Top Page 現代事件簿の表紙へ No.073 No.071
「最も残酷な死体」と言われる形で発見された若い女性の死体。いまだ犯人が見つからない未解決事件。 ▼事件発生 1947年、アメリカのロサンジェルス。この年の1月15日の午前10時ごろ、一人の女性から警察へ通報の電話がかかってきた。 「空き地の枯草の中に女性が倒れてます。辺りにはハエも飛んでます。」 通報を受けた警察は、現場の担当エリアである、ロサンジェルス・ユニバーシティ分署にこれを伝え、この分署のパトカーが現場に急行した。現場はハリウッドから車で10分程度の、住宅街の空き地らしい。 パトカーは現場へ着くまでの間、当然、警察署と無線で連絡を取り合うのだが、この無線でのやり取りは、リアルタイムで、何人もの新聞記者たちに筒抜けになっていた。
この時代、記者が警察無線を盗聴していることなどは当たり前の時代だったのだ。何らかの事件があったことを知った各社の記者たちも急いで現場へと向かった。 一番乗りとなったのは、たまたま現場の一番近くにいた、「ロサンジェルス・エグザミナー」の記者とカメラマンである。 そこで彼らが見たものは、かつてないほどの惨殺死体だった。 被害者は女性で、全裸姿。 胴体は真っ二つに切断され、上半身と下半身は30cmの間隔をあけて置かれていた。 切断面からは脊椎(せきつい)が見え、一部の臓器は抜き取られており、その部分は空洞になっていた。切断されたところからは肝臓が飛び出すような形で、はみ出していた。 口から左右の耳までは切り裂かれ、体のあちこちが刃物でえぐり取られた傷跡があり、顔面には殴られたアザ、体にはタバコの火を押しつけたような火傷の跡が何箇所もあり、首と両手両足にはロープを巻きつけた跡が残っていた。 生前、逆さ吊りにされて激しい拷問を受けたことが推測されるような痕跡があちこちに残っていた。血液は抜かれ、死体そのものは綺麗に洗われており、そのせいか髪は濡れていた。 後の検死によれば、死体から切り取った肉片が膣と肛門に詰められており、胃の中には便が入っていた。 直接の死因は頭部への殴打と、顔面を切られたことによる出血とショックだと考えられが、生きたまま胴体を切断されたことによって死亡した可能性も高かった。 陰毛は剃られており、股は開かれていた。異常性欲者の犯行としか思えない、残酷すぎる死体だった。 警察が来る前の殺人現場である。特ダネだった。カメラマンは必死に写真を取り、記者は記事を書くためのメモを取る。やがて、同じように警察無線を聞いていた他社の記者たちも次々は現場に到着し始めた。そして野次馬たちも集まってくる。 2人の警官がようやく到着した時には、現場は踏み荒され、記者や野次馬たちのタバコの吸殻やゴミが散乱しているような状態だった。 犯人が残していたかも知れない足跡も、あるいは後の証言で分かった「空き地に停まっていた不審な車」のタイヤ跡も、犯人につながるような現場のものも大半がかき消された形になっており、発見時の現場を捜査出来なかったことが、この事件が迷宮入りになった大きな原因の一つと言われている。 記者が撮った写真は、一部が修正されて新聞に掲載された。そのまま掲載するには残酷過ぎたのだ。
指紋の照合によって被害者が特定された。仲間内では「ブラック・ダリア」というニックネームで呼ばれていた、本名エリザベス・ショート22歳だった。 ボストン郊外のハイドパーク出身で身長165cm、体重は52kg。父は事業に失敗して蒸発し、母親だけに育てられた。5人姉妹のうちの一人である。 母親が、女手一つで5人もの娘を育てるのがどれだけ大変なことかよく分かっていたエリザベスは高校を中退し、芸能界、それも映画界へのデビューを夢見て家を出て、一人でフロリダ州のマイアミビーチへと引っ越してきた。 ここで一人の空軍パイロットと知り合い、交際を始め、プロホーズもされるが、その彼は任務中に死亡してしまう。 その後はカリフォルニア州サンタバーバラ、ハリウッド、ロングビーチ、サンディエゴと住居を変え、それぞれの地域では軍関係者が出入りする夜の店にいりびたるようになった。男関係は派手だったらしく、毎夜のように違う男と一緒に歩いていたという証言もある。 エリザベスはあくまでも女優志望だったのだが現実は厳しく、生活するのが精一杯で、次第に売春婦のようなことをするようになっていった。 