Top Page  心霊現象の小部屋  No.91  No.89


No.90 管理人・吉田の寺時代の体験

このサイトの管理人吉田は、平成4年9月から平成9年11月まで、5年ほど寺で坊主をやっていた時期がある。その時は職業「僧侶」であった。一応、袈裟を着て通夜や葬儀もやっていた。だが別に寺に住んでいたわけではなく、当時は近くのアパートを借りてそこから出勤していた。

その時代、寺で時々妙な体験をした。といっても、夜中寝ている時に、顔面血だらけの女に首を絞められたとか、そういう強烈な体験ではない。このコーナーに載せるほどのレベルでもないのだが、昔の体験談として書いてみた。


▼ふすま

冒頭にも書いたが、自分も含めて寺の職員は、普段は勤務時間が終わるとそれぞれの家に帰っていた。実際に寺に住んでいるのは住職夫妻だけである。

ある日、住職夫妻が一泊二日で出かけることになった。その日の夜は寺に誰もいなくなるので、代わりに宿直を頼まれた。要するに、寺に一晩、それも一人で泊まるわけである。強烈にイヤだったが仕方がなかった。

寺と自分のアパートは100メートルくらいの距離だったので、その日は一回アパートに帰って風呂に入って着替えて再び寺へ戻ってきた。日が暮れて門や建物の戸締りをしてから「自分が寝るための部屋」を作った。

住職の部屋で寝るわけにもいかないし、宿直室などというものもなかったので、二階の大広間で寝るように言われていた。


大広間は、図のように畳が24枚敷いてあって、6畳ごとに「しきい」が入っている。しきいにふすまをはめれば6畳ずつの部屋になるように作られているのだが、普段は全部ふすまがはずしてある。

倉庫からふすまを6枚運んできて、一番端っこの部分を部屋にすることにした。廊下側に2枚、部屋側に4枚はめて、一応、自分がこれから寝るための部屋が完成した。

廊下や他の部分の電気を消して部屋に入ったが、テレビもないし酒も飲めないので、退屈なことこの上ない。

夜の9時ごろ、ふとんの横で煙草を吸っていると、突然廊下側の2枚のふすまがカタカタカタと揺(ゆ)れ出した。

「あれっ?」と思った次の瞬間、その2枚のふすまはガタガタガタガタッ!とものすごい音を立てて激しく揺れ始めた。

「地震だ!」と思ったが、他のものは何も揺れていない。ふすまだけが激しく揺れている。ビビりながらとりあえず煙草を消してじっとしていると、今度は突然、部屋側の4枚のふすまもそれに連動するかのように激しく揺れ始めた。

こっちのほうが枚数が多い分、強烈だった。その揺れ方も、上下に震動しながら前後にも揺れている。ふすまがしなってしなって、ひょっとしてふすまがしきいを外(はず)れてこっちに吹っ飛んでくるんじゃないかと思えるほど激しい揺れ方だ。

まるでふすまの向こう側に何人もの人間がいて、みんなでふすまを押しているような、そんな揺れ方だ。

「何やっ!何や、この現象はっ!! 何でふすまだけがこんなに揺れるんじゃっ!!」

合計6枚のふすまがガタガタガタガタッ!と大音響で揺れている。ビビり上がって声も出なかった。

とっさに般若心経を唱(とな)えた。当時は寺で般若心経を毎日あげていたので、それぐらいは記憶はしていた。必死になってお経をあげた。というかそれくらいしか思いつかなかった。


どれくらい時間が経ったか、突然ふすまの揺れが弱くなった。そう思った直後、カタカタカタ・・と揺れが収まって、シーンとした静寂が戻ってきた。

般若心経一回分で3分くらいなので、最後まで唱える前に揺れが収まったから、時間にしてそう長くはなかったのだろうが、とてつもなく長い時間に感じた。

すぐに立ち上がって部屋側のふすまをガラッと思いっ切り開けてみた。しかしそこに広がっているのは暗い空間のみだった。誰もいるはずがない。廊下にも誰もいない。窓は全部閉まっているので、風が入ってくるはずもない。

ゾッとなって、すぐにありとあらゆる照明器具をつけた。あまりに怖かったので、数時間ドキドキして当分寝つけなかった。

長い夜が明けて、朝、寺の他の職員が出勤してくると、すぐに昨日の出来事を片っぱしからしゃべったが、「いい体験したね。」とか「よくあることよ。」とか言われただけだった。あの現象は何だったのかいまだに分からない。

ここまで読んできて、「何だ、それだけかよ。」と思った人も大勢いると思うが、自分にとっては大変な恐怖だった。でも、あなたが同じ目にあったら、絶対ビビりますよ。


▼視界ギリギリの辺りに

寺に勤めていた頃は、寺の本堂に入って作業しなければならない時が一日に何回もあった。それは掃除であったり、法要(ほうよう = 参拝者たちに対してお経を上げる儀式)の準備やその後片付けであったりする。

本堂に入って座り込んで作業していると、何か横の方に人の立っている気配を感じる。ハッと思ってそっちの方を向いても誰もいない。

「人が立っている気配」を感じるのはいつも視界ギリギリの辺りである。人間の視野は通常、片目で左右それぞれ160度くらい、両目なら200度くらいと言われていて、真横に近い辺りは何となく見えはするものの、そこに何があるのかは、はっきりとは認識出来ない。

その「見えるか見えないか」の場所に誰か立っているような感じは、最初は自分の勘違いだろうと思っていたが、そうしたことがほとんど毎日、それも一日に何回もある。

ただしこれは本堂にいる時だけこうしたことがあるのであって、他の部屋にいる時や受付にいる時はそのようなことはない。自分の精神がおかしくなっているのか、ひょっとして本物の何かがそこにいるのかと思うと気味が悪かった。


▼飛ぶダイコン

本堂には大きな仏像があったが、この仏像の前には、毎日台所担当の職員がお供えものを供えていた。

お供え物は図のような感じで、野菜を切って皿の上に立てたものである。左端の直方体は高野豆腐の箱で、右と後ろの袋はしいたけ、ダイコンの前にあるのは、レンコンとキュウリとニンジンである。

ちなみのこの絵はその当時、自分が描いたものである。

これが、高さが1メートルくらいの台の上に置いてある。このお供え物は、毎日、朝、交換する。

朝、自分が一番最初に本堂に掃除に入って、仏像の前に行くと、このお供え物の中の、ダイコンがなくなっている。

「おや?」と思って足元を見ると、床の上にダイコンが落ちている。

最初は誰かのいたずらか、お供え物を持ってくる職員の人が落としたことに気づかなかったのかと思っていたが、それにしては、そうしたことがこの後も何回もあった。

後ろの方にあるはずのダイコンが、自分で飛び跳ねたかのように台の前の床に落ちており、そして落ちているのはなぜかいつもダイコンであって、他の野菜はちゃんと立っているのだ。

自分のいた5年間に、さすがに何百回もはなかったが、20回以上はそうしたことがあった。

▼階段の人形

寺には本堂の他に「別殿」という建物があって、この別殿は道路を隔(へだ)てて、寺の向かい側に建てられていた。一階が駐車場、二階が通夜や葬儀に使う「別殿の本堂」、三階が遺族たちのための宿泊施設である。

別殿は通夜・葬儀専門の建物である。だが、この別殿で通夜葬儀を行うのと、寺の本堂で通夜葬儀を行うのとでは料金が違う。別殿で行うほうが安い。

うろ覚えとなってしまったが、確か寺の本堂で行うと300万、別殿の本堂なら180万だったと思う。
(※ここがそうだったというだけで、全国の相場が同じというわけではありません。)

葬儀の予約を受けると、予算に応じて寺の本堂で行うか、別殿の本堂で行うかが決まる。


ある時、その別殿で通夜をすることになった。

その準備のために自分が別殿に入って階段を上がり、二階の本堂へと入った。二階での作業が終わり、再び階段を下りて寺の受付に帰った。

しかし、やり忘れたことに気づいたので、再び別殿に戻って階段を上がろうとすると、今度は階段の真ん中に人形が二体立っている。

この人形は、階段の横の壁に飾ってある人形だ。階段の横の壁は、図のように一部くり抜いたような形で棚が作ってあり、その人形はいつもその棚に置かれていた。

ほんのさっき、この階段を昇り降りした時には何もなかったのに、その数分後にこの階段に戻って来ると、棚の人形が階段に立っていたのだ。

この人形は、木彫りの20cmくらいのもので、おじいさんとおばあさんの二体がセットになっている。落ちたように転がっているのではなく、きちんと二体が並んで階段の上に立っていた。

この時、別殿を往復していたのは自分一人であって、あのわずかな間に誰かが入ってこのようなことをしたとも思えない。ものすごく気持ちが悪かったが、とりあえず人形は元の位置に戻して置いた。

通夜の前の遺体はまだ運ばれてきてはいなかったが、事前にこういったことがあると非常に気味が悪かった。



▼足音

自分が寺に入った(就職した)のと入れ替わりのように辞めた僧侶の人がいて、その人から聞いた話である。その人と自分とは、わずかな期間しか一緒にいなかったので、特に親しかったというわけではないし、喋ったのもほんのわずかであった。

その僧侶の人はずっと寺の境内(けいだい = 敷地)の中に立てられた小屋に住んでいた。小屋といっても一応きちんとした造りで、6畳一間の小屋である。

夜になると寺は門を閉ざす。二箇所ある出入り口にシャッターを降ろして、その人は自分の家である小屋へ入る。

ある夜、その僧侶の人が寝ようとしていると、寺の境内の中から「カラン、カラン」と、まるでゲタで歩くような音が聞こえてきた。

境内は石畳になってるので硬い履物で歩くと音がよく響く。てっきり寺に住んでいる住職夫妻が何かの用事で境内に出てきたのだろうと思って、ちょっと窓から覗(のぞ)いてみるが、境内には誰もいない。

それほど広い境内ではない。20メートル四方くらいの広さで、全部見渡せる。その中で、誰もいないのに、「カラン、カラン」とゲタで歩く足音だけが聞こえてくる。

この人が言うには、この足音は何回も経験したらしい。


▼自分のアパートで

自分は寺で働いていた当時、近くのアパートで一人暮らしをしていて、そこから通っていた。そのアパートは、台所・6畳・4畳半の3部屋だった。ちなみにこのアパートは、現代事件簿で書いた「No.049 管理人の空き巣体験記」の時に住んでいた部屋でもある。

当時は4畳半の部屋に布団を敷きっぱなしにしていて、そこを寝室にしていた。

ある朝、起きてみると、隣の6畳の部屋の蛍光灯がついている。「寝る前に消し忘れたかな?」と思って、最初は大して気にもとめなかった。

だが何日か後、起きてみると今度は6畳の部屋に加えて台所まで蛍光灯がついている。こういうことが何回もあり始めると、段々と気になり始め、寝る前に「指差し確認」をするようになった。

「台所、消した。」「6畳の部屋、消した。」と指で蛍光灯を指差して確認してから、寝室に使っていた4畳半の部屋に入る。

しかし朝起きてみると、台所と6畳の部屋の蛍光灯が両方ついている。

「寝る前に絶対確認したはずなのに・・。」「多分、夜中にトイレに行ったんだろう、その時に電気をつけて、それを自分で覚えてないだけ。」

自分でそう思って納得させたが、「起きたら蛍光灯がついていた」ということは、あまりにもしょっちゅうあった。毎日のように指差し確認して寝るのだが、それでも朝起きると蛍光灯がついていた。

このことは日常茶飯事のように起こるので「ひょっとして寺から霊がついて来て、この部屋に住んでいるんじゃないか?」という意識も少しあったが、あまり考えないようにしていた。

「家電製品のスイッチが勝手に入ったり切れたりするのは、初歩的な霊現象」と何かの本には書いてあったが、それが自分の部屋で起こっているとは考えたくないので、「明日起きたら6畳と台所の蛍光灯はついていて当たり前」という考え方に切り替えるようにした。

この現象は、引っ越すまで続き、百回以上は経験した。次に住んだアパートではそういったことが全くなくなったので、今考えると、やっぱりあのアパートには誰かが一緒に住んでいたのかも知れない。