行政解剖の結果、死因は「急性心筋梗塞」とされた。 この旅行は、神谷理香子さんの夫である「神谷力」と、その妻の理香子さんが、理香子さんの女友達3人を石垣島に招待する計画になっていた。一足先の19日に神谷夫妻は沖縄に到着し、那覇で一泊した。そして翌日20日に羽田から来る友達3人を那覇空港で出迎えて、一緒に石垣島に行く予定になっていた。 しかし神谷は、急に仕事が出来たからという理由で、午後の便で那覇空港から大阪に帰ると言いだした。それで理香子さんと友達3人だけが石垣島に行き、神谷本人は那覇空港に残ったのである。 理香子さんが倒れた後、事情を知っている友達たちが、すぐに那覇空港に連絡して館内放送してもらい、神谷を呼びだしてもらった。事態を告げると神谷は石垣島行きの飛行機に乗り、病院に急遽(きゅうきょ)かけつけたが、すでに理香子さんは死亡していた。 神谷が理香子さんと別れたのは12時ごろという。そしてその一時間半後の13時30分、理香子さんは突然苦しみだし、死亡したのである。 理香子さんは神谷にとって3人目の妻になる。 一人目の妻は昭和56年7月、心筋梗塞で死亡している。二人目の妻も昭和60年9月に急性心不全で死亡しており、この時には保険金一千万円を受け取っている。そして三人目の妻・理香子さんも石垣島で死亡した。 また、理香子さんの死後、理香子さんには多額の保険金がかけられていたことも分かった。住友生命に4500万(月々の掛け金は49500円)・三井生命に4500万(48500円)・明治生命5000万(55000円)・安田生命に4500万(32150円)。 しかもこれらの生命保険に申し込んだのは、昭和61年3月28日から4月5日までの、わずか9日間の間にまとめて四社と契約している。もちろん、受け取り人はすべて神谷である。 そして二ヶ月も経たないうちに理香子さんは死亡した。 これら四社の保険金を合計すると1億8500万円。月々の掛け金は18万5150円となる。 月々18万円以上もの保険料を支払っていくというのは、普通の社会人としてあり得ないことである。これらのことから、当然、保険金殺人を疑われる。 生命保険会社四社はそろって神谷への支払いを拒否した。ただ、この時点では殺人だという証拠はない。理香子さんが保険に加入する時、以前理香子さんが神経系の病気で通院していたことを言わなかった、として「告知義務違反」を理由に支払いを拒否したのだ。 神谷は昭和61年12月に東京地裁に保険金支払いの訴訟を起こす。 一審の裁判では「神谷氏の発言には疑わしい面もあるが、本審議は理香子さんの死への関与ではなく、告知義務違反があったかどうかである。」として、「告知義務違反はない」と判断を下し、保険会社に支払いを命じる。 保険会社側は判決を不服として控訴する。 そして平成2年10月の控訴審をきっかけに、この事件が世間の注目を集めることになる。
あの時の解剖では「心筋梗塞」と判断を下したものの、心筋梗塞にしては心臓の色が綺麗過ぎる、他の臓器にも異常はない、ということで納得出来ないものを感じ、念のため理香子さんの臓器や血液を保存し、後日それを詳しく検査したところトリカブト毒が検出されたのだ。 トリカブトとは、沖縄を除く日本全国で自生する植物で、根を加工すると耳かき一杯程度で人を殺すほどの毒が出来上がる。 これをきっかけにマスコミも大きく報道し、神谷はまずいことになったと思ったのか、いったん訴訟を取り下げ北海道に身を隠す。その間に警察は神谷のアパートを捜査し、部屋の中からトリカブト毒を検出する。また、神谷が福島県の高山植物店でトリカブトを62鉢買ったことがあることも判明した。 しかしトリカブトの毒は即効性であり、飲むと数分で死亡する。あの時、神谷が理香子さんと別れてから、1時間半も経って理香子さんは苦しみだしたのだ。神谷にはアリバイがある。逮捕された神谷はこの点を強調した。 しかし警察はこの点も解明した。神谷がフグも大量に買っていたこと、また、理香子さんが強壮剤だと言って友達の前でカプセルを飲んでいたことなどから、トリカブトの毒と「効き目の遅いフグの毒」とを混ぜて毒の効(き)く時間を遅らせ、カプセルに入れることによって更に胃の中で解ける時間を遅らせたのである。 神谷の判決は無期懲役となった。 神谷は若いころから派手好きで、以前勤めていた空調機器の会社では1億8000万もの金を横領し、マンションを七つ購入したり毎晩のように銀座の高級クラブで飲み歩いたり愛人も三人いたりと、豪遊を繰り返していた。無職になっても態度は改まらず、消費者金融から多額の借金をしていた。金に追い詰められた神谷の最後の金策が保険金殺人となったのである。 Top Page 現代事件簿の表紙へ No.012 No.010 |