この頃から、エリザベスは夜の街で遊ぶ時には好んで黒い服を着るようになり、仲間たちは彼女のことを「ブラック・ダリア」というニックネームで呼ぶようになっていった。 この事件がブラック・ダリア事件と呼ばれるのもここから来ている。 もちろん事件の後、エリザベスと関係のあった男たちは全員、徹底して警察の取り調べを受けたが、有力な情報は何ら得られなかった。 ▼犯人からの贈り物 事件発生から間もなくして「自分が犯人だ」と名乗り出る者が次々と現れ始めた。また、「犯人の居所を知っている」「事件の真相を知っている」と、警察署を訪れる者も次々と現れ始めた。 自分が犯人だと名乗り出た者は27人、関係者だとか情報を提供するとか言ってきた者は500人以上にも昇った。だが、これらは全て、ブラック・ダリア事件をマスコミが連日大々的に報道していたため、面白がって警察署を訪れた、ふざけた連中ばかりだった。 本人が、事件の犯人や関係者だと言っている以上、警察も一応は調べなければならない。しかし、ただの一人も本物はいなかった。全員が適当なことをしゃべり、突っ込まれると話のつじつまが合わず、ニセモノだと断定されては警察から去って行く。 本人は面白かったのだろうが、警察にしてみれば捜査の邪魔以外の何物でもない、大迷惑な話だった。 そして事件発生から1週間ほど経った時、「ロサンジェルス・エグザミナー新聞社」に、一つの小包が届いた。 箱には「ダリアの遺品」と、新聞の文字を切り取って、それらの文字を張り合わせて書かれてあった。すぐにエグザミナー誌は警察にこのことを伝え、警察で開封した結果、中には住所録、名刺、エリザベスの出生証明書、社会保証カード、軍人たちとエリザベスが一緒に写っている写真が数枚入っていた。 住所録の1ページ目は切り取られていた。やはり犯人はエリザベスと何らかの関係がある男だったということは間違いない。 念の入ったことに、これらの遺品は全てガソリンに浸けられており、この遺品からは指紋も、犯人につながる手がかりも、何も発見出来なかった。 この遺品の件は、事件発生から10日後の1月25日のロサンジェルス・エグザミナー誌で大きく報道された。 更に、小包だけではなく、犯人からこの新聞社にはハガキも届いた。 「1月29日 水曜日 午前9時に自首する。警察をからかうのは楽しかった。 ブラック・ダリア・アベンジャー(復讐者)」 と、ブロック体でメッセージが書かれていた。犯人からのハガキはこの他にも数通届き、タイプライターで打ったものだったり新聞の文字を切りとって文章にしたものだったりしたが、それらは全て小包の時と同様、ガソリンに浸されてから投函したもので、指紋などは検出出来ず、一連のハガキ関係からは、またしても何ら手がかりは得られなかった。 捜査は難航していたが、ある日、一人の市民から情報提供があった。 アーノルド・スミスという男が犯人ではないかと言うのだ。 アーノルドは、この電話をかけてきた市民に、殺害した時のことや死体の切断状況などを詳しく語ったという。警察がその「アーノルドから聞いた話」を市民から聞いてみると、かなりのことが事実と一致していることが分かった。 完全犯罪と思ってつい気が緩んで自慢したくなったのか、警察にとってはかなり有力な情報となった。 しかも、アーノルドを調べてみると、「アーノルド・スミス」というのは偽名で、本名はジャック・アンダーソン・ウィルソンといい、この男には現在、別の殺人事件の容疑もかかっているということが判明した。更に、異常性欲者でアルコール中毒患者だということも分かった。 その、容疑がかかっている殺人事件というのは、エリザベスの友人の女性が殺された事件である。被害者は軍人相手の娯楽施設で働く女性で、ノドの奥までタオルを突っ込まれて窒息死させられている。殺害された後、水を入れたバスタブに浸けられた状態で発見された。 彼女の家の門灯からアーノルドの指紋が検出されたために、この事件の容疑者として警察が追っていた男だった。 最有力容疑者の登場に警察も色めきたったが、その矢先、アーノルドは、寝タバコが原因で自宅が火事となってしまい、その時に焼死してしまう。 唯一最大の容疑者が死亡したことで、この事件は完全に暗礁に乗り上げてしまった。 結局犯人は見つからず、ブラック・ダリア事件はこのまま迷宮入りとなってしまった。 Top Page 現代事件簿の表紙へ No.073 No.071 |