江戸時代、現在の八王子市にあたる「中野村」という村に、百姓の「源蔵」の息子で「小谷田勝五郎(こやた・かつごろう)」という少年がいた。この少年が8歳になったある日、添い寝をしていたおばあさんに、突然次のようなことを話し始めた。
「僕の本当の名前は藤蔵(とうぞう)というんだ。僕は昔、程久保(ほどくぼ)村に住んでいた。それでお父さんの名前が久兵ェ(きゅうぺえ)で、お母さんの名前がお志津(しず)っていうんだ。
でもお父さんは僕が生まれてすぐに死んじゃったし・・僕自身も5歳で死んじゃったんだ。だから、この家のお母さんのお腹の中に入って、またこの世に生まれてきたんだ。」
勝五郎少年はこの言葉を皮切りに、死後の世界のことも事細かく話し始め、最初は半信半疑で聞いていたおばあさんも、それがあまりに具体的なので不思議に思い、村の集まりの時にみんなにこのことを話してみた。
その結果、15年ほど前の程久保(ほどくぼ)村の状況にあまりに似ていることが分かり、程久保村の村人が話を聞いて確かめにきたが、勝五郎少年がもと藤蔵(とうぞう)であったとしか考えられないような事実が次々と分かったのである。
行ったこともない、程久保村の藤蔵(とうぞう)の家の中の様子も詳しく知っていたし、勝五郎少年が程久保村に出かけた時に、藤蔵が死んでから出来た家や木などを「あれは昔はなかった。」などと言い当てたりもしたのだ。
藤蔵は文化4年2月4日に死亡、勝五郎は明治2年12月4日に死亡しており、二人の墓は現在でも存在している。
この事件は、江戸時代の国学者・平田篤胤(ひらたあつたね)が、直接本人や家族から取材して書き残している事件である